ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
その晩、我が家では家族会議が開かれた。
議題は、僕を王立古生物書士隊の本部へ連れていってよいものか、である。
僕としては、行ってみたかった。絵を見せて、いくつか質問に答えて帰ってくるだけなら怖くないし、見たことのない画材や本物の生物画を見せてもらえるかもしれない。王立と名につく組織なのだから、紙くらいは王立らしいはずだ。
ただ、僕以外の三人は、そう簡単には考えていなかった。
本部までは箱車で十日ほどかかるらしい。姉が父からそれを聞き出すと、母の眉間の皺が一本増えた。往復だけで二十日。向こうに何日いるのかも分からない。父も店を長く空けるわけにはいかないが、子供だけで行かせるつもりはない。母は、そもそも行かせると決まったわけではないと念を押した。
二人とも声を荒らげてはいなかったが、穏やかな相談という雰囲気でもなかった。
僕は食卓の端で、夕食に出た豆を一粒ずつ潰していた。食べ物で遊んではいけない。しかし、自分のせいで店を二十日以上も空けるかもしれないと聞かされながら、何事もなく匙を動かすのは難しい。豆には申し訳ないが、会議中の手慰みになってもらった。
「父さんが店を空けられないなら、断ってもいいよ」
十日と聞いて少し怖くなったことは黙っておいた。自分から行きたいと言っておいて、道の長さを知った途端に引っ込めるのは格好が悪い。
「それを決めるために話している」
父はそれだけ言って、腕を組んだまま卓上の綴じ本へ目を戻した。
書士隊の人が帰ったあと、父は店を早じまいした。そして家族全員で、綴じ本を最初から最後まで見直した。僕にとっては、知っている怪物の絵をまとめただけのものだ。けれど、家族にとっては、いつの間にか息子や弟が描いていた正体不明の生き物の群れだった。
姉は最初の数枚では面白がっていた。途中から口数が減り、巨大な角を持つ獣を描いた頁では、本を閉じかけた。
姉は、夕食前にも聞いた質問をもう一度口にした。これは本当に、すべて想像なのか。
僕はそうだと答えた。書士隊の人の指が止まったところを見てから、返事は一度考えて選ぶことにしている。少なくとも、この世界で見たものを描いたわけではなく、僕の中から紙へ出したのだから、想像でぎりぎり通るはずだ。通ってほしい。
夢で見たのか、頭の中へ急に浮かぶのかと重ねて聞かれ、僕は昔から知っているような気がするのだと答えた。姉の目が細くなった。我ながら、非常に怪しい説明だった。
「絵については、書士隊の方に見てもらえばいいでしょう」
母が姉を制した。
「問題は、どうしてあの方がそこまでこの子の絵を気にしたのか、ということよ。絵の上手な子を見つけるたびに、本部へ連れていくわけではないでしょう」
それは僕も気になっていた。
絵を褒められたことは素直に嬉しい。だが、火竜の脚について尋ねたときのあの人は、絵を見る客の顔ではなかった。父が仕入れた品の産地を疑うときと、よく似た目をしていた。
僕は、描いた火竜の爪を思い出した。
毒のことまで話す必要はなかったかもしれないが、毒爪は火竜の特徴であり、前世の僕にとっては常識に近かった。大きな翼、赤い鱗、炎を吐く口、毒のある脚。それが揃って一頭の火竜なのだから、翼を描いておいて脚を適当に済ませるほうが落ち着かない。
「あの絵の脚が、そんなに珍しかったのかな」
「お前は知らずに描いたのだろう」
父が言った。
「だったら、あの方にとっては珍しいんじゃないか」
「でも、火竜が毒を持っていることは、調べれば分かるんでしょう?」
「調べれば、な」
父は食卓の小瓶を指し、この香辛料の産地を知っているかと聞いた。
店で売っているものなので名前は分かる。でも、どこから来たかは覚えていなかった。調べれば分かると言いかけて、さっき自分で言ったことに気づく。父が仕入れ帳を見せてくれれば僕にも分かるが、うちへ買いに来た人まで読めるわけではない。
火竜の爪を調べるほうは、仕入れ帳を開くよりずっと大変そうだった。寝台の上で読んでいた図鑑には爪の形まで載っていたけれど、この世界で同じことを調べるなら本物へ近づくのだ。書き終わるまで、火竜がおとなしく待っていてくれるとは思えない。
