「はい、供給を切ります」
らでんは接触板へ流していた右手のオーラを切った。
小さな覆いが静かに降り、昨日や刀の側とまったく同じ乾いた音を立てて、パチンと閉じる。戻した桟も動いていない。
これで止めた。あとは、手を離すだけだ。
右手を膝の上へ戻そうとした瞬間、接触板の横に伏せていた帯金が跳ね上がった。
硬くて冷たいものが、右の手首へぶつかる。
「っ、手首、何か押さえられた!」
思わず腕を引くと、手首の上が硬い金属にぐっと下へ押し戻された。
「覆いは閉じたよ! 短い桟も元の位置に戻ってる!」
すぐ右上で、ピヨンの緊迫した声が跳ねた。片腕の記録板を床へ下ろす乾いた音が続く。
らでんは息を呑んで、自分の右手を見下ろした。さっきまで台の下から接触板の横へ低く伏せていたはずの細い帯金の端が、まるで生き物のように起き上がっていた。板の両脇から回り込んだ金具が、らでんの右手首を上からぴたりと押さえ込んでいる。
正常に閉じた小覆いは、その手首の向こう側にある。覆いに指を挟んだのでも、袖口が引っ掛かったのでもなかった。手順どおりに供給を切って、設備の覆いは閉じたのに、別の金具だけが自分の手首を捕まえて離さない。
「オーラの供給は、もう切ってます……っ。なのに、手が、膝へ戻せません」
落ち着いて状況を伝えようとした声が、語尾でかすかに震えた。嘘だ、だって今ちゃんと止めたのに、と頭の中がまだ追いつかないまま、空いている左手を添えて右腕を後ろへ引き抜こうとした。
途端、金具の縁に右手首の皮膚がぎゅうっと引っ張られた。肘だけがほんの少し後ろへ動いたのに、手首から先は万力で床へ縫い止められたみたいに一ミリも浮かない。接触板に置いたままの右の指先が、自分の意思と関係なく板の上へ張り付いている感触に、背筋がぞっと冷たくなる。
このまま力任せに引いたら、金具で手首の皮膚が裂ける。その判断だけで、らでんはなんとか左手の引く力を緩めた。詰めていた息を吸うと、肩と胸ばかりが大きく上下して、冷えた旧庫の空気が喉の奥にひりついた。
ピヨンがすぐ右側へ膝をつき、帯金の付け根の方へ素早く指を伸ばす。
「らでん、無理に引かないで腕はそのまま! こっちから金具を押さえる。そぴあ、灯りを手首の下へ!」
「はい、わかりました!」
そぴあが持っていた図面をそのまま床へ放り出し、手にした灯りをらでんの右手首のすぐ下へ差し向けた。白く照らし出された隙間に、手首を跨ぐ帯金と接触板の境目が見える。
小覆いも、短い桟も、札の線も、それ以上はどこも動いていない。異常な音もしない。
ただ、自分の右手だけが、どうしても自分の膝へ戻ってきてくれなかった。
「そぴあ、ごめん、右の肘の下、持ってて……っ。自分で浮かせようとすると、手首のところにばっかり掛かるから」
「わかった、大丈夫、ここ持ってるよ」
下から滑り込んできたそぴあの片手に、震えそうになる右肘の重さを預けた。布越しに伝わる友人の手のひらがあんなに温かいのに、そのすぐ先の自分の右手首には、冷たい帯金の感触しか残っていない。
「らでん、今ちょっと動かさないでね。外側から外せるか見るから」
らでんは浅い息のまま小さく頷き、そぴあの手に右肘を支えられたまま、板の上から離れない右腕の力を必死に抜いた。
ピヨンの指先が、らでんの右手首を押さえ込んだ細い帯金の外側へ触れた。
ひんやりとした金属の上を、ピヨンの爪が小さく鳴って継ぎ目を探す。らでんはそぴあの片手に右肘の重さを預けたまま、詰まりそうになる息を奥歯の間から細く吐き出した。
「覆いと短い桟は、両方とも復帰位置で止まってるね。……この帯金だけ、台の下の別系統から上がってきてる」
ピヨンは帯金の両端へ親指と人差し指を掛け、接触板の縁から垂直に持ち上げようと力を込めた。
ぐっ、とピヨンの指の関節が白くなる。けれど、らでんの手首を跨いだ金具は、まるでもともと板と一つの塊だったみたいに微動だにしなかった。それどころか、ピヨンが上へ引いた分だけ、金具の内側がらでんの手首の骨へぎゅうっと食い込んでくる。
「っ、いた、です……! ピヨンさん、上へ引くと、手首が逆に下へ締まります」
「ごめん、すぐ抜く。……らでん、今、自分の指は動かせる?」
「いえ、戻そうとしてるんですけど……指先が、板のへこみから離れてくれなくて」
ピヨンは無理にこじ開ける力を即座に緩め、目にオーラを集めて《凝》で台の下から手首の周りを見回した。らでんも濡れかけた睫毛をしばたたき、自分の右手を見つめる。
指先から流していた通常のオーラは、さっき確かに切った。目の前の小さな覆いも閉まっているし、脇の溝に戻した三枚目の対応札には、点検終了を示す細い横線が一本出ている。昨日の一組目も、ほんのさっき終えた刀の側も、これで全部終わりだったはずだ。
なのに、接触板の内部から帯金へ通じる細いオーラの筋だけが、らでんが供給を止めたあとも消えずに、じわじわと濃さを増していた。
「……操作系の半強制型かもしれない。意識は残したまま、身体だけ動かす型。点検の手順そのものが、条件になってた可能性があるね」
ピヨンの目が、戻した三枚目の札から、その奥で白いまま待っている別の札へ移った。
「儀式がまだ終わってないなら、途中で止められるかもしれない。そぴあ、《
「はい。位置と向き、動く速さを測ります。灯り、ちょっと床に置きますね」
「うん。私は止める手掛かりを探す。らでん、何か勝手に動かされたり、変な感じがしたら言ってね」
そぴあはらでんの右肘を支えていた左手を少しも動かさず、右手に持っていた小型の灯りを、転がらないよう足元の平らな床へそっと寝かせた。下から斜めに差す白い光が、低い台の脚と、らでんの捕まった手首の影を壁へ大きく映し出す。
空いた右手を胸の前へ寄せ、そぴあは短く息を吸った。
「始めます。《
そぴあのすぐ左肩の横に、中心球を三層の細い環が囲む小さな天球儀が浮かび上がった。
昨日、箱と三連作の前で見たときと同じ、滑らかに回る三つの環。一度出せば八分十六秒が過ぎるまで消えず、そのあいだそぴあ自身のオーラは《纏》のままになる。
位置の三軸、姿勢の三つの角度、そして速度の三軸。昨日、品物が動いていないと確かめるために選んだ九つの項目で、今度はらでんの身体と、その周りの道具や室内の変化を追い始める。
ピヨンが片手で自分の時計のボタンを押し、もう片方の手を帯金の根元へ添えたまま低く声を掛ける。
「観測開始。そぴあ、帯金と接触板は止まってる?」
「いえ、止まってません……! 手首の上の帯金、まだ下へ動いてます。一秒で〇・〇二ミリずつだけですけど、接触板の方へまっすぐ沈んでます。ほかの棚と、入口の扉は動いてません」
そぴあの声が、わずかに硬くなった。
らでんは自分の右手首を見た。目で見ているかぎりは、金具はもうピタリと止まっているようにしか見えない。けれど、言われてみれば手首の皮膚を押しつける圧迫感が、さっきよりもじりじりと強くなっていた。
「らでんの右の指先も、板の上で奥へ滑ってる。らでん、自分で前へ押してないよね?」
