ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
あの少年へ訪問の申し入れを出す少し前、わらわは父上の執務室で、行儀よく膝を揃えて座っていた。
「書士隊本部の少年に、もう一度会いたいのじゃ」
父上は書状を伏せ、脇に立つ教育係へ目を向けられた。何か余計なことを伝えたのではあるまいなと横を見たら、教育係は静かに頭を下げた。
「今回は、先にお許しをいただきたいとのことです」
今回は、を少し強く言う必要はなかろう。
「街道の危険は去ったと聞いております。先触れも出します。護衛も決められた者を連れてまいります」
用意してきたことを並べると、父上は卓から離れて向かいへ座られた。仕事の机を挟まれずに済んだのはよかったが、その分だけ顔がよく見える。
「何をしに行く」
「話をしに。前は、ほとんど話せませなんだ」
「御子かどうかを確かめるのではなく?」
そのつもりで行ったことは否定できぬ。もっとも、分かったのはあの少年とアイルーの指す方向がよく揃うということくらいだった。父上にそこまで聞かせるつもりはない。
「あやつから、絵が届いております」
袖に入れてきた紙を卓へ広げた。革紐にぶら下がるウロコウモリの絵と、短い礼が書いてある。何度も開いたので折り目が白くなってしまったが、肝心の絵は傷めていない。
「お前の贈り物への返事か」
「はい。ここ、耳が片方だけこちらを向いておろう」
父上は紙を手に取り、目から離して眺められた。
「音を聞いているようだな」
「そうなのです。よく見て描いておる」
父上が文へ目を移されたので口を閉じた。生き物を贈る時は先に相談してほしいと書かれた一行は、今の話にはあまり役立たぬ。
これを届けた護衛が戻った日の説教は長かった。少年から返事が来ても、その長さは減らなかった。父上は喜ばれたことと約束を破ったことを、別々に数える方である。
「この子と話したいのか。それとも、御子と呼ばれている者に会いたいのか」
考えた末、両方ですと答えた。
噂を聞かなければ本部へ行かなかった。けれど、わらわへ下手な嘘をつき、従者が来れば居場所を教えた子供が、贈った物は受け取って絵を返してきた。何を考えておるのか、もう少し聞いてみたい。
「本物かと聞いても、また知らぬと言うでしょう。あの嘘をもう一度聞きに行くつもりはありませぬ」
父上は絵を卓へ置き、教育係に本部からの返書を持ってくるよう求められた。並んだ書状には無断訪問の件も混じっている。そちらは見ないようにした。
「陛下がお招きになるのでしたら、学術院を通じて図画へのご関心をお伝えしては」
教育係の言葉に顔を上げた。それならわらわが外へ出る許しも要らぬ。王宮には、あの子供が好きそうな絵もある。
「絵は本部で見せてもらえる。少年まで連れてくる理由にはならぬ」
父上がそう答えられたので、わらわからも口を挟んだ。
「では、わらわが会いたいと申せば」
「お前のために連れてくることになるな」
叱られると思って待ったが、父上は返書へ目を落として考えておられた。自分で行けば二刻ほどの場所なのに、一人に会うまでがずいぶん遠い。
「お前が訪ねて親しくなれば、次はこちらへ招くこともできよう。友人の招待となれば、書士隊も止める理由を考えることになる」
許しが出そうなのに、すぐ喜べなかった。会いに行きたいと言ったのはわらわだ。けれど父上は、その後であやつがこちらへ来ることを考えておられる。
「父上も、あの子供をお側へ置きたいのですか」
「会って確かめたい。あれほど人を集める噂になった。誰が近づいているのかも、知らぬままにはしておけん」
「お命じになるわけには、まいりませぬか」
王家の使者へ狩人が割り込んだ件では、父上も立腹されていた。それでも少年を呼べぬ事情があるのだろうか。
「お前があの子の母親なら、どうする」
急に問われ、顔を上げた。
「子が珍しいものを描くたびに、王都へ連れていかれる国だ。次に同じ絵を見た親は、誰へ見せると思う」
