1994年9月18日
17:08
はじめは貨物棟の出っ張りに沿って進んだ。
先の短い階段を下りれば壁と柵の間から裏通りへ出られる。
後ろでは、かなたとわための声が近づいていた。
『そのまま建物沿い。先の門は使えない。追っ手の車が来ている』
「ルイ姉ぇ、出られそうなとこは全滅?」
『次を探してる。足元見て』
階段の最後の段に遮蔽となる障害物があった。
そこを潜って下りる。
『スナイパーは狙撃を諦めて屋上から降りた。そちらに向かうかもしれない』
「完全に諦めたってこと?」
『まだ分からない。中、近距離での攻撃もありうる。要警戒を』
遠くからのスナイピングでも厄介だったのに近くへ来られても困る。
『かなたたちは南へ回った。表で迎え打つつもりだろう』
「じゃあ、裏で」
『その裏が今の道なんだけどね』
「裏の裏とか、ない?」
『あったら最初から案内してるよ』
貨車の列が途切れたところにも道はあったがその先には駅から出てくる人たちが見えた。そこを戦場にするわけにはいかない。
はじめは無人の荷捌き場へ曲がった。
遠くに見えていた駅の時計が、建物の向こうへ消えた。
◇ ◇ ◇
17:18
裏通りの先に二本の太いコンクリート柱が見えた。
その間が搬入口だ。
奥の柱まで六歩ほど。
そこから建物の角を回れば、次の道へ出られる。
『通りの左だ! 銃!』
はじめは手前の柱へ引き返した。
バララッと、スネアを高速で叩くような銃声。
進もうとしていた先の鉄扉に、横一列の穴が開く。
飛んできた欠片が柱の脇を抜けた。
柱の陰から通りの向こうを覗いた。
二十歩ほど先に銀色の髪。
短いサブマシンガンを構え、長い狙撃銃は背中へ回している。
脇にも、もう一本銃がある。
トランクの中身全部持ってきたのか。
にやついた顔の完全武装の賞金稼ぎが、そこにいた。
「ぼたん!?」
「あ、いまの惜しかったね〜!あと一歩でも進んでたら蜂の巣にしてやったのに」
先ほど軽く喋った時と同じ声だった。
手でも振ってきそうな顔で、銃を向けている。
「さっきまで普通に話してたじゃん!」
「うん。そのあと実入りのいい仕事入っちゃったからね〜。1億ジェニーだよ?無視できんでしょ」
「だからってそれではじめ撃つの!?」
「まぁね。そういう仕事なんよ」
銃口がこちらへ戻る。
はじめは顔を引っ込めた。
柱の角が欠け、
帽子へ粉が降った。
「ルイ姉。さっきの狙撃手、ぼたんだ!」
『了解。今、こちらでも顔を確認した。フォローする』
ぼたんが通りを横へ動く。
奥の柱へ行くには搬入口の前を横切らなくてはいけない。
そこへ、先に銃を向けてきた。
はじめは走り出すふりをして、ぴたりと止まった。
《
出しかけた肩の前を、短い連射が通り抜ける。
「今のフェイントか。やるねぇ」
「褒めるなら撃つのやめてよ!」
「それとこれとは話は別」
反対側から回ろうとすると今度はそちらの波板に穴が並んだ。
薄い仕切りじゃ隠れても撃ち抜かれる。
柱へ戻ったはじめの手を砕けた欠片が掠めた。
傷はない。
右側も左側も、出ようとする前から塞いでくる。
移動やマガジン交換など、ぼたんの隙を狙ってこちらも動かないと。
『ぼたん、通りを渡ってる。波板の先へ回るよ』
「うん。こっちも場所を変える」
回り込まれたら、この柱に隠れていてもおしまいだ。
はじめは搬入口へ身を乗り出しかけ、すぐに伏せた。
上を狙った連射が、鉄扉を叩く。
『銃口が上がった。低い方、奥の柱へ!』
搬入口の縁には短い荷車用のレールがある。
はじめは低く滑り出した。
《
走る足音を置かず床の縁を一気に抜ける。
ぼたんの銃が下がってくる。
はじめは奥の柱の陰へ滑り込み、そのまま建物の角を回った。
すぐ後ろでレールが甲高く鳴った。
「っ、抜けた!」
『まだ次の通りに出ないで。そこから先、私は見えてない』
角の手前で止まり自分で先を覗く。
狭い作業路に人影がないことを確認。
そして今度は、そこを走る。
けれど、まっすぐ街へ戻れる道ではなかった。
共同の荷捌き場を抜けると、南の車路にかなたたちがいるとルイが伝えてきた。
そちらは避け、卸売棟の北へ回る。
閉じた門。柵。遠回りの坂道。
ぼたんから距離を稼ぎたいのに、建物がなかなか途切れない。
