ハンターにはなりません。理由は怖いから   作:ゴミミゴミ

15 / 15
第15(閑)話 家族への手紙

 

 家から届いた荷物の一番上に、下着が入っていた。

 

 父の手紙を先に読みたかったのに、きっちり畳まれたそれが蓋の下を占領している。ニャンターの前で広げるのも何となく恥ずかしく、僕はまとめて膝へ引き寄せた。もう少し下へ入れてくれればいいのに。せめて布くらい掛けてほしかった。

 

「お前の母親からか」

 

「たぶん。父さんだったら、手紙を一番上に入れると思います」

 

 ニャンターは箱の底に異常がないことを確かめると、蓋を壁へ立て掛けた。僕が持ち上げられずにいた箱も、この人なら脇へ抱えて運べてしまう。見た目では僕のほうが大きいのに、荷物を持つたび妙な気持ちになる。

 

 恐暴竜の狩猟に出ていた四人が帰ってきてから、三週間ほどが過ぎていた。北の街道は通れるようになり、本部の荷受け場にも大きな包みが積まれている。僕宛ての箱は別の街道から来たものだったが、係の人が呼びに来た時には、積み荷を載せた車が三台も順番を待っていた。

 

 箱の中身は着替えと、使いかけの炭筆を入れた木筒、それから小さな包みが二つ。服へ顔を近づけると、家で使っている石鹸の匂いがした。本部にも石鹸はあるのに、同じようには匂わない。

 

 母の手紙は服の間に挟まっていた。

 

『替えを送りました。洗濯へ出す時は袖を裏返したままにしないこと。食事は残さず、具合が悪ければ早めに言いなさい。甘いものばかり食べていませんか』

 

 離れていても心配されることが家にいた頃と変わらない。ちゃんと食べている。むしろ、ここへ来てからお代わりの回数は増えたくらいだ。甘いものについては届いた包みの片方が焼き菓子だったので、許可が出たものと考えたい。

 

 もう一枚は姉からだった。家を空けている間に僕の机を拭いたことと、床へ落ちていた炭筆を木筒へ戻したことが書いてある。

 

『引き出しの奥にあった石は捨てていい?』

 

 駄目だ。あれは川辺で見つけた、ものすごく怪物の頭に似ている石である。角度を変えるとただの石になるが、それは姉の見方が悪い。

 

 僕は返事に書くことを忘れないよう、手元の紙へまず「石」と書いた。

 

「何の石だ」

 

「大事な石です。家に置いてきました」

 

 ニャンターはそれ以上聞かず、小包に結ばれていた紐を解いてくれた。中から出てきたのは、家の店先で使っていた小さな画板だった。

 

 右の角はぶつけて少し欠けているし、表面には紙からはみ出した炭の跡が残っている。本部で借りたものより軽い。膝へ載せると、角がちょうどいつもの場所に当たった。

 

 父の字は、最後に出てきた封筒にあった。

 

『店は普段どおりに開けている。こちらの心配はしなくていい。足りない物があれば書いて送りなさい。そちらで何をして過ごしているのかも教えてくれ』

 

 父が帰ってからの出来事を指で数えかけ、三本目でやめた。

 

 王女が来たとか、恐暴竜が出たとか、その辺から書き始めたら母が荷物をまとめてしまいそうだ。恐暴竜のことは本部から父へも知らせてあると聞いたけれど、僕の書き方で余計に怖くなったら困る。

 

 それより部屋や食堂を描こう。僕がどこで何をしているかなら、絵のほうがうまく伝えられる。

 

 木筒から一本選んでいると、棚で眠っていたウロコウモリが翼をほどいた。箱を覗く僕らが気になるのか、革の留まり場から机の端へ飛び移る。こちらへ寄ってきた鼻先へ指を出すと、軽く押し返された。

 

「食べ物じゃないよ」

 

 白い頭は指の下をくぐり、今度は木筒を調べ始めた。転がされる前に棚へ避難させる。せっかく家から送ってもらったのに、初日から竜の玩具にするわけにはいかない。

 

