儒烏風亭らでんは世界を蒐集する   作:今日も元気ですマン

8 / 13
第八話 第三次試験 街は黙っている

 最初の襲撃から十分。第四チームはまだ動いていなかった。襲撃者が去った直後に移動するのは一見正しい。だがガロはそうしなかった。煙が完全に晴れるまで待ち、路地の両端を確認し、さらに一度彼らが来た方向へ五十メートルほど戻った。

 そこから別の路地へ入る。目的地とは一度逆方向へ。追う側からは足音の方向が読みにくくなる。そう判断した。

 

 はじめが不思議そうについていきながら聞いた。

 「遠回り?」

 「ああ、尾行されてるなら、まず切る。目的地へ一直線に逃げる奴は、追う側からすると一番楽だ」

 「なるほど」

 

 はじめは素直に納得した。

 その後ろでらでんは地図へ小さく線を書き込んでいた。

 配られた地図は粗い。路地の幅も、壁の高さも、見通しの利く場所も載っていない。

 だからこそ自分たちが実際に通った道を残しておく。通行可能、崩落、袋小路、使えそうな建物、見かけた車両、そして襲撃地点。

 鉛筆の線が地図の白い部分を少しずつ埋めていく。

 ミナがそれを見て言った。

 

 「几帳面だな」

 「忘れるので」

 「忘れそうに見えないけど」

 「覚えてるのと、記録してあるのは別です」

 

 ミナが少し笑った。

 

 「そういうタイプか」

 「どういうタイプです?」

 「後から見返して、ここでこうだったって言えるタイプ」

 

 らでんは少し考えて答えた。

 「それは・・・好きですね」

 

---

 

 問題はこの先だった。

 消防署で見つけた救急車は捨てた。だが徒歩で進むとしても、ハインを連れた状態では速度が上がらない。

 実際、開始から二時間と少し。まだ都市の外縁部さえ抜けていない。ハインの歩調はわずかに乱れている。

 ガロが腕時計を見る。

 「このまま歩いてたら、初日で二十キロも怪しい」

 

 ハインがすぐ反応した。

 「だから車を使えばいいと言っただろう」

 

 ガロが返した。

 「使える車があればな」

 「さっきあった」

 「三十分後にタイヤが裂けても同じことが言えるなら使え」

 

 ハインが言った。

 「裂けるとは限らない」

 

 ガロが返した。

 「裂けないとも限らない」

 

 ガロとハインが睨み合う。

 らでんはそのやり取りを横目に、消防署から持ち出した一枚の紙を広げていた。

 受付脇の壁に貼られていた古い防災案内図だった。端が日焼けし、折り目が白くなっている。

 市内の主要避難所、病院、消防署、河川。そして。

 

 らでんの指が止まった。

 「……あ」

 

 はじめが覗き込む。

 

 「何?」

 「路面電車」

 

 地図の端。かなり薄くなった青い線が市街地を横断している。

 十五年前に廃止されたらしい。配布された試験地図には載っていない。

 線路なら道路の封鎖を受けにくい。そう仮説を立てた。

 

 はじめが聞いた。

 

 「これ使えんの?」

 「電車自体は無理でしょうけど」

 

 旧消防署から北西へ三キロほど先。第六車両整備所。らでんは線を追いながら答えた。

 

 「整備所なら、保線用の車両が残ってるかもしれない」

 

 ガロが地図を受け取り、距離を測った。

 

 「エンジン車か?」

 「分かりません。でも線路が生きてれば道路より封鎖されにくいかも」

 

 ミナも覗き込みながら言った。

 

 「証人を乗せられるものがあれば大きいね」

 

 ハインが言った。

 

 「なら早く行こう」

 

 はじめが小声で言った。

 

 「急に元気」

 

 らでんは咳払いで笑いを誤魔化した。

 

---

 

 旧バルサ市は、廃墟という言葉から想像するほど壊れてはいなかった。

 建物も信号も広告看板も残り、ただ人間だけが抜け落ちている。

 足音が壁に反響し、自分たちの人数より多く聞こえる。

 

 らでんは時々妙な感覚に襲われた。

 遺跡とは違う。もっと新しい。ほんの少し前まで誰かの日常だった場所が、その役割だけ失っている。

 そういうものを見つけるたび足を止めたくなる。

 

 けれど今日は見ている場合ではない。

 立ち止まれば列が延び、ハインの負担が増える。そう判断して歩く。

 