17:26
ようやく通りへ出る、その手前でシャッターに銃弾が並んだ。
はじめはコンクリート壁の陰へ身を隠した。
「もう先回り? 早くない!?」
「はじめちゃん、隠れるたびに遠回りしてるじゃん」
右前の路地にぼたんがいた。
弾倉を替える手も速い。
空いたと思った出口へ、もう銃を向けている。
近づいて殴るには距離が離れすぎている。
こちらの戦闘距離にあたりをつけて、間合いを避けるようなポジション取りだ。
搬入口のその向こうに、細い抜け道があった。
入り込めれば助かる。
でもぼたんはそれも読んでいて、はじめのいる壁より抜け道へ通じる床を狙っていた。
逃げる先を撃つつもりだ。
「ルイ姉。抜け道の向こうがどうなってるか見られる?」
『わかった確認する』
「うん」
はじめは一番近い柱へ移った。
低く走り最後だけ搬入床へ上がる。
追ってきた連射が床を削った。
柱の裏へ飛び込んだところで、次の指示が来る。
『抜け道は空いてる。ぼたんを移動させて抜け道を射線からずらせないか?』
はじめは先の柱へ向かうふりをした。
肩だけ見せて、まだ出ない。
ぼたんが左へ動く。
こちらを覗ける角度を取りにくる。
銃口はずっと柱の端に向いていた。
『もう一歩』
今、出たら撃たれる。
はじめは柱の陰で待った。
足を止めている方が走るより長く感じる。
『今!』
次の柱へ進まず、反対へ滑り出した。
ぼたんと抜け道の間に奥の柱が重なる。
銃口がこちらを追っても、柱が邪魔になる位置だ。
その間にはじめは抜け道へ飛び込んだ。
箱まで通してすぐ角を曲がる。
銃声が来なかった。
『切れた。そこは撃てない』
「……よし。今のは、ちゃんと抜けた」
足は止めない。
手の甲に付いた埃をズボンの脇で拭った。
抜け道の先ではまた門が閉まっていた。
ルイと柵の切れ目を探し裏口へ回る。
そこへ入ってくる車をやり過ごして、ようやく外周の歩道へ出た。
今度は別の大きな声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
17:35
「車から降りなさい! 後部座席の人も、手を見せて!」
キョーコだ。
抜け道の先には交差点があり警察の車が斜めに置かれていた。
止められたワゴンの窓から銃を持つ手がゆっくり上がる。
別の警官が、歩道の人たちを建物の反対側へ送っていた。
はじめの行きたい道は、その避難の列の向こうだった。
「キョーコ! はじめも向こうに渡りたい!」
「駄目。今は市民を巻き込まないよう誘導してるから! あんたはこっちへ!」
キョーコが示したのは警察車両の後ろだ。
そちらへ足を向けかけて、はじめは止まった。
車の先の横道から、わためが入ってくる。その後ろにかなた。
「警察のとこなら安全だよ、はじめちゃん」
「もうかなたもわためも来てるじゃん!」
「すばしっこく逃げるねぇ!ようやく追いついた」
笑っている間にも距離が詰まる。
はじめは避難の列へ寄らず、抜け道と車道の間にある腰高のコンクリート台へ上がった。
上を通れば、わための右を回れる。
抜け道から追いついた男が、はじめに向かって短い棒を振り上げた。
「おい、逃がすな!」
大きく振った先が箱へ来る。
はじめが肩を引くより先に、白い面が棒の前へ膨らんだ。
わためが台の下で足を開いている。
両手のうち片方から伸びたオーラが棒を受け、
もう片方ははじめの足元へ回った。
「目当てのものが壊れちゃうでしょ!」
棒を持った男がよろける。
その肩を押さえキョーコが台から引き離した。
「武器を捨てて!」
「わため、ありがと!」
「うんうん。だからおとなしくこっち側にきてね」
柔らかい面が、台の縁から靴を持ち上げにくる。
わための立つ位置は右。
面が寄っていく先は、かなたの手が届くところだ。
「そっちにはいかない!」
乗せられる前に右足を台の角へ残した。
左膝だけを持ち上げ踵を軸に身体を半回転させる。
箱を台の外側へ張り出さず来た向きへ戻る。
かなたの手が肩紐へ伸びた。
「またそれ? 逃げる方だけは器用だね」
はじめは台の向こう側へ足を下ろした。
指が空を掴み、続けて台の縁を握る。
コンクリートの角がごりっと砕けた。
「そこ壊すな!」
