儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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第二十九話 また、初めまして

 四回目の月曜日、音乃瀬奏は目覚ましが鳴る三秒前に目を開けた。

 

 三、二、一。

 スマートフォンが震える。今度は一度で止められた。

 

「……はいはい」

 

 日付を見る必要はなかった。昨日も月曜日。

 その前も、その前も月曜日だった。

 元々、好きな曜日ではない。

 学校が嫌いなわけではなく、友達もいるし、勉強もそれなりにできる。

 それでも月曜の朝には、一週間分の予定がまとめて頭に乗ってくる。

 学校、小テスト、模試、塾、復習。

 それを全部越えて、ようやく少し息ができる。

 

 また始まる、と思っていた。

 

「終わらないなぁ」

 

 今は始まり続けている。

 布団を蹴った。

 今日は学校へ行かない。

 昨日行った古い街へ、最初から向かう。

 

 あの人が、今日もいるのか確かめたかった。

 

 変な名前で、ものすごい服で、仕事を楽しそうに話した人。

 今日が繰り返していると言っても信じなかったくせに、奏を笑わなかった人だった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 午前十時十二分。地下鉄を降り、古い商店街を抜けた。

 昨日辛い麺を食べた店はもう開いている。

 店の人が外へ出て、箱を壁際へ寄せていた。

 昨日見たのと同じ位置だった。

 

「……ほんとに全部戻ってんだ」

 

 こちらを見ても、昨日水を注いでくれた時の顔にはならない。

 通りを歩く客への、軽い会釈だけだった。

 昨日があるのは、自分だけらしい。

 

 石壁の前に、らでんはいなかった。

 早すぎたのだろう。昨日は適当に歩いていたので、何時に会ったか覚えていない。

 近くの店を覗いて時間を潰したが、十一時になっても、十二時になっても姿がない。

 

 一時四十分、壁の見えるベンチで飲み物を買った。

 紙カップが空になる頃、黒と白が角から現れた。

 

「……来た」

 

 午後二時十九分。

 儒烏風亭らでんは、昨日と同じように石壁の前で足を止めた。

 メモ帳を出し、上の方へ顔を向ける。

 奏は立ち上がっていた。

 

「らでん!」

「はい?」

「いた! ほんとにいた!」

「あ、はい」

「ねえ、聞いてよ。やっぱ今日も月曜だった。しかもさ、昨日のあの後――」

「えっと、すみません」

 

 らでんが申し訳なさそうに手を上げた。

 

「どちら様でしたっけ?」

 

 口が止まった。

 

「……え?」

「以前、どこかでお会いしました?」

「私。奏。音乃瀬奏」

「奏さん」

「昨日会ったじゃん。ここで。受験生で、学校サボって、今日が繰り返してるって話して」

 

 らでんの顔が、昨日と同じになっていく。

 少し優しくて、少し困っていて、完全には信じていない顔。

 

「ああ……受験生なんですね」

「……そこから?」

「え?」

「そこからなの?」

 

 分かっていたはずなのに、思ったより痛かった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 十五分後、喫茶店で向かい合っていた。

 らでんの前にはコーヒー、奏の前にはジュースが置かれている。

 

「つまり奏さんは、同じ月曜日を何度か繰り返している」

「今日で四回目」

「そして前回の月曜日、私とここで会った」

「ここじゃない。公園。自販機で飲み物奢ってくれた」

「私が?」

「若人への投資だって」

「……言いそう」

「言った」

「嫌だな、自分で言いそうなのが」

 

 奏はテーブルへ額を伏せた。冷たい天板が気持ちいい。

 

「ほんとに覚えてないんだ」

「申し訳ないですが」

「いや、謝ることじゃないけどさ」

 

 友達も先生も家族も覚えていない。らでんだけが覚えている理由などない。

 昨日は話しやすかった沈黙が、今日は初対面の間になっていた。

 あの話の続きをしようとしても、始める場所そのものがない。

 

「……なんかムカつく」

「理不尽ですね!?」

「昨日あんなに話したのに」

「私からしたら初対面です!」

「知ってるよ! しかも反応ほぼ一緒だし」

「何て言いました?」

「まず普通の可能性から考えた方がいい。寝不足とか、疲れてるとか、夢とか」

「なるほど」

 

 らでんが頷く。

 