「押してない、です。らでん、手前へ引こうとしてるのに……っ」
膝の上へ戻したい。頭ではそれしか考えていないのに、接触板に触れている右手の中指と薬指が、板の表面をなぞるようにごくわずかずつ奥へと伸びていく。自分の指なのに、自分の指ではないみたいだった。
そのとき、白い札のすぐ左脇で、かちりと乾いた小さな音がした。
「……今の音、どこ?」
「札の横です! 細い溝が開いてます!」
そぴあが空いた右手で、らでんの手首の少し左奥を指差した。
点検を止めようとしたときに出てきた白い札は、まだ浅い受け口に載っている。その左脇に細長い小溝が開き、木片の角を整えるような、指先ほどの小さな金属の刃が覗いていた。
「らでん、左手でその札や小刃に触らないで」
ピヨンが厳しい声で制し、札を横から覗き込んだ。
らでんが用途を確かめようとしていた三つの白い面へ、接触板から延びたオーラの細い筋が流れ込んでいた。供給を切ったはずなのに、その筋は途切れていない。
昨日、対応札の履歴欄に線が一本浮かび上がったのと同じように、何も書かれていなかった札の表面へ、黒い文字が内側からじわじわと染み出してきた。
――分類:可搬式収蔵庫・生体型。
――所有者:セザール=ブランデル。
――名称: 。
一番下の名称の欄だけが、ぽっかりと白く空いている。
らでんは、浮かび上がった文字を上から順番に目で追った。可搬式収蔵庫。持ち運べる収蔵庫。ここまでは言葉として分かる。
けれど、そのすぐ後ろに並んだ「生体型」という三文字が、頭の中でうまく意味を結んでくれなかった。
横で札を覗き込んでいたピヨンが、はっと息を呑むのが聞こえた。ピヨンの視線が、札の「生体型」という文字から、帯金に捕まったらでんの右手首へ、そしてらでん自身の顔へと弾かれたように動く。
「ピヨンさん……この『生体型』って、何ですか」
「……らでん。私の方を見て」
ピヨンの声から、いつもの落ち着いた響きがすっと消えていた。
「この台が今、検品して登録しようとしてるのは……上の箱じゃない。接触板に手を置いてる、らでんの方」
言われた言葉が、冷たい水になって胸の奥へ落ちた。
もう一度、札の文字を見る。『分類:可搬式収蔵庫・生体型』『所有者:セザール=ブランデル』。
昨日からずっと、らでんたちはこの旧庫で、セザールが遺した品物とそれを守る外枠を調べてきた。どれが品物で、どれが支えで、どの札がどの箱に対応するのか。それを一つずつ丁寧に確かめて、三組すべての点検を正しく終えた。
その最後の終了操作が揃った瞬間に立ち上がったこの工程は、品物を守るためのものではなかった。三組の点検を最後までやり遂げた人間そのものを、セザールの所有する「生きた収蔵庫」として登録するための台だったのだ。
「そんな……っ、らでんは、箱じゃ、ありません……!」
「白い札が、少しずつ奥の溝へ戻り始めてます! らでんの右手首も、さっきより奥へ引かれてます……っ」
「接触板は、上の浅い箱の支えとは別です! 今動いてるのは、下の札と帯金につながる部分だけです!」
「うん。三組の連絡線もそっちへ集まってる。らでん、箱の支えと、下の仕組みは別系統だよ」
らでんは上の浅い箱を見た。あの箱は動いていない。自分の右手を引き込もうとしているのは、その下でつながっている別の仕組みだ。
このままこの白い札が奥へ収まってしまったら、どうなるのだろう。ピヨンが上へ引けば手首の金具は逆に締まり、図面にもこの四枚目の札の止め方は載っていない。
けれど、らでんの左手はまだ膝の上で自由に動かせる。袖口の内側では、出発前にジンから贈られた細いミサンガの結び目が肌に触れていた。自分の意思で左の指先を動かせる今のうちに、この最終工程の台板そのものから、セザールがどんな仕組みを据えたのか手掛かりを読み取るしかない。
「ピヨンさん、そぴあ……っ、左手がまだ動くうちに、この台の板を一回だけ読みます!」
「らでん!? だめ、これ以上向こうの念に引っ張られたら――」
「図面にない仕組みなら、ここで何が起きてるのか、らでんが自分で知らなきゃ外す手掛かりも探せないです!」
引き止めるピヨンの声に被せるように叫び、らでんは札や小溝の刃を避けて、白木のまま残された最終台板の表面へ自らの左手の指先を強く押し当てた。
《
指先が冷たい板に触れた瞬間、旧庫の薄暗がりと、右肘を支えてくれるそぴあの手の感触の奥から、この台板に深く刻み込まれていた過去の情景が、一気にらでんの内側へと流れ込んできた。
――――――
乾いた木の匂いがする静かな部屋で、一人の男が、今らでんが触れているのとまったく同じ低い台板の表面を、柔らかな布で丁寧に拭いていた。
四日間の調査で何度も痕跡を追ってきた、セザール=ブランデルの手だ。
道具の角度を何度も確かめ、割れた額の下に添える木片を一ミリずつ削っていた、あの迷いのない静かな手つき。男は台板の縁に指を置き、今はまだそこにいない「未来の誰か」へ向けて、穏やかで、どこか誇らしげですらある声で語り始めた。
「――この最後の台まで辿り着いたということは、君は三つの外枠をすべて正しく見極め、私の遺した手順を一つも違えずに戻してくれたのだね」
声には、棘も悪意もなかった。ただ、自分の仕事を正しく理解してくれた相手への、純粋で深い喜びが滲んでいる。
「道具に残した最初の声に気づき、古い記録と現物のわずかな違いを見落とさず、壊れかけた品を支える意図まで汲み取ってくれた。それだけの目と、知識と、物への誠実さを持った人間でなければ、この三組の点検を最後まで辿り切ることはできないはずだ。私はね、君のような扱者に会えるのをずっと待っていたんだよ」
男の手が、低い台板の中央――今、白い札がせり出しているその場所を、愛おしそうに撫でた。
「私が集めた品々は、ただ暗い庫に閉じ込めておくだけでは、いつか人の手からこぼれて朽ちてしまう。かといって、価値の分からない乱暴な手に渡すわけにもいかない。だから私は、その確かな目と技術を持った君自身に、私のコレクションを納める『生きた収蔵庫』になってもらうことにした」
ぞくり、とらでんの背筋が粟立つ。それでも過去の記憶の声は、こちらの拒絶など知る由もなく、静かな確信をもって続いていく。
「怖がることはないよ。君のその素晴らしい才能や、美しい物を知りたいという好奇心を、私が潰してしまうはずがないだろう? 最後の定着が済めば、君は今と変わらず、自分自身の意思と望みで旅を続け、世界中の優れた品々を見つけて歩いていける。ただ、君が心を動かして集めたすべての品の『所有者』が、私の名前になるだけだ。君自身が、私の意思を継いで歩き続ける最高の収蔵庫になるのだからね」
なんて穏やかな声で、そんなことが言えるのだろう。
人の手と、目と、これからの人生の全部を、自分の所有物を増やし続けるための入れ物にしておきながら、当人には「自分の望みで生きている」と思わせておく。それが、この人が考えた一番丁寧な保存の形だというのか。