 梁に渡していた革紐は、腕を伸ばせば届く棚の端へ掛け直してある。世話のたびに椅子へ乗るより、このほうがずっと楽だった。

 

 ウロコウモリの世話にも少しずつ慣れてきた。朝に机の下を掃除するのは変わらないが、置き土産の場所が毎日同じだと分かってからは楽になった。

 

 改めて飼育記録を読むと、巣と決めた場所では排泄する所も定まると書いてあった。最初は餌のことばかり確かめていたので、後ろの頁までちゃんと読めていなかったらしい。あの時の僕には、かわいい姿とご飯しか見えていなかった。

 

 灰を敷いた浅い箱を机の奥へ置いてみたら、翌朝からそこを使ってくれるようになった。箱を少し手前へ動かすと外したので、位置については僕に決める権利がない。それでも床を拭くより、箱を引き出すほうがずっといい。

 

「ここ、自分の巣だと思ってるんですね」

 

 言いながら留まり場の革を直すと、机にいたウロコウモリが僕の袖へ爪を掛けた。腕を伸ばして待ってやると、その途中で止まり、肘へ腹を載せて落ち着いてしまう。

 

 革のほうを直してるんだけどな。仕方がないので片手で結び目を締めた。

 

 部屋の絵には、巣の主も入れることにした。寝台の隣に机があり、棚から革の留まり場が下がっている。洗い物の湯を沸かす小さな炉は壁際に寄せ、窓の内側には逃げ出さないための網が張ってある。

 

 父がいた時と変わった場所へ色をつけたところ、ほとんどウロコウモリのために増えた物だった。僕は同じ部屋に住んでいるのに、飛竜のほうが着々と設備を整えている。

 

 机の下の箱まで描こうとして、いったん筆を止めた。食事の前に開くかもしれない手紙へ、わざわざ中身を描く必要はない。箱の形と置き場所だけにしておく。これで朝の苦労を分かってもらえるかは怪しいが、母なら察してくれるだろう。

 

 昼食の後は食堂の片隅を借りた。

 

 今日は水差しを置く卓の横が空いていたので、そこなら人の通りを邪魔しない。窓から光が入る席と、大きな鍋を抱えて歩く賄いのおばさんを描く。顔を描いてもいいか尋ねると、髪を手で押さえてから「少し若くね」と言われた。

 

 少し、が難しい。勝手に十年くらい若くして失礼になっても困るので、ひとまず頬の線を薄くする。向かいから覗いていたニャンターが鼻を鳴らしたが、助言はもらえなかった。

 

 家へ送ると聞いた賄いの人は、僕の皿へ焼き菓子を一つ足してくれた。

 

「ちゃんと食べてるって書いておいてね。お母さんが心配するから」

 

「はい。お代わりしたことも書きます」

 

 僕の絵の中で頬の線がもう一本減った。今のは賄賂ではない。紙の汚れを直したのである。

 

 次にニャンターを描こうとすると、本人は椅子へ座り直した。いつもなら食べ終えた皿をすぐ戻すのに、こちらの筆が進むのを少し待ってくれる。兜の陰で目元は見えにくいが、今日も声はやたら渋かった。

 

「そのままでお願いします」

 

「武器も入るか」

 

「入りますよ。椅子の横に置いてあるので」

 

 ニャンターは剣の柄を少し手前へ向けた。なるほど、そういうことなら分かる。絵に残るなら、僕だって格好よく描いてほしい。

 

 そこで剣の留め具を丁寧に描き、甲冑の継ぎ目へも影を入れた。肩を張った姿は十分に強そうである。ただ、卓が少し高いため肘がうまく載らず、足も床へ届いていない。椅子の脚を短くすると今度は卓から頭しか出なくなるので、このまま描くしかなかった。

 

 横には食後の皿も描き添えた。頭から尾までつながった魚の骨が、綺麗に残っている。

 

「ほう。よく見てるな」

 

 ニャンターは途中の絵を覗き込むと、皿から突き出ていた尾を奥へ回した。僕はもう描いてしまった線を指でこすり、尾の向きだけ直す。本人が気にしているのは、そこらしかった。