もちろん、申し訳ないから次は僕が行こう、という話にはならない。敬意は持てる。安全な場所からなら、いくらでも持てる。
「僕は危ない調査には行かないよ」
「今は、本部で絵を見せる相談をしているの」
姉に言われた。
「話がどこへ転ぶか分からないから、先に言っておくんだ」
「それ、今朝から三度目」
「四度目になっても構わないよ」
家族の誰も笑わなかった。
僕はちょっと寂しかった。この家では、僕が危険を嫌うことは冗談ではなく、昔から変わらない性格として受け入れられている。高い梯子にも登らず、荷車を引く草食獣が機嫌を悪くすれば店の奥へ退き、祭りで剣術試合があっても人垣の後ろから眺める。十一歳の少年としては、あまり勇ましくない。
けれど、勇敢な子が先に危ないものへ近づいてくれるなら、僕は喜んで道を譲る。落ちれば痛いし、角で突かれればもっと痛い。今度は丈夫に生まれたからといって、試して確かめる必要はない。
父は、本部へ行ったら何をさせられると思うかと尋ねた。絵を見せ、質問に答える。その先まで促され、僕はようやく、別の絵を描かされるのではないかと気づいた。
父も、おそらくそうなるだろうと考えていた。僕が本当に何も見ずに描けるのか、書士隊なら確かめたいはずだ。
それなら簡単だと思った。紙と筆さえあれば絵は描けるし、前世で何度も模写した相手なら見本がなくても困らない。ただし、聞かれていない名前や生態まで自分から話すのはやめておく。題を決めるのは書士隊なのだから、僕は頼まれたものを描けばよい。
そこまで決めたところで、本部には本がたくさんあるのだろうかと口にした。父は話を聞いていたのかと呆れたが、僕としては大いに関係のある話だった。
本物の骨格図も見せてもらえるかもしれない。鱗や骨の標本もあるだろう。書士隊が使う絵具なら水に強いかもしれず、細い筆だって揃っているはずだ。思いつくまま並べていると、母に行きたいのねと言われた。僕は口を閉じた。
もちろん、危険がないならという条件はつく。それでも行ってみたかった。
前の人生では、遠くへ出かけることそのものが難しかった。博物館の特別展示を知らせる広告を見ても、体調と相談しているうちに会期が終わった。画集を買ってもらうことはできたが、本物の大きさや、紙の表面までは分からない。
今の僕には十日間の車旅に耐えられる身体があり、しかも行き先はこの世界で怪物を調べている組織の本部なのだ。
絶対に前線へ出ないという一点さえ守られるなら、これほど魅力的な場所はなかった。
「危ない場所へ出ないなら、行ってみたい」
僕は正直に答えた。向こうで調査隊に入れと言われたら、すぐ帰りたいことも付け加える。
「そんなことは、お母さんがさせません」
母はきっぱりと言った。
父はしばらく黙っていたが、やがて綴じ本を閉じた。
「明日、あの方に詳しい条件を聞こう。それで納得できれば、私がお前と行く」
父も一緒だとは思っていた。それでも本人の口から聞くと、さっきまで気になっていた十日という長さが少し縮んだ気がした。あの人にまた答えに困ることを聞かれても、隣に父がいる。僕は皿に残った豆をかき集めて口へ運んだ。すっかり冷めていた。
「店は?」
「私とお姉ちゃんで何とかするから」
母が答えた。
姉も、不満そうな顔をしながら頷いた。
「帰ってきたら、全部話してよ。あと、変な生き物の絵を増やすなら、見えないところに置いて」
「怖かった?」
「夜中に目が合いそうなのが嫌」
僕は綴じ本を閉じて、姉の手元から少し離した。昼間は平気で覗き込むのに、夜になると困るらしい。出発する前に棚へしまっておこう。
ともあれ、家族会議の結論は出た。
翌日、書士隊の人から詳しい話を聞き、問題がなければ本部へ行く。
僕がするのは、絵を描くこと。
安全で、静かで、紙の上だけで終わる仕事だと、そのときの僕は本気でそう思っていた。
翌朝、書士隊の人は、店が開いて間もないうちに現れた。
昨日と同じ外套を着ていたが、肩には夜露の跡が残っていた。宿でゆっくり朝食を取ってきた者には見えない。僕がそのことを尋ねると、あの人は曖昧に笑った。
「早く目が覚めてね」
父は僕を見た。余計なことを聞くな、という目だった。
商談用の卓には、母が茶を並べた。書士隊の人は礼を言ったが、ほとんど口をつけなかった。代わりに、折り畳まれた紙を取り出し、父の前へ置いた。