---

 

 三キロ。二十分では無理だった。ハインがいた。

 最初は速かった。だが三十分ほど経つと歩調が目に見えて落ちてきた。

 敷石の段差で足が止まり、呼吸の間隔が短くなる。ミナは何も言わずそれを見ている。さらに十分。

 

 ミナが言った。

 「一回止まりましょう」

 

 ガロが時計を見て言った。

 「まだ行ける」

 「あなたはね」

 「俺じゃなくて誰だ?」

 

 ミナはハインを見ていた。本人は不満そうな顔をした。

 「私は大丈夫だ」

 

 ミナが返した。

 「大丈夫な人ほどそう言います」

 「疲れているだけだ」

 

 ミナは譲らずに言った。

 「だから休むんです」

 

 ガロが二秒ほど考えて決めた。

 「三分」

 

 長い休みは身体を冷やす。短く区切る方が持ち直す。そう判断した。

 

 ハインが道端のベンチへ座る。はじめも座ろうとした。

 ガロが言う。

 

 「お前は立ってろ。屈伸やストレッチをしておけ」

 

 はじめが抗議した。

 

 「なんで!?」

 「まだ体力が余ってるだろ。あったまった体のリズムを止めるより、ほぐした方が良い」

 「理不尽!」

 

 らでんが笑いながら水筒を出す。その横でミナはハインの顔色を見ていた。

 らでんは少し感心して聞いた。

 

 「見ただけで分かるんです?」

 

 ミナがこちらを見て答えた。

 

 「全部は分からないよ。でも急に口数が減ったとか、片足を少し庇ってるとか」

 

 ミナはハインの右足を見る。確かにほんの少しだけ、段差でかばう動きがある。

 

 「そういうのを見て、聞くの。病人も怪我人も、説明上手とは限らないから」

 

---

 

 旧第六車両整備所は思っていたより大きかった。半分崩れた門。錆びたレール。

 奥には巨大な車庫が三棟。車庫の中は昼でも薄暗く、油と錆の匂いがこもっている。一両だけ古い路面電車が残っている。はじめの目が輝いた。

 

 「これ動かん?」

 

 らでんが答える。

 

 「電気が来てないと思います」

 「押せば?動かないかな」

 「どれだけ重さがあると思ってるんです?」

 

 はじめが聞いた。

 

 「重さわかるの?」

 「細かいところまでは知りません」

 

 ガロはすでに別の建物を見ていた。

 

 「保線車両はこっちだ」

 

 動かない点検車、タイヤのない運搬車、錆びたトロッコを越え、一番奥で黄色い小型の台車を見つけた。

 座席はなく、荷台と左右に長い棒だけがある。

 はじめが首を傾げる。

 

 「何これ」

 

 ガロが棒を握る。一度下げる。

 重い手応えのあと、車輪がわずかに動いた。

 

 「手動の軌道車だな」

 

 らでんの顔が明るくなる。

 

 「動きそうですか?」

 

 ガロがもう一度押す。それでも動く。

 レールの継ぎ目を越えるたび車体が揺れる。はじめが反対側の棒を掴んだ。

 

 「これ二人でやるやつ?」

 

 ガロが答えた。

 

 「たぶんな」

 

 はじめが言った。

 

 「やる」

 「待て」

 

 はじめが聞いた。

 

 「なんで」

 「線路を先に見てからだ」

 

 はじめが不満そうに手を離した。

 

---

 

 一時間かけて調べた。線路は北西へおよそ八キロ。その先で高架橋の一部が崩れている。少なくとも途中までは使える。台車そのものも古い。だが車輪と軸は生きている。ブレーキも利く。

 

 ガロが言った。

 

 「使えるな。速くはないが、証人と荷物を乗せられる」

 

 ハインは露骨に安堵した。

 

 「最初からこういうものを用意しておけばいいものを」

 

 はじめが荷台へハインの荷物を乗せながら小声で言う。

 

 「うちらが用意する試験だもんね」

 

 らでんが止める 

 

 「はじめさんしっ」

 「・・・聞こえている」

 

 ハインが言った。

 はじめはまったく気にしていなかった。

 

 「聞こえてた」

 

---

 

 台車は意外なほど快適だった。

 少なくとも乗っている側には。ハインとミナ。証拠品ケース。食料。水。

 前後の棒をガロとはじめが上下させる。一定の周期で車輪が回る。

 

