ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
王女様の描く金獅子に、ようやく首がついた。
前に届いた絵では頭から腕が生えていたので、僕は横を向いた姿を描いて返した。すると今度は首の長い金獅子が来た。何も見ずに封を開けたニャンターが、しばらく黙って紙を眺めていたくらいには長かった。
少し短くしてはどうでしょう、と返す手紙には気を遣った。絵の中ならいくらでも消せる線が、文字にするとどうにも偉そうになる。王女様のほうは僕の絵へ気軽に注文をつけてくるのに、不公平ではないだろうか。
そんな便りを何度か交わし、僕の帳面も次の一冊へ移った頃、本部に第五期団が出航したという報せが届いた。
食堂へ向かう廊下で、いつもより多くの人が掲示を見ていた。背中の間から覗くと、上のほうに大きく出航の文字がある。下には港を離れた日付が書かれており、今日より何日も前だった。
「もう出たんだ」
隣のニャンターが、僕の声に顔を上げた。
「ああ。今頃は海の上だろうな」
本部へ来てから、もう半年ほどになる。出発の準備が進んでいることは、このところ何度も耳にしていた。それでも僕が毎日絵を描いたり本を読んだりしているうちに、船は先に行ってしまった。
第五期団。新大陸。
頭に浮かんだのは、モンハンワールドの船だった。大きな帆を広げた船の上にハンターたちがいて、その後には、とても船旅とは呼びたくない場面が続く。船から古龍の背中へ乗り換えるなんて、出発前の説明に一番大きく書いておくべきだと思う。
もちろん、ここの船が同じ場所を通るのかは分からない。掲示にも航路までは書いてなかった。覚えている映像を頭から流しても、海の上を覗けるわけではない。
掲示を見終えた書士の一人が、出航が遅れずに済んでよかったと隣へ話しかけた。二人ともほっとした顔をしている。
僕はもう一度、港を離れた日付を見た。
あちらには行かない。これはもう決めている。でも、何も知らなければいいというほど、興味がないわけでもなかった。
「新大陸の絵って、本部にもあるんですか」
「書庫にあるだろう。食った後で聞いてみろ」
ニャンターは僕の背を軽く押し、食堂へ向かった。僕もついていったが、今度は船の形が気になり始めていた。あんな大きな帆を何枚もつけて、下から見上げたらどこまで空が隠れるのだろう。
朝食の後で尋ねると、長耳の書士官は自分の部屋に写しがあると言ってくれた。
「少し待っておいで。今、広げられるようにする」
机から本が移され、代わりに大きな綴じ本が置かれた。第五期団より前に海を渡った人たちの記録を、本部で閲覧できるようにまとめたものだという。船が出たばかりなのに絵があるのは当然で、向こうでは僕がここへ来るよりずっと前から、人が暮らして調査をしている。
それでも、最初の見開きを見た時には声が出た。
木が大きい。
幹の太さを示すために人が描き添えてあるのだが、うっかりすると見失う。根が地面から持ち上がり、その下に人が立っている。父の店を思い浮かべて隣へ置こうとしたものの、入口の庇が根にぶつかりそうだった。
「これ、本当にこの大きさなんですか」
「描いた者が間違えておらねばな。下に寸法もあるじゃろう」
数字は読めたが、どこまで離れれば絵に収まるのかも想像できない。前世の画面では根元を走って通り過ぎていた木が、寸法を添えられると急に場所を取り始めた。
次の頁には同じ幹の途中から見下ろした景色があった。下に広がる緑の間を白い筋が通り、遠くで霧に隠れている。川かと思って説明を読むと、太い枝だった。
「手すりは?」
つい聞くと、ニャンターが横から本を覗いた。
「生えてくるといいな」
よくない。欲しいのは希望ではなく、ちゃんと体重を預けられるやつだ。
描き手はここへ立って下を覗いたのだろう。僕だったら、まず座る。座ってから誰かを呼ぶかもしれない。
