儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

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第六話 第二次試験 原石

 第一次試験を抜けた九十一人の受験者は、坑道の出口からさらに山あいを歩き、小さな採石場跡へと移動していた。

 さっきまで何時間も閉じ込められていた薄暗い地下とは違い、頭上には遮るもののない空が開けている。乾いた風が頬を撫で、切り立った崖とむき出しの岩肌が周囲をぐるりと囲んでいた。

 一歩踏み出すたびに足元の砂利がざらりと滑り、削り取られた岩壁のそこかしこに、鉱脈らしい色の違いが筋になって走っている。外の光が斜めに岩肌へ当たり、白っぽく乾いた断面だけが眩しく照り返していた。

 

 隣を歩いていたはじめが、首をぐっと反らせて正面の岩山を見上げた。

 

「また山?」

 

 呆れたように呟く横で、メンチは周囲を見回しながら小さく鼻を鳴らした。

 

「ここ、なんか変わった匂いがするわね。土かな」

「え、匂いで分かるんですか?」

「分かるわよ」

 

 らでんが目を瞬かせると、はじめが素直に感心した声を上げた。

 

「すっげえな、メンチ」

 

 褒められたメンチは、まんざらでもなさそうに少しだけ顎を上げて得意げな顔をした。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 開けた採石場の中央には、まだ試験官の姿がなかった。

 代わりに、砂利の広場へぽつんと一脚だけ、妙に可愛らしい椅子が置かれている。フリルでもついていそうな明るいピンク色で、背もたれも座面もやけに小さい。無骨な灰色の岩場に、そこだけ別の場所から切り貼りしたみたいに色が浮いていた。

 はじめが足を止めて、胡散臭そうに眉を寄せる。

 

「なんだあれ」

 

 らでんも椅子のサイズを目で測りながら首を傾げた。

 

「試験官用の椅子……でしょうか」

「にしては小さくね?」

「子供用みたいですよね」

「まさかね」

 

 メンチが肩をすくめた、ちょうどその瞬間だった。

 

「遅い!」

 

 澄んだ高い声が岩場に響き渡り、九十一人全員が一斉に声の方へ振り向いた。

 見上げた岩棚の上に、小柄な少女が立っていた。くるくると巻いた金髪に、フリルのついた可愛らしいドレス。背丈だけなら、この場にいる年少の受験者であるらでんやはじめよりもさらに年下に見える。

 少女は岩の縁を蹴って、ぴょんと軽やかに宙へ飛び出した。

 かなりの高さがあったはずなのに、砂利の上へ降り立った足元からはほとんど音がしない。舞い上がるはずの砂埃すら立たないまま、少女は当たり前のような顔でピンクの椅子へ腰を下ろし、短い足をすっと組んだ。

 

「第二次試験担当」

 

 少女は愛くるしい顔いっぱいに、にこっと笑みを浮かべた。

 

「ビスケット=クルーガー。ビスケって呼んでいいわよ」

 

 受験者たちのあちこちから、戸惑いと警戒の入り混じったざわめきが上がる。

 らでんはドレスの裾を揺らす小さな試験官から目を離せないまま、隣のはじめへ小声で尋ねた。

 

「はじめさん、知ってます?」

「いや、全然知らん」

 

 二人して首を振っていると、反対隣でメンチが険しく目を細めた。

 

「……名前、聞いたことある」

「え、有名な人なんですか?」

「星持ちのハンターよ。あんな可愛らしい見た目してるけど、プロハンターの中でも別格の怪物だって噂」

 

     ◇ ◇ ◇

 

 椅子の上から、ビスケが九十一人の受験者をぐるりと見渡した。

 その瞳の色だけは、少女めいた外見とまるで噛み合っていなかった。

 履き潰された靴の減り方、指先のタコ、立ち姿の重心、一次試験で溜まった疲労や呼吸の深さ、背負った荷物の揺れ、そしてこちらを見る視線の強さ。端から一人ずつ、値踏みするように撫でられていく。頭からつま先まで細かいところを全部透かし見られているようで、らでんは思わず背筋をぴんと伸ばした。

