ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
その晩、我が家では家族会議が開かれた。
議題は、僕を王立古生物書士隊の本部へ連れていってよいものか、である。
僕としては、すでに結論が出ていた。行って、絵を見せて、少し質問に答えて帰ってくる。それだけなら、断るほどのことではない。むしろ見たことのない画材や、本物の生物画を見せてもらえるかもしれない。王立と名につく組織なのだから、きっと資料も立派だろう。
ただ、僕以外の三人は、そう簡単には考えていなかった。
本部までは乗合車で十日ほどかかるらしい。姉が父からそれを聞き出すと、母の眉間の皺が一本増えた。往復だけで二十日。向こうに何日いるのかも分からない。父も店を長く空けるわけにはいかないが、子供だけで行かせるつもりはない。母は、そもそも行かせると決まったわけではないと念を押した。
二人とも声を荒らげてはいなかったが、穏やかな相談という雰囲気でもなかった。
僕は食卓の端で、夕食に出た豆を一粒ずつ潰していた。食べ物で遊んではいけない。しかし、自分のことを大人たちが深刻そうに話している横で、平然と匙を動かし続けるのも難しい。
僕が一人でも平気だと言うと、三人が同時にこちらを向いた。母の返事は、考える間もなく却下だった。
僕もすぐに引き下がった。十一歳の一人旅が認められるとは、本気で思っていなかった。話が進まないようなら提案だけしてみよう、という程度である。
父は腕を組み、卓上に置かれた僕の綴じ本を見た。
書士隊の人が帰ったあと、父は店を早じまいした。そして家族全員で、綴じ本を最初から最後まで見直した。僕にとっては、知っている怪物の絵をまとめただけのものだ。けれど、家族にとっては、いつの間にか息子や弟が描いていた正体不明の生き物の群れだった。
姉は最初の数枚では面白がっていた。途中から口数が減り、巨大な牙の獣を描いた頁では、本を閉じかけた。
姉は、夕食前にも聞いた質問をもう一度口にした。これは本当に、すべて想像なのか。
僕はそうだと答えた。嘘ではない。少なくとも、この世界で見たものを描いたわけではない。前世で資料を見た、と説明することはできないので、僕の中から出てきたという意味では想像と言ってよいはずだ。よいことにしてほしい。
夢で見たのか、頭の中へ急に浮かぶのかと重ねて聞かれ、僕は昔から知っているような気がするのだと答えた。姉の目が細くなった。我ながら、非常に怪しい説明だった。
「絵のことは、書士隊の方が判断してくださるでしょう」
母が姉を制した。
「問題は、なぜあの方がそこまで息子の絵を気にしたかです。上手な子供を見つけるたび、本部へ連れていくわけではないでしょう」
それは僕も少し気になっていた。
絵を褒められたことは素直に嬉しい。だが、火竜の脚について尋ねたときのあの人は、絵を見る客の顔ではなかった。父が仕入れた品の産地を疑うときと、よく似た目をしていた。
僕は、描いた火竜の爪を思い出した。
毒のことまで話す必要はなかったかもしれないが、毒爪は火竜の特徴であり、前世の僕にとっては常識に近かった。大きな翼、赤い鱗、炎を吐く口、毒のある脚まで揃って一頭の火竜なのだから、翼を描いておいて脚を適当に済ませるほうが、むしろ落ち着かない。
「あの絵の脚が、そんなに珍しかったのかな」
「お前は知らずに描いたのだろう」
父が言った。
「だったら、あの方にとっては珍しいんじゃないか」
「でも、火竜の脚に毒があることは、調べれば分かるんでしょう?」
「調べれば、な」
父は商人らしい、重みのある言い方をした。
店で品物を扱っていると、知っていることと、知る方法があることは違うのだと教えられる。遠い土地の染料について書かれた本がこの世のどこかにあっても、その本を読む機会がなければ、街の人間にとっては知らないのと同じだ。
