儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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第三話 緊急相互統制協定(ベルヴェデーレ・プロトコル)と、百鬼あやめ


 

 ゴシカ・マフィアの流儀

 

 七十年前、ゴシカ・シティでは複数のマフィアによる大規模な抗争が発生した。

 最後の停戦交渉が行われたのは、港を見下ろす丘に建っていた高級ホテル《ベルヴェデーレ》。

 その会議で定められたのが、組織の存亡に関わる事件が発生した場合、全組織の活動を一時停止し、互いの幹部を監視下に置くという協定だった。 

 

 

 《組織内指令(インナーミッション)》

 傘下の組同士が抗争を始める際、先に相手と争う理由を申し立て、承認を受ける。

 ただし、傘下同士の争いが認められていることと、会本体及びゴシカのマフィア連合への謀反まで許されていることは、同じではない。

 通常の抗争を越える裏切りや、複数の組にまたがる不審な動きが確認された場合には、別の規定が発令される。

 

 《緊急相互統制協定(ベルヴェデーレ・プロトコル)》

 かつては、誰が裏切ったのか分からないまま、疑わしい組を片っ端から潰す全面抗争が繰り返された。

 一度に何億もの金が失われ、人も、店も、取引も消える。

 生き残った組まで弱体化し、その隙を外の勢力に突かれた。

 身内の争いに勝っても、街ごと奪われては意味がない。

 

 そこで、関係する組を一度すべて止め、裏切り者を特定してから制裁を加える方式へ変わった。

 頭も例外ではない。他の組の監視を受け、行動と情報の出所を調べられる。

 確認を省くことはできない。

 

 《暫定停戦(インターミッション)》

 緊急相互統制協定(ベルヴェデーレ・プロトコル)発動中、承認済みの抗争も含めて戦闘活動を止める状態のこと。

 許可された調査や移動、交渉は可能。独断での襲撃や報復はできない。

 停止の対象は関係組織と、その仕事に関わる指定された者。

 争いをなくすための制度ではない。

 制裁を加える相手が決まるまで、勝手に誰かを殺させないための制度だった。

 

 古参はこれを、皮肉交じりに「紳士協定」と呼んでいた。

 


 

 1994年9月18日

 12:14

 

 かなたが通話を切った。

 はじめも保管棟の写真を閉じる。

 次の角へ行く代わりに、三人で来た方へ向き直った。

 

「ヴァレンティ会から、戦闘停止の指示が出たって。うちも商会も、一度止まらなきゃなんない」

 

 かなたは携帯をしまい、事務所のある方へ顎を向けた。

 

「……それで、戻って確認?」

「うん。詳しいことはココから聞こう」

 

『戻るなら、一本北の道を使おう。さっきの交差点は避けて』

 

 ルイの案内で、荷捌き場の裏を回った。

 高架を電車が渡っていく。

 下の通りでは、配達の車が店先に停まった。

 街の方は、別に止まっていない。

 止められたのは、こっちの仕事だ。

 

 行きには越えた縁石を、今度は普通に歩いて通る。

 リュックの脇で水が揺れた。

 《夜明けの蝉》を取って戻るはずだった道だ。

 背中の荷物は、まだ軽いままだった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 12:27

 

「お、三人とも。ずいぶん雰囲気変わったね」

 

 事務所の扉を開けると、ココが机の脇から迎えた。

 はじめの帽子を見て、かなたの作業着、わためのコートへと目を移す。

 

「どこの配送屋かと思った」

「荷物、まだ受け取れてないんだけど」

「そこはこれからだね。怪我は?」

「頬だけ。クロヱに貼ってもらった。あと、かなたが車を飛ばした」

「それ、僕の怪我の報告じゃないよね」

「すごかった報告」

 

 かなたが、折っていた袖を引っ張った。

 ココは三人の顔を確かめてから、奥の廊下へ手を向ける。

 

「揃って戻ってきてくれて助かったよ。ただ、悪いけど、確認が取れるまでは外へ出せない。こっち来て」

 

 はじめは出しかけた返事を止めた。

 戻って話をする、ではないらしい。

 

「……外へ出せないって、はじめも?」

「うん。あんたにも確認が要る」

 

 かなたが先に廊下へ入り、わためははじめの横についた。

 さっきまでと並びは同じだった。今度は、行きたい方へ曲がるための並びではなかった。

 

 奥の部屋には窓がなかった。

 

 机の脇の椅子に、知らない女が座っていた。

 黒い髪に橙色のメッシュ。

 襟の立った上着には金の留め具が並び、大きな丸眼鏡の奥で、目がこちらを向く。

 

「お。帰ってきた〜」

 

