ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
ウロコウモリの尻尾で、僕の書いた字が一つ減った。
ちょうどインクが乾く前だったので、払いの長い字になったと言えば、そう見えなくもない。問題は隣の字まで一緒に払われたことである。僕は筆を置き、帳面を自分のほうへ引いた。紙の端を追って白い頭が近づいてくる。
「それ、食べ物じゃないよ」
鼻先が筆入れへ向いた隙に尻尾を拭く。先だけ黒くなった布を見せても、本人は別に困っていなかった。もう片方の手へ前脚を掛け、袖を上がってこようとするので、途中で指を差し込んで止めた。
医務室へ行ってから何日か経ち、背中はだいぶ楽になった。服を着るのも一人でできる。ただ、襟をつかんで登られると皮膚まで引っ張られるので、肩の営業はもう少し休ませてもらいたい。
その代わり机へ乗せていたところ、僕が使える場所が日に日に狭くなってきた。先に置いておけば避けてくれるだろうと思った画板も、今では寝そべるための坂道である。
棚には寝る場所があるし、籠にも布を敷いている。十一歳とアイルーと飛竜で使っている部屋なのだから、飛竜の取り分はかなり大きい。しかも家賃を払う気はなさそうだった。
棚へ戻そうと腕を伸ばすと、ニャンターが読んでいた紙を置いた。
「まだそこまで上げるな。こっちへ寄越せ」
助かったと思って差し出したが、ウロコウモリはニャンターの手へ移る前に翼を開き、机の反対側へ飛んでいった。インク壺には蓋をしてある。そこだけは間に合ってよかった。
「僕が描いてる間だけ、あそこで寝ててくれればいいのに」
棚を指さすと、ニャンターは机と棚の間を見た後、椅子から降りた。
「お前の顔が見えるところに台を置いてみるか」
「ここへ?」
「飼育を任されている連中に聞いてこい。使っていないものがあるかもしれん」
僕は膝から画板を降ろした。寝床を増やせば机が空く。ついでに近くで見られる。なかなかいい話だった。
部屋の隅には以前もらった紙の切れ端が残っていたので、さっそく鉛筆代わりの細い炭筆を出した。台の上へ横木を一本渡し、その下には潜れる場所を作る。見ているだけだと寂しいので屋根をつけ、入口の脇には小さな窓も描いてみた。
ここまで来ると、屋根が平らなのは少し物足りない。
端を尖らせ、軒を出していたら、ニャンターが紙の向こうから覗き込んだ。
「立派になったな」
「雨が入らないように」
ニャンターは天井を見た。僕も見た。屋根はもうあった。
それでも、描いてしまったものを消すのは惜しい。軒の線だけ薄く残して、僕は下のほうへ大きさを書き込んだ。全部を作ってもらうとは言っていない。こういう形にできたら嬉しいです、くらいなら聞いてもいいだろう。
ウロコウモリは紙へ興味を示さず、筆入れの蓋を鼻で押していた。ここに住む予定の本人にも、少しくらい相談へ加わってほしい。
餌と水を確かめてから部屋を出た。振り返ると小さな飛竜は棚へ戻り、僕らが扉を閉める前に翼へ頭を隠している。
今はそこで寝られるんだ。
不満を聞いてもらおうとした時には、ニャンターはもう廊下を歩き始めていた。
本部の裏庭には、標本を置く建物とは別に生き物を世話する小屋があった。中へ運び込まれるのは保護された小型の生物や、調査のため一時的に預かるものだという。大きな音を立てず、勝手に手を出さないよう教わったので、僕はまず自分の両手を見えるところへ置いた。
入口には空の籠が重ねられ、洗った皿が長い棚に伏せてある。奥から何かが木を引っ掻く音がすると、それだけで見たくなるが、身体を傾けたところへ灰色の前掛けをした女の人が出てきた。
「宿舎でウロコウモリを飼っている子だね。餌は足りてる?」