「そしていつか、君の長い旅が終わりに近づいたときには、私が今日こうして用意したのと同じように、君の目で選んだ次の優れた扱者を迎える支度をしてもらいたい。そうすれば、私の蒐集は、最もふさわしい手から手へと永遠に失われずに受け継がれていく」
男は台板からそっと手を離し、今日、階段の踊り場で見た人たちや、額を支えたあのときと同じように、すぐそばに指先を少しだけ残して微笑んだ。
「いきなりこんな役割を背負わせてしまって、身勝手なことだとは分かっているよ。けれど、物を見る目を持ち、失われていく美しさを惜しむ君になら、私のこの気持ちはきっと理解してもらえるはずだ。……私の遺したものをここまで辿ってくれて、本当にありがとう。どうかこれから、よい蒐集を」
――――――
「――ふざけ、ないでよ……っ!」
らでんは最終台板から左手を弾かれるように引き剥がし、現実の旧庫の空気を思いきり吸い込んだ。
読取を終えて戻ってきた目の前では、現場の工程は一秒も止まっていなかった。右手首の帯金はさらに深く沈み込み、白い札の端が受け口の奥へじりじりと引き込まれ始めている。
「らでん! 今、何か分かった!?」
「あの人……セザールは、わたしの目も、好きって気持ちも、全部そのまま残して……っ、自分の持ち物を増やすための、生きた箱にするつもりなんです! わたし自身の望みだって思わせたまま、一生……っ!」
叫んだ瞬間、今まさに自分の意思で台板から引き剥がしたばかりだったらでんの左手が、胸の前から勝手にふわりと持ち上がった。
え、と自分で自分の左手を見る。動かそうとしていない。むしろ右肘を支えてくれているそぴあの腕へ縋りつきたかったのに、左の肘がすっと伸びて、低い台の左縁にある細い小溝へと迷いなく向かっていく。
さっきセザールの声で聞いたばかりの、おぞましい「生きた収蔵庫」の完成。そのための次の工程を、ほかでもない自分の左手が勝手に進めようとしているのだ。
「っ、やだ、左手、勝手に……! ピヨンさん、左手、止めてください!」
叫びながら、らでんは自分の左肩を後ろへ引こうと必死に身をよじった。
なのに、指先だけが何かに糸で引かれるみたいに滑らかに伸びて、小溝の中からあの小さな金属の刃の柄をつまみ上げてしまう。自分で握っている感触はあるのに、指を開くことだけがどうしてもできない。
刃をつまんだ左手が、そのまま弧を描いて、帯金に押さえつけられた自分の右手首へと向かった。
「らでん!」
ピヨンが右側から身を乗り出し、らでんの左手首を掴みに行こうとする。
けれど、らでんの左手が自分の右手首のすぐ内側――脈の打つ少し横の皮膚を、小さな刃の先でぴっと浅く裂く方が一瞬だけ早かった。
「っ、あ……!」
熱い痛みが右手首に走り、ぷくりと赤い血の玉が盛り上がる。
ピヨンが横かららでんの左手首を強く握り込み、もう片方の指を割り込ませて、左の指先から小さな刃をもぎ取るように奪い取った。そのまま後ろの床へ、カランと音を立てて刃を遠くへ放り投げる。
「刃は取った! そぴあ、まだ右肘は離さないで!」
「はい、支えてます! でもピヨンさん、らでんの左手、まだ止まってません!」
刃を奪われて空になったはずのらでんの左手が、ピヨンの拘束を振り切るような奇妙な角度でくいっと手首を返し、傷口から滲み出たばかりの自分の血を人差し指の腹で拭い取った。
自分の血の温かさが、左の人差し指にべったりとつく。
嫌だ、やめたい、そっちへ伸ばしたくない。セザールが言った「私のコレクションを納める生きた収蔵庫」という言葉が頭の中で鳴り響くのに、血のついた左の人差し指は、せり出した白い札の「名称」の空欄へと吸い寄せられるように落ちていった。
「いやだ、書きたくない……っ! そぴあ、ピヨンさん、らでんの手、そっちへやってるんじゃないんです、自分で書いてるんじゃない……!」
「分かってる、あんたがやってるんじゃないって分かってるよ!」
ピヨンが左手の甲の上から両手で必死に押さえつけ、札から指を浮かせようと体重を掛ける。
それなのに、らでんの細い左指は、ピヨンの両手の隙間を縫うようにして白い札の表面を滑った。
赤い筋が、白い札の上に引かれていく。
見慣れた、自分の筆跡だった。今日、階段の踊り場で人の手を描き留め、ノートの隅に小さくメモを書き添えたのとまったく同じ、自分の癖のある字。『儒』『烏』『風』『亭』――止めようと震える指先が、それでも一画も迷わずに、所有物の名称欄へ自分の名前を並べていく。
「やめてよぉ……っ、らでんの名前、そんなところに書かないで……!」
最後に『ん』の撥ねる線が赤く引かれた瞬間、左手の指からふっと不自然な力が抜けた。
ピヨンが咄嗟にらでんの左手を札から引き離し、懐から出した清潔な布を、血の滲む右手首の傷口へぎゅっと当てがう。
けれど、札の上に書かれた赤い文字は、もう消えなかった。血の色がすうっと札の奥へ吸い込まれ、最初からそこに印字されていたかのように黒い『名称:儒烏風亭らでん』という文字へ変わっていく。
「……ピヨ、ンさん」
呼び切る前に、喉の奥から声が抜けた。
右手首に当てられた布の感触も、そぴあが肘を支えてくれている温かさも、急に遠ざかる。目の前の白い札だけが妙にはっきり見えた。そこには、自分の名前が黒い文字になって残っている。
瞬きをしようとした。そのはずだった。
けれど瞼が動くより先に、隣の二人の顔が白い靄の向こうへ霞み、らでんの外側の感覚はふっと途絶えた。
◇ ◇ ◇
「らでん!? ねえ、らでん、返事して!」
ピヨンは、急に力を失ったらでんの顔を横から覗き込み、声を張り上げた。
つい一秒前まで、怖がって涙を浮かべながらこちらを見ていたはずのらでんの瞳が、今はどこも映していないガラス玉のように空ろに開いている。ピヨンが片手で右手首の止血布を押さえたまま、もう片方の指先をらでんの目の前で振ってみせても、睫毛ひとつ動かない。
ただ、止血布の下にある右手首の脈だけは、トクトクと確かな速さで打っていた。失血で気を失ったのでも、命が途絶えたのでもない。
そのとき、低い台の奥から、ごうん、と空気の塊が立ち上がるような重い音が響いた。
浅い箱が載った台の向こう側で、幾重にも折り畳まれていた濃密なオーラが一気に膨れ上がる。《凝》をしていなくてもはっきり見えるほどの、巨大な人型の上体だった。
頭や顔の細かな造作はない。ただ、異様に広い胸から腹にかけてが縦長の大きな空洞になっており、その縁に並んだ肋骨のような枠の内側に、幾つもの細長い指の関節がびっしりと折り畳まれている。
品物を傷つけずに内側へ抱え込み、四方からぴたりと保持するための、巨大な管理の念。
ピヨンの手が、傷口を押さえたまま一拍だけ凍りついた。いつもならすぐ次の指示が出るはずの唇が、わずかに開いたまま言葉を失っている。
「開始から一分二十秒……っ。上の形、奥の台の下から立ち上がってます。らでんの肩と顎の位置へ、内側の指が順番に開いてます!」
そぴあの切迫した声で、ピヨンが弾かれたように息を継ぎ、らでんの左肩を自分の体の方へ強く抱き寄せた。
