TS魔法少女「はろはろ〜NTRスレイの時間だよ〜」 作:フリーダム・メイソン
翌朝。私が通う高校の教室。黒板の数式をチョークで消していくのは、担任の数学教諭・佐々木先生だった。
丸眼鏡にボサボサの頭髪、くたびれたグレーのスーツ。どこからどう見ても、影の薄い冴えない中年教師だからと生徒に舐められこの時間は睡眠時間と割り切る生徒も多い。
まあ、私もその1人なのだけど。
「……ふう。今日の授業はここまで。期末テストの範囲はしっかり復習しておくように」
「佐々木ー! テスト範囲教えてよー! 勉強すんの怠いもん!!」
「先生をつけろ、馬鹿者が。なら職員室に来い。みっちりしごいてやる」
佐々木が吐き捨てながら教卓の資料をまとめていると、教室の前扉が開いた。
「真白、ちょっといいか?」
「きゃああああ!! 浅倉せんぱーい!!」
「私達に何か用ですか〜?」
爽やかな声とともに現れたのは、学校中の人気者である二年生の浅倉 薫だった。彼は媚を売るクラスメイトに謝りながら、道を作ると私の机までやってくる。
「浅倉先輩……? どうしたんですか?」
「生徒会の資料整理で少し人手が足りなくてね。もしよかったら、放課後手伝ってもらえないか?」
「あ、はい。喜んで」
「そうか、良かった!!」
パッと表情を明るくする浅倉先輩。彼との付き合いはすごく長い………幼馴染なのだから、当然なのだけど。
5年前、父を失って絶望していた私を支えてくれた彼はまるで暗闇の中の光であり、密かな恋心の発露でもあった。
そんな事、とてもじゃないがいえやしない。幾ら学校の王子様だとしても私が魔法少女である以上、変な輩に絡まれることは多いわけで。
「ではまた、先輩。放課後に」
「ああ! また放課後に!」
元気よく手を振る彼に微笑みを返せば、私に消しゴムがぶつけられて──
「やめてよね。今日は大人しくしたいんだけど?」
その様子を、教壇の脇でプリントを抱えた女の子達が、濁った瞳で冷ややかに見つめていた。見て分かるくらいの嫉妬心だ。教科書の参考例になるくらいに。
魔法少女。それは謂わば兵士であり、同時に日本の偶像になった。世の男達って結構単純だから、フリフリな可愛い服を来た女子中学生が大好きなのである。中身が人妻だろうと、お婆ちゃんだろうと萌えるのは日本人の性なのか。
まあ、端的に言うと魔法少女は物凄くモテる。健全なものから、不健全なものまで。今時ラブレターが入ってる事なら可愛らしいが、私の体操服姿をじろじろ見るものや私物を盗む者も多い。
「ルピナス」
「ああ。今日はだいぶマシだな。歴史の教科書と、理科の教科書がないくらいだ。しかし、何故彼らは守られているのに真白を敵視するんだ?」
「世の中、出過ぎた杭は撃たれるって事。引・き・寄・せ・て・」
ルピナスに願えば、ガタゴトと音がしてゴミ箱から水で汚された教科書が飛び出す。こちらは歴史だが………理科の教科書はどこだろう?と首を振れば、入り口でガタガタと引っ掛かるロッカーがあって。
「見覚えない名前のロッカーね」
「馬鹿。真白のクラスメイトだろう。ほら、あの眼鏡の」
「ああ、あの子。来なさい」
指を振る。それだけで、視線を向けて震えていた眼鏡の子がこちらに吹き飛んで来るので胸ぐらを掴む。
暫くの間、学校に来ないだけでこの有様だ。こちとら学生生活を捨てて世界の平和とやらを守っているのに、どうしてこんな目に遭わなきゃならないのか。
「………りたいの?」
「は、え?」
「魔法少女になりたいのかって聞いてるの。私の紹介飛び級で試験まで行ける。合格するのは自分次第だけどどう?」
「えっ!? ほんと、ですか!? やる! やります!」
「なら、連絡だけはしておくから。私の紹介だって電話口に言ってね。代わりに教科書2冊弁償。わかった?」
こくこくと頷く彼女に鍵がかけられたロッカーの扉を壊して、2冊の教科書を手渡す。ロッカーは魔法で元の場所に戻して私は教室から廊下に出る。
久しぶりの完全OFFだからって学校に来たのは間違いだったかもしれない………なんて思いながらも、放課後を楽しみにしている自分がいた。
