ハンターにはなりません。理由は怖いから 作:ゴミミゴミ
好きに想像して描いてくださいと言われたので、好きに想像して描いたところ、扉を閉められた。
この出来事について、僕にも言いたいことはある。描き始める前には題を聞いたし、実在しない竜でもよいのか、大きさや棲み処も自由なのか、怖い姿でも構わないのかと順番に確かめた。火を吐く竜は禁止、古い城に棲む龍は禁止、黒い龍は縁起が悪いので禁止、といった注意は一つも受けていない。
それなのに、僕が少し本気を出した途端、部屋の空気は冬の朝より冷たくなった。
長耳の竜人族は未完成の絵を見つめ、髭の人は僕を見つめ、指に絵具のついた女の人は炭筆の先を見ている。先ほど部屋へ呼び入れられた書士隊の人は、閉ざされた扉と僕の絵を見比べた末、何かを諦めたように目を閉じた。
父は僕の肩へ置いた手に、先ほどより少し力を込めていた。
「もう描いてはいけませんか」
誰も答えなかったので、僕は紙の右側を指した。
「翼が途中なんですけど」
「それ以上は描かずともよい」
長耳の竜人族の声は大きくなかったが、もう一度炭筆を持てる雰囲気ではない。僕は手を膝へ戻し、描きかけの龍を眺めた。
確かに、少し怖く描きすぎたかもしれない。大きく開いた翼と低く突き出した頭は、正面にいる何かを威嚇する構図になっている。完成後には口元へ炎の光を入れるつもりだったので、今よりさらに怖くなったはずだ。子供の想像力を見る試験なら、花畑で眠る丸い竜でも描いておけば無難だったのだろう。
もっとも、それでは標本室の許可をもらえそうにないと思ったのだから仕方がない。
「この龍を、以前どこかで見たことはないのだな」
長耳の竜人族が尋ねた。
「ありません」
僕が見たのは画面と設定資料の中だけで、この世界へ生まれてからは一度もない。少なくとも、目の前に立たれた経験はなかった。そんな経験があれば、今ここで絵を描いている可能性もかなり低い。
「誰かから、その姿を聞いたことは」
「ありません」
これも、今の人生ではという言葉をつければ嘘ではない。ただ、答えるたびに相手の顔が険しくなるので、正直に話しているはずの僕まで悪い秘密を抱えているような気分になってきた。
「では、なぜ古い城の跡に棲むと思った」
「そのほうが強そうだからです」
「大きな城門と、その向こうに残る塔は」
「龍が暴れて壊した感じにしたくて」
「その龍は、城を襲ったのか」
「たぶん」
「何のために」
僕は返事に詰まった。
あの龍が王国を滅ぼした理由について、前世で読んだ本にも明確な答えはなかった。人間を憎んでいるという話や、倒した者の武具を熱で溶かして身体へ貼りつけるという話は覚えているが、今ここで口にしてよい内容ではない。それ以前に、頼まれて描いた空想の龍へ、なぜ城を襲う事情まで用意しなければならないのだろう。
「分かりません。とても怒っていたのかもしれません」
「人に対してか」
「龍に聞かないと、僕にも分かりません」
少し生意気だったかもしれない。しかし長耳の竜人族は腹を立てず、僕の顔から答えを探すように目を細めただけだった。
髭の人が質問を代わってもよいかと断り、紙の上へ視線を落とした。
「この龍は、火を吐くのかな」
「吐きます」
「どの程度の火だろう」
「石の城壁を焼けるくらいです。広い範囲へ一度に吐けます」
髭の人の筆が止まった。僕は今の答えに余計な名前が混じっていないことを頭の中で確かめたが、相手が驚いた理由までは分からない。
「その火を使うなら、身体のどこに仕組みがあると思う?」
すぐには答えず、父を見た。父は髭の人へ向き直る。
「絵の構造を確かめるために必要な質問ですか」
「そうです。知っている生物の名を聞き出す意図はありません」
父が頷いたので、僕は紙へ触れないよう両手を膝に置いたまま答えた。
「この大きさなら、口先で小さく火を作るより、身体の奥で作ったものを一気に吐くほうが似合うと思います。胸と腹に余裕が要るし、自分の喉を焼かない作りも必要です。ただ、これは絵を描く時に考えたことです。本当にそうだと知っているわけではありません」
指に絵具のついた女の人が記録帳へ何かを書き、髭の人も止めていた筆を動かした。今度は父に止められていない。尋ねられた理由を確かめ、答えの範囲も先に示したのだから、たぶん余計なことはしていない。
