ハンターにはなりません。理由は怖いから   作:ゴミミゴミ

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第17話 そっちですか、そうですか

 

 ウロコウモリの尻尾で、僕の書いた字が一つ減った。

 

 ちょうどインクが乾く前だったので、払いの長い字になったと言えば、そう見えなくもない。問題は隣の字まで一緒に払われたことである。僕は筆を置き、帳面を自分のほうへ引いた。紙の端を追って白い頭が近づいてくる。

 

「それ、食べ物じゃないよ」

 

 鼻先が筆入れへ向いた隙に尻尾を拭く。先だけ黒くなった布を見せても、本人は別に困っていなかった。もう片方の手へ前脚を掛け、袖を上がってこようとするので、途中で指を差し込んで止めた。

 

 医務室へ行ってから何日か経ち、背中はだいぶ楽になった。服を着るのも一人でできる。ただ、襟をつかんで登られると皮膚まで引っ張られるので、肩の営業はもう少し休ませてもらいたい。

 

 その代わり机へ乗せていたところ、僕が使える場所が日に日に狭くなってきた。先に置いておけば避けてくれるだろうと思った画板も、今では寝そべるための坂道である。

 

 棚には寝る場所があるし、籠にも布を敷いている。十一歳とアイルーと飛竜で使っている部屋なのだから、飛竜の取り分はかなり大きい。しかも家賃を払う気はなさそうだった。

 

 棚へ戻そうと腕を伸ばすと、ニャンターが読んでいた紙を置いた。

 

「まだそこまで上げるな。こっちへ寄越せ」

 

 助かったと思って差し出したが、ウロコウモリはニャンターの手へ移る前に翼を開き、机の反対側へ飛んでいった。インク壺には蓋をしてある。そこだけは間に合ってよかった。

 

「僕が描いてる間だけ、あそこで寝ててくれればいいのに」

 

 棚を指さすと、ニャンターは机と棚の間を見た後、椅子から降りた。

 

「お前の顔が見えるところに台を置いてみるか」

 

「ここへ?」

 

「飼育を任されている連中に聞いてこい。使っていないものがあるかもしれん」

 

 僕は膝から画板を降ろした。寝床を増やせば机が空く。ついでに近くで見られる。なかなかいい話だった。

 

 部屋の隅には以前もらった紙の切れ端が残っていたので、さっそく鉛筆代わりの細い炭筆を出した。台の上へ横木を一本渡し、その下には潜れる場所を作る。見ているだけだと寂しいので屋根をつけ、入口の脇には小さな窓も描いてみた。

 

 ここまで来ると、屋根が平らなのは少し物足りない。

 

 端を尖らせ、軒を出していたら、ニャンターが紙の向こうから覗き込んだ。

 

「立派になったな」

 

「雨が入らないように」

 

 ニャンターは天井を見た。僕も見た。屋根はもうあった。

 

 それでも、描いてしまったものを消すのは惜しい。軒の線だけ薄く残して、僕は下のほうへ大きさを書き込んだ。全部を作ってもらうとは言っていない。こういう形にできたら嬉しいです、くらいなら聞いてもいいだろう。

 

 ウロコウモリは紙へ興味を示さず、筆入れの蓋を鼻で押していた。ここに住む予定の本人にも、少しくらい相談へ加わってほしい。

 

 出かけようとすると、ウロコウモリは自分で棚へ戻って翼に頭を隠した。

 

 今はそこで寝られるんだ。

 

 僕が振り向いた時には、ニャンターはもう廊下を歩き始めていた。

 

 本部の裏庭には、標本を置く建物とは別に生き物を世話する小屋があった。中へ運び込まれるのは保護された小型の生物や、調査のため一時的に預かるものだという。大きな音を立てず、勝手に手を出さないよう教わったので、僕はまず自分の両手を見えるところへ置いた。

 

 空の籠が積まれた入口で待っていると、灰色の前掛けをした女の人が出てきた。

 

「宿舎でウロコウモリを飼っている子だね。餌は足りてる?」

 

「はい。今日は寝るところの相談で」

 

 畳んでいた図を開くと、女の人は手を拭いてから受け取った。屋根の先までじっくり見て、僕ではなくニャンターへ一度目を向ける。ニャンターは何も言わず、図の隅が風でめくれたところを押さえてくれた。女の人は図から顔を上げた。

 