「まず、昨日のお願いについて、誤解のないようご説明します」
書士隊の人は、本部までの道程、宿、費用について順に話した。僕と父の移動費は書士隊が持ち、滞在中は来客用宿舎を使う。予定は七日で、延長するなら改めて同意を得る。父はすべての聞き取りに同席できる。
その上で父は、僕を隊へ入れる話ではないことを確かめた。見学と協力の依頼にすぎず、調査地への同行も、生きた大型生物への接近も、武器を持たせることもない。
武器まで持たせないと確かめてくれたので、僕は父の隣で大きく頷いた。その約束は、できれば今の紙の一番大きな字で書いておいてほしい。
では何を求めるのかと父が尋ねると、書士隊の人は一度だけ僕を見た。
「息子さんに、絵を描いていただきます」
それこそ僕の望んでいた答えだった。
専門の者が題を出し、その場で描く。考えたことを話せる範囲で説明し、持参した絵について質問を受ける。そこまでかと尋ねると、今の予定ではそうだと返された。
「それなら――」
父がこちらを見た。
「話の続き、どうぞ」
父には、話を最後まで聞いてから返事をしろと何度も言われている。分かっているつもりだったのに、絵を描く話になった途端に忘れかけた。向かいで書士隊の人が少し笑い、説明を続けた。
父は、描いたものの扱いについても確かめた。書士隊の記録として写しを取る場合はあるが、原画を保管するなら、その都度許可を求める。無断で公表することもないという。
ただし、僕の身元については「現時点では必要な者にしか伝えない」という答えだった。父が聞き返すと、書士隊の人は黙った。僕も茶へ手を伸ばすのをやめる。父は店で急に値段を変えられたときにも、こういう顔をする。
「絵の価値が判断されるまでは、と申し上げるべきでした」
先に口を開いたのは、あの人だった。
「本部が重要な記録と認めた場合、研究に関わる者にまで作者を伏せ続けることは難しくなります。ただし、一般に名を広めるという意味ではありません。息子さんの安全を損なうような扱いは、私からも避けるよう求めます」
父はすぐに答えず、母も卓の横に立ったまま僕を見ていた。僕は話の半分ほどしか分からず、茶に浮いた葉を眺める。秘密にするのは難しいのに一般には広めないというのは、どこまでが秘密なのだろう。葉は一度沈みかけ、また浮いてきた。こちらのほうが分かりやすい。
絵のどこが珍しかったかなら聞きたい。でも、そこから僕の名前を秘密にする話になる理由が分からない。父が聞き返してくれなければ、そんな約束が要ることにも気づかなかった。
どこで知ったのか、と尋ねられたら何と答えればいいのだろう。
夢で見たと言えば神秘的すぎるし、前世の記憶だと言えばもっと悪い。想像したと答えるほかに、今の僕には思いつかなかった。できれば絵を描く話で終わって、少しよい紙をもらって帰りたい。
父は最後に、僕の絵を何だと思っているのかと尋ねた。
書士隊の人は、昨日より長く考えた。
「分かりません」
正直な答えだった。分からないから、本部へ来てほしい。あの人は火竜の専門ではないが、それでも脚部の描写を偶然では片づけにくい。綴じ本には、あの人の知識では判断できない生物も多かった。空想ならば、どのように組み立てたのかを知りたい。何かを見て描いたのなら、その出所を確かめたいのだという。
そこで言葉を切り、あの人は僕をまっすぐに見た。
「怒っているんじゃないよ。どんなふうに考えて描いているのか、私たちにも教えてほしいんだ」
僕は頷いた。
昨日も僕の綴じ本を勝手に持っていかなかったし、父に聞かれたことには答えてくれている。本部でも父と一緒なら、行ってみたい気持ちは変わらなかった。
「分かりました。僕は行きます」
父と母は目を合わせた。
最後に決めたのは父だった。
「私も同行します。その条件で、お引き受けします」
書士隊の人は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
こうして僕は、王立古生物書士隊の本部へ行くことになった。
出発は六日後である。
六日もあれば、準備には十分だと思っていた。
実際には、書士隊の本部へ何を持っていくべきか考えるだけで、最初の一日が消えた。