卓の上の絵を見下ろした。これを描いたためにあやつが帰ってこなくなるなら、母親はどうするだろう。
「隠すのではありませぬか」
「鍛冶屋も薬を作る者も、役人へ見つかる前に隠すようになる。王宮には一人連れてこられるが、それで国じゅうから知らせが来なくなっては割に合わん」
父上は絵をこちらへ返された。わらわが折り畳む間に、教育係が進み出る。
「少年にも王家と付き合う利点はありましょう。殿下との交流が知られれば、軽々しく手を出せなくなる者もおります」
「御子の噂を王が認めた、と言い出す者もな。真偽も分からぬうちに王家の名を貸すことになる」
贈り物をした時には、竜を従えたと噂になったという。今度は会いに行くだけで、また何か増えるのだろうか。
「わらわが友として訪ねると言っても、聞かぬ者は聞かぬのであろう」
「ああ」
「では、いつまで待てばよいのです」
父上は返書を置かれた。
王家の娘として何も知らずに育てられたつもりはない。誰かから贈り物が届けば品物より先に差出人の家の話をされ、客の席へ座れば、隣の者がなぜそこにいたかを後で尋ねられる。わらわも、そういう席へ置かれる一人だ。
毛皮が欲しいと言えば狩人に依頼が出るし、菓子を変えてほしいと言えば新しい皿が来る。けれど、会ってみたい子供を一人選ぶと父上の机に書状が並ぶ。
「待てば何も起きぬとは、私も考えておらん。お前を行かせなくても、あの子へ近づく者はいる。だから今、どう会わせるかを考えている」
「わらわを使うかどうか、ではありませぬか」
教育係が姿勢を正した。父上は声を荒らげず、膝に置いた両手を組み直された。
「それも含めてだ」
もう少し言い方を選んでくれてもよかったのに、とは思った。
父上の指輪は、わらわのどれより飾りが少ない。けれどあれで押された印がつけば遠くの街でも人が動く。今、わらわへ返事をしている方も、その指輪を外してはいない。
「行くなと言えば、諦めるか」
「少なくとも、今日は窓から出ませぬ」
教育係が息を吸ったので、その前に言い添えた。
「明日もです!」
父上は口元へ手をやられた。笑ったのかは確かめられなかったが、教育係は全く笑っていなかった。
「会いたい気持ちは変わりませぬ。あやつが嫌だと申すなら、待ちます」
「それを先に確かめよう」
父上は教育係へ向き直られた。
「学術院へ筋を通し、本部の書士官へ都合を尋ねよ。娘が少年に会いたがっていると伝える。御子の真偽を確かめるための訪問にはするな。本人と護衛の意向も聞くように」
「承知いたしました」
わらわは椅子から身を起こしかけ、途中で止まった。まだあやつの返事がある。
「知っていることを聞き出してこいとは命じぬ。だが、会えばお前一人の話では済まなくなる。それは承知して行け」
「もう、そうなっておるではありませぬか」
今度は父上が小さく笑われた。手を伸ばして髪へ触れかけられたので、つい肩を引く。
侍女が朝から巻き直したところなのだ。父上は手を引っ込め、代わりに肩を叩かれた。
「帰る刻限は守れ。お前がどこにいるか分からぬまま待つのは、もう御免だ」
わらわは今度こそ、はいと答えた。
使いが出て、返事が届くまでには数日かかった。本部は訪問を受け入れ、少年も護衛同席のうえで会うと答えたという。書士官の返書には、本人の短い返事が添えられていた。
お待ちしています。
その部分をもう一度読んでから紙を教育係へ返した。父上がこの縁を何にお使いになるとしても、返事をもらったのはわらわである。
日取りが決まると、侍女は衣装を三着持ってきた。わらわは裾の短いものを選んだ。座った時の見栄えについて何か言いたそうだったが、今日は歩きやすいほうがよい。
今度は自分の足で入って、自分の足で帰ってくるつもりだった。
* * *
王女様が来る日の朝、僕は挨拶の練習だけで疲れていた。