「綺麗に描くねえ。これを机に置きたいの?」

 

「横の床です。僕が座ってると、帳面の上に来るので」

 

「それなら、あまり高くしないほうがいいかな。今使っている椅子はどのくらい?」

 

 僕は膝の横へ手を下ろした。女の人はその高さを確かめ、窓の位置や机の向きも聞いてから、小屋の外へ置かれた横木の台を示した。

 

 木箱へ立てた二本の柱に枝を渡した台だった。枝は爪の掛かりそうなざらついた肌で、下の板を引き出して洗えるようになっている。

 

「これなら空いているよ。枝の位置を下げれば使えそうだね」

 

 僕の絵と見比べると、屋根も窓もなかった。でも、横木へ指を載せて白い頭が乗っているところを想像すると、意外とよさそうだった。机の脇へ置いても椅子を引く邪魔にならず、横からなら足の爪まで描ける。

 

「下へ、少し隠れるところをつけてもいいですか」

 

「いいよ。布を掛けて試してごらん。どこへ潜りたがるかは、置いてみないと分からないから」

 

 絶対に気に入る、とは言ってもらえなかった。毎日いろいろな生き物を世話している人でも、うちの飛竜の機嫌までは引き受けてくれないらしい。

 

 台は修繕小屋で直してもらえることになり、飼育係の人が職人へ話を通してくれた。腕まくりをした職人は軒下の卓に台を載せ、横木を少し下げればよさそうだと言った。

 

 僕は図も一緒に置いた。もう必要ないかもしれないが、手ぶらで眺めているよりは話しやすい。職人が道具を置いて図を覗き込んだ。

 

「この屋根もつけるのかい」

 

「それは、なくても大丈夫です」

 

 言った後で小窓のところへ指が止まった。職人は気づいたらしく、少し笑って木箱の横板を指で叩いた。

 

「飾りたいなら、この横板の内側に描けるよ。外して机で描いて、乾いたら戻せばいい」

 

「窓を描いてもいいんですか」

 

「本物の穴を開けるより楽だ。本人が間違えて通ろうとしなければね」

 

 それは困る。けれど、絵の窓へ頭を入れようとするウロコウモリも、ちょっと見てみたかった。危なくないように枠だけ描くことにして、僕は台の幅を紙へ写した。

 

 ニャンターが台を支えている間、僕も道具を渡して手伝おうとした。三度目に違うものを差し出したところで椅子を勧められたので、座って図の続きを描くことにする。向こうの仕事が急に早くなったのは、見なかったことにしたい。

 

 窓を一つ入れると、隣にもう一つ欲しくなった。窓辺の鉢から葉を伸ばしたところで、ニャンターが紙を覗き込んだ。

 

「庭までできたか」

 

「こっちは描くだけだから、世話はいりません」

 

「そりゃ助かる」

 

 僕の指についていた木屑を摘み取って、ニャンターは台のほうへ戻った。少し機嫌がよさそうだったので、窓の下へ小さな椅子も足しておいた。住んでいる飛竜が座るかどうかは、家主が考えればいい。

 

 職人が布を敷いた運搬用の籠を貸してくれたので、台はニャンターに任せ、僕は外した横板と図を抱えた。

 

「戻ったら、お前は板の絵を済ませろ。台へ戻すのは乾いてからだ」

 

「もう決まってます。早いですよ」

 

 宿舎へ戻る足は、来る時より少し速くなった。台をどこへ置くか考えながら歩き、途中で自分が先へ出すぎていることに気づいてニャンターの隣へ戻る。籠の中では、僕の小さな家が布にくるまれて揺れていた。

 

 部屋の扉を開けても、ウロコウモリは出迎えに来なかった。

 

 棚の上で片目を開け、すぐにまた閉じた。こちらの張り切り方と随分違うが、完成品を見てから喜んでくれても遅くはない。

 

 台は机の脇へ置いた。布を掛けても横木から僕の顔が見えるのを確かめ、外しておいた板へ筆を下ろす。

 

 板は紙と違って色を吸った。いつものつもりで筆を置くと、窓枠の端が少し太くなる。木目に沿って筆先を動かし、はみ出したところを枠の影に変えた。鉢の葉を描く頃には具合が分かり、最初より細い線も引けるようになった。

 

 頼まれた絵ではないので、窓の数も葉の形も僕が決めていい。広い紙をもらった時とは違う楽しさで、板の端まで使い切ったところでようやく筆を洗った。

 