 

 描いているうちに賄いの人が戻ってきて、絵とニャンターを交互に見た。

 

「あら、いいじゃない。いつもあなたが食べ終わるのを待ってくれてるものね」

 

「遅いんだ、こいつは」

 

「今日はパンを一つ増やしたんです」

 

 言い訳しながら皿を見ると、さっきもらった焼き菓子が残っていた。ニャンターは水差しをこちらへ寄せると、続きを描いていろと言って賄いの人へ空の皿を渡した。

 

 食堂を出る頃には、鎧を着た護衛の絵ができあがった。家でこれを見れば、僕が一人でうろうろしていないことも分かるだろう。低い声だけは紙へ描けないのが惜しかった。

 

 午後の勉強を終えると、部屋へ戻って画板を膝へ載せた。廊下側の控えにはニャンターがいるが、休んでいる間まで机の横へ立つわけではない。窓の留め具を確かめ、用があれば呼べと言って扉を閉めていった。

 

 家へ送る絵を封筒の下へ重ね、筆先を削り直す。

 

 画板の隅には昔つけた傷が残っていた。何を描いていた時だったかは思い出せないが、竜の絵だった気がする。この板を使っていた頃は、描きたいものを描いてから母に見せればよかった。

 

 今も机や椅子は描ける。目の前で寝ているウロコウモリだって、毎日描いている。けれど長い首を描きかけて別の形へ直したり、翼を広げようとして筆を置いたりすることが増えた。

 

 気をつけなければいけないのは分かる。絵のせいで大人が集まり、父が帰れなくなったことも忘れてはいない。

 

 先に聞けとは言われているけれど、聞けばきっと駄目だと言われる。

 

 前の人生では外へ行けず、遊びたいゲームも上手にできなかったはずだが、紙の上で何をするかまで止められたことはなかった。龍の翼が窓の外まではみ出すような絵でも、看護師さんは寝具を汚さないでねと言うくらいだった。

 

 今は歩けるし走れる。食堂のお代わりだってできるのに、いざ紙へ向かうと隣の顔を確かめたくなる。

 

 僕は手元に残っていた薄い紙を一枚、画板へ留めた。

 

 描き終わったら燃やそう。

 

 誰かに見せるつもりはないし、綴じ本へ挟んで持ち歩くこともしない。家へ送る絵とは離れた所へ画板を置き直した。

 

 最初に四本の脚で踏ん張る形を取り、肩から大きく翼を広げた。頭を低く下げた姿にすると、大きな角が紙の端へ迫ってしまう。

 

 煌黒龍(アルバトリオン)だ。

 

 角を途中で切るなんて嫌なので、胴を少し奥へ引っ込める。翼の位置も合わせて直したら、今度は手前の脚が妙に短くなった。これでは踏ん張る前に転んでしまいそうだ。紙が小さいせいにしたいが、描き始めたのは僕である。

 

 最初のうちは廊下の足音が気になったものの、前脚を描き直す頃にはそれどころではなくなった。資料集で眺めた角の重なりを思い出し、手前の一本へ影を入れる。もう少し頭をこちらへ向ければ奥の角も見えるが、そのぶん肩から生えた翼が隠れてしまう。 

 

 しかし、駄目だと言われるものほど、以前より魅力的に見えてしまうのは何故なのだろうか。以前はいつでも描けるだろうと思っていたのに、その当たり前が取り払われるとは思いもしていなかった。どうせ処分するのなら思いっきり描いてやろう。

 

 頭の輪郭を薄く拭って角度を戻し、首から背へ鱗を並べた。逆立った先端を紙の白で残すと、そこへ光が当たっているように見える。黒いところばかり増やしていたら、このぎざぎざまで潰してしまうところだった。

 

 翼の下は指で影をぼかし、鱗の縁には炭筆の細い先を使う。迷った所を見直しながら鼻をこすってしまい、指を見てから気づいた。顔を洗うのは後だ。今はこっちの前脚を直したい。

 

