儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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第五話 街をあげての大歓迎

 1994年9月18日

 16:24

 

 四歩先。

 歩道の中央へ出てきた男の右手だった。

 

 

『はじめ、いまから救援にそちらに向かう。到着まで2時間だ、それまで捕(・)ま(・)る(・)な(・)』

 

「おい、止まれ」

 

 銃口は、まだ腰より少し高いところにある。

 その向こうには人がいた。

 店へ入ろうとしている背中と、こちらを見て動けなくなっている人。

 

 はじめは正面へ下がるのをやめた。

 右の靴底で短く蹴り、身体を低くする。

 

 《滑走(グラインド)》

 

 足を前へ振り出さず男の右肩の外へ滑り込む。

 上がってくる銃口より下へ頭を移し、左の掌を相手の手首へ添えた。

 

 押す。

 下へ、道の方へ。

 

 銃声がした。

 足元から離れた舗装で小さく石が跳ねた。

 

「うわっ!」

 

 叫んだのは、店の前にいた別の男だった。

 はじめは聞くより先に銃を握る手首へ右の拳を短く落としていた。

 

 指が開く。

 銃が落ち、歩道の端へ滑る。

 

 拾わない。

 左の踵で地面を捉え身体を起こしながら相手の肩を押しのけた。

 

 その背中側から、もう一人の手が伸びていた。

 狙っているのはリュックの上の持ち手だ。

 

 箱を引っ張らせるな。

 

 はじめは右肩を引いた。

 背中の荷物を手の外へ逃がし、まだ近くにいる銃の男を伸びてきた腕の方へ押し出す。

 

「どけって!」

「てめえがどけ!」

 

 二人の肩がぶつかった。

 仲間ですらないらしかった。

 

 はじめはその横を抜けた。

 ここで二人とも倒している場合じゃない。

 右の搬入口までは、まだ少しある。

 

 店先の小さな看板を避ける。

 その奥にいた店員が慌てて扉を引いた。

 

「ひぃぃ!こっち来ないでくださーい!」

「行かないよ!」

 

 言い返しながら、人のいない歩道の端へ寄った。

 背中を見せっぱなしにはしたくない。

 路肩の石の植え込みを間に入れ、次の角まで足をつなぐ。

 

 肩紐が、走るたび同じところへ食い込んだ。

 箱は揺れていない。

 背中へ硬い角が当たるたびに、それだけを確かめた。

 

『右。そこを入って。奥に赤い鉄橋がある。下を抜けた先で、競売施設への道に戻そう』

「分かった」

 

 曲がる直前斜め後ろで誰かが叫んだ。

 

「こっちだ! 例の女がいるぞ!」

 

 庇を押さえ、そのまま搬入口の通りへ飛び込んだ。

 

 16:25

 

 大通りよりずっと細い道だった。

 左右に荷物を出す扉が並び、その先に鉄道の赤い橋桁が見える。

 頭の上が開けている。ルイにも見える道だ。

 

 はじめはリュックの紐を引き、背中へ寄せ直した。

 腿が重い。

 

「ルイ姉。車、もう乗れないね」

『乗れない。今は自分の足を使おう』

「だよね」

『前のワゴンに注意。運転席に一人。横の扉にも人がいる』

 

 通りの左側に、灰色のワゴンが止まっていた。

 その先には荷台を降ろしたトラック。

 右には倉庫の壁が続く。

 

 はじめが近づくとワゴンの鼻先が道へ出た。

 運転席の男がこちらを見ながら、ハンドルを回している。

 

 道の幅が、車一台分だけ減った。

 

 右へ寄る。

 そこへ、横の扉が開いた。

 

 中から男が降りてきた。

 短い棒を持っている。

 先端がはじめの腰の高さへ伸びた。

 

 その後ろでもう一人、両手を空けた男が待っていた。

 

「乗れ、ボスがお待ちだ」

 

 車内を指す。

 乗せるつもりらしい。

 

「乗らないけど!」

 

 はじめは走る速さを落とさず、右へ出るように肩を向けた。

 棒がそちらへ振られる。

 その足が前へ来るのを見て膝を緩めた。

 

 身体の高さを落とす。

 背中の箱まで、棒の下へ。

 

 靴裏の薄いオーラで相手の足の脇を滑った。

 壁側ではなく、車体に近い方。

 そのまま抜けようとした肩紐へ車内から手が来た。

 

 はじめは身体を横へ開いた。

 背中を車へぶつけない位置へずらし、開いた扉の端を掌で押す。

 

 扉が走った。

 伸びてきた手が慌てて引っ込む。

 がん、と閉まる音がした。

 

 その音へ棒の男が振り返った。

 