火竜の生態も、おそらくそうなのだろう。僕の頭の中では図鑑を開けば載っている情報でも、この世界では、誰かが実際に火竜へ近づき、生き延び、観察したことを持ち帰らなければ一行の記録にもならないのだと考えると、急に申し訳ない気持ちになった。
僕が寝台で頁をめくって覚えた知識の向こう側には、この世界では命懸けの調査がある。
もっとも、その調査に参加したいかと問われれば答えは断固として否であり、敬意と参加希望は、それぞれ完全に別の問題である。
「僕は危ない調査には行かないよ」
「誰もその話はしてない」
姉に言われた。
「大事なことだから」
「さっきも聞いた」
「何度確認しても損はないよ」
家族の誰も笑わなかった。
僕は少し寂しかった。この家では、僕が危険を嫌うことは冗談ではなく、昔から変わらない性格として受け入れられている。高い梯子にも登らず、荷車を引く草食獣が機嫌を悪くすれば店の奥へ退き、祭りで剣術試合があっても人垣の後ろから眺める。十一歳の少年としては、あまり勇ましくない。
だが、勇ましさで長生きできるとは限らないのだから、前の人生で一度死んでいる僕には、その点について同年代の子供より慎重になる資格があると思っている。
父は、本部へ行ったら何をさせられると思うかと尋ねた。絵を見せ、質問に答える。その先まで促され、僕はようやく、別の絵を描かされるのではないかと気づいた。
父も、おそらくそうなるだろうと考えていた。僕が本当に何も見ずに描けるのか、書士隊なら確かめたいはずだ。
それなら簡単だと思った。紙と筆さえあれば絵は描けるし、前世で模写した怪物の姿は今もかなり覚えているので、火竜のように何度も描いた相手なら、見本がなくても困らない。
ただし、何を描くかは慎重に選んだほうがよさそうだ。
古龍は避ける。説明しづらい器官を持つ怪物も避ける。できれば、この地方にいないだけで、書士隊の記録には載っている相手がよい。そうすれば、遠方の本で見たかもしれないと誤魔化せる。
そこまで考えて、僕は、本部には本がたくさんあるのだろうかと口にした。父は話を聞いていたのかと呆れたが、僕はむしろ、そこから先のことを考えていた。
本物の骨格図も見せてもらえるかもしれない。鱗や骨の標本もあるだろう。書士隊が使う絵具なら水に強いかもしれず、細い筆だって揃っているはずだ。思いつくまま並べていると、母に行きたいのねと言われた。僕は口を閉じた。
危険がないなら、という条件はつく。それでも、行ってみたいという気持ちは否定できなかった。
前の人生では、遠くへ出かけることそのものが難しかった。博物館の特別展示を知らせる広告を見ても、体調と相談しているうちに会期が終わった。画集を買ってもらうことはできたが、本物の大きさや、紙の表面までは分からない。
今の僕には十日間の車旅に耐えられる身体があり、しかも行き先は、この世界で怪物を調べている組織の本部なのだ。
絶対に前線へ出ないという一点さえ守られるなら、これほど魅力的な場所はなかった。
「行くだけなら、行ってみたい」
僕は正直に答えた。ただし、危ない場所には行かない。竜を見に行けと言われても断る。調査隊に入れと言われたら、すぐ帰る。その三つは約束してほしいと続けた。
「その三つは、誰に頼まれなくても守らせます」
母はきっぱりと言った。
父はしばらく黙っていたが、やがて綴じ本を閉じた。
「明日、あの方に詳しい条件を聞こう。それで納得できれば、私がお前と行く」
「店は?」
「私とお姉ちゃんで何とかします」
母が答えた。
姉も、不満そうな顔をしながら頷いた。
「帰ってきたら、全部話してよ。あと、変な生き物の絵を増やすなら、見えないところに置いて」
「怖かった?」
「夜中に目が合いそうなのが嫌」
「絵とは目が合わないよ」