 女は笑ったまま、ココへ顔を戻した。

 ココは机の向こうへ回り、はじめに椅子を勧める。

 はじめが腰を下ろすと、かなたが右の扉の脇へ、わためが机の左端へついた。

 端には業務用の電話がある。

 

「ニコ。うちと商会の抗争は承認済みだぞ。《組織内指令(インナーミッション)》の最中だろ?」

「それがさぁ。他の組でも、ちょっと変な動きがあってね」

 

 ニコ、と呼ばれた女が、眼鏡の位置を指先で直した。

 

「会の警備に関わる情報も漏れてるし、関係ないはずの組まで人を動かしてるし。いったん皆さん、お休みしましょうってことになりまして。なので、ニコたんが監視役できたってわけ」

 

 笑いながら、空いていた手で銃を抜いた。

 黒い銃口が、ココの胸を向く。

 

「はい。ココも、両手見せてね」

 

 かなたの手が作業着の裾へ入った。

 銃が抜かれ、持ち上がりかける。

 

「……それ、誰に向けるつもり?」

 

 声から、笑いが消えた。

 ニコの目だけが、かなたへ向く。

 ココを狙う手は動いていない。

 

「いい。かなた、銃下ろせ。撃ち合いじゃない」

 

 ココが片手を広げた。

 かなたはニコから目を離さず、一度ココの顔を確かめてから銃を下げる。

 

「《緊急相互統制協定(ベルヴェデーレ・プロトコル)》だ。疑いのかかった組は、仕事も抗争もいったん止める。頭だからって例外にはならない」

「そうそう。うちの組も止まってる。プロトコルは十二年ぶりかな? だからこうして、出張中でございます」

「いい趣味だな、その出張」

「お互い様でしょ。次はニコたんのとこ来る〜?」

 

 ココが鼻で笑った。

 いつもの調子に聞こえたけど、胸の前にはまだ銃がある。

 はじめは二人の顔を見比べた。

 

「『均衡(バランス)』を守るために必要な措置だ。古い連中は、紳士協定って呼んでるよ」

 

 ニコが眼鏡越しにこちらを見た。

 紳士って、どのへんにいるんだろう。

 

「ココ。それって、抗争は止めるのに銃は向けていいってこと?」

「勝手に動くやつを止めるためだよ。銃まで片づけて逃げられたら、協定にならない」

 

 ココがニコへ顔を向けた。

 

「携帯、出すよ」

「うん。ゆっくりね」

 

 ココが上着から携帯を出した。

 画面を消し、ニコの前へ置く。

 ニコは空いていた手でそれを寄せた。

 銃口はココに向いたままだ。

 

「金虎堂の頭、虎金妃笑虎。私と同じ、ヴァレンティ会の傘下」

「ニコたんでいいよ。そっちが、はじめちゃん?」

「……うん」

「よろしくね。ココから聞いてるよ。朝からずいぶん頑張ったって。莉々華と会ったんだって?」

「うん。いきなり撃ってきた」

「うわ。あいつに恨まれると面倒だよ〜」

「じゃあ、無線機踏んだのもまずかったかな」

「……踏んだ?」

 

 ニコが声を出して笑った。

 持っている銃が、少し揺れる。

 

「あちゃ〜、それは完璧に覚えられたね!」

 

 頑張ったので、そろそろ《蝉》を取りに戻りたい。

 口にする前に、ココがこちらへ目を向けた。

 

「はじめにも確認が要る。今朝、あの経路の資料を見てるからね」

「はじめ、組の人じゃないんだけど」

「『均衡(バランス)』を保つためだ。うちの作戦で動いて、調べた情報にも触ってるだろ。そこは同じだ」

 

 ココがこちらを見たまま答え、ニコが頷いた。

 

「確認が取れたら、外へは出られるよ」

 

 ニコは笑ったまま付け足した。

 

「取れたらね」

 

 ココは机の端の電話をこちらへ少し見せるように、手を置いた。

 

「携帯と通信機、それから荷物。一度ここへ預けて」

「え。ルイ姉にも――」

 

 内ポケットへ手をやりかけた。

 かなたの作業着の裾が動き、黒い銃が上がった。

 

「はじめ、動かないで」

 

 声は、普通だった。

 はじめは指を止めた。

 ポケットまでは、まだ届いていない。

 右からこちらを狙う銃口と、その向こうの顔を順に見る。

 かなたは怒っていなかった。

 こちらの手と足が見える位置に立って、銃だけを向けている。

 

「……携帯、出せって」

「僕が見えるように。ゆっくり出して、わために渡して」

 

 はじめは手を少し開いた。

 かなたの銃口が、その動きに合わせてわずかに向きを変えた。

 

 12:32

 

 携帯をつまんで取り出し、画面をつけずに差し出した。

 わための手が、下から受け取る。

 