 張り詰めた空気の中で、ビスケがふっと笑う。

 

「安心しなさい。今回は走らせないから」

 

 周囲のあちこちから、あからさまな安堵の吐息が漏れた。

 その瞬間、ビスケの笑顔がほんの少しだけ意地悪く歪む。

 

「その代わり、頭は使ってもらうけどね」

 

 待機していた試験補助員たちが動き出し、受験者へ小さな布袋と番号札を配り始めた。

 一人につき一つずつ。受け取った袋は拳大の石がやっと一個収まるくらいの大きさで、麻布のざらついた手触りが指先に残る。試しに口紐を引いてみると、きゅっと小さく口が窄まった。

 

「試験内容は簡単」

 

 ビスケが肩越しに、背後に広がる採石場の谷を指差した。

 

「この谷から、私が“磨く価値がある”と思う原石を一つ持ってきなさい」

 

 ざわついていた広場が、ぴたりと静まり返った。

 数秒置いて、前方の受験者がおずおずと手を上げる。

 

「あの、価値っていうのは、金額のことですか?」

「さあね」

「宝石を探せばいいんですか?」

「どうかしら」

 

 要領を得ない返事に、別の受験者がたまらず声を張り上げた。

 

「石の種類は!?」

「自分で調べなさい」

「正解は一種類だけなのか!?」

「教えない」

「じゃあ、審査の基準は何なんだよ!」

「だから」

 

 ビスケの顔に貼りついていた笑顔が、一段深く、ぞっとするほど冷たくなる。

 

「それを考えるのが試験でしょうが」

 

 誰も二の句が継げず、広場に重い沈黙が落ちた。

 隣で、はじめがらでんの耳元へ顔を寄せて囁く。

 

「怖っ」

「ちょっと、聞こえますよ」

 

 たしなめた途端、椅子の上のビスケの視線がちらりとこちらを射抜いた。

 はじめがぴしっと口をつぐむ。

 ビスケはすぐに正面へ向き直り、指を一本立てた。

 

「制限時間は三時間。袋に入れて持ってきて。提出する石への研磨・整形は禁止。他人の石を奪っても失格にはしない」

 

 腕っぷしに自信のある受験者たちの間で、一気に空気がざわめいた。

 だがビスケは、そのざわめきの上から冷や水を浴びせるように言い添える。

 

「ただし、奪った石の価値を自分で説明できなかったら、即失格」

 

 浮き足立っていた連中の顔から、すっと血の気が引いて静かになる。

 力ずくで奪うだけでは通らない。ビスケは満足そうに頷くと、軽く手を振った。

 

「じゃ、始め」

 

     ◇ ◇ ◇

 

 号令と同時に、九十一人が一斉に谷へ向かって散開した。

 らでんも布袋を握りしめて駆け出しながら、隣のはじめとメンチと顔を見合わせる。けれど、少し進んだところで三人は自然と別々の方向へ足を向けた。

 今回の課題は、一次試験のように三人で助け合って突破できる性質のものではない。むしろ誰かの見立てや言葉に引っ張られてしまえば、自分の目で選べなくなる危険の方が大きかった。

 

 そして一人になってから最初の十分で、らでんは自分が相当まずい場所に立たされていることを理解した。

 

「……これ、私、専門外だ」

 

 しゃがみ込んだ足元の砂利を見つめて、思わず独り言が漏れる。

 石や鉱物、結晶について、知識がまったくないわけではない。ただ、らでんが知っているのはあくまで工芸や美術の材料としての石だった。岩絵具の顔料、陶磁器の釉薬、彫刻の石材、古い建築の礎石、あるいは装飾品として人が愛でた宝石の歴史や文化との関わり。