しばらく黙って絵を見ていると、書士官が下の注記を示してくれた。
「そこから先へは行けなんだそうじゃ。雨で足場が悪くなったとある」
枝の先は線が薄くなり、霧の向こうへ途切れていた。描けなかったところを、適当な形で埋めなかったらしい。そこに何があるかを少し想像し、僕は空いた余白を指で触らないように眺めた。
地図の端まで進むゲームなら、見えない壁へ突き当たることもある。でもこの人は帰ってきただけで、枝はまだ先へ続いているのだろう。
続きを見たい。
僕が紙へ顔を近づけていると、ニャンターが向かいの椅子に腰を下ろした。
「そんなに気に入ったなら、次は乗ってみるか」
「船の絵を見るのと、船に乗るのは違います!」
少し声が大きくなった。書士官が笑い、ニャンターは片手を上げたまま椅子の背へ身体を預ける。からかわれたのだと分かっても、今の返事を小さくし直す気にはなれない。
僕は本を少し自分のほうへ寄せた。
「僕が行っても、描くどころじゃありません」
「その本を返したくない顔はしてるがな」
そこは見ないでほしかった。
王女様にもこの木の絵は見せてあげたかった。金獅子を下へ描き添えても小さくなると知ったら、きっと驚く。ただ、あの枝を歩きたいと言われた時のために、従者の人がいるところで見せよう。
何枚か先で、見覚えのある顔を見つけた。大きな耳に小さな頭。翼を畳んで岩の隙間にぶら下がっているのは、ウロコウモリだった。
「向こうにもいるんだ」
うちのは今頃、部屋で寝ているはずだ。海の向こうでも同じようにぶら下がっていると思うと、急に遠い場所ではなくなった気がした。顔を寄せたところで、耳の縁にある突起が目に留まる。
うちのより尖っている。翼の付け根に描かれた鱗も少し大きい。
「ここの形が、うちのと違います」
指で示すと、書士官も身を乗り出した。
「おお、よく見ておるのう」
「描いてますから。じっとしてくれないんですけど」
「餌の前でなら止まるだろう」
ニャンターの言うとおりではある。ただ、餌をねだる顔ばかり描いて父に送ったら、ちゃんと食べさせているのか心配されそうだ。
この描き手は、どうやって翼の中まで見せてもらったのだろう。隣には広げた姿もあった。そちらの鱗も大きく描かれているので、線を省いたせいではなさそうだ。
同じウロコウモリなのに、毎日見ている顔とはちょっと違う。自分の部屋へ戻って、もう一度見比べたくなってきた。
「向こうのは、みんなこうなんですか」
「この絵だけでは何ともな。ほかの個体も見たいところじゃ」
書士官は欄外の小さな字を読み始めた。僕へ説明してくれていた時より本へ顔が近くなり、採集場所を確かめてから前の地図を開く。新しい報告が来るたび仕事が増えて大変なのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
「どうして、この仕事を始めたんですか」
尋ねると、長い耳が少し動いた。
「ワシか?」
「はい。昔から本が好きだったんですか」
書士官は開いた頁へ目を戻し、少し考えてから椅子へ座り直した。いつからだったかのう、と呟かれると、僕が聞いてよかったのか心配になってくる。途中でお昼になったりしないだろうか。
「古龍のことが知りたくてな。最初に読んだのは、村へ来た龍を狩人たちが追い払った記録じゃった」
お話の本ではなかったらしい。畑がどれだけ荒れ、どの家から人を逃がしたかが書かれていて、最後は龍が山の向こうへ去ったところで終わっていたという。
「村へ戻ってよいとなって、それでおしまいじゃ。ところが、ワシは続きが読みたかった」
「追い払った後のことですか」
「うむ。どこへ行ったのか、人のおらぬところで何を食べ、どう暮らすのか。その本にはなかったので、ほかの記録を探しに通うようになった」
村の人はそれどころではなかっただろう。でも、話の中の龍が山を越えていった後も、書士官にはそちらが気になったらしい。