3
キーンコーンカーンコーン……。
放課後を告げる夕暮れのチャイムが、静まり返り始めた校舎に切なく響き渡る。夕日によって赤銅色に染まる廊下を歩きながら、私は小さく息を吐いた。
昼間の教室での騒動──教科書を捨てたクラスメイトとのやり取りを思い出し、少しだけ心が重くなる。
魔法少女として世界の平和や人々の命を守っているというのに、当の学校では嫉妬や偏見の対象にされる。それが今の私の「日常」だった。
「気にするな、真白。暗い顔をしてると浅倉の奴に嫌われるぞ」
「べ、別にそんなんじゃないから! か、勘違いしないでよね!」
「知ってるぞ、それがツンデレって奴か」
「誰から学んだのよ、もう………」
ルピナスの言葉に胸の奥で、小さく温かい灯火がぽっと灯る。確かに放課後、浅倉先輩のお手伝いができる。それだけで、今日一日学校に来た意味があったと思えた。
5年前、最愛の父を失い、世界のすべてが真っ暗な絶望の底に沈んだように感じていたあの頃。塞ぎ込む私を優しく連れ出し、ただ隣で微笑んで私を支え続けてくれたのが、幼馴染である浅倉薫先輩だった。
彼がいてくれたから、私は今日まで「渚真白」として立っていられたのだ。ルピナスが私の相棒ならば彼は私の闇を照らしてくれた唯一の太陽だった。
「ここ……よね」
髪を整えて、制服の埃を払って生徒会室の前に立ち、木製の扉をトントンと軽く叩く。
「はい、どうぞ」
中から聞こえてきたのは、いつ聴いても心地のよい、あの爽やかな声だった。扉を開けると、そこは膨大な書類や過去の備品ダンボールが山積みにされた、少し薄暗い空間だった。西日が窓から差し込み、部屋の中に立ち上る埃の粒子を黄金色に光らせている。
「浅倉先輩、手伝いに来ました」
「あ、真白! 来てくれたんだね。ごめんね、急に頼んじゃって。来期の予算申請書と、過去の行事記録の整理が重なっちゃってさ」
袖を軽く捲り上げ、汗を拭いながら微笑む浅倉先輩。その仕草一つをとっても、どこか絵になる。さすがは全校生徒の憧れの的、「学校の王子様」と呼ばれるだけはある。
「ううん、全然大丈夫です! 私にできることなら何でも言ってください」
「助かるよ。じゃあ、真白にはそっちの棚の上にある資料箱のチェックをお願いしてもいいかな? かなり古いデータだから、年代順に並べ替えてほしいんだ」
「はい、任せてください!」
私は胸を張ると、壁際にそびえ立つ木製の大型スチールラックへと向かった。ラックの上段には、年号が書かれた重厚な段ボール箱がぎっしりと詰め込まれている。
背伸びをして手を伸ばすが、一番上の棚には少しだけ届かない。脚立を持ってこようかと思ったが、場所も知らないし、浅倉先輩は忙しそうだ。
まあ、魔法少女としての身体能力をほんの少しだけ解放すれば問題ないか。ロッカーの時みたいに固有魔法使うまでもないし。
「そんな事に我の力を使うのか………」
「いいから力を貸して」
呆れたルピナスにぺしぺしと尻尾で叩かれながらも、力を解放してつま先立ちでぐっと指先を引っかけた。
「よし、届いた……!」
「っ! 危ない、真白!」
箱を引き出そうとした、その時だった。
長年放置されていた棚のバランスが崩れたのか、あるいは積み上げられすぎていた重みによるものか。私が引いた箱だけでなく、その上と左右に積まれていた大量の重い資料箱や、鉄製のバインダーが束になって、一気に雪崩のように私の頭上へと崩れ落ちてきたのだ。
「え……!?」
咄嗟に固有魔法を使おうとしたその一瞬、私の反応を遅らせた。頭上を覆う、巨大な影と落下音。
「――真白ッ!!」
視界が激しく揺れた。鋭い叫び声とともに、横から強い力で体を抱き寄せられる。激しい落物音と、大量の紙くずや埃が舞い散る音。
だが、私に痛みが襲いかかることはなかった。代わりに感じたのは、私をしっかりと抱きすくめる体温と、男の子特有の硬い胸板の感触、そして鼻腔をくすぐる爽やかなシトラスの香水と汗の匂いだった。
