儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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ゴシカ・シティ編の最終話になります。
【登場人物・念能力の設定資料】
本作に登場する人物や念能力の設定をまとめた資料サイト『人物と念の蒐集帖』を公開しています。
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※ネタバレ注意:各章の終盤までの情報が含まれます。未読の章を閲覧する際はご注意ください。


第八話「同行(アカンパニー)」使用(オン)

1994年9月18日

 20:14

 

 道の先に白い灯りが見えた。

 通りの突き当たり。

 二棟の倉庫に挟まれた玄関の上に、『受領窓口』の文字がある。

 

「ゴールが見えた!」

「うん。あそこ。ただ、真っ直ぐは行けそうにないね」

 

 ルイが右目を手で覆って《鷹の眼(ホークアイ)》を使い、左目で足元を見ながらついてきている。

 少し進んだところで、ルイが言った。

 

「右の連絡路から桐生組の二人。こっちへ回ってくる」

 

 倉庫の横から、かなたが出てきた。

 遅れて、わためも道路を渡る。

 二人とも、はじめを見つけて足を速めた。

 

「そこには行かせないよ〜?」

「逃がさないよっ、はじめちゃん!」

 

 かなたが荷捌き場へ入り、柱の間へ立った。

 わためはその右。

 玄関へ近づくには、二人のいる場所を通らなければならない。

 

 後ろでも、靴音が止まった。

 はじめが振り向くと、ぼたんが外周路へ出てきたところだった。

 散弾銃を抱え直しこちらへ軽く顎を上げる。

 

「ふぃ〜、やっと追いついた」

「もう来なくてもよかったのに!」

「そういうわけにもいかんのよねぇ。こっからが腕の見せ所なんだから」

 

 ルイがはじめの袖を引いた。

 

「左へいくぞ。まずは手前の太い柱まで」

 

 二人で道路を横切る。

 すぐ後ろで銃声がした。

 荷捌き場の縁石が弾け、細かい欠片が靴の横を転がった。

 はじめは柱の裏へ入り、ルイもその内側へ収まる。

 柱の向こうから、ぼたんの靴音がこちらを追うように聞こえた。

 

 遠い交差点で、何台もの赤い警光灯が回っている。

 

「そちらへ曲がらせないでください! まだ人がいます!」

 

 キョーコの声だった。

 建物の切れ目から、歩道の人たちを別の通りへ導く姿が一瞬だけ見えた。

 同僚へ腕を振り、そのまま車の前へ回る。

 この場所が最後の戦場になることを察して、住民に危害が及ばないよう警察の応援を集結させていたのだ。

 

 次の柱までは、十歩ほど。

 かなたが、その手前にいる。

 

「そこ、狭いでしょ。出ておいでよ」

「出たら捕まえにくるでしょ」

「うんそうだね」

「会話、終わっちゃった!」

「わため!そいつらをそこから出してくれよ!」

 

 《やさしい檻(スイート・ホーム)》

 

 わための念による攻撃。

 右から、白い編みが広がった。

 わための手から伸びる柔らかな面が、柱の外側へ被さる。

 そちらを回れば、身体ごと受け止められる形だ。

 かなたのいる内側か。わための待つ外側か。

 後ろへ戻れば、ぼたんが銃を持って待ち構えている。

 

「はじめ、ぼたんは私が見る。かなたをお願い!」

「任せて。……次はどこまで進む?」

「次の柱の右側まで行って。私は左から通る!」

 

 どう倒すか、ではない。

 二人で、少しでも先に進む。

 はじめも同じ場所を見て、頷いた。

 

 はじめは柱から出た。

 かなたが足を開いて待ち構えている。

 

「よっしゃ!こいやぁ!」

 

 はじめはその左胸へ、踏み込みと一緒に全力の拳を入れた。

 

 鈍い音がした。

 当たった。

 けれど、かなたの身体はほとんど揺れない。

 押し返されたのは、はじめの拳の方だった。

 

「そんなもんかよ!もっと力いれて殴ってこいよ!」

 

 かなたの手がはじめを掴もうとする。

 握られる前に腕を引き、はじめは柱の外側へ寄る。

 その先でわための《やさしい檻(スイート・ホーム)》が膨らんだ。

 

「こっち、空けておいたよ。はじめちゃん大人しくおいで〜」

「それは空いてるって言わない!」

 

 かなたが右へ踏み出した。

 はじめと柱の間へ身体を入れる。

 戻る道を塞いでから肩を掴みにくるつもりだ。

 柱の反対側を、ルイが走った。

 かなたの目がそちらへ動き、すぐにはじめへ戻る。

 

「ルイは放っておいてもいい!はじめを抑えろ!!」

 

 分かってる。

 だから、こっちを見ていてほしい。

 はじめはかなたの手へ掌を当てた。

 押し合わず、掴む向きだけを外す。

 それでも前腕が、重い戸に挟まれたように圧される。

 すぐに離した。

 

〈パワーでダメなら、連携の隙をつく!〉

 

 そこではじめは重心をずらし、体勢を入れ替えた。

 右からわための白い編み《やさしい檻(スイート・ホーム)》が来る。

 わためが面を立て、柱へ向かって閉じようとする。

 かなたも踏み込む。

 そこの隙を狙った。スピードと身体を動かすのが器用なのは自分だ。

 かなたの突き出した腕に乗って、その上を転がるように背中に回りこむ。

 そうすることで、わために捕えられるのが、はじめではなくかなたになった。

 

「ちょっとわため、腕が絡んだ!」

「ごめん!もうはじめちゃんを掴んだかと思って」

 

 わためはオーラの編みの上端部分を持ち上げ、かなたを絡まりから解こうとしていた。

 

『左、通った! 柱の根元まで来て!』

 

 ルイの声が耳に来た。

 はじめは、かなたの腕の下へ目を向けた。

 

 《落拍(ドロップ)》

 

 支えを抜き、片手が地面へ届く高さまで身体を落とす。

 かなたの指が帽子の上を通った。

 柱の根元の硬い舗装へ、片足を踏み留める。回転を止める。

 決めた向きへ地面を蹴った。

 

 《滑走(グラインド)》

 

 足裏の薄いオーラへ重さを渡した。

 柱をかすめかなたの横を抜ける。

 掴みに来た手が下がったときには、二人の間へ柱が入っていた。

 

「ちっ、抜けられた!」

 

 ルイが、一つ先の柱から腕を出している。

 

「来た!」

「良くやった!」

 

 笑う息が、二つ重なった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 20:20

 

 ルイが足を止める。

 

「壁の先にいるな」

 

 はじめにも見えた。

 赤い角。二本の刀。

 柱の陰から出てきたあやめがこちらへ身体を向けた。

 着物の合わせ目から腹を巻く白い帯が覗いている。

 

「ルイもはじめと一緒に来るんだ」

「そっちこそ。ってかさー、もう今日1日で何回もはじめとやってるでしょ。もう少し休んでてもよかったんじゃない?」

「余、まだ仕事終わってないし!」

 

 あやめが笑った。

 刀を下げるつもりはないらしい。

 