その後も、大きさ、鱗の硬さ、飛び方、脚の使い方、眠る場所について聞かれた。大きさは城門を越えるほどで、鱗は武器を通しにくい。飛べるが、地上では四本の脚も使う。寝床は城の奥かもしれず、活動するのは夜に限らないと思う。
答える前には、分かることと、その場で考えたことをできるだけ分けた。もっとも、僕にとってはすべて前世の本や映像にあった知識であり、相手にとっては一枚の空想画についての説明である。どこからが知識で、どこからが想像なのかを正しく分けられている自信はなかった。
長耳の竜人族はしばらく黙り、やがて僕ではなく父へ向き直った。
「質問はここまでとしたい。この子には休んでもらう。ただし、願わくば、数日の滞在を許していただきたい」
「理由を伺っても」
「この絵が、古い記録に残る意匠と似ておる。確かめるには時間が要る」
「息子が何かをしたと」
「何もしておらぬ。描くよう頼んだのは我々であり、何が描かれようと責める理由にはならん」
父はすぐに返事をしなかった。商談で値を決める時にも、父は黙ることがある。相手が沈黙に耐えられず話し始めれば、その分だけ判断の材料が増えるからだと教わった。今回も同じなのかは分からないが、長耳の竜人族は急かさずに待っていた。
「先ほどのお約束どおり、息子は私と同じ部屋で過ごします。聞き取りには私も同席する。それでよろしいなら、数日は構いません」
「無論じゃ」
「絵は返していただけますか」
父が尋ねると、部屋の空気がまた少し固くなった。
僕は、まだ完成していないのだから、返してもらっても困ると思った。顔の右側はほとんど線がなく、翼膜も片側の輪郭を引きかけたままだ。あの状態を誰かに見られたら、描きかけだと説明しなければならない。完成品と間違われるのは困るが、今の様子では完成させる許可も出そうになかった。
「調査の間だけ預からせてほしい。写しを作ることも許可いただきたい」
「写しを何に使うのです」
「本部内の記録と照合する。それ以外には用いぬ。外部へ出すこともない」
「原本を損なわないと約束を」
「ワシの名と職にかけて」
僕は相手の名も詳しい職も知らないので、その誓いがどれほど重いのか判断できなかった。ただ、父はようやく頷いた。
それから父は、僕が持ってきた綴じ本も返すよう求めた。旅に同行した書士隊の人がすぐに差し出し、僕は胸へ抱える。調べられるのが嫌なのではない。自分の描いたものが一つも手元にない状態が、どうにも落ち着かなかった。
「では、部屋へ戻ろう」
父に促され、僕は椅子を降りた。扉へ向かう途中で卓上の紙を振り返ると、未完成の黒い龍が五人の大人に囲まれている。描いた本人だけが外へ出されるというのは、少し納得がいかない。
「後で完成させてもいいですか」
「必要があれば、こちらから頼もう」
長耳の竜人族はそう答えたが、その顔は、できれば必要になってほしくないと言っていた。
廊下へ出ると、旅に同行した書士隊の人もついてきた。昨日までと同じ落ち着いた歩き方ではあるものの、何度か僕を見ては口を開きかけ、そのたびにやめている。
「僕の絵、そんなにまずかったですか」
「出来の話ではない。古い記録に残された龍と似ていたことが問題なのだ」
「昔の人も、似た龍を考えたんですよね」
四本の脚と翼を持つ大きな龍は、前世の物語にもよく出てきた。ここには竜らしい生物が本当にいるのだから、別々の時代の人が似た姿を思いついても不思議ではない。
書士隊の人はすぐに否定せず、しばらく考えてから答えた。
「物語を記したものなら、その説明で済む。我々は、それを確かめようとしている」
その返事は、古い記録が本物の生物を扱っている可能性もあるという意味だった。気味のよい話ではない。しかし、遠い空の黒い点と運び込まれた肋骨、それに古い絵一枚で、前世のゲームが現実になったと決めるほうが無理は大きい。
「では、調べ終わるまでは分からないんですね」
「そういうことだ」
分からないと言われると、少し安心した。大人たちにも答えがないなら、今すぐ僕だけが何かを決める必要はない。
宿舎へ戻る途中、昨日見た書庫の前を通った。扉は開いており、奥では書士たちが梯子を使って本を出し入れしている。僕の足は一度だけ遅くなったが、今日は帳面を取り出さなかった。
「部屋へ戻るぞ」
「分かってる」
父に背を押される前に歩き出すと、後ろで書士隊の人が小さく息を吐いた。褒められたわけではないが、昨日より一歩だけ早く止まれたらしい。