それとほぼ同時に、巨大な上体の内側から伸びた半透明の指の関節が、らでんの右肩と、そぴあが支えている右肘の下へと音もなく滑り込んできた。
襲いかかってくる獣の爪ではなかった。昨日、割れた額の下で見た受け具や、白い刀を載せていた支えと同じだ。大事な収蔵品を落とさないよう、一番安定する角度へそっと位置をそろえるみたいな、恐ろしいほど丁寧で迷いのない手つき。
その指の一つが、らでんの右肘を下から支えていたそぴあの左前腕の外側へ、すっと重なった。
「……っ、あ、そぴあの腕も、一緒に押されてる!」
そぴあが短く息を呑んだ。
らでんの右肘を支えていたそぴあの左腕が、管理念の関節に外側から添え木を当てられたようにして、低い台の手前へとそのまま運ばれかけていた。驚いたそぴあが自分の左腕を手前へ引こうとすると、外側の関節がくいっと角度を変え、逃げる向きを先回りして手首と肘の二箇所を挟み込んでくる。
「そぴあ、いったん手を抜いて! らでんは私が支える!」
「今、後ろへ引いたら余計に締まります……っ。少し待ってください、今測ってます!」
そぴあはパニックで腕を振り回すのをぴたりと止め、自分のすぐ横で回る天球儀の環と、自分の左腕に当てられた関節の継ぎ目を食い入るように見比べた。
彼女の《纏》のままの身体には、あの巨大な指を力づくで弾き飛ばすような強さはない。けれど、そぴあの目は、自分の腕がどの角度で、毎秒何ミリずつどちらの軸へ誘導されているかを正確に捉えていた。
「後ろへ引くと、外側の二つの節が閉じる向きになる……。でも、この支え、らでんの肘を台の正面へ合わせるために、八秒周期で少しずつ内向きに角度を持ち替えてる……!」
そぴあは、自分の左腕を後ろへ引くのをやめた。代わりに、外側の指関節がらでんの肘をほんのわずか内側へ寄せようと動いたその同じ向きへ、自分の左肘の角度をすっと合わせた。
逆らっていた力が消えたことで、そぴあの前腕を挟みかけていた外側の節が、持ち替えのためにコンマ数ミリだけ隙間を緩める。
「ピヨンさん、らでんの右肘の下、今のうちに外から支えを替わってください! そこなら節が当たらないです!」
「わかった、貸して!」
ピヨンが片手で右手首の止血布を押さえたまま、もう片方の前腕をらでんの右肘の下へ差し込んだ。
ピヨンの腕へ重さが移った感触を確かめた瞬間、そぴあは外側の節が次の角度へ閉じ切る直前の軌道に沿って、自分の左腕を斜め下へと滑らせるように引き抜いた。
空振った管理念の関節が、そぴあの抜けたすぐ後ろでコトリと合わさり、らでんの右肘だけを直接下から受け止める形に収まる。
床へ尻餅をつきそうになりながら半歩下がったそぴあは、自分の左腕が自由に動くのを一度だけ確かめて、すぐにまた膝を折って台の手前へ戻ってきた。
「抜けたね。そぴあ、そのまま外から見て。らでんの方には、まだ抜けられそうなところはない?」
「そぴあの腕は、らでんを支える補助の位置として誘導されてただけなので、持ち替えの隙間で抜けられました。……でも、らでんの右手首と右肩は、最初から中心の座標に固定されてて、同じ隙間がないです……っ」
そぴあが悔しそうに唇を噛みながら、今度は外側かららでんの左肩を両手でしっかり支え直す。
その間にも、らでんの顎の下へ、もう一本の冷たい指の関節がすっと回り込んできた。さらに背中の後ろへも二本の指が滑り込み、うつむいていた顔を正面の正しい展示角度へ揃えるみたいに、下からじわりと持ち上げてくる。
「らでんの身体に触れてる接点、右手首の上の帯金は接触板の左右二箇所、上の指は右肩、右肘、顎の下、それから背中の二箇所です! 上の浅い箱そのものとは、台の天板のところで構造が分かれてます!」
「外枠の三組の連絡線も、台の下の帯金で全部そこへ集まってるね。品物の支えとは別系統!」
それなのに、巨大な管理念の指が顎の下と背中をわずかに押し上げるたび、らでんの首と背筋は、まるで最初から関節の角度を決められた精巧な人形のように、何の抵抗もなくすうっとその位置へ従っていくのだ。
「開始から二分二十秒……っ! らでんは、自分で動いてません! 顎の下と背中の指が動く分だけ、らでんの頭と肩がそのまま同じ速度で台の正面へ合わされてます……!」
左側かららでんの肩を支えるそぴあの声が、裏返りそうに震えていた。
ピヨンは、黒く定着した名前の札から、らでんの背後を覆う巨大な上体へと目を走らせた。肋骨のような枠と、その内側で折り畳まれていた指。品物を支える設備の形をした念が、今は生きた人間の背に重なり、顔を上げる角度まで決めている。
さっきまで泣いて拒んでいたらでんが、もう呼び掛けに反応しない。その身体だけが、取り憑いた念の動く通りに従っていた。
「……血で名前を書かせたところで、二段目に入った。半強制型から、心まで奪う強制型へ切り替わってる」
「じゃあ、点検の手順で戻すのは……?」
「死んだ持ち主の念が、記名した本人に憑いた。道具を動かす段階はもう終わってる。最初の操作で、次の操作の条件まで踏ませる、二重の罠だったんだ。手順を戻して止めるのは、まず無理だよ」
ピヨンは、らでんを見つめたまま短く息を吐いた。
「こうなったら台も札もすべて破壊する、儀礼の道具ごと壊して止める。文化財に傷がついてもいい。今は、らでんを先に出すよ。そぴあ、新しく動くところがあったら、続けて教えて」
「はい……!」
ピヨンは奥歯を強く噛みしめた。さっき帯金を上へ引いたときは、連動して手首の締めつけが強まり、らでんを痛めた。同じ引き方を繰り返せば、意識のない今のらでんの手首を砕きかねない。
ならば、まだ完全に奥へ落ち切っていないあの白い札の方だ。
ピヨンはらでんの右肘の支えから手を抜き、腰のポーチから調査用の薄い金属へらを引き抜くと、その先端へ硬く練り上げたオーラを纏わせて、白い札が滑り込んでいく受け口の隙間へと突き立てた。札の進行だけでも物理的にせき止めようと、指先がしなるほど力を込める。
だが、金属へらの先端は、溝の縁に浮かび上がった見えないオーラの壁に弾かれ、甲高い音を立てて滑り落ちた。
「っ、溝の隙間も通らないか……!」
札の残り端が、じりじりと台の奥へ沈んでいく。
もう、迷っている時間はなかった。ピヨンは金属へらを床へ捨て、らでんの左側にいるそぴあへ短く叫んだ。
「そぴあ、らでんの左肩と、右手首の布を両方押さえてて! 顔はできるだけ左へ伏せて!」
「は、はいっ!」
そぴあがすぐさま身を寄せ、らでんの右手首の止血布と左肩を必死に抱え込む。顎の下の指関節に固定されてらでんの顔は左へ傾かなかったが、そぴあは自分の肩でらでんの左頬を覆うようにして庇った。
ピヨンは低い台のすぐ横で片膝を立ち上げ、自分の右拳へ、目に見えるほど濃く鋭いオーラを集中させた。
これまで、どんな古い遺跡でも、この記念館の旧庫でも、ピヨンは人の手が遺した品と設備を傷つけないことを第一に仕事をしてきた。図面と違えば手を止めると言い、小さな刻線一つまで傷つけずに写真へ収めてきた。