 人の手が入ったあとの姿や文献の記述ならいくらでも出てくるのに、採石場に転がる手つかずの鉱物そのものを掘り下げて学んだことはないのだ。

 見渡せば、足元にはいかにもそれらしい石がいくらでも転がっている。

 白い石英のような塊、赤茶けた岩、黒い石、透き通った欠片、雲母のようにきらきら光る粒、鈍い金属光沢、綺麗な縞模様。開けた空の下で日差しを受けると、どれもこれもそれなりに意味ありげで良く見えてしまう。

 

 試しに、光を弾いている半透明な石を一つ拾い上げてみた。綺麗だ。掌の上では拍子抜けするほど軽く、尖った角がきらりと日差しを返す。

 でも、綺麗だから何だというのだろう。それを置いて、今度は隣にあった黒っぽい石を持ち上げる。ずしりと重い。けれど、ただ重いというだけで選ぶ理由になるはずがない。

 

「“磨く価値がある”……」

 

 ビスケの言葉を口の中で転がしてみる。

 市場で高値がつくもの、産出量が少ない珍しいもの、磨けば美しく輝くもの、加工したときに外見が化けるもの、あるいは今はまだ誰にも評価されていないもの。言葉の意味だけなら、いくらでも都合よく解釈できてしまう。

 

「嫌な問題だなあ……」

 

 らでんは膝の上で布袋を握り直し、小さく息を吐いた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 そこから少し離れた岩場では、はじめがもっと雑な探し方をしていた。

 足元の石を拾う、掌に乗せる、ぽいと後ろへ投げる。

 また拾う、振ってみる、別の石と軽く打ち合わせる、耳にぴたりと当ててみる。

 硬い石同士をぶつけたときの乾いた音だけが、岩壁の間でかん、と短く跳ね返った。

 

「……違う」

 

 あっさり捨てて、また次の石へ手を伸ばす。

 同じ場所で拾っては捨てを繰り返すその様子を、通りかかった男の受験者が鼻で笑った。

 

「おい、さっきから何してんだ?」

 

 はじめは手の中の石をひっくり返しながら、顔を上げずに答えた。

 

「わかんない」

「は?」

「でも、これは違う」

「だから何がだよ」

「なんだろう。でも、違うのだけはわかる」

 

 真面目に答えているのに要領を得ないやり取りに、男は呆れ果てた顔で手を振って去っていった。

 はじめは見送りもせず、すぐ足元の別の石へ手を伸ばす。

 掌に残る重さと感触だけが、今の頼りだった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 一方、谷の反対側へ入ったメンチは、転がっている石より先に地面そのものを見ていた。

 しゃがみ込んで、むき出しの土へ直接指を差し入れる。風に乾いた表土を少し掘り返すと、その下はわずかに湿り気を帯びていて、指先に細かい土の粒が張りついた。

 それを払って鼻先へ寄せ、匂いを嗅ぐ。さらに近くの岩の窪みに溜まった水滴を指先ですくい取り、迷わず舌先でほんの少しだけ舐めた。

 

「しょっぱ……」

 

 塩気に眉を寄せて立ち上がり、また別の斜面へと移動する。

 今度は岩肌の裂け目からじわりと染み出している水を、指の腹に少しだけつけて口へ運んだ。

 

「こっちは違うわね」

 

 近くで石を漁っていた受験者が、泥や水を舐める少女を気味悪そうに遠巻きにする。けれどメンチは視線など少しも気に留めなかった。

 靴底から伝わる土の締まり具合と、舌の上に残るわずかな水の味の差が、谷の奥へと続く方角を少しずつ絞り込んでいた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 開始から四十分が過ぎたころ、らでんは谷の中腹で一度足を止めた。

 気づけば、自分の手が伸びているのは日差しを反射してきらきら光る石や、色味の鮮やかな石ばかりだった。

 

(これ、完全に釣られてるな……)

 