 らでんは最初線路沿いを歩いていた。枕木の間隔が歩幅と合わず、足裏が少し疲れる。

 はじめが呼ぶ。

 

 「らでん!交代!」

 「まだ十分しか経ってませんよ」

 「飽きた!」

 

 らでんが「早っ」っと突っ込んだ。

 交代。らでんが棒を握る。重い。思っていたよりずっと。

 下げる、戻る、下げる、戻る。肩から背中へ疲れが広がる。

 らでんが声を上げた。

 

 「うわ……これキッツイ」

 「楽しい?」

 

 らでんが聞き返した。

 

 「はじめさん、これ楽しかったんですか?」

 「最初は」

 「流石に最初だけですよね!?」

 

 ガロが前方を見ながら言った。

 「喋れるならまだ余裕だ」

 どこかで聞いたような台詞だった。らでんは第一次試験を思い出し少しだけ笑った。

 

---

 

 八キロ全部は進めなかった。五キロほど進んだところで前方に別の音が聞こえた。

 エンジン。レールの音とは違う。かなり速い。

 

 ガロが言った。

 

 「止めろ」

 

 台車を停止。全員線路脇の建物の陰へ移る。大通りが線路と交差している。

 そこを一台のワゴン車が横切った。受験者。別チームだ。証人らしき人物を含め五人。

 

 はじめが羨ましそうに言う。

 

 「車あったんだ」

 

 ハインも明らかにそちらを見る。

 

 「ほら。ああいう車を探すべきだったんだ」

 

 ガロは答えなかった。ワゴン車はあっという間に遠ざかっていった。

 速い。自分たちの何倍も。

 ガロは時計を見て言った。

 

 「別に競走じゃない」

 

---

 

 二十分後。その意味を知った。

 交差点の先。道路が完全に塞がれていた。

 大型バス二台。工事用バリケード。横転したコンテナ。

 アスファルトには黒いタイヤ痕が何本も重なっている。

 そしてさっきのワゴン車。前輪が一つ外れていた。

 窓ガラスは割れ、ドアは開いている。人影はない。

 

 はじめが「あ」と小さく言った。

 ガロは何も言わず周囲を確認する。すぐには近づかない。まず遠くから見る。

 らでんも見る。血はない。戦闘の跡だ。道路へ落ちた腕章の留め具だけが外されている。

 つまり奪われた後に置いていったのではなく、外して持ち去ったのだと判断した。

 

 らでんが聞いた。

 

 「襲われたんですかね」

 「たぶんな」

 

 ハインは罰が悪そうに黙った。先ほどまでの車への不満は消えたようだ。

 

---

 

 そのさらに百メートル先で一人見つけた。道路脇。壊れた電話ボックスの前。

 男が座っている。受験者。腕章がない。らでんたちを見ると片手を上げた。

 ガロが見通しの利く場所で足を止め、建物の陰を背にして言った。

 

 「襲撃者に取られたか。三十分は動けないな」

 

 男は苦笑した。

 

 「あと十四分だ」

 

 腕章を奪われた。だからその場から動けない。

 ミナが聞く。

 

 「仲間は?」

 

 男はあっさり答えた。

 「行った。ケースと証人を取られるよりマシだ」

 

 足首がかなり腫れている。靴の上からでも分かる。

 ミナの表情が変わる。しゃがみ、腫れの縁へそっと触れる。

 ミナが聞いた。

 

 「それで置いていったの?」

 

 男は答えた。

 

 「俺が言った。行けって」

 

 ボトバイのルール。全員到着する必要はない。その言葉が急に形を持った。

 

---

 

 ガロは男の足を見た。腫れ方、色、体重をかけた時の顔の歪みを見る。

 そして時計を見る。日没までの時間と、ここからの距離を計算している。

 ガロが男に聞いた。

 

 「歩けるか」

 「たぶん」

 

 ミナが即座に言った。

 

 「無理だと思う」

 

 腫れた足首へ指を当て、動く範囲を確かめる。

 

 「ひどい捻挫 たぶん靭帯までいってる」

 

 ガロが聞く

 

 「応急処置に何分だ」

 「固定だけなら五分」

 

 ガロは考える。長く止まれる場所ではない。

 ハインが口を挟んだ。

 

 「他チームだろう。放っておけ。時間の無駄だ」

 

 誰も反応しない。ハインが続けた。

 