「じゃ、決着つけますか」

 

 はじめは石壁の外へ一歩出た。

 右の刀が来る。

 胸の前を横切る刃を、身体を引いて外した。

 戻しかけた足の、その先へ、もう一本が伸びている。

 

 違う。

 今いる場所を追っているんじゃない。

 さっき足を置いていた場所。そこへ身体が戻ってくるのを、左の刀が待っている。

 

 はじめは、引きかけた足を最後まで戻さなかった。

 石壁の付け根。元の位置より半歩前へ置く。

 その足だけ、靴底を舗装へ噛ませた。

 

 《転軸(ピボット)》

 

 引き戻す重さを、横へ回す。

 頭だけを逃がさず、背中の箱まで一緒に向きを変えた。

 刃が灰色の袖を薄く裂いた。

 肌へ届く前に、身体が石壁に沿って抜ける。

 

 あやめが追ってきた。

 一度外して終わりにはしてくれない。

 

「あはっ、すんごい体勢から体起こして動けるんだね」

 

 はじめは石壁に沿って進んだ。

 外へ振れば、あやめ。

 後ろでは、かなたの靴音が近づいていた。

 立ち止まっている暇はない。

 

『壁の内側が空いてる。次の柱までつながってるよ』

 

 ルイはもうその内側を進んでいる。

 はじめは壁へ手を伸ばしかけたが、あやめがそこを狙いに切りかかってきている。

 すぐに引いた。

 

「そこも、見えてる余」

「分かったって!」

 

 はじめは壁から半歩離れた。

 あやめがついてくる。刀はまだ壁を向いている。

 

 はじめは跳ばず踏み込んだ。

 

 刃が回りきる前にその肘の近くまで入る。

 掌を前腕へ添え刀を壁の上へ押しやった。

 押さえ込もうとはしない。

 もう一本が来るまでに、離す。

 

 その間、追いついたわためが壁の前で足を止めたはじめに《やさしい檻(スイート・ホーム)》を放った。

 横からのわためのオーラが、あやめの前を塞いだ。

 

「そこ、余の邪魔になるんだけど」

「うん。通ってほしくないんだよねぇ」

 

 柔らかい声だが、わためも譲る気はないらしい。 

 はじめは、その二人の間から離れた。

 

『ぼたんの射線に入らないよう注意して!壁を越えたら、そのまま柱まで!』

 

 今度こそ、はじめは石壁へ手をついた。

 走る勢いを使い両足を内側へ送る。

 着地すると手を離して走る。

 白い面が壁の外を塞いだ。

 あやめが回り込むには、その端を避けなければならない。

 

「っ、邪魔!」

「これじゃおしまい屋さんだよっ!」

 

 振り返っている余裕はない。

 白い面が戻る前に、次の柱へ。

 はじめはルイのいる方へ走った。

 

『狙われてる!着いたらそこで止まって!』

 

 最後の一歩を、陰の中で止めた。

 すぐ先の路面へ散弾が当たる。

 ぼたんが外周路から荷捌き場へ入り、右のコンテナを背に構えていた。

 柱から出た瞬間を取る位置だ。

 

「おーやるね。こっちの狙いどころちゃんとわかるんだ」

「教えてくれる人がいるからね!」

 

 ルイが右目から手を離し、石壁に手をついて低い段差を越えた。

 

 かなたの靴が、壁の外で止まった。

 

「ほんっっと、ちょこまかとよく抜けていくもんだ」

「そろそろ褒めてくれてもいいんだけど?」

「褒めるわきゃねーだろ!」

 

 白い編みが、わための手元へ戻っていく。

 あやめも追い込んではこなかった。二本の刀を身体の近くへ戻し、こちらの出方を見ている。

 はじめはルイと目を合わせた。

 誰も引いてくれそうにない。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 20:25

 

 かなたが、空のコンテナのフチを掴んでいる。

 持ち上げた端を引き空き地から車路へ出す。

 

「だったら、バリケードつくっぞ。それでガチガチに固めて行けないようにしてやる」

 

 かなたはコンテナを置いた。道がどんどん防がれていく。

 残る隙間は、左右に一つずつ。

 左の狭い方には、かなた本人がいる。

 右へ回るには、あやめがいた。

 

「かなたがバリケード作ってくれるなら、ここで待ってる方がよさそうだね」

 

 刀を下げたまま、足を止める。

 

 わためはコンテナのこちら側へ寄った。

 片方の白い面が、かなたのいる隙間の脇へ広がる。もう片方は、コンテナの上の縁へ。

 跳んで越えれば、着く前に受け止められる。

 両方とも見える。今度はかなたの腕と重なっていない。

 

 ぼたんは、コンテナが動く前に道路側へ退いていた。

 新しい弾倉を差し込み、銃を構え直す。

 

「銃使う側からすると、出入口を防がれるのは困るんだけどなー」

「じゃあ、こっち来なきゃいいだろ。外から狙って撃つようにしろよ」

 

 ぼたんは後ろへ歩いた。

 柱と石壁の隙間を、横から見られる場所まで。

 銃口の先にははじめ、その向こうには荷捌き場の古い柱がある。白線の内側へ撃ち込む角度は取らなかった。

 

 はじめは、柱の左へ足を出した。

 かなたは追ってこない。

 コンテナの縁を少し押し出し、残った隙間を狭めるだけだった。

 戻って右を見る。あやめが、刀を一本立てた。

 

『待って。その向こうは、ぼたんの射線上だ』

 

 ルイの声で、はじめは柱の陰へ足を戻した。

 直後に、柱の右脇で舗装が弾ける。

 ぼたんは、あやめの横へ抜けてくるところを狙っていた。

 あやめも撃たれる位置までは追わない。

 その手前に刀だけを残す。

 

「いまの銃撃、余のすぐ近く撃ったでしょ」

「心配しなくても誤射しないよ。気をつけてくれてれば大丈夫だって」

「余が合わせるんかい」

 

 軽く揉めてくれてはいる。

 でも、相手も連携ができてきている。

 かなたの手を外せば、わための念。

 反対へ渡れば、あやめが刀で来る。

 柱から離れて回ろうとすると、ぼたんの射線だ。

 

「左の側道は?」

「業務棟の裏へは出られる。でも、館に入る道はここだけだ」

 

 ルイが答えた。

 その先も見てくれている。見落としていた近道があるわけではない。

 はじめは石壁の端から、もう一度玄関を見た。

 

 コンテナの向こうで人が動いた。

 白線の少し手前。

 倉庫の角から大きな影が一歩出る。

 

 桐生ココだった。

 

「いやぁ。お前らよくここまで来たなぁ」

 

 楽しそうな声だった。

 こちらを見る目がはじめの顔から肩越しに覗くケースへ移る。

 それで、まだ諦めていないと分かった。

 ココは白線を越えずそこに立った。

 

 はじめは玄関から目を離し、ルイへ顔を寄せた。

 

「ルイ姉。また敵が増えた。このままじゃ左右から押し込まれて捕まる」

「うん」

「あのコンテナの前で止まらずに、正面へ抜けたい。はじめがこっちを引きつけるから、二人で通れる隙、作ってくれない?」

 