「できました」

 

 ニャンターは僕の手元を見に来て、絵具へ触れないよう板の端をつまんだ。

 

「乾くまでそこへ立てておけ」

 

「ちゃんと見ました?」

 

「見た。お前の部屋より窓が多い」

 

 そう言って板を灯りへ向けたまま少し眺め、それから棚の下へ置いてくれた。気に入ったのかもしれない。あまりしつこく聞くと照れそうなので、僕も水皿を洗うほうへ回った。

 

 台が完成したのは昼食の後だった。

 

 ニャンターに板を戻してもらうと、布の陰に小さな家ができた。尖った屋根こそつかなかったが、これはこれで立派だった。

 

 僕は棚へ腕を差し出した。

 

「できたよ。こっち来て」

 

 今度はすぐ乗ってきたので、ゆっくり台へ近づけた。白い鼻先が枝へ伸び、小さな爪が片方ずつ袖から離れる。横木を伝って一番高いところまで進んだ姿を見て、僕は思わずニャンターを振り返った。

 

 その間に飛んだ。

 

 戻ったのは机でも棚でもなく、床へ置いてある運搬用の籠だった。丸めた布へ頭から潜り、ひと回りして落ち着く。小さな音がした後、籠の縁から尻尾だけが垂れた。

 

 僕は台を見た。籠を見た。もう一度、台を見た。

 

「まだ入口、見てないよ」

 

 尻尾が少し動いた。返事だとすれば、ずいぶん簡単に断られたものだ。

 

 ニャンターはかがんで籠の中を確かめ、布の端を少し外へ引き出した。鼻先が覗いたので出てくるかと思ったら、その布を前脚で引き戻している。

 

「息はできる。引っ掛かるものもないな」

 

「住み心地の確認ですか」

 

 ニャンターは口元を隠しきれないまま、籠を台の隣へ移した。僕は窓の絵が見えるよう、横板を指で少し叩いてみた。尻尾も動かなかった。

 

「明日は使うかもしれませんよね」

 

「籠は返すのを待ってもらう。台も置いておこう」

 

 そうしてもらった。

 

 せっかく机が空いたので、僕は完成した台を描くことにした。板に描いた窓も紙へ写し、その横には格好よく翼を畳んだ飛竜を入れるつもりだったが、見えるのは籠からはみ出した尻尾ばかりである。

 

 描いているうちにニャンターが湯の入った杯を置いてくれた。覗き込まれる前に、僕は紙の下へ日付を書き足した。

 

「家に送るのか」

 

「うん。こんなのを作ってもらいましたって」

 

 紙の中では立派な台が空いていて、隣の古い籠に尻尾が生えている。母ならすぐ分かってくれそうだ。姉にまで見せたら、たぶん弟と飛竜のどちらを慰めるべきか考えた顔をする。

 

 少し迷って、絵の窓を実物より一つ減らした。

 

 あそこまで張り切っていたことは、家族に知られなくてもいい。

 

* * *

 

 荷を抱える時に邪魔にならぬよう前掛けの紐を結んでいると、若い荷運びが水を勧めてきた。狩猟資格証を大老殿へ預けて以来、腰へ下げる物は軽くなったが、代わりに担がされる荷は増えている。

 

「今日は本部かい」

 

 空いた杯を受け取りながら、若い荷運びが俺に聞いた。

 

「ああ。門まで運んで待ってりゃいいそうだ」

 

「待つほうが長いぞ」

 

「なら、その間に脚を休ませるさ」

 

 若いのが荷台へ上がり、俺は下から木箱を渡した。昨日より受け取る手が早い。こちらの力加減にも慣れてきたようだった。

 

 北の街道が開いてから、この荷受け場へ来る荷車は増えていた。道を塞いでいた恐暴竜は地元の四人が仕留めたと聞き、その後、回ってきた討伐の控えでも確かめてある。

 

 全員帰還。一人は腕を折ったが、命に別状はなかった。

 

 あの顎と脚へ刃を入れ、岩場の奥へ追い返した時には、もう長くは保たんと思った。それでも倒れ切るまで何をするか分からぬ相手だ。討伐を終えたという一行の下まで読み、四人が戻ったことを知った時は、ようやく息をつけた。

 