部屋へ戻ると、父は窓と扉を確かめ、僕を椅子へ座らせた。怒られるのかと思ったが、父は向かいへ腰を下ろし、綴じ本を卓の上へ置いた。
「あの龍には、名があるのか」
僕の指が表紙の角で止まった。部屋には父しかいない。それでも口に出した名前がどこへ届くのか、今は分からなかった。
「言いたくない」
父は理由を問い詰めず、ひとつ頷いた。
「なら、今は言わなくていい。あの場で名を口にしなかったのは正しい判断だ」
「分かったの?」
「お前は嘘をつく前に、必ず一度こちらを見る」
初めて聞いた。今後のために直したほうがよい癖だが、直し方は教えてもらえなかった。
「ただし、名を隠せば済むと思ってはいけない。お前の絵は、言葉より多くのことを相手へ伝えるらしい」
卓上の綴じ本へ目を落とした。僕は名前を言わず、生態も自分から話さないよう気をつけていた。それでも、角の向きや翼の付け根、城の形まで紙へ載せれば、見る人には十分だったのだろう。
「これから、頭の中にいるものを描く時は、先に私か担当の方へ相談しなさい。すでに知られている生物や、目の前にある標本を描く場合でも同じだ」
「分かった」
父は僕の返事をしばらく待ったが、言い直せとは言わなかった。たぶん、今度は本当に分かっているかを見ていたのだと思う。
黒い龍を途中で止められたことは残念だったが、滞在が延びれば書庫や標本を見る機会は増える。危険な場所へ連れていかれる話でもなく、今のところ僕が怒られる理由もない。
「せっかく何日かいるなら、昨日の骨も見せてもらえるかな」
「今その話をするのか」
「目の前にある標本なら、描いてもいいんだよね」
父は長く息を吐いた後、本部の者へ尋ねるだけならよいと言った。
黒い龍を一頭預け、代わりに海竜種の骨を見る。商家の息子として釣り合いの取れた取引かは分からないが、少なくとも僕の小遣いは減っていなかった。
その時の僕は、今日の試験に妙な形で合格したのだと思っていた。
* * *
分類の仕事では、似ているという言葉を慎重に扱う。
翼があるから飛竜種、牙が目立つから牙獣種と決めてしまえば、見落とした違いがいずれ誰かを殺す。似た姿の二種が同じ毒を持つとは限らず、似た足跡を残すからといって同じ環境に棲むとも限らない。私は長年、似て見えるものの間から違いを拾い上げ、その違いに名を与えてきた。
それでも、少年の描いた龍を古い記録と無関係だとは言えなかった。
少年と父親が宿舎へ戻り、旅に同行した書士も二人を送って部屋を出た後、私は髭を撫でながら卓上の絵を見下ろした。図画書士は窓を閉め、風で炭が散らないよう周囲の紙を片づけている。未完成の龍は片目の輪郭さえ欠け、翼膜も一部の輪郭しかない。その線の足りなさがかえって見る者へ続きを想像させた。
「あの親子を、このまま客人として扱うのですか」
私が尋ねると、古記録を預かる長耳の書士官は、絵から目を離さないまま答えた。
「罪人として扱う理由があるか」
「ありません。ただ、帰した後で記録の龍が実在すると判明すれば、我々は手掛かりを失います」
少年一人の都合と、脅威に晒されるかもしれない大勢の命を秤へ載せれば、私は後者を選ぶ。本人が望むまで何も尋ねないという姿勢だけで、分類も危険度の判定もできはしない。
だが、閉じ込めて得た答えが正しい保証もなかった。怯えた子供は大人が望む話を作り、父親は二度と書士隊を信用しなくなる。それでは手掛かりを守るどころか、自分たちで壊すだけである。
「今すぐ帰すとは申しておらぬ。父親は数日の滞在を認めた。その間に確かめる」
「客人のままでは、閲覧させられる資料にも限りがあります」
「必要な範囲で図画の協力者として扱え。あの子は本部の所有物ではない」
書士官の言葉には反論できなかった。私は少年を保護すべき対象ではなく、先に情報源として数えかけていたらしい。
図画書士が、聞き取りの際に作った一覧を卓へ広げた。火竜に似たもの、雪山に棲む獣、砂中を泳ぐ竜、巨大な牙を持つ飛竜。いくつかは既知種と重なり、いくつかは遠方から届いた不完全な報告へ、骨と肉を与えたように見える。
これまでは一枚ずつ、偶然や鋭い観察力で説明する余地があった。火竜の脚に毒性器官を描いたのも、どこかで素材を見たのかもしれない。生態に適した骨格を考えることも、絵に秀でた子供なら不可能とまでは言えない。