「ごめんね、はじめちゃん。通信機も、ここで切るね」

「一言だけ、連絡してからじゃ駄目?」

 

 机の向こうで、ココが首を横に振った。

 

「確認が済むまで、外への連絡は止める。勝手に部屋を出るのも、念で抜けようとするのもなし。動く時は先に言って。怪しい動きしたら即発砲だから」

 

『はじめ?』

 

 耳の脇へ来たわための指が、通信機のスイッチを切った。

 続きは聞こえなかった。

 帽子の縁を避けて機器が外され、携帯の隣へ置かれる。

 

「リュック、肩から下ろせる?」

 

 はじめはかなたを見た。

 

「下ろしていいよ。両手、外に出してて」

 

 肩紐を片方ずつ外した。

 わためが上の持ち手を受け取り、閉じたまま机の左脇へ置く。

 布のカバーも外さず、脇の水が倒れない向きにして、下へ垂れた紐を寄せた。

 手が空いた。

 かなたから見えるよう、両方とも膝へ置いた。

 

「……ルイ姉」

 

 小さく呼んでから、耳元にはもう何もないと思い出した。

 返事の代わりに、ココが机へ片手を置く。

 

「はじめじゃないよ」

「わかってる。だから、確認だ」

 

 ココは、朝に回収の段取りを決めた時と同じ声で、こちらを見ていた。

 かなたを見る。腕は下がらない。

 

「じゃあ、これ何?」

 

 かなたの方へ顔を向けず、目だけを動かす。

 銃口は下がらなかった。

 

「私がそう思ってるだけじゃ、確認にならないんだよ。会の協定だ。私の判断であんたを外へは出せない」

 

 ココの手が、机の電話のそばへ戻った。

 

「外に残ってる元の記録を、会の調査担当が照合してる。こっちは、その結果を受ける窓口。関係ないと確認できるまでは、ここで待ってもらう」

 

 ココがニコへ顔を向けた。

 

「商会も止まった?」

「止まったよ。金虎堂もね。休んでる場合じゃないんだけど」

「私だってそうだよ」

 

 ココは机の電話へ目を戻した。

 その私用の携帯も、ニコの前にある。

 ここを仕切っている人まで、勝手に外へ電話できない。

 

 ココが信じてくれても、まだ駄目なのか。

 机の携帯も、通信機も、リュックも。

 自分がここから立って出ていくことまで、会ったこともない相手の返事を待っていた。

 

「……分かった。確認、待つ」

 

 足は床についている。右の扉まで、遠くはない。

 椅子を蹴ってかなたの横へ入る。銃を押さえる。

 その間、わためはどう動く。

 さっき、空中のはじめを受け止めた糸だ。

 この狭い部屋で、脚へ来たら。

 

 抜けられたとして、そこからどうする。

 二人と戦って、車も安全な道も捨てて、まだ《蝉》も持っていない。

 逃げたことだけが、ここに残る。

 膝の上で、指を伸ばした。

 今は動かない。その方が仕事を続けられる。

 

 廊下で靴音がした。

 扉の前を通り過ぎ、遠ざかる。

 はじめはそちらを見かけて、正面へ戻した。

 ココは電話を待っていた。

 わためは机の左端から動いていない。

 携帯はそのすぐそばにあって、少し身を乗り出せば手が届きそうだった。

 さっきまで、それを出すのに誰かの返事を待つ必要はなかった。

 

 頬の保護材の縁が、汗で少し引っ張られた。

 触らないように、と言われたのを思い出す。

 はじめは右を見た。

 かなたが、ほんの少し顎を引いた。

 

 銃口は、こちらを向いたままだった。

 

 壁の時計が、十一時六分を指していた。

 あと何分、と分かれば、そこまで待てる。

 分からないままでも、今は待つことにした。

 膝の上で指を開いたまま、机の電話を見た。

 

 鳴らない。

 

 ココが腕を組むのをやめ、机に両手を置いた。

 わための上着の裾が、椅子に触れて小さく擦れた。

 かなたの足は、扉の横の同じ場所にあった。

 

 12:52

 

 電話が鳴った。

 最初の一音で、はじめの背中が起きた。

 わための手が机から離れ、ココが受話器を取る。

 

「はい。……うん。控えじゃなくて、外に残ってた方の原記録だね」

 

 聞こえるのは、ココの方だけだった。

 机に置かれた携帯を見る。ルイ姉へ返事ができる。

 保管棟にも行ける。電話が終われば――。

 

「待って。それ、何の時刻?」

 

 ココの指が、机の上で止まった。

 

「転送された時刻じゃなくて、最初に外へ出た時刻。元の記録で、そこを確認して」

 