 手の中の赤い斑点が入った石を見つめて、内心で苦笑いする。

 本で読んだことのある鉱物の名前や、いかにも高価そうな色合いをしていれば、審査のときに「これは何々だからです」と理由を言いやすい。要するに自分は、石を見ているつもりで、自分が安心できる「知っている答え」ばかりを探していたのだ。

 美術館の展示ケースのように説明板もなければ、誰がどこから運んできたという来歴の記録もない。そんな自然の石を前にしたとき、自分はいったい何を手掛かりに観察すればいいのだろう。

 らでんは掌の上の石から視線を外し、それが転がり落ちてきたらしい背後の斜面へと目を戻した。

 

 見る対象を変える。落ちている石単体じゃない。

 その石が生まれた「場所」の条件を見るのだ。地層の重なり、岩盤の崩れ方、雨水の流れた跡、周囲に根を張る植物の生え方、そして表面に露出している鉱脈の走り方。フィールドワークで古い遺跡や窯跡を探すとき、遺物そのものだけでなく土地の地形や土の層を見るのと同じはずだ。

 らでんは靴底の砂利を踏みしめ、斜面の根元へ深くしゃがみ込んだ。

 目を凝らすと、砂利の隙間に生えている短い草の向きと、土の湿り気が、斜面のそこだけ一筋違っているのに気づいた。

 視線を辿って見上げた岩肌は、周囲の乾いた灰色とはわずかに色味が違っている。風化した灰色の母岩の奥に、細く青白い筋が食い込むように走っていた。

 その真下に落ちている石は、どれも外見はくすんでいてひどく地味だ。日差しを派手に返すこともない。

 けれど、一つ拾い上げて割れた断面を覗き込むと、青白い筋の延長線上だけが、ごく細かい粒になってちりちりと光を宿していた。指の腹でそっと撫でてみれば、周囲に転がるざらついた砂岩よりずっときめが細かく、硬く詰まっているのが分かる。

 

「……これだ」

 

 掌の上で持ち直してみると、見た目の大きさよりもずしりと密度がある。さっきまで拾っていたただの岩片とは、中身の詰まり方が明らかに違っていた。

 割れた断面と、細かい結晶の筋。ただし、これが何という鉱物なのか、正確な名前はやっぱり出てこない。

 

「名前、分からないな」

 

 それでも、らでんはひとりでに口元が綻ぶのを感じていた。

 

「でも、分からないから面白い」

 

 知っている名前を当てはめるのではなく、この場所の痕跡から自分で辿り着いた一個だ。

 らでんはその地味な石を大事に布袋へ収めた。口紐を引いて結ぶ指先が、さっきよりずっと軽くなっていた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 一時間半が経っても、はじめはまだ提出する一個を決めかねていた。

 しゃがみ込んだ膝の前には、最後まで残った三個の石が並んでいる。どれも灰色や茶色のくすんだ塊で、日の光へかざしてみてもピカリとも光らない。

 

「んー……」

 

 右手に一つ、左手に一つ乗せて、交互に上下させて重さを比べる。

 そのうちの一個だけ、掌に収めたときの感触が妙におかしかった。

 見た目のサイズの割にずっしり重い。いや、ただ重いだけじゃない。

 開いた手のひらの上でころころと転がしてみると、ある一点へ重心が偏っていて、最後は必ず同じ向きを下にしてぴたりと止まるのだ。

 はじめはその石を耳元へ寄せて振ってみた。中で何かが転がる音はしない。今度は反対の指先で表面を軽く弾いてみると、返ってくる乾いた音だけが、他の二つの石よりわずかに低く詰まって聞こえた。

 外側の殻の奥に、何か別の塊がぎゅっと詰まっている気がする。どういう理屈でそうなっているのかは、さっぱり分からない。

 

「これかな」

 

 迷いはそこで消えた。はじめはその石を布袋へ放り込み、紐をきゅっと縛った。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 同じころ、メンチは谷の端にある小さな水溜まりの前に座り込んでいた。

