最初の襲撃から十分。第四チームはまだ動いていなかった。襲撃者が去った直後に移動するのは一見正しい。だがガロはそうしなかった。煙が完全に晴れるまで待ち、路地の両端を確認し、さらに一度彼らが来た方向へ五十メートルほど戻った。
そこから別の路地へ入る。目的地とは一度逆方向へ。追う側からは足音の方向が読みにくくなる。そう判断した。
はじめが不思議そうについていきながら聞いた。
「遠回り?」
「ああ、尾行されてるなら、まず切る。目的地へ一直線に逃げる奴は、追う側からすると一番楽だ」
「なるほど」
はじめは素直に納得した。
その後ろでらでんは地図へ小さく線を書き込んでいた。
配られた地図は粗い。路地の幅も、壁の高さも、見通しの利く場所も載っていない。
だからこそ自分たちが実際に通った道を残しておく。通行可能、崩落、袋小路、使えそうな建物、見かけた車両、そして襲撃地点。
鉛筆の線が地図の白い部分を少しずつ埋めていく。
ミナがそれを見て言った。
「几帳面だな」
「忘れるので」
「忘れそうに見えないけど」
「覚えてるのと、記録してあるのは別です」
ミナが少し笑った。
「そういうタイプか」
「どういうタイプです?」
「後から見返して、ここでこうだったって言えるタイプ」
らでんは少し考えて答えた。
「それは・・・好きですね」
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問題はこの先だった。
消防署で見つけた救急車は捨てた。だが徒歩で進むとしても、ハインを連れた状態では速度が上がらない。
実際、開始から二時間と少し。まだ都市の外縁部さえ抜けていない。ハインの歩調はわずかに乱れている。
ガロが腕時計を見る。
「このまま歩いてたら、初日で二十キロも怪しい」
ハインがすぐ反応した。
「だから車を使えばいいと言っただろう」
ガロが返した。
「使える車があればな」
「さっきあった」
「三十分後にタイヤが裂けても同じことが言えるなら使え」
ハインが言った。
「裂けるとは限らない」
ガロが返した。
「裂けないとも限らない」
ガロとハインが睨み合う。
らでんはそのやり取りを横目に、消防署から持ち出した一枚の紙を広げていた。
受付脇の壁に貼られていた古い防災案内図だった。端が日焼けし、折り目が白くなっている。
市内の主要避難所、病院、消防署、河川。そして。
らでんの指が止まった。
「……あ」
はじめが覗き込む。
「何?」
「路面電車」
地図の端。かなり薄くなった青い線が市街地を横断している。
十五年前に廃止されたらしい。配布された試験地図には載っていない。
線路なら道路の封鎖を受けにくい。そう仮説を立てた。
はじめが聞いた。
「これ使えんの?」
「電車自体は無理でしょうけど」
旧消防署から北西へ三キロほど先。第六車両整備所。らでんは線を追いながら答えた。
「整備所なら、保線用の車両が残ってるかもしれない」
ガロが地図を受け取り、距離を測った。
「エンジン車か?」
「分かりません。でも線路が生きてれば道路より封鎖されにくいかも」
ミナも覗き込みながら言った。
「証人を乗せられるものがあれば大きいね」
ハインが言った。
「なら早く行こう」
はじめが小声で言った。
「急に元気」
らでんは咳払いで笑いを誤魔化した。
---
旧バルサ市は、廃墟という言葉から想像するほど壊れてはいなかった。
建物も信号も広告看板も残り、ただ人間だけが抜け落ちている。
足音が壁に反響し、自分たちの人数より多く聞こえる。
らでんは時々妙な感覚に襲われた。
遺跡とは違う。もっと新しい。ほんの少し前まで誰かの日常だった場所が、その役割だけ失っている。
そういうものを見つけるたび足を止めたくなる。
けれど今日は見ている場合ではない。
立ち止まれば列が延び、ハインの負担が増える。そう判断して歩く。
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三キロ。二十分では無理だった。ハインがいた。