 返事を聞いている。長い。

 時刻が違うと、どうなる。

 こちらは漏らしていない。その事実まで変わるわけじゃない。

 でも、相手の記録に何が残っているかは知らない。

 ココは受話器を耳に当てたまま、何も言わなくなった。

 

 わためを見る。

 目が合って、小さく頷いてくれた。

 わための手は、もう机の脇へ戻っている。携帯には触らない。

 はじめも頷き返し、膝の上の指を開き直した。

 

「……ああ。そっちね」

 

 ココの声が、少し柔らかくなった。

 はじめは息を吐き、座面に押しつけていた腰を浮かせかける。

 

「まだ」

 

 かなたの声で止まった。

 銃口は、胸から外れていなかった。

 扉へ向けたつもりもない足を、元の位置に戻す。

 

「……うん」

 

 かなたはそれ以上言わない。

 ココが一度こちらを見て、通話を続けた。

 膝へ手を押しつけると、指先の汗でズボンの布が張りついた。

 まだ駄目。さっきの返事も、ココの声が戻ったことも、出ていいという意味じゃない。

 

「私があの経路を見せた時刻より前で間違いない? ……分かった。その件は、はじめを確認対象から外していいんだね。……ありがとう」

 

 ココが受話器をニコへ差し出した。

 はじめは座ったまま、二人を見た。

 ニコは受話器を耳へ当て、短く二度頷いた。銃口をココへ向けたまま、空いている手で受話器を返す。

 

「はじめちゃんの分、確認取れたよ」

「解除。かなた、下げて」

 

 かなたの銃口が下がった。

 ほとんど同時に、わためが机の携帯へ手を伸ばした。

 はじめはまだ膝に置いていた手を、一度握って開く。

 二人はもう次の動きをしているのに、こちらの足は、さっき止まったところにあった。

 

「じゃ、次はお前の番。ココ」

 

 ニコが、受話器へ顎を向けた。

 はじめの胸からは銃が消えた。ココの前には、まだある。

 

 ココが受話器を耳へ戻した。

 

「私の分は? 監視役は金虎堂の虎金妃笑虎。今、私の目の前にいる。……うん」

 

 返事を待つ間も、ニコの手は動かなかった。

 ココが一度だけ頷き、こちらには聞こえなかった言葉をニコへ渡す。

 

「白い鴉」

 

 ニコが、眼鏡の奥で目を細めた。

 

「はい。確認しましたー!」

 

 銃口が、ようやくココの胸から外れた。

 ニコは銃をしまい、預かっていた携帯を机の上へ戻す。

 ココも受話器を置いた。

 言葉一つで、下ろしていい銃と、まだ下ろせない銃が分かれる。

 はじめは、膝の上の手を見た。

 ちゃんと、動かしていい方になっている。

 

「調べてた最初の漏洩は、あんたから出た情報じゃない」

「じゃあ、もう立つよ」

「うん。待たせたね」

 

 椅子を後ろへ引いた。

 脚が鳴った瞬間、肩に力が入った。

 かなたは何も言わない。銃をしまい、扉へ向き直っている。

 立っていい。もう聞いた。

 はじめは床を踏んで立ち上がり、かなたを見る。

 銃があった場所へ、先に目が行った。

 

「今、ほんとに撃つつもりだったでしょ」

「必要ならね」

 

 言ってから、違うと言われても困るな、と思った。

 あの手を見ていた。

 冗談で銃を向けていたことにされた方が、たぶん嫌だった。

 

「はい。携帯と、通信機」

 

 わためが一つずつ渡してくれた。

 はじめは携帯を受け取り、通信機をまだ手に持って待つ。

 続いて、閉じたリュックが持ち上がった。

 

「荷物も、これで全部。お水、ここにあるよ」

「うん。ありがと」

 

 布のカバーも、閉じ口も、そのままだった。

 肩へ戻る重さは、預ける前と変わらない。

 はじめは水を一口飲み、脇のポケットへ差し直した。

 ぬるくなっていたが、喉を通るのがよく分かった。

 耳掛けを帽子の下へ戻し、スイッチを入れる。

 

「ルイ姉。戻った。機械、返してもらったよ」

『はじめ? よかった。何度呼んでも返事がないから心配した。大丈夫?』

「うん。こっちの確認は終わった。……あー、声聞けるの、助かる」

『聞いてるよ。次、どこへ行く?』

「《蝉》。今度こそ」

『あやめは保管棟を出た。西側の小さな公園で、ケースを持ったまま座ってる。そっちへ案内するね』

 

 口にしたら、やっと次の場所が近くなった。

 携帯を開いて、委任状の画面から、周辺の地図へ切り替える。

 朝にらでんから来た《蝉》の写真も、同じところに残っている。

 ココが机の脇から出てきた。

 