「そういうところが嫌なの」
理不尽だった。
ともあれ、家族会議の結論は出た。
翌日、書士隊の人から詳しい話を聞き、問題がなければ本部へ行く。
僕がすることは絵を描くだけ。
安全で、静かで、紙の上だけで完結する仕事であると、そのときの僕は本気でそう思っていた。
翌朝、書士隊の人は、店が開いて間もないうちに現れた。
昨日と同じ外套を着ていたが、肩には夜露の跡が残っていた。宿でゆっくり朝食を取ってきた者には見えない。僕がそのことを尋ねると、あの人は曖昧に笑った。
「少し早く目が覚めただけだ」
父は僕を見た。余計なことを聞くな、という目だった。
商談用の卓には、母が茶を並べた。書士隊の人は礼を言ったが、ほとんど口をつけなかった。代わりに、折り畳まれた紙を取り出し、父の前へ置いた。
「まず、昨日のお願いについて、誤解のないようご説明します」
書士隊の人は、本部までの道程、滞在中の宿、費用の負担について順に話した。
僕と父の移動費は書士隊が持つ。本部では隊の来客用宿舎を使える。滞在は七日を予定し、延長が必要なら改めて同意を得る。僕が未成年であるため、父はすべての聞き取りに同席できる。
父は一つずつ確かめた。
父は、息子を隊へ入れる話ではないことを最初に確かめた。書士隊の人は、見学と協力の依頼にすぎないと答えた。調査地へ同行させることも、生きた大型生物へ近づけることも、武器を持たせることもない。
僕は安心した。念入りに危険の芽を潰していく父が、今日に限ってはとても頼もしい。
では何を求めるのかと父が尋ねると、書士隊の人は一度だけ僕を見た。
「息子さんに、絵を描いていただきます」
絵を描くだけというのは完璧で、それこそ僕の望んでいた答えである。
専門の者が題を出し、その場で描く。描きながら考えたことを、話せる範囲で説明する。ほかには持参した絵について質問される可能性がある。それだけなのかと思わず尋ねると、本当にそれだけだと返された。
書士隊の人の返事に、嘘は感じられなかった。
「やります」
「まだ私が話している」
父に止められた。
僕は椅子へ座り直した。商談で相手が好条件を出したからといって、すぐ飛びついてはいけない。それも父から教わったことだ。今回は商品ではなく僕自身の話だが、だからこそ父は慎重なのだろう。
父は、描いたものの扱いについても確かめた。書士隊の記録として写しを取る場合はあるが、原画を保管するなら、その都度許可を求める。無断で公表することもないという。
ただし、僕の身元については「現時点では必要な者にしか伝えない」という答えだった。父が現時点では、という部分を聞き返すと、書士隊の人は黙った。
短い沈黙だったが、この人ができない約束を避けたのだと、僕にも分かった。
「絵の価値が判断されるまでは、と申し上げるべきでした」
やがて、あの人は言った。
「本部が重要な記録と認めた場合、研究に関わる者にまで作者を伏せ続けることは難しくなります。ただし、一般に名を広めるという意味ではありません。息子さんの安全を損なうような扱いは、私からも避けるよう求めます」
父はすぐに答えなかった。
母も、卓の横に立ったまま僕を見ている。
僕は話の深刻さについていけず、茶の表面に浮いた葉を眺めた。
絵の価値と言われても、子供の空想画である。多少珍しくはあっても、王立の組織が秘密にするほどのものではない。火竜の爪を正確に描いたことが問題なら、本部で事情を話せば終わるだろう。
どこで知ったのか、と尋ねられるのだけは困る。
夢で見た、と言えば神秘的すぎる。前世の記憶だと言えば、もっと悪い。やはり想像したと言い張るのが一番ましだった。
想像力のある子供として褒められ、少しよい紙をもらって帰るという、理想的な予定が僕の中ではすでに完成していた。
父は最後に、僕の絵を何だと思っているのかと尋ねた。