僕も図鑑の端から尻尾がはみ出していると、その先まで見たくなる。もっとも、それだけで本を探す仕事に就くところまでは考えないので、この人の気になり方は僕よりずっと長持ちするのだと思う。
「分かったんですか、その龍が行ったところ」
「いや。同じ頃に遠くで見たという記録はあったが、同じ一頭かは分からなんだ」
書士官は笑って、それから本の綴じ目へ指を添えた。
「この先もそういうことは多かろうな。海を渡ったところで、皆がおとなしく待っておるわけでもない」
古龍渡りの話になり、僕は新大陸の森へ目を落とした。書士官は先に渡った人たちがどんな記録を送り、第五期団へ何を引き継いだのかを、地図の端を辿りながら話してくれた。
僕が知っているゲームは、あの大きな船から始まる。それより前に行った人たちは、地図の線を一本引くために何日も歩いていたのだろう。崖の端を確かめに行くところから始めるなんて、僕には荷物を詰める段階で無理だ。
「ご自分では行かないんですか」
ここまで楽しそうだと、行きたい気持ちもあるのではと思って尋ねた。書士官は窓を見てから、後ろの棚を見た。
「向こうも見たいが、まだここに用があってのう」
書士官は、さっきのウロコウモリの頁へ細い紙を挟んだ。
「こちらにある古い写生と比べれば、分かることもあるかもしれん。船へ乗った者が、ここの棚までひっくり返すわけにもいかんからな」
確かに、あの棚で目当ての一冊を探すなら、この人に頼んだほうが早い。僕なら途中で別の本を見つけ、最初に何を探していたのか忘れそうだった。
「好きな龍もいるんですか」
古龍の話が続いたせいか、今度は自然に聞けた。書士官は髭へ手をやり、先ほど仕事を始めた理由を尋ねた時より長く考えた。
そんなに難しい質問だっただろうか。僕も一頭に決めろと言われたら困るけれど、ここまで悩むとは思わなかった。
「霞龍かのう」
書士官はようやく手を下ろした。
「オオナズチじゃ」
あの、舌の長い。
炎をまとった龍や、嵐の中を飛ぶ龍を思い浮かべていたところへ、左右で違うほうを見ている顔が入ってきた。嫌いではない。嫌いではないが、今の話から出てくるにしては、ちょっと地味な気がした。
書士官は僕の顔を見て、口の端を上げた。
「もっと派手なのを思うたか」
「いえ、その。姿が消えるのが面白いんですか」
「あれも面白いが、ワシが好きなのは毒じゃな」
好きという言葉の置き場所を、間違えて聞いた気がした。
書士官は立ち上がり、今度は棚の低いところから薄い記録を出してきた。わざわざ探しに行くほどでもなく、手を伸ばしたところにあった。普段から好きな龍の本を近くへ置いているのだと思うと、急に親しみが増す。
ただし、出てきた話はあまり可愛くなかった。
「霞龍の毒を受けた者が、声を出せなくなったという報告がある。別の土地では、走ろうにも脚へ力が入らず、食べ物も喉を通らなくなった」
読める向きに回された紙には、症状の続いた時間や、飲ませた物が記されていた。大きな怪我がないからと立たせたところ、そのまま崩れてしまったらしい。
「毒にも、そんなに違いがあるんですか」
「普通は同じ種類の生き物なら、作る毒も大筋では同じじゃ。強さに違いはあっても、性質には見当がつく。ところが霞龍には、そのつもりで臨めん。個体ごとに全く違う毒を生成する。まさに古龍じゃ」
書士官は二枚の記録を並べた。片方には声の出なかった日数が、もう片方には立って歩けるようになるまでの日数が記されている。
「身体をひどく蝕むものもあれば、声や持久力を奪うものもある。吐き方まで違ってな。液を吐く相手だと思っておれば、霧になって広がることもある」
出血毒に神経毒、それに声帯麻痺に疲労や幻覚。それぞれの言葉を、僕も見たことがあった。