「車は下。大きい道を避けて、ルイの案内であやめを追って。《蝉》を取れたら、ここへ戻っておいで。競売施設への道は、予定どおり用意する」

「じゃ、その話は変わってないんだね」

「もちろん。回収は引き続き手伝うよ」

 

 はじめは地図を閉じた。

 確認したかったのは、そこだった。

 

「ただし、会の《暫定停戦(インターミッション)》はまだ続いてる。話しに行く分には構わない。解除の連絡がくるまで手は出すなよ」

 

 はじめはリュックの肩紐を握り直した。

 部屋からは出ていい。《蝉》を奪うのは、まだ駄目。

 

「向こうがくれなかったら?」

「解除の連絡を待つ。向こうも同じ。ルイにも、まだ戦うなって伝えといて」

「……分かった。じゃあ、話してみる」

 

 ニコが机の脇から片手を上げた。銃はもうしまっている。

 

「莉々華に、ニコたんがよろしくって言ってたよ〜」

「自分で言ってよ」

「言ったら長くなるでしょ」

 

 それは、ちょっと分かった。

 話が長いの、本人たちも知ってるんだ。

 

「次に戻ってきた時は、ちゃんと荷物の受け取りの話したい」

「私も、そっちの報告を待ってるよ」

 

 右の扉へ向かう。

 かなたは先に扉を開け、はじめが通る幅を空けた。

 その脇を抜ける時、作業着の裾へ一度だけ目が行った。

 かなたは扉を持ったまま、廊下の先を見ている。

 

「階段、こっち。僕、前行くね」

「うん。よろしく」

 

 後ろから来たわためが、廊下へ出るなり大きく息を吐いた。

 はじめもつられて、少し肩を下げる。

 

「……わためちゃんも、息止めてた?」

「ずっとは無理だよ」

「そういう意味じゃなくてさ」

 

 かなたが階段の手前で振り返った。

 

「二人とも、喋るなら車の中。もう下に来てるって」

「乗っていい方の車だよね」

「そうだよ。今度は普通に座ってていいやつ」

 

 わためが小さく吹き出した。

 はじめも階段へ足を向ける。

 下りる順番は、もう自分で決めてよかった。

 

     ◇ ◇ ◇

     ◇ ◇ ◇

 

 13:45

 

 車は、駅裏の小さな食堂の前で一度止まった。

 窓の内側で、焼いた肉が鉄板からパンへ移されている。店先まで匂いが出ていた。

 さっきから、はじめのお腹だけは勝手に動いている。

 

「あ。ここ、まだやってる」

 

 わためが窓へ顔を寄せた。

 かなたも店を見てから、携帯の画面へ目を戻す。

 

「僕らは確認終わった。抗争の方は、まだ止まってる。……先に腹入れとこっか」

「いいの?」

「何が」

「ご飯食べて」

「はじめまーださっきの引きずってるね!ご飯の許可まで取らなくていいって〜」

 

 かなたは少し罰が悪そうにわらって言った。

 はじめは、店の中を見直した。

 

「ルイ姉。途中の食堂に寄る。食べてから、公園行くね」

『了解。あやめはまだベンチ。動いたら知らせるよ』

「ありがと。ルイ姉もなんか食べて」

『そっちは、食べてる間に荷物を忘れないでね』

「まだ空っぽだって」

 

 リュックを持って降りる。

 運転手は車に残った。かなたが店から持ち帰る分も頼むと、先に三人を中へ通してくれた。

 

 壁際の小さなテーブルへ座った。

 リュックは膝の横、足に触れるところへ置く。

 さっき預けた物が、今は全部そこにある。

 わためがメニューを開き、かなたが上から順に目で追った。

 

「僕、これ三つ」

「三つ?」

「うん」

「三人で?」

「僕の分」

 

 かなたがこちらを見た。

 

「はじめちゃんの分、勝手に決めないよ」

「それはそうだけど。三つかあ」

「朝から動いてるし。はじめちゃんも食べなー」

 

 はじめは、写真のパンと、かなたの顔を交互に見た。

 迷っている間に、わためがスープも指した。

 

「こっち、辛いソース別にできるって。はじめちゃん、いる?」

「いる。自分でかける」

「じゃ、わためも少しもらお」

 

 皿が来るまで、ほとんど待たなかった。

 パンの間から湯気が上がる。

 かなたが受け取って、はじめの前へ置いた。

 手元へ戻ってきたのは、銃でも携帯でもなく、ちゃんと温かい昼ご飯だった。

 

 ひと口かじる。

 熱い。肉の汁がパンにしみて、噛むと口の中へ出てくる。

 

「……うま」

「よかったぁ」

「はじめちゃん、ソースかけてないけど」

「今うまいって言ってんだから、今はいいじゃん」

 

