ピヨンは、何も出なかった朝の試行から順番に目を通していった。
途中でペン軸に添えた指の位置を聞かれ、窓際へ立って休憩を挟んだところを確かめられ、頁をめくる指がようやく三つ目の丸にたどり着く。
らでんはその間、何度横から先の頁を開きそうになったか分からない。三回。向こうから来たのではなく、自分からやってみて三回である。できれば『何もなし』の行より、その丸の並んだところをもう少し長めに見てほしかった。
「できたじゃん」
あんまりあっさり言われて、頭の中で用意していた説明が全部飛んだ。
「……できました」
「何その顔。自分で言いに来たんでしょ」
「そうなんですけど。人に言われると、なんかまた違うんですよ」
返されたノートを手元へ引き寄せ、紙の端に並んだ三つの丸を見つめる。
夜中に一人で声を噛み殺して喜んだ時より、少しだけ落ち着いた気持ちで自分の字を眺められた。少なくとも、今すぐ隣に座っているこの人だけは、昨夜の自分が何をあんなに嬉しがっていたのかちゃんと分かってくれた。
「で、名前まで決まったんだ」
「あ、そこは、あとで見ていただこうかと」
「さっき最初に出してたけど」
昨夜からの記録の一番最後に、大きく《
らでんが観念して頁を開いたままにしていると、ピヨンはノートの隣に置かれた受け台のペン軸へ目を移した。
「次は、ほかの物でも同じように使えるかだね。それと、これで見た手が、本当にこのペンを使ってた人の手なのか」
「紙と、湿ったインクも見えましたよ」
「ペンだからね」
あんまり短い返事に、らでんは少し言葉に詰まった。
白い紙の上を走った黒い線も、すぐそばで曲がった指の形も、まだこんなにはっきり覚えている。けれど、先端にインクの染みが残った古いペン軸を見れば、紙とインクと指先くらい誰でも思い浮かべられるものではあった。
自分の意志で三度同じように起こせたことと、そこに見えた景色が本当のことかどうかは、確かめ方が違う。
「私の知らない物で、ピヨンさんの方で答えが分かってる物……あります?」
「探せばあるよ。由来を伏せて渡して、あんたが使ったあとで記録と比べる?」
「はい。それなら、私の思い込みが混じってても見つかると思います」
「見つかっても怒らない?」
「それは内容によります」
「正直でよろしい」
自分の《発》がちゃんと形になったと認めてもらえた。そのすぐ先で、今度は自分の《発》を疑って確かめる準備をしている。
昨日までの自分なら、せっかくできたのにと少し嫌な顔をしていたかもしれない。けれど今は、このペン軸のほかにどんな物が読めるのか、早く自分の手で試してみたくてたまらなかった。
「手伝ってください。ちゃんと仕事で使えるようにしたいので」
「いいよ。三日くらいで準備するから、その間はまず寝て」
「え、今からですか」
「うん。さっき同じ説明、二回したよ」
らでんは観念して口を閉じた。
◇ ◇ ◇
三日後の午後、調査室の机には透明なガラス瓶と古い木杯が並べて置かれていた。
瓶の方は底の近くに値札シールを剥がした跡まで残る新品で、木杯の方には乾いた木肌に細かな傷がいくつも入っている。
ピヨンから渡された記録用紙には、『知覚したもの』『自分の解釈』『確信度』を分けて書き込む欄が作られていた。確信度まで数字で付けるのかと顔を上げると、向かいのピヨンはもう自分の椅子を引いて腰を下ろしている。
「自分がどれくらい自信満々だったか、あとで答えと比べたいから」
「間違えた時に一番恥ずかしいやつですね」
「合ってたら嬉しいよ」
「絶対、両方を楽しむ気だ……」
まずはガラス瓶から試すことにした。
指で触れる前に、見た目から予想したことを用紙の端へ書き留めておく。値札の跡がある新品。誰かが使ったとしても、ごく短い期間のはずだ。あまり大したものは出ないかもしれない。
そこまで書いてペンを置き、手袋をした指先を冷たいガラスの腹へそっと当てた。ペン軸の練習で繰り返した通りに呼吸と纏を整え、練で増やしたオーラを触れている指先へと集めていく。ガラスを押す指に少し力が入っているのに気づいて緩め、そのまま静かに待った。