「そっちが邪魔なんだよ」
キョーコの声へ返したかなたはもう欠けた台の脇を回っていた。
はじめは先に後ろの歩道へ逃れた。
わためが両手の面を引き戻し警察の車を避けて追ってくる。
『ぼたんが銃を下げた。交差点の反対へ回ってるぞ』
向かいの角に銀色の髪が一瞬見えた。
銃は人の列を追わず建物の陰へ引かれていく。
でも、いなくなったわけじゃない。
「キョーコ、あっちの道も駄目?」
「駄目。向こうにも武装した車がいる。あんたを通すために人を戻せない!」
「分かった。人のいない方へ行く!」
「そうじゃなくて、警察で保護するから!おとなしくしとけっての!」
はじめは反対側へ向かった。
避難の列にも銃を捨てさせているワゴンにも近づかない。
『左の歩道を奥まで。旧卸売地区へ入る道がある。入口から見える範囲には人がいない』
「そこ、行く」
17:43
交差点を離れても元の道へ戻ればかなたたちがいる。
はじめは閉鎖された市場の外壁に沿って進んだ。
街灯に吊られた『旧卸売地区』の標識が、ようやく頭の上へ来た。
「……すっごい遠回りしてる」
『でも進んでる。背中の荷物も、自分で持ってる』
閉まった卸売棟の間を抜けると、荷捌き用の広い中庭へ出た。
正面の門の向こうに通りがある。
その通りへは左の側道もつながっていた。
右側には閉じた大扉と、張り出した庇。
門のすぐ手前に、黄色いフォークリフトが横向きに止まっている。
低く下ろされた二本のフォークは、右の大扉を向いていた。エンジン音はしない。
その爪を越え、車体の脇を抜ければ外へ出られる。
側面へ金色の札を貼っていた人が、顔を上げた。
「お。来た来た。はじめちゃん!」
札から離した手が、こちらへ振られる。
大きな丸眼鏡。
金の飾りを揺らす、虎の柄の華やかな上着。
その人を見てはじめの足が遅くなる。
「……ニコ?」
「はーい。ニコたんです」
金虎堂のドン、虎金妃笑虎。
ココの監視役としてさっき普通に話していた人が、今度は出口の前に立っていた。
「また会ったね。今日、走り回って大変でしょ」
「走らせてる人がいっぱいいるんだよ」
「いやーそれは大変だね。みんなから大人気ってこと?」
「嬉しくないやつ!」
ニコは声を出して笑った。
フォークリフトの車体から離れ、門を背にこちらへ向き直る。
「じゃ、ニコのとこで終わりにしよっか。預かった《蝉》ごと、ちょっと来てくださいな」
「行かない。届けるとこは決まってる」
「知ってるよ。まぁでもこちら側もそれが欲しい理由があるんでね」
笑った口元はそのままだった。
眼鏡の奥の目は、はじめが門へ向けた足を見ている。
『はじめ、左の側道からぼたんが来る。門の外へ出るよ』
門柱の向こうへ黒い銃身が覗いた。
はじめは出口へ向けていた肩を引いた。
ニコはその間に、右手の庇へ歩いていく。
庇の横に、背丈より高い鉄板が立っていた。
厚い板の下には二本の幅広い脚がつき、壁へはつながっていない。
面は正面の門と平行。
幅も、あの門の口と同じくらいだ。
ニコがその裏へ金色の札を貼った。
庇の奥には、両開きの業務用冷凍庫も置かれていた。はじめより背が高く、扉の取っ手も太い。電源コードは上に束ねてある。
ニコはそちらの側面にも、一枚貼った。
「んじゃ、よろしく」
そばの男が鉄板を巨大な鉄槌で打った。
重い音が中庭へ響き、板に新しい窪みができる。
貼られている
もう一人がフォークリフトの車体を打つと、そちらの金色にも数字が増えた。
冷凍庫の扉にも槌が当たり、大きな窪みができる。その札にも数字。
物にダメージを与えると、数字が増えるのか。
はじめは門の外の銃を気にしながら、三か所の札を確かめた。
通りへ出てきたぼたんの顔が、フォークリフトの車体の脇に見えた。
「すいませんねぇ〜いま取り込み中なので待っててもらえますか?」
ニコが門へ声を投げた。
「うん。見えてる。でも私の方が先に追ってたんよね」
「じゃあ追うとこまでありがと。捕まえるのはニコたんがやっときますので」
「いや、横取りじゃんそれ。それはちょっとな〜。はじめは私の獲物だし」
本人を挟んで相談しないでほしい。
はじめは門までの足場を見た。
フォークは低い。
爪を一歩で越え、その脇を走れば門へ出られる。
