TS魔法少女「はろはろ〜NTRスレイの時間だよ〜」 作:フリーダム・メイソン
生徒会室での不意のハプニングと、担任である佐々木の冷ややかな割り込みから数時間。浅倉先輩との気まずくも甘い後味を引きずりながら、私は夕暮れの街を歩いていた。
西の空は血のように濃い朱色に染まり、立ち並ぶビルの影が路地を黒く塗りつぶしていく。家路につくサラリーマンや買い物袋を下げた主婦とすれ違いながら、私は自宅マンションのエントランス前でピタリと足を止めた。
「……ルピナス、感じる?」
声を出さず、胸の奥の精神感応で問いかける。私の制服の影、肩のあたりに落ちた黒い影がゆらりと蠢いた。
「ああ……気味の悪い視線だ」
「どうかしたのかい? 2人とも」
ルピナスが、私の肩越しに路地の奥──街灯の届かない暗がりへと鋭い視線を向けた。そこに佇んでいたのは、異様な異彩を放つ人物だった。
季節外れのボロボロになった厚手のコートを羽織り、顔や手足は煤と泥で汚れている。立ち退きを迫られた路地裏を寝床にしているホームレスの男だった。
男は、私と目が合った瞬間、まるで化け物でも目撃したかのように両目を血走らせ、ガタガタと全身を激しく震わせ、泥に汚れた震える指先を、まっすぐに私へと突きつけて悲鳴を上げたのだ。
「ひっ……! な、渚一馬の……娘……っ! 逃げろ……逃げろお前も殺されるぞ……っ! 魔法の……魔法の悪魔に……っ!!」
「え……!? あなた、お父さんを知っているの!?」
心臓が跳ね上がった。5年前に事故で亡くなった、私の大好きな父親の名前。そして、私には馴染みが深い「魔法」という言葉。
「待って! 教えて、どういうことなの!? やっぱりお父さんは交通事故じゃなくて、誰かに殺されて──」
私が理由を確かめようと駆け寄ろうとした瞬間、男は「狂気」に憑りつかれたような絶叫を上げ、蜘蛛の子を散らすような速さで路地裏の暗闇へと逃走してしまった。
「待って!」
「俺が行く! ルピナスは真白を頼む!」
突然、横から駆け込んできた影があった。浅倉先輩だ。彼は私を庇うように路地の入口へ飛び出すと、男が消えた暗闇へと躊躇なく走り去っていく。
「あ……浅倉先輩!? 待って、危ないですよ!」
「無駄だ真白! 追いかけるな!」
ルピナスが声を張り上げて私を静止する。
「あの男は余りにも不気味だ、それに一般人の浅倉が追ったところで追いつけるはずもない。魔法少女ならともかく今のお前を一人にするわけにもいかん!」
「でも……!」
私は息を切らしながら、薄暗い路地の入口で立ち尽くすしかなかった。
「なんなの……? あの男の人、お父さんの名前と『魔法』って言ったよね……?」
「ああ。ただの狂人の戯言ではないな。あの男はお前の父親の過去を知っている可能性がある……真白、事件の闇は想像以上に深いぞ」
「もしかして………イージスも関わってたりするのかな?」
「そこまでは分からん………ただ、魔法少女の魔力が現場に残ってた以上は無関係とも思わん」
冷や汗が背中を伝う。父の死は、単なる殺人ではなかったのか?私を守り、魔法少女としての力を与えてくれた組織「イージス」には、まだ私の知らない裏の顔があるというのだろうか。
「ハァ……ハァ……! くそっ、逃げられた……!」
荒い息遣いとともに、路地の奥から浅倉先輩が戻ってきた。夕日を浴びて汗を光らせ、肩を上下させながら悔しそうに拳を握りしめている。
「浅倉先輩! 大丈夫ですか!?」
「ごめん、真白……! すぐ追いかけたんだけど、あのホームレス、路地の抜け道に詳しくてさ……完全に見失っちゃったよ」
申し訳なさそうに頭を下げる浅倉先輩。私の方が強いのに、私を危険から遠ざけるために、迷わず一人で怪しい男を追ってくれたその優しさに、胸が締め付けられる。
「ううん、追いかけてくれてありがとうございます……怪我がなくてよかったです」
「いや、役に立てなくてごめんね。ところで、真白。あの男と何を話していたんだい? 魔法とか何とかは聞こえたけど、酷く取り乱していたみたいだから途切れ途切れで………」
心配そうに覗き込んでくる浅倉先輩の瞳。そのあまりにも真っ直ぐで優しい眼差しに、私は一瞬、本当のことを話しそうになった。
──あの男が、私の父の名前を言ったこと。
──『魔法の悪魔』という、怪しげな言葉を口にしたこと。