 はじめはもう彼の後ろにいた。

 立ち上がる勢いを腰へ通し背中を掌で押す。

 男は両手を車体へついた。

 棒が板金を叩いた。

 

「くそッ、手間かけさせやがる!」

 

 運転手の声がする。

 こっちが聞きたい。

 

 前へ抜けようとすると、ワゴンがまた動いた。

 車体と壁の間が狭くなる。

 運転席の横顔が、はじめのいる側を見ていた。

 

 はじめは止まらなかった。

 足裏のオーラを引き、舗装をしっかり踏む。

 一歩で車の前へ出て、二歩目を斜め向こうへ置いた。

 

 すぐ後ろで車の鼻が倉庫の壁へぶつかった。

 タイヤの音と壁を削る音が続く。

 

 巻き込まれなかった。

 それだけでいい。

 

『抜けた。その先、トラックの右通って。車道は使わないで』

「うん」

 

 荷台の横を通る時、はじめは少しだけ歩幅を狭めた。

 張り出した金具が、肩より低いところにある。

 普段なら身体だけ避ければ済む。

 今日は背中も通さないと。

 

 横向きに抜ける。

 リュックが金具を擦らないことを確かめ、また前へ向いた。

 

 鉄橋の赤い桁が近くなっていた。

 

 大きく息を吸うと頬の保護材の端が引かれた。

 触らない。

 その代わり、帽子の庇を持ち上げる。

 

 橋の下を抜ければ次の通りへ出られる。

 そこから届け先へ。

 車が駄目なら走ってでも行く。

 

 後ろでワゴンの扉が開く音がした。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 16:28

 

『はじめ。正面の歩道へ一人入ってきた。注意して』

 

 鉄橋の下は、少し暗かった。

 左に太い橋脚、右に倉庫の壁。

 その間を、人が二人並べるくらいの歩道が通っている。

 向こうの出口だけが、外の光で明るい。

 

 そこへ、小さな影が入った。

 

 白い髪。

 見覚えのある上着。

 こちらへ向いた顔を見て、はじめの口から名前が出た。

 

「かなた!」

 

 背中へ伸びてくる手ばかりを気にしていた肩が、一瞬だけ緩んだ。

 

「そこ通してもらえる?」

 

 かなたは、いつもの顔で首を横に振った。

 

「通してもらえるわけねーだろ」

 

 はじめは走る速さを落とした。

 かなたが脇へ寄らなかったからだ。

 

 歩道の真ん中にいる。

 こちらが通る方ではなく、こちらを正面に見る位置で。

 

「はじめちゃんは、そこで止まんなよ」

 

 かなたが手を開いた。

 

「荷物置いてくれたらそれでいいからさ。懸賞金だって取り下げるよ」

 

 はじめの足がもう一歩だけ進んだ。

 残っていた勢いをその足で受け止める。

 

「……ココに言われた?」

「うん。北から戻ってたら、連絡が来た」

 

 声も、呼び方も変わっていなかった。

 北で止めていると言ってくれた時と同じ声だった。

 

 はじめは肩紐を握った。

 

「これ、届けるやつだよ」

「知ってるよ」

「さっき、一緒に取り返したじゃん」

「うん。今度は、僕がココのところまで持って帰る」

 

 かなたの目が、はじめの肩から背中へ移った。

 箱がどのあたりにあるのかを、見ている。

 

 その視線を、自分の身体で遮るように半歩ずれた。

 かなたも動いた。

 同じだけ、斜めへ。

 歩道の隙間は増えなかった。

 

『はじめ、裏からわためも来てる!道を戻るな、挟み撃ちになるぞ。今迂回ルートを探す。なんとかしのいで!』

 

 振り返らずに聞いた。

 背後から、靴音がした。

 

「どいて」

 

 はじめは言った。

 

 かなたは首を横へ振った。

 

「だから通さないって。おみゃーはもう敵だろ」

 

 《天使の握力(おらくる)》

 

 かなたからオーラが立ち上った。臨戦態勢だ。

 手が下がった。

 腕を休めたのではなかった。

 肘が身体へ近づき、指がこちらを向いている。

 

 はじめは左へ出る足を探した。

 橋脚の外を回るには、いったん後ろへ戻らないといけない。

 右には壁。背中を擦りつけるように抜ければ、箱から先に当たる。

 

 かなたが、一歩近づいた。

 

 はじめが足を開くより早く、もう半歩。

 パン、と交差点で車を弾いた手が目の前で開いた。

 

「だから動くなって!」

 

 右手が、左の肩紐へ伸びてきた。

 

 はじめは左の踵を浮かせた。

 そのまま外へ踏めば、橋脚へ身体が寄る。

 背中の箱を逃がす幅がなくなる。

 正面へ置けば、かなたの腕の中だ。

 

 指が近づく。

 