 ウロコウモリが棚の上で身じろぎした時、僕はようやく紙から顔を上げた。背筋を伸ばすと、ずっと同じ所へ当たっていた画板の角が膝から離れる。

 

 できた。やはり自由に思い切り描く絵は気持ちがいい。

 

 紙を腕の長さだけ遠ざけ、もう一度近づける。設定資料で見た絵と比べれば粗いところはあるけれど、翼の広がりはかなりうまくいった。角も全部収まったし、これなら転びそうには見えない。

 

 すぐに燃やすのが惜しくなり、机へ立て掛けようとしてやめた。そちらには家へ送る封筒がある。

 

 画板へ載せたまま、もう少し眺めた。翼の下へ指を置いて影の具合を確かめ、最後に尾の先へ二本だけ線を足す。それから紙を外して炉の前へしゃがんだ。

 

 夕方の湯を沸かすために入れた薪は、まだ赤く熾っていた。紙の端へ火が移ると翼膜が丸まり、黒い輪郭が縮れていく。残った角を見ながら、次はもう少し大きな紙にしようかと思った。

 

 でも、大きく描いたらもっと惜しくなる。それは困る。

 

 紙が灰になるまで待って炉の扉を閉めた。手を洗い、黒くなった鼻を濡れ布で拭くと、鏡の中の僕はいつもの顔へ戻った。

 

 夕食には温かい肉の煮込みが出た。家から届いた焼き菓子をまだ食べていなかったおかげで、パンを浸すところまできちんと楽しめる。ニャンターが明日の勉強の予定を話している間、僕は皿に残った汁を最後の一切れで拭っていた。

 

「明日は骨の図も見るんですよね」

 

「起きられたらな」

 

「起きますって」

 

 朝はウロコウモリが翼を広げる音で目が覚める。あれは餌をねだり始めると諦めないので、僕より寝坊に厳しい。

 

 翌朝、いつもの箱を片づける時に、炉へ残った冷たい灰も一緒に掻き出した。薄い紙は形を残しておらず、箱の古い灰や糞とまとめて小さな塵取りへ入った。水皿を洗い、床へ落ちた鱗を拾えば世話は終わりである。

 

 手を洗って戻ると、ウロコウモリが寝台の柱からこちらを見ていた。近くへ腕を差し出すと、少し首を傾げてから乗ってくる。そのまま肩へ上がらせ、机へ向かった。

 

 昨日の続きに書くことは、まだ幾つもあった。

 

 紙へ「ご飯はちゃんと食べています」と書き、その隣に昨日の煮込みを描き添える。母にはこれが一番分かりやすい。姉には石を捨てないでほしいことを書き、見間違えられないよう上から見た形と横から見た形を添えた。

 

 父へは画板のお礼を書いた。机の図には父にもらった鍵を小さく描き、寝台の上へ届いたばかりの着替えを置く。そこまで描くと部屋が散らかって見えたので、実際に畳み直してから絵も直した。

 

 手紙にはウロコウモリを飼い始めたことも書いた。世話の仕方は教えてもらっているし、本部から許可も出ている。肩へ乗った姿を入れるため、最後の頁の端には僕の横顔まで描くことになった。

 

 返事を重ねると半分以上が絵だった。ニャンターに目を通してもらい、封筒へ収めようとすると横から手が伸びてきた。紙の向きが変わり、折り目に重なりかけていた兜がその横へ収まる。

 

 文字だけなら一枚で足りた気もするけれど、僕が何をしているかはこれで伝わると思う。鏡を見ながら描いた自分の顔だけは、ちょっと格好よくなりすぎたかもしれない。家族宛てだし、このくらいは許してほしい。

 

* * *

 

 弟からの返事が届いたのは、荷物を送り出して三週間ほど経った朝だった。

 

 私は店の帳場で布地の代金を数えていた。相手は近所の仕立屋で、いつもなら世間話をしながら硬貨を重ねる人なのに、入口へ荷運びの男が顔を出した途端に手を止めた。

 

「あの子からかね」

 

