そぴあが把手を最後まで倒すと、保守台の下で低い金属音が続いた。
始動の標が帰還順を刻んだ板の最初の溝へ入り、補助口を閉じたときとは違う長い振動が靴底へ伝わる。
「観測は、あと六分弱。帰り口の方を急ごう」
再会した床で出し直した《
足場を確かめたそぴあは主系の動く先を追っている。
「待てる揺れは、あと一回。その次まで残ったら帰還先を保てなくなるからね」
「では、一回で通しましょう。二人とも」
「うん。二人とも、外へ」
白い道の盤。月の裏の盤。最後の止め具。
らでんは三つの場所を記した帰路図を折り、鞄を閉じた。
そぴあの示す保守口へ向かい、棒で確かめた石へ足を置く。低い天井が頭の上を抜けた。
星空が戻ってきた。
その下を横切る白い道に、斜めの継ぎ目がある。
細い傷の脇に角を折った栞が残っていた。
拾い上げると、はみ出した渦巻きもそのままだ。
らでんは手帳の表紙へ挟み、道の先を見た。
遠くには自分たちの背中が並び、そぴあの肩のそばで小さな環が光っている。
「あの私たちにも、急いでいただきましょう」
「大丈夫。もう急いでる」
そぴあが向きを変えると、向こうの肩も動いた。
一周五十二メートルの道を十二メートルだけ逆に進む。
らでんは先へ立ち、三角に塗装の剝げた盤の前で足を止めた。
補助送りの低い腕を通り過ぎ、正面の帰還の印に対応する把手を握る。
そぴあが金具の動く先を見た。
「引いてから、右。最後まで」
引き出した把手を倒すと、重い音が壁の奥を走った。
盤の横で柵が開き、月へ続く保守口が現れる。
白い縁の脇には鳥の羽根だった銀の板が、不揃いな角度で浮いていた。
「一つ目、留まった。月の裏へ」
らでんは返事の代わりに、開いた口へ身体を滑らせた。
小さな月が行く先を塞いでいた。向こうには一人分の石の台と横倒しの盤がある。
まっすぐ身体を投げれば白い表面へ引かれる。
そぴあが試験用の重りを横へ送った。
月の縁を回り込んだ重りは奥の台へ向かい、届く前に糸が張られた。
「行きより、少し内側に入る。蹴る強さは同じで、足先を外へ」
「着きたいところを、狙わない」
「そう。その向き」
月を巡るレールへ命綱の滑車を掛け、らでんは全身に《堅》を行き渡らせた。
鞄を背へ寄せる。
重りを回収したそぴあの手がこちらの足先を示す。
手を繋いだままでは、あの盤を起こせない。
らでんは一つ頷いて床を蹴った。
月が足元へ回り込んだ。
さっきまで横にあった白いくぼみが膝の下へ来て、手すりが空に立つ。
胃のあたりが遅れて持ち上がり、鞄の重さだけが肩を別の方へ引いた。
足を伸ばして何かを探しかけ、踏み切った姿勢へ膝を戻す。
背後で滑車が鳴り、月の縁が頬のそばを過ぎた。
触れそうでも手を出さず、測って選んだ向きへ身体を運ぶ。
白い面の向こうに受け台が現れた。薄い線に石の厚みが加わり、手すりの根元が起き上がる。
らでんはそこへ目を据えて足首を返した。
「足、そこ!」
靴底が擦れた。膝を曲げて手すりを掴むと、金属の冷たさが遅れて腕まで届いた。
顔を上げると、月の向こうのそぴあがこちらを見ていた。
「着きました。盤を起こします」
横倒しの盤を小さな継ぎ金具が支えている。擦れ跡は右の支えまで弧を描いていた。
らでんは盤の縁へ両手を掛ける。
「右へ、重さを預けます」
「うん。その弧に沿って」
腕へオーラを寄せ、盤を横へ送った。
重さが支えへ移ると、継ぎ金具が緩む。
金具を抜いて盤を起こすと、月の脇に細い足場がせり出した。
そぴあは棒で足場を確かめ、命綱を送りながら近づいてくる。
《纏》は薄く一定のまま。
肩の横の中心球も進み、範囲外だった帰還標が二十八メートルの内側へ入った。
「取れた。らでんさん、その角度から少し戻して」
そぴあの示す刻みへ盤を合わせ、爪を掛ける。
重さが支えへ収まると、二人の間の足場が開いた。
「二つ目。もう手を離していいよ」
「はい。最後の止め具へ」
月の脇を戻って命綱を回収し、次の通路へ向かう。
白い目盛りが奥ほど細く詰まり、終わりのない光の帯に見えた。その奥に小さな止め具がある。