 朝の怪力を思い出す。

 あの手には絶対捕まってはいけない。

 

 浮かせた左踵を前へは下ろさなかった。

 足ごと引き戻し右足に残した重さで半歩退く。

 肩紐が指先から離れたところで両膝を折った。

 開いた手が帽子の上を通る。

 低くなった背中もまだ歩道の幅の中だ。

 

 引き戻した足を今度は踏み直す。

 起き上がり切る前に右の掌を

 

 かなたの肩へ打ち込んだ。

 

 足裏から腰、肩へ。連撃のラッシュを繰り出す。

 押し退ける角度でオーラを通す。

 ここで止めるつもりで、手加減はしなかった。

 

 ばん、と上着が鳴った。

 かなたの肩がそこにあった。

 殴る前と同じ場所に。

 

 はじめは右肘を戻しその下から左の拳を腹へ入れた。

 腕では防がれていない。拳の面全部で捉えた。

 

 なのに、かなたは息を吐いて笑った。

 

 近づく手を肩の引きで外す。

 拳のオーラを引き、今度は脚へ送り、踏ん張っている腿の外側を脛で打った。

 それでも靴底は浮かない。全く動じていない。

 足を戻したこっちの脛だけが、じんと痛んだ。

 

「はじめちゃんさぁ……これ、全力?」

 

 かなたの口の端が、にやっと上がった。

 

「全力だけど!」

「マジ? ちょー貧弱なんですけど」

 

 言いながらまた右手を伸ばしてくる。

 腹へ入れた左拳を引き、はじめはその手の外へ回った。

 低いところで脚を踏み直し腰を返す。

 足から通した力を、右の拳へまとめた。

 顎の下。

 腕で防ぐより先に届く。

 

 《無拍(ヒット)》

 

 短い息と一緒に、拳を突き上げた。

 

 今度こそ、入った。

 拳の骨へ硬い手応えが返る。

 かなたの顔は上がらなかった。

 

「あはっ。きかねぇ、きかねぇ」

 

 拳が戻る前に、笑い声が落ちてきた。

 目も、まだこちらを見ている。

 

「速いのはわかったって。殺す気で来いよ。そのぐらいじゃないと、僕は止まんないよ?」

「《蝉》届けたいだけなんだけど!?」

「じゃ、諦めて置いてけよー」

 

 腕が横へ出てきた。

 はじめが通ろうとした出口の明るい部分を塞ぐ。

 頭だけ潜れば箱が残る。

 踏み出しかけた足を止め、腕の外へ肩を引いた。

 かなたの指がさっきまで肩のあったところで閉じる。

 

 肩も、腹も、脚も、顎も。当てた。ちゃんと当てた。

 なのに、殴ったこっちだけ痛い。

 

 もう、何その身体。

 絶対強化系だあの人。強化系ってあんなにゴリゴリに固くなんのかよ。

 

 朝、車を弾いた手だけがおかしいんじゃない。

 あの強さが、殴った先のどこにでもある。

 もう一発当てるために近くへ残ったら、今度は腕を持っていかれる。

 

『迂回ルートを見つけた。橋脚の外側!』

 

 靴が擦れた。

 橋脚の手前まで戻り左の外へ回る。

 背中を柱へ擦らない幅を取って、コンクリートの向こうへかなたの手を隠した。

 

「外抜けた!次はどっちいけばいい?」

「逃げんなよー。こっちはまだ全然余裕なんだけど?」

 

 声は柱越しでも、よく聞こえた。

 来なくていいのに。

 はじめは返事を飲み込み無人の荷捌き口へ走った。

 

 16:35

 

 通路の先で、鋼の荷台が横へ動いた。

 荷物は載っていない。

 それでも、二人がかりで押しそうな大きさだった。

 かなたは枠を片手で掴み前の車輪を持ち上げて振った。

 後ろの車輪が路面を削り鋼の台が通路を横切る。

 がん、と壁へぶつかった。

 端に積まれていた木枠が跳ね道路側の空きが塞がる。

 軽く場所を変えたつもりみたいな顔だった。

 壁際には腰ほどの荷捌き台。

 その一部を継ぎ足した板がつないでいた。

 倉庫に接した奥の縁はコンクリートで台の先には一段低い作業路が見える。

 人はいない。

 

 はじめは低い台へ上がった。

 膝を高く上げ過ぎず箱の底を縁の上へ通す。

 かなたも荷台を引いたまま板へ片足を載せた。

 はじめの背中を見て作業路へ降りる側へ身体を寄せる。

 

「はい、そっち行き止まり。まだ殴ってくる? 殴ってもいいけど」

「誰が狭くしてると思ってんの!」

 