最初は速かった。だが三十分ほど経つと歩調が目に見えて落ちてきた。
敷石の段差で足が止まり、呼吸の間隔が短くなる。ミナは何も言わずそれを見ている。さらに十分。
ミナが言った。
「一回止まりましょう」
ガロが時計を見て言った。
「まだ行ける」
「あなたはね」
「俺じゃなくて誰だ?」
ミナはハインを見ていた。本人は不満そうな顔をした。
「私は大丈夫だ」
ミナが返した。
「大丈夫な人ほどそう言います」
「疲れているだけだ」
ミナは譲らずに言った。
「だから休むんです」
ガロが二秒ほど考えて決めた。
「三分」
長い休みは身体を冷やす。短く区切る方が持ち直す。そう判断した。
ハインが道端のベンチへ座る。はじめも座ろうとした。
ガロが言う。
「お前は立ってろ。屈伸やストレッチをしておけ」
はじめが抗議した。
「なんで!?」
「まだ体力が余ってるだろ。あったまった体のリズムを止めるより、ほぐした方が良い」
「理不尽!」
らでんが笑いながら水筒を出す。その横でミナはハインの顔色を見ていた。
らでんは少し感心して聞いた。
「見ただけで分かるんです?」
ミナがこちらを見て答えた。
「全部は分からないよ。でも急に口数が減ったとか、片足を少し庇ってるとか」
ミナはハインの右足を見る。確かにほんの少しだけ、段差でかばう動きがある。
「そういうのを見て、聞くの。病人も怪我人も、説明上手とは限らないから」
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旧第六車両整備所は思っていたより大きかった。半分崩れた門。錆びたレール。
奥には巨大な車庫が三棟。車庫の中は昼でも薄暗く、油と錆の匂いがこもっている。一両だけ古い路面電車が残っている。はじめの目が輝いた。
「これ動かん?」
らでんが答える。
「電気が来てないと思います」
「押せば?動かないかな」
「どれだけ重さがあると思ってるんです?」
はじめが聞いた。
「重さわかるの?」
「細かいところまでは知りません」
ガロはすでに別の建物を見ていた。
「保線車両はこっちだ」
動かない点検車、タイヤのない運搬車、錆びたトロッコを越え、一番奥で黄色い小型の台車を見つけた。
座席はなく、荷台と左右に長い棒だけがある。
はじめが首を傾げる。
「何これ」
ガロが棒を握る。一度下げる。
重い手応えのあと、車輪がわずかに動いた。
「手動の軌道車だな」
らでんの顔が明るくなる。
「動きそうですか?」
ガロがもう一度押す。それでも動く。
レールの継ぎ目を越えるたび車体が揺れる。はじめが反対側の棒を掴んだ。
「これ二人でやるやつ?」
ガロが答えた。
「たぶんな」
はじめが言った。
「やる」
「待て」
はじめが聞いた。
「なんで」
「線路を先に見てからだ」
はじめが不満そうに手を離した。
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一時間かけて調べた。線路は北西へおよそ八キロ。その先で高架橋の一部が崩れている。少なくとも途中までは使える。台車そのものも古い。だが車輪と軸は生きている。ブレーキも利く。
ガロが言った。
「使えるな。速くはないが、証人と荷物を乗せられる」
ハインは露骨に安堵した。
「最初からこういうものを用意しておけばいいものを」
はじめが荷台へハインの荷物を乗せながら小声で言う。
「うちらが用意する試験だもんね」
らでんが止める
「はじめさんしっ」
「・・・聞こえている」
ハインが言った。
はじめはまったく気にしていなかった。
「聞こえてた」
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台車は意外なほど快適だった。
少なくとも乗っている側には。ハインとミナ。証拠品ケース。食料。水。