ニコの男たちは槌を引いて、右の庇へ下がっていた。
ただ、今出ればぼたんの真正面だ。
ぼたんが短い銃を胸の前へ吊った。
「じゃ、こっちも勝手にやらせてもらう」
銃を支えていた肩がわずかに緩み、腕に沿うオーラの流れが変わった。
脇に掛けていた太い銃を手に取る。
底の弾倉を抜いてしまい、腰のポーチから別の一本を取り出した。
はじめは踏み込んだ。
撃てない間に、門を抜けて横へ。
17:50
ぼたんの手が新しい弾倉を押し込む。
薬室へ弾を送る金属音。
ぼたんの首まわりの布がほどけ、フードが畳まれた。
袖と裾が身体へ寄り、脚の動く場所が空く。
ぼたんが通りを斜めに踏んだ。
はじめが門を抜ける先へ、銃身が向く。
散弾銃だ。
低くなるだけでは、箱まで抜けない。
「やらせないよ。それはニコたんの獲物ね」
声がした時、ぼたんの銃はまだこちらへ据わる途中だった。
「《
目の前のフォークリフトが消えた。
代わりに、鉄板が現れた。
はじめは踏み出した足で止まった。
次の瞬間、板の向こうで銃声が爆ぜる。
鉄の面が激しく震え、こちら側へ小さな膨らみが幾つも浮いた。
端から削れた金属が飛び幅広い脚が舗装を擦る。
無傷ではない。
それでも、散弾ははじめまで来なかった。
裏に貼られた金色の札。その数字が一度に増える。
さっき鉄板のあった右手へ、フォークリフトが移っていた。
側面の札も、車体と一緒にそこにある。
ニコの念能力?
なんにせよ敵同士で揉めてくれるなら好都合だ。
はじめは息を吐き、門へ回り込もうとする。
「ちょっと。仕事の邪魔なんだけど」
「そう? ニコたんも仕事してるだけなんだけどね」
声のした右側へ目を向けると、丸眼鏡の奥でニコが笑っていた。
板の向こうにはぼたん。
開いている中庭側には、ニコがいる。
右の庇で、金色が光った。
「《
フォークリフトが、エンジンもかけずに動き出した。
車体ごと横滑りして、奥へ戻る道を塞ぎにくる。
重いタイヤが舗装を擦り、二本のフォークが足元へ迫った。
途中で曲がらない。まっすぐ、逃げようとした先へ。
止まれば挟まれる。
はじめは低いフォークへ左足を伸ばした。
一歩だけ足場にして、向こうへ渡ろうとする。
「《
滑ってきた車体が、ぴたりと止まった。
左足を戻す。残していた右膝を深く折り、胸だけが前へ倒れたところで止めた。
《
肩紐が食い込み箱の重さまで腿に乗る。
低い姿勢のまま右踵を回した。
左の靴を、フォークリフトではなく壁際の排水溝の縁へ置く。
顔を上げた時には、ニコが庇と、奥へ続く道の間にいた。
「そっち、戻るの? せっかく来たのに」
「お見送りはいいって!」
「いやいや。まだお迎え中なんでね。逃さないよ〜」
物で翻弄されているうちに、先に行き先へ立たれ待ち構えられていた。
見立てでは、金色の札を貼った物体を操作する能力。
発動条件は物理ダメージもしくは衝撃のエネルギーによるもの。
それを消費することで札に設定された複数の機能を発動できるようだ。
物同士を交換する瞬間移動に近いものもあった。マーキングによる放出型の要素も併せ持っている。
〈複数の機能を持たせ、自らの意思で自由に発動できる。複雑で高度で自由度の高い”発”…………相当な制約と、誓約がなければなりたたない〉
〈この手の能力の制約は同時操作の個数または操作範囲、もしくはその両方についてが一般的だけど……能力発動に自由度を持たせている分、誓約側で
『ぼたんが門の右へ移った。柱の外にいる』
はじめは門を見た。
板の右端、その向こうで靴が止まる。
次の瞬間、目の前のフォークリフトが鉄板になった。
《
門へ戻ったフォークリフトの脇へ、ぼたんが回る。車体の端から銃口が覗いた。
「ちょ、そっち開けるな!」
「じゃあ、ニコたんの方おいで?優しく捕まえてあげるからっ!」
ほんとに優しいのかよ。
はじめはフォークリフトの陰へ飛び込んだ。箱も車体からはみ出さないよう、低くなる。
散弾が前輪の周りを叩き、金属のカバーが吹き飛んだ。ガラスも割れ、運転席へ穴が増える。
「そこ壊すなって!? ニコのなんだけど!」
「いやねー。いろいろ遮蔽物やら動くと邪魔なんだって。戦場を再設定すなっ」
ぼたんが右門柱を回り中庭へ半歩入っていた。