書士隊の人は、昨日より長く考えた。
「分かりません」
正直な答えだった。分からないから、本部へ来てほしい。あの人は火竜の専門ではないが、それでも脚部の描写を偶然では片づけにくい。綴じ本には、あの人の知識では判断できない生物も多かった。空想ならば、どのように組み立てたのかを知りたい。何かを見て描いたのなら、その出所を確かめたいのだという。
そこで言葉を切り、あの人は僕をまっすぐに見た。
「君を罪に問うためではない。君の知っていることを、正しく知りたいだけだ」
僕は頷いた。
少なくとも、悪い人ではないと思った。怖がらせまいと言葉を選んでいることも分かる。昨日、僕の綴じ本を勝手に持っていかなかったことも信用できた。
「分かりました。僕は行きます」
父と母は目を合わせた。
最後に決めたのは父だった。
「私も同行します。その条件で、お引き受けします」
書士隊の人は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
こうして僕は、王立古生物書士隊の本部へ行くことになった。
出発は六日後である。
六日もあれば準備には十分だと、そのときの僕は気楽に思っていた。
実際には、書士隊の本部へ何を持っていくべきか考えるだけで、最初の一日が消えた。
綴じ本は当然として、炭筆、消し布、小刀、定規、予備の紙。向こうに道具があると言われても、手になじんだ物は必要だ。着替えも要る。十日の車旅なら、暇つぶしの本も欲しい。
荷物を並べていると、姉が部屋の入口から覗き込んだ。
「商隊に加わるみたい」
「十日も車に乗るんだよ」
「酔って全部吐かないといいね」
僕の手が止まった。
車酔い。
考えていなかった。
この世界の乗合車には、前世の車のような柔らかい座席も、舗装された平らな道もない。街中を走る荷車に少し乗ったことはあるが、あれを一日中、十日間である。
「……歩いて行くのは?」
「一月以上かかるんじゃない」
「そうだよね」
「竜より先に揺れに負けそう」
姉は楽しそうだった。
僕は旅の荷物に、布袋を何枚か追加した。
幸い、出発までの間に、吐き気より大きな問題は起きなかった。
書士隊の人は毎日一度、店へ顔を出した。本部から返事が届くまでは街を離れられないらしい。二日目には、僕が使っている紙と炭筆を確かめた。三日目には、綴じ本の頁数と、描いた順番を書き留めた。
四日目、あの人は大きな包みを持ってきた。
「近くの支部から借りてきた」
包みの中には、厚手の紙が二十枚と、細さの違う炭筆が一揃い入っていた。
僕はしばらく声が出なかった。
店で売っている紙より、きめが細かい。指で撫でても繊維が引っかからず、白さも均一だった。炭筆は硬さごとに印がつけられ、木箱の溝へ一本ずつ収まっている。
「使っていいの?」
「そのために送られてきた」
「全部?」
「全部だ」
王立古生物書士隊は素晴らしい組織かもしれない。少なくとも、これほどの画材を子供へ贈る組織に悪いところはないと思えた。
僕は早速、一番硬い炭筆で紙の端に線を引いた。細く、むらがない。少し寝かせると広い面もきれいに塗れた。夢中になって線を重ね、気づけば小型の牙竜種の頭部を描き始めていた。
「待ちなさい」
書士隊の人に止められた。
「何?」
「その紙には、今は何も描かないでほしい」
「使っていいって」
「本部で使っていい、という意味だ」
僕は描きかけの紙を見た。
まだ額から鼻先までしかできていない。
「一枚だけ」
「駄目だ」
「端しか使ってないよ」
「そういう問題ではない」
書士隊の人は、昨日まで見せなかった速さで紙と炭筆を僕から回収した。
その日の僕は、少しだけ書士隊を疑った。
画材を見せておいて使わせないというのは、絵を描く者に対してかなり残酷な仕打ちである。
出発の日、店の前には二頭立ての箱車が止まった。