綴じ本は当然として、炭筆と消し布、小刀に定規、予備の紙。向こうに道具があると言われても、手になじんだ物は必要だ。着替えも要る。十日の車旅なら暇つぶしの本も欲しい。
荷物を並べていると、姉が部屋の入口から覗き込んだ。
「商隊に加わるみたい」
「十日も車に乗るんだよ」
「酔って全部吐かないといいね」
僕の手が止まった。車酔いは、まったく考えていなかった。
この世界の箱車には、前世の車のような柔らかい座席も、舗装された平らな道もない。街中を走る荷車に少し乗ったことはあるが、あれを一日中、十日間である。
「歩いて行くのは?」
「一月以上かかるんじゃない」
「そうだよね」
「竜より先に揺れに負けそうね」
姉は楽しそうだった。
僕は旅の荷物に、布袋を何枚か追加した。
幸い、出発までの間に、吐き気より大きな問題は起きなかった。
書士隊の人は毎日一度、店へ顔を出した。本部から返事が届くまでは街を離れられないらしい。二日目には、僕が使っている紙と炭筆を確かめた。三日目には、綴じ本の頁数と、描いた順番を書き留めた。
四日目、あの人は大きな包みを持ってきた。
「近くの支部から借りてきたんだ」
包みの中には、厚手の紙が二十枚と、細さの違う炭筆が一揃い入っていた。
僕はしばらく声が出なかった。
店で売っている紙より、きめが細かい。指で撫でても繊維が引っかからず、白さも均一だった。炭筆は硬さごとに印がつけられ、木箱の溝へ一本ずつ収まっている。
「使っていいの?」
「本部に着いてからね」
「今は?」
書士隊の人は包みの底から、紙を裁ったときに出たらしい細長い切れ端を一枚取り出した。
「試し描きなら、こっちを使っていいよ」
僕は一番硬い炭筆で端から線を引いた。力を抜けば細く、寝かせれば幅が出る。三本目の線を曲げたところで、それを背中にした生き物の姿が浮かんだ。
炭筆を止める。
あの日は火竜の爪を描いただけで、家族会議になった。ここで知らない生き物を一頭増やせば、会議の議題まで増えるかもしれない。
「今日は線だけにする」
「そうしてくれると助かる」
書士隊の人が明らかに安心したので、ちょっと不満だった。僕は言いつけを守ったのだから、そこは褒めてもよいと思う。
王立古生物書士隊が素晴らしい組織かどうかは、まだ決めないことにした。ただし、画材は素晴らしかった。
出発の日、店の前には二頭立ての箱車が止まった。
車を引くのは、細長い脚と短いたてがみを持つ草食獣だった。街の荷車でも見かけるおとなしい種類である。僕が想像していた箱車より車体は立派で、側面には書士隊の印があった。中には長椅子が二つあり、荷物を置く棚までついている。車体そのものを革帯で吊り、揺れを和らげる作りなのだと車引きの人が教えてくれた。
「これなら吐かないかもしれない」
「第一声がそれか」
父が呆れた。
母は僕の外套の紐を結び直し、姉は旅の途中で食べる焼き菓子を袋へ押し込んだ。大げさな別れにならないよう、二人とも普段通りに振る舞っていたが、母は同じ注意を三度繰り返した。
知らないものを口にしないこと。夜は一人で出歩かないこと。父の見えないところへ行かないこと。
僕は全部に頷いた。
「危ないところには近づかないから」
最後にそう言うと、母は少しだけ安心した顔をした。
僕も安心していた。
本部は王都にほど近い都市にあり、僕らの街よりも大きいという。道中は主要街道を通り、宿場や見張り所も多い。大型のモンスターが現れるような土地ではない。目的地でも、僕の役目は絵を描くことになっている。
僕は家族に手を振り、箱車へ乗り込んだ。
車輪が回り始める。
生まれてから十一年間を過ごした街並みが、窓の外をゆっくり後ろへ流れていった。
膝の上には綴じ本があり、その横には姉の焼き菓子と車酔い用の布袋がある。本部の書庫を考えると胸が弾み、道の揺れを考えると腹の辺りが不安になった。
それでも向かう先にあるのは紙と本と標本で、前線からはずいぶん遠い。剣も鎧も必要なく、絵を描くだけのお仕事なら、きっと何も怖くない。
* * *
息子は、箱車が角を曲がるまで窓から手を振っていた。
私は隣に座り、遠ざかる妻と娘へ頭を下げた。二人の姿が見えなくなると、息子は前を向き、早速窓枠へ額を寄せた。
「あれが北門?」
「まだ西市場の門だ」
「じゃあ、北門は?」