銃口は下がらない。腰うちなのに超正確なブレない射撃がくる。
はしりながら撃たれたとしてもブレることはなさそうだ。
もう一度撃たれる前に、はじめは左手で床を押した。
足を自分の下へ戻し、車体の陰から右へ抜ける。
ニコのいる側だ。
「えっ、はじめちゃんこっち来てくれるんだ?」
「ちがう!通るだけ!」
差し出された手の外へ肩を入れ、足は庇へ向ける。
その先の大扉は閉じているが、壁沿いに回れば奥の道へ戻れる。
ニコの前腕が、はじめの肩を受けた。
硬い。
《流》で肩へ寄せたオーラごと、押し返される。
殴り合う構えではない。はじめを通さない幅だけ、肘を張っている。
その後ろで、フォークリフトの札が光った。
「足りない分はほかから持って来れんだよっ!《
鉄板の札の数字が減り、フォークリフトの方が増える。
「オラァ!《
車体がまた横へ滑った。行き先は大扉。
低い爪が、はじめの踵へ来る。
重さのある車体も、そのすぐ後ろだ。
足場を送ってくるのか。
はじめはニコへ預けかけた肩を引いた。
《
けれど右足までは戻さない。そこにはフォークリフトが来る。
左の母趾球を支点に胴を返し、右膝を引き上げた。
背中の箱がニコの腕の外を回る。
フォークが靴の下を抜け、大扉を打った。
車体までぶつかり、扉が大きくへこむ。
片方の爪が、上へ曲がっていた。
側面の札は残った。
車体に傷が増えているのに、金色の面だけは皺にもならない。
「惜っしい。今の取れたと思ったんだけどなあ」
「全然惜しくない!」
「それはこっちが決めるやつじゃん」
笑いながら、ニコが足をずらす。
また、行きたい側へ。
はじめは返事の代わりに、門へ視線を投げた。
ぼたんが右の柱から離れ、銃を構えたまま中庭の左へ渡っている。
大扉まで動いたフォークリフトでは、こちらを隠せない。
はじめが閉じた扉へ背を寄せるより先に、ぼたんの肩が止まった。
「その位置、私から見えてるよ」
はじめは腰を落とした。
銃声。頭の上で大扉が裂ける。
ニコも上体を引いた。
金の飾りのすぐ横を、扉の欠片が飛ぶ。
「うわあっぶ!クソ賞金稼ぎっ!!ニコもいるんですけど!」
「うん〜そだね。どいてくれると助かる」
「言い方!」
鉄板が消えた。
庇の前へ現れた板が、二人とぼたんの間を断つ。
代わりに奥へ戻る道へ移ったフォークリフトへ、ニコが目を向けた。
「逃がさん!《
車体がさらに中庭の奥へ直進し、来た道を塞ぐ。
閉まった扉と鉄板。
その狭い間へニコの手が伸びる。
はじめは板の脚へ乗らず、壁の下の石を蹴った。
箱の薄い側を隙間へ向けニコの手首の下を抜ける。
「器用だね〜そこ通ろうとしてんの? 箱あるのに?」
「あるから、こうしてんの!」
右腕を伸ばしたまま、ニコが笑った。
その奥で、冷凍庫の札が光る。
「まだまだこっちも手札はあるよ。《
背丈より高い業務用の冷凍庫が壁沿いの道へ滑ってきた。
車輪なんて、ない。
短い脚が舗装を削り、扉をがたがた鳴らして迫ってくる。
はじめは壁から離れた。
冷凍庫が通り過ぎ、中庭の左側で止まる。床には、まっすぐな擦り跡。
さっき抜けた隙間へ戻る道も、これで閉じられた。
車体も板も、冷凍庫も。
こんな重そうな物、いくつ動かす気だよ。
はじめは三枚の札を見る。
ニコが能力を使うと数字が減ることもわかった。
入れ替えているのは、今のところ車体と鉄板。
動く時は、どれも一直線だ。
こっちを追って曲がってくるわけじゃない。
でも、進む先をニコに見せると、そこへ置かれる。
フォークリフトの向こうへ回るふりをした。
すぐに鉄板がそちらへ移り、車体が庇へ戻る。
ニコは逃げ道を選ばせてから閉じている。
「どんどん行き場塞いでくよ〜!《
止まっていた冷凍庫が、今度は門の左側へ斜めに滑った。
さっきの擦り跡とは、別の線。
左の門柱の手前で、また止まる。
空いた門へ出ようにも、ぼたんがその向こうで待っている。
面倒なところだけ、きれいに分担しないでほしい。
『門の左、ぼたん。今は右から出る方が遠い』
「右ね」
門柱の下には、少し張り出した台石があった。
はじめはそちらへ肩を向けた。
「出口、決まった?」
ニコが鉄板の札を見て、フォークリフト、冷凍庫へ目を移す。