 「我々には関係ない」

 

 今度は全員がハインを見る。ハインは少し苛立ったように言った。

 

 「何か間違っているっていうのか?」

 

 正論だった。少なくとも試験ルールだけを読めば。

 男自身も言う。

 

 「いいよ。行け。この程度で死なねえし、十四分後には動ける」

 

 ミナがしゃがんだ。すでに鞄を開け、テープの端を探している。

 ガロを見て言った。

 

 「五分。それ以上は使わない」

 

 ガロは腕時計を見て言った。

 

 「四分だ」

 「ケチ」

 

 ガロが言った。

 

 「五分で終わらせろ」

 

 ミナはすでに鞄を開けていた。

 

---

 

 テーピング、固定、痛み止め。らでんは周囲を警戒し、交差点の角と屋上を見張る。

 はじめは台車のそばにいた。ハインだけが少し離れてそれを見てぼそりと言った。

 

 「時間を失った」

 

 ガロが言う。

 「そうだな」

 「ならなぜ助ける」

 「まだ四分だ」

 

 ハインが眉を寄せて聞いた。

 

 「どういう意味だ」

 「四分失っても任務に影響しない。今はな。なら助けられる」

 「これが一時間ならどうする。半日なら?」

 「置いていく」

 

 ハインは少しびっくりしたような表情をして、その後小さい声で言った。

 

 「……冷たいな」

 「仕事だからな」

 

 少し間。ガロが続ける。

 

 「でも、助けられる奴まで置いていく理由にはならん」

 

 その言葉に、はじめが一瞬ガロを見た。らでんも見ていた。

 

---

 

 午後五時。高架崩落地点。コンクリートの橋桁が折れ、鉄筋がむき出しになっている。

 落下した桁が線路を塞ぎ、その先へ台車は進めない。そこで手動台車とは別れた。

 ここまでで開始地点から約十八キロ。悪くない。むしろハインを連れていることを考えれば予定以上だった。だが日が落ち始めている。地図上ではこの先に河川管理地区がある。そこまで六キロ。ガロは決めた。

 

 「今日中に行く。あと6キロだ」

 「まだ歩くのか?今日はもう十分だろう」

 「明日もっと楽になる保証はない」

 「私は疲れている」

 

 ミナがハインの顔色、呼吸、足の出し方を確かめてから言った。

 

 「大丈夫ですよハインさん。歩けます」

 

 ハインが睨んで言った。

 

 「君は私の医者か?」

 「違います」

 「なら」

 

 ミナがにっこりして言った。

 

 「でも今のところ、休養が必要な状態には見えません」

 

 らでんはこの人結構強いなと思った。

 

---

 

 河川管理地区へ向かう途中。街の景色が変わった。商店、住宅、オフィス、それらが減り、倉庫、水門、ポンプ場、堤防と巨大なコンクリート施設が増える。

 

 らでんは疲れているのに少しだけ気分が上がった。錆びた水門の蝶番、剥がれた塗装の下の金属。誰も普段見ない部分に理由がある。はじめが聞いた。

 

 「こういうの好きなの?」

 「え?」

 「顔」

 「顔?」

 

 はじめが言った。

 

 「楽しそう」

 

 飛行船でらでんがはじめへ言ったのと同じ言葉だ。らでんは一瞬言葉に詰まる。

 はじめが笑った。

 

 「お返し」

 「……嫌な覚え方しますね」

 「でも好きなんでしょ?」

 

 らでんは巨大な水門を見る。この街で人が暮らしていた時。

 その生活をこういうものが黙って支えていた。

 らでんは答えた。

 

 「好きです。誰も普段見ないものにちゃんと理由があるの。そういうの面白いです」

 

 はじめは「ふーん」と言った。

 完全には分かっていない顔だった。でも否定はしなかった。

 

---

 

 夜七時十四分。第四チームは旧第三河川管理事務所へ入った。

 二階建て。コンクリートの外壁に蔦が絡んでいる。窓は一部割れている。しかし一階は浸水跡がある。二階は比較的乾燥している。

 出入口は三つ。非常階段、屋上、水の確保ができる。周囲は開けていて、接近する人間の足音が聞きつけやすい。ガロが建物を一周し、窓からの見通しと階段の音を確認してから決めた。

 

 「今日はここだ」

 

 まず建物確認。はじめとガロの二人一組だ。五分後に二人が戻って報告した。

 

