儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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第三話 行ってきます

 古層板はいつもの古層板に戻った。

 土器の破片、修復材、南岸の織物。らでんも学校と宿題を終えると端末を開き、分からないことを尋ね、面白いものを追いかけた。

 ただ、ときおり混じる大人たちの言葉を、前より気に留めるようになった。

 

古狸@野良発掘

> 遺跡見るなら、1週間は歩ける体力がいる。

 

みずき堂

> 現地で怪我をしたら、資料どころではありませんよ。

 

古狸@野良発掘

> 知識あっても、現場に着く前に潰れたら意味ねえぞ。

 

 どれも試験の攻略法ではない。現場へ行く者なら知っていて当然の話を、二人は何気なく書いただけだった。

 

 らでんは一冊のノートを作った。

《ハンターになるために足りないもの》

 体力。水泳。地図と方角。野営。応急処置。荷物の管理。そして、争いごとに対処する力。

 文化財の調査項目を並べるように、自分に足りないものを書き出した。

 そして、走り始めた。

 

 最初は二キロで息が上がった。帰宅して心肺の仕組みを調べ、翌日は歩幅を変えた。

 痛みが出れば休み、理由が分かればやり方を直す。

 休日には泳ぎ、重い荷物を背負って歩き、登山や応急処置の講習を受けた。

 山へ入るときは現地の案内を頼み、地図と方位磁針を持った。学校へ行き、本を読み、古層板を覗く。その隙間に少しずつ訓練を重ねた。

 

 古狸たちは、らでんに稽古をつけた覚えなどなかった。

 たまに靴や水の量について妙に具体的な質問をされるだけで、その言葉が一つずつノートへ移されているとは知らなかった。

 数か月が過ぎる頃には、らでんは長い道も山道も、重い荷物を持って歩けるようになっていた。

 泳ぎ、方角を確かめ、簡単な手当てもできる。

 

 強くなりたいわけではない。

 見たいものがある場所まで、自分の足で辿り着きたかった。

 

---

 

 体を鍛えているあいだも、らでんの関心は相変わらず文化の方にあった。

 ある夜、みずき堂から小さな木彫像の画像が送られてきた。持ち込まれた相談品だという。

 

みずき堂

> これ、どう思います?

 

 らでんは画像を広げ、縁の角を見た。

 

RDN

> ……新しいですよね?

 

みずき堂

> 根拠は?

 

RDN

> 古く見せてますけど、削った角が立ちすぎてます。

> あと顔料。この地方の古い赤なら、もう少しくすむと思います。

 

 少しして返事が来た。

 

みずき堂

> 正解。

 

RDN

> やった!

 

みずき堂

> ただ、問題はそこではありません。

> 持ち込んだ本人は本物だと思っています。

 

 らでんの手が止まった。

 

RDN

> 騙された?

 

みずき堂

> おそらく。らでんならどうします?

 

RDN

> 偽物だって伝えます。

 

みずき堂

> それだけ?

 

 らでんは考えた。

 

RDN

> どうして本物だと思ったのか聞く。

> 買った場所も。

 

みずき堂

> それから?

 

 もう一度、木彫像を見た。形はよく整い、彫りの流れにも迷いがない。

 

RDN

> 作った人も探したいです。

 

みずき堂

> なぜ?

 

RDN

> 上手いので。

 

 返信が止まった。しばらくして、短い一文が来た。

 

みずき堂

> 面白いところに目を向けますね。

 

 偽物を見抜く。それで終わりではない。

 その向こうには、信じた人と、売った人と、作った人がいる。

 らでんはノートを開き、画像から読み取れたことを書き留めた。

 

---

 

 十二歳が近づいたある夜、らでんは古層板に書き込んだ。

 

RDN

> ハンター試験、申し込みました。

 

 少し間があった。

 

古狸@野良発掘

> は?

 

みずき堂

> え?

 

RDN

> 申し込みました。

 

古狸@野良発掘

> 二回言わなくていい。

> いつ決めた。

 

RDN

> 前から受けるって言ってたじゃないですか。

 

みずき堂

> 受けるかもしれない、という話だと思っていました。

 

RDN

> 受けたいって言いましたよ。

 

古狸@野良発掘

> だからって普通いきなり申し込むか?