車を引くのは、細長い脚と短いたてがみを持つ草食獣だった。街の荷車でも見かける、おとなしい種類である。僕が想像していた乗合車より車体は立派で、側面には書士隊の印があった。中には長椅子が二つあり、荷物を置く棚までついている。揺れを和らげるため、車体が革帯で吊られているのだと、車引きの人が教えてくれた。
「これなら吐かないかもしれない」
「第一声がそれか」
父が呆れた。
母は僕の外套の紐を結び直し、姉は旅の途中で食べる焼き菓子を袋へ押し込んだ。大げさな別れにならないよう、二人とも普段通りに振る舞っていたが、母は同じ注意を三度繰り返した。
知らないものを口にしないこと。夜は一人で出歩かないこと。父の見えないところへ行かないこと。
僕は全部に頷いた。
「危ないところには近づかないから」
最後にそう言うと、母は少しだけ安心した顔をした。
僕も安心していた。
本部は大陸中央部の、さらに人の多い都市にあるという。道中は主要街道を通り、宿場ごとに護衛もいる。大型のモンスターが現れるような土地ではない。目的地でも、僕がするのは絵を描くことだけだ。
前線から、これ以上なく遠い。
僕は家族に手を振り、箱車へ乗り込んだ。
繋がれた草食獣が歩き出し、車輪が回り始める。
生まれてから十一年間を過ごした街並みが、窓の外をゆっくり後ろへ流れていった。
胸の奥には期待と不安が半分ずつ、いや、不安のほうが少し多いくらいの割合で混ざっていた。
それでも、向かう先にあるのは紙と本と標本である。
剣も鎧も必要なく、危険な調査へ出るわけでもないのだから、絵を描くだけのお仕事なら、きっと何も怖くない。
* * *
息子は、箱車が角を曲がるまで窓から手を振っていた。
私は隣に座り、遠ざかる妻と娘へ頷いた。二人の姿が見えなくなると、息子は前を向き、早速窓枠へ額を寄せた。
「あれが北門?」
「まだ西市場の門だ」
「じゃあ、北門は?」
「反対側だ」
「本部は北にあるんじゃなかった?」
「街道へ出るには、こちらの門のほうが近い」
「なるほど」
息子は納得し、また窓の外を見た。
私はその横顔を見ながら、六日前の夜を思い出していた。
あの家族会議で、私は同行すると決めた。理由は単純である。息子を、理解できないものの中へ一人で行かせるわけにはいかなかった。
私は商人であり、品物の価値を見定め、相手の言葉の裏を読み、損失を避けることを仕事にしている。珍しいものには高い値がつくが、値がつくということは、それを欲しがる者が現れるということでもある。
あの日、書士隊の男は息子の絵を見て喜ぶどころか、驚き、疑い、そして恐れたのであり、私はその顔を見逃していない。
本部へ同行すれば、息子の絵が何なのか分かるかもしれない。だが同時に、息子がどれほど珍しいものなのかを、大勢に知らせることにもなる。
断ることも考えたし、綴じ本を焼き、息子には二度と奇妙な生物を描かせないことが最も安全な道に思えた夜もあったが、私にはできなかった。息子は幼い頃から絵を描いていたからだ。
紙を渡せば何時間でも静かに座り、線を引いた。初めは家や花、店に来る客の似顔絵だった。やがて見たことのない生き物が増えたが、私は子供の想像だと考えていた。
絵を描いているときの息子は、ほかの何をしているときより楽しそうだった。
あれをすべて禁じれば、危険なものから遠ざけることはできるかもしれない。だが、息子の大切な部分まで奪うことになる。
何より、すでに書士隊は息子の絵を見てしまったのだから、今さら誰にも見なかったことにはできない。
「気分は悪くないか」
「今のところは」
息子は答え、念のため持たせた布袋を撫でた。
「でも、街道に出てからが本番だよね」
「何の本番だ」
「車酔いの」
私はため息をついた。
息子が恐れているのは、車の揺れと、いつか命じられるかもしれない危険な調査だけらしい。