――――――
ピヨンの顔が、少し高いところにある。
白い手袋。ガラスの向こう側で机の縁が動き、硬い音が一つした。
瓶を置いた手が離れていく。
――――――
らでんはぱちりと目を開き、机の向かいにいる顔を確かめた。
たった今、短い断片の中で上からこちらを覗き込んでいた人が、目の前ではのんきに頬杖をついている。
「出た?」
「出ました。ピヨンさんが」
「まあ、目の前にいるしね」
「今のじゃなくて、瓶の方です!」
慌てて手元の用紙へペンを走らせる。答えを聞く前に全部書き終えたいのに、口の方が先に喋ってしまいそうだった。
ピヨンはらでんが記入欄を埋め終えるのを待ってから、手元の端末で短い動画を開いた。
画面に映っていたのは、昨日の調査室だった。試験用の瓶を机へ移す様子を記録した映像の中に、白い手袋と机の縁がそのまま映り込んでいる。瓶を置いたあと、ピヨンが指先でくるりと瓶を回すところまで録画されていたが、らでんが拾ったのは手が離れるところまでだった。
「これです! この、机に置くところ」
らでんが指差したところで映像が止まる。
自分が部屋にいなかった時の出来事が、別の記録の中にもちゃんと残っていた。らでんは自分の書いた用紙と端末の画面を、何度も交互に見比べた。
「……ペン軸の次が、ピヨンさんでした」
「一発目から当たりだね」
きゅっと結んでいた口元が勝手に緩むのを止められなかった。
古文書の失われた一行でもなければ、歴史上の誰かの顔でもない。ただ昨日、ピヨンがここへ空き瓶を置いただけの場面だ。それでも、今まで偶然に見たどんな断片より、裏が取れたことが嬉しかった。
だからこそ、次の木杯には少し期待しすぎたのだと思う。
これだけ傷のついた古い品なら、きっと長い年月のぶんだけ、いろいろな場面を通り抜けてきているはずだ。
ところが手袋の指を添えてみても、暗い箱の内側のようなものが一瞬かすめた気はしたものの、さっきのガラス瓶ほどはっきりした像にはならなかった。そのまましばらく待っても、続きは何も来ない。
指先のオーラを増やしかけて、らでんは自分で止めた。どうすれば発動するかを闇雲に探っていた夜とは違う。ここで出し方を変えてしまったら、品物の違いなのか、自分のやり方の違いなのかまで分からなくなる。
「暗いところが少しだけ。それ以上は、何も取れません」
「もう一回やる?」
「いえ、いったんこの結果でいきます」
ピヨンがファイルから出した記録によれば、二百年ほど前に作られた木杯だった。ただ、長い間ずっと木箱の中に納められたままで、実際に使われた形跡も乏しい品だという。
ガラス瓶よりよほど古い。それなのに、らでんが拾えたものは瓶よりずっと少なかった。
「年季が入ってる物の方が、いろいろ教えてくれると思ったんですけど」
「年寄りだって、別に話すことない日はあるでしょ」
「杯の気分の問題なんですか?」
「知らないよ。あんたの調子かもしれないし」
らでんは手元の記録と木杯へ視線を戻した。
そもそも人の手で使われた場面が少ないのか、それとも自分がまだうまく拾えていないだけなのか。今回の結果だけでは、そこまでの区別はつかない。少なくとも、『古い物ほどたくさん読めるはず』と決めてかかるつもりなら、最初から考え直した方がよさそうだった。
らでんは新品のガラス瓶を、机の端へ両手で丁寧に戻した。昨日までなら、念を試してみようとすら思わなかったはずの品である。
◇ ◇ ◇
短い休憩を挟んでから机に出されたのは、古びた小さな人形だった。
片方の腕に深い割れ目があり、色褪せた服の裾は擦り切れている。ピヨンは人形の来歴を何も教えず、手袋で触れてよい箇所だけを指先で示した。
らでんは言われた場所へそっと指を当てた。
ペン軸やガラス瓶と同じ手順をたどり始めた。
――――――
いきなり子供の泣き声が飛び込んできた。
赤い火が揺れている。すぐそばで誰かが鋭く怒鳴った。
床が目の前へ迫る。
硬い音と一緒に何かが割れ、鈍い衝撃が響いた。
――――――