「まず普通の可能性から考えた方がいいと思います」

「ほら!!」

「いやでも、そうなるでしょう!」

「二回聞いた!」

「私は一回目です!」

 

 顔を上げると、らでんまで困ったように笑っていた。

 腹が立つ。でも少し安心した。

 知らない顔で見てくるのに、話せばちゃんと、この人は今日もこの人だった。

 

 学校の問題、教師の言葉、参考書を落とす音。

 昨日より具体的に話した。らでんは時々聞き返しながら、メモ帳に短く書きつけていく。

 話し終えても、時間が繰り返していると認めてはくれなかった。

 

「興味はあります」

「まだ信じてないんだ」

「信じると、興味を持つは別ですから」

「めんどくさ」

「大事ですよ。変なことほど、最初から変な答えに飛びつかない方がいいんです」

「じゃあ、もしまた今日に戻ったら。明日のらでんも同じこと言うと思う?」

「さあ」

「自分でしょ?」

「未来の私の責任まで取れません」

「何それ」

 

 らでんはカップを置いた。

 

「でも、本当にそうなら、同じ場所へ同じ時間に来てみたらどうです? 私が毎回ここへ来るのか確認できる。それから、奏さん自身の行動も、意識して変えてみる」

「実験みたい」

「そうです。何が同じで、何が変わるのか。分けてみましょう」

「らでん、そういうの好き?」

「大好きです」

 

 そこだけ即答だった。

 

「明日は学校へ行く。次は休む。次は遠くへ行く。変えるものを一つずつ決めると、比べやすいですよ」

「やること多くない?」

「一日では終わりませんね」

「一日はいっぱいある」

「……今、少し羨ましいと思ってしまった」

「代わってよ!」

「遠慮します!」

 

 喫茶店を出てからも少し付き合ってくれた。

 奏は通りの看板や時計を写真に撮り、時刻を書き留める。

 明日残っているかを確かめるためだった。

 

 午後六時過ぎ、別れ際に足を止めた。

 

「もし明日も月曜日だったら、また来てもいい?」

 

 らでんが少し目を丸くした。

 

「もちろん」

「でも忘れてるじゃん」

「本当に奏さんの言う通りなら、忘れてるでしょうね」

「じゃあ意味ないじゃん」

「奏さんは覚えてるんでしょう?」

「……うん」

「ならいいじゃないですか」

 

 なんでもないように、続けた。

 

「私が何度忘れても、その都度話を聞けばいいでしょう」

 

 言葉が出なかった。

 らでんはメモ帳を鞄へしまい、付け足した。

 

「まあ、本当にループしているならの話ですけど」

「最後にそれ言う?」

「大事なので。では、ちゃんと寝てくださいね」

「はーい」

 

 手を振った。数歩進んで振り返ると、また石壁を見ていた。

 

「……何度忘れても、か」

 

 その言葉だけは、明日も持っていける気がした。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 五回目の月曜日。写真もメモも消えていた。

 

「ですよねー」

 

 午前中は高速鉄道に乗った。街の外へ出ればどうなるか、試したかった。

 窓際の座席に落ち着き、駅が遠ざかっていくのを見ていた。

 いつもの地下鉄より速い。建物の間隔が広がりかけたところで、景色が途切れた。

 

 次に見えたのは、出発駅の案内板だった。

 立っている。ホームに。列車はまだ扉を開けていた。

 

「……は?」

 

 時計も戻っている。

 手の中には、まだ使っていない切符があった。

 

「いや、乗ったよね?」

 

 誰も答えない。車掌が出発を知らせている。

 もう一度乗れば確かめられる。らでんなら、そう言うかもしれない。

 

 奏は一歩下がった。

 今日はもう、確かめなくてよかった。

 

 午後二時十九分には、石壁から少し離れた場所にいた。

 らでんが来る。露店の商品へ目を向け、その後で壁を見る。昨日と同じだ。

 今日は声をかけず、動きをメモした。

 

 二時二十五分、壁の右端。

 二十八分には反対側の路地へ入り、三十四分に古い石門へ。

 四十一分には門の装飾を見上げていた。

 

 二時四十三分、小さな葉が帽子へ落ちた。

 気づかないまま歩いていく。

 

「昨日もついてた」

 

 声を抑えて笑った。あの葉まで律儀に戻ってきている。

 書いたメモは消えるだろう。帰るまで何度も見返し、時刻を頭へ入れた。

 