「反対側だ」
「本部は北にあるんじゃなかった?」
「街道へ出るには、こちらの門のほうが近い」
「なるほど」
息子は納得し、また窓の外を見た。
私はその横顔を見ながら、六日前の夜を思い出していた。
あの家族会議で、私は同行すると決めた。理解できないものの中へ、息子を一人で行かせるわけにはいかなかった。
商人は品物の価値を見定め、相手の言葉の裏を読み、損失を避ける。珍しい品に値がつけば、それを欲しがる者も現れる。あの日、書士隊の男は火竜の絵を見た途端に客の顔を捨て、確かめる側の目になった。あの警戒を私は見逃していない。
本部へ行けば、息子の絵が何なのか分かるかもしれない。同時に、その珍しさを大勢へ知らせることにもなる。綴じ本を箱へしまい、二度と奇妙な生物を描かせない道も考えた。
だが、紙を渡せば何時間でも楽しそうに線を引く子から絵を奪うことはできなかった。すでに書士隊は見ている。今さら本を隠しても、誰にも見なかったことにはならない。
「気分は悪くないか」
「今のところは」
息子は答え、念のため持たせた布袋を撫でた。
「でも、街道に出てからが本番だよね」
「何の本番だ」
「車酔いの」
私はため息をついた。
息子はあの夜より用心している。尋ねられていないことは話さず、私から離れないとも約束した。それでも、自分の絵を見た者が次に何を欲しがるかまでは想像できていないようだ。口に出す心配は車の揺れと、いつか命じられるかもしれない危険な調査に限られていた。
向かいの席では、書士隊の男が記録帳を開いていた。街を出るまでは仕事をしないと言っていたが、筆先はすでに何行も進んでいる。
「ずいぶん熱心ですね」
私が声をかけると、男は筆を止めた。
「習慣です。移動中に気づいたことを忘れないよう、書き留めています」
「息子のことを?」
男は否定しなかった。
「本部から返事があったのでしょう」
「はい。今朝、届きました」
「紙と炭筆だけではないはずです」
息子が窓からこちらを振り返った。
男は記録帳を閉じた。
「到着後の予定が決まりました。初日は、図画記録を担当する書士が息子さんの絵を確認し、その後、生物分類を研究する者がお話を伺うことになっています」
「何人です」
「初日は三人です」
「初日は」
男はわずかに目を伏せた。
「絵を確認した結果によっては、増える可能性があります」
「昨日まで、それをおっしゃいませんでしたね」
「申し訳ありません。昨日の時点では、人数が確定していませんでした」
嘘ではないが、すべてを話していたわけでもない。商談ではよく見る答えだった。相手は不利な条件を隠し、尋ねられた範囲でだけ答える。私は質問を重ねたが、書士隊が息子の絵をどこまで重大に受け止めているかまでは確かめきれなかった。
「その三人は、何をする人ですか」
息子が窓際から尋ねた。
「絵を記録する人と、生き物の種類を調べる人、それから古い記録を預かる書士官だよ」
「父さんも同じ部屋にいる?」
「もちろん」
男が答えると、息子はこちらを見た。私も頷いてみせる。それを確かめてから、息子は窓へ向き直った。
「息子に求めるのは、絵を描くところまでですね」
私は改めて確認した。
「はい。お約束します」
「それなら、まずは三人までとしましょう。増やす必要が出た場合は、その場で私と息子へ説明してください。また、息子を脅すような聞き方をする者がいれば連れて帰ります」
「承知しました。必ず本部へ伝えます」
男は真剣な顔で頷いた。
箱車が西市場の門を抜けた。
石畳が途切れ、車輪から伝わる振動が変わる。息子は一度身体を浮かせ、慌てて座席の端を掴んだ。
「これが十日か」
小さな声で呟いた。
私は笑いそうになったが、堪えた。
街の外には、収穫を終えた畑が広がっている。遠くに見える林も、低い丘も、私にとっては何度も通った街道の景色だ。息子には、そのすべてが珍しいらしい。
やがて街の城壁が小さくなると、息子は荷物から小さな帳面を取り出し、窓の外を見ながら線を引き始めた。描くのは畑を耕すずんぐりした草食獣や、荷を運ぶ脚の長い草食獣、街道脇の枯れ木だった。未知の怪物ではなく目の前にあるものを追う姿は、いつもの息子そのものだった。私も肩の力が抜けた。
「一つ、聞いてもいいかな」
書士隊の男が、不意に口を開いた。