指を離した時には、椅子の背もたれへ思いきり背中を押しつけていた。
目の前の人形は、机の台の上に静かに寝かされている。それなのに、床へ向かって落ちていく感覚がまだ腹の奥に残っていて、すぐには机の前へ座り直せなかった。
「大丈夫?」
「……はい。ちょっと、びっくりしました」
コップの水を一口飲んでから、記録用紙へ向かい直る。ペンを握って文字を書き始めると、ようやく浅くなっていた呼吸が落ち着いてきた。
何かひどいことが起きた場面だ。火事か、それとも家の争いか――。
らでんは解釈の欄へ『昔の事故?』と書き込んだ。最後に疑問符は付けたけれど、確信度の欄には迷わず『95』と書く。人形の腕に入った古い割れ目の一つに、あの硬い音が残っていたのだと思った。
書き終えて顔を上げると、ピヨンが小さな写真を一枚差し出した。
今目の前にあるのと同じ人形を、ピヨンが手で持っている写真だった。ただ、写っている人形の腕にはまだ割れ目がない。
「これ、三日前の写真」
「……え?」
「このあと、私が床に落とした」
台の上の人形と、手元の写真を交互に見比べる。
二つの腕の違いは、もう一度言葉で説明されなくても一目で分かった。
「……じゃあ、火は?」
「部屋の暖炉。怒鳴り声と泣き声は、友達に頼んだ」
「そこまでやります!?」
「性能試験だからね」
らでんは数秒、返す言葉を探して口をぱくぱくさせた。
暖炉の火の前で友達に迫真の演技をさせて、古い人形を床へ落とす十二支ん。準備に三日かかると言われた時、そんな光景はかけらも想像していなかった。
「もしかしてピヨンさん、ちょっと楽しんでました?」
「まあね」
「そこは否定してくださいよ!」
手元の用紙に書いた『95』の数字が嫌でも目に入った。
悔しい。ただ、ありもしない出来事を勝手に思い浮かべたわけでもなかった。揺れる火も、叫び声も、床へ落ちた衝撃も、この人形のすぐそばで実際に起きている。らでんが派手に間違えたのは、その場面が『いつ』『何のために』起きたかという部分だった。
「……能力の方は、ちゃんと拾えてるんですよね」
「うん、私の仕込みをね。昔の悲劇にしたのは、あんた」
らでんは自分の用紙を見直し、『昔の』という二文字の下へぎゅっと線を引いた。
見えた断片の中に、年号や日付が書いてあったわけではない。人形の服も傷も古びていたから、見えた場面まで勝手に昔のものにしてしまった。
「これ、年代を当てる試験だったら、目も当てられない結果ですよ」
「そうだね」
「でも、物を一個挟んで、私の知らない出来事を知る試験なら……」
「いい結果。そこは喜んでいいよ」
らでんはもう一度、台の上の人形へ目を向けた。今度触れれば、ピヨンの仕込みより前の、本当に古い場面が来るかもしれない。
そう思って手袋の指を伸ばしかけるより先に、ピヨンが台ごと人形をすっと遠ざけた。
「はい、今日はここまで」
「え、まだ使えますよ」
「さっきから、用紙の同じ行ばっかり読んでる」
指摘されて初めて気がついた。頭の奥がじんわりと鈍く痛んでいる。
自分の書いた文字を目で追うたびに焦点が滑り、胃のあたりまで少し重かった。ガラス瓶を読めた嬉しさに、人形で引っかかった悔しさが重なって、次の試行で取り返すことばかり考えていたらしい。
「……ちょっと、気持ち悪いかもです」
「そういうのは、先に言って」
今度のピヨンの声は、少しも軽くなかった。
らでんは素直に椅子へ深く座り直し、胸のむかつきが引くまで机から離れなかった。その間にピヨンは手際よく試験品を片づけ、残った記録用紙の余白へ終了時のらでんの様子を書き加えていた。見事に引っかかった解釈の欄より、そちらのメモを見ている方がずっと気まずかった。
◇ ◇ ◇
その夜は、いつもより早めに部屋の寝台へ入った。
身体は眠かったし、夕方の頭痛もほとんど引いていた。それなのに明かりを消して目を閉じると、急に暗い床が迫ってきて、乾いた腕が割れる音が耳の奥で蘇った。
らでんは暗がりの中で自分の右腕を持ち上げて見た。
傷なんてない。もちろん、あるはずがない。床へ落ちたのはあの人形で、自分はずっと調査室の椅子に座っていたのだから。