 ルイがコンテナを見た。

 次に、背後の側道。

 その先に見える業務棟の外階段へ顔を向ける。

 はじめもそちらを見た。

 石壁の裏を少し戻れば階段のある細道へ入れる。

 外周路を横切る必要はない。

 今いる場所から近い。

 

 ルイの手が、右目から下りた。

 

「一分だ!一分間時間稼いでくれ」

 

 迷った声ではなかった。

 はじめは頷いた。

 

「一分。おっけー!」

「ここから準備に集中する。次に呼ぶまで、そっちは任せるよ」

「任された。行ってきて」

 

 はじめは柱の右へ半歩出た。

 ぼたんの銃口がこちらを追う。

 はじめはすぐに陰へ戻った。

 反対側で、ルイが走り出していた。

 石壁の端から側道へ。

 右目に手を添え直し、左目で行く先を見ている。

 

『じゃ、一分後』

 

 耳の声が途切れた。

 

 はじめは柱の縁から目を離さず、息を吐いた。

 わための《やさしい檻(スイート・ホーム)》が、石壁の上へ折れてきた。

 さっきまで隙間を塞いでいた面が、今度は柱の裏まで包もうとしている。

 背中を壁につけて待っていれば箱ごと挟まれる。

 

「ルイが何かしようとしてるみたいだけど、それまで捕まらずにもつのかな?大丈夫そ?」

 

 はじめは柱の右へ寄った。

 道路の向こうで、ぼたんの肩が銃床へつく。

 足を引いた。

 柱の縁が鳴り、跳ねた欠片が頬を掠める。

 《やさしい檻(スイート・ホーム)》は、その間にも下がってきた。

 上にも右にも、逃げる場所はない。

 左へ出る。

 かなたがコンテナの端を押した。

 鋼の底が鳴り、残っていた通り幅が肩も入らないほどに狭まる。

 はじめは止まらず、柱の周りを小さく回った。

 伸びてきた手を柱で遮りそのまま石壁に沿って後ろへ二歩。

 《やさしい檻(スイート・ホーム)》が、さっきまで頭のあった場所へ被さった。

 

「戻るの? 入口、あっちだけど」

「知ってる!」

 

 かなたは追わない。

 速度でかなわないと理解し、間合いに飛び込んでくるのを待つつもりだ。

 片手をコンテナに残してはじめが戻ってくる方を見ている。

 前へ行けないからといってここで捕まっていいわけじゃない。

 はじめは壁に沿って走った。そこにあやめが来る。

 

「今度は余が、そっちに行くね」

 

 あやめが右の通過口を離れて壁の外を斜めに詰めてきていた。

 一本は胸の高さ。

 もう一本は、はじめが身体を落とせば腿へ届く低さ。

 さっきと同じように潜れば、下から返す刀で切られる。

 はじめは低くならず、石壁へ片手をついた。

 あやめの目が、その手へ動く。

 

 跳び越さない。

 壁の上へ片足だけを置き、走ってきた重さをそこで止める。

 

 《断拍(ブレイク)》

 

 胸の前を刃が抜けた。

 はじめは壁の内側に残した足へ、すぐに重さを返した。

 低い刀が追ってくる前に、壁の上から手も足も離す。

 あやめが、踏み込む向きを変える。

 

 その後ろで、《やさしい檻(スイート・ホーム)》が持ち上がった。

 わためがコンテナの上に残していたオーラを引き戻し、はじめの頭上へ送り直している。

 低い面と、高い面。上下からの挟み込み。

 そのまま走れば、今度こそ挟まれる。

 

 はじめは手前の柱へ向きを変えた。

 柱の根元には靴一足ぶんの舗装が出ている。

 その先は白い面の下だ。

 そこへ足を突っ込むのは、なし。

 根元を踏んで外へ回ろうとしたところで、あやめの刀が先回りした。

 止まる。

 止まった分だけ、背中の白い面が近づく。

 

「もう、その先はいけないでしょ。完全におしまい屋さんだよっ」

 

 はじめは目だけを下げた。

 右の靴先に、《やさしい檻(スイート・ホーム)》が触れている。

 引けばわためのオーラに捕まる。足を上げれば、あやめの刀が迫る。

 

 はじめは、その足で《やさしい檻(スイート・ホーム)》を押した。

 柔らかく沈む。踏み切れる地面ではなかった。

 だからそこへは重心を渡さない。

 壁の上へついた掌と、柱の根元に残した左足。

 その二つで身体を支え、右足だけを《やさしい檻(スイート・ホーム)》の内側へ少し押し込む。

 

 蹴った。

 壁についた手を離し、身体を横へ送る。

 背中の箱が柱へ当たらないように胸を外へ向けたまま。

 《やさしい檻(スイート・ホーム)》が足元で閉じる。

 あやめの刀が、着地したはじめの肩紐へ向き直る。

 

 銃声がした。

 はじめが踏もうとしていた舗装の先で、小石が跳ねる。

 ぼたんをみるのが遅れた。

 身体を柱へ寄せる。

 箱の角を追って飛んだ欠片が石に当たった。

 ぼたんも後ろへ移っていた。

 

「みんな近いんよ。もうちょっと離れてくれない?」

 

 ぼたんの返した声に、かなたの踏み込みが重なった。

 

 はじめの腰から抱え込むつもりだ。

 はじめは跳ばず、片足を柱の向こうへ置いた。

 かなたの掌が上着を押す。

 腰が持っていかれる前に足裏を滑らせる。

 

 《滑走(グラインド)》

 

 腕の下を身体が横へ流れた。

 柱の反対側へ出たところで、ぼたんの銃の前だ。

 そして、あやめが壁の端へ来ていた。そこには刀の切先が光る。

 

 はじめはそちらを見て、フェイントを入れるため一度だけ踵を浮かせた。

 あやめはもう釣られない。

 

 なら、今はそこへ戻らない。

 かなたの身体が銃口との間へ割って入ってきた、短い間ができる。

 盾になるわけではない。

 かなたはすぐにこちらに向かってくる。

 その手が届く前にはじめは柱から離れた。

 

 目の前に折れた石壁がある。その内側へ、横向きに滑り込む。

 わためは柱を回りこんで、こちらへ向かってきていた。

 かなたとあやめも、その向こうだ。

 

 それでも玄関までは、鋼の箱が塞いだままだった。

 息を吸う。詰将棋の終盤みたいだ。一手間違えると詰みの状況。

 次は、どこへ。

 

『はじめ、柱と壁の内側! 箱ごと伏せて!切(・)り(・)札(・)を使う』

 

 声が戻った。

 一分。約束の声だ。

 はじめは膝を折り、石壁の陰へ頭を入れた。

 

『右端、周辺も奥も人影なし!施設から外れてる。撃つよ!』

 

 筒の向きは玄関ではなく、車路へ張り出したコンテナの端を斜めに横切っていた。

 その先は、元々コンテナがあった空き地。

 ココの立つ白線からも外れている。

 はじめは頭を下げ、首の後ろまでオーラを保つ。

 