 封筒に書士隊の印があるのが見えたらしい。私が頷くと、仕立屋は残りの硬貨をまとめて卓へ置き、早く読んでやりなさいと言った。気遣いは嬉しいが、数え終わる前に帰られるほうが困る。

 

 釣り銭を渡して見送り、封筒を持って奥へ行くと、母はまだ朝の片づけをしていた。濡れた手を拭きながらこちらへ来る。父も倉庫から戻ってきたが、読めとは言わず私の前へ腰を下ろした。

 

「開けるね」

 

 封を割ると、四つに畳まれた紙が何枚も出てきた。最初の紙には弟の字で、荷物が届いたことと礼が書いてある。その下に大きな石の絵があった。

 

 よほど捨てられたくなかったのだろう。横へ小さく「向きを変えて見て」とまで書き添えてある。私は引き出しの整理を頼まれた時に一緒にどけただけで、まだ捨てていない。

 

「相変わらずね」

 

 母がそう言って、自分の分の文へ指を滑らせた。私も次の紙を開いたが、そこから先は文章より絵が多かった。

 

 私は弟より五つ年上だ。昔は店番の合間に字を教えたし、客への挨拶も一緒に練習した。字はすぐに覚えたくせに、絵に夢中になると呼んでも返事をしなくなる。今度の手紙も、その頃からよく知っている弟のものだった。

 

 ただ、描かれている部屋は知らない。

 

 父から広い宿舎だとは聞いていたが、寝台の足元にこれだけ床が余っているとは思わなかった。窓辺に机があり、棚には何冊もの本が収まっている。私なら棚の一段を服へ使いたいところだが、弟は本と紙で埋めるつもりらしい。

 

 私は顔を近づけ、寝台の上の服を確かめた。袖口の縫い目に覚えがある。送る前に私が直した上着だった。たったそれだけのことで、遠くにある部屋が少し分かるような気がした。

 

 父は窓の位置を見てから、机の端へ視線を移した。そこに小さな鍵が描いてある。

 

「持っているんだな」

 

 指先で一度その辺りを撫で、紙を母へ回す。何の鍵か尋ねる前に母が食堂の絵を見つけたので、私はいったん口を閉じた。

 

「これ、夕飯だそうよ」

 

 肉の入った深皿とパンが描かれ、その脇にお代わりをした回数まで書いてある。母は皿からはみ出す具を眺め、普段うちで使っている器の大きさを両手で示した。

 

「あちらのお皿も、このくらい?」

 

「もう少し大きい」

 

「だったら、よく食べてるわね」

 

 母は頬に掛かった髪を耳へ寄せ、食堂の絵をもう一度見た。そこには鍋を抱える女の人も描かれている。弟が人の顔を描く時はもっと細かな線まで入れるのに、頬だけが妙につるりとしていた。

 

 父は何か言いかけて、笑った。

 

「親切にしてもらっているようだ」

 

 母はその絵を手元へ残し、次の紙を私へ寄越した。鎧を着たアイルーが大きな椅子へ腰を掛けている。食べ終えた魚の皿が目の前にあり、きちんと揃えた足の下には床まで空間があった。

 

「可愛い」

 

 口から出してから、父に聞こえたかと顔を上げた。父は聞こえていないふりもせず、絵の上のほうを指で押さえた。

 

「この方が、護衛を頼んだニャンターだ」

 

「あ、この人? もっと怖そうな人だと思ってた」

 

 父が帰ってきた時、護衛には腕の立つ者を頼んできたと聞いた。アイルーだとも聞いていたのに、勝手に傷だらけの顔と鋭い目を想像していたらしい。

 

 紙の中のニャンターは剣を傍らへ置き、胸を張っている。それでも私は、食卓で弟が向かいに座っている姿を先に思い浮かべてしまった。魚を食べ終えるまで待ってもらいながら、余計なことを話していそうな気がする。

 

「仲良くなれたみたいね。退屈しなくて済みそう」

 

 父は笑みを残したまま、絵を受け取った。

 

「食事の時も、そばにいてくれるんだな」

 

 父は剣の留め具や兜の陰を順に見ていた。母が皿の骨まで丁寧だと言うと、紙の角を持ち直してこちらへ向けてくれる。私ももう一度横から覗き込んだ。

 

