古層板はいつもの古層板に戻った。
土器の破片、修復材、南岸の織物。らでんも学校と宿題を終えると端末を開き、分からないことを尋ね、面白いものを追いかけた。
ただ、ときおり混じる大人たちの言葉を、前より気に留めるようになった。
古狸@野良発掘
> 遺跡見るなら、1週間は歩ける体力がいる。
みずき堂
> 現地で怪我をしたら、資料どころではありませんよ。
古狸@野良発掘
> 知識あっても、現場に着く前に潰れたら意味ねえぞ。
どれも試験の攻略法ではない。現場へ行く者なら知っていて当然の話を、二人は何気なく書いただけだった。
らでんは一冊のノートを作った。
《ハンターになるために足りないもの》
体力。水泳。地図と方角。野営。応急処置。荷物の管理。そして、争いごとに対処する力。
文化財の調査項目を並べるように、自分に足りないものを書き出した。
そして、走り始めた。
最初は二キロで息が上がった。帰宅して心肺の仕組みを調べ、翌日は歩幅を変えた。
痛みが出れば休み、理由が分かればやり方を直す。
休日には泳ぎ、重い荷物を背負って歩き、登山や応急処置の講習を受けた。
山へ入るときは現地の案内を頼み、地図と方位磁針を持った。学校へ行き、本を読み、古層板を覗く。その隙間に少しずつ訓練を重ねた。
古狸たちは、らでんに稽古をつけた覚えなどなかった。
たまに靴や水の量について妙に具体的な質問をされるだけで、その言葉が一つずつノートへ移されているとは知らなかった。
数か月が過ぎる頃には、らでんは長い道も山道も、重い荷物を持って歩けるようになっていた。
泳ぎ、方角を確かめ、簡単な手当てもできる。
強くなりたいわけではない。
見たいものがある場所まで、自分の足で辿り着きたかった。
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体を鍛えているあいだも、らでんの関心は相変わらず文化の方にあった。
ある夜、みずき堂から小さな木彫像の画像が送られてきた。持ち込まれた相談品だという。
みずき堂
> これ、どう思います?
らでんは画像を広げ、縁の角を見た。
RDN
> ……新しいですよね?
みずき堂
> 根拠は?
RDN
> 古く見せてますけど、削った角が立ちすぎてます。
> あと顔料。この地方の古い赤なら、もう少しくすむと思います。
少しして返事が来た。
みずき堂
> 正解。
RDN
> やった!
みずき堂
> ただ、問題はそこではありません。
> 持ち込んだ本人は本物だと思っています。
らでんの手が止まった。
RDN
> 騙された?
みずき堂
> おそらく。らでんならどうします?
RDN
> 偽物だって伝えます。
みずき堂
> それだけ?
らでんは考えた。
RDN
> どうして本物だと思ったのか聞く。
> 買った場所も。
みずき堂
> それから?
もう一度、木彫像を見た。形はよく整い、彫りの流れにも迷いがない。
RDN
> 作った人も探したいです。
みずき堂
> なぜ?
RDN
> 上手いので。
返信が止まった。しばらくして、短い一文が来た。
みずき堂
> 面白いところに目を向けますね。
偽物を見抜く。それで終わりではない。
その向こうには、信じた人と、売った人と、作った人がいる。
らでんはノートを開き、画像から読み取れたことを書き留めた。
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十二歳が近づいたある夜、らでんは古層板に書き込んだ。
RDN
> ハンター試験、申し込みました。
少し間があった。
古狸@野良発掘
> は?
みずき堂
> え?
RDN
> 申し込みました。
古狸@野良発掘
> 二回言わなくていい。
> いつ決めた。
RDN
> 前から受けるって言ってたじゃないですか。
みずき堂
> 受けるかもしれない、という話だと思っていました。
RDN
> 受けたいって言いましたよ。
古狸@野良発掘
> だからって普通いきなり申し込むか?