 腹の底へ、衝撃の音が来た。

 石壁の向こうで鋼が裂ける。

 細かいものが柱を叩き背中の外側を風が走った。

 はじめは動かなかった。箱も、持ち上げない。

 重い金属が地面へ倒れる音を聞いてから、目を上げる。

 

 コンテナの右端が内側へ潰れていた。

 千切れかけた側板が斜めに垂れ、その横に向こうの舗装が見える。

 遠くの路肩へ回らなくても抜けられる。

 人が箱を背負って通れる幅が、一本。

 

『切り札って迫撃砲!?どこから撃ったの?』

『こうなることもあろうかとビルの上にわんさか仕込んでたっての!もう撃ち尽くしたからね! 粉で奥が見えない。足元、任せるよ。私も降りる!』

 

 わためのオーラが、粉塵の下から出てきた。

 わためは倒れていない。

 柱の向こうを回り、開いたところへ急いでオーラの面を伸ばそうとしている。

 刀を立て直すあやめも見えた。

 はじめは二人から目を離さず、柱の外へ出た。

 

 舗装の上には薄い金属片が散っている。

 右から銃口が向いた。

 はじめは開口へ飛び込まず、残ったコンテナの角へ身体を寄せた。

 外側の鋼板が鳴る。

 ぼたんが撃ってきたのだ。

 

「止まったね」

 

 かなたの声。

 背後の白い面の下から、靴が出てきた。

 はじめは床の欠片を蹴り退け空いた舗装へ踏み込む。

 肩紐をかすめるものがないことを確かめ、向こう側へ抜ける。

 

「銃を下ろしてください!」

 

 右後ろから声が来た。

 外周路の角で警光灯が回っている。

 キョーコが同僚と一緒に、車を遮蔽にしてこちらへ寄ってきていた。

 

「交差点は応援に引き継ぎました。退避はこちらへ! 奥へ人を入れないで!」

 

 同僚が道路の入口へ腕を振る。

 キョーコは銃を構えたぼたんへ、もう一度声を張った。

 

「その二人へ銃を向けるのをやめなさい!」

「うわ、今来る?」

 

 ぼたんの銃口が下がる。

 降参ではなかった。

 警官を射線へ入れないように横へ動き、もうコンテナの切れ目を見直している。

 数秒。

 はじめは、その間にコンテナの奥側へ走った。

 白線の前でココが一歩出た。

 

「はじめちゃんやるじゃないの。この一瞬が最後のチャンスだね。じゃ、最後に相手してもらおうか」

 

 ココが殴りかかってきた。掌が来る。

 胸を押さえ、そのまま止める高さ。

 はじめは前腕へ《流》を寄せ、斜めに受けた。

 まともには受けていない。

 それなのに靴底が鳴り、身体が横へ押し出される。

 箱の重さが、遅れて肩紐を引いた。

 

 一発が重い。

 

 かなたとも違う。

 逃がしたつもりの方向へ次の手がもう出ている。

 押し返すために足を止めれば、その場で掴まれる。

 はじめは腕を離しもう半歩だけ退いた。

 

 

 ココは白線を背にしている。

 玄関へ向かって左には石壁の終わり、右にはコンテナの奥側。

 どちらにも通れる幅はある。

 人ひとりの身体で、両方をずっと塞いでいるわけじゃない。

 はじめが片方を選ぶたびに、そこへ先に入ってくる。

 

 石壁の裏から出てきたルイが同じ開口へ身を寄せていた。

 階段を下り、あの側道を戻ってきたのだ。

 その背後で、あやめの刀が粉塵から覗いた。

 ルイが垂れた側板の薄い切れ端を靴で押した。

 揺れていた金属が落ち舗装の粉を巻き上げる。

 刀は止まらず板の横へ向き直った。

 ルイはその間に、破れ目の向こうへ抜ける。

 

『後ろから来てるよ!抑えるけど長くは止められないからね!』

『うん!』

 

 ルイはコンテナの奥側へ回った。

 はじめから数歩のところ。

 目が合った。

 

 石壁側へ回るかなたも見える。

 わためはコンテナの外を回り込み、後ろへ退く幅を削っていた。

 ぼたんの靴音がまた横へ動く。

 もう、決着をつけるしかない。

 

 ココの目は、ルイをちらっと見た後すぐにはじめに戻ってきた。

 はじめは、ココの足と白線を見た。

 今日は、この人に助けてもらった。

 でも、それは箱を渡していい理由にはならない。

 届け先は、あの玄関だ。

 

「ルイ姉。らでん。いくよ」

 

 はじめは左へ踏み込んだ。

 石壁の終わりとココの間。

 ココもそちらへ足を出す。

 身体を入れ、はじめの右肩へ手を伸ばした。

 肩紐を掴めば身体と箱を一度に止められる位置だ。

 コンテナの陰で、ルイが腰を上げた。

 はじめは肩を引いた。

 ココの指がその軌道を追ってくる。

 そこで、引ききらない。

 

 《逆拍(リワインド)》

 

 引いた肩を、今たどったところへ戻した。

 逃げ続けるはずだった肩紐が閉じる指の手前から消える。

 前へ出した右肘がココの手首の下を通った。

 そのまま押し上げようとはしない。

 触れたところだけ厚くしたオーラを、足へ渡す。

 壁際の舗装を、左の靴底が捉えた。

 

 《転軸(ピボット)》

 

 肩を戻す動きが、そこで回転へ変わった。

 足の位置は遠くへ逃がさない。

 近くに置いた軸の周りで、胸と背中の向きを入れ替える。

 ケースの広い面を、ココへ向けたままにはしない。

 薄い側を隙間へ通す。

 

 ココの足が石壁側へ踏み替わる。

 ルイの靴音が、そこへ飛び出した。

 はじめは目を戻し、箱へ迫る掌を見る。

 ここで回り終われば背中を掴まれる。

 きれいに立ち直るための一拍は、いらない。

 

 《継拍(トランジション)》

 

 回転の終わりを、前へ運ぶ一歩へ渡した。

 先に出たのは顔でも拳でもなく、ケースの角だった。

 背中を寝かせ肩から箱までをひとつの斜めにする。

 ココの掌が閉じる、その下へ薄い側が抜ける。

 踏んだ足は止めない。

 次の足が、もう玄関を向いている。

 ココは、まだ諦めていない。

 はじめは、その手の届く先からもう半歩を取る。

 同じ穴を通ってきたルイが、今はココの反対側を走っている。

 はじめは、あと一歩を足した。

 

 もう少し!白線の内側へ!