「綴じ本に、鼻先の長い小さな獣がいたね。あれは牙竜種のつもりで描いたのかい」
息子の炭筆が紙の上で止まった。
「どうして、そう思ったんですか」
答えずに聞き返した。
男はひと呼吸置き、前脚の向きと肩の位置、それに顎の形が既知の牙竜種へ近いのだと説明した。息子は自分の帳面ではなく、男の手元を見ている。
「前脚でも獲物を押さえるなら、肩が動かないと困るから」
息子はそこまで言って口を閉じた。
男の目が変わった。
「ほかの絵にも、同じように――」
「それは本部で話すんじゃなかったの」
「そうだったね。すまない、本部に着いてからにしよう」
男は引き下がったが、閉じた記録帳の上へ手を置いた。すぐにでも書き留めたいのだろう。
「お前は、今の言葉を知っていたのか」
「僕は言ってないよ」
「知っていたかと聞いた」
息子は窓の外へ目を向けた。
「似た言い方を、どこかで聞いた気がする」
「どこで」
「覚えてない」
嘘をつくのは、相変わらず下手だった。私はそれ以上聞かなかった。書士隊の男がいる前で、追い詰めるべきではない。
息子は名称を口にしなかった。だが、肩の動きについて語った時点で、男には十分だった。
子供の空想には、親の知らない場所がある。それは当然のことだ。だが息子の絵では、姿の違う生物がそれぞれの骨格と生態を持ち、同じ世界のどこかで暮らしているらしい。一頭ずつ思いついた空想にしては、互いのつながりが多すぎた。
箱車は街道を進んだ。
昼前になると、背後の城壁は完全に見えなくなった。
息子は揺れに慣れたのか、帳面へ向かう手を止めなかった。ときどき窓の外を見て、また描く。炭筆の音だけが、車輪の軋みに混じっていた。
私は向かいの男へ目を向けた。
「本部は、息子に何を描かせるつもりです」
「現在、本部で検討しているところです」
「候補はあるのでしょう」
「既知の生物を、記録を見せずに描いてもらう案があります。実際の記録と、どの程度一致するかを比べるためです。あるいは、いくつかの条件だけを伝え、架空の生物を組み立ててもらうことも検討しています」
「条件とは」
「棲み処、食性、移動方法などです。それらに適した姿を、自由に考えてもらいます」
私は息子を見た。
息子は話を聞いていない。道沿いを飛び立った鳥を目で追い、その翼を小さな紙へ写している。
「自由に」
「はい。空想であるなら、制限を加えたとき、どのように形が変わるかを確認できます」
理にかなった試し方に聞こえたが、息子へ自由に描かせるという言葉に、私は同時に嫌な予感も覚えた。
その言葉は、何を出してくるか分からない箱の蓋を、自分たちで開けることに似ていた。
六日前、私は綴じ本の頁をめくった。
赤い火竜。全身を黒い毛で覆った牙の長い獣。刃のような尾を持つ飛竜。頭部に巨大な角を備えた獣竜。海を泳ぐもの。砂に潜るもの。雪山に棲むように見えるもの。
あれらがすべて息子の空想ならその想像力はどこまで届くのか、空想でないのなら、息子はいったい何を知っているのか。
「父さん」
呼ばれて顔を上げると、息子が帳面をこちらへ向けていた。
「見て。あの鳥、うまく描けた」
紙には、枝から飛び立つ直前の小鳥が描かれていた。
片方の翼を上げ、細い脚で枝を蹴っている。見慣れた灰色の鳥だった。怪物でも、竜でもない。
「よく描けている」
私が答えると、息子は満足そうに笑った。
息子はまだ十一歳だ。どれほど奇妙な絵を描こうと、紙と炭筆を抱えて笑う顔はいつもと変わらない。書士隊の本部が何を言おうと、私はあの顔を基準に判断するつもりだった。
日が傾き始めた頃、最初の宿場が見えた。
息子は車酔いに勝ったことを、自分の手柄のように喜んでいた。私は笑いながら、窓の向こうに立つ見張り台を見た。
塔の上では、街道を守る者が遠眼鏡を構えている。
その視線は、私たちが来た方角ではなく、これから向かう先へ注がれていた。
書士隊の本部まで、あと九日。
息子は絵を描けば帰れると思っており、私もまた、そうであってほしいと願っていた。
だが、あの男が膝の上で握りしめている記録帳と、本部から届いた返書の厚みを見れば分かる。
待っている者たちは、子供の絵を見ようとしているのではない。
彼らはおそらく、息子の頭の中にしか存在しない図鑑を、開こうとしている。