「はい。今日は寝るところの相談で」
畳んでいた図を開くと、女の人は手を拭いてから受け取った。屋根の先までじっくり見て、僕ではなくニャンターへ一度目を向ける。ニャンターは何も言わず、図の隅が風でめくれたところを押さえてくれた。女の人は図から顔を上げた。
「綺麗に描くねえ。これを机に置きたいの?」
「横の床です。僕が座ってると、帳面の上に来るので」
「それなら、あまり高くしないほうがいいかな。今使っている椅子はどのくらい?」
僕は膝の横へ手を下ろした。女の人はその高さを確かめ、窓の位置や机の向きも聞いてから、小屋の外へ置かれた横木の台を示した。
横に長い木箱へ二本の柱が立ち、その間に太さの違う枝が渡してある。飾りはないけれど、枝を握ってみると表面が少しざらついていた。脚の下には引き出せる板があり、外して洗えるようになっている。
「これなら空いているよ。枝の位置を下げれば使えそうだね」
僕の絵と見比べると、屋根も窓もなかった。でも、横木へ指を載せて白い頭が乗っているところを想像すると、意外とよさそうだった。机の脇へ置いても椅子を引く邪魔にならず、横からなら足の爪まで描ける。
「下へ、少し隠れるところをつけてもいいですか」
「いいよ。布を掛けて試してごらん。どこへ潜りたがるかは、置いてみないと分からないから」
絶対に気に入る、とは言ってもらえなかった。毎日いろいろな生き物を世話している人でも、うちの飛竜の機嫌までは引き受けてくれないらしい。
帰り際に奥の物音がまたしたので、女の人へ目だけ向けると、壁を掃除するために籠を動かしているのだと教えてくれた。生き物の声ですらなかった。ニャンターが先に歩き出してくれたのは、たぶん親切だと思う。
台は修繕小屋で直してもらうことになった。
中には椅子の脚や扉の留め具が並び、窓の下で腕まくりをした職人が木屑を払っていた。飼育係の人から話を聞くと、僕らを軒下の卓へ案内し、台を揺すって留め具を確かめる。
僕は図も一緒に置いた。もう必要ないかもしれないが、手ぶらで眺めているよりは話しやすい。職人が道具を置いて図を覗き込んだ。
「この屋根もつけるのかい」
「それは、なくても大丈夫です」
言った後で小窓のところへ指が止まった。職人は気づいたらしく、少し笑って木箱の横板を指で叩いた。
「飾りたいなら、この横板の内側に描けるよ。外して机で描いて、乾いたら戻せばいい」
「窓を描いてもいいんですか」
「本物の穴を開けるより楽だ。本人が間違えて通ろうとしなければね」
それは困る。けれど、絵の窓へ頭を入れようとするウロコウモリも、ちょっと見てみたかった。危なくないように枠だけ描くことにして、僕は台の幅を紙へ写した。
横木を留め直す間、ニャンターが片側を支えた。机へ載せるとちょうどいい高さになり、職人の手を邪魔しない位置で柱を押さえている。僕は反対側へ回り、職人へ道具を渡そうとしたものの何を使うのか分からず、いちばん近いものを取って首を振られた。
「それは木へ穴を開けるほう。丸い頭のついた短いのを頼むよ」
今度は合っていた。せっかくなので手が空くたび何か渡したが、三度目には、そこの椅子に座って待っていてよいと言われた。仕事を増やしている可能性には、僕でも気づいた。
座って図を描き足す。窓を一つ入れると、空いたところにもう一つ欲しくなった。窓辺へ鉢を置き、鉢から葉を出したところで、ニャンターがそばへ来て紙を見た。
「庭までできたか」
「こっちは描くだけだから、世話はいりません」
「そりゃ助かる」
僕の指についていた木屑を摘み取って、ニャンターは台のほうへ戻った。少し機嫌がよさそうだったので、窓の下へ小さな椅子も足しておいた。住んでいる飛竜が座るかどうかは、家主が考えればいい。