 かなたが笑い、わためは開けかけた袋を皿の端へ置いた。

 はじめも、もうひと口食べた。

 

「これ、終わったらまた来てもいいね」

「昼に三つ食べた人が言う?」

「夜もお腹空くから」

「それは、そう」

 

 変な返しをする前に納得してしまった。

 わためがスープの匙を持ったまま笑う。

 

「じゃあ、今度は荷物もちゃんと届けてからだね」

「うん。次、食べる時には終わっててほしい」

 

 はじめは皿に残ったパンを持ち上げた。

 かなたは二つ目を食べている。わための前にも、まだ半分ある。

 さっきの部屋では、人の手が動くたび見ていた。

 今は、そっちを見る前に自分の皿へ手が伸びた。

 

 13:58

 

 最後のスープを飲んで、携帯を確かめる。

 停戦解除の連絡は、まだない。

 かなたも画面を見て、短く首を振った。

 

「まだ。公園までは行けるから、連絡があるまでは戦闘は避けてね」

「分かってる。交渉でもらえたら、それが一番だし」

 

 わためが運転手の分を持ち、はじめはリュックを肩へ戻した。

 机の下へ忘れた物がないか見てから、店を出る。

 

 14:00

 

 三人で同じ車へ戻った。

 運転手へ紙袋が渡る。車が走り出すと、窓の外の食堂がすぐ後ろへ流れた。

 食べた分、次に行く場所を考える余裕ができた。

 写真の中の《蝉》は、まだ自分の手元にない。

 

     ◇ ◇ ◇

 

14:08

 

 ルイに案内された通りで、車が停まった。

 角を曲がれば、公園だ。

 降りようとしたかなたの手元で、携帯が鳴った。

 画面を見ると、そのまま耳へ当てる。

 

「うん。今、近くまで来た。……北の通り? 分かった。僕とわためは、そっちで待つ」

 

 通話を切ったかなたが、前の座席へ身を乗り出した。

 

「行き先、変更。北の通りまでお願い」

「商会?」

「うん。商会の連中が北に集まってる。まだ動いてないけど、解除されたらこっちへ来る。ココから、僕とわためはそっちで待機してろって」

 

 わためが袖を引き上げた。

 

「はじめちゃん、用心棒の相手はお願いしていい?」

「うん。そっちは任せる」

「あとで合流しよ。今度こそ、荷物も一緒にね」

「そのつもりで行ってくる」

 

 はじめだけが車を降りた。

 扉を閉めると、かなたが窓越しに片手を上げる。

 車は角を曲がり、二人を乗せて北の通りへ向かった。

 さっきまで三人だった道を、今度は一人で歩く。

 肩紐をかけ直すと、肩の奥には朝から使った分の重さが残っていた。

 息は落ち着いている。

 角の先に、公園を囲む低い柵が見えた。

 

「ルイ姉。こっちは一人で行くことになった。停戦、まだ続いてるから、まず話してみる」

『了解。周りは見てる。今は交渉だね』

 

『広場の奥のベンチ。白い髪、和装。さっきケースを持っていた人だね』

「周りに誰かいる?」

『近くにはいない。腰の後ろにケースがある。中身は見えないから、そこは確かめて』

 

 14:10

 

 低い柵の切れ目から、公園へ入った。

 倉庫街の中に残された、小さな公園だ。

 木と植え込みは外側へ寄せられ、真ん中は乾いた舗装の広場になっている。

 頭上には空があり、左右の歩道から通りへ抜けられた。

 

 奥のベンチに、小柄な女の子が腰掛けていた。

 白い髪。赤い目。袖の長い和装。

 こちらを見ると、下ろしていた足を小さく揺らす。

 腰には、刀が二本。

 

「百鬼あやめさん?」

「うん。そっちは?」

「轟はじめ。《蝉》預かってるよね。あやめに任せれば金庫より安全だって聞いて来た」

「余のこと? そんな紹介されてんの?」

「商会の金庫番が言ってた。その人の金庫、開いてたけど」

「あはは。じゃあ余のとこ来るしかないじゃん」

 

 あやめが横へ手をついた。

 指先で、空いている場所を二度叩く。

 

「ちょっとこっち来なよ。まだ抗争止まってるんでしょ? 立ったまま話すの、疲れない?」

「……そこ?」

「そこ。隣、空いてるよ」

 

 刀のすぐ横だった。

 腰の後ろには黒い箱も見える。

 ベルトで身体へ留めた保護ケース。取りに来た物が、あんなに近い。

 

 止まってるって言われても、刀の隣に座るのは別の話だ。

 これ、罠じゃない?