 

RDN

> 申し込まないと受けられないので。

 

古狸@野良発掘

> そういう話してねえ。

 

 らでんは画面の前で少し笑った。

 手続きは済ませていた。会場までの経路を調べ、宿を取り、持ち物も決めてある。

 相談しなかったのは、自分で調べられるところまでは自分でやりたかったからだ。

 

みずき堂

> 試験日は?

 

RDN

> 来週です。

 

古狸@野良発掘

> 来週!?

> お前もっと早く言えよ!

 

RDN

> なんでです?

 

古狸@野良発掘

> 心の準備がなぁ!

 

RDN

> 受けるの私ですよ?

 

古狸からの返信が途絶えた。

少しして、古狸が戻ってくる。

 

古狸@野良発掘

> 準備はしたのか。

 

RDN

> はい。走るのも、荷物を持って歩くのも。

> 泳ぎと地図と応急処置も、一通り。

 

古狸@野良発掘

> 誰に教わった?

 

RDN

> 本と講習と、現地の人です。

> あと皆さんが書いてたこと。

 

古狸@野良発掘

> 俺ら?

 

RDN

> 「現場に着く前に潰れたら意味ない」って。

 

 また返信が止まった。

 

みずき堂

> 私たち、この子に軽率なことを言わない方がいいかもしれませんね。

 

古狸@野良発掘

> 今さらだな。

 

 らでんは、その二行を見て椅子にもたれた。叱られた気はしなかった。

 むしろ二人が少しだけ慌てているのが、画面越しにも伝わってきた。

 

---

 

 出発の前夜、部屋の床に荷物を並べた。

 着替え。丈夫な靴。水筒。筆記具とノート。救急用品。簡単な食料。方位磁針。

 折り畳んだ地図。試験で何をさせられるかは分からない。

 だから、知らない土地を歩いて帰ってくるために必要なものを選んだ。

 最後に、机の上の薄い本を取った。地方工芸の資料だった。

 試験には、たぶん必要ない。片手で重さを確かめ、少し迷ってから鞄の端へ差し込んだ。

 

「読む時間、あるかもしれないし」

 

 そこは、いつものらでんだった。

 荷造りを終えると、古層板を開いた。

 

RDN

> 明日出ます。

 

みずき堂

> いよいよですね。

 

古狸@野良発掘

> 今からでもやめていいからな。

 

RDN

> ここまで準備して!?

 

古狸@野良発掘

> 命より試験を優先すんなって話だ。

 

 らでんの指が止まった。

 

RDN

> はい。

 

 今度はふざけなかった。

 

古狸@野良発掘

> 無理だと思ったら逃げろ。

> 試験だからって何でも従う必要はねえ。

> 生きて帰る方を選べ。

 

みずき堂

> 分からないものを見つけても、まず観察してから。

> 勝手に触らない。

 

RDN

> ……努力します。

 

古狸@野良発掘

> そこだけ返事弱いの何なんだ。

 

RDN

> 気になるものは気になるので。

 

みずき堂

> 試験中くらい我慢しなさい。

 

RDN

> はーい。

 

 少しだけ、いつもの空気に戻った。

 

古狸@野良発掘

> 受からなくても気にすんな。

 

みずき堂

> 戻ってきたら、また渡り灯の続きでも話しましょう。

 

 受からなくても。

 

 その言葉で、肩の力が少し抜けた。自分で行く。それでも帰る場所はある。

 古層板の画面と、渡り灯の展示と、家の机。

 らでんはキーボードへ手を置いた。

 

RDN

> 行ってきます。

 

みずき堂

> 行ってらっしゃい。

 

少し遅れて、古狸。

 

古狸@野良発掘

> 生きて帰ってこい。

 

 らでんはその画面をしばらく見つめ、パソコンを閉じた。

 

---

 

 翌朝。町がまだ目を覚ましきらない頃、らでんは鞄を背負って家を出た。

 冷たい空気を吸い、玄関の前で一度だけ振り返る。

 いつもの道。いつもの駅。その先だけが違う。

 怖くないと言えば嘘になる。試験で何をさせられるのか。どんな人間が来るのか。

 自分が通用するのか。何一つ分からない。

 

 それでも、まだ知らない世界を自分の足で確かめたかった。

 

 ホームへ列車が滑り込み、扉が開く。

 儒烏風亭らでん、十二歳。念は知らない。戦い方を教える師もいない。

 ただ、必要だと思ったものを自分で調べ、一つずつ準備してきた。

 

 らでんは鞄の肩紐を握り直し、列車へ乗り込んだ。

 

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