直し終わった台は、見た目より軽かった。
職人が運搬用の籠へ布を敷き、枝を外した台を横に寝かせてくれた。僕は飾りの板と図を持つ。籠の取っ手へ手を出しかけると、ニャンターは僕が何も言わないうちに持ち上げてしまった。
「戻ったら、お前は板の絵を済ませろ。置くのはその後だ」
「もう決まってます。早いですよ」
宿舎へ戻る足は、来る時より少し速くなった。台をどこへ置くか考えながら歩き、途中で自分が先へ出すぎていることに気づいてニャンターの隣へ戻る。籠の中では、僕の小さな家が布にくるまれて揺れていた。
部屋の扉を開けても、ウロコウモリは出迎えに来なかった。
棚の上で片目だけ開け、僕らを見てからまた閉じる。お留守番をちゃんとしているのはいいことだ。さっき出かけた理由が少し分からなくなったけれど。
まず台を拭き、机の脇の床へ仮置きした。窓からの光が直接当たらないよう布を掛け、椅子へ座って位置を確かめる。横木は僕の肘より少し下に来るので、身体を大きくひねらずに見えるし、画板を動かす場所も残っていた。
板は紙と違って色を吸った。いつものつもりで筆を置くと、窓枠の端が少し太くなる。木目に沿って筆先を動かし、はみ出したところを枠の影に変えた。鉢の葉を描く頃には具合が分かり、最初より細い線も引けるようになった。
頼まれた絵ではないので、窓の数も葉の形も僕が決めていい。広い紙をもらった時とは違う楽しさで、板の端まで使い切ったところでようやく筆を洗った。
「できました」
ニャンターは僕の手元を見に来て、絵具へ触れないよう板の端をつまんだ。
「乾くまでそこへ立てておけ」
「ちゃんと見ました?」
「見た。お前の部屋より窓が多い」
そう言って板を灯りへ向けたまま少し眺め、それから棚の下へ置いてくれた。気に入ったのかもしれない。あまりしつこく聞くと照れそうなので、僕も水皿を洗うほうへ回った。
台が完成したのは昼食の後だった。
ニャンターに板を戻してもらい、横木を軽く引いて確かめる。下には布の陰ができ、入口から絵の窓まで見える。最初に描いた尖った屋根はつかなかったが、これはこれで立派だった。
僕は棚へ腕を差し出した。
「できたよ。こっち来て」
今度はすぐ乗ってきたので、ゆっくり台へ近づけた。白い鼻先が枝へ伸び、小さな爪が片方ずつ袖から離れる。横木を伝って一番高いところまで進んだ姿を見て、僕は思わずニャンターを振り返った。
その間に飛んだ。
戻ったのは机でも棚でもなく、床へ置いてある運搬用の籠だった。丸めた布へ頭から潜り、ひと回りして落ち着く。小さな音がした後、籠の縁から尻尾だけが垂れた。
僕は台を見た。籠を見た。もう一度、台を見た。
「まだ入口、見てないよ」
尻尾が少し動いた。返事だとすれば、ずいぶん簡単に断られたものだ。
ニャンターはかがんで籠の中を確かめ、布の端を少し外へ引き出した。鼻先が覗いたので出てくるかと思ったら、その布を前脚で引き戻している。
「息はできる。引っ掛かるものもないな」
「住み心地の確認ですか」
ニャンターは口元を隠しきれないまま、籠を台の隣へ移した。僕も怒っているわけではない。台の上で満足そうにしてくれたら、それでよかったのだ。たったそれくらいのお願いなのに、こちらの都合は全然伝わっていない。
横木へ餌を置こうとして、袋へ伸ばした手を止めた。ご飯で呼べば出てくるだろうけれど、食べ終わった後も住んでくれる保証はない。僕が余計に片づける場所を増やすだけになりそうだった。
「明日は使うかもしれませんよね」
「籠は返すのを待ってもらう。台も置いておこう」
そうしてもらった。
