ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
十日間の車旅について話せと言われれば、僕はまず、布袋を一枚も使わなかったことを報告したい。
それがどれほどの偶然と努力によって達成されたかは、道中の揺れを言葉で説明できないので省略する。石敷きを離れた箱車は、地面の凸凹を一つも見逃すまいとする熱心さで、その全部を僕の骨へ伝えてきた。初日の夕方には、宿場の地面が上下して見えたほどである。
二日目には揺れにも少し慣れ、三日目には窓外の草食獣を描けるようになった。四日目以降は、家の近くでは見ない植物や、花びらのような羽を持つ小鳥、丸い甲羅を背負った虫まで見つけた。そのたびに、箱車を止めてほしくなった。
もちろん、止めてはもらえなかった。
父は、道を進むための車だと説明し、書士隊の人は、帰路でも見られると慰めてくれた。僕はひとまず、目に入ったものを帳面へ書き留めることにしたが、揺れる車内では、小鳥も虫もすべて波打っていた。
道中の街や宿場には、僕の知らないものがたくさんあった。大きな鳥竜の羽で飾られた門、草食獣の角を加工した食器、頭より大きな果実。市の片隅では、色鮮やかな毛並みの獣人族が店を開いていた。僕は初めて見るその姿を、あまりじろじろ見てはいけないと思いながら、結局二枚も描いた。
反対に、心配していた大型の怪物には一度も出会わなかった。街道の途中で護衛の人たちが空を見上げ、箱車を林の陰に止めたことはある。しかし、遠くに黒い影が一つ横切っただけで、僕には翼があることさえ分からなかった。
書士隊の人は、見えたかと聞いた。
僕が見えなかったと答えると、父は明らかにほっとした顔をし、あの人は少し残念そうな顔をした。二人のうち、今後の旅に同行者を選べるなら、父のほうが安全である。
そうして十日目の昼過ぎ、箱車が緩い丘を越えると、前方に高い塔が見えた。
あれが本部だと教えられた瞬間、僕は長かった車旅の大半を忘れた。実際に忘れられたのは、数秒だけだった。大きな轍に車輪が落ちると、車旅の疲れを再び全身で思い出したが、建物が近づくにつれて、胸の中では疲れより期待のほうが大きくなった。
塔は一本ではなかった。大きな石造りの建物を中心に、形の違う塔と屋根がいくつも連なり、渡り廊下がそれらを繋いでいる。壁の一部は新しい白色だったが、その下からは、長い年月風雨にさらされた灰色の石が覗いていた。
入り口の前には荷車と箱車が並び、紙束、木箱、何かの骨が運び込まれている。箱車より長い肋骨を数人がかりで担いでいるのが見え、僕は思わず窓から身を乗り出した。
「あれは何の骨?」
「海竜種のものだと聞いている。詳しい種類は、まだ調べているところだ」
書士隊の人が答える間にも、骨は別の扉の奥へ消えていく。
「後で見せてもらえる?」
「所管する者の許可が出れば」
「許可は出そう?」
「それは私にも分からない」
何でも知っていそうな組織の人に、分からないと正直に言われると、それ以上聞くのは悪い気がした。
ただ、海竜種という言葉には引っかかるものがあった。
火竜、牙竜種、海竜種。前世で好きだったゲームにも、よく似た呼び方はあった。竜や大きな怪物が実在する世界なら、生態や骨格ごとに分けようとすれば、似た言葉に辿り着くこともあるのかもしれない。
書士隊の人の指が火竜の毒爪で止まったとき、一度だけ、もしかすると、と考えたことはある。
けれど、ゲームは誰かが作った架空の世界だ。僕が病室で見ていたのは画面と本の中で、そこに本物の空や地面があったわけではない。今の僕は、生きた大型の怪物をまだ一頭も見ていなかった。