「くっ……あ痛た……」
「せ……先輩……!?」
目を開けると、そこは床の上だった。崩れ落ちてきた重い資料箱の群れから私を庇うようにして、浅倉先輩が私を押し倒す格好で覆いかぶさっていたのだ。
彼の背中にはいくつかの箱が直撃したようで、浅倉先輩は痛みに眉をひそめていたが、すぐに私を見下ろすと、心底安心したような表情を浮かべた。
「ふう……よかった。怪我はないかい? 真白」
「は、はい……! 私は全然……! でも、先輩! 背中、大丈夫ですか!?」
「ああ、大したことないよ。君が無事なら、これくらいどうってことない」
あまりにも至近距離。息がかかるほどの距離で見つめ合っていることに気づき、私の顔が一瞬で爆発したように熱くなった。
浅倉先輩の両手が、私の肩の横の床についている。完全に「押し倒されている」状態だ。
彼のネクタイが私の胸元に垂れ下がっていて、視線をどこに送ればいいのか分からない。
「あ……あの、先輩……どいて、もらっても……」
「真白……」
低く、甘い声。私の言葉を遮るように、浅倉先輩の瞳がまっすぐに私を射抜いた。普段の爽やかな笑顔とは違う、どこか艶っぽく、熱を帯びた瞳。彼の手がゆっくりと持ち上がり、私の頬に触れた。指先から伝わる熱に、体の力が抜けていく。
「あの時から……ずっと、君を守りたいと思ってた」
「え……?」
「君のお父さんが亡くなって、傷ついていた君を見てから……僕の中で、君は特別な存在だったんだ。真白、僕は君のことが──」
顔が、近づいてくる。浅倉先輩の綺麗な唇が、私の唇に向かってゆっくりと降りてくる。えっ!? 嘘!! これって……キス……されるの……!?
胸が狂ったように高鳴り、頭の中が真っ白になる。幼馴染で、ずっと憧れていた「光」である浅倉先輩からの告白と、突然の接近。
私は拒むこともできず、ただギュッと目を瞑り、心臓の鼓動に身を任せようとした──
その、まさに直前のことだった。静寂に包まれていた生徒会室の引き戸が、無遠慮で風情のない音を立てて豪快に開け放たれた。
「おいおい、何だこの騒ぎは。階下まで物音が響いてたぞ」
平坦で、どこかくたびれた、身も蓋もない声。
「っ!?」
私は跳ね起きるように浅倉先輩の体を押しのけ、勢いよく体を起こした。
浅倉先輩も焦ったように体勢を整え、頭を掻きながら入口の方を振り返る。
そこに立っていたのは、教卓の脇でプリントをまとめていた時と同じ、ボサボサの頭髪に丸眼鏡、ヨレヨレのグレーのスーツを着た担任の数学教諭、佐々木だった。
手には缶コーヒーを持ち、眠たそうな目をこすりながら、崩れたダンボールの山と、床に転がっていた私たちを冷ややかな視線で見下ろしている。
「あー……浅倉に、渚か。生徒会室で何を青春の1ページを繰り広げてるのか知らんが、備品を壊すなよ。始末書を書くのは渚の担任の俺なんだからな」
「さ、佐々木先生! い、違います! これは棚の荷物が崩れてきて、真白を庇ったらたまたまこうなって──!」
浅倉先輩が必死になって弁明する。普段の王子様らしい余裕は完全に消え去り、顔を真っ赤にして手を振っていた。
私も恥ずかしさのあまり俯きながらも赤べこのように頷くしかなく、
「はいはい。言い訳は結構。怪我がないならとっとと片付けて帰りなさい。校門閉めるぞ」
佐々木先生は興味なさそうに缶コーヒーを一口すすり、背中を向けて去ろうとした。その去り際。丸眼鏡の奥にある、影の薄い彼の瞳が――ほんの一瞬だけ、私の胸元へ冷徹な視線を走らせた気がした。
「……じゃあな。戸締まりはしっかりしておけよ」
パタン、と扉が閉まる。あとに残されたのは、気まずい沈黙と、熱が冷めきってどこかぎこちなくなった私と浅倉先輩の空気だけだった。
「か、帰ろっか。送るよ」
「あ、ありがとうございます!」
「2人とも気まずそうだな」
「「ルピナスは黙ってろ/てて!!」」
ルピナスに揶揄われながらも私は閉まった扉を見つめながら、佐々木先生から感じる理由の分からない小さな悪寒を、背筋に感じていた。