RDN
> 申し込まないと受けられないので。
古狸@野良発掘
> そういう話してねえ。
らでんは画面の前で少し笑った。
手続きは済ませていた。会場までの経路を調べ、宿を取り、持ち物も決めてある。
相談しなかったのは、自分で調べられるところまでは自分でやりたかったからだ。
みずき堂
> 試験日は?
RDN
> 来週です。
古狸@野良発掘
> 来週!?
> お前もっと早く言えよ!
RDN
> なんでです?
古狸@野良発掘
> 心の準備がなぁ!
RDN
> 受けるの私ですよ?
古狸からの返信が途絶えた。
少しして、古狸が戻ってくる。
古狸@野良発掘
> 準備はしたのか。
RDN
> はい。走るのも、荷物を持って歩くのも。
> 泳ぎと地図と応急処置も、一通り。
古狸@野良発掘
> 誰に教わった?
RDN
> 本と講習と、現地の人です。
> あと皆さんが書いてたこと。
古狸@野良発掘
> 俺ら?
RDN
> 「現場に着く前に潰れたら意味ない」って。
また返信が止まった。
みずき堂
> 私たち、この子に軽率なことを言わない方がいいかもしれませんね。
古狸@野良発掘
> 今さらだな。
らでんは、その二行を見て椅子にもたれた。叱られた気はしなかった。
むしろ二人が少しだけ慌てているのが、画面越しにも伝わってきた。
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出発の前夜、部屋の床に荷物を並べた。
着替え。丈夫な靴。水筒。筆記具とノート。救急用品。簡単な食料。方位磁針。
折り畳んだ地図。試験で何をさせられるかは分からない。
だから、知らない土地を歩いて帰ってくるために必要なものを選んだ。
最後に、机の上の薄い本を取った。地方工芸の資料だった。
試験には、たぶん必要ない。片手で重さを確かめ、少し迷ってから鞄の端へ差し込んだ。
「読む時間、あるかもしれないし」
そこは、いつものらでんだった。
荷造りを終えると、古層板を開いた。
RDN
> 明日出ます。
みずき堂
> いよいよですね。
古狸@野良発掘
> 今からでもやめていいからな。
RDN
> ここまで準備して!?
古狸@野良発掘
> 命より試験を優先すんなって話だ。
らでんの指が止まった。
RDN
> はい。
今度はふざけなかった。
古狸@野良発掘
> 無理だと思ったら逃げろ。
> 試験だからって何でも従う必要はねえ。
> 生きて帰る方を選べ。
みずき堂
> 分からないものを見つけても、まず観察してから。
> 勝手に触らない。
RDN
> ……努力します。
古狸@野良発掘
> そこだけ返事弱いの何なんだ。
RDN
> 気になるものは気になるので。
みずき堂
> 試験中くらい我慢しなさい。
RDN
> はーい。
少しだけ、いつもの空気に戻った。
古狸@野良発掘
> 受からなくても気にすんな。
みずき堂
> 戻ってきたら、また渡り灯の続きでも話しましょう。
受からなくても。
その言葉で、肩の力が少し抜けた。自分で行く。それでも帰る場所はある。
古層板の画面と、渡り灯の展示と、家の机。
らでんはキーボードへ手を置いた。
RDN
> 行ってきます。
みずき堂
> 行ってらっしゃい。
少し遅れて、古狸。
古狸@野良発掘
> 生きて帰ってこい。
らでんはその画面をしばらく見つめ、パソコンを閉じた。
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翌朝。町がまだ目を覚ましきらない頃、らでんは鞄を背負って家を出た。
冷たい空気を吸い、玄関の前で一度だけ振り返る。
いつもの道。いつもの駅。その先だけが違う。
怖くないと言えば嘘になる。試験で何をさせられるのか。どんな人間が来るのか。
自分が通用するのか。何一つ分からない。
それでも、まだ知らない世界を自分の足で確かめたかった。
ホームへ列車が滑り込み、扉が開く。
儒烏風亭らでん、十二歳。念は知らない。戦い方を教える師もいない。
ただ、必要だと思ったものを自分で調べ、一つずつ準備してきた。
らでんは鞄の肩紐を握り直し、列車へ乗り込んだ。