 「誰もいない。二階西側は床が抜けてる。屋上へは行ける」

 

 次にミナが飲料水を確認する。裏手に試験用と思われる給水設備があった。協会マークがある。らでんが苦笑して言った。

 

 「全部、本当に放置ってわけじゃないんですね」

 

 ガロが答えた。

 

 「当たり前だ。三十六人死んだら試験にならん」

 

 確かにそれもそうだ。

 

---

 

 夕食は硬い携帯食、乾燥肉、ビスケット、水だった。はじめが袋を見て言った。

 

 「味ない」

 

 ミナが表示を見て答える。

 

 「栄養と味は別だから」

 

 ガロは黙々と食べ、ハインは二口で袋を置いた。

 

 「こんなものを三日?」

 

 ガロが返した。

 

 「嫌なら食わなくていい」

 「本当に警備員だったのか?」

 「元な」

 「客への態度ではないだろう」

 

 ガロが返した。

 

 「今のお前は客じゃない」

 

 ハインの眉がぴくりと動いた。

 

---

 

 食後。見張りの順番を決める。二人一組。二時間交代。

 ガロとらでん。はじめとミナ。

 この二組が交互に屋上へ立つ。

 ハインが聞いた。

 

 「私は?」

 「寝ろ」

 「私は護送対象だからか」

 「戦えないんだろ」

 「普通の一般人だと言っただけだ」

 

 その言葉にらでんが一瞬だけ顔を上げた。ハインはそのまま奥の部屋へ行った。

 

---

 

 最初の見張り。午後九時。屋上。街は暗い。本当に暗かった。

 電気のない都市はこれほどまでに黒いのかと思う。街灯も、窓の明かりもない。遠くに点々と光る。

 他のチームだろうか。あるいは妨害役。判別できない。

 ガロは屋上の縁に座り、らでんは少し離れて壁にもたれていた。しばらく会話はなかった。

 やがてガロが言った。

 

 「左肩は痛むか」

 「はい?……ちょっとだけです」

 「なら寝る前に冷やせ」

 

 らでんが答えた。「分かりました」

 また沈黙。

 

 遠くで何かが倒れるような音がして、二人ともそちらを見る。

 風の音だった。

 

---

 

「なんでハンターに?」

「突然だな」

 

 らでんが答えた。

 

 「夜なので」

 「理由になってないと思うが」

 

 らでんが言った。

 

 「なんとなく聞きたくなりました」

 

 ガロは前を見る。街の黒さの向こう、川の水音だけが一定に聞こえる。

 長い沈黙。答えないのかと思った頃。ガロが喋り出した。

 

 「警備会社にいた」

 「はい」

 「人を運ぶ仕事もした」

 「要人ですか?」

 

 ガロが答えた。「色々だ」と

 それ以上は言わない。だが少ししてから言った。

 

 「一度、国境近くで揉めたことがある」

 

 らでんは黙って聞く。

 

 「契約上はそこから先に入れなかった。許可もなかった。依頼人はその先に家族がいた」

 

 ガロの声は変わらない。らでんが聞いた。

 

 「どうなったんです?」

 「知らん。俺の仕事はそこまでだった」

 

 らでんは何も言わなかった。慰める話でもない。怒る話でもない。たぶんガロ自身がそういう返事を求めていない。

 少しして彼が言った。「ハンター資格があれば入れる場所が増える」それだけ。らでんは「なるほど」と答えた。ガロは少し笑った。

 

 「それだけか」

 「何か言ってほしかったんです?」

 「いや」

 「じゃあいいじゃないですか」

 

 ガロが言った。

 「十二歳ってもっと面倒かと思ってた」

 

 らでんが一言だけ返す。

 「偏見ですよ」

 

---

 

 交代。十一時。階段を上がる足音。はじめとミナが屋上へ来る。

 はじめは寝起きなのに妙に元気だった。はじめが聞いた。

 

 「敵いた?」

 「いない」

 

 はじめが残念そうに言った。

 

 「残念」

 「残念がるな」

 

 らでんは階段へ向かう。途中ミナに呼び止められた。

 

 「左肩、冷やしてから寝て」

 

 らでんが答えた。

 

 「ガロさんにも言われました」

 

 ミナが言った。

 

 「じゃあ絶対」

 「はい」

 

---

 

 二階。暗い廊下。ハインが使っている部屋を通り過ぎる。

 扉が開いた。中にいるハインに呼び止められた。

 