頭ではっきりそう分かっていても、もう一度目を閉じるのが嫌だった。
らでんは枕元の小さな灯りをつけ、鞄から出したノートを開いた。
白い頁の上には、今日の出来事が自分の見慣れた字で残っている。人形のどこへ指を当てたかも、手を離したあとでコップの水を飲んだことも、ちゃんと順番通りに書いてあった。
そこまで読み返してから、余白の端に鉛筆で『夜、目を閉じるとまだ音と落下の感覚を思い出す』と書き足した。ノートに一行追記したからといって、耳に残る音が消えてくれるわけではない。けれど、自分が本当に座っていた調査室の机や椅子の硬さを一つずつ思い返しているうちに、ようやく背中から力を抜いて寝台へ身体を預けられた。
翌朝、そのことをピヨンへ報告すると、すぐにその日の予定が変わった。
「じゃあ、今日は試験お休み」
「あ、頭はもう痛くないですよ」
「痛みだけじゃないでしょ。知らない物の記憶を増やす前に、昨日のやつがどれくらい残るか見たい」
らでんは言い返しかけて、口をつぐんだ。
今だって、あの人形をもう一度目の前に出されたら、昨日の音が戻ってきそうな気がする。そこへさらに別の品の断片が重なった時、どれがどの品から来た感覚だったか、自分の頭できちんと分けられるだろうか。
「昨日のあれ、なんだか私の記憶みたいでした。私にはそんなこと、一度も起きてないのに」
「だから、見た直後の記録を別に残すんだよ。後から自分の記憶みたいに馴染んできた時、戻って比べられるようにね」
「でも、ノートに記録しても音は消えませんでしたよ」
「うん。書いたからって、平気になったことにしないで。どれくらい残るのかも、これから確かめるんだから」
ピヨンは確認し終えたノートをぱたんと閉じて返してくれた。
大丈夫だという気休めでも、大げさな脅しでもないいつもの調子に、かえって肩の力が抜けて話しやすくなる。
「昨日も、ほんとは早く次をやりたかったんです。あんなふうに間違えたまま終わるのが嫌で」
「じゃ、今日は間違えたまま休む練習」
「これ、念じゃなくて私の性格の修行になってません?」
「案外つながってるんじゃない?」
結局その一日は、一切《発》を使わずに古文書の画像整理だけをして過ごした。
昼過ぎには、ふとした拍子に人形の割れる音を確かめていたこともすっかり忘れて、ピヨンと画面の向こうの崩し字について言い合っていた。
◇ ◇ ◇
次の試験は、さらにその翌日になった。
昨夜は途中で目が覚めることもなくよく眠れたし、頭痛も吐き気も残っていない。目を閉じても、あの落下の感覚に寝起きを邪魔されることはなかった。
ピヨンへその経過を伝えてから、改めて机の上に置かれた二つの品を見る。
丸い金具と、古い小刀。どちらも今日初めて見る品だった。
「この中の一つを、昨日、知り合いの念能力者に持ってもらった。強い悪意を込めてね。それがどっちか、探してみて」
「今度は最初から『昨日』って教えてくれるんですね」
「うん。そこも含めて考えて」
人形の時よりずっと条件がはっきりしていて、簡単そうに見える。らでんはまず、そう感じたこと自体を手元の用紙へ書き留めた。
「書くこと増えたね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
最初は丸い金具に手袋の指を当ててみたが、ここからは何も拾えなかった。
用紙に『何もなし』と記し、少し呼吸の間を空けてから隣の小刀へ指を移すと、急に胸の奥がひやりと冷えた。
――――――
顔も声もない。
ただ、強い嫌悪がある。
目の前から消えてしまえばいい、という切迫した感情が、すぐ肌に張りつくほど近くにあるようだった。
――――――
らでんは指を離し、短く息を吐き出した。
人形の時のような火や音の光景はない。それでも、ピヨンが言っていた『強い悪意』には今の感覚が一番近い気がした。手元の用紙へ感じた通りに書き終えてから、小刀の方を指差す。
「こっちです。ただ、これがいつのものか、昨日かどうかまでは分かりません」