 岩の窪みに溜まった水の縁にだけ、乾いた薄緑色の結晶がうっすらとこびりつき、澄んだ底には赤茶けた土が沈んでいる。

 メンチは周囲の土の匂いと照らし合わせながら、指先につけた水をもう一度だけ舌の上で転がした。舌の奥に、きゅっと渋いような苦味が残る。

 

「……金属っぽい味」

 

 塩気やただの泥水とは明らかに違う成分が溶け出している。

 メンチは水溜まりのすぐ脇に張り出した岩盤へ目を向けた。提出する石そのものを削ったり整形したりするのは規則違反だが、岩場から目的の塊を掘り出すために周囲の母岩を割るのは問題ないはずだ。

 手頃な硬い岩片を手に取ると、薄緑の染みが濃く集まっている箇所の周りを何度か強く打ち据え、埋まっていた一塊をごろりと剥がし取った。

 現れたばかりの新しい断面には細い筋が幾重にも走り、指の腹で触れると、外側の風化した岩肌とはざらつきの質がまるで違っている。

 

「これね」

 

 メンチは満足そうに頷き、掘り出した母岩の塊を布袋へと滑り込ませた。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 制限時間の残り四十分を切るころには、谷へ散っていた受験者たちが次々に広場へと戻り始めた。

 ピンクの椅子の前には審査用の長机が据えられ、戻った者から一列に並んで、一人ずつ袋から出した石を机の上へ置いていく。選んだ理由を説明し、その場でビスケが合否を下す仕組みだ。

 

「不合格」

「え!? なんでですか、こんなに透明度が高いのに!」

「ただの水晶。しかもどこにでもある普通のものよ。次」

 

 容赦のない宣告に肩を落として去る者の後ろで、別の受験者には「合格」の声がかかり、歓声が上がる。「不合格」「不合格」「合格」と、短い言葉だけで次々に明暗が分かれていく。

 列に並んで見守る受験者たちには、ビスケの判定基準がまったく読めなかった。机の上に置かれる石はどれも似たり寄ったりの岩塊に見えるのに、説明を聞いたビスケの反応だけが鮮やかに分かれるのだ。

 

 やがて、列の中ほどにいたトンパの番が回ってきた。

 トンパが袋から取り出して机に置いたのは、何の変哲もない黒っぽい小石だった。

 ビスケが足を組んだまま顎をしゃくる。

 

「理由」

 

 トンパは人の良さそうな笑みを引っ込め、落ち着いた声で答えた。

 

「この谷で、他の受験者に一番拾われていなかった石だからです」

 

 ビスケの細い眉が、ぴくりとわずかに動いた。

 

「それだけ?」

「最初の一時間は、石を探さずに他の受験者の動きを見ていました。みんな日差しで光る綺麗な石ばかりに群がっていた。けれど、試験官はわざわざ“磨く価値がある”原石と言った。なら、最初から磨いたみたいに綺麗な石は引っかけだと思いました」

 

 ビスケの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

 

「で?」

「人が集まらなかった斜面で、同じ層から崩れた石をいくつか比べました。その中でこれだけが明らかに比重が違う。私は鉱物の専門じゃないから名前までは知りませんが、加工前の原石として選ぶならこれだと判断しました」

 

 一拍の間のあと、ビスケは短く告げた。

 

「合格」

 

 トンパは番号札を受け取り、いつもの調子でにやりと笑って列を離れた。

 

 続いて、メンチが机の前へ進み出た。布袋から、泥の乾いた地味な母岩を取り出して置く。

 ビスケが同じように問いかけた。

 

「理由」

「水よ。この谷の湧き水、場所によって味が違った」

 

 その一言で、ビスケの目の色が変わった。メンチは臆せず言葉を続ける。

 

「この石が埋まってた水溜まりの周りだけ、水の苦味と金属っぽさが一段強かったの。つまり、そこから水に溶け出してる成分が他と違うってことでしょう? だから、この母岩の中に何かあると思った」