挨拶をしてお礼の絵を渡せばいい。それだけのはずが、今朝になると椅子へ座る順番まで気になってくる。お茶が出たら飲んでいいのだろうか。いや、出したお茶を誰も飲まないほうが変か。
頭の中で一通り会ってみたけれど、想像の王女様は途中から黙っていた。あまり知らない人なので、何を言うか分からなくなったのだ。
本人もこのくらい静かなら楽なのに。
「喉が渇いたなら、先に飲んでおけ」
ニャンターが水差しを持ち上げた。僕は頷き、差し出された杯を受け取った。
「挨拶、変じゃありませんでした?」
「さっきのでいい」
声に出しても二度ほど練習していた。三度目を始める前に水をもらったのは、そういうことかもしれない。
ニャンターは僕の襟を直し、片側だけ折れていたところを指で押さえた。ごつい鎧から出てくる手が、こういう時には意外に丁寧なのを最近知った。
「礼を言いたいんだろう。忘れなければ十分だ」
「忘れそうだから、考えてるんです」
「なら、絵と一緒に書いとくか」
僕は机に用意した帳面を見た。そこには籠から尻尾が出ている絵を挟んである。本人を前に、描いた紙の裏を見ながらお礼を読むのはさすがに恥ずかしい。
水を飲み終えたところで書士が呼びに来た。ニャンターは応接室の支度を確かめるため廊下へ出て、扉を閉めた向こうで話を始める。僕は壁の時計を見たけれど、朝食の後から何度も確かめているせいで、針が妙に働かない。
この待ち時間だけ誰かに預かってほしい。
机へ向かってみたら、姉から届いた手紙が帳面の下からはみ出していた。
そうだ。家へ手紙を書こう。
王女様を想像して疲れるより、母や姉を思い出すほうがよい。こちらなら何を言いそうか、だいたい分かる。姉はまた服を汚したのと聞き、母はお代わりを食べるか尋ね、父はその前に手を洗えと言うだろう。三人とも話の順番を守ってくれそうにないが、僕はそちらのほうが慣れていた。
新しい紙へ日付を書いた。先に出した手紙の返事も待たずにまた送るので、父は何事かと思うかもしれない。元気でいることを早めに書いておく。
王女様が来ることも書いたが、これでは父が本部へ戻る支度を始めかねない。書士官もニャンターも一緒で、僕が会うと返事をしたことまで付け足しておく。読んだ父の顔は、あまり想像しないことにした。
ウロコウモリは机の端の横木で、顔を翼の内側へ入れかけていた。朝は少し動いていたのに、支度が済んだ頃から眠る気になっている。
指を近づけると白い頭が出てきて鼻先が当たったが、食べ物がないと分かると引っ込んでしまった。今日はこのまま寝かせておこう。元気なのは絵を見てもらえば伝わるはずだ。
手紙には、よく食べていることと、こちらが忙しい時ほど肩へ乗りたがることを書いた。
姉には直してくれた袖がまだほつれていないと知らせた。この前、また爪を引っかけられた話まで入れると長くなるので、そこは省いておく。破れていないのは本当だ。
母には夕食の話をした。本部の食事はおいしいし、前に出た肉の煮込みはお代わりまでした。ただ、家の鍋の底で柔らかくなっていた野菜は、こちらではまだ食べていない。
店じまいが長引いた日に、僕が先に鍋の蓋を開けていたこともある。母にまだ早いと言われ、蓋を戻す間に一つくらい口へ入れられないか考えたものだ。結局熱くて食べられず、水を飲んでいるところまで見つかる。
帰ったらまた作って、と書いた後で、筆先が止まった。
いつ帰るかは決まっていない。父が家へ戻り、母と姉も来て帰って、僕の部屋には使い慣れた物が少しずつ増えた。ここの椅子はもう座りにくくないし、食堂では僕の好きな物を覚えてくれた人もいる。
それでも、家へ帰った時のことを考える。母には扉をくぐる前から呼ばれそうだし、今度は僕が、姉へお土産を渡す番になる。
もう一度筆を動かした。
また家に帰る時が来るのを、のんびり待っているよ。
そこまで書いたら少し照れくさくなった。母に、こちらで寂しがっていると思われるだろうか。いや、帰りたい日もあるのだから、間違ってはいない。