前後の棒をガロとはじめが上下させる。一定の周期で車輪が回る。
らでんは最初線路沿いを歩いていた。枕木の間隔が歩幅と合わず、足裏が少し疲れる。
はじめが呼ぶ。
「らでん!交代!」
「まだ十分しか経ってませんよ」
「飽きた!」
らでんが「早っ」っと突っ込んだ。
交代。らでんが棒を握る。重い。思っていたよりずっと。
下げる、戻る、下げる、戻る。肩から背中へ疲れが広がる。
らでんが声を上げた。
「うわ……これキッツイ」
「楽しい?」
らでんが聞き返した。
「はじめさん、これ楽しかったんですか?」
「最初は」
「流石に最初だけですよね!?」
ガロが前方を見ながら言った。
「喋れるならまだ余裕だ」
どこかで聞いたような台詞だった。らでんは第一次試験を思い出し少しだけ笑った。
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八キロ全部は進めなかった。五キロほど進んだところで前方に別の音が聞こえた。
エンジン。レールの音とは違う。かなり速い。
ガロが言った。
「止めろ」
台車を停止。全員線路脇の建物の陰へ移る。大通りが線路と交差している。
そこを一台のワゴン車が横切った。受験者。別チームだ。証人らしき人物を含め五人。
はじめが羨ましそうに言う。
「車あったんだ」
ハインも明らかにそちらを見る。
「ほら。ああいう車を探すべきだったんだ」
ガロは答えなかった。ワゴン車はあっという間に遠ざかっていった。
速い。自分たちの何倍も。
ガロは時計を見て言った。
「別に競走じゃない」
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二十分後。その意味を知った。
交差点の先。道路が完全に塞がれていた。
大型バス二台。工事用バリケード。横転したコンテナ。
アスファルトには黒いタイヤ痕が何本も重なっている。
そしてさっきのワゴン車。前輪が一つ外れていた。
窓ガラスは割れ、ドアは開いている。人影はない。
はじめが「あ」と小さく言った。
ガロは何も言わず周囲を確認する。すぐには近づかない。まず遠くから見る。
らでんも見る。血はない。戦闘の跡だ。道路へ落ちた腕章の留め具だけが外されている。
つまり奪われた後に置いていったのではなく、外して持ち去ったのだと判断した。
らでんが聞いた。
「襲われたんですかね」
「たぶんな」
ハインは罰が悪そうに黙った。先ほどまでの車への不満は消えたようだ。
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そのさらに百メートル先で一人見つけた。道路脇。壊れた電話ボックスの前。
男が座っている。受験者。腕章がない。らでんたちを見ると片手を上げた。
ガロが見通しの利く場所で足を止め、建物の陰を背にして言った。
「襲撃者に取られたか。三十分は動けないな」
男は苦笑した。
「あと十四分だ」
腕章を奪われた。だからその場から動けない。
ミナが聞く。
「仲間は?」
男はあっさり答えた。
「行った。ケースと証人を取られるよりマシだ」
足首がかなり腫れている。靴の上からでも分かる。
ミナの表情が変わる。しゃがみ、腫れの縁へそっと触れる。
ミナが聞いた。
「それで置いていったの?」
男は答えた。
「俺が言った。行けって」
ボトバイのルール。全員到着する必要はない。その言葉が急に形を持った。
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ガロは男の足を見た。腫れ方、色、体重をかけた時の顔の歪みを見る。
そして時計を見る。日没までの時間と、ここからの距離を計算している。
ガロが男に聞いた。
「歩けるか」
「たぶん」
ミナが即座に言った。
「無理だと思う」
腫れた足首へ指を当て、動く範囲を確かめる。
「ひどい捻挫 たぶん靭帯までいってる」
ガロが聞く
「応急処置に何分だ」
「固定だけなら五分」