 

 ビスケは無言で机の上の石を手に取り、光へかざして断面の細い筋を確かめた。間違いなく、鉱脈の芯を含んだ当たりだ。

 けれど今、ビスケが本当に見ていたのは、手の中の石よりも目の前に立つ少女の方だった。

 土の匂い、水の味、舌の感覚。普通なら鉱物探しとは結びつかないものを、この子は全部「食」の延長線上で迷いなく繋げてみせた。自分の興味の方向とピントさえ合えば、獲物を絞り込む判断が異様に速い。

 

(――なるほど、ガーネットみたい)

 

 ビスケは胸の内で小さく笑った。

 最初から色がはっきりしていて、芯に強い熱がある。自分が何を好きで、どこへ向かいたいのかを、もう本人がよく知っている。

 しかもこの手の原石は、誰かが手取り足取り教えなくても、自分から勝手に転がって勝手に鋭く尖っていく。磨けば磨くほど鋭利に光るだろうし、たぶん一生、角が取れて丸くなることはない。けれど、そういう尖り方も悪くなかった。

 そこまで見定めてから、ビスケはじろりとメンチを見上げた。

 

「……あんた、水、舐めた?」

「ちょっとだけね」

「馬鹿!」

「えっ」

「鉱山の湧き水が毒だったらどうすんのよ!」

「だから、ほんの少しだけだってば」

「少しでも毒は毒!」

 

 頭ごなしに怒鳴られて、メンチがむっと唇を尖らせる。

 

「でも、石は当たってるでしょ」

 

 ビスケは一瞬だけ言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「……合格」

「ほらね」

「次に同じことやったら、その場で落とすわよ」

「はいはい」

「はいは一回!」

 

 小言を背中で聞き流しながら、メンチがひらひらと手を振って去っていく。

 その生意気な後ろ姿を見送りながら、ビスケは誰にも見えないようにほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 次ははじめの番だった。進み出たはじめが、机の上にころんと丸っこい地味な石を置く。

 ビスケが尋ねる。

 

「理由」

 

 はじめは胸を張って即答した。

 

「なんか違う」

 

 机の周りに、ぴたりと沈黙が落ちた。

 ビスケの白いこめかみに、ぴき、と危うい青筋が浮き上がる。

 

「……なんか?」

「うん」

「ちゃんと言葉で説明しなさい」

「えーと、見た目のサイズの割に重くて、掌に乗せるとこっち側へ重さが寄る」

 

 はじめは机の上の石の片側をちょんと指差した。

 

「それから?」

「他の石と叩き合わせたときの返りも、これだけちょっと低くて詰まってる感じがした」

 

 ビスケは眉を寄せたまま、机の石をひょいと持ち上げた。掌の上で軽く転がして角度を変え、指先の感覚だけで重心の偏りを確かめる。

 外側の母岩の内部に、比重のまったく違う別種の結晶核が包まれている。表面を眺めただけでは、熟練の採掘者でもまず見落とすような石だ。

 ビスケは石から視線を上げ、目の前の少女をまじまじと見つめた。

 言葉での説明は呆れるほど粗い。それなのに、ただ手のひらに乗せて叩いただけで、わずかな重心の偏りと反発音の差を正確に拾い上げている。

 

 ――へえ、とビスケは内心で感嘆の息を漏らした。

(……翡翠みたいなヤツね)

 分厚い皮を被っていて、外から見ただけでは中にどんな深い色が眠っているのか見当もつかない。けれど結晶が緻密に絡み合っていて、どんなに乱暴にぶつけても妙に壊れにくく、しぶとく粘る。

 そして何より――。

(この子自身が、まだ自分の中身を知らない)

 自分がこれから何を好きになって、何を目指して、どんな色に磨かれていくのか、本人すらまだまるで分かっていないのだ。その無自覚な空白がたまらなく面白い。

 ビスケはほんの少しだけ目を細めた。文句なしに、いい原石だ。

 けれど、そんな見立てをわざわざ本人に教えてやる理由はどこにもなかった。

 ビスケはすっと何食わぬ顔へ戻ると、石を机へ返した。

 