前世の僕は、作品が変わればオオナズチの攻撃も違うのだと思っていた。間違いではなかったはずだ。画面の向こうでは、遊ぶ作品の名前さえ分かれば、何に気をつけるかも調べられた。
でも、こちらのオオナズチは、どのゲームに出てくる個体ですと名札をつけて歩いてくれない。
「食べる物の成分が毒へ関わると思われているので、棲む土地によっても違いが出る。それなら、同じ土地で長く暮らすものを調べればよいと思うじゃろう」
僕は頷きかけ、やめた。オオナズチにも翼がある。あの翼なら、よその森から飛んでくることだってあるはずだ。
「ずっとそこにいるか、分からないんですね」
「そうじゃ。それに、何を食べてきたかを一頭ずつ追うのも難しい。姿を隠す相手なら、なおさらのう」
書士官の声が弾んできた。追いかけたくなる話らしい。僕は、追いかけられても逃げきれないほうを考えていた。
「狩りに行く人は、どうするんですか」
ニャンターが向かいから答えた。
「先に土地の話を聞く。遭った奴がいるなら、そいつにもな」
「それで薬を選ぶんですか」
「選んでも、余分に持っていく」
ニャンターは書士官の広げた記録へ顎を向けた。その先に、手当てをしても食事ができなかったという一行が見える。毒さえ消せばすぐ歩いて帰れる、という話でもないらしかった。
書士官は紙を自分の側へ戻した。
「解毒の薬も、疲れを戻す物も要る。手に入る備えは揃えるが、それでも対応しきれん毒を持つものが、どこかにおるかもしれん。そうなら、近づく前に知っておきたい」
「いるんですか」
「おると確かめたわけではないよ。じゃが、ここに載ったものが全部だと決めてしまうのも早かろう」
好きな龍を聞いたはずなのに、近づきたくない理由がずいぶん増えた。
「これが、好きなんですか」
僕は毒の記録へ目を落としたまま尋ねた。書士官は笑い、机の反対側にある新大陸の本を少しよけて、古い記録を広げられる場所を作った。
「ああ。姿も名も分かっておるのに、まだこんなに調べたいことがある。以前の報告と違うものが届けば、何が違ったのか気になるじゃろう」
たとえば同じ顔の龍が、食べているもののせいで全然違う毒を吐くなら、僕の描いた一枚にも、その場所の草や小さな生き物を入れる意味があるのかもしれない。格好よく立たせた龍の足元に、適当な草を生やして済ませていた絵をいくつか思い出した。
気になるから、見に行こう。
とならないのが、僕のよいところだと思う。今は本をもう少しこちらへ寄せるところまでにしておいた。
書士官は霞龍の絵の角を押さえてくれた。改めて見ると、丸い眼も大きな尻尾もずいぶん変な形をしている。姿を消す能力が有名なせいで、その姿をちゃんと見ていなかった気がした。
「ほかにもあるんですか。この龍の絵」
「あるとも。ただ、今日は先にそちらを見たかったのではないか」
脇へよけた新大陸の本を示され、僕は口を閉じた。そうだった。海の向こうの絵を見に来たのに、すっかり毒の頁に捕まっていた。
出てきた本を全部借りたら、部屋へ戻るまでに腕が抜けそうだ。ニャンターはもう持つ気のない顔をしている。
「今日は、こっちをお願いします」
新大陸の本へ手を置くと、書士官は頷いて、霞龍の記録を一つにまとめてくれた。そちらは今度来た時に見せてもらえることになったので、ちゃんと覚えておこうと思う。
「第五期団から新しい絵が届いたら、僕にも見せてもらえますか」
続けて頼むと、書士官は閉じかけていた表紙から顔を上げた。
「新しい絵か」
「はい。さっきの木の先とか、どんなところに生き物がいるかとか。名前だけ聞いても、僕には描けないので」
書士官は本を開き直し、幹の上から見下ろした絵へ戻した。
「見せてよいものならな。届いたら声をかけよう」
「ありがとうございます!」
僕は枝の先が描かれた頁へ目印の紙を挟み、今度は自分で本を閉じた。
廊下へ出る時には、もう次の絵を見せてもらうのが楽しみになっていた。借りた本は少し重かったけれど、途中で誰かへ持たせるのは惜しい。腕の位置を変えながら歩いていると、ニャンターが下から手を添えてくれた。