その自分の拳を、今は迷いなく、接触板の横の継ぎ目と台の下から上がる帯金の根元へ向けて振り上げる。
「壊すよ!」
旧庫の空気を劈くような激しい衝撃音が、低い台の右側で炸裂した。
どん、と床板が跳ね、乾いた木の粉と古い塵が舞い上がる。
壊れたか――そう思って拳の下を見た瞬間、ピヨンの背筋が凍りついた。
渾身の念を込めて打ち込んだはずの接触板の継ぎ目と帯金の根元には、ひび一つ、擦り傷一つすら付いていなかった。
打撃が当たった瞬間だけ、台の下の連絡線を通じて三組の外枠全体から分厚い保全のオーラが膜のように集まり、ピヨンの拳の力をそっくりそのまま受け流していたのだ。
「下側の連結部はだめか……! なら、上の保持具の関節は!」
ピヨンは少しも手を止めず、すぐさま立ち上がって、らでんの右肩と顎を囲んでいる巨大な上体の指関節の付け根へ、斜め上から二度目の鋭い打撃を叩き込んだ。
ごん、と鈍い音が響き、半透明の関節がわずかに揺れる。けれど、折れるどころか一ミリも位置は変わらず、逆にその外部からの衝撃から「大事な収蔵品」であるらでんを守るように、折り畳まれていた別の二本の指がらでんの脇腹から背中へと新しく回り込んできた。
ピヨンが拳を引く。自分の拳の甲が赤く擦れ、じんじんと熱い痛みだけが骨に残っていた。
札の溝も、帯金の根元も、上の保持具も、すべてが一つの保護でつながっている。外から力を掛けるほど、中の品物を守るために固定が強くなる仕組みだ。
今のピヨンの持てる手段では、どこを殴っても、どこをこじ開けても、らでんを縛る力を増やすことにしかならない。
ピヨンは荒い息を吐きながら、もう一度低い台の前へ膝をつき、らでんの右脇の下へ外側から腕を回して手前へ引いた。
けれど、台に据えられた身体は一ミリも戻ってこない。それでも手を離すことなどできなかった。ピヨンはらでんの肩を後ろから抱き留めたまま、低く、絞り出すように言った。
「……ごめん、らでん。私じゃ、これを外せない」
「そんな……っ、ピヨンさん、そしたら、どうしたらいいんですか……!? 開始から三分四十秒、位置も、角度も、そぴあには全部正確に測れてるのに……っ!」
左側かららでんを支えるそぴあの声が、初めてくしゃりと歪んで詰まった。
そぴあの肩の横で、天球儀の三つの環は今も一ミリの狂いもなく滑らかに回り続けている。どこが何ミリ動いたか、どの指がどの角度で閉じているか、そぴあには全部見えているはずだ。
なのに、その正確な数字のどこにも、らでんを助け出す手順は書いていない。
「数値は全部出てるのに、どこも開かないんです……! らでんの手首の周り、隙間がゼロのままで、一秒ずつ奥へ引かれてるだけで……っ! らでん、ねえ、らでん、返事してよぉ……っ!」
そぴあが泣きそうな声で呼び掛けても、らでんは正面を見開いたまま、ピクリとも応えなかった。
ピヨンは唇を噛み、そぴあの手の上から右手首の止血布を強く押さえ直した。外せないと分かっていても、少しでも奥へ引かれるのを遅らせようと、二人でらでんの身体へ必死にしがみつく。
その目の前で、ついに『名称:儒烏風亭らでん』と記された白い札が、かちり、と乾いた音を立てて台の奥の底まで落ち込んだ。
瞬間、接触板と背後の巨大な管理念から、どす黒いほど重たい「定着」のオーラが奔流となってらでんの右手首から胸の中心へと雪崩れ込んでいく。
◇ ◇ ◇
「……え? なに、ここ……」
気がつくと、らでんは真っ白な場所に一人で立っていた。
床も、壁も、天井の梁も、古い棚の影もない。右を向いても左を向いても、ただどこまでも何もない白さだけが広がっている。
らでんは慌てて自分の右手を見た。手首に食い込んでいたはずの冷たい帯金がない。血が滲んでいた傷口も、勝手に名前を書いて止まらなかった左の指の感触も、ここにはなかった。
けれど、助け出されて旧庫の外へ出たわけではないことは、すぐに分かった。
ついさっき、自分の声が途中で出なくなり、そぴあとピヨンの顔が白い靄の向こうへ消えていったあの瞬間の恐怖が、胸の奥にそのまま張り付いている。そして、最後のどす黒い定着の波が自分の心の芯まで塗り潰そうと迫ってきたとき――服の内側、鎖骨のすぐ下で、カエラから贈られた鋼の雪玉が、キィン、と澄み切った高い音を立てたのをおぼえていた。
破損し腐食した振矩師の道具を、カエラがもう一度打ち直してくれた小さな鋼のお守り。それが、らでんの自己意識が完全に消される直前、たった一度だけ、心の一番奥にあるこの最後の核を守り抜いてくれたのだ。
そのとき、左の手首に巻いていた細いミサンガの結び目が、トクン、と小さく脈打つように温かくなった。
らでんがハッとして左袖の口へ目を落とすと、小さな結び目から編み込まれた一本の念の糸が淡く光り、そのすぐ向こうの真っ白な空間に、見慣れた人影がふらりと立った。
「よぉ」
「……ジン、さん……!?」
らでんは目を丸くして、間の抜けた声を上げた。
くしゃくしゃの髪に、いつもどおりの無造作な立ち姿。間違いなく、自分の師匠であるジン=フリークスだった。
「な、なんでジンさんがこんなところにいるんですか!? ここ、らでんの頭の中ですよね!?」
「正確にはお前が心の中に作り出した念空間な。んでオレがいる理由は、お前が左手首に着けてるそいつに、オレが念を編み込んどいたから。……もっとも、その胸元の雪のお守りに助けられたな。それがなかったら、今ごろもう
ジンはポケットに片手を突っ込んだまま、らでんの鎖骨のあたりを顎でしゃくってみせた。
もちろん、ここにあるのは今どこかで生きているジン本人との通信ではなく、出発前のミサンガにジンが残しておいた助言の念が、らでん自身の記憶と感覚を足場にして立ち上がった姿だ。
それでも、いつもの雑で気安い声を聞いた途端、張り詰めていた胸の奥がほんの少しだけ息を吹き返す。
「ジンさん、最初からこういうことになるって分かってて、あのミサンガを送ってきたんですか!?」
「まさか。お前が何の依頼でどんな罠を踏んだかなんて、お前の頭ん中にある分でしか知らねえよ。……ただ、パリストンの誘いに乗ったのか」
「うっ……でも、今回はちゃんと手順どおりに止めたんですって! 供給も切って、覆いも閉じたのに、別の金具が……っ!」
「現場の手順の話じゃねえ。あいつが、わざわざお前に面白そうな依頼を持ってきたときの話だ」
「……らでんが、受けるって分かってたから?」
「ここの仕掛けまで知ってたかは知らねえよ。知らなくても、お前を来させりゃ何か起きる、とは踏める。あいつにとっちゃ、それだけで面白い。引き受けた時点で、もうあいつの思惑どおりだ。持ってきた奴の狙いも考えろ。迂闊だぞ」
資料を読み直したとき、確かに、あの笑顔のことは頭の隅へ追いやっていた。らでんは口をつぐみ、自分の両手を見下ろした。
そうだ、ここは安全な避難場所なんかじゃない。雪のお守りが心の一番奥に「らでん自身」を辛うじて残してくれただけで、外の旧庫では今もあの儀式が続いているのだ。
「ジンさん、外は……っ! ピヨンさんとそぴあが、外でらでんを支えてくれてるんです!」