 手前へ飛べば荷台。奥へ逃げるにはかなたの横を通らなくてはいけない。

 はじめが肩を向け直すとかなたは荷台をさらに引いた。

 車輪が舗装の割れ目に噛み、ぎ、と鳴る。

 その枠を引き切るため、板の上の靴が強く踏ん張った。

 

 足元で、釘の頭が浮いた。

 

 殴って退かせるつもりだった右手を、はじめは開いた。

 かなたの肩は動かなかった。

 でも、靴の下にある板は沈んでいる。

 足元はかなたと同じ硬さなわけじゃない。

 

 《刻踏(タップ)》

 

 踵から重さを抜き、爪先を残す時間も短く切った。

 奥の丈夫な縁へ片足を置き、そこを軸に腰を回す。

 肩とリュックを細く揃えたまま、台の端へ。

 板の継ぎ目が外れた。

 かなたの足が一段沈む間に、はじめは縁から低い作業路へ降りた。

 膝で受ける。

 腿に重いものが乗ったが、背中はぶつけなかった。

 

「あ、また逃げるんだ。まあ、そうだよね」

 

 すぐ後ろで靴音がした。振り向いた時には、かなたはもう地面に立っていた。

 どこも痛そうではない。

 今度は板を踏まず丈夫な縁へ手を置く。

 はじめはその手が身体を引き上げる前に作業路の角を曲がった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 16:43

 

 横通りへ出ると駅側に黒い車が斜めに止まっていた。

 開いた扉の上から拳銃がこちらを向く。

 悲鳴があがる。交差点には買い物帰りの人がいた。

 そちらへ逃げれば、銃口もついてくる。

 

 はじめは荷物口のコンクリート壁へ寄った。

 右足で勢いを止め肩と箱を角の内側へ入れる。

 外で一発、硬い音がした。

 

「警察です! 銃を下ろしなさい!」

 

 通りの向こうから声が来た。

 制服の女性が一人停車した配送車の陰へ入る。

 見えた顔にはじめは手を上げ叫んだ。

 

「キョーコ!」

「またあんた!? 今度は何やらかしたの!」

「ココのお願いを断っただけ!」

 

 キョーコの口が開いた。

 けれど、次の声ははじめではなく、拳銃の男へ飛んだ。

 

「武器を足元へ置いて車から離れなさい! 横断歩道の人!渡らないで! 配送車の後ろへ、そのまま左に!」

 

 信号の前に固まっていた人たちが動いた。

 キョーコのバディの警官が交差点へ入り車を止める。

 キョーコは同僚へ駅側の逃げ口を示し、自分は配送車から射手を見たまま動かなかった。

 車の男は銃を上げ直しかけた。

 別の警官も遮蔽から銃を向けているのを見てゆっくり膝を曲げる。

 拳銃が路面へ置かれた。

 運転席の男も引き出され二人とも車から離れた横通りの端へ伏せさせられる。

 

「はじめ。そこで待って。警察みんなであんたを護るから。保護対象の民間人を確認した!」

 

 キョーコが無線で話しながら、配送車から壁沿いへ移った。

 その背後、倉庫の荷物口から白い髪が出てきた。

 

「やっと追いついた。なかなか速いね、はじめちゃん」

 

 止まりたくて止まったんじゃない。

 はじめは肩紐を握り直した。

 かなたがまっすぐこちらへ来る。

 銃を置かせた黒い車の向こう側から。

 

「その子から離れなさい!」

 

 キョーコが身体を向けた。

 はじめへ近づく線を、横から遮る位置だった。

 かなたは足を止めた。

 警察の制服へ目を移す。

 

「……ポリが。邪魔すんじゃねーよ」

 

 さっきの笑い声が、そこで低くなった。

 

「どけって。僕、その子に用があるんだけど」

「こっちもあるの。手を出させないよ」

 

 かなたは一度キョーコの立つ場所を見た。

 それから黒い車の後輪へしゃがみ、車輪の奥へ右手を差し込んだ。

 

 ごき、と金属が鳴った。

 

 下の枠を掴んだまま立つ。

 タイヤが一つ、二つと舗装を離れた。

 車が傾く。開いた扉がばたんと閉まり、残りの車輪まで浮いた。

 背中より大きな黒い車体が、小さな白い頭の上へ上がる。

 

「……やっば」

 

 言ってから、はじめは足を引いた。

 かなたは笑っていた。

 片手で車を持って、空いた左手をこちらへ向けている。

 

「そう? ただの乗用車だよ? 僕には軽いけどね」

 

 そのままかなたは、そ(・)れ(・)を振りかぶって投げてきた。

 

「はじめ、そこから離れて! 壁の裏へ!」

 

 キョーコが横へ下がった。

 同僚へ腕を振り、男たちを横通りの端で押さえておくよう示す。

 はじめはコンクリートの角を回った。

 背後で風が鳴った。

 