「返す日も覚えておけよ」
「覚えてます。新しい絵は、どのくらいで届くんでしょう」
「今出た連中のか? 向こうへ着いて、描いて、こっちへ送るんだぞ」
僕は立ち止まり、廊下の掲示にあった日付を思い出した。
続きの本を頼んだつもりでいたが、作者がまだ海の上だった。
* * *
少年を送り出した後、ワシは霞龍の記録を机の脇へ寄せた。棚へ戻すなら低い段を空けておこう。次に来た時、自分で取り出せる場所のほうがよい。
好きな龍を尋ねられたのは久しぶりだった。何を危ぶみ、どの記録を調べるべきかは毎日のように聞かれるが、好みを答えるために考え込む時間は、このところなかった。
霞龍の名を出した時の顔を思い返すと、昔の弟子たちが浮かんだ。毒の話に身を引いていたくせに、最後には絵をもっと見たがる。ワシもつい話しすぎたが、帰る背中を見送る頃には、語り忘れたことを足したくなっていた。
新大陸の絵を求めた言葉には、別の思いも残った。
半年前、あの狩人が伝えたものをワシは覚えていた。龍たちが死地を求めて海を渡ること。その先に何かが待つという、眠りの底から漏れた言葉。少年が新しい写生を望むのは、自分の語った先を確かめたいからなのか。
名前だけでは描けない、とも言った。伝聞に頼らず現地の姿を求めているようにも聞こえたが、先ほどは自分の飼う生き物と耳の形が違うだけで、しばらく本から顔を上げなかった。
記録の照合なら、先に答えを決めて読む弟子を叱るところだ。ワシは貸出簿へ本と返す日を記し、次の写生が届いたら見せてやると覚え書きに残した。本人へ頼まれたのは、そこまでである。
廊下では、まだ出航の話をする声が聞こえていた。
港から届いた文書を開き直すと、最後の荷が予定どおり収まり、風を待って船を出した旨が書かれている。つい先日まで不足する物の照会が続いていたのに、海へ出た報告はそれらより短かった。
あの狩人の名で出した警告については、別に返事が届いていた。巨大な古龍に関する照会が調査団へ引き継がれ、既存の観測を見直す手配がされたという。少年の名はどこにもない。
ワシはその返事を出航の文書へ重ねず、内側の引き出しへ収めた。
備えが増えたことと、それで足りることは同じではなかった。古龍を前にした時に、海の向こうの者たちが何を見るか。ここからはまだ、確かめることができない。
控えめな戸口の声に顔を上げると、若い書士が団長の便りを持って立っていた。外へ回していた郵便が、ようやく本部へ揃ったらしい。
「お預かりしていたものも、一緒でよろしいですか」
「うむ。こちらへ頼む」
団長の便りと一緒に差し出されたのは、別の地域へ出す調査隊の予定だった。第五期団への参加が決まった時に外した狩人の名が、まだ書き直せずに残っている。
「出発を延ばすほかないのか」
「現地を知る者を一人はつけたいと、向こうから。ほかの依頼が終わるまで待ってほしいそうです」
急がせれば人数だけは揃うのかもしれない。だが、そこへ送り出すのは帳面の数字ではない。日程を改める旨を返すよう伝えると、書士は頷いて部屋を出た。
海を渡った者たちの席を、こちらではこれから埋めていくことになる。
扉が閉じてから団長の便りを開く。最初の行には今いる町と、この先に便りを受け取る宿が書いてあった。これだけで、学術院にいた頃よりいくらか聞き分けがよくなったと分かる。
仲間と合流した後、紹介した家を二つ訪ねたという。昇格の審査を終えた若い狩人も同行していた。少なくとも書かれた日までは、怪我人を出すような道を通らずに済んでいる。
ワシは添えられた紙を広げ、手元の目録を隣へ置いた。
黒龍について別々の場所へ残された三つの記述は、やはり同じ写本に行き着いた。描き損じに見えた城壁の切れ目まで一致し、写した者が元の紙の傷を景色の一部だと思い込んでいたことも分かったらしい。