 

 玄関へ駆け込み、振り向く。

 ココの掌が横へ返った。

 けれど、そのときにはルイも白線を踏み越していた。

 伸びた指が、線の外で止まる。

 それから二歩、三歩。

 数秒遅れて、ルイが同じ玄関へ飛び込んできた。

 はじめはその袖を掴み、扉から離れた。

 ガラスの向こうで、ココが手を下ろす。

 後ろから来た刀も、銃口も、白線を越えてはこなかった。

 

 

 通った。

 

 二人とも。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 20:28

 

「っしゃあ! ルイ姉ぇ。怪我してない?大丈夫?」

「大丈夫だよーほぼ無傷。はじめは?」

「箱、ひとつ」

「はじめの身体を訊いたんだよ」

 

 ルイは笑った。

 はじめは息を吐き、左腕を上げた。

 袖の裂け目から覗く肌に、血はない。さっき掌を受けた手も平気だ。

 ルイの上着は粉を被っていた。

 本人が裾を払い、はじめの肩に積もった白い粉も落としてくれる。

 

 窓口の担当者が、二人の前へ来た。

 

「お疲れ様です。この度はお持ち込みの件でよろしいですか」

「はい。《夜明けの蝉》です」

 

 答えてから、はじめは通信機でらでんを呼び出した。

 二度の呼び出し音の後、聞き慣れた声が来る。

 

『はじめ?』

『無事に着いたぞー!ルイ姉も一緒にいる』

『二人とも。よかった……。こちらの手続きも無事に済んだよ。窓口には話を通してあるから、委任状と取り返したものを提出してね』

『了解。ちゃんと預けてくる』

 

 はじめは内ポケットから委任状とハンターライセンスを出した。

 担当者が書面を確かめ、机上の記録と照らす。

 差し出された台へ、ケースを下ろした。

 はじめは足を揃え、台の上の箱を見た。

 

「現物を確認いたします。開封してよろしいですね」

「お願いします」

 

 担当者が留め金を外す。

 ここまでずっと守ってきたものを今はその手に任せる。

 蓋が開いた。

 

 《夜明けの蝉》は、梱包材の中に収まっていた。

 

 担当者が照合票の写真と見比べ、向きを変えて細部を確かめる。

 はじめは口を挟まず、その指の動きを見ていた。

 

「照合一致。損傷も認められません」

 

 そこでようやく、隣のルイと目を合わせた。

 ルイが、小さく頷く。

 確認欄へ署名する。

 品と運搬ケースは、そのまま施設で保管することになった。

 担当者が蓋を閉じ受領記録を確定する。

 戻されたライセンスと委任状に、受領控えが一枚加わった。

 

「正式に受領いたしました。お預かりします」

 

 控えには、9月18日、20時35分。

 品名も、受領済みの文字もある。

 はじめはそこを指で押さえ、もう一度読んだ。

 

 やっと終わった。

 

「やったー!終わった!」

 

 思わず声が出た。

 ルイが横から覗き込む。

 

「受領完了になってる。これで安心だね」

 

 はじめは受領控えを丁寧に畳み、内ポケットへ入れた。

 

     ◇ ◇ ◇

 20:35

 

 窓の向こうにいる、かなたと目が合った。

 不満そうな顔をしながらも、腕は組んだままだった。

 マフィアがどんどん建物の前に集まってきており、警察車両もどんどん増えている。

 このまますんなりと帰宅しますさようならとはいかないように見える。

 

「……《蝉》なくても返してくれないかも」

「そういう顔してるね」

 

 ルイが隣に並ぶ。

 はじめが玄関の扉を少し開くと、外の声が一度に入ってきた。

 車のエンジン。誰かを呼ぶ声。

 遠くで、停める場所を言い合っている人たち。

 さっきまで走ってきた通りに、また別の車が入ってくる。

 先に着いた一団とは違う上着の男たちが、倉庫の前へ散った。

 白線のすぐ向こうで、ココが片手を上げて話しかけてきた。

 

「お疲れ〜はじめちゃん。ちゃんと《蝉》預けられた?」

「預けたよ。無傷だった」

「そっかぁ。そりゃ、よかった」

「本当にそう思ってる? 全然よかったって顔じゃない感じだけど」

 

 ココは笑った。

 はじめは扉の内側に立ったまま、足を動かさなかった。

 

「で、受け渡しも終わったし用事もおわったし出てくるんだろ?」

「どうしようか考えてる」

「帰り際に、ちょっとお姉さんとお話ししようや」

 

 かなたの横から、わためが顔を出した。

 

「はじめちゃん、もう用事ないんだねぇ」

「うん」

「じゃあ、今度こそ持ちやすいね」

「何を?」

「はじめちゃん。もう掴んだら逃さないから」

「何も解決してない!」

 

 わためは柔らかく笑っている。

 少し離れた倉庫の角では、あやめが片方の刀を鞘へ戻した。

 もう一本を収めるとき、腹に添えた手が止まる。

 そのまま壁へ背を預けたが、こちらを見る目は逸れなかった。

 休んでいても、待っている。

 

 通りに停まった車から、莉々華が降りてきた。

 車内へ何か言い置き、携帯を持ってココの側へ来る。

 

「会長〜!ほんとにはじめちゃん入っちゃったんだ。え、もう受領も終わってる?」

「残念だけど終わったよ。ホームページでも確認した」

「手際いいね〜さすがゴシカの競売所」

 

 莉々華が口を尖らせる。

 ココは玄関の奥を見た。ケースが運ばれていった方だ。

 それから、莉々華の携帯へ顎を向けた。

 

「共同の懸賞、止めよっか。受領確定したって回して」

「全体の方ね?」

「そう。今さらこの子に払う額じゃないでしょ」

 

 はじめは眉を寄せた。

 

「はじめにはなんか一言ないの?」

「賞金首には関係ないでしょ。もう捕まえても《蝉》付いてこないんじゃ、高い買い物だっての」

「じゃあ帰っていい?」

「それはこれから話するところだろ?」

 

 ココの笑顔は変わらない。

 

「命までは取らないって。あんた、ウチ来ない?」

「今の二つ、なんでつながるの!?」

「気に入っちゃったんだよねぇ。自分の組、持ちたくない?」

「帰りたい!」

「じゃ、まず出てきて話そっか」

「聞いてた!?」

 

 この人の用事は、箱と一緒には終わってくれないらしい。

 

 莉々華が携帯を耳へ当て、白線に沿って歩き始めた。

 途切れ途切れに、受領済み、共同登録、取消、という言葉が聞こえる。

 その向こうでも車の扉が閉まった。

 降りた男が窓を指し、もう一人が建物の奥へ歩いていく。

 玄関を待つ人だけではなくなっていた。

 

「どんどん人が増えてる」

「懸賞が止まっても、この人たちの用事までなくなるわけじゃないからね。面倒だけどここでたらもう一戦かなぁ。領事館か空港までの逃走ルート考えないと」

 

 ルイはそう言って自分の携帯を出した。

 莉々華の通話が終わってから少し。

 ルイも別の相手を呼び出し、短く確認を取った。

 

『共同登録の方。うん、取消が回ってるはず。……全部ね。ありがとう』

 

 通話を切り、はじめへ画面を見せる。

 登録の状態が、取消済みに変わっていた。

 

「全十一組連名。窓口でも確認取れたよ」

「ほんとに?」

「そこはちゃんとやるってば」

 

 莉々華が外から口を挟んだ。

 少し後ろでぼたんも携帯を見ていた。

 片手で操作し、画面をしばらく待つ。

 それから銃口を下げた。

 