火を吐く竜がいれば火竜と呼ぶ人はいる。海で暮らす竜を分けるなら海竜種という言葉にもなるだろう。似た名前が三つ並んだくらいで、人生までゲームの続きになったと考えるほうが無理がある。
だから今回も、昔の記憶に引っ張られているだけだと片づけた。片づけられるうちは、そのほうが平和だった。
箱車は門をくぐり、石造りの建物に囲まれた広い中庭で止まった。地面に降りた瞬間、脚の下がまだ揺れているように感じ、僕は父の腕を掴んだ。
「気分が悪いのか」
「地面が動いてる」
「動いていない」
父はそう言ったが、十日も箱車へ揺られた後では、地面より僕の感覚のほうを信用したかった。
中庭で待っていたのは、背の高い女の人だった。書士隊の人と同じ意匠の外套を着ているが、胸元には細い金属の筒や、小さな定規がいくつも下がっている。あの人が帰着を報告すると、女の人は父へ丁寧に頭を下げ、次に僕を見た。
その目は、店の商品を確かめる父の目に少し似ていた。
「長い旅で疲れたでしょう。ご家族用の部屋を用意しています。本日は休んでいただき、聞き取りは明日からと考えていましたが」
そこで女の人は、僕の手元へ目を落とした。
帳面には、先ほど見えた肋骨の曲線が一本だけ残っていた。箱車より長い、と横に書き、そこで炭筆を止めてある。骨の太さから胴体を考えたくはなったが、僕が見たのは骨一本だけだ。知らない生き物を一頭増やさなくても、忘れないための線なら十分だった。
「先ほど運ばれていた骨ですね」
「見えたところだけです。続きを描いてもいいですか」
「詳しい者が立ち会う時にしましょう」
僕は帳面を閉じた。父は何も言わなかったが、僕の肩を一度叩いた。
その日は予定どおり休むことになった。
その代わり、女の人は明日の予定を説明してくれた。朝食後に絵の専門家と会い、まず僕が持ってきた綴じ本を見てもらう。その後、何枚か新しい絵を描き、午後は必要に応じて質問に答える。それ以外の時間は、父と一緒であれば構内を見てもよいという。
ただし、標本保管室、解剖室、古記録庫には許可が必要だと付け加えられた。
僕は、許可をもらうにはどうすればよいのかと聞いた。
すると女の人は、明日の聞き取りが終わった後に考えると答えた。父が感謝を伝えたので、僕も礼を言った。標本室まで見せてもらうには、明日の仕事をきちんと終える必要がありそうだった。
しかし、宿舎へ案内されるまでの道のりは、休むという決定を守るにはあまりに向いていなかった。
最初の廊下には、翼を広げた飛竜の骨格が天井から吊られていた。次の部屋の前には、手のひらより大きな鱗が硝子箱へ収められていた。半開きの扉の向こうでは、三人の書士が大きな皮膜を広げ、穴の位置と翼脈の走り方を記録している。
さらに曲がり角の先には、壁一面が棚になった部屋があり、開いた扉から紙と皮紙の背表紙が見えた。棚は天井まで届き、床に置かれた本だけでも、我が家にあるすべての本より多い。奥では二人の書士が、大きな巻物を左右から広げていた。
僕の足は自然にそちらへ向かい、三歩目で止まった。
「宿舎は反対だ」
父が言った。
「分かってる。場所を覚えただけ」
「帳面を開く必要があるのか」
いつの間にか炭筆まで持っていたので、説得力はなかった。僕は大人しく帳面を閉じる。
「明日、許可をもらったら見てもいい?」
「許可が出たらな」
それなら異論はない。本を見たことと中身を読んだことの間には、飛竜の鱗と飛竜そのものくらい大きな違いがあるが、その違いは明日確かめればよい。
どこを見ても、絵にしたいものがあった。
休むという決定はとても正しいのだろうが、正しいことがいつも楽しいとは限らない。