次の行に、でもご飯はちゃんと食べています、と足そうとしてやめた。最初に元気だと書いたし、ついさっきお代わりの話もした。僕の手紙は、気を抜くと献立になる。
筆を置くと、廊下のほうから数人の足音が聞こえた。
思わず扉を見たが、荷物の置き場所を相談する声がして遠ざかった。王女様ではなかったらしい。僕は書きかけの手紙へ目を戻した。
最後に何を書こう。
机の端ではウロコウモリが首を伸ばし、翼の内側を整えていた。白い頭と暗い翼が重なって、窓から入る光が耳の縁を細く透かしている。あの白いところを潰さずに描こうとすると、周りの影を少し濃くする必要があった。
紙を見ているうちに、もっと長い首と、そこに流れる白い毛が浮かんだ。
祖龍。
ネットや資料の中で見た時から、あの角と毛の組み合わせが好きだった。黒龍と似た形なのに、姿が白くなるとまるで違って見える。動画で翼を広げる姿を何度も止めて見たが、僕自身でそこまで辿り着けたことはない。
最後の一行のインクは、まだ光っていた。
紙束の横から小さな端紙を一枚抜き、書きかけの手紙の上へ置いた。
炭筆の先で首の曲がる線を引く。頭の向きを少し上げると角が窮屈になったので、端紙を横へ回した。今度は翼を広げる余地もある。標本の骨を描く時のように実物と見比べることはできないが、覚えている姿へ近づく線が引けると手が進んだ。
四本の角を入れ、頬から流れる毛の周りへ薄く影を置く。白くしたいところへ線を増やしすぎると、白い毛ではなく黒いもじゃもじゃになってしまう。何も描かずに残しておくほうが難しいこともある。
これも描き終えたら処分する。最初の黒い龍だけであれほど騒ぎになったのだから、人へ見せる気はない。翼の下へもう少し影を足した。
今は、好きな形を好きなところまで描ける。
肩から翼へ繋がる線がうまく決まったので、少し離して見た。身体を全部入れようとすると紙が足りない。端まで来た尾を曲げて収めたら、こちらを振り返るような姿になった。
もう一枚大きな紙を出そうかと思いかけた時、扉の外でニャンターの声がした。
「着いたぞ。行くか」
「えっ、もう?」
さっきまで少しも進まなかった時計が、急に仕事をした。
炭筆を置き、描きかけの龍を見下ろす。今これを持っていったら、お礼どころではなくなる。扉の取っ手が動く前に祖龍を描いた端紙を拾い上げ、くしゃっと丸めた。
立った勢いで椅子が鳴った。そのまま暖炉へ寄って小さな扉を開けると、朝に湯を沸かした炭がまだ赤かった。
丸めた紙を投げ込む。燃えさしに当たった紙玉は奥へ跳ね、灰の上を転がった。薄い紙だし、じきに火が移るはずだ。廊下から誰かがニャンターへ声をかけるのが聞こえ、僕は炉の扉を閉めた。
机へ戻り、筆を手紙から離した。
「今、行きます!」
ニャンターは部屋へ入ってこず、扉の向こうで待っている。僕は水鉢で指の炭を落とし、帳面に挟んだ籠の絵を抜いた。
こちらがお礼の絵。よし。
ウロコウモリは横木にぶら下がったまま、もう顔も出さなくなっていた。窓が閉まっているのを確かめて部屋を出る。
廊下ではニャンターが僕の腕を見た。
「袖、戻しとけ」
手を洗う時に捲ったままだった。
「あ、忘れてた」
絵を預けて袖を下ろした。ニャンターは急げと言わず、片方の留め具を直してくれた。
「待たせてませんか」
「書士官が話してる。まだ大丈夫だ」
ようやく息を吐き、絵を返してもらって並んで歩き出した。
応接室の前まで来ると、中から聞き覚えのある声がした。
扉を開けてもらった途端、金色の髪がこちらを向く。王女様は椅子へ座っていたが、僕を見ると顔を明るくし、背後の従者へ何か言いかけた。
「今日はお越しいただき、ありがとうございます」
先に挨拶を済ませた。家族への手紙より短いのに、こちらのほうがずっと大変だった。
「うむ。今度は、きちんと許しを得て来たぞ」
従者が静かに頷く。その目の下にはまだ疲れが残っていたけれど、今日は王女様を抱えて帰る予定はなさそうだ。