「おらぁ!」

 

 車が、飛んだ。

 

 前部が舗装へ突き刺さり、後ろが跳ねた。

 窓が白く砕ける。

 大きな黒い腹が半回転して逃げようとした先を塞いだ。

 

 はじめはもう一度、脚を折った。

 飛んだ金属片が壁を打つ。

 下をくぐった帽子の庇に、細かなガラスがぱらぱらと落ちた。

 

「道を車で塞ぐのってありなの!?」

 

 いや、もうありなんだ。この人の中では。

 

「ほら。そっち行けなくなったじゃん」

 

 ぐしゃぐしゃの車の向こうから、声が来た。

 かなたは投げ終わった手を振っていた。

 腕を痛めた様子も息が上がった様子もない。

 こちらへ来るための空きを車の脇に探している。

 

「……ふざけんな、車を投げるな!」

 

 配送車の陰からキョーコが怒鳴った。

 かなたの顔だけが、そちらへ向く。

 

「じゃあ、どきなよ。邪魔してんのそっちでしょ。下手すりゃ死ぬよ?」

 

 その一往復の間にはじめは壁の裏の荷物口へ入った。

 車の跳ねた道とは反対へ。

 キョーコが角まで来て、交差点の人たちを背にしない位置で止まる。

 

「大丈夫? 当たってない?」

「箱も無事。……ありがと」

 

 逃げる場所を探す前に、声が来た。

 飛んでくる車から目を離さず、箱ごと壁の裏へ入れた。

 

「言ってた荷物、取り返したんだね。それをマフィアに狙われてるのか」

「うん。今日の二十二時までに、競売施設の担当の人へ渡さなきゃいけない。受け取ってもらうまでが仕事なんだ」

「期限があってもあんなのの前には行かせない。まず安全なところへ保護するから」

「ここにいたら、届けられる?」

 

 キョーコは、背中の箱を見た。

 

「捕まったら死ぬんだよ?ゴシカのマフィアは容赦しない。死ぬ方が良かったって後悔するような拷問を受けて殺される」

「……友達の頼みなんだよね。引渡しの話は確認が要る。今ここで、諦めるわけにはいかない」

 

 適当に頷かないところが、ありがたかった。

 でも、それなら待てない。

 二十二時までまだ時間はある。

 あるはずなのに、一つ道を越えるたび、どんどん次の困難がやってくる。

 

 黒い車の向こうでまた金属が鳴った。

 窓のなくなった車体が、少し横へずれる。

 かなたが、自分で投げたものを押し退けていた。

 

「キョーコ、かなたがもう来る。街の人の安全を優先して。これからもっと酷いことになるかもしれないから」

 

 キョーコは交差点の同僚へ合図し、はじめへ荷物口の奥を示した。

 

「奥へ下がって。表へは出ないで!」

「さっきは助かった。ほんとに。さっきの番号で連絡取れるから」

「待って。行っていいって話じゃ」

 

 交差点側で伏せていた男が立ち上がろうとした。

 キョーコが「そのまま動くな!!」と声を飛ばす。

 はじめは荷物口の奥を抜け、壁を背に次の通路へ出た。

 市民の列とは反対側。最後に見えたキョーコの腕が、人たちを配送車の後ろへ送っていた。

 

「駅側にも狙われている子が向かってます! 灰色のパーカー、紺の帽子。周囲の警戒を続けて! こっちは桐生の戦闘員と戦ってる!応援よこして!」

 

 背後で無線への声がした。

 はじめを追う足音にはならなかった。

 

 ひとつ手前の角で黒い車体がまた擦れた。

 捕まえる手はまだ減っていない。

 

 16:48

 

 角を曲がりはじめは壁の陰で水を一口飲んだ。

 蓋を閉め元のポケットへ戻す。

 肩紐を引くとケースは同じ位置で背中へ収まった。

 

『駅の正面には出ないで。学校帰りの学生が多い。外側から回そう』

「駅、ずっと見えてるんだけどね」

『見えてる道が使えれば、私も楽なんだけど』

 

 16:55

 

 駅前の車列を避けて側面へ出てもすぐには横断できなかった。

 荷物を降ろすトラックが管理門を塞ぎ、反対側からは追手の車が回ってくる。

 はじめは門を諦め、駅の外壁に沿って歩道橋の下まで迂回した。

 横道から来る男を柱の反対へ置き工事柵の切れ目を探して、さらに裏へ。

 ようやく外階段が見えた頃には、駅の時計の長い針が、てっぺんを過ぎていた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 17:02

 