「じゃ、まとめていこっか。お釣りはいらないよ!《
フォークリフトが右の門柱へ向かって滑り出した。
はじめが進もうとした線を、二本の爪と黄色い車体が横切る。
はじめは足を引き、左へ向き直った。
門の手前で、車体が止まる。
次いで、それが鉄板になった。
左には、ぼたん。
止まっていた冷凍庫も、同じ直線を進み始める。
右は、鉄板。
中庭へ移ったフォークリフトまで、門に向かって直進してきた。
このままじゃ行くとこ全部潰される。
鉄板も門へ押し出される。
正面からは車体、横からは冷凍庫。
重い物が三つ、出口へ集まってくる。
間に入れば潰される。上へ跳べば箱が板より高く出る。
ぼたんは冷凍庫を避け、門の外から銃を上へ向けていた。
はじめは跳ばなかった。
右の台石へ左足の爪先を掛け、左手を門柱の角へ当てる。
身体は中庭側へ深く傾けたまま。
先にフォークリフト。後から板。
先に門の縁へ当たった車体が傾いた。
右へ突き出した曲がったフォークに鉄板の右の脚が引っかかる。
右脚だけが引き止められ左の脚は滑り続けた。
そのぶん、右の柱との間がまだ閉じない。
はじめは左肘を畳んだ。
身体を持ち上げるのではなく、柱へ胸を寄せる。
《
爪先を軸に腰を返し、箱の薄い側まで同じ隙間へ通した。
背中の角が抜ける。
右足が通りへ着く。
左手を離した直後、鉄板が門柱を打った。
フォークリフトのガードが折れ、板が車体へ横倒しになる。
冷凍庫も左の門柱へぶつかった。
扉がひしゃげ、重い音が通りへ響く。
はじめは着地の膝を伸ばさずそのまま横へ滑った。
石の欠片が残した靴跡へ降る。
「うわ、今の抜ける!?」
角へ入る前に振り向くと、ニコが倒れた鉄板の向こうから出てきた。
丸眼鏡を押し上げ、こちらへ駆けてくる。
まだ全然、諦めた顔じゃない。
「そっち、裏へ回って! ニコはこっちから行く!」
部下が二手に分かれた。
ぼたんも倒れた板の端を回る。銃口が、もうこちらへ戻ってくる。
「そっち見てる場合じゃないんよねえ。わたしもいるよ」
「分かってる!」
はじめは建物の角へ逃れた。
◇ ◇ ◇
18:17
『もうすぐそっちに到着しそう。一旦中立地帯の清掃所へ行ってそこで合流しよう。今いる道から、朝の薬局の裏へ戻れる』
「助かるぅ。ちょっと一息入れて休みたいぃ」
薬局の裏を回り、荷下ろし中の車を避けて歩いた。
入口が見える通りまで来てようやく走ろうとした。
軒先から、白い髪が出てくる。
「やっと来たねぇ」
「……あやめまでいるじゃん」
「余も用事あるんだけどね」
上着の隙間に、新しい腹帯が見えた。
腰をひねったところで一度、息を止める。
それでも刀を抜く腕には、ためらいがなかった。
「リベンジ。よろ〜」
右の刃が低くなる。
はじめは足裏を滑らせ、街路の縁石に沿って横へ抜けた。
その終わり、次の足を置く場所へ、もう一本が先に来ている。
《円》の薄い縁を、脚が掠めた。
肩を戻す。
すると最初の刀が、戻る側へ短く向きを変えた。
「器用なのはバレてるからね。言っとくけど同じ手は通用しないから」
読まれてる。
でも、いけるはずだ。
始動タイミングと組み合わせ、身体の始動順序を変えれば組み合わせは無数にある。
あとは体の経験がそれについていけるか。
はじめは《逆拍》を途中で止めた。
後ろへ返すはずの腰を落とし、まだ縁石に触れている踵へ荷重を残す。
刃が袖のすぐ外を通った。
《断拍》から《転軸》へ。
踏み出す予定だった足を、身体の裏へ回す。
背中の箱は刃へ向けず、胸と一緒に返した。
あやめが次の一歩を詰める。
腹を庇って踏幅は小さい。
それでも、もう片方の刀は次の通り道へ戻っていた。
はじめは切り返さず、両開きの扉へ向かった。
もう一太刀。
左肩を前へ送って外し、箱まで通してから入口へ踏み込む。
「ちっ……相変わらず早い!」
石の敷居を越えた。
すぐ後ろで、刀を鞘へ収める音がした。
「……あと一歩だったのに」
「その一歩は駄目なやつだから!」
「分かってるって」
あやめは扉の外で袖を直した。
◇ ◇ ◇
高い窓。剥げた庇。
大きな店名のない煉瓦の建物は、朝と同じだった。
受付台へ名前を伝え、奥の廊下へ進む。
受取、処置、修理。
札の下を、衣類を積んだ台車が横切った。