三つの土地から集めた話が、一つになる。それでも、同じものを三度数えて進むよりはよい。残りの紙には、元の写本を預かっていた家の記録と、その後の移管先が書き留められていた。
移された先は古い寺院の文庫だった。その目録には、こちらの写しで抜け落ちている地名と前後の旅程が載っているという。描き手がどこから城を見たのか、そこから辿れるかもしれない。
団長は文庫を開けてもらうための紹介状を求めていた。返事を待つ間は近くで照合を続けるとある。若い狩人の腕に頼って城跡へ踏み込むことを案じていたが、弟子はまず記録を辿る道を選んでいた。
目撃したものを描いたのか、伝え聞いた龍の姿を城の景色へ重ねたのか。そこまで分かれば、あの子の絵と照らし合わせる意味も変わる。
ワシは少年の絵を収めた箱へ目をやったが、鍵には手を伸ばさなかった。今この場で見比べても、紙から新たな行き先は出てこない。
引き出しから返書の紙を出し、紹介状を送ることを記した。現地で収蔵を預かる者には、記録の出所を確かめるための調査として伝える。少年のことを持ち出す必要はなかった。
末尾へ、城跡へ近づく前に文庫で得たものの写しを送れと付け加えた。読み直すと小言ばかりだったので、絵描きの子が旅の続きを聞きたがっていることも書き添えておく。中庭の鐘が昼を告げた時には、まだ墨が乾いていなかった。
その晩、戸口へ現れたのは、昼間あの子と一緒にいたニャンターだった。廊下の灯りは既に半分落とされていたが、鎧を着けた姿は昼と変わらない。
「少し聞きたいことがある。今、いいか」
「構わんよ。あの子はどうした」
「寝ている。扉の前はいつもの守衛に頼んできた」
茶を勧めると、長居はしないと首を振った。戸を閉めてからも椅子へは座らず、机の脇に立っている。
「黒龍に似た龍の伝説は、ほかにもあるか」
昼に書いた弟子への返書が頭をよぎった。だが、あれを知っているはずはない。ワシは机へ置いていた筆を下ろした。
「国を滅ぼした龍の話なら、おぬしも知っておろう」
「ああ。古い歌や伝承もいくつか当たったが、知っている話へ戻ってしまう。ほかにないかと思ってな」
「いくつかはある。海から現れ、辺りを焼いたという黒い龍もその一つじゃ」
ワシは沿岸に伝わる話を挙げ、山へ舞い降りた龍にまつわる伝承にも触れた。名や現れた場所が違っていても、同じ話が形を変えて広まった場合がある。今日読んだ弟子の報告を出すまでもなく、珍しいことではなかった。
ニャンターは口を挟まずに聞いていたが、最後まで話すと、二つ目の伝承へ問いを戻した。
「そいつも黒いのか」
「うむ。角や翼の描かれ方には違いがあるが、今挙げたものはどれも黒い姿じゃ。何か、似た話を聞いたのかね」
「そうか」
返事はそれだけだった。逃げ方や被害の程度を尋ねる様子もなく、考え込んだまま手袋の指を曲げ伸ばししている。
「由来を調べたいものがあるなら、手伝えるぞ」
「今はいい。あんたも忙しいだろう」
こちらを見た顔には、続きを話す気がなかった。ワシも椅子へ腰を戻し、机の端に寄せた霞龍の記録を揃えた。
「あの子は、本を気に入ったようじゃな」
「寝る前まで開いていた。明日はウロコウモリの耳を見るそうだ」
「寝ているところを起こさんように、言っておいてくれ」
「耳を見るのに、口へ餌を入れるつもりらしい」
それなら顔はこちらへ向くだろう。ワシが頷くと、ニャンターは短く礼を言って戸口へ戻った。足音は迷わず宿舎のほうへ遠ざかっていった。
戸が閉じてから、ワシはあの者が問い返した時の顔を思い出していた。龍の姿を聞くたび、何かと比べているように見えた。今夜の話では、求める答えに届かなかったのだろう。
何を見聞きしたのか。そう尋ねた時には答えず、あの子の話にはいつもの調子で応じた。机へ向き直ったものの、その違いが気にかかり、しばらく次の一枚をめくれずにいた。