 仕留めた隊には苦労を掛けた。今の俺が顔を出して一杯奢れば、仕事を増やすことになる。杯の代わりに荷を持ち上げ、街道を通って届いた箱を奥へ送った。

 

 荷主の確認を待つ間に、店番の女が帳場へ声を掛けた。

 

 帳場の男は荷の数を答え、御者へ飼料代の不足を指摘した。御者は面倒そうに袋を探っている。昨夜聞いた話でも、男は何年も商隊の帳場を預かってきたそうだ。帳面を濡らした時に助けられたとまで話されたので、仕事の腕を疑うのはやめた。

 

 その仕事の傍ら、何を調べているかが問題だった。

 

 荷が揃うと、女が書類を束ねて革の袋へ入れた。卓の隅に置いてあった小さな封筒も取り、帳場の男へ掲げてみせる。

 

「昨夜の手紙も、この便でいいんだね」

 

「お願いします」

 

 男が頷くと、女は封筒を入れて袋を閉め、御者へ渡した。俺は荷車の後ろに縄を掛け、門を出るまで端を引いた。振り返った時には、男はもう別の帳面を開いていた。

 

 本部の通用門では、白い線を境に荷を内側の台車へ移した。俺たちが入っていいのは線の手前までだ。

 

 守衛は御者の札を確かめ、荷運びの人数も書き留めた。見慣れない顔だったのか、最後に俺へ目を留めた。

 

「前にも来たことは」

 

「ここの荷は初めてだ。昨日から世話になってる」

 

 荷受け場の名を言うと、守衛は御者にも確かめてから俺へ手を振った。俺の顔を知っている者ではなかった。王家の使者を押しのけた男だと気づかれれば、前掛け一枚では済まない。

 

 中庭から来た若い書士へ書類の袋を渡したところ、革紐の本数が注文と違うという話になった。俺たちが三度数え直す間に書士が倉庫へ確かめに行き、結局は本部側で注文の変更が伝わっていなかったと分かる。

 

 その間、俺は荷のそばを離れなかった。坊主への接触は禁じられているし、奥を窺うより、受け渡しの様子を眺めるほうが今の仕事には役立つ。

 

 若い書士は謝って受領の印を押したが、袋はまだ返してくれなかった。

 

「ほかの部署の返事も合わせます。少し待ってください」

 

 その間にも別の荷が届いた。薬草の包みを抱えた者が入り、修繕用の金具を取りに来た者が出る。門の内側で荷を扱う職員は入れ替わり、書類だけが奥へ運ばれていくこともあった。

 

 ようやく戻った革袋は中身が少し厚くなっていた。誰の返事が増えたのかは、その場では分からなかった。

 

 帰りに御者が縄を返すため立ち寄った革屋は、帳場の男もよく使うという。男は次の便まで残って仕事を手伝うつもりらしく、御者は助かると何度も言った。俺は店の軒を覚えた。

 

 荷受け場へ戻ると、店番の女が受領書を広げた。

 

 俺たちが革紐の手違いを話している横で、女は袋から小さな封書を抜き、奥の机へ置いた。帳場の男は会話へ加わらず、紙束を揃えてからそれを取る。宛先を見て懐へ入れ、残った書類にはその場で目を通した。

 

 俺は空箱を重ねながら、それだけを覚えておいた。

 

 商いの連絡へ私信を添えるのは珍しくない。だが、男が知りたがっている坊主も、便りを寄越す相手も、同じ建物にいるらしかった。

 

 男へ目を向けすぎないよう、午後は別の倉庫の荷も運んだ。

 

 そこの親父は人使いが荒く、俺が一度に二つ担ぐと、次も二つ寄越してきた。夕方には肩に前掛けの紐が食い込んでいたが、荷受け場へ戻る頃には、本部へ品を入れる店の名がいくつか耳に残っていた。

 

 翌日は昼過ぎまで雨になった。

 

 濡らせない荷を軒へ寄せていると、帳場の男が通りを横切った。革屋の前で足を止め、荷の受け取りを待つ使いの男へ声を掛ける。商談のような顔だったので、俺は縄を結びながら雨音の向こうへ耳を向けた。

 

「本部へは、まだ通っておいでですか」

 

 帳場の男に聞かれ、使いは肩をすくめた。

 

「取り次いでもらえるまではな。うちの主人も、会わずに戻ってこいとは言わん」

 

「あの子にですか」

 