宿舎の部屋は二つあり、寝台には店の寝台より厚い布団が敷かれていた。食事も温かく、湯浴みの場所もあり、旅の疲れは、寝台へ入った瞬間に自覚できた。
僕は、父が灯りを消すまで、明日は骨格を見せてもらえるだろうか、標本室に入れるだろうかと話し続けた。ここの書庫には何冊くらい本があるのだろうかと聞いた頃から、父の返事はなくなった。
翌朝、僕は朝食のパンを急いで食べた。
急いだせいでむせ、父から、絵は逃げないと言われた。絵は逃げないが、それを見せてもらえる時間には限りがあるので、完全に正しい言葉とはいえない。
迎えに来たのは、昨日の女の人と、中央都市から同行してくれた書士隊の人だった。父も含めた四人で建物の奥へ進み、二度階段を上り、一度渡り廊下を渡ると、大きな木製の扉の前に着いた。
書士隊の人はそこで綴じ本を女の人へ渡し、自分は外で待つと告げた。中にいるのは、父が出発前に説明を受けた三人だけらしい。父が頷いたのを見てから、女の人が扉を開いた。
扉の先には、広い部屋と長い卓があった。
卓の向こう側には二人が座っていた。一人は頭の後ろまで髭を伸ばした男の人、もう一人は、人よりずっと小柄な身体に長い耳を持つ竜人族である。昨日の女の人は僕たちを案内し終えると、空いていた三つ目の椅子へ座った。そこで初めて、定規を扱う指先に黒い絵具が染みついていることに気づいた。
僕が想像していた、少し詳しい先生が三人という構図とは違った。
かなり詳しそうな先生が三人いた。
父の手が、僕の肩に置かれた。怯えているように見えたのかもしれない。実際、少し怯えていた。大人が三人揃って子供を待ち構えているというのは、相手が良い人であっても緊張する。
ただし、卓の上に並べられた画材を見るまでの話だった。
白く厚い紙、太さと硬さの違う炭筆、各種の筆、澄んだ水、それに、ふたを閉じた小さな顔料壺。出発前に試させてもらった紙と炭筆も、曲がらないよう木の板に挟まれて中央へ置かれていた。
組織全体についてはまだ分からないが、少なくとも画材を選んだ人は信用できそうだった。
座るよう促され、父と並んで卓の手前側へ腰を下ろす。最初に話したのは、髭の男の人だった。
長旅へのねぎらいと、協力に対する礼から始まった。父が商談のときと同じ顔で応じる間、僕は壁際の棚に並ぶ絵を見ていた。飛竜の頭骨、鳥竜の脚、牙獣の前肢。どれも僕の絵より正確で、部位ごとの寸法まで書き込まれていた。
続いて、僕の絵をどこで学んだのか、誰かに教わったのかと聞かれた。
予想していた質問だったので、返事は決めてある。特別な先生はいない。姿は昔から頭に浮かび、それを何度も描き直した。それだけを話した。
髭の人は疑う顔をしなかったが、信じた顔もしなかった。
その後は、綴じ本を開きながらの質問になった。火竜の絵には何日かかったのか。幼い頃に描いた丸い竜と、後に描き直した竜は同じ生物なのか。背景に砂地や雪山を描くとき、先に生物の姿を考えるのか、棲み処から考えるのか。
名前や細かな生態を尋ねられているわけではない。僕は質問の範囲から出ないよう気をつけながら、日数は覚えていないこと、同じ怪物を幼い頃から何度も描き直したことを答えた。
棲み処と姿のどちらを先に決めるのかと聞かれたときだけ、少し迷った。結局、雪の中で暮らすなら毛か厚い皮膚が要り、砂へ潜るなら手足に砂が入りにくい形がよいと、当たり前の範囲で説明する。怪物の名前は一つも出していない。
それでも、絵具のついた女の人は記録帳へ何行も書いた。気になったのは知っている怪物の正体ではなく、僕がどこから描き始めるかのほうらしい。名前を黙っていれば十分だと思っていたので、少し予定が違った。