僕はウロコウモリを贈ってもらった礼を言い、籠から尻尾が出ている絵を渡した。元気にしているが今は寝ていると伝えると、王女様は残念そうに僕の後ろを見てから紙へ目を落とす。
「前に送ってきた絵も、部屋に置いておる」
「ありがとうございます」
「侍女がしまおうとするので、置き場所を変えた。あれは手紙の箱へ入れるには惜しい」
思っていたより大事にされていた。少し照れくさくなり、もう一度お礼を言いそうになったところで、長耳の書士官が座るよう勧めてくれた。
ニャンターの隣へ腰を下ろすとお茶が運ばれてきた。王女様が先に飲んだので僕も杯を持つ。朝から悩んでいたことが、ようやく一つ片づいた。
「王宮にも絵はあるぞ。おぬしの好きそうなものもある」
王女様は受け取った紙を従者へ渡し、こちらへ身を寄せた。古い狩りの絵や、大きな帆船の絵があるらしい。船と聞いて、少し見たくなった。家の近くには海がなく、本部へ来る途中にも船を見られる場所はなかったのだ。
「壁にかけるような、大きな絵ですか」
「おぬしより大きい。帆の一枚へ、その絵が何枚も入る」
紙ではなく布へ描くのだろうか。僕が近くで見た絵は本に綴じられる大きさのものが多い。船を壁いっぱいに描けたら楽しそうだった。
「今度、見に来るとよい」
誘われて顔を上げると、王女様はもう決まりかけている顔をしていた。
「ご招待の日取りは、こちらともご相談いただけますか、第三王女殿下」
書士官が穏やかに挟んだので、僕は助かった。船は見たいが、王宮へ行きますと今ここで答えるほどの度胸はない。挨拶の練習も増える。王様用は、たぶん今朝のものより長い。
「分かっておる。今日は連れて帰らぬ」
今日は、というところが少し気になった。
王女様は菓子を一つ取り、それから僕の服へ目を向けた。
「絵にするなら、変わった素材を見るのも好きか。王宮には、まだここへ届いておらぬ物もあろう」
「見るのは好きです」
触って確かめられるものなら、なおよい。標本室の骨だって、紙の上の線よりずっといろいろなことが分かった。
「わらわの外套も、なかなかのものじゃぞ。寒い土地で空の光を見るために作らせた」
今着ている服とは違うものらしい。僕は厚い毛皮を想像し、王女様が続けた名前に杯を止めた。
「金獅子の毛皮を使うておる」
ラージャン。
寒いから上着が欲しい。そこまでは分かる。途中のどこをどう通ったら、あの筋肉の塊から毛皮をもらう話になるのだろう。
動画で見た依頼文が、遅れて頭へ戻ってきた。第三王女。そうだ、たしかそういう差出人だった。以前に名乗られた時には顔と髪に気を取られたが、目の前の人は、あの依頼を出す側なのか。
画面の前では、ハンターも大変だなと思っていた。
その依頼主が、今は僕の向かいで菓子を食べている。依頼文へ戻ってほしい。
「それ、どんな人が取ってきたんですか」
「G級の狩人じゃ。よい毛皮を揃えてくれたと、仕立てた者も褒めておったぞ」
G級と聞いて、あの豪快な笑い声を思い出した。同じ人かどうかは分からないけれど、あの人なら笑って出かけそうだ。依頼主も受ける側も楽しそうで、僕だけが怖がっている。
王女様は僕が興味を持ったと思ったらしく、外套に合わせた手袋の話まで始めた。僕はその前に、どうしても確かめたくなった。
「欲しいって言ったら、いつも取ってきてもらえるんですか」
「いつもではない。引き受ける狩人がおらねば待つ。材料が足りず、仕立てられぬこともあるしの」
「待ってたら、見つかるんですね……」
「金を積めば必ず来るわけじゃないぞ」
僕の横でニャンターがこちらを見上げた。王女様は少し唇を尖らせたが、否定はしなかった。
「断る者もおる。だから、引き受けてくれた者の働きは覚えておく」
それでも外套は仕上がっている。
生きたウロコウモリが届いた時に、喜びすぎて忘れていた。この人の贈り物は、近くの店で何か買って終わるとは限らないのだ。僕が竜の爪を描いてみたいと言ったら、爪の持ち主を探すところから始まるかもしれない。