朝は、かなたの背中についていった。
今は空いている廊下を、自分で選んで歩く。
洗濯機の窓で布が回っている。
乾燥機の熱が頬に触れ、さっきまで冷たかった汗がまた滲んだ。
右へ。配送口。
取っ手を引く。
「お。今日は一発で開いた」
「二回目だからね!」
クロヱは黒い袖を捲り、処置台の布を取り替えていた。
マスクは顎の下。白と黒の髪が、顔を上げると一緒に揺れた。
「二回目でその汚れ方? どこで転がってきたの」
「転がってない。いっぱい滑ったらこうなった」
「床の汚れ集めてくるの、やめてもらっていいですか?」
はじめは椅子へ腰を下ろした。
留め具を一つずつ外し、ケースを両手で膝へ移す。
肩から重さがなくなった途端、首の付け根がじんと痛んだ。
角も蓋も確かめる。
弾の穴はない。
留め金は閉じたままだ。
ケースを膝のすぐ横の台へ置き、渡された水を飲んだ。
半分ほど飲んだところで、息をつく。
「……水うっま」
「普通の水です。はい、右手」
手の甲にこびりついた埃を洗い落とされる。
クロヱが皮膚を確かめ、顔を上げた。
「また服で拭いた?」
「一回」
「回数じゃないんよ〜」
指を動かすよう言われ、握って、開く。
問題ない。クロヱは手を拭いて離した。
頬の浮いた端も貼り直される。その間に鈴が鳴った。
「沙花叉、余もお願い。巻いてもらったとこ、ちょっとずれた」
「そっち座って。今、こっち終わるから」
あやめが隣の椅子へ座る。二刀は腰のまま、手を離した。
はじめは水の蓋を閉めた。
「さっき、こいつ、もうちょっとで切れてたんだけどな。なかなかすばしっこいよこいつ」
「だって切られるわけにはいかないし」
「余もこのままじゃ困る余」
「はいは〜い。お二人とも、大変だったのはわかるけどここでは大人しくしてね」
二人で口を閉じた。
クロヱは使った手袋を捨て、新しいものに替える。
はじめへ着替えを渡し、今度はあやめの腹へ顔を寄せた。
「巻き直すね。身体、捻らないで」
「いやだって捻らないと仕事できないじゃん」
「だったら今だけでも、じっとしてて」
はじめはケースを持ち、衝立の奥で破れたパーカを脱いだ。
灰色の新しい上着へ着替え、内ポケットへ携帯と委任状、写真を移す。
耳の通信はつけたまま。
帽子の埃を払い、残った水も回収した。
椅子へ戻ると、クロヱが靴を指した。
「底、見せて」
溝に食い込んだ石を抜かれ、浮きかけた踵の縁を確かめられる。
靴はそのまま使えると言われた。紐を締め直すだけでも、足の中のずれが減った。
あやめが台のケースを見た。
「大事に持ってるねえ」
「大事な預かり物だからね」
「余からは奪って行ったのに」
「持ち主に返すためなの!法的な正当性はこっちにあるの!」
あやめが笑い、すぐ腹を押さえた。
「まだ痛い?」
「誰がやったと思ってんの。治療費請求すっぞ」
「そっちも刀二本だったじゃん」
「一本ならよかった?」
「そういう話でもない!」
さっきまで殺されそうになっていた相手と笑った。
部活の試合後みたいな雰囲気で不思議な感覚だった。
18:24
「随分、賑やかな待合室だね」
耳ではなく、扉の方から聞こえた。
はじめは顔を上げた。
ルイが立っていた。
肩に大きなバッグを掛け片手には車の鍵。
目が合うと、その手を小さく上げた。
「ルイ姉」
「お待たせ」
「……ほんとに来た」
「来るって言ったじゃん」
そうだった。
はじめはもう一度、ルイの顔を見た。
声の主がどこにいるか、探さなくていい。
「二時間、長かった」
「だろうね。聞いてる方も、なかなかだったよ」
隣で、あやめが二人を見比べた。
「その人が、道教えてた人?」
「うん。ずっと助けてくれてた」
ルイが小さく会釈した。
「ルイです。今は付き添いで」
「余も今はお客さん。よろしくね」
「今は、が多いね、この部屋」
クロヱが受取票へ何か書き足した。
「はい、付き添いさんもお客さんも。通路、空けてね」
ルイは頷き、バッグを処置台の空いた側へ置いた。
予備の固定帯、水、包みの食べ物。
はじめのケースを奪わずその脇へ一つずつ並べる。
差し出されたパンを食べている間に擦り切れかけた固定帯が一本取り替えられた。
「車は?」