ガロは考える。長く止まれる場所ではない。
ハインが口を挟んだ。
「他チームだろう。放っておけ。時間の無駄だ」
誰も反応しない。ハインが続けた。
「我々には関係ない」
今度は全員がハインを見る。ハインは少し苛立ったように言った。
「何か間違っているっていうのか?」
正論だった。少なくとも試験ルールだけを読めば。
男自身も言う。
「いいよ。行け。この程度で死なねえし、十四分後には動ける」
ミナがしゃがんだ。すでに鞄を開け、テープの端を探している。
ガロを見て言った。
「五分。それ以上は使わない」
ガロは腕時計を見て言った。
「四分だ」
「ケチ」
ガロが言った。
「五分で終わらせろ」
ミナはすでに鞄を開けていた。
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テーピング、固定、痛み止め。らでんは周囲を警戒し、交差点の角と屋上を見張る。
はじめは台車のそばにいた。ハインだけが少し離れてそれを見てぼそりと言った。
「時間を失った」
ガロが言う。
「そうだな」
「ならなぜ助ける」
「まだ四分だ」
ハインが眉を寄せて聞いた。
「どういう意味だ」
「四分失っても任務に影響しない。今はな。なら助けられる」
「これが一時間ならどうする。半日なら?」
「置いていく」
ハインは少しびっくりしたような表情をして、その後小さい声で言った。
「……冷たいな」
「仕事だからな」
少し間。ガロが続ける。
「でも、助けられる奴まで置いていく理由にはならん」
その言葉に、はじめが一瞬ガロを見た。らでんも見ていた。
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午後五時。高架崩落地点。コンクリートの橋桁が折れ、鉄筋がむき出しになっている。
落下した桁が線路を塞ぎ、その先へ台車は進めない。そこで手動台車とは別れた。
ここまでで開始地点から約十八キロ。悪くない。むしろハインを連れていることを考えれば予定以上だった。だが日が落ち始めている。地図上ではこの先に河川管理地区がある。そこまで六キロ。ガロは決めた。
「今日中に行く。あと6キロだ」
「まだ歩くのか?今日はもう十分だろう」
「明日もっと楽になる保証はない」
「私は疲れている」
ミナがハインの顔色、呼吸、足の出し方を確かめてから言った。
「大丈夫ですよハインさん。歩けます」
ハインが睨んで言った。
「君は私の医者か?」
「違います」
「なら」
ミナがにっこりして言った。
「でも今のところ、休養が必要な状態には見えません」
らでんはこの人結構強いなと思った。
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河川管理地区へ向かう途中。街の景色が変わった。商店、住宅、オフィス、それらが減り、倉庫、水門、ポンプ場、堤防と巨大なコンクリート施設が増える。
らでんは疲れているのに少しだけ気分が上がった。錆びた水門の蝶番、剥がれた塗装の下の金属。誰も普段見ない部分に理由がある。はじめが聞いた。
「こういうの好きなの?」
「え?」
「顔」
「顔?」
はじめが言った。
「楽しそう」
飛行船でらでんがはじめへ言ったのと同じ言葉だ。らでんは一瞬言葉に詰まる。
はじめが笑った。
「お返し」
「……嫌な覚え方しますね」
「でも好きなんでしょ?」
らでんは巨大な水門を見る。この街で人が暮らしていた時。
その生活をこういうものが黙って支えていた。
らでんは答えた。
「好きです。誰も普段見ないものにちゃんと理由があるの。そういうの面白いです」
はじめは「ふーん」と言った。
完全には分かっていない顔だった。でも否定はしなかった。
---
夜七時十四分。第四チームは旧第三河川管理事務所へ入った。
二階建て。コンクリートの外壁に蔦が絡んでいる。窓は一部割れている。しかし一階は浸水跡がある。二階は比較的乾燥している。