せっかく机が空いたので、僕は完成した台を描くことにした。板に描いた窓も紙へ写し、その横には格好よく翼を畳んだ飛竜を入れるつもりだったが、見えるのは籠からはみ出した尻尾ばかりである。
描いているうちにニャンターが湯の入った杯を置いてくれた。覗き込まれる前に、僕は紙の下へ日付を書き足した。
「家に送るのか」
「うん。こんなのを作ってもらいましたって」
紙の中では立派な台が空いていて、隣の古い籠に尻尾が生えている。母ならすぐ分かってくれそうだ。姉にまで見せたら、たぶん弟と飛竜のどちらを慰めるべきか考えた顔をする。
少し迷って、絵の窓を実物より一つ減らした。
あそこまで張り切っていたことは、家族に知られなくてもいい。
* * *
昨日と同じ前掛けを結ぶと、結び目が腹の真ん中へ来た。
武器帯なら横へずらすが、荷を抱える仕事ではそこも邪魔になる。二度結び直している間に若い荷運びが水を勧めてきたので、ありがたくもらった。狩猟資格証を大老殿へ預けて以来、腰へ下げる物は随分と軽くなったが、代わりに担がされる荷は増えていた。
「今日は本部かい」
空いた杯を受け取りながら、若い荷運びが俺に聞いた。
「ああ。門まで運んで待ってりゃいいそうだ」
「待つほうが長いぞ」
「なら、その間に脚を休ませるさ」
若いのは笑い、荷台へ先に上がった。俺は下から木箱を持ち上げる。角をぶつけそうになったので片側を支えると、向こうもすぐ持ち直した。荷を積む場所さえ決まれば動きは悪くない。
北の街道が開いてから、この荷受け場へ来る荷車は増えていた。道を塞いでいた恐暴竜は地元の四人が仕留めたと聞き、その後、回ってきた討伐の控えでも確かめてある。
全員帰還。一人は腕を折ったが、命に別状はなかった。
あの顎と脚へ刃を入れ、岩場の奥へ追い返した時には、もう長くは保たんと思った。それでも倒れ切るまで何をするか分からぬ相手だ。討伐を終えたという一行の下まで読み、四人が戻ったことを知った時は、ようやく息をつけた。
仕留めた隊には苦労を掛けた。今の俺が顔を出して一杯奢れば、仕事を増やすことになる。杯の代わりに荷を持ち上げ、街道を通って届いた箱を奥へ送った。
荷主の確認を待つ間に、店番の女が帳場へ声を掛けた。
帳場の男は開いた帳簿へ指を置いたまま顔を上げた。数を答えると今度は御者を呼び止め、途中で替えた飼料の代金を確かめる。御者のほうは面倒そうだったが、男が別の札を見せると、思い出したように頷いて袋へ手を入れた。
出入りの者たちは、あの男へ金の話をする。
誰かが役目を用意して座らせただけなら、ああはならない。昨夜、酒場で御者の一人から聞いた話でも、帳場の男は何年も商隊について各地を回っていた。道中で帳面を濡らした時に助けられたとまで話されたので、仕事の腕を疑うのはやめた。
別に調べていることがあるのだろう。
荷が揃うと、女が書類を束ねて革の袋へ入れた。卓の隅に置いてあった小さな封筒も取り、帳場の男へ掲げてみせる。
「昨夜の手紙も、この便でいいんだね」
「お願いします」
男が頷くと、女は封筒を入れて袋を閉め、御者へ渡した。俺は荷車の後ろに縄を掛け、門を出るまで端を引いた。振り返った時には、男はもう別の帳面を開いていた。
本部の通用門は正面より狭く、荷車が入れる場所には白い線が引かれていた。内側には別の台車が並んでおり、外から来た荷をそこで移す。俺たちが入っていいのは線の手前までだった。
守衛は御者の札を確かめ、荷運びの人数も書き留めた。見慣れない顔だったのか、最後に俺へ目を留めた。
「前にも来たことは」
「ここの荷は初めてだ。昨日から世話になってる」
荷受け場の名を言うと、守衛は御者にも確かめてから俺へ手を振った。俺の顔を知っている者ではなかった。王家の使者を押しのけた男だと気づかれれば、前掛け一枚では済まない。