そこで父が、息子は絵の教育を特別に受けたわけではないと説明した。手習いで簡単な絵を習ったことはあるが、骨格や生物の構造を教えた者はいない。店にある絵や本にも、これほど多くの怪物は描かれていないと、ゆっくりと念を押した。
その説明を聞く三人の顔は真面目だった。居心地はよくなかったが、父の手が肩にあるうちは席を立たずにいられた。
黒い絵具を指につけた女の人は、何も見ずに描くことはできるかと聞いた。できると答えると、今度は、絵を描く間に質問してもよいかと聞かれた。
僕は少し考えた。話しながら描くのはやや難しいが、無視してもよいなら問題はない。そう答えると、女の人は初めて少し笑った。
長耳の竜人族は、ここまで一度も口を開かず、僕の顔と指先を交互に見ていた。
嫌な視線ではなかったが、長く生きている人の目というのは、それだけで落ち着かない。僕は画材へ視線を戻した。
髭の人が、では一枚描いてほしいと言った。
「何を描けばいいですか」
「竜を一頭、好きに想像して描いてください」
「実在する竜でなくてもいいんですか」
「むしろ、そのほうがいい。君がどのように姿を考えるのか見せてほしい」
「大きさや、棲んでいる場所も自由ですか」
「自由で構わないよ」
「怖い竜でも?」
「もちろん」
僕は、卓上の紙を見た。
好きに、というのは難しい。
先方から題を出してもらえれば、要求されたものに近い怪物を選べる。火を吐く竜、雪山に棲む獣、砂の中を進む生物といった条件があれば、候補は自然に絞られる。
自由と言われると、つい良いものを描きたくなる。
火竜なら何度も描いたが、店先で見せた絵と同じになる。先ほど綴じ本の中にあった怪物を一通り確かめられた後なので、そこから選ぶのも、新しい絵を描く意味が少ない気がする。
候補はいくらでもあったが、どれも決め手に欠けた。上等な紙を使い、三人の専門家が見ている。しかも、これが終われば標本室へ入れてもらえるかもしれない。丸くて安全そうな竜を描いて手を抜いたと思われるのは困る。
上手く描けるものがよい。見た瞬間に強いと分かり、いかにも龍らしい龍がよい。今の自分が描ける一番かっこいい姿を選ぶべきだった。
そこまで考えたとき、頭の中に一頭の黒い龍が浮かんだ。
僕はその相手と、ゲームの中で戦ったことがない。前世の僕にとって、そこまで進むこと自体が難しかったからである。動画でその姿を見たことはあり、設定資料の絵なら、何度も模写した。
伝説の黒龍、ミラボレアス。
もとは栄えた王国を一夜で滅ぼしたとされる、あまりに有名で、あまりに直球的な最強の怪物である。
よく似た言葉がいくつかあっても、ここがゲームの世界だとは限らない。実在しない竜でよいことも確かめた。ならば、設定資料で覚えた龍を一頭借りても、この世界では僕の想像と変わらないはずである。
質問はしたし、父も隣にいる。何より、向こうが好きな竜を描いてよいと言ったのだから、これで失敗するなら題の出し方にも責任があると思う。
僕は一番硬い炭筆を手に取り、描き始める前に父を見た。少し不安そうではあったものの、父ははっきりと頷いている。本部の人たちも好きに想像してよいと言っているのだから、遠慮する必要はなかった。
僕は紙の上部に小さな印を置き、頭の位置を決めた。そこから長い首を下ろし、広げた二枚の翼と大きな後肢、尾までが紙へ収まる大きさを探る。
何度も模写した姿は、久しぶりに描いても、思っていたよりはっきりと指の中に残っていた。
首から背へ線を伸ばすと、おかしなところがすぐに分かった。尾まで入れるには胴が下すぎる。消し布で軽く拭い、最初よりわずかに上へ直す。今度は、広げた翼の端が紙の外に出そうになったので、片側の翼を少し手前に向けた。