「うん、そこが違う。正解は最初の金具」
らでんの視線が、さっきは何も出なかった丸い金具へと戻った。
ピヨンの説明によれば、小刀の方は百年ほど前の事件で実際に使われた品だという。昨日の協力者には指一本触らせていない。らでんは小刀に残っていた感情を確かに拾ったらしいが、今回の試験で探していた相手のものではなかった。
「金具の方には、本当に悪意を込めたんですか?」
「込めたって、本人は言ってたよ。ただ、手でじっと持っただけ」
「……触った人の考えが、そのまま伝わるわけじゃないんですね」
最初のガラス瓶で見えたのも、瓶を机に置く手の動きだけで、準備していたピヨンが何を考えていたかまでは少しも分からなかった。そして今、古い小刀から拾った冷たい感情にも、誰の、いつのものかという名札は付いていない。
らでんは丸い金具に手を触れず、目にオーラを集めて《凝》で表面を見つめた。こちらは、普段の調査で残留オーラを目で追う時の慣れた感覚だ。指先で触れた物から知らない景色や感情が向こうから入り込んでくる《発》とは、そもそもやっていることが違った。
「A-117では最初に念が見えたので、無意識にそれを辿ってるつもりでした。触った人が強く何かを思っていれば、その分拾いやすいんじゃないかって」
「今回は、念能力者が持っただけの金具より、昔実際に使われた小刀の方だったね。物に何が残るかと、あんたが何を拾えるか、両方分けて考えないと」
「どう使われたかとか、残った感情の強さとか……何が拾いやすいのか、条件を別々に比べたいです」
「うん。そのための品は、また探そっか」
これから先の試験をあれこれ考えるのが、急に少し楽しくなってきた。
同じ品で何度も試してみるのか、使われ方が似た新旧の品を並べて比べるのか。今までなら『もっと古くて、強い念がこもった物』と一息にまとめていたところに、確かめたい違いがいくつも並んでいる。
ただし、今日はもうこれ以上は触らないでおいた。小刀から指を離した後の自分の体調や呼吸の様子まで用紙に書き留めて、すっぱりとペンを置く。
「これで、今回の試験は終わりにします」
「お、私が言う前に終わった」
「またピヨンさんに顔色で見破られるの、嫌なので」
「顔色、今日はまだ普通だよ」
「じゃ、普通のうちにやめます」
ピヨンは可笑しそうに笑って、小刀の入ったケースの蓋を閉じた。
◇ ◇ ◇
試験に使った品がすべて片づけられると、広い机の上にはらでんのノートだけが残った。
らでんは最初に能力の名前を書いた頁を開く。
新品のガラス瓶で裏が取れたこと、古い人形で年代も事情も取り違えたこと、一日休んだあとの経過、そして金具と小刀の試験。後ろへ何枚も増えた記録頁の番号を、名前のすぐ下へ順番に書き加えた。
どの品に触れれば何が出るのか、まだ全部は分からない。それでも、手を当てる前に確かめておきたいことも、何かが出たあとにどうやって裏を取るかも、ペン軸ひとつしか知らなかった数日前の朝よりずっと具体的になっている。
「私、この《発》、好きです」
「人形の文句、あんなに言ってたのに?」
「人形はピヨンさんの仕込みへの文句です。能力は悪くないです」
「ちゃんと言いたいこと分けられるようになったねー」
「そういう試験じゃないでしょ!」
ひとしきり笑ってから、らでんは厚みを増したノートを閉じた。
「試験、手伝ってくれてありがとうございました」
「どういたしまして。じゃあ次、本番の仕事で使ってみよっか」
ピヨンが机の上へ、一枚の写真をすっと置いた。
修道院の追加資料に入っていた、古い包装布の写真だった。端に残った紐穴の位置と無数の折り跡が、見つかった時の包み方ではどうにも合わないのだという。
「明日、これの現物を見る。触る許可はもう確認してあるから」
「何が入ってた布なんです?」
「それも、あんたに見てほしいところ」
今度はもう、ピヨンが先に用意した試験の正解はない。
らでんは包装布の写真を丁寧にノートの間へ挟み込んだ。明日はこの自分の《発》で、二人の仕事を少しだけ先へ進めてみたい。