 

 通り側を一度見る。

 車の姿は、もうなかった。

 ここにいるのは、はじめとあやめだけだ。

 

「ルイ姉。ちょっと話してみる」

『分かった。こちらは周りを警戒してるから』

 

 ベンチへ近づく。

 あやめは、刀にも箱にも手をやらなかった。

 リュックを足元へ置き、隣へ腰を下ろす。

 ベンチが小さく鳴った。

 

「座っただけで、こんな警戒されるの初めてかも」

「それは嘘でしょ」

「あ、ばれた」

 

 笑う横顔を見てから、はじめは携帯を取り出した。

 委任状と《蝉》の写真を開く。

 今度は、画面を向こうへ傾けるだけで見せられた。

 

「この《夜明けの蝉》。持ち主たちに頼まれて、受け取りに来たんだ。返却の話も、合意は取れてる」

「そっちは、その人たちの仕事?」

「うん。今夜までに届ける」

「そういわれてもね〜。余は、商会から持ち出させれないように守れって預かってるんだよね」

 

 あやめが親指で、自分の背中を示した。

 はじめは画面を閉じる。

 

「じゃあ、これの中なんだ」

「何が入ってるかは、開ける人に聞いて。余は箱ごと預かってるから中身のことよくわかってないし」

 

 蓋は閉じたまま。

 名前の分かる品と、そこにある箱が、ようやく同じ話になった。

 

「こういう仕事、よくするの?」

「守ったり、通さなかったり。相手がいない日は暇だよ」

「じゃあ、今日は?」

「もう暇じゃないじゃん」

「はじめのせいみたいに言わないで」

「来たの、そっちでしょ」

 

 それはそうだった。

 言い返す言葉を探している間に、あやめが先に笑った。

 

「はじめちゃんは? いつもこういうの取りに行ってる?」

「いや。普段は旅してる」

「何しに?」

「踊り、見たり、教えてもらったり。自分でも踊りたいし」

「へえ。踊るんだ。ずっと、それしに旅してたの?」

「最初は、何したいかもよく分かんなかったけどね」

「今は分かった?」

「とりあえず、見たい踊りが増えた。場所が変わると、足の使い方も全然違うんだよ。同じように動こうとしてるのに、全然できない時あってさ」

「できない方が面白い?」

「そのままだと悔しいじゃん。できたら面白い」

 

 話していると、足の裏が少し動いた。

 踊りを覚える時の、最初の一歩。

 ベンチの前で靴底が舗装を擦り、はじめは足を止めた。

 あやめがそちらへ目をやっていた。

 

「その足、さっきの踊り?」

「あ、うん。頭で考えると勝手に動く時ある」

「分かる。余も、手順だけ思い出すつもりで、指まで動いてたりする」

「刀、持ってなくても?」

「持ってなくても。で、やってみると、思ったのとちょっと違う」

 

 あやめが、膝の上で指を握った。

 柄を握る時の形だろうか。

 すぐ開いてしまったので、よくは分からなかった。

 

「さっきまでできてたのに、ってなるよね」

「なる。足の置き方も、ここと土の上じゃ違うし。床が硬いだけで、なんか気持ち悪くなる時あって」

「あー。余も、同じつもりなのに違う時、ある。そこ気にすると、またやり直すんだよね」

「で、もう一回だけって言って、全然終わんない」

「そうそう。それ、見てる人には同じじゃんって言われない?」

「言われる。違うのに」

「違うんだよねえ」

 

 二人で笑った。

 あやめの膝の上には、もう開いた手が載っている。

 刀は腰に収まったままだ。試しに抜いて見せる、とは言わなかった。

 はじめも、足を止めたままでいた。

 

「それで、なんで今日これ取りに来たの?」

「友達の仕事。向こうも別の場所で動いてるから」

「同じ旅の人?」

「もとは一緒だったけど、今は別々。あっちは美術とか、古い物とか好きでさ」

「これも?」

「うん。これについて聞いたら、たぶんめちゃくちゃ喋る」

「詳しいんだ」

「一個聞くと、五個くらい知らない言葉が増える」

「じゃあ、聞く前より分かんなくならない?」

「なる。で、それ何って聞くと、また増える」

 

 あやめが声を立てて笑った。

 つられて、はじめも笑う。

 らでんがここにいたら、いまの話だけで言い返してきそうだった。

 

「でも、楽しそうに話すんだよ。見せたいのいっぱいあるから、早く見に来てって」

「はじめちゃんも、見せたいのある?」

「あるよ。いつも次に会う時に新しくみつけたすごいの見せてやりたいなって思う」

「いいじゃん。今日終わったら会うんだ?」

「うん。だから、早く終わらせたい」

 

 あやめの刀が、すぐ横にある。

 話しているうちに、見ていなかった。

 はじめは携帯をしまい、両手をベンチの縁へ置いた。

 