「……合格」

 

 はじめの顔がぱっと明るく綻ぶ。

 

「よっしゃ!」

「ただし」

「ん?」

「次から“なんか違う”だけで説明を終わらせようとしたら、容赦なく落とすからね」

「えー」

「えーじゃない!」

 

 後ろに並んでいた、らでんが肩の力を抜いてくすくすと笑いながら小さく拍手した。

 はじめは机の上の石を袋へ戻しながら、口を尖らせてぶつぶつと呟く。

 

「ちゃんと当たってたならいいじゃんか……」

 

 ビスケはその背中を見送りながら、(あの中の本当の色が見えてくるのは、まだもう少し先かしらね)と内心で呟いた。

 

 そして、らでんの番が来た。

 一歩前へ出て、布袋から青白い筋の入った灰色の石を取り出し、机の上へそっと置く。

 ビスケの視線がまっすぐにらでんへ向けられた。

 

「理由」

 

 らでんは一度背筋を伸ばし、正直に口を開いた。

 

「石の種類は、分かりません」

 

 周囲で見ていた受験者たちの間から、えっ、と小さなざわめきが漏れる。

 ビスケは怒りもせず、面白そうに片眉を上げた。

 

「へえ」

「じゃあ、何でそれを持ってきたの?」

 

 らでんは振り返り、自分が歩いてきた谷の斜面を指差した。

 

「最初、知っている綺麗な石ばかり探してしまって、途中から見方を変えました。この石が落ちていた層だけ、周囲と条件が違っていたんです。母岩の色味、雨水の通り方、近くに生えている草の向き、それからこの割れた断面。この細い筋のところだけ結晶の出方が詰まっています。だから、これが幾らになる石なのかは分かりません。でも、この谷の中で形成条件が変わっている場所の石だと思いました」

 

 ビスケは何も言わなかった。

 机から灰色の石を取り上げ、光へかざしてゆっくりと角度を変える。

 断面に走った青白い筋が、光の当たる向きに合わせて、ちらり、と細く明滅した。

 

 正解だ。

 

 けれどやはり、ビスケが見ていたのは石の出来栄えではなく、目の前の少女自身だった。

 自分の知識が通用しない専門外だと認めた上で、石単体から周囲の環境へと見方そのものを切り替えてみせた。

 

 ――この子、とビスケは内心で目を細めた。

 頭がいい。それは聞けばすぐ分かる。でも、それ以上に得難いのは〈自分の見方をあっさり捨てられる〉ことだ。

 なまじ知識や経験がある人間ほど、ここで躓く。自分が知っている型や名前の枠に、目の前の現実をどうにかして押し込もうと固執してしまうからだ。

 けれど、この子は違う。

 今のやり方では見えないと気づけば、未練なく立ち位置を変え、角度を変え、もう一度ゼロから観察して考え直すことができる。すると、さっきまでただの灰色に見えていた岩場から、まったく別の色が浮かび上がってくるのだ。

 

 ビスケは胸の奥で静かに頷いた。

(オパールね……一方向から覗き込んだだけでは、何色なのかすら分からない石)

 光の当て方を変え、角度を変え、見る場所を変えていく。そのたびに、同じ石の奥からまったく違う遊色が立ち現れる。

 ただ一途に磨いて硬度や輝きを競うというより、世界を見る角度を増やせば増やすほど、自分の中の色が増えていくタイプだ。

 ビスケはほんの少しだけ口元を緩め、石を机へ置いた。

 

「合格」

 

 張り詰めていた糸が緩み、らでんはほうっと長い息を吐き出した。

 

「よかったぁ……」

 

 胸を撫で下ろすらでんへ、ビスケは軽く付け加えた。

 