「ああ。外のお前の身体は、まだ死後の念に捕まったままだ。ここはお前の心の奥にギリギリ残った場所でしかねえ」
ジンの声から、軽い調子がすっと消えた。
「このままなら、外は数分もたねえぞ。最後の定着が終われば、お前は自分の望みまであの蒐集家の都合のいいように組み替えられて、自分から喜んで品物を集めて回る生きた機械になる」
背筋が、氷を当てられたみたいに冷たくなった。
セザールのあの穏やかな声が、もう一度耳の奥に蘇る。『君は今と変わらず、自分自身の意思と望みで旅を続け、世界中の優れた品々を見つけて歩いていける。ただ、すべての品の所有者が、私の名前になるだけだ』。
さっきは、自分の指が勝手に名前を書いた。その直後には、二人の名前を呼び切ることさえできなくなった。あと数分で、この白い場所にある「嫌だ」という気持ちまで消えて、セザールの箱として完成してしまう。
「やだ……っ、そんなの、絶対嫌です……! ジンさん、助けてください! 外からピヨンさんでも外せなかったんです、何か抜け出す方法は、どうしたらいいんですか……!」
怖くて、たまらなくて、らでんは目の前の師匠へ縋るように一歩踏み出した。
けれどジンは、助けの手を伸ばす代わりに、一歩も動かずまっすぐにらでんの目を見返した。突き放すような冷たさではない。この弟子なら自分で答えを持っていると当たり前に信じている、いつもの揺るがない目だった。
「逆だ。お前はどうしたい?」
「え……?」
「誰かに外してもらう話をしてんじゃねえ。お前自身が、どうしたいかだ」
お前はどうしたい。
その短い問いに、らでんの胸の奥で、今日まで見てきた景色が一つずつ鮮やかに浮かび上がった。
割れた額を傷めないように何度も木片を削っていた手。暗い刀身に沈んだ金の蔓が、一本の光につながる角度。お姉さんを探して三枚の絵と一緒に綴じられた、まだ返事の見つかっていない手紙。そして今日、祭りの石段で、盆を手渡したあとも相手が歩き出すまで宙にそっと残っていた、生きた人の手。
らでんは、そういうものを全部、大切に残したい。公の記録からこぼれ落ちてしまう誰かの思いや手間を、危ない念の働きに人が呑み込まれない形で、次の時代までちゃんとつないでいきたい。
死んだ誰かのコレクションを増やすための入れ物になんて、絶対にならない。外で必死に名前を呼んでくれているピヨンと、震える手で最後まで数字を測り続けてくれているそぴあのところへ、儒烏風亭らでん自身の足で歩いて帰りたい。
「らでんは……っ、セザールの箱になんて、なりません! あの三枚の絵も、刀の金の光も、作った人の手も、危ない念とちゃんと切り分けて、らでん自身の館で守りたい! ピヨンさんと、そぴあと一緒に、三人で歩いてあの部屋から帰りたいです!」
叫んだらでんの頭の中に、昨日の夕方、別棟の作業台でそぴあと一緒に紙へ描いた「二つの四角い輪郭」がくっきりと浮かんだ。
品物そのものと、そこに残る危うい念の働きを、一緒くたにせず別々の区画へ分けて収めるための自分だけの館。そして、どこに何を収めたかを迷子にせず辿るための、手元の収蔵録。
昨日、机の上で空っぽの輪郭がすぐ崩れてしまったのは、設計が間違っていたからじゃない。あの二つの区切りと手元の番号を同時に保ち、目の前の膨大な死後念を切り分けて収め切るだけの「器」と「制御の力」が、今の十八歳のらでんにはまだ何十年分も足りなかっただけだ。
意識が残っているあいだに、そぴあとピヨンが教えてくれたこともおぼえている。上の浅い箱と、下の接触板や帯金は、構造が分かれていた。三組の連絡線が集まる管理の仕組みは、品物そのものの支えとは別系統だった。何を守り、どこを切り離すのか。その境界は、名前を書かされる前に二人が確かめてくれている。
ジンが、ニッと口の端を上げた。
「なら、そのために、お前は何を
らでんは息を呑み、自分の胸の中心へ手を当てた。
「決めるのはお前だ。……いや、もう決めてるだろ」
「……はい」
「時間がないから、さっさと覚悟決めろ」
セザールは、らでんのこれからの人生を勝手に奪って、自分の所有物のために使おうとした。
冗談じゃない。らでんの命も、らでんの時間も、らでん自身のものだ。死んだ誰かの所有物を増やすために奪われるくらいなら、今ここでらでんを助けようと手を握ってくれている二人と一緒に帰るために、自分自身の意思で前払いしてやる。
らでんは真っ白な空間の真ん中で背筋を伸ばし、自分の命の奥底にある時間を掴み取るようにして、はっきりと言葉にした。
「――私が設計した録と館を、今すぐ完成させます。自分の命を削ってでも!」
誰に強いられたのでもない、血で書かされたのでもない、儒烏風亭らでん自身の誓約だった。
ずっと自分の美術館が欲しいなと考えていた。いつかは欲しいと。これから世界を見て回って……コツコツ積み重ねて。
それでも自分の理想の館ができるまで、自分の残りの半生……ざっと三十年は先になるだろうと思っていた。
言葉が唇を離れた瞬間、身体の奥の深いところから、ごうっ、と何かが根こそぎ持っていかれるような激しい喪失感が走り抜けた。心臓が一度だけ大きく跳ね、胸の奥が焼けるように熱くなる。
けれど、その空白へ流れ込んできたのは、昨日までの自分とは比べものにならないほど深く、静かで、どこまでも緻密に張り巡らされたオーラの許容量と制御力だった。
昨日、二つ並べただけでぷくりと膨らんで消えてしまったあの輪郭が、今は手のひらの上の線をなぞるみたいに、一ミリの揺らぎもなく同時に保てる。
「来て――《
らでんが呼んだ瞬間、何もない真っ白だった空間の床に、磨かれた石のタイルが一気に広がった。
左右に重厚な柱が立ち上がり、高い天井から柔らかな自然光のような明かりが降り注ぐ。立派な正面の入口からまっすぐ伸びる静かな廊下の先には、これから出会う大切な品々を迎えるための、まだ何も並んでいない展示室と、一息つける休憩の区画、そして分厚い隔壁で一つずつ完全に独立した幾つもの収蔵庫が、揺るぎない美術館の姿となって立ち上がった。
この心象の風景とぴたりと重なるようにして、現実の旧庫とは切り離された独立した念空間――本物の《遺念収蔵館》が今、確かに具現化した手応えが胸の奥に響く。
同時に、らでんの目の前の宙に、重厚な装丁の一冊の録――《遺念収蔵録》が現れ、ひとりでにぱらりと白紙の頁を開いた。
外の身体の左手が動かせなくても、もう関係ない。完成したばかりの録と館は、らでん自身の収蔵の意思と直結している。
「あなたの品は、私の館で守ります。でも、私は、あなたのものにはなりません」
らでんは開かれた頁の上へ、昨日そぴあと描いた二つの別々の区切りと、さっき二人が声で教えてくれた境界を迷いなく思い描いた。
一つ目の区画群には、守るべき収蔵品の原本を。
そして、それとは完全に切り離した二つ目の隔離区画には、らでんの身体を捕まえている接触板、帯金、本人用の血の札、それらにつながって自分を縛る管理側の死後念の現物を!