模写とは違い、今は見本がない。それでも、翼を閉じた姿より、身体を持ち上げ、正面の何かを威嚇する姿がふさわしいと思えた。翼膜の張り方や胸部の厚みは後で考えることにして、まず全体の重心を決める。
今日は上手く描けそうだった。
その予感が嬉しくて、いつの間にか炭筆の先と、次に線を置く場所しか見えなくなっていた。
* * *
少年が最初の線を引くまで、私はこの試し方が最も安全だと考えていた。
既知の生物を描かせれば、こちらは記録との一致ばかりを探してしまう。少年がどこで知ったのかを問ううち、聞き取りは容易に詰問へ変わる。その点、実在しない竜なら正解はない。絵の技術と、身体をどう組み立てるかだけを見れば済むはずだった。
少年は、どこまで自由に描いてよいのかを三度確かめてから炭筆を取った。私たちは三度とも、構わないと答えた。
私は図画記録を担当している。各地から届く標本を図に起こし、観察記録へ添えるのが主な仕事で、生きた大型種を現地で描く機会もあるが、多くの日は骨や鱗、保存された内臓と向き合っている。
対象を立体として捉え、記録に必要な特徴を紙へ残す。子供の絵と専門の記録画を見分けることなど、難しくないと思っていた。
中央都市から火竜の絵と報告が届いたのは、二週間ほど前である。脚部の毒性器官は一般に出回る図へ描かれず、少年の絵には比例の誤りもあった。それでも、偶然として片づけるには要所が合いすぎていた。
私は報告を読んだ後も半信半疑だった。子供の絵には、ときに大人が予期しない正確さが現れる。食卓へ出た骨付き肉や、旅人の荷に混じった鱗を覚えていたのかもしれない。火竜は、そうした幸運な一枚ではないかと考えていた。
目の前の少年は、確かに何度か線を直した。胴の位置を上げ、翼の向きを変え、尾の収まる余白を測り直している。
しかし、その迷いは龍の姿を探すものではなかった。よく知る形を一枚の紙へどう収めるか、そのための修正だった。
頭部の位置を決めた後、首から背へ流れを通し、肩と骨盤へ短い印を置く。輪郭だけを先に追う子供の手順ではない。見えない骨を組んでから、その上へ身体を載せている。
私は隣の分類書士を見た。
分類書士も、同じことに気づいていた。彼は少年の手元を見たまま、卓の下でゆっくりと記録帳を開いた。
線は、細長い首から胸へ下り、大きな胴体を作った。四肢を持ち、それとは別に翼がある。翼が前肢を兼ねる飛竜種の骨格ではない。いくつかの古龍種に見られる、四脚と一対の翼を備えた龍の形である。
古龍種を想定した龍としては、それだけなら不自然ではなかった。
古い物語や壁画にも、四本の脚と翼を持つ龍は繰り返し現れる。十一歳の少年が強い龍を考え、古龍種に共通する身体と物語の中の形を組み合わせたのだとすれば、まだ偶然と考えられた。
ただし、その胴体の比率も、肩から翼への繋がり方も、私が日頃扱うどの古龍種の記録とも一致しなかった。
問題は、頭部だった。
少年は、頭部の後方へ曲がる角を四本描いた。大きさの異なる二対の角は、頭骨の上へ飾りとして載っているのではなく、頭蓋から連続する構造として組み込まれていた。
長耳の竜人族が、初めて身じろぎした。衣擦れの音に、私は横目で彼を見た。
少年は何も気づかず、角の下へ突起を加え、長い口元を引いた。それから、首の前面に重なる鱗の列を置いていく。
筆運びは速くないが、止まりもしなかった。角を頭へ飾るのではなく、頭蓋から続く形にする。首の鱗は大きさを変えながら重ね、曲げても互いにぶつからない隙間を残す。一本ごとの意味を分かって引いている線だった。
架空の龍であるなら、これほど細部の機能を揃える必要はない。見栄えのよい角と大きな翼を組み合わせるだけで、物語の龍としては十分である。