「二十メートル。端の床まで、支持は続いてる」
「では、数えません」
「うん。端へ行こう」
らでんは走った。
目盛りが次々に足の下へ入り、追いつくより速く細かくなっていく。
靴底が踏む石の幅は変わらない。
らでんは止め具の輪郭を見据え、すぐ後ろの足音とともに最後の数歩を詰めた。
光の帯が背中へ抜けた。
止め具の前へ腰を落とし、溝へ爪を押し込む。
「三つ目――」
床の奥で音がした。
銀の翼が離れた。
片方は月の上に残り、もう片方は横倒しに見える壁の向こうへ広がる。
同じ板の続きを別々の開口が違う方向へ見せていた。
手すりの先が壁に入り、その先の同じ手すりが、らでんの膝の高さから突き出している。
月の縁が二つの窓を横切った。
白いくぼみまで同じだった。
らでんは爪を押さえたまま壁側へ重心を寄せた。そぴあが支柱を掴む。
肩の横には一つの中心球があり、その周りの二十八メートルは変わらない。
隙間越しの景色が一度重なりかけ、戻りきらずにずれた。
「今のが、待てる最後。次の前に出る」
そぴあの指が止め具の向こうにある石の帰還台を示した。
らでんは爪が留まったことを確かめ、そちらへ足を出した。
◇ ◇ ◇
帰還台は保守台のすぐ裏だった。手すりの向こうに起こした説明板が見える。
星空と月と無数の白い線を通り、戻った先は壁一枚の向こうだった。
近さに息を止めかけたが、そぴあはもう低い観測窓へ膝をついていた。
らでんも隣の把手を取る。
小窓で白い球が膨らんでいる。
丸い輪郭の刻みと、その脇の『復』。
らでんは球が大きくなりきるところを見送り、小さくなる輪郭を追った。
「そっち。今」
把手を倒した。
正面の枠に灰色の床が開いた。
見慣れた厚さの壁と窓があり、明るい空の下で窓桟の汚れに細い影がついていた。
らでんは半歩寄ったところで止まる。まだ体重は渡さない。
そぴあがカメラを差し出すと、壁の銘板が画面へ入った。
別棟の受け台を示す構内番号。
持参した配置図と原図から選んだ登録先に一致している。
次に斜めの印をつけた重りを送った。
向こうで小さく鳴り、糸がたるむ。
そぴあは開口へ近づいて測り、棒を介した荷重の応答を確かめた。
「右の床へ。枠のすぐ先から、手すりの根元まで使える」
「窓の下の、灰色のところですね」
「うん。見えてるだけじゃない。そこにある」
戻した重りには、同じ印があった。カメラも帰ってくる。
らでんは重りと糸を収めながら普通の空を見た。あそこまで二人とも渡らなくては。
送り装置の爪へ向かったそぴあの手が止まった。
「……あ。そこ、重なるんだ」
隣の観測窓では月裏の枠と別の区画の目盛りが重なりかけていた。
そぴあが保存した原図を開く。
鳥にも門にも当てはまらず、『未詳』のまま外縁へ向かう一本。
「この向きからなら、次の位置が取れる。あの線、どっちへ続くのか――」
声に弾みが戻り、画面に置いた指が窓の目盛りへ移る。
らでんも顔を寄せかけた。
銀の鳥も見る場所を変えただけで翼になった。まだ見ていない形がある。
あの人は、何を見ていたのだろう。
あと少しで、自分たちもそちらを向けるかもしれない。
「あと一回だけ、ここで――」
らでんはそぴあの腕へそっと指を添えた。
そぴあが顔を上げるまで、その位置で待つ。
「私も見たい」
窓の中で二つの縁が揃うには、ここで次の揺れを待つ必要がある。
隣には灰色の床が開いていた。
「でも、帰るよ」
そぴあは帰還口を見てから観測窓へ目を戻し、まだ離れている二つの刻みを追った。
「……測るところまでは、できる。でも、そのあと渡る時間がない」
窓へ伸ばしていた指が止まった。
らでんは何も足さなかった。知りたいものへ先に目が行くところも、なくしてほしくはない。
過去の断片を拾っても次の揺れのあとに渡れる保証にはならない。
枠へ手を伸ばさず、そぴあが向きを変えるのを待った。
「帰ろう。今、ある方へ」
そぴあが画像を保存し、端末を収めた。
環が回り続けるなか、そぴあは自分で窓から離れ、観測を二人の通る床へ戻した。
「私の合図で。らでんさん、先に手すりを取って」
「はい」
腕から手を離す。