 使いの男が一度周囲を見た。俺は濡れた縄を絞り、木箱へ巻き直した。

 

「絵を頼みたいと書いた手紙だよ。返事だけでも寄越せばいいものを」

 

「お戻りになる日は、お決まりで?」

 

 店の奥から呼ばれて二人が動き、使いの答えは屋根を叩く雨に紛れた。続いて聞こえたのは、どこの宿へ返事が来るのか尋ねる声と、使いの男が教えた宿の名だった。

 

 俺は結び終えた縄を引いた。木箱は動かなかった。

 

 街へ着いた頃、帳場の男が酒場で聞いていたのは北の街道の話だった。危険を避けた商隊の者として礼を言い、彩鳥の絵を持ち込んだ商人は誰か、どの報告で道を変えることになったのかを確かめていた。

 

 それが今は、坊主へ会いたがる者の宿を聞いている。

 

 本部から便りを受け取った翌日に、ほかの面会希望者の滞在先まで確かめている。絵の値打ちを知りたいというだけでは、帰る日までは要らんはずだ。

 

 使いが店を出ると、帳場の男はその背を見送り、自分は逆へ歩いた。後をつける様子はない。俺は教えられた宿の名を覚え、男が次に立ち寄る先を目で追った。

 

 夕方、店番の女が温かい汁を振る舞ってくれた。

 

 俺が台へ腰を下ろすと帳場の男も向かいへ座った。近くで見ると指の節へインクが染み、爪の端には細かな紙の繊維がついている。俺の掌へ視線を落とした後、男は汁椀を持ち直した。

 

「以前はどちらで働いていたのです」

 

「あちこちだ。今はここが一番、飯にありつける」

 

 女へ椀を上げると、褒めても肉は増えないよと返ってきた。男もわずかに笑ったが、俺が続きを話すのを待っていた。

 

 荷運びだけで通すには、掌の傷が多すぎた。

 

「道中の護衛もやった。この街へ来てからは荷運びだな」

 

「昨日はずいぶん待たされたそうですね」

 

「ああ。革紐の数を三度数えたぞ。次は飯を持っていく」

 

 男は椀の縁を親指で拭った。その間に女が別の者を呼び、空いた箱を片づけるよう言う。男の目がそちらへ向いたので、俺も汁の中の豆を拾った。

 

「明日も本部へ?」

 

 帳場の男が俺へ視線を戻した。

 

「頼まれりゃ行くよ」

 

 男は頷くと、荷車の修繕費を女へ尋ねた。俺が答えたことへの感想はなかった。以前の仕事より、本部でどこまで見てきたかが気になるのかもしれない。

 

 俺も話を戻さず汁を飲み干した。男が帳場へ戻ってから女に声を掛ける。

 

「明日の本部行き、俺も出るよ」

 

「朝早いけど、いいんだね」

 

 頷いて椀を返し、雨の上がった通りへ出た。

 

 男は本部へ面会を求めていない。正門の前で騒ぐことも、少年の絵を買うため金を積むこともなかった。それでも便りは届き、返事を送る先がある。

 

 中の者から暮らしぶりを聞けるなら、顔を見せずに坊主へ近づく機会を探れる。あの使いの主より先に、御子へ手を伸ばすつもりなのではないか。

 

 封書の中身はまだ知らん。だが、商いのついでに噂を聞く男として扱う気は失せた。

 

 自分の泊まる部屋へ戻り、扉を閉めてから前掛けを外した。

 

 壁へ立てた細長い包みは朝と同じ向きにあり、口へ結んだ紐も緩んでいなかった。置き場所を確かめてから卓へ灯りを寄せ、持ち帰った紙を広げた。

 

 公の納品については女が確かめた数を控え、別の紙へ私信を運んだ日と、その前後に男が尋ねていたことを書きつける。本部で袋を受け取った若い書士は奥へ運び、帰りには別の者が持ってきた。その二人の特徴も脇へ書き添えたが、封筒を入れた者は見ていない。

 

 男が聞き出した宿の名を添え、その下へ一本線を引いた。

 

 明日はほかの便も見ておこう。私信を載せる荷車が一つとは限らず、袋を手渡す者が差出人とも限らない。

 

 最後に「本部側の差出人」と記し、氏名を書き足せるだけの余白を残した。まだ白いその行を見てから、俺は紙を畳んだ。

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