「そっちは、仕事終わったら?」

「まず飯」

「それは、はじめも」

「あはは。じゃあ一緒じゃん」

「その後は?」

「そこまで今日の予定決めてない。仕事が長引くと、行きたかった店、閉まるし」

「それ、嫌だね」

「嫌でしょ。だから何でも引き受けるわけじゃないよ」

「自分で選んでるんだ」

「うん。受けたら、終わらせないとね」

 

 はじめは箱の方を見た。

 あやめも、はじめの視線の先へ目をやった。

 

「……その友達、待ってるんだね」

「うん」

「それでも、これ取る?」

 

 笑っていた顔から、笑いだけが少し引いた。

 怒ったわけではない。

 返事を待っている。

 

「取るよ。そのために来たから」

 

 あやめが頷いた。

 

「そっか。じゃあ、そこは決裂だね」

 

 あやめは、下ろしていた足をまた揺らした。

 腰の箱は、そこにあるままだった。

 受け取りたい。渡せない。

 その二つは変わらないのに、隣へ座った時より話しやすくなっている。

 困るな、これ。

 

「その友達の話、もっと聞きたかったけど」

「らでん? 本人呼んだら、もっと喋るよ」

「じゃあ、今日連れてくればよかったじゃん」

「たぶん箱の説明が終わる前に日が暮れる」

「余、飯行けないじゃん」

「そこは、ちゃんと止めないと」

 

 あやめが笑い、はじめもベンチの上で肩を揺らした。

 遠くで電車が渡った。

 鉄の音が建物の間を抜け、二人の足元まで来て、また遠ざかっていく。

 通りを曲がった時には、刀の横に座れるなんて思わなかった。

 

 この人とは、できれば戦いたくない。

 

 でも、《蝉》は持って帰る。

 あやめも、簡単に箱を手放さない。

 面白い話をしたくらいで変わるなら、最初からこの仕事を引き受けていないだろう。

 

 14:54

 

 あやめの携帯が鳴った。

 

 笑いかけた口が、そのまま閉じた。

 画面を見て、はじめへ指を一本立てる。

 

「うん。……確認終わった? そっか。分かった」

 

 声は、さっきまでと同じだった。

 なのに、受けた時から、何の電話か分かってしまった。

 

『はじめ。会が停戦を解除した。承認された抗争は再開された』

 

 ルイの声が耳へ入る。

 あやめも通話を切り、携帯をしまった。

 

「……終わっちゃったね」

「うん。楽しかったけどね」

「余も。踊りの話、ちょっと気になった」

 

 あやめは、笑ったままベンチへ両手をついた。

 足の揺れが止まる。

 

「じゃあ、やろっか」

 

 ベンチの縁から手を離すと、あやめが先に立ち上がった。

 腰の後ろの箱は、立ってもほとんど揺れなかった。

 はじめも立ち上がり、リュックを肩へ戻した。

 

 あやめはベンチから離れた。

 空いている舗装へ出て、こちらを向く。

 

「ここなら、動けるでしょ」

 

 広い。

 段差はない。滑るものもない。

 左右に抜ける道も見えている。

 はじめはベンチから離れ、向かい合う場所へ入った。

 

「ルイ姉。話は終わり。渡してはくれない」

『了解。北の連中も動き始めた。そこはかなたとわためが止める。こちらは、広場へ近づく人を警戒しておく』

 

 耳元には、ルイの声がある。

 でも、目の前の刀を越えるのは、はじめだ。

 あやめの目は、はじめから外れなかった。

 

 右足が、半歩だけ出る。

 二本の刀が、鞘を離れた。

 

 はじめは息を吸いかけて、止めた。

 

 身体を覆っていたオーラが、刃へもまとわりつく。

 右の切っ先は胸の高さ。左は低く、斜めに寝かされている。

 どちらも、持ち直す必要のないところで止まった。

 肩は上がっていない。膝も固めていない。

 さっきまで隣で揺れていた足が、今はどちらへも動ける形で、舗装を踏んでいた。

 

 あの距離で、よく笑って話せたな。

 

 はじめは前へ出しかけた足を、その場に置いた。

 右の刃を外して入る。

 そう考えた先には、もう一本がある。

 まだ振ってもいないのに、避けた後の場所まで選ばされていた。

 

「次、来たら斬るからね」

 

 声は変わっていなかった。

 はじめは両手を上げ、肩の力を抜いた。

 

「うん。分かった」

 

 箱の向こうにいるのは、もう、名前を聞いただけの用心棒ではなかった。

 

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  • 冒頭1〜3話
  • ハンター試験・裏試験編
  • 発の習得編
  • 事件録に入ってから
  • まだ判断中
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