「収蔵番号を分けます! 箱と三連作、白い柄の刀、低い台の上の浅い箱は、それぞれ個別の原本区画へ保全! ――そして、らでんの身体に触れている帯金と接触板、血の札、管理の念は、原本とは別の隔離区画へ、接続を切って収蔵!」
らでんの意思に応じて、開いた《遺念収蔵録》の頁に精密な区画の線と整理番号が瞬時に刻み込まれた。
その力は、そのまま外の現実の旧庫へと作用する。
立ち上がったばかりの美術館の廊下の端で、ジンが「じゃあな」とでも言うように軽く片手を挙げ、左袖のミサンガの結び目から立ち上っていた淡い光が、役目を終えてすっと消えていった。
◇ ◇ ◇
ぱん、と小さく空気が弾ける音が、現実の旧庫に響いた。
らでんの閉ざされていた視界が一気にひらけ、冷たい旧庫の空気と、自分の左手の前に確かな実体をもって浮かんでいる開かれた《遺念収蔵録》が目に飛び込んでくる。
頁に浮かんだ整理番号のとおり、生きた人間であるらでんやそぴあ、ピヨン、それにそぴあの天球儀や床の鞄、木枠の棚そのものは対象ではない。ここまで自分たちの目で番号と位置を確かめてきた収蔵品の原本と、らでんを拘束している管理側の部材だけが、それぞれの番号へ正確に振り分けられていく。
まず、右奥の棚の箱と三連作、左の棚の白い柄の刀、そして目の前の低い台に載っていた未開封の浅い箱が、中身を乱されることも傷つくこともなく、ふっと光の輪郭に包まれて館の個別収蔵庫へと静かに姿を消した。
直後、らでんの顎の下、右肩、背中、右肘を包んでいた巨大な管理念の指と、右手首を縫い止めていた帯金、接触板、そして台の奥の『名称:儒烏風亭らでん』の札が、別の硬質な区画枠にまとめて絡め取られた。
ぎしり、と管理念が一度だけ抵抗するように震えた。
けれど、残りの寿命の半分を支払って完成したらでんの《遺念収蔵館》の隔壁は、もはや揺らがなかった。原本の箱や刀とはまったく別の、外側への出口を持たない隔離区画へと、管理念の上体と帯金、接触板の機構ごと、ごっそりと引き剥がされるようにして吸い込まれていく。
旧庫の奥から、巨大な人型の影も、低い台の接触板も、手首を跨いでいた冷たい帯金も、すべてが一瞬で消え失せていた。
後には、管理機構を取り除かれたただの古い木枠の脚と、何もない床板だけが残っている。
鎖骨の下では、一度きりの保護の役目を終えた鋼の雪玉が砕けずに残り、今生まれたばかりの館と現実の扉とをつなぐ「鍵」としての確かな重みを静かに帯びていた。左手首の袖の下にも、結び目のある細いミサンガがそのまま肌に残っている。
支えを失った自分の右手が、重力に従ってすとんと数センチ下へ落ちた。
らでんは、はっと息を呑んで、その右手を見た。
手首に、金具がない。指先の下に、あの接触板がない。
恐る恐る、自分の意思で、右の親指と人差し指を少しだけ曲げてみた。――動いた。そのまま肘を曲げると、さっきまで万力で縫い止められたみたいに一ミリも浮かなかった自分の右腕が、何の引っ掛かりもなく、すうっと自分の膝の上へと戻ってきた。
「……あ。手が……右手が、戻ってきました……」
ぽつりと漏れた自分の声が、信じられないくらい静かな旧庫に響いた。
目の前に具現化していた《遺念収蔵録》の本を左手で閉じ、意識して手元から消す。本が消えても、胸の奥には完成した館と、そこに別々に収められた品々と隔離区画の確かな手応えが、消えずにちゃんと残っていた。
「らでん!? らでん、声が……っ、まだ急に立たないで! そのまま、呼吸はできる? 頭の中に、さっきの変な声や命令は残ってない!?」
ピヨンがすぐさまらでんの正面へ回り込み、両肩を支えながら顔を覗き込んだ。
らでんは膝の上へ戻ってきた自分の右手を、左手でそっと包み込みながら、ゆっくりと二回瞬きをした。
「……はい。息、できます。頭の中も、らでんのままで……勝手に手が動こうとする感じも、もう、どこにもないです」
「そぴあ、周りの数値は!?」
「開始から五分三十秒……っ。保持具との接点は、もう離れてます! らでん、右手をもう一回、自分で動かせる?」
らでんはもう一度、右の指をゆっくり曲げて見せた。ピヨンがようやく大きく息を吐き出し、らでんの右手首に当てていた布の上から、手早く持参の包帯を巻き始めた。
さっき小さな刃で裂かれた傷口が、包帯で圧迫されてずきりと痛む。血はまだ少し滲んでいたけれど、深く血管を切る前にピヨンが刃をもぎ取ってくれたおかげで、血が止まらないような重傷にはなっていなかった。
ただ、寿命の半分を一括で差し出した身体の芯には、急に長い坂道を全力で駆け上がったあとのような、重くだるい疲労がずしりと溜まっている。
「傷は浅いね。血もこれで止まる。……でも、念の設備があった場所のすぐ上にはいない方がいい。二人とも、入口の扉の手前まで下がろう」
ピヨンが床に落ちていた記録板とカメラ、金属へら、それに遠くへ投げた小刃を布で包んで手早く回収し、らでんの左後ろにあった鞄を肩へ掛けた。そぴあも床の小型の灯りと図面を拾い上げ、らでんの傷ついていない左側の脇へすっと入って、立ち上がるのを支えてくれる。
三人で旧庫の入口近く、さっきまで白い柄の刀が置かれていた棚の手前の安全な床まで移動し、壁際へ並んで腰を下ろした。ピヨンが一度だけ扉の外へ出て、廊下の連絡器から別棟の管理担当へ「機材の確認で少し作業を中断して、入口側で休んでいます。まだ中には入らないでください」と落ち着いた普段の声で短く伝え、すぐにまた扉を閉めて戻ってくる。
ひんやりとした壁に背中を預けると、包帯を巻かれた右手首が、自分の膝の上でトクトクと脈を打っていた。
隣では、そぴあがまだ膝を揃えて座り、自分の左肩の横で回る天球儀をじっと見つめている。
「……今、七分三十秒です。……らでんの位置も、周りの床も、何も動いてません。……あと少しで、八分十六秒です」
いつもと同じように観測の経過を告げるそぴあの声が、さっきよりもずっと細くて、今にも途切れそうに震えていることに、らでんは気づいた。
そぴあの両手は、膝の上へ置いた図面の端を、紙がくしゃくしゃに折れるほど強く握りしめている。名前を書かされて声が出なくなる直前まで、そぴあはらでんの肘を支えてくれていた。その温かさはおぼえている。戻ってきた今も、声を震わせながら観測を続けてくれている。
ピヨンの手元の時計が、かすかな電子音を一つ鳴らした。
「四百九十六秒。八分十六秒、観測終了だね」