「途中で見方を変えたのは、悪くなかったわ」

「っ、ありがとうございます!」

 

 言ったのはそれだけ。それ以上の評価は、やっぱり口には出さない。

 自分がどんな原石なのかは、これから本人が自分で歩いて磨いていけばいいのだ。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 全員の判定が終わるころには、空の赤みが消えてすっかり夜に入っていた。

 採石場の谷にいくつもの補助灯が点され、白い光に照らされた岩肌の影が地面へ長く伸びている。

 一次試験を抜けた九十一人のうち、この場に残った合格者は三十六人。また半分以上が振るい落とされた計算になる。

 ビスケは椅子から立ち上がり、居並ぶ三十六人の顔を見渡した。

 

「今回の試験。ただ値段の高い石を拾ってくればいいと思った人、見た目の綺麗な石を拾えばいいと思った人、それから他人が選んだものを横から真似した人。全部落としたわ」

 

 合格者たちの何人かが、ごくりと息を呑んで背筋を強張らせる。

 ビスケは机の上に残っていた不合格の石を一つ拾い上げ、小さな手のひらでころころと転がした。

 

「価値っていうのは、今表面に見えてる姿だけじゃ決まらない。その中に何が眠っているか、磨いた先に何に変わるか。それを見抜くのが、ハンターの仕事でしょ」

 

     ◇ ◇ ◇

 

 解散の合図が出たあと、はじめは自分の布袋の口をもう一度開けて、中の石を覗き込んでいた。

 掌の上でひょいひょいと重さを確かめながら、不思議そうに首を傾げる。

 

「なあ、うち、石のことなんか全然分かんねえのに受かったんだけど」

 

 隣で袋の紐を結び直しながら、らでんが苦笑いして答えた。

 

「でも、他の石との違いはちゃんと分かったんでしょう?」

「まあ、持った感覚でね」

「だったら、その感覚も立派な能力ですよ」

 

 すると、横からメンチが肘で軽くらでんの脇をつついた。

 

「そういうらでんも、専門外とか言ってたわりには結構やるじゃない。最初、すごく困ってるのが顔に出てたわよ」

「え、そんなに出てました? 実際めちゃくちゃ困りましたけど……」

 

 らでんが頬を押さえると、三人で顔を見合わせて小さく吹き出した。

 夜に入った谷を吹き抜ける風は昼間よりずっと冷たく、張り詰めていた気が緩むと同時に、朝から動きっぱなしだった一日の疲れがどっと足の裏へ降りてくる。

 そこへ、試験補助員の一人が足早に歩いてきて声を張り上げた。

 

「合格者はそのまま移動準備を。これより第三次試験会場まで、飛行船で移動する」

 

 その言葉に、はじめの目がぱあっと輝いた。

 

「飛行船!」

 

 らでんも思わず顔を上げて、補助灯の向こうに広がる夜空を見上げた。

 暗い空の上から、街の一角がそのまま浮いたような巨大な黒い影が、ゆっくりと採石場の上空へと降りてくるところだった。重々しいエンジンの駆動音が夜の谷間に低く反響し、風圧で足元の砂利がかすかに震える。

 見上げる二人の横で、メンチがぽつりと一言添えた。

 

「ねえ、機内食ってあるかな」

 

 はじめが吹き出してメンチを振り返る。

 

「今気にするの、そこなの?」

「あったりまえでしょ。夕飯まだなんだから、一番大事よ」

 

 言い合いながら、三人はもう一度ゆっくりと降下してくる飛行船の灯りを見上げた。

 誰も言わなかったけれど、三人とも自分が選んだ石が入った布袋は手放さないまま、タラップが下りる発着場へと歩き出した。

 

 午前の第一次試験から、この第二次試験まで。時計を見れば、まだ最初の一日すら終わっていない。

 けれど、朝の地下会場で初めて言葉を交わしたときよりも、並んで歩く三人の距離はもうずっと近くなっていた。

 

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