画材屋の品揃えを聞くのとは、だいぶ話が違ってきた。
「僕のためでも、同じように頼むんですか」
王女様は食べかけの菓子を皿へ置いた。
「ものによるが、必要ならばな」
王女様が僕の顔をじっと見た。初めに会った時、知らないふりをしたのが通じなかったことを思い出す目だった。
「わらわに何ができるか、先に確かめたかったのか」
「何が起きるか、心配で」
「父上も、品物より先に、それを用意できる者の話をなさる」
僕の答えを聞いた王女様は、どこか納得したように座り直した。
「龍の御子への贈り物なら珍しいものを選べばよいと思うておったが。おぬしは、王家の頼みがどこまで通るかを気にしておったのじゃな」
なんだか、僕が狩人を選ぶ側に座らされた。
あの外套は近くで見たいけれど、僕の名前で次の金獅子を探してほしくはない。ここを曖昧にすると、いつか材料のほうから会いに来そうだった。
「僕が何か好きだと言っても、取りに行かせないでほしいんです。見るのと、欲しいのは別なので」
贈り物をもらっておいて失礼だったかと不安になったが、もう一頭何かが届いてから相談するのは遅い。王女様は少し考えてから頷いた。
「では、こちらから勝手に用意はせぬ。今度は先に聞く。これでよかろう」
僕は大きく頷いた。ニャンターも口を挟まなかったので、これで本当に止まると思ってよさそうだ。
王女様は従者にも聞こえるよう繰り返した後、残りの菓子を食べた。
「わらわも、あまり自由の利く身ではないゆえな。自分で見に行けぬ物を、持ってきてもらうことが多い」
皿へ手を戻した王女様は、窓の向こうへ目をやった。
僕は返事に詰まった。先ほどまでの金獅子の話と、うまく並ばない。会いに来て、毛皮を取りに行かせて、生きた竜まで送ってきた人だ。僕から見れば、かなり遠くまで好きなことをしている。
王女様はそんな僕を羨ましそうに見た。
「おぬしはよいの。好きな絵を描き、書庫へ行き、ここで暮らしておる。わらわが同じように過ごしたいと言うても、まず教師が日取りを決め始めるぞ」
自由。僕が。
何枚も絵を描けるのは本当なので、まるきり違うとは言えない。ただ、好きなものを描いていいと言われた後で扉を閉められたこともある。王女様には僕が、ずいぶんのんびりして見えるらしい。
「勉強はありますよ。字も、こっちの本の読み方も」
「終わった後は」
「絵を描いたり。食堂へ行ったり」
「ほれ」
王女様は羨ましがるのをやめなかった。僕は僕で、金獅子の毛皮を注文してみたいなどと言ったら、父がどんな顔をするだろうと考えていた。
たぶん、値段を聞く前に正気か確かめられる。
「この前も、峠から山々を見たいと申したのに、連れていってもらえなんだ。遠くの山まで、いくつも重なって見えるそうじゃ」
「絵にしたら、きれいそうですね」
手前の山と遠くの山で色が違うのだろうか。王女様も絵で見たことがあるようで、一番奥だけ白かったと教えてくれた。話を聞くうちに、僕もその絵を見たくなった。
長耳の書士官が、書庫にもそのあたりを調べた記録があると教えてくれた。
「昔の調査隊が残した写生もあったはずじゃ。ここで見る分には、日程を組まずに済みますな」
王女様はすぐ従者を振り返った。帰る刻限までまだ時間があると分かると、今度は僕のほうへ向き直る。
「一緒に見るか」
「はい。それなら見たいです」
これは迷わず答えられた。道中で何も出ないかどうかより、頁を開いた時に何が描いてあるかを気にしていればいい。
書士官が若い書士へ本を頼んでいる間、王女様は先ほどの絵を従者から返してもらい、折り目を避けて指を添えた。
「おぬしも、何か欲しいものができたら申すがよい。こちらから探しには行かせぬ」
「ありがとうございます。でも、無理なお願いはしません」
「引き受けられるかは、聞いてから決める」
僕は返事の代わりにお茶を飲んだ。
閉めてもらおうとした窓口に、僕専用の受付がついてしまった。