その声と同時に、そぴあの肩の横で回り続けていた《
役目を終えて空間が静まり返る。
それでもそぴあは、消えた天球儀があった場所を見つめたまま、すぐには動けずにいた。
「……そぴあ」
らでんは、自分の膝の上でちゃんと動くようになった右手をそぴあに見せてから、傷のない方の左手を伸ばし、図面を握りしめて震えているそぴあの右手を、上からそっと握った。
「そぴあ、ありがとう。……そぴあが最後まで測っててくれたから、自分の手をここへ戻せたよ」
らでんの温かい左手が触れた、その瞬間だった。
そぴあの肩が、びくりと大きく跳ねた。
何か言い返そうとして開いたそぴあの唇から、言葉の代わりに、ひゅっ、と詰まったような息が漏れる。次の瞬間には、大きな瞳からぽろぽろと涙の粒が溢れ出し、堰を切ったように頬を伝って図面の上へこぼれ落ちた。
「っ、う……っ、らでん、らでん……っ!」
「うん、ここだよ。わたしは、ここにいるよ」
そぴあは握りしめていた図面をぽろりと床へ落とし、らでんの包帯を巻いた右腕にぶつからないよう必死に気をつけながら、らでんの無事な左肩へと額を押し当てて、声を上げて泣き出した。
「こわ、かったぁ……っ! だって、数値、ぜんぶ見えてるのに……っ、らでんの手が、ちょっとずつ奥へ持っていかれるの、一ミリずつ全部わかってるのに、そぴあ、止められなくて……っ!」
しゃくり上げるたびに、そぴあの小さな背中が波打つように震える。
らでんは左腕をそぴあの背中に回し、自分の肩に押し当てられた友人の頭を、何度も、何度も優しく撫でた。
「ううん、そぴあが止めてくれたんだよ。品物の支えと、らでんを捕まえてる仕組みは別だって、教えてくれたでしょ。あれが分からなかったら、わたし一人じゃ、守る方と切り離す方を決められなかった」
「うそだぁ……っ、らでんが返事しなくなって、ピヨンさんが殴っても壊れなかったとき、もう、らでんがそのまま、あの台の上の物になっちゃうかと思って……っ、もう一緒に、お団子食べたり、図を描いたり、できなくなるかと、思って……っ!」
言葉の途中で息が詰まり、そぴあは子どものようにひっくと喉を鳴らして、らでんの左手を両手でぎゅうっと握り返してきた。
さっきまで図面を押さえ、震える声で小数点の下まで正確な数字を伝え続けてくれていたそぴあの手が、今はこんなにも熱くて、涙で濡れて、らでんがいなくならないように必死に縋りついている。
自分の右手首が捕まったときも、血で名前を書かされたときも、もちろん死ぬほど怖かった。
けれど、らでんの声が途絶えたすぐ横で、一ミリずつの進行を能力で見せつけられながら最後まで支え続けてくれたそぴあが、どれほど怖い思いをしていたか。それが握られた手の震えから痛いほど伝わってきて、らでんの目からも、遅れて熱い涙がぼろぼろと溢れ出した。
「ごめんね、そぴあ……っ。怖い思いさせて、ほんとにごめんね……。でも、ほら、見て。わたしの手、ちゃんと両方ここにあるよ。セザールの物になんて、ならなかったよ」
そぴあが涙でぐしゃぐしゃになった顔を少しだけ上げ、まだ信じきれないみたいに、らでんの膝の上にある包帯の巻かれた右手と、自分の手を握っている左手を交互に見た。それから、もう一度確かめるように、らでんの左手の指先を自分の頬へそっと当てる。
「……ほんとだ。……あったかい。……らでんが、じぶんで動かしてる手だ……っ」
「うん。らでんが、自分で動かしてる手だよ。……昨日の夜、そぴあが寝る前に一緒に直してくれたあの二つの箱の図のおかげで、ちゃんと帰ってこられたんだよ」
そう言うと、そぴあはまた顔をくしゃっと歪めて、今度は安心したように大きく息を吐き出しながら、もう一度らでんの左肩へ額を預けて泣いた。
すぐ横で、ピヨンが自分の膝を抱えるようにして壁に背を預け、二人の姿を静かに見つめていた。ピヨンは空いた片手で、らでんの包帯を巻いた右腕の外側――傷に響かない上腕のあたりを、ポン、と一度だけ優しく叩いた。
「……二人とも、戻ってきたね……戻ってきてくれて、ありがと。そぴあも、最後まで測ってくれて助かった」
「ピヨンさんが……っ、あの刃をすぐ取って、ずっと支えててくれたから、間に合ったんです……っ」
らでんが涙声で言うと、ピヨンは少しだけ目元を赤くしたまま、いつもの調子へ戻ろうとするみたいに小さく肩をすくめて笑った。
「文化財の調査でそれを破壊しようとすることになるとは思ってなかったんだけど。……らでん、まだ手首は動かさないでよ。そぴあも、泣き止むまでそのままでいいから。もう少しここで休も」
ピヨンの落ち着いた声に頷き、らでんは壁に背中を預けたまま、左肩のそぴあの重みをしっかりと受け止めた。
右手首の傷はまだひりひりと痛むし、半分を差し出した命の重さは、もう二度と元の長さには戻らない。
旧庫の棚から消えた品々のことを管理担当の人にどう説明するか、新しく胸の内にできた館と録をこれからどう扱っていくか、考えなければならないことは山ほど残っている。
それでも、今はまだ、自分の膝の上に戻ってきた右手と、左手をぎゅっと握り返してくれるそぴあの温かい指先だけを、こうして確かに感じていられた。
ゴシカ・シティ編、最後までお付き合いいただきありがとうございました! さて、十老頭入りを果たした桐生組。となれば、気になるのは、その武力を担う念能力者集団――《陰獣》です。 皆さんは、誰に陰獣の一員として登場・活躍してほしいですか? 今後の構想の参考にさせていただきます!
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桐生組直参 天音かなた
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桐生組直参 角巻わため
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金虎堂頭領 虎金妃笑虎
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ベルベット商会 フィクサー 一条莉々華
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ゴシカでは掃除屋が陰獣を兼ねるしきたり
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その他新規で別のホロメン