「少し離れたところ。表に横付けできる状況じゃなかった」
「乗って帰れたらよかったのに」
「車じゃ囲まれたら詰むからね。まずはその荷物を届けないと」
「分かってる。言っただけ」
腹に物が入ると、疲れまでそこへ下りてきた。
はじめは踵を床へ押しつけ、背筋を起こす。
まだ寝るところではない。
18:31
あやめは巻き直した腹帯を確かめ、受取票を手に廊下へ出た。
はじめはその足音が洗濯機の向こうへ消えるのを待った。
配送口の扉を閉め、ルイが地図を開く。声も少し落とした。
「来る前に、ここの橋を見た。出口側に二台。桐生の人も立ってた」
指が示したのは、届け先へ向かう近い橋だった。
「追いかけてくるだけじゃないんだ」
「向こうも行き先を知ってるからね。最短で走ると、待ってるところへ着く」
はじめは地図の線を指で辿った。橋の手前に水路沿いの道がある。
その道へ下りる階段は、もう一本西だ。
「ここから下りて、橋を通らない方へ回る」
「私もそっち。階段の入口までは見た。下の曲がり角から先は、まだ確認してない」
「じゃあ、そこは着いてから」
ルイが頷いた。
地図を畳み、クロヱへ精算の確認をする。
はじめはケースを背負った。
18:35
「次はもうちょっと、服きれいに使ってね」
「道がきれいだったらね」
「服のせいでも沙花叉のせいでもないからね、それ」
はじめは礼を言い、ルイと廊下を戻った。
受付で台車を一つ待ち、正面の扉の手前に並ぶ。
今朝と同じ敷居。その先では、まだ荷物を狙われる。
「行ける?」
「うん」
ルイが笑って頷いた。
はじめは肩紐を確かめ、隣の足と同じ向きに爪先を揃えた。
虎金妃笑虎(放出系能力者)
金虎堂のドン。表社会ではとらとらファイナンス及び虎金妃総合リースの社長。
放出系を主軸に操作系を併用した能力を使う。
《
【基本性能】
物体に貼った札へ、その物体が受けた衝撃エネルギーを残高として計上する。
残高は十秒につき一割の複利で増加していく。
増やした残高を、各機能の発動に使う。
札は残高が増えるほど段階が上がり、使える機能が順に解放される。
第五段階まで育つと、《一括精算》が使えるようになる。
【機能】
第一段階 《
残高を使い、札を付けた無生物を、発動時に指定した方向へ指定した距離だけ直線移動させる。
途中で曲げたり、相手を追わせたりはできない。別方向へ動かすには、改めて発動する。
車輪のない物も、地面を滑らせて動かせる。
第二段階 《
札同士で残高を移す。移動分は手数料で目減りする。
第三段階 《
事前に札を付けた二つの無生物の位置を交換する。
第四段階 《
札を付けた物体の動きを短時間制限する。
第五段階 《
複数の札を連動させ、各機能を連続・複合発動する切り札。
必要な札と残高を準備して使い、高額な手数料が生じる。
【誓約】
《手数料による自己破産》
すべての機能で、残高から手数料が引かれる。
その手数料の総額はニコ本人へ累積していく。
累計が本人の総オーラ量を基準とする会計上限を超えると、《自己破産》状態に入る。
《残高の増大による自己破産》
利息により時間経過に応じて札の残高は増えていく。
これにより時間経過は基本的にニコに有利だが、第五段階まで育った札を放置し、その札の残高が本人の総オーラ量を基準とする会計上限を超えるとトぶ。
トんだら《自己破産》の状態となる。
《自己破産》
《自己破産》状態では、体が非力なか弱い見た目の”ちびニコたん”状態となり、十二時間の強制《絶》となる。
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冒頭1〜3話
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ハンター試験・裏試験編
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発の習得編
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事件録に入ってから
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まだ判断中