息子は、自分が書士隊の本部へ呼ばれることの意味を、まだほとんど理解していない。
向かいの席では、書士隊の男が記録帳を開いていた。街を出るまでは仕事をしないと言っていたが、筆先はすでに何行も進んでいる。
「ずいぶん熱心ですね」
私が声をかけると、男は筆を止めた。
「習慣です。移動中に気づいたことを忘れないよう、書き留めています」
「息子のことを?」
男は否定しなかった。
「本部から返事があったのでしょう」
「はい。今朝、届きました」
「紙と炭筆だけではないはずです」
息子が窓からこちらを振り返った。
男は記録帳を閉じた。
「到着後の予定が決まりました。初日は、図画記録を担当する書士が息子さんの絵を確認し、その後、生物分類を研究する者がお話を伺うことになっています」
「何人です」
「初日は三人です」
「初日は」
男はわずかに目を伏せた。
「絵を確認した結果によっては、増える可能性があります」
「昨日まで、それをおっしゃいませんでしたね」
「申し訳ありません。昨日の時点では、人数が確定していませんでした」
嘘ではないが、すべてを話していたわけでもない、商談ではよく見る種類の答えだった。
商談ではよくあることだ。相手は不利な条件を隠し、尋ねられた範囲でだけ答える。だから私は質問を重ねた。しかし、書士隊が息子の絵をどこまで重大に受け止めているかまでは、確かめきれなかった。
「父さん、三人くらいなら大丈夫だよ」
息子が言った。
「手習いでも、先生が後ろから絵を見ることはあるし」
「手習いの先生と同じだと思っているのか」
「少し詳しい先生でしょう」
書士隊の男が咳払いをした。
笑いを隠したようにも、言葉を飲み込んだようにも聞こえた。
「息子には、絵を描かせるだけですね」
私は改めて確認した。
「はい。お約束します」
「ならば、何人で見ても構いません。ただし、息子を脅すような聞き方をする者がいた場合、その場で連れて帰ります」
「承知しました。必ず本部へ伝えます」
男は真剣な顔で頷いた。
箱車が西市場の門を抜けた。
石畳が途切れ、車輪から伝わる振動が変わる。息子は一度身体を浮かせ、慌てて座席の端を掴んだ。
「これが十日か」
小さな声で呟いた。
私は笑いそうになったが、堪えた。
街の外には、収穫を終えた畑が広がっている。遠くに見える林も、低い丘も、私にとっては何度も通った街道の景色だ。息子には、そのすべてが珍しいらしい。
やがて街の城壁が小さくなると、息子は荷物から小さな帳面を取り出し、窓の外を見ながら線を引き始めた。畑を耕すずんぐりした草食獣、荷を運ぶ脚の長い草食獣、街道脇の枯れ木と、未知の怪物ではなく目の前にあるものを描く姿はいつもの息子そのもので、私は少しだけ肩の力を抜いた。
「そういえば」
書士隊の男が、不意に口を開いた。
「昨日、描きかけていた生物について、聞いてもいいだろうか」
息子の炭筆が止まった。
「あれ?」
「額から鼻先までしか見えなかったが、牙竜種を想定していたように見えた」
「牙竜種」
息子は、その言葉を確かめるように繰り返した。
男の目が変わった。
私は二人を見比べた。
「違ったか」
「ううん。たぶん、それで合ってる」
「たぶん?」
「僕の中では、そういう分け方をしていたから」
息子は答えてから、自分の言葉に気づいたらしい。視線を帳面へ落とした。
「君の中では、ほかにどのような分け方がある?」
書士隊の男の声は静かだった。
息子は困った顔をした。
「本部で話すんじゃなかったの」
「そうだった。今の質問は忘れてほしい」
男は引き下がったが、閉じた記録帳の上へ手を置いた。すぐにでも書き留めたいのだろう。
私は、たった今交わされた言葉の意味を考えた。息子は見たことのない生物を描くだけではなく、それらを一つの世界に生きるものとして、自分の中で分類している。