中庭の奥から若い書士が来た。書類の袋を受け取り、荷札と照らし合わせながら木箱を数える。二つ目を開けたところで品が違うと言い出し、御者が腰へ手を当てた。
「頼まれた数を積んできたぞ」
若い書士は箱の中から革紐を一本持ち上げ、御者へ見せた。
「数じゃなくて、これ。細いほうの革紐が入っている」
俺は箱を引き寄せ、底へ挟まっている札を出した。若い書士がそれを読み、袋からもう一枚紙を抜く。隣の台車で荷を下ろしていたアイルーを呼ぶと、二人で倉庫へ引き返していった。
御者は俺に、いつもこうだと小声で言った。聞こえた守衛が鼻を鳴らしたので、俺は木箱へ腰を下ろす代わりに立って待った。
廊下の向こうへ坊主を探すことはしなかった。
大長老から接触を禁じられている。それに、荷から離れて建物の奥ばかり窺っていれば守衛も気にする。俺は書士が戻るまで、革紐の長さを御者と確かめていた。
手違いは本部側にあったらしい。少し太い紐を使っていた場所へ、今後はこの品を回すことになっていたという。若い書士は謝って受領の印を押したが、預けた袋はまだ返ってこなかった。
「ほかの部署の返事も合わせます。少し待ってください」
その間にも別の荷が届いた。薬草の包みを抱えた者が入り、修繕用の金具を取りに来た者が出る。門の内側で荷を扱う職員は入れ替わり、書類だけが奥へ運ばれていくこともあった。
ようやく戻った革袋は中身が少し厚くなっていた。誰の返事が増えたのかは、その場では分からなかった。
帰り道、御者は南の通りへ曲がった。何の用か聞くと、借りた縄を返すのだという。帳場の男も同じ通りの革屋へよく行くそうだ。俺は荷台の縁から少し身を乗り出した。
「あの人は、こっちへ腰を据えるつもりかい」
御者は前を向いたまま答えた。
「さあな。次の便までは手伝うと言ってくれてる。こっちは助かるが、向こうの商会から呼び戻されるかもしれん」
「そうなったら帳面はお前さんが?」
「やめてくれ。俺に任せたら、馬鹿正直に言うが損が出る」
俺が笑うと、御者も声を上げ、宿代が合わなかった昨日の話を始めた。帳場の男を引き留めたがる者は、ほかにもいそうだった。
荷受け場へ戻ると、店番の女が受領書を広げた。
俺たちが革紐の手違いを話している横で、女は袋から小さな封書を抜き、奥の机へ置いた。帳場の男は会話へ加わらず、紙束を揃えてからそれを取る。宛先を見て懐へ入れ、残った書類にはその場で目を通した。
俺は空箱を重ねながら、それだけを覚えておいた。
商いの連絡に私信を添えることはある。遠くの家族へ便りを出す時も、通り道に知り合いがいれば頼む。受け取った封筒一つで人を捕まえる気はない。だが、男が知りたがっていることと、その便りの行き先は同じ建物に集まっていた。
男へ目を向けすぎないよう、午後は別の倉庫の荷も運んだ。
そこの親父は人使いが荒く、俺が一度に二つ担ぐと、次も二つ寄越してきた。夕方には肩に前掛けの紐が食い込んでいたが、荷受け場へ戻る頃には、本部へ品を入れる店の名がいくつか耳に残っていた。
翌日は昼過ぎまで雨になった。
濡らせない荷を軒へ寄せていると、帳場の男が通りを横切った。革屋の前で足を止め、荷の受け取りを待つ使いの男へ声を掛ける。商談のような顔だったので、俺は縄を結びながら雨音の向こうへ耳を向けた。
「本部へは、まだ通っておいでですか」
帳場の男に聞かれ、使いは肩をすくめた。
「取り次いでもらえるまではな。うちの主人も、会わずに戻ってこいとは言わん」
「あの子にですか」
使いの男が一度周囲を見た。俺は濡れた縄を絞り、木箱へ巻き直した。
「絵を頼みたいと書いた手紙だよ。返事だけでも寄越せばいいものを」
「お戻りになる日は、お決まりで?」