出入口は三つ。非常階段、屋上、水の確保ができる。周囲は開けていて、接近する人間の足音が聞きつけやすい。ガロが建物を一周し、窓からの見通しと階段の音を確認してから決めた。
「今日はここだ」
まず建物確認。はじめとガロの二人一組だ。五分後に二人が戻って報告した。
「誰もいない。二階西側は床が抜けてる。屋上へは行ける」
次にミナが飲料水を確認する。裏手に試験用と思われる給水設備があった。協会マークがある。らでんが苦笑して言った。
「全部、本当に放置ってわけじゃないんですね」
ガロが答えた。
「当たり前だ。三十六人死んだら試験にならん」
確かにそれもそうだ。
---
夕食は硬い携帯食、乾燥肉、ビスケット、水だった。はじめが袋を見て言った。
「味ない」
ミナが表示を見て答える。
「栄養と味は別だから」
ガロは黙々と食べ、ハインは二口で袋を置いた。
「こんなものを三日?」
ガロが返した。
「嫌なら食わなくていい」
「本当に警備員だったのか?」
「元な」
「客への態度ではないだろう」
ガロが返した。
「今のお前は客じゃない」
ハインの眉がぴくりと動いた。
---
食後。見張りの順番を決める。二人一組。二時間交代。
ガロとらでん。はじめとミナ。
この二組が交互に屋上へ立つ。
ハインが聞いた。
「私は?」
「寝ろ」
「私は護送対象だからか」
「戦えないんだろ」
「普通の一般人だと言っただけだ」
その言葉にらでんが一瞬だけ顔を上げた。ハインはそのまま奥の部屋へ行った。
---
最初の見張り。午後九時。屋上。街は暗い。本当に暗かった。
電気のない都市はこれほどまでに黒いのかと思う。街灯も、窓の明かりもない。遠くに点々と光る。
他のチームだろうか。あるいは妨害役。判別できない。
ガロは屋上の縁に座り、らでんは少し離れて壁にもたれていた。しばらく会話はなかった。
やがてガロが言った。
「左肩は痛むか」
「はい?……ちょっとだけです」
「なら寝る前に冷やせ」
らでんが答えた。「分かりました」
また沈黙。
遠くで何かが倒れるような音がして、二人ともそちらを見る。
風の音だった。
---
「なんでハンターに?」
「突然だな」
らでんが答えた。
「夜なので」
「理由になってないと思うが」
らでんが言った。
「なんとなく聞きたくなりました」
ガロは前を見る。街の黒さの向こう、川の水音だけが一定に聞こえる。
長い沈黙。答えないのかと思った頃。ガロが喋り出した。
「警備会社にいた」
「はい」
「人を運ぶ仕事もした」
「要人ですか?」
ガロが答えた。「色々だ」と
それ以上は言わない。だが少ししてから言った。
「一度、国境近くで揉めたことがある」
らでんは黙って聞く。
「契約上はそこから先に入れなかった。許可もなかった。依頼人はその先に家族がいた」
ガロの声は変わらない。らでんが聞いた。
「どうなったんです?」
「知らん。俺の仕事はそこまでだった」
らでんは何も言わなかった。慰める話でもない。怒る話でもない。たぶんガロ自身がそういう返事を求めていない。
少しして彼が言った。「ハンター資格があれば入れる場所が増える」それだけ。らでんは「なるほど」と答えた。ガロは少し笑った。
「それだけか」
「何か言ってほしかったんです?」
「いや」
「じゃあいいじゃないですか」
ガロが言った。
「十二歳ってもっと面倒かと思ってた」
らでんが一言だけ返す。
「偏見ですよ」
---
交代。十一時。階段を上がる足音。はじめとミナが屋上へ来る。
はじめは寝起きなのに妙に元気だった。はじめが聞いた。
「敵いた?」
「いない」
はじめが残念そうに言った。
「残念」
「残念がるな」
らでんは階段へ向かう。途中ミナに呼び止められた。
「左肩、冷やしてから寝て」
らでんが答えた。
「ガロさんにも言われました」
ミナが言った。
「じゃあ絶対」
「はい」
---
二階。暗い廊下。ハインが使っている部屋を通り過ぎる。