 階段の踊り場からは、駅前の車を越えて反対へ回れそうだった。

 けれど上へ進むと、通路の先から乗客が固まって出てきた。そろそろ仕事終わりの客も増えだすだろう。

 その後ろにこちらを指す男がいる。

 下からも靴音。

 はじめは踊り場で足を止めた。

 

『はじめ、下だ。外壁沿いの管理通路は人がいない。右の切れ目から貨物側へ出られる』

 

 踊り場の外を覗くと二メートル少し下に細い通路があった。

 幅は三人ほど。片側に低い手すりが続き、その切れ目から先は柱に隠れている。

 手すりの切れ目の外へ金色の髪が回ってきた。

 

 わためだ。

 止まれば上と後ろから挟まれる。

 

 はじめは手すりの切れ目に近い床を選び踊り場から降りた。

 背中を壁へ向け過ぎず着地する両足の先へ目を置く。

 その床へ白いものが広がった。

 

《やさしい檻(スイート・ホーム)》

 

 靴底が沈む。

 膝を曲げた分より深く、腰までふわりと受け止められた。

 わためが片足を後ろへ引き腕を支えている。

 柔らかい面は、彼女の左手からつながっていた。

 

 痛くない。

 朝と同じだった。

 そう思った時には、右手からも、もう一枚来ていた。

 

「はじめちゃん、ちゃんと受け止めたよ」

「そこまではありがと! 下ろして!」

「うん。ココのところでね」

「ここで!」

 

 左の面が膝と腰の下を持ち上げる。

 右の一枚は背中から肩の前へ回ってきた。

 押せば沈むのに引いた肘には細い糸が張る。

 立つための床が遠くなり、肩を抜ける方向も狭まった。

 

「背中のそれ、大事な物なんだよね」

「だから、持っていかないでって!」

「大丈夫。わため、ぶつけないから」

 

 そこじゃない。

 でも、そこは本当に気をつけているらしかった。

 箱の出っ張りに沿って白い面が丸まり、押し潰す代わりに、逃げる隙間を埋めてくる。

 

 肩だけ動かすのをやめた。

 右側にはまだ開いた口がある。そのすぐ外に手すり。

 沈んだ腰より高い位置を、硬い横棒が通っていた。

 はじめは白い面を蹴らず、膝を胸へ引き戻した。

 脚を支えていた部分が軽くなり、身体が傾く。

 残っている開口へ胸と腰を揃え、右手を横棒へ掛けた。

 

「そっちは」

 

 はじめは、既に手すりへ重さを移していた。

 掌を軸に肘を曲げ、傾けた身体を引き寄せる。

 右肩が口の外へ出た。続けて胸。

 骨盤を同じ向きへ回し、沈んでいた足を手すりの支柱へ運ぶ。

 

 《転軸(ピボット)》

 

 靴が硬い基部を捉えた。

 

 まだ、背中が残っている。

 身体だけ抜けても駄目だ。

 はじめは肩を開かず、箱の薄い側を口へ向けたまま踵で押した。

 わためが両手を寄せる。

 白い縁がカバーを撫で、最後の角へ追いつこうとした。

 もう一息、肘を伸ばす。

 

 背中が軽くなった。

 

 リュックの下を白い面が閉じるのを見て、はじめは手すり際の硬い床へ足を下ろした。

 

「下りる場所くらい、はじめが決める!」

 

 わためは横の切れ目へ走った。

 両手から続く白い束が手すりを迂回し端がこちらを追ってくる。

 はじめは手すりの横を抜け通路の角へ出た。

 柱を回る分だけ、白い束が張る。背中に届く前に端が止まり、わためが腕を引いて寄せ直した。

 彼女が柱を回ってくるのを待たず、はじめは前へ向いた。

 

 17:04

 

 硬い作業床の先に荷車用の短いレールがあった。

 緩い下りで端は平らな床へ戻る。

 その先の右角が貨物側の出口だ。

 旅客線は高い柵の向こうにある。

 手前で二人の男が腕を広げた。

 後ろを見た一人がはじめを階段側へ追い返すように踏み出す。

 

 靴底で一度だけ強く蹴った。

 

 《滑走(グラインド)》

 

 レールの縁へ乗せた足を、そのまま滑らせる。

 二歩目を待っていた男の手が遅れた。

 はじめは足を振り出さず肩を低くして二人の間へ入る。

 腕が閉じた時には、背中の箱まで向こう側にあった。

 

『そのまま。レールの終わりで右』

 

 端へ来た足を作業床へ戻し靴底で捉える。

 残る勢いを角へ向けもう片足を滑らせた。

 遅れて伸びた腕も、追ってきた靴音も、曲がり角の向こうへ置いていく。

 速く動いた分だけ、今度はちゃんと道が空いた。

 

 前に、貨物棟へ続く広い通路が見えた。

 