 腕の立つ護衛だという話を忘れたわけではない。けれど弟を怖がらせず、こんな食事に付き合ってくれる人ならよかったと思った。絵を描いている間も急かさずそばにいてくれる人は、弟には少なかった。

 

 友達が全くいなかったわけではないが、遊びに誘われても絵が途中だからと店へ残ることが多かった。無理に連れ出すとついてくるのに、今度は道端の石を拾い始める。私は何度か置いて帰るふりをしたが、振り向いたら本当に見えていなくて、慌てて戻ったこともある。

 

 今は誰かが一緒に歩いてくれる。あの石の絵を見る限り、興味を持つ物はあまり変わっていないようだけれど。

 

 最後の紙を広げると、弟の横顔があった。

 

 少し顎が細く、鼻筋もいつもより通っている。これが本人かどうかは帰ってきてから確かめることにして、私は肩に留まっている生き物を見た。

 

「飛竜?」

 

 母の手が止まった。

 

 添えられた文にはウロコウモリとある。本で名前は見たことがあるが、私はこんなに近くで眺めたことがない。弟の耳へ鼻先が届くくらい小さく、肩をつかんだ脚の先から爪が覗いていた。

 

「飼ってるって」

 

 父は私から文を受け取り、上から読み始めた。飼育の許可を得たこと、世話の方法を教わったこと、自分で掃除していること。そこまで読んだ辺りで、先ほどの部屋の絵へ手を伸ばす。

 

 棚から下がった革にも、似たような白い塊がある。眠る時はここへ留まるのだろう。弟にとっては当たり前になっているものを、私たちは紙の上で一つずつ知っていった。

 

「怪我はしてないのかしら」

 

「爪を引っ掛けられることはあるようだ。肩へ掛ける厚手の布が欲しいと書いてある」

 

 父が示した小さな図には長さも添えられていた。弟の字で「古い布でいいです」とある。私は倉庫へ置いてある端切れの束を思い出した。

 

 母はまだ眉を寄せていたが、飛竜へ何を食べさせているのか書いていないことに気づくと、返事で聞きましょうと言った。いきなり取り上げる話にならなかったので、私も肩へ掛ける布なら縫えると伝えた。

 

 父は本部の書士官へ別に一筆書くつもりらしく、封筒を自分の手元へ寄せた。私たちには紙でしか見えない部屋に、直接話のできる相手がいる。そのことが、今日はいつもより頼もしかった。

 

 店の表で戸が開いたので、私は手紙を重ねて立ち上がった。弟の絵を飾り棚の横へ置きかけ、引き出しへ収め直す。お客が見たがれば断りにくいし、これはうちへ届いた手紙だった。

 

 昼過ぎまでは布地の包みを運び、母と帳簿を確かめて過ごした。父が出かけていた分の用事は少しずつ片づいている。弟がいなくなった店先には商品の籠を一つ増やしたが、そこへ腰を掛けてしまうお客がいるので、結局あまり物を詰められなかった。

 

 夕方、客足が途切れたところで弟の机から石を持ってきた。

 

 捨てられると思っているなら、先に返事を書いてやったほうがいい。紙の図と同じ角度へ置き直し、片目をつぶって眺める。なるほど、出っ張った所を鼻先と思えば、獣が口を開けているようにも見える。

 

「何してるの」

 

 母に声を掛けられ、私は石を卓へ戻した。

 

「何でもない。これ、ここへ置いといていい?」

 

「お金と一緒に包まないでちょうだい」

 

 母は針箱と厚手の端切れを持ってきた。弟も自分で縫えるようにならないと、と言いながら布の端を折り、こっちは二重にしておきましょうと私へ見せる。

 

 私は弟の描いた寸法に合わせて布へ印をつけた。使い道は飛竜の爪を受けることらしいが、針を通す手つきは店でいつもしている仕事と変わらない。

 