 試験の範囲が、こんなところにまで増えた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 六回目は、向こうが名前を言うより先に呼んだ。

 

「儒烏風亭らでん」

 

 らでんが固まった。

 

「なんで私の名前を?」

「今から『以前どこかでお会いしました?』って聞くよ。で、私が受験生って分かる。理由は鞄から参考書見えてるから」

 

 相手の目が変わる。奏はそれを見て、背筋を少し伸ばした。

 

「音乃瀬奏。今日で六回目の月曜日」

「……六回目?」

「二時二十五分、壁の右端。二十八分、向こうの路地。三十四分、石門。四十三分に帽子へ葉っぱ落ちる」

「待って最後なんですか!」

「昨日めっちゃ面白かった」

「取ってくださいよ!」

「知らない人だったから」

「今も知らない人でしょう!」

「私は知ってるもん」

 

 奏は笑ったが、らでんはもう笑っていなかった。

 壁と時計を見て、メモ帳を閉じる。

 

「少し離れてもらっていいですか。ここから、私が何をするか見ていてください」

 

 十メートルほど離れた。

 らでんは石壁へ行かなかった。逆方向へ歩き、喫茶店に入る。

 十五分後に出てくると、昨日とは別の路地へ進んだ。

 やがて戻ってきて、奏の前に立つ。

 

「昨日の私は、今の行動をしました?」

「してない」

「一度も?」

「私が見てた範囲では」

「では少なくとも、私自身が決められた動きしかできないわけではない」

 

 奏は壁の前を見た。誰もいない。

 全部が台本になっているわけではない。

 言葉をかけたことで、らでんは予定を変えた。

 未来を当てたつもりで、その未来を自分が変えてしまった。

 

「じゃあ」

「ただし、奏さんが私の行動を知っていたことは残ります。前に調べた予定を話している、と考えることもできますが」

「ひど」

「可能性の話です」

「信じた?」

「まだ」

「固いなあ!」

「でも」

 

 らでんが笑った。

 

「調べる価値は出てきました」

 

 二時四十三分。奏は帽子を見た。

 何も落ちてこない。らでんは石門から離れた場所に立っている。

 

「葉っぱ来なかった」

「別の場所ですからね」

「せっかく覚えたのに」

「予告されたので避けたんです!」

 

     ◇ ◇ ◇

 

 七回目は学校へ行った。数学の問題を誰より早く解き、昼休みになったら早退した。

 二時十二分、例の地区。十九分、らでん。

 

「奏。六回目じゃなくて今日は七回目。前のあなたの指示で来た」

「……前の私?」

「まず話を聞く。変な答えに飛びつかない。検証する。昨日は自分の予定を変えて、私が本当に未来を知ってるか確認した」

 

 らでんが黙った。

 

「二時四十三分に帽子へ葉っぱ」

「何ですかその情報!」

「毎回そこ食いつくんだ。じゃ、調査しよ」

「まだ何も了承してませんよ!?」

「昨日はした」

「昨日の私に言ってください!」

「昨日はいない!」

「むちゃくちゃだ!」

 

 頭を抱えていたが、五分後には一緒に歩いていた。

 

 今度は街の出来事をいくつか試した。

 三時頃に店員が看板を裏返す。

 三時十七分には交差点の犬が、自転車に吠える。

 前の月曜日、らでんが確認する候補として奏に覚えさせた出来事だった。

 

「原因は自転車?」

「うん。あの角から来る子」

 

 時刻になると、本当に少年が現れた。犬が耳を立てるより先に、らでんが声をかけた。

 

「すみませーん。ちょっとだけ、反対側を通ってもらっていいですか?」

「え?」

 

 困惑しながらも、少年は道路の向こう側へ寄った。

 犬は頭を上げただけで、また前脚へ顎を載せた。

 

「吠えなかった」

「来る時刻は同じでしたね。介入すれば、その後は変わる」

「ゲームみたい」

「嫌なゲームですね」

「セーブないし」

「奏さんだけありますよ」

「私がセーブデータ?」

「どちらかというと引き継ぎデータですね」

「強くてニューゲームじゃん」

「強くはなってないですけど」

「ひど!」

 

 高速鉄道で戻された話もした。

 らでんは範囲も条件もまだ分からないと書き、その下へ線を引いた。

 分からないと言われるたび、昨日までは腹が立った。

 今は少し違う。分からないことを、二人で同じ紙に並べている。

 