扉が開いた。中にいるハインに呼び止められた。
「君」
らでんが止まる。ハインだった。部屋の中は外より暖かい。
「まだ起きてたんですか?」
ハインがそのとおりだと言った。また「少し話せるか」妙な言い方だった。
らでんは少し警戒した。だが廊下で見える場所だ。階段の音も聞こえる。問題はない。
「何でしょう」
「今日、別チームの男を助けただろう」
らでんが答えた。
「・・・ミナさんがですけど」
「チームとしてだ」
「・・・」
ハインが聞いた。
「あれをどう思う」
唐突だった。らでんは少し考える。
「どう、とは?」
「正しい判断だったか」
正しい。その言葉にらでんは少し引っかかった。
「結果だけなら、四、五分で済んだのでよかったんじゃないですか」
「もし五十分必要だったら?」
「たぶんですが・・・置いていくのが正解だと思います」
ハインの目が少し細くなる。
「仲間でも?」
らでんは答えなかった。ほんの一瞬昼間のはじめの顔が浮かぶ。
「……分かりません」
「意外だな」
「なんでです?」
「もっと理屈で答えると思った」
らでんは少し眉を寄せて答えた。
「理屈では置いていくべき状況もあるでしょうけど、実際その時にできるかはその時にならないと分からないです」
「そうか」
ハインはなぜか少し満足そうだった。
---
ハインが言った。
「もう一つ」
「まだあるんです?」
「護送される人間が、必ずしも護送されたいとは限らない」
らでんはハインを見る。廊下の暗さの中で、ハインの目だけがはっきりしている。
「逃げたい者もいる。嘘をつく者もいる。護送する側に本当のことを全部話すとも限らない」
らでんは黙った。
「……ハインさん」
「何だ」
らでんが少し笑って言った。
「それ、もう普通の一般人の話だけじゃないですね」
ハインも薄く笑った。そしてそれ以上何も答えず部屋へ戻った。
扉が閉まる。らでんはしばらくそこに立っていた。
---
深夜一時。交代のためガロとらでんが屋上へ向かう。
途中、はじめとミナが降りてきた。はじめが言った。
「なんもなかった、そっちは?」
「ハインさんとちょっと話しました」
「何の?」
「なんというか・・・よく分かりません」
らでん自身、本当によく分からなかった。ただ一つだけ。ハイン=ボルクは単なる護送されるお荷物役ではない。そのことだけ確かだった。
午前三時には再びはじめとミナが屋上へ上がり、明け方まで二組が交代で見張りを続けた。
---
午前五時五十八分。空がわずかに青くなり始めた頃。第四チームは全員起きていた。
簡単な朝食。装備確認。靴紐、水、証拠品ケース。らでんは地図を広げ今日の経路を確認する。
ここから市街地を抜け、午後には森林部へ入りたい。
ガロが「出るぞ」と言った。
その瞬間に全員の腕章から電子音が鳴った。ピッと一度。
続いて小さな画面に文字が浮かんだ。
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《第三次試験 追加指令》
開始から二十四時間経過後、各チームは他チーム所属受験者の認証札を一枚以上確保せよ。
期限は開始から四十八時間時点。手段は問わない。
自チームの認証札を失っても即時失格とはしない。
ただし期限時点で他チームの認証札を一枚も保有していないチームは失格とする。
---
しばらく誰も喋らなかった。はじめが画面を見る。もう一度読む。
はじめが言った。
「……つまり、今日から」
「あぁ、妨害役だけじゃない」
ガロが不満そうな顔で答えた。ミナも呼応するように窓の外を見ながら言う。
「受験者同士でも奪い合えってことね。腹立つ」
まだ眠っているように静かな街。そのどこかに残り八チーム。
窓の外の明るみ始めた道路が、昨日とは違う意味を持って見える。
ハインは壁にもたれながら少しだけ笑って言った。
「昨日より面白くなってきたな」
四人が同時に彼を見る。ハインは答えず、壁から背を離した。
二日目。残り四十八時間。