店の奥から呼ばれて二人が動き、使いの答えは屋根を叩く雨に紛れた。続いて聞こえたのは、どこの宿へ返事が来るのか尋ねる声と、使いの男が教えた宿の名だった。
俺は結び終えた縄を引いた。木箱は動かなかった。
街へ着いた頃、帳場の男が酒場で聞いていたのは北の街道の話だった。危険を避けた商隊の者として礼を言い、彩鳥の絵を持ち込んだ商人は誰か、どの報告で道を変えることになったのかを確かめていた。
それが今は、坊主へ会いたがる者の宿を聞いている。
本部から届いた封書を懐へ収めた翌日に、使いの滞在先や帰る日まで確かめている。もう絵の値打ちは測り終えたのだろうか。本部の誰かと話がつき、先を争う相手を調べ始めたのなら筋は通る。
使いが店を出ると、帳場の男はその背を見送り、自分は逆へ歩いた。後をつける様子はない。俺は教えられた宿の名を覚え、男が次に立ち寄る先を目で追った。
夕方、店番の女が温かい汁を振る舞ってくれた。
俺が台へ腰を下ろすと帳場の男も向かいへ座った。近くで見ると指の節へインクが染み、爪の端には細かな紙の繊維がついている。俺の掌へ視線を落とした後、男は汁椀を持ち直した。
「以前はどちらで働いていたのです」
「あちこちだ。今はここが一番、飯にありつける」
女へ椀を上げると、褒めても肉は増えないよと返ってきた。男もわずかに笑ったが、俺が続きを話すのを待っていた。
「道中の護衛もやった。この街へ来てからは荷運びだな」
「昨日はずいぶん待たされたそうですね」
「ああ。革紐の数を三度数えたぞ。次は飯を持っていく」
男は椀の縁を親指で拭った。その間に女が別の者を呼び、空いた箱を片づけるよう言う。男の目がそちらへ向いたので、俺も汁の中の豆を拾った。
「明日も本部へ?」
帳場の男が俺へ視線を戻した。
「頼まれりゃ行くよ」
返事を聞くと男は頷き、今度は荷車の修繕費を女へ尋ねた。俺への質問はそこで終わった。前に何をしていたかに続けて、本部へ行く予定も聞いている。来たばかりの荷運び人に関心を持つ理由としては、そちらのほうが気になった。
俺がどこまで運び、何を見てきたのかを確かめたかったのかもしれない。話を戻すのはやめ、男がこの後、誰へ何を尋ねるか見ることにした。
俺は椀を返し、雨の上がった通りへ出た。
男は本部へ面会を求めていない。正門の前で騒ぐことも、少年の絵を買うため金を積むこともなかった。それでも便りは届き、返事を送る先がある。
中の者から坊主の暮らしを聞けるなら、自分で門を叩く必要はない。顔を見せぬまま周囲を調べ、ほかの客が帰る時期まで知っておける。あの使いの主より先に、御子へ手を伸ばすつもりなのではないか。
封書の中身を確かめてはいない。だが、商いのついでに噂を聞いている程度の男として扱う気は失せた。本部で便りを出す相手も含め、調べ直す必要があった。
自分の泊まる部屋へ戻り、扉を閉めてから前掛けを外した。
壁へ立てた細長い包みは朝と同じ向きにあり、口へ結んだ紐も緩んでいなかった。置き場所を確かめてから卓へ灯りを寄せ、持ち帰った紙を広げた。
公の納品については女が確かめた数を控え、別の紙へ私信を運んだ日と、その前後に男が尋ねていたことを書きつける。本部で袋を受け取った若い書士は奥へ運び、帰りには別の者が持ってきた。その二人の特徴も脇へ書き添えたが、封筒を入れた者は見ていない。
男が聞き出した宿の名を添え、その下へ一本線を引いた。
明日の便は朝早い。女にはもう手を挙げてある。今度も本部の門で待たされるなら、待つ間に別の荷がどこから来て、どんな紙を持ち帰るのかを見ておこう。
最後に「本部側の差出人」と記し、氏名を書き足せるだけの余白を残した。まだ白いその行を見てから、俺は紙を畳んだ。