「はい、こっちも確認。じゃ、私の仕事はここまで」

「帰るの?」

「帰るよ。仕事なくなったし」

 

 銃を掛け直す手つきまで、さっきと同じだった。

 慌ててもいないし悔しそうにもしていない。

 ぼたんははじめを見て、軽く手を上げた。

 

「最後、惜しかったなぁ」

「全然惜しくない!」

「こっちからだと、惜しかったんよ。じゃあ今日は1日お疲れさん」

 

 笑って人の輪から離れていく。

 通りの手前で警官に声を掛けられ、そちらへ顔を向けた。

 もう、はじめを狙える位置へ移ろうとはしなかった。

 

「……一人、減った」

「そこは喜んでいいと思う」

「他も帰ってくれていいんだけど」

 

 言ってみた。

 かなたが、白線の向こうで片足を踏み直す。

 

「僕はまだいるけどね」

「見えてる!」

 

 莉々華が携帯をしまいながら、こちらへ身を乗り出した。

 

「結局、私のデスゲームには参加してくれないんだ?」

「もうおなかいっぱいだって!」

「帰してあげないとは言ってないじゃん。賞金も出すよー」

 

 通りの反対側から、キョーコが歩いてきた。

 同僚が一人斜め後ろについている。

 さらに奥には警察の車が増え、道路へ出かけた人を別の警官が呼び止めていた。

 キョーコは外の面々を見渡し玄関のこちら側へ目を向けた。

 

「お二人とも、ご無事ですか」

「うん。キョーコたちのおかげでこちらも動きやすかった。おかげで無事にこれ、届けられた」

 

 はじめは内ポケットから受領控えを出した。

 広げると、紙の端が外の風で少し震えた。

 キョーコが品名と受領欄を見て、頷く。

 

「確認できました。怪我は?」

「動く。袖は、ちょっと駄目になったけど」

「目立った外傷はなさそうですね。それであれば良かった」

 

 左腕を上げる。

 キョーコの目が裂け目へ動いたところで、はじめは続けた。

 

「さっき、ありがとう。あそこで声掛けてくれなかったら、ルイ姉も間に合わなかった」

「助かりました。二人とも」

 

 ルイが隣から言う。

 キョーコは一度、息を吐いた。

 

「それなら、よかったです。市民の安全と治安と街を守るのが警察の仕事ですからね! ちなみに帰る手段はありますか」

「ある。二人で帰るよ」

「本当に大丈夫です?どんどんそっち系の人たちが集まりつつありますけど?反社のゆすりには耳を貸さなくていいですからね?!」

「うん。そこは大丈夫」

 

 キョーコは細かな説明を求めなかった。

 代わりに、後ろの同僚へ顔を向ける。

 

「こちらのお二人の無事は確認できました。引き続き、出入口の確保をお願いします」

 

 同僚が頷き、通りへ戻っていった。

 

「武装した人の確認も、周辺の誘導も、応援と分担しています。こちらは私たちで。安全な所へ着いたら、一報だけください」

「分かった」

「最後まで、気をつけて」

 

 はじめは紙を畳んでしまい、キョーコへ手を振った。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 20:45

 

 内部階段の最後の踊り場で、係員が扉を開けた。

 冷たい風が頬に触れる。

 はじめは帽子を押さえて、屋上へ出た。

 

 玄関の奥に続いていた保管ホールは、上から見ると随分大きかった。

 屋上は縦も横も50m近くある。中央は平らに空き、低い設備は縁へ寄せられていた。

 後ろから、ルイと係員が出てくる。

 

「ここも管理区域です。外への攻撃はなさらないでください」

「しないです。帰るだけなんで」

 

 答えると、係員は頷いた。

 屋上を使いたいと言ったときも、同じことを確かめられた。

 下の人たちが勝手に入ってきていい場所ではない。

 だからといって、こっちから何をしてもいいわけでもない。

 

 ルイが階段口の脇から、下を覗いた。

 はじめも隣へ行く。

 

 玄関の前だけだと思っていた車が、建物の脇にも並んでいた。

 角を挟んだ向こう側には、別の一団。

 倉庫の窓からも、こちらを見上げる顔がある。

 通れそうな隙間へ目を向けるたび、その先で誰かが動いた。

 

「うわ。どんどん人も車も来てるじゃん」

「はじめちゃん人気者だねぇ」

 

 下から、声が飛んできた。

 

「おーい!観念しておりてこいーー!」

 

 ココだった。

 玄関から少し離れ、こちらを見上げている。

 その脇で、かなたも顔を上げた。

 

「飛び降りるなら、僕が受け止めるからな!そんではなさねぇから!」

「わためもいるよーー!」

 

「受け取り窓口、多すぎない?」

「学校へ行こう!ってテレビ番組思い出すよね」

 

 はじめが言うと、ルイが吹き出した。

 下ではココが両手を広げた。

 

「いつまででも待ってるから。降りておいで」

 

 さっき、その手の下を抜けるのがどれだけ大変だったか。

 はじめはもう、よく知っている。

 だから、同じ所へは戻らない。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 ココは屋上を見上げ、口の端を上げた。

 

 あいつは、殺さずに欲しい。

 あの足。あの度胸。あれだけ追い回されても、預かった物は手放さない。

 自分のところへ欲しい。

 心底、そう思った。

 

 桐生組に入るのが嫌なら、組を一つ持たせてもいい。

 まっす組。

 うん。悪くないじゃん。

 

 まずは降りてこさせる。話を聞かせる。

 条件を呑ませ、五分の盃を交わす。

 口だけの約束にはしない。

 あの身体の自由まで担保に取る。

 そのために、《仁義の鎖(ウェザー・ハッカーズ)》ではじめを縛る。

 

「はじめ……絶対にがさねぇからよぉ」

 

     ◇ ◇ ◇

 

「ルイ姉。グリードアイランドって、やったことある?」

 

 声を落として訊いた。

 ルイがこちらを見る。

 

「あるよ。……ああ。そういう帰り方?」

「うん。ちょっと真ん中、行こ」

 

 下の床に人はいる。けれど、その人たちの頭まで含めても、ここから二十メートルより遠い。

 途中に誰かの立つ場所もない。

 はじめたちは広い中央へ進んだ。

 ルイが右目へ手を添え、左目で足元を見ながらついてくる。

 

「外に見える屋根と、隣の建物。近い所に人はいないよ」

 

 階段口の係員が、随分小さくなった。

 外周までも、二十メートル以上。

 真下はさっき確かめた高いホールだ。

 はじめはルイを隣へ呼び、ほかには誰も近づいていないことを見た。

 

 内ポケットから、一枚のカードを出す。

 

 No1039 

 F-130《同行(アカンパニー)》

 

 ルイの目が、カードとはじめを行き来した。

 

「それってクリア報酬で選んだ奴?」

「うん。らでんに帰る用でもらってた。自由に使っていいって」

 

 もう仕事は済んだ。

 ルイが右目から手を下ろす。

 

「じゃあ、いいよ。依頼人のところまで帰ろっか」

「うん。ルイ姉も一緒に」

 