けれど、言葉は喉の奥でつかえた。浅倉先輩は一般人だ。私を愛し、守ろうとしてくれる大切な幼馴染だ。彼をこんな気味の悪い、命の危険すらある怪事件に巻き込ませるわけにはいかない。
「ううん……何でもないです。ただ、急に怒鳴られたから驚いちゃって。魔法少女だからってお金でも催促されるのかなって。稼いでると言っても月100万は行かないんですけどね」
「そう……か。ならいいんだけど」
浅倉先輩はほっと胸を撫で下ろすような仕草を見せた。そして、私のマンションの入口と、私が一人で住む部屋のベランダを見上げると、どこか躊躇するような、気遣わしげな表情を浮かべた。
「でも、あんな不審者に目をつけられたとなると……今夜一人で部屋にいるのは危険すぎるよ。警察に通報するとしても、今夜の不審者対策としては不十分だしさ」
「大丈夫ですよ。鍵はしっかり閉めますし。最悪は変身して追っ払いますから」
「だめだよ。君に万が一のことがあったら、僕は自分を許せない」
浅倉先輩は私の両肩に優しく手を置いた。生徒会室でのあの急接近を思い出させるような、強い力と熱。
「ねえ、真白。今夜……君の部屋に泊まっても構わないかな?」
「え……?」
思いもよらない提案に、私は目を丸くした。そ、そりゃいつかはそうなったらいいなぁ………とは思ってたけど! まだちょっと心の準備が!
『いいんじゃないか? 真白。浅倉がいれば少しは部屋でもお行儀よく過ごせるだろう?』
『ルピナスは黙ってて!』
脳内会話してくるルピナスの揶揄いに強目に言い返すが、彼からの誘いに対する返答に今だに答えは出ない。あう、あうとよくわからない言語が口から出て来るだけだ。
「も、もちろん、変な意味じゃないよ! 君が不安だろうから、リビングのソファでいいから警護代わりに泊まるよ。男手が一人でもあった方が安心だろう? ……ね?」
彼の声はどこまでも優しく、私を心から心配しているように聞こえた。普通の女子高生なら、大好きな幼馴染で学校の王子様からのそんな申し出に、胸を躍らせて頷いてしまうかもしれない。
けれど──今夜の私には、どうしてもそれを断らなければならない決定的な理由があった。というか、魔法少女の仕事があったのを思い出した。
『昨夜の話を忘れてたな?』
ルピナスのジト目を流しながらも、運命の悪戯に舌打ちしたくなった。けれどそんなのはおくびにも出さず、申し訳ない顔をして頭を下げる。
「あ……ありがとう、ございます。浅倉先輩……でも、ごめんなさい。今夜は無理なんです」
「え……? どうして?」
浅倉先輩の眉が、ピクリと不自然に跳ね上がった。
「実は……今夜、夜間の巡回任務とイージスのお手伝いが入っていて。夜通しで作業をしなきゃいけないんです。だから、今からすぐ出かけなきゃいけなくて、部屋にはいないんです」
「夜通し作業……? こんな時間から?」
「はい。前々から決まっていたことで……だから、お気持ちだけいただきますね。先輩、本当にありがとうございます」
申し訳なさそうに頭を下げると、浅倉先輩はしばらく無言になった。
「……そう。なら、仕方ないね」
浅倉先輩の手が、私の肩からスッと離れた。その声は、いつもの爽やかなトーンに戻っていた。
「うん、分かったよ。じゃあ、出かける時も気をつけてね。何かあったら、すぐに僕に連絡するんだよ?」
「はい! ありがとうございます、浅倉先輩!」
私は無理に笑顔を作ると、彼に手を振ってマンションのエントランスへと入っていった。自動ドアが閉まり、ガラス越しに浅倉先輩の姿が見えなくなるまで、私は振り返り続けた。
「残念だったな。真白。また機会はあるさ。明日こそ、浅倉を誘えばいい」
「………そうね、ルピナス」
エレベーターの中で一人になった私は、ルピナスの提案も右から左へ聞き流しながら強く拳を握りしめていた。
「渚一馬の娘……魔法の悪魔……」
頭の中で、あの男の言葉がリフレインする。
「お父さん……あなたは一体、何を知っていたの……?」
父の死の真相。そして、私を包み込む「イージス」という組織の影。暗闇の底で蠢く巨大な闇の存在を確信しながらも、私の心に恐れはなかった。
「……どんな真実が待っていても、絶対に引き下がらない」
私は胸元に手を当て、自らの内に秘められた魔法の輝きを確かめるように、静かに、強く呟いた。