『……待って。左前、遠い屋上にスナイパーがいる。長物を持ってる。開けたところへ出る前に止まって。遮蔽物から出るな』

 

 はじめは角の内側で靴底を床へ戻した。

 荷物を壁へ当てずに残った滑りを止める。

 背後の手はまだ追いついていない。

 

「今度は、上?」

 

 次の出口は取った。

 はじめはそこから半歩だけ身を引き道ではなく遠くの屋根へ目を上げた。

 

 屋上の縁から、黒い筒が突き出していた。

 人影の肩と一緒に、ほんの少し動く。

 

『銃。こっちへ向けてる』

 

 はじめは帽子ごと頭を引いた。

 角の金具が弾け、欠片が通路へ飛んだ。

 遅れて銃声が届く。

 

 今の、顔。

 

『少し待って。迂回路を探す』

 

 後ろで靴が床を蹴った。

 かなたとわための二人だ。

 まだ角までは来ていないが、待ってあげる理由もない。

 

「待てない!」

 

 右には胸まであるコンクリート塀が続いていた。

 端は角のすぐ横だその裏なら背中まで隠せる。

 腰を落とし、塀へ移った。

 

『……わかった!そのまま奥へ。そこはまだ影になってる。貨物棟に沿って回れる』

「ルイ姉、そっちは大丈夫? 移動中でしょ」

『運転中だけどね。こっちは気にしなくていい!』

 

 荷捌き口を二つ越えた。

 途中の門は鎖で閉じていて、塀の切れ目には通路から見た屋上が覗いた。

 そこを渡るのはやめ、建物に寄せられた空の運搬台の裏を回る。

 急ぎたいのにまっすぐ走れる場所がない。

 背中を擦らない向きで狭いところを抜けるたび、腿の同じところが重くなった。

 

 17:07

 

 ようやく塀の終わりへ来た。

 右の貨物棟に沿って腰ほどの荷捌き台が続いている。

 横に短い保守階段。

 その先で台が二歩ほど途切れ、向こうには広い作業床が見えた。

 作業床の右端は建物の出っ張りに沿って細い縁になっている。

 足を置ける幅はある。そのまま進めば出っ張りの裏へ入れそうだ。

 

 ぐるりと回ってきたせいで、射手のいる屋上は左後ろに変わっていた。

 ここから先は低い道も台の上も見られる。

 

『台の向こう、壁際へ。そこまで行けば射線を切れる』

 

 はじめは一度台の脇を地面のまま抜けようとした。

 肩を向けると屋上の銃も下がる。

 踏み出す前に重さを後ろへ残した。

 

 目の前で、台を支える鉄枠が弾けた。

 低い道へ出ていたら、腰の高さだった。

 

「……行こうとしたルートが、バレてる」

 

 偶然じゃない。

 さっきは角。今度は台の脇。

 撃てるところへ身体が出る、その手前から銃が待っている。

 

「いたぞ!」

「はじめちゃん!おとなしく捕まって!」

 

 塀の向こうで声がした。戻ればあの二人。

 地面を走れば銃口の前。

 はじめは保守階段へ足を掛けた。

 屋上の筒が、少し上がった。

 

 台へ出て、切れ目まで二歩。

 向こうの床は広い。

 右には細い縁。

 踏み切る寸前左後ろを見た。

 

 こ(・)の(・)瞬(・)間(・)を(・)確(・)実(・)に(・)狙(・)っ(・)て(・)く(・)る(・)

 

 そこへ飛ぶのを待ってる。

 

 でも、後ろからも追っ手が来てる。

 止めたら捕まる。

 はじめは箱を壁から離し、向こうの床へ跳んだ。

 

 両足が地面から離れた。

 

 両足が台を離れる。

 胴を折り、肩をひねった。

 けれど、胸と背中の荷物が落ちていく先は変わらない。

 

『1km先からスナイピング!《円》で射線を切れ!!』

 

 

 瞬間、はじめは全力の《円》を広げた。

 はじめの円の最大値は半径40m。

 狙撃弾の弾速は秒速約440m。

 ここに届くまで発砲から1.63秒。

 球が円に触れてからの余裕は0.091秒。

 

 両膝を胸へ引いた。

 腰を横へ畳み、二つの靴底を壁とは反対の左へ向ける。

 肩だけ開かず、背中の重みを胴へ寄せたまま。

 

 《円》に弾が触れる。

 射角、どう弾が自分の体を貫くのか、オーラを切り裂く銃弾から感じ取る。

 

 瞬間、《円》を解除。

 

 同時に空中で、空(・)気(・)を蹴った。

 足裏から、オーラを一度だけ短く力強く噴く。

 

 視界の端で屋上が光る。

 左へ吐いた反作用が、身体を右へ押した。

 前へ飛んでいた軌道に、わずかな横ずれが加わる。

 