書士隊の男が使った専門の言葉を、初めて聞いた子供のようには受け取らなかった。
「お前は、牙竜種という言葉を知っていたのか」
「似た言い方を、どこかで聞いた気がする」
「どこで」
「覚えてない」
息子は嘘をつくのが下手だった。
私はそれ以上聞かなかった。書士隊の男がいる前で、息子を追い詰めるべきではないと思ったからだ。
しかし、胸の内にあった不安は形を変え、これまでは考えたこともなかった、息子が何かを隠しているのではないかという疑いになった。
子供の空想には、親の知らない場所がある。それは当然のことだ。絵の中の生き物も、その場所から生まれたのだと思っていた。
だが、空想の生物に分類は必要だろうか。一頭や二頭ではなく、異なる骨格、異なる生態、異なる棲み処を持つらしい生物を、息子は同じ世界に生きるものとして整理しているのであり、それは十一歳の子供が一人で築けるほど小さな世界ではない。
箱車は街道を進んだ。
昼前になると、背後の城壁は完全に見えなくなった。
息子は揺れに慣れたのか、帳面へ向かう手を止めなかった。ときどき窓の外を見て、また描く。炭筆の音だけが、車輪の軋みに混じっていた。
私は向かいの男へ目を向けた。
「本部は、息子に何を描かせるつもりです」
「現在、本部で検討しているところです」
「候補はあるのでしょう」
「既知の生物を、記録を見せずに描いてもらう案があります。実際の記録と、どの程度一致するかを比べるためです。あるいは、いくつかの条件だけを伝え、架空の生物を組み立ててもらうことも検討しています」
「条件とは」
「棲み処、食性、移動方法などです。それらに適した姿を、自由に考えてもらいます」
私は息子を見た。
息子は話を聞いていない。道沿いを飛び立った鳥を目で追い、その翼を小さな紙へ写している。
「自由に」
「はい。空想であるなら、制限を加えたとき、どのように形が変わるかを確認できます」
理にかなった試し方に聞こえたが、息子へ自由に描かせるという言葉に、私は同時に嫌な予感も覚えた。
その言葉は、何を出してくるか分からない箱の蓋を、自分たちで開けることに似ていた。
六日前、私は綴じ本の頁をめくった。
赤い火竜。全身を黒い毛で覆った牙の長い獣。刃のような尾を持つ獣竜。頭部に巨大な角を備えた海竜。海を泳ぐもの。砂に潜るもの。雪山に棲むように見えるもの。
そして、翼で身体を包む、黒い生物。
あれらがすべて息子の空想ならその想像力はどこまで届くのか、空想でないのなら、息子はいったい何を知っているのか。
「父さん」
呼ばれて顔を上げると、息子が帳面をこちらへ向けていた。
「見て。あの鳥、うまく描けた」
紙には、枝から飛び立つ直前の小鳥が描かれていた。
片方の翼を上げ、細い脚で枝を蹴っている。見慣れた灰色の鳥だった。怪物でも、竜でもない。
「よく描けている」
私が答えると、息子は満足そうに笑った。
息子はまだ十一歳であり、どれほど奇妙な絵を描こうと、私にとっては紙と炭筆が好きな息子でしかない。
そのことだけは、本部へ着いても忘れまいと思った。
日が傾き始めた頃、最初の宿場が見えた。
息子は車酔いに勝ったことを、自分の手柄のように喜んでいた。私は笑いながら、窓の向こうに立つ見張り台を見た。
塔の上では、街道を守る者が遠眼鏡を構えている。
その視線は、私たちが来た方角ではなく、これから向かう先へ注がれていた。
書士隊の本部まで、あと九日。
息子は絵を描くだけだと思っており、私もまた、そうであってほしいと願っていた。
だが、あの男が膝の上で握りしめている記録帳と、本部から届いた返書の厚みを見れば分かる。
待っている者たちは、子供の絵を見ようとしているのではない。
彼らはおそらく、息子の頭の中にしか存在しない図鑑を、開こうとしている。