だが、この龍は物語の中でだけ動くようには描かれていなかった。
紙の外に立ち上がれば、自らの重さを支え、首を持ち上げ、翼を開き、その口で何かを焼く。そう確信させる線だった。
少年の父親は、息子の絵より私たちの顔を見ていた。こちらの変化を見落とすまいとしている。私は表情を整えたが、長耳の竜人族が動いたことまでは隠せなかった。
私は、この形をどこかで見たことがあると思った。実物でも、標本でも、正式な記録画でもない。もっと古い、絵と呼ぶにも輪郭の崩れた何かである。
まだ見習いだった頃、本部の奥にある古記録の整理を手伝ったことがあった。板に描かれた図は火で半分を失い、残った部分には黒い翼と角のある頭がかすかに見えた。整理を終えた記録は私の手が届かない場所へ移されたため、添えられていた文字はほとんど思い出せない。ただ、黒い翼の下に焼けた城壁らしき線があったことだけは覚えていた。
少年の絵には、まだ城壁がない。それでも私の背中には冷たい汗が流れた。
「その竜は、どこに棲んでいるのかな」
分類書士が尋ねた。声は平静だったが、筆は止まっていた。
少年は炭筆を動かしたまま、少し考えた。
「古い城の跡とか」
父親の視線が、少年から私たちへ移った。
「どのような城だろう」
「大きな城門があって、その向こうに古い塔が残っているような」
その答えを聞いた瞬間、長耳の竜人族が立ち上がった。
椅子が石床を擦る音がした。
「筆を止めよ」
それは、この部屋へ入ってから、竜人族が初めて発した言葉だった。
少年の手が止まった。
「まだ、下書きですけど」
「構わぬ。そのまま、何も加えてはならん」
竜人族の声は大きくなかったが、反論を許さない響きがあった。
少年は困ったように私を見た。
私は何も答えられなかった。
絵はまだ下描きで、鱗が並ぶのは首の一部だけだった。翼膜も片側の輪郭を引きかけたところで、眼は描き込まれていない。それでも、長い首と後ろへ曲がる角、二枚の翼が作る黒い影の形は、記憶の奥にある焼けた板の図と、あまりによく似ていた。
長耳の竜人族は、卓の端へ両手を置き、少年に尋ねた。
「その竜に、名はあるかの」
少年は父親を一度だけ見た。父親は代わりに答えず、肩へ置いた手も動かさなかった。
少年は、いつの間にか強く握っていた炭筆を卓へ置いた。
「いえ」
少年は答えた。
「今、想像しただけです」
部屋の中で、誰も言葉を発さなかった。
名があるのかは分からない。しかし「今、想像した」という答えだけは違う。少年の手は、初めて考えた形を探してはいなかった。
長耳の竜人族は未完成の龍から目を離さず、少年の父親へ尋ねた。
「外の担当を一人、加えてもよいかの。この子をここまで案内した書士じゃ」
「同席するだけなら」
父親の返事を受け、長耳の竜人族は私へ告げた。
「では、あの者を入れて扉を閉じよ。この絵と、この場で聞いたことは、当分、外へ出してはならん」
私は立ち上がり、外で待っていた書士を室内へ招き入れてから扉を閉め、閂を下ろした。
そこで父親が口を開いた。
「息子に絵を描かせるだけと、伺っていました」
声は静かだった。そのぶん、言葉を聞き違えたふりもできなかった。
長耳の竜人族は、その視線を正面から受け止めた。
「その約束は守る。この子を、ここからどこかへ連れていくことも、望まぬことを強いることもしない」
それから、再び絵を見た。
「だが、この一枚を調べるだけで済むかどうかは、もはやワシにも約束できぬ」
扉が閉じた後、卓から落ちた炭の粉まで妙にはっきり見えた。
二週間前、私は少年の火竜を幸運な一枚かもしれないと考えた。
その言葉で、目の前の龍まで片づけることはできなかった。