 はじめはカードを持ち上げた。

 ルイの肩がすぐ隣にある。

 下から呼ぶ声は、ここまではっきり届かなかった。

 

「『同行(アカンパニー)』、使用(オン)!! らでん!!」

 

 カードが光になった。

 足元が離れ、風が二人をまとめて包む。

 屋上の白い灯りが、視界の端へ流れていった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

1994年9月19日 クカンユ王国

 国立美術館・業務区画

 03:48

 

 靴底が、硬い床に触れた。

 白い屋上の代わりに、机の角が見える。

 紙の束。点いたままの卓上灯。

 その横で立ち上がる、見慣れた顔。

 

「はじめ!」

 

 らでんだった。

 隣でルイの靴音がして、反対の机からいろはも立った。

 

「ルイさんも。二人とも、お帰り!」

「ただいまー。紹介してもらった仕事、なかなか大変だったよ」

「そこは、あとで詳しく聞くでござる……!」

 

 いろはの声が、はじめの左袖を見て少し変わる。

 はじめは先にその腕を振ってみせた。

 

「大丈夫、これ、服だけだから。中身は無傷」

「服だけでも、随分なことになってますけど」

 

 らでんがそばへ来る。

 頬の処置を覗き、帽子についた粉を指で払った。

 はじめは机へ、畳んであった受領控えを置いた。

 

「ちゃんと届けた。《蝉》も無傷」

「うん」

 

 らでんは紙を開いた。

 受領欄まで目を通し、両手で机へ置き直す。

 

「受領、確認しました。ありがとうございます、お二人とも」

「そっちは?」

「こちらも終わってます。来歴と権利関係の確認は済んで、必要な書面も渡しました」

「共同所有者の皆さんも、安全な場所へ。暴れた襲撃者は全員捕まえて、あとは手配してあった護衛へ直接引き継いだでござる」

 

 いろはが言った。

 刀は腰にあるけれど、もう警戒体制というわけではないらしい。

 

 ルイが携帯で短い連絡を入れている。

 

『二人とも、無事に着きました。ええ、安全な所です。ありがとうございました』

 

 通話を終え、椅子の背へ上着を掛けた。

 

「先に洗いましょう。タオルと着替え、借りてあります」

「ありがたい。私、さっきの戦いで背中まで粉塵まみれなんだよね」

「はじめも。払ったけどまだ何か付いてる」

 

 らでんが差し出したタオルを受け取る。

 部屋の時計は、四時に近かった。

 窓の向こうはまだ暗い。

 旧王宮の広い廊下にも展示を見に来た人の姿はなかった。

 業務用の灯りだけが、洗面所までの道を照らしている。

 

 顔の汚れを落とすと流れた水が灰色になった。

 頬の処置は避けて拭き、借りたシャツへ着替える。

 裂けた袖の服は畳んで袋へ入れた。

 ライセンスと委任状、通信機は、まとめて手元に残す。

 

 戻ると、いろはがテーブルへ水の入ったコップを並べていた。

 はじめは一つ貰い、椅子に座った。

 ルイも隣でコップを持つ。

 

「……おなかすいた」

「私も。帰った途端、お腹に急に来たね」

「モーニングの時間になったら朝ごはん、食べに行こうよ」

 

 いろはがすぐに乗った。

 

「今日は、あんことバターのトーストが食べたい。小倉トースト。この近くでも小倉トースト食べれるんだって」

「いいじゃん。バター多いやつ」

「そう、それ!」

 

 向かいで、らでんが少し身を乗り出した。

 

「朝食でしたら、らでん、行きたいお店がありまして」

「いま食べたいものの話してたんだけど」

「食べ物もあります!」

 

 ルイの返しに、らでんが両手を上げた。

 

「美術館の近くの、老舗のサロンなんです。鏡と壁の装飾がきれいに残ってて。写真では見たんですけど、せっかくここまで来たなら、実物を」

「うん。建物ね。で、ごはんは?」

「モンブラン。それと、濃いホットチョコレートが」

「正解でちゃったやん。はじめ、それ飲む」

 

 いろはが、はじめを見た。

 

「切り替え早い!裏切り者!」

「だって濃いホットチョコレート……これは誘惑すぎるでしょ」

「生粋の美術館マニアのらでんの推薦する国立美術館周辺のとっておきのモーニング用カフェだからなぁ」

「トーストの話をしていた仲では……?」

「一緒にモンブラン食べる仲にもなれるよ」

「そういわれてしまうと、なれないとは言えないでござるな」

 

 いろはは腕を組んで、らでんへ向き直った。

 

「朝からモンブラン、頼める?」

「はい。真ん中に置いて分けてもいいですし」

「じゃあ、それも。今日は栗でいく」

 

 ルイが笑いながらコップを置いた。

 

「全員、甘いものだけで済ませようとしてない?」

「卵とかパンもありますって」

「それを先に言ってほしかったなー」

「先に言ったら、鏡まで聞いてもらえないかと思いまして」

「聞いてるよ。食べられる部分を待ってただけ」

 

 はじめは笑いかけて、そのまま大きなあくびをした。

 口を手で押さえる。

 らでんが時計を見た。

 

「開くのは8時なんです。だから、それまでは寝ましょう」

「8時……」

 

 あと4時間くらい。

 言われるまで、その間も椅子に座って待つつもりでいた。

 隣でルイが、すでに背もたれへ身体を預けている。

 

「休養室、使わせてもらえます。開店に間に合う時間になったら起こしますから」

「絶対?」

「はい」

「ホットチョコ、置いてかない?」

「はじめごと連れていくから安心して!」

 

 はじめはコップの残りを飲んだ。

 

「じゃ、寝るか」

 

     ◇ ◇ ◇

 

 休養室には、寝台が二つ並んでいた。

 窓のカーテンを閉めると、灯りは枕元の小さなものだけになった。

 はじめは靴を脱ぎ、受領控え以外の書類と通信機を、枕元の棚へまとめて置く。

 

「受領控えは、らでんが預かっておくね」

「うん。よろしく」

 

 毛布を引き上げる。

 隣ではルイが、上着を椅子へ掛け直していた。

 粉を払った面を内側にしてから、自分も寝台へ入る。

 

「らでん、起こすときは食べ物の名前から言って」

「効果あります?」

「今なら、あると思う」

 

 はじめも頷いた。

 らでんが笑って、入口の灯りを消す。

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

 

 扉が静かに閉まった。

 ルイが毛布を直す音を聞きながら、はじめは枕へ頬を預けた。

 次にすることは、もう決まっている。

 8時に、4人で朝ごはんだ。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 07:40

 

「はじめさん。ホットチョコレートのお時間ですよ」

 

 はじめは目を開けた。

 らでんが、カーテンの端を持って立っている。

 

「……もう?」

「もうです。起きられます?」

「マジで一瞬すぎた……時計だけ、働きすぎじゃない?」

 

 閉めたばかりのはずのカーテンから、朝の光が入った。

 時計は4時間近く先へ進んでいる。

 はじめの方は、目を閉じて今開けたつもりだった。

 隣の寝台で、ルイがゆっくり起き上がる。

 