 「君」

 

 らでんが止まる。ハインだった。部屋の中は外より暖かい。

 

 「まだ起きてたんですか?」

 

 ハインがそのとおりだと言った。また「少し話せるか」妙な言い方だった。

 らでんは少し警戒した。だが廊下で見える場所だ。階段の音も聞こえる。問題はない。

 

 「何でしょう」

 「今日、別チームの男を助けただろう」

 

 らでんが答えた。

 「・・・ミナさんがですけど」

 「チームとしてだ」

 「・・・」

 

 ハインが聞いた。

 

 「あれをどう思う」

 

 唐突だった。らでんは少し考える。

 

 「どう、とは?」

 「正しい判断だったか」

 

 正しい。その言葉にらでんは少し引っかかった。

 

 「結果だけなら、四、五分で済んだのでよかったんじゃないですか」

 「もし五十分必要だったら?」

 「たぶんですが・・・置いていくのが正解だと思います」

 

 ハインの目が少し細くなる。

 

 「仲間でも?」

 

 らでんは答えなかった。ほんの一瞬昼間のはじめの顔が浮かぶ。

 

 「……分かりません」

 「意外だな」

 「なんでです?」

 「もっと理屈で答えると思った」

 

 らでんは少し眉を寄せて答えた。

 

 「理屈では置いていくべき状況もあるでしょうけど、実際その時にできるかはその時にならないと分からないです」

 「そうか」

 ハインはなぜか少し満足そうだった。

 

---

 

 ハインが言った。

 「もう一つ」

 「まだあるんです?」

 「護送される人間が、必ずしも護送されたいとは限らない」

 

  らでんはハインを見る。廊下の暗さの中で、ハインの目だけがはっきりしている。

  

 「逃げたい者もいる。嘘をつく者もいる。護送する側に本当のことを全部話すとも限らない」

 

 らでんは黙った。

 

 「……ハインさん」

 「何だ」

 

 らでんが少し笑って言った。

 

 「それ、もう普通の一般人の話だけじゃないですね」

 

 ハインも薄く笑った。そしてそれ以上何も答えず部屋へ戻った。

 扉が閉まる。らでんはしばらくそこに立っていた。

 

---

 

 深夜一時。交代のためガロとらでんが屋上へ向かう。

 途中、はじめとミナが降りてきた。はじめが言った。

 

 「なんもなかった、そっちは?」

 「ハインさんとちょっと話しました」

 「何の?」

 「なんというか・・・よく分かりません」

 

  らでん自身、本当によく分からなかった。ただ一つだけ。ハイン=ボルクは単なる護送されるお荷物役ではない。そのことだけ確かだった。

  午前三時には再びはじめとミナが屋上へ上がり、明け方まで二組が交代で見張りを続けた。

 

---

 

 午前五時五十八分。空がわずかに青くなり始めた頃。第四チームは全員起きていた。

 簡単な朝食。装備確認。靴紐、水、証拠品ケース。らでんは地図を広げ今日の経路を確認する。

 ここから市街地を抜け、午後には森林部へ入りたい。

 

 ガロが「出るぞ」と言った。

 その瞬間に全員の腕章から電子音が鳴った。ピッと一度。

 続いて小さな画面に文字が浮かんだ。

 

---

 

《第三次試験 追加指令》

 

 開始から二十四時間経過後、各チームは他チーム所属受験者の認証札を一枚以上確保せよ。

 期限は開始から四十八時間時点。手段は問わない。

 自チームの認証札を失っても即時失格とはしない。

 ただし期限時点で他チームの認証札を一枚も保有していないチームは失格とする。

 

---

 

 しばらく誰も喋らなかった。はじめが画面を見る。もう一度読む。

 はじめが言った。

 

 「……つまり、今日から」

 「あぁ、妨害役だけじゃない」

 

 ガロが不満そうな顔で答えた。ミナも呼応するように窓の外を見ながら言う。

 

 「受験者同士でも奪い合えってことね。腹立つ」

 

 まだ眠っているように静かな街。そのどこかに残り八チーム。

 窓の外の明るみ始めた道路が、昨日とは違う意味を持って見える。

 

 ハインは壁にもたれながら少しだけ笑って言った。

 

 「昨日より面白くなってきたな」

 

 四人が同時に彼を見る。ハインは答えず、壁から背を離した。

 

 二日目。残り四十八時間。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。