そぴあが送りの爪を掛け直すと、開口の縁がわずかに戻り、試した灰色の床と帰還台の先が揃った。
「白い線は追わないで。右の、確かめた方」
らでんは鞄を背へ寄せた。そぴあが点検棒を縮め、腰へ留める。
月が視界の端で広がった。
回ったばかりの白い縁が壁一枚を覆うほど大きく見え、別の開口からも同じくぼみが迫る。
星空は床の継ぎ目にまで流れ、その間に二人が渡るだけの床が開いている。
目が引かれ、身体までそちらへ傾きそうになる。
棒の当たった場所。重りが止まった床。
らでんは枠の右側へ腰を落とし、そこへ足を出した。
「今!」
一歩目に石があった。
見えている縁が靴先から横へずれる。追わずに決めた方へ体重を送った。
鞄が背中を叩く。
二歩目が灰色の床へ着くと膝を曲げ、手すりの根元を掴んだ。
冷たい。握った金属は横へ逃げなかった。
振り返るとそぴあはもう来ていた。中心球を肩の横に従え、自分で確かめた足元を見ている。
手を伸ばせば届く。
「こっち!」
らでんは手すりを支えにその手を引いた。
そぴあも内側の足で床を蹴り、鞄を枠の外へ送る。
三つの環が肩の後ろから抜け、最後の靴底が石を踏んだ。
二人で受け台の奥へ寄った。
らでんの背中が壁へ当たり、肩から腰まで冷たさが伝わる。
腕にそぴあの重さが掛かり、鞄が脇へ当たって少し痛かった。
その重さごと、こちらにいた。
まだ開いている枠の向こうで、景色が揃った。
月の白い縁へ銀の板が重なる。
羽根だった曲面が長い岩の斜面へ続き、門の縁がその向こうに稜線を作る。
遠い欠けた輪。
切れ目の奥の白い柱。
低く座った二人の目に、見知った月や門が遠い水の向こうへ連なる風景として映っていた。
らでんが少し顔をずらすと、一本だった白の脇へもう一本が現れた。
そぴあも肩を寄せ、同じ高さからそこを見る。
あの景色だった。
らでんが枠の断片で見て、そぴあが原図から組み立てたもの。
いまは二人とも見ている。
「……綺麗」
そぴあの声が掠れた。
らでんは頷こうとして握った指にだけ力が入った。
白い柱の向こうにも景色が続いているようなのに、そこから先を作る部材は見つからない。
あの人の見た世界の、残されたところまでだった。
その外へ細い線が伸び、知らない形の端と一瞬だけ重なる。
そぴあの指が動きかけて止まった。
星の線が一つの隙間へ寄り、月も鳥も門も重なっていく。
枠の中に暗い壁が戻った。
白い柱のあったところには継ぎ目が一本ある。
らでんは顔の位置を変えたが、何も分かれて見えなかった。
終わっていた。
隣でそぴあが息を吐いた。一度では足りず、もう一度。
らでんも吸い直すと、乾いた喉を空気が通った。
ずっと背負っていた鞄が腰へ重く落ち着く。
鳥が鳴いた。窓の外を小さな影が横切る。
見る位置を合わせなくても羽ばたいている。
風が頬へ触れ、手帳のひもとその影が揺れた。
「……二十八メートル」
「知ってますよ」
「うん。言いたかっただけ」
そぴあが天井を見た。
三つの環の向こうに普通の梁がある。
「壁が、同じところにある。違う方から見ても」
らでんが足を伸ばすと、見えている石へつま先がそのまま置けた。
「帰ってきたね」
「……帰って、きましたねぇ」
笑おうとしたら、息が先に漏れた。
そぴあも口元を緩めて壁へ背を預け直す。
肩と肩が触れた。今度はどちらもそのままでいた。
らでんは片手を離し、無線を取った。
「儒烏風亭です。宙科さんと二名、戻りました。別棟の受け台にいます」
雑音の向こうで何かが机に当たった。
名前を確かめる声と別の人を呼ぶ声が続き、もう一度二人いるかと問われた。
「はい。二人とも、こちらです」
壁の番号と接続が失われたことを伝え、正面からの入域も止めるよう頼む。
そぴあが送った帰還位置と最後の測定記録に、受信を示す表示が出た。
声も記録も外へ届いている。
再会した床での具現化から四百九十六秒が満ちた。
そぴあの肩の横で環が消え、床と壁を包んでいた円もなくなる。
らでんはそちらを見たが、今度は隣の手を掴まなかった。
そぴあが自分で満了を記し、端末を膝へ置いた。