「私、いま何を聞いて起きた?」

「ホットチョコレートです」

「それは効くね……」

 

 はじめは毛布の中で足を伸ばしてから、床へ下ろした。

 顔を洗い、髪を直す。

 帽子の内側にも粉が残っていないか、最後に一度確かめた。

 書類と通信機を持ち、畳んだ服の袋はまとめて置いておく。

 

 廊下へ出ると、いろはが待っていた。

 

「おはよう。朝ごはん、間に合いそう?」

「間に合わせる」

「そこだけは速いね」

 

 歩き始めたらでんが、少し先で振り返った。

 はじめはルイと並んで、その後を追った。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 08:03

 

 店の扉をくぐって、はじめは足を緩めた。

 広い鏡に、入ってきた4人が映っている。

 縁に細い光が走っていて、もう一つ小さな灯りが仕込まれているのかと思った。

 

「これ、光ってる」

「鏡の端を斜めに削ってあるんです。そこが光を拾うので」

 

 らでんが声を少し弾ませた。

 はじめが半歩ずれると、光も細く動く。

 上を見れば、天井と壁の境目に白い飾りが何段も重なっていた。

 向かいの壁には青い景色が描かれ、窓ではないのに奥が明るく見える。

 

「建物自体は、このお店より古いんですよ。あとから作られたサロンの内装も、大事に残して使ってるんです」

「じゃあ、全部が同じ頃のものじゃないんだ」

「そう。あの繰形、段々になってる縁の飾りですね。壁画と一緒に見ると、部屋の見え方まで考えてあって」

 

 らでんの指が今度は天井へ向きかけた。

 ルイが案内されたテーブルの椅子を引いた。

 

「解説席、こっち。座っても天井はあるから」

「はい。……この席、よく見えますね」

「よかった。ごはんも置けるよ」

 

 はじめは笑って、鏡の見える席に座った。

 こんな場所で朝ごはんを食べるのか。

 白い皿も、畳まれたナプキンも、今朝のはじめのために使っていいものらしい。

 膝にナプキンを広げると向かいのいろはがメニューを少し寄せた。

 

「パン、いろいろあるよ」

「どれ?」

「こっちは卵も付いてる」

 

 ルイは卵料理とコーヒーを選び、いろははパンにバターとジャムを付けた。

 はじめはホットチョコレートとクロワッサン。

 らでんが紅茶を頼んでから、皆の顔を見た。

 

「モンブランは、一つ真ん中に?」

「まず一つ」

「その言い方、増える余地あるね」

 

 ルイに言われ、いろはが真面目に頷いた。

 

「実物を見てから考えたい」

「そっちまで実物を見に来たんだ」

「大事な確認です」

 

 最初に温かい飲み物が来た。

 はじめの前の小さなポットから、チョコレートがとろりと落ちる。

 カップを両手で持って少しだけ口へ入れた。

 

「……濃い」

「言ったでしょう?」

「最高……」

 

 らでんが嬉しそうにする。

 はじめはもう一口飲んで、ポットを見た。

 まだある。

 

 クロワッサンをちぎると、薄い層がぱらぱらと皿へ落ちた。

 中は温かく、指で押したところが少し戻ってくる。

 隣では、ルイが卵にフォークを入れていた。

 

「ちゃんとごはんもおいしい」

「だから、ありますって言ったじゃないですか」

「最初のおすすめが鏡だったからさ」

「鏡もいいでしょ?」

「それは、いい」

 

 らでんが満足そうに紅茶を持ち上げる。

 その間に、いろははパンへバターを塗り終えていた。

 ジャムの器へ手を伸ばしかけたところで、モンブランが運ばれてくる。

 

「来た」

「いろは殿、バターの上にそのまま載せないでくださいね」

「やらないでござる! いまちょっと、手が止まっただけ!」

 

 栗色の細い線が、皿の上で丸く重なっていた。

 らでんが四人の小皿を寄せ、崩しすぎないように分ける。

 はじめもフォークを受け取った。

 ひと口ぶんを取ると、栗の下から白いクリームが覗く。

 

 食べて、少し黙った。

 甘い。

 でも、さっき飲んだチョコレートとは違う甘さだった。

 いろはも口へ運び、フォークを下ろす。

 

「……今日は栗でよかった」

「明日はあんこ?」

「そこは、起きてから決める」

 

 はじめは笑った。

 その拍子に、クロワッサンの欠片が一つ、ナプキンへ落ちる。

 摘まんで皿へ戻すと、もうそれだけでよかった。

 

 らでんが話し始めた壁画の話は、ルイの「紅茶、冷めるよ」で一度止まった。

 いろははジャムも開け、はじめにひと口ぶんのパンを寄せた。

 代わりにホットチョコレートを少し分ける。

 四人の間を、小皿とカップが行ったり来たりした。

 

 どの道を通るかも、誰が先に出るかも、決めなくていい。

 最後のモンブランを誰が食べるかだけ、少し揉めた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 空になった皿が下げられる頃、時計は8時50分を回っていた。

 はじめはカップを置き、椅子の背へゆっくり身体を預ける。

 おなかが温かい。

 ルイもコーヒーを飲み終え、息をついた。

 

「で、このあと」

「寝る」

 

 はじめは即答した。

 

「いったん、ちゃんと寝る。んで起きたら風呂!」

「賛成。私も。さっきの、まだ仮眠だからね」

 

 いろはが笑って、らでんへ顔を向けた。

 

「案内の続きは、また今度でござるな」

「はい。今日はちゃんと休んでもらいます」

「らでんたちもね」

「それは、そうですね。こちらも長かったので」

 

 らでんが、小さくあくびを噛み殺した。

 はじめに見られたことに気づき、口元を押さえたまま笑う。

 

「今度は、何時に起こしましょうか」

「決めない」

「私も、決めない」

「二人とも、そこだけ揃うんですね」

 

 はじめはルイと顔を見合わせた。

 テーブルの上には、食べ終えた朝ごはんの跡がある。

 窓の外は、よく晴れていた。

 

 次に起きる時間まで、今決めなくていい。

 はじめはもう一度だけ背伸びをして、それから、ゆっくり椅子を引いた。




最後の食事シーンのモチーフとさせていただいたカフェ
 ANGELINA https://www.angelina-paris.fr/notre-histoire

次章はらでんの発の完成に向けた章を一個挟み、その後、HUNTER×HUNTERの本編およびRIGLOSS結成に向けて話を進めていく予定です。

ゴシカ・シティ編、最後までお付き合いいただきありがとうございました! さて、十老頭入りを果たした桐生組。となれば、気になるのは、その武力を担う念能力者集団――《陰獣》です。 皆さんは、誰に陰獣の一員として登場・活躍してほしいですか? 今後の構想の参考にさせていただきます!

  • 桐生組直参 天音かなた
  • 桐生組直参 角巻わため
  • 金虎堂頭領 虎金妃笑虎
  • ベルベット商会 フィクサー 一条莉々華
  • ゴシカでは掃除屋が陰獣を兼ねるしきたり
  • その他新規で別のホロメン
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