「これも明日消えるんだよね」

 

 奏がメモ帳を覗いた。

 

「奏さんが覚えていれば、また書けます」

「私、覚える担当?」

「得意でしょう?」

 

 答える前に、少し笑ってしまった。

 

「めちゃくちゃ得意」

 

     ◇ ◇ ◇

 

 夕方、使われなくなった小さな地上駅の前へ出た。

 新しい地下鉄ができるまでは、この辺りの学生が使っていたらしい。

 駅前には古い時計が立っている。

 文字盤の下の金属は色が褪せ、台座だけが人の触れる高さで滑らかになっていた。

 

「ここ、昨日も来ました?」

「来てない。初めて」

 

 らでんが台座へ近づき、手袋を外した。

 

「何するの?」

「ちょっと調べます」

「何を?」

「残ってるものを」

 

 石へ手を置き、目を閉じる。

 奏には何も見えなかった。時計の針が進む。

 通りの向こうで、店を閉める金属音がした。

 

「らでーん」

「ちょっと静かに」

「はい」

 

 しばらくして目が開いた。

 らでんは台座を見下ろし、眉を寄せた。

 

「……もう一回」

 

 二度目は長かった。

 指を離してからも、見えないものを確かめるように時計と足元を交互に見ている。

 

「奏さん、ここを通ったことは一度もない?」

「ないよ」

「前の月曜日も?」

「ない。何見てるの?」

 

 らでんは少し迷った。

 

「私、普通の調査員じゃないんです」

「知ってる」

「え?」

「その服で普通の調査員は無理」

「そこじゃない!」

 

 鞄から薄いカードケースを出した。

 一枚差し出されたカードを、奏は両手で受け取る。

 

「ハンターライセンス?」

「はい」

「……マジ?」

「マジです」

「何ハンター?」

「文化財ハンター」

 

 奏は顔を上げ、服を見て、もう一度カードを見た。

 

「めちゃくちゃ納得した」

「服と結びつけないでください!」

「でもそれっぽい!」

「偏見!」

 

 カードを取り返した指が、そのまま台座へ向いた。

 

「私は、物に残ったものを見るのが少し得意なんです。誰が触ったとか、どう扱われたとか。全部ではなく、断片だけですけど」

「それで何が?」

「同じ学生がここで飲み物をこぼす。清掃員が拭く。夕方には老夫婦が待ち合わせる。それが、重なって見えました」

「何回も?」

「ええ。よく似た別の日かと思ったんですが、服も、持ち物も、倒れたカップまで同じなんです」

 

 そこで一度、言葉が止まった。

 

「だけど、学生が転ばない断片もあった」

 

 奏は台座を見た。乾いた石しか見えない。

 同じ人が同じことをする。それでも、何かが違えば、その先も変わる。ついさっき、二人で確かめたことだった。

 

「それ、今日?」

「断定はできません。日付が教えてもらえる能力じゃないので。ただ、奏さんの話を聞いてから見ると、気になる一致が多い」

 

 時計を見上げたまま、らでんは言葉を選んだ。

 

「物の方に、何か残っているのかもしれません。人の記憶とは別の形で」

「……じゃあ」

「今まで、奏さんだけの記憶の問題かもしれないと考えていました」

 

 こちらへ向き直る。

 

「撤回します」

 

 しばらく、何も言えなかった。

 怖い。自分の勘違いで済むかもしれないと思っていたものが、石の時計台にまで染み込んでいる。

 なのに、息を吐くと別の言葉が出た。

 

「……よかった」

「よかった?」

「やっと信じたじゃん」

「そこ!?」

「長かったー!」

「こっちは今日会ったばかりなんですよ!」

「私は七回目!」

「知りませんよ!」

「知ってよ!」

 

 笑えてしまった。

 抜け方は分からない。何が起きているのかも分からない。

 それでも、この月曜日のらでんは、一緒に考えてくれる。

 

「どうする?」

 

 らでんは古い時計を見上げた。

 疲れたように目元を押さえてから、少しだけ楽しそうに笑う。

 

「調べましょうか」

「何を?」

「全部です」

 

 午後五時四十六分。

 音乃瀬奏は初めて、月曜日がもう少し続いてもいいと思った。

 

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