壁も床もなくならなかった。
迎えに来る人が無線で順路を確かめていた。渡り廊下を曲がり、別棟の扉を開ければ会える。
「人の声だ」
そぴあが無線へ少し顔を寄せた。
「私たち以外の」
「はい。ちゃんと、お返事があります」
電源は切らず、二人の間へ置いた。
少しして普通の扉の向こうから足音が来た。
◇ ◇ ◇
管理棟へは廊下を歩いて戻った。曲がり角で見えなくなった案内役の背中が、曲がればまた見える。
らでんは壁へ手を伸ばさず、そぴあも床へ点検棒を当てなかった。
案内された部屋の机には、水が二つ置かれた。
報告の前に少し休むよう言い残し、担当者が扉を閉める。
そぴあはコップを両手で持ち、半分ほど飲んだ。
らでんも口をつけたが、二口目の前にコップを机へ戻した。
「そぴあさん。あの記録のこと、話しておきたいです」
相手の手がコップから離れた。
「同じ部屋の、ずっとあとのところで撮りました。そぴあさんが帰るために試して、書き直していた記録です。そこには……亡くなったそぴあさんも、いました」
そぴあはすぐには動かなかった。
それから右の髪飾りへ手を上げ、縁のへこみに指を当てた。
唇が開きかけて閉じる。机に残った水滴へ目を落とし、濡れた指をゆっくり拭った。
「……私、帰ろうとしてた?」
「はい。通れなかった道も、そのあと変えた条件も残していました。紙が使えなくなっても、別のものへ書いて。最後まで」
小さな頷きを待ち、らでんは端末を伏せたまま続けた。
「二人で戻ったあとも、あちらの刻みと髪飾りは残っていました。写真もあります。見るかどうかは、そぴあさんが決めてください」
「今日は、見ない。測った記録の方は……あとで、見たい」
「分かりました」
そぴあはコップを持ち上げずに丸い縁を包んでいた。
らでんは水を飲み、相手が顔を上げるのを待った。
「見つけに来てくれて、ありがとう」
らでんは息を吸った。
「会えて、よかったです」
そぴあは手帳の新しい紙へ日付を置き、一行空けた。
帰還。二名。
その字が終わるまでらでんは隣で見ていた。
◇ ◇ ◇
担当者が戻ってから、持ち帰った資料を机へ広げた。
机は少し狭い。それでも紙を落とせば拾える床がある。
らでんは手帳に結んでいたひもをほどき、そぴあは鞄から巻尺を出して脇へ置いた。
レイトン・ベネドだけだった帰還者の一覧に二人の時刻が加わった。
後世の入域調査者で帰還が確認できた者は三人。
その下には入った日付だけの行が残った。
らでんは観測枠と原図を現地に残したこと、説明板を起こして脇へ固定したことを記した。
閉鎖側の遺物も持ち出していない。手元には写真と照合用の記録がある。
そぴあは最後の実測値と推測した限界を分けて書いた。
レイトンについては名前を確かめたときの応答と対話を残した。
「会ったんだ。記録だけじゃなくて」
「はい。こちらの話に応じて、考え直していました。あの人も、出方を調べている途中でした」
互いに相手の入口へは出られなかった。
過去のどの時点に会ったのか、その後の本人へ会話が残るのかは確かめられていない。
そぴあ本人の経験とらでんが見た長い時間の痕跡も、別々に記す。
生きた声が返った部屋と死の残った部屋を繋ぐ仕組みは分からないままだった。
依頼元のオチマ連邦科学遺産管理局へ帰還と調査結果を報告し、設備の所在図と原物・記録の画像を渡した。
担当者から受領番号が返り、施設の管理記録にも残されることになった。
協会への報告と資料の送付を終えると、管理局を通じてV5の関係窓口からも連絡が入った。
再入域・再稼働の停止と設備・資料の保全について、そぴあが技術面を、らでんが原物と記録の所在を説明する。
制作者の渡航と帰還後の制作、後から変えられた目印と接続。
それらの根拠は渡せたが、誰が何のために目印を切ったのかは答えられなかった。
担当者が資料を受け取りに席を外すと、らでんの端末が鳴った。
パリストン。
「はい。儒烏風亭です」
『お疲れさまでした。お二人とも、ご無事で何よりです』
いつもどおりの声だった。
らでんは送付済みの資料へ目を戻した。