 肩紐がぐっと張った。

 箱も一緒に右へ。

 

 腰をかするようにして銃弾が通り抜けた。

 広い床の縁から金属片が跳ね跳弾する。

 さっきまで自分が落ちていくはずだった、その先で。

 

「っぶな!!」

 

 膝を曲げ、腰を沈める。

 左足を前へ送り背中を壁へ倒さず次の一歩につないだ。

 

 着弾から1.27秒、遅れて届いた銃声を建物の出っ張りの裏で聞いた。

 

「……よし」

 

 後ろから叫び声がした。

 はじめは振り返らず、壁の裏へ足を進めた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 獅白ぼたんは、屋上の縁でスコープから目を離した。

 壁の裏へ消えた灰色のパーカーを、もう一度だけ探す。

 

「はじめちゃん、あれ避けるのやるねぇ〜」

 

 隣には誰もいない。

 銃を置いた縁の向こうから、街の騒ぎが聞こえてくるだけだった。

 

 跳んでから横へずれた。

 あれも大したものだけど、その前から気になっていた。

 隠れる場所の選び方がいい。

 追われているのに、射線へ出る手前でちゃんと止まる。

 こっちの銃口をずっと見ていたわけでもないのに。

 

「……なんか、サポートにいい目持ってるやつが見てやがるなぁ」

 

 どこから見ているかは分からない。

 こっちの姿が見える場所なんてこの街にはいくらでもある。

 でも、いる。

 あの子に道を教えている誰かが。

 

 ぼたんは長い銃を縁から引いた。

 

「じゃ、中距離まで詰めてみますかぁ。そっちで見てるだけじゃ、どうにもならんでしょ」

 

 長い銃を背中へ回し、短い方を取り出す。

 弾倉を抜いて、別の一本を押し込んだ。

 

「んじゃ、BREACHER(ブリーチャー)で」

 

 装填を終えると、首と肩の布が寄った。

 腕の余った生地もまとまり、銃を据える肩の形が変わる。

 ぼたんは縁を離れ、屋上の連絡路へ向かった。

 歩きながら、口の端が上がる。

 

「いやぁ、ちょっと楽しくなってきたね。やりがいのある獲物じゃん」

 

 最初の一発で終わらなかったのも、まあ悪くない。

 次は中距離で様子を見る。

 多方向から攻撃が予想される乱戦の中、面での制圧攻撃はサポートが困難だ。

 

「はじめちゃんを狩るのは私。頼むからマフィアなんかに捕まってくれるなよ〜」

 

 短い銃を手にしたまま、ぼたんは階段を下りていった。

 


 

 獅白ぼたん(操作系能力者)

 

 独立賞金稼ぎ。傭兵や民間軍事会社での仕事をすることも。

 遠い屋上からの狙撃だけでなく、距離と遮蔽に合わせて銃と射点を選び直す射手。

 

 《百獣万装(ライオネス・プライド)》

 

【基本性能】

 戦線に応じて、用途の異なる五つのビルド構成を切り替えることができる。

 選んだビルドに応じて様々なボーナスを得る。

 一度に使えるのは一種類。同時に複数のビルドを使うことはできない。

 変更先を設定し、実際の弾倉交換・再装填を完了すると切り替わる。

 残弾を使い切る必要はないが、銃の持替えや同じ弾倉の抜き差しだけでは変更できない。

 再設定中はビルドのボーナスが途切れる。

 

【ビルド構成】

 MARKSMAN(マークスマン)

 中〜長距離の精密射撃。

 姿勢と引き金の揺れが抑えられ、弾丸の威力と射程距離にボーナスを付加。

 

 BREACHER(ブリーチャー)

 近〜中距離の射撃初動と貫通。構え、銃口の移行、初弾までの動作が早くなる。

 着弾の作用を一点へ集中し、銃弾の貫通力にボーナスを付加。

 

【その他のビルド】

 RUSHER(ラッシャー) 近距離用ビルド 移動射撃・腰撃ち・散弾にボーナス。

 ANCHOR(アンカー) 中距離用ビルド 継続射撃・反動処理・着弾衝撃にボーナス

 RECON(リーコン)  索敵用ビルド 自身の実弾の接触で残したオーラの印から、方向とおおまかな距離の変化を追う

 

【SCORESTREAK(スコアストリーク)】

 選択中のビルドによる自分の射撃による交戦相手の無力化を確認すると、スコアを一つ得る。

 上限は三つ。三つでSCORESTREAK(スコアストリーク)を解禁し、スコア全てを消費することで強力な攻撃を行う。

 

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  • 冒頭1〜3話
  • ハンター試験・裏試験編
  • 発の習得編
  • 事件録に入ってから
  • まだ判断中
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