 母は焼き菓子の包みも作り始めた。前に送った分を食べ切ったとはまだ書いていなかったはずだが、今から送れば着くまでに減るそうだ。次の手紙にもきっと、甘いものばかり食べないようにと書くのだろう。

 

 縫い終えてから、私は返事用の紙を出した。

 

 石は捨てていない。机もそのままにしてある。こちらは元気にしているし、窓の隙間から入り込んでいた風も父が直してくれた。そんなことを並べ、食堂の人へお礼を言っておくよう書き足す。

 

 母に呼ばれ、紙を置いて食器を取りに立つと、いつもの癖で椀を四つ重ねてしまった。上の一つを棚へ戻し、残りを持っていく。父は私の手元を見たが何も言わず、卓上の布や糸を片づけてくれた。

 

 食後、灯りを寄せて手紙の続きを書いた。元気にしているようで安心したと書いてから、少し考え、最後に一行付け足す。

 

『今度はそっちの人に顔を描いてもらってよ』

 

 さっきの横顔は、やっぱり鼻が高すぎる。

 

 弟の描いた顔をもう一度確かめると、私は返事を畳み、縫い終えた布の上へ置いた。窓際の石も絵と同じ向きへ直してから、店の灯りを落とした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

その美食屋、転生者につき(作者:苦笑いの妖精)(原作:トリコ)

トリコの世界を便利な3つのチートと共に生きていく。▼息抜きに書いた習作です。


総合評価:7516/評価:6.83/短編:14話/更新日時:2026年06月04日(木) 22:26 小説情報

スキル制ステータスで現代をお気楽に過ご……したい(作者:逆鯖)(オリジナル:現代/ノンジャンル)

▼ 工場派遣として働く25歳、佐藤直人。▼ ある日突然、視界に《スキルシステム》なんてものが現れた。▼ 《清掃》《料理》《プログラミング》みたいな普通の技能から、《豪運》《魔術》《錬金術》《ダンジョン作成》なんて明らかにおかしいものまで、SPさえあれば取得可能。▼ だったらまあ、使うっきゃない。▼ 仕事は楽に、金はなるべく効率よく稼いで、自分の時間はしっかり…


総合評価:6061/評価:8.59/連載:15話/更新日時:2026年10月07日(水) 00:10 小説情報

転生闇落ちガチ勢トレーナー(害悪厨)が心を折るまでの話。(作者:地霊殿の壁)(原作:ポケットモンスター)

無敵のチャンピオン・ダンデ相手に四度目の敗北の味をキメるまでの話でもある。▼一旦は一話で完結の予定。▼反響が良ければ続くかもしれない。▼26/7/4/07:00 総合日間3位.


総合評価:6480/評価:8.15/連載:3話/更新日時:2026年06月29日(月) 18:01 小説情報

カードの精霊が見えるプレイヤー相手に、『コントロール奪取』戦法をヤッたら絵面が酷すぎる件について(作者:コイントスは先行が良い)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

なお主人公(素でカード愛が重い)に精霊の姿は一切見えないので、周囲とは致命的な温度差が生まれて、とんでもない勘違いをされたり。超危険人物扱いされたり、自分の存在に気づいてほしい厄ネタ満載の精霊がめっちゃハッスルしたりする――そんなお話。▼※カクヨム様にも投稿しています。


総合評価:6078/評価:7.94/連載:8話/更新日時:2026年10月06日(火) 19:05 小説情報

【祝日間総合2位】【PHASE1 完結】悪役の魂と共にMCU転生したので生き延びる(作者:ゆかりちゃん@良識のある物書き)(原作:MARVEL)

MCUの世界に転生した。▼私の特殊能力は、▼死んだ悪役の魂を回収出来る事▼のようだ。▼とりあえず、サノスパッチンまでを目標に▼なんとかして生き延びるぞ。▼【祝】総合日間ランキング入り!▼(確認時229位)(2026/09/13 17:57)▼【祝】総合日間ランキング2桁入り!▼(確認時21位)(2026/09/19 11:20)▼【祝】総合日間ランキング1桁…


総合評価:7175/評価:8.2/完結:21話/更新日時:2026年09月24日(木) 05:22 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>