『レイトンさんの記録、残ってました?』
「ええ。三行の記録は、画像に残しています」
『……そうですか』
少し間があった。
『最後の観測図は、読めました?』
「いいえ。そこを確かめる前に、帰りました」
『それはよかった』
そぴあも手を止めていた。らでんは机の端の『未詳』の文字を見る。
「……何が、でしょう」
『今、こうしてお話しできていますから』
穏やかな笑い声だった。
資料の保全について短く確認し、通話は終わった。
らでんは端末を伏せる。
「レイトンのこと、知ってるのかな」
「そこも、まだ分かりませんね」
「分からないこと、増えた」
「ええ。せっかく減らしてきたところなのに」
らでんは通話を短く記録した。
実際に聞かれたことを残す。そぴあは原図の画像を二人の間へ戻した。
未詳の線はまだそこにあった。
「最後、一瞬だけつながったね」
「ええ。でも、何の縁だったのかまでは」
「私も。位置を揃えて測れてないから、形に戻せない」
そぴあの指が空いた記録欄で止まった。
「……見たかったな」
「私もです」
らでんも同じ線を見た。何に繋がるのか考えると、まだ胸が少し速くなる。
そぴあはしばらく画像を眺めてから、空欄へ文字を打った。
対応未確定。
次の配置を測る前に、退去。
「これも、残しておこう。測り忘れたんじゃないから」
「はい。ここまで調べて、帰る方を選びました」
未詳の画像は開いたまま隣へ置いた。机の上なら答えを急がなくてもよかった。
らでんは手帳から栞を抜いた。白い道で拾った紙の端に、窓からの光が当たる。
「あ、その栞」
「最初に置いたところに、ありました」
「それも帰ってきたんだ」
はみ出した渦巻きを二人で見た。果てしなく見えた道にも一周の長さがある。置いた栞まで歩いて戻れた。
らでんは栞を机へ置き、端末の動画を開いた。
銀の翼が画面に揃う。
そぴあの『いる』という声がした。
画面が上がると鳥がほどけ、低くなるとまた現れた。
立ったり座ったりする二人を見て、そぴあが自分の声に少し笑った。
「その動画、私にも送って。測った値じゃなくて、そっち」
「立ったり座ったりしている方を?」
「うん。見つかったときの方が欲しい」
仕事のために交換した連絡先へ、銀の鳥を送る。
受信したそぴあが再生すると、机の左右から少しずれて同じ声がした。
「あ、増えた」
「こちらは止めますね」
らでんが自分の再生を止める。そぴあは端末を真ん中へ寄せた。
原物は持ち帰れなかった。それでも見つけたものを二人で覗き込める。
「帰ったら、一緒に博物館へ行きたいなって、思っていたんですよ」
口にしてかららでんは窓を見た。
「……もう、帰ったよ」
「そうでした」
そぴあが吹き出した。らでんも今度はちゃんと笑えた。
「では、今度。ご一緒しませんか」
「行く。開館からね」
「おや。そんなに時間を取っていただけるんです?」
「用途不明で止まる人と、作者不詳で止まる人だから。早く入らないと、一階で閉まっちゃう」
「では、お昼も予定に入れましょう。お腹が空いたら帰るとは、お互い限りませんので」
「それ、大事。出口より先に、食べるところ調べよう」
「出口も、ちゃんとお願いします」
笑いながら二人の手帳を同じ向きへ並べた。
らでんは保存用の紙へ銀の鳥を写し始める。翼の端の小さな欠けもそのまま残した。
そぴあが下へ目の位置を描き足し、低い方へ線を引く。
「閉館の音楽には、負けましょうね」
「うん。そこは、ちゃんと帰ろう」
らでんは紙を少し起こした。
「このくらい、低く?」
「そうそう。あと、もう少し右」
紙を寄せると、そぴあも椅子を動かした。
椅子の脚が床を擦る音がした。
同じものが見えるところへ二人で寄った。
窓から入った風が、手帳の端を少しだけめくった。
らでんは帰ってきた栞でそこを押さえた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
この章ではだいぶ個人的な趣味に走った話を書かせていただきました。
ややこしい話だったと思うのですが、お付き合いいただきありがとうございました。