しかし卓上の龍は、少年が生まれるよりはるか以前から封じられていた記録と結びついていた。
「記録庫を開けますか」
「開ける。閲覧者はこの場の三人と、管理者二人までじゃ。運び出す記録は目録へ正式名を残すな。仮札だけを置け」
一般の書庫は、記録を集めて読ませるためにある。対して本部の地下にある記録庫は、残さなければならないが、確かさを欠くまま広めるべきではないと判断されたものを収めていた。絶滅したとされる種、所在が知られれば乱獲を招く生物、古龍の出現によって放棄された集落、記録とも伝承とも定められない災害が、三重の錠の向こうに眠っている。
隠すこと自体が目的ではない。誤った生息域を信じた調査隊は帰らず、根拠のない討伐譚を信じた狩人も帰らない。脅威を小さく伝えることと、必要以上に大きく伝えることは、どちらも人を危険へ向かわせる。
管理者が棚の奥から取り出した細長い木箱には、焼けた板片と崩れかけた皮紙、それらを過去の書士が写した薄い紙が収められていた。
シュレイド。
今では国よりも、城跡と周辺地域を示す呼び名として記されることが多い。かつて広い領域を持った王国は、ある時を境に途絶えた。後世の記録には戦争、反乱、疫病、大型種の襲撃と異なる理由が並び、どれを事実とすべきかさえ決着していない。
ただし、焼け残った板や周辺に伝わる壁画には、同じ形が繰り返し現れる。
黒い翼、長い首、後方へ曲がる四本の角。
城壁の上に描かれたそれを、本部は長い間、災厄を龍の姿で表した印だと解釈してきた。実在の生物を記録した絵にしては輪郭が崩れ、物語の挿絵にしては残された断片が少なすぎたからである。
管理者が最も状態のよい写しを卓へ広げ、図画書士が少年の絵から取った写しを隣へ置いた。完全な一致ではない。古い図は片翼と頭部の半分を失い、描いた者の技量も高くはなかった。
それでも、角の曲がる向き、首から肩へ落ちる線、翼の付け根の位置は近い。少年が口にした古城の門と、その向こうに残る塔も、別の皮紙に記された王城の被害と重なった。
「似てはいる」
私はあえて、それだけを口にした。
「同一の龍だと断ずるには足りません。古い図を見た誰かが、別の土地で少年へ話した可能性もあります」
「中央都市からの報告では、家族にシュレイドへ赴いた者はおらぬ。家に古記録があった形跡もないそうじゃ」
「形跡がないことと、存在しなかったことは別です。商家なら、出所の分からない本や旅人との接点もあるでしょう」
否定するためではない。黒い龍を本物とするなら、それ以外の可能性を先に潰さなければならなかった。
図画書士が、少年は龍の名を知っていると思うと告げた。名を尋ねられた瞬間、少年は父親を見てから答えを選んだ。初めて考えた姿ではないことも、線の運びを見れば明らかだったという。
十一歳の子供が、大人に囲まれて絵一枚で扉を閉ざされたのである。名を隠したこと自体は不審ではない。むしろ、あの状況で何も考えず答えるほうが危うかった。
「夢見ではないのか」
管理者の一人が口を挟んだ。
古龍の活動が人の心身へ影響し、遠く離れた者が自分のものではない声や情景を口にしたとされる例はある。竜人族の記録に多く、人間に起きたという報告も皆無ではない。ただし、ほとんどは原因となる古龍の出現と時期が重なり、当人にも発熱や意識の混濁が見られた。
「疑いを事実として扱うな」
書士官が遮った。
「我々が確認したのは、少年が古い記録に近い龍を描いたことだけじゃ。予兆とも託宣とも、ましてや龍の意思とも決まってはおらぬ」
もっともな判断だった。にもかかわらず、書士官は焼けた板片と少年の絵を長い間見比べていた。やがて、本人も口にしたと気づいていないような声が漏れた。
「龍の御子が、現れたか……」
分類上、何の意味も持たない呼び名である。私は聞かなかったことにしようとしたが、部屋にいた者は誰も聞き逃していなかった。
書士官自身もすぐに顔を上げた。
「今の言葉は忘れよ。呼び名を先に作れば、後から集まる事実まで、その形へ押し込めることになる」
それは分類でも同じだった。名を与えるのが早すぎれば、似ていないものまで同じ種として扱われる。だが、一度耳に入った言葉を、聞く前の状態へ戻すことはできない。
「各地の報告を洗い直せ。城塞跡、山間の大火、行方不明となった調査隊、黒い大型種を見たという噂も、迷信の一語で捨てるな。ただし、少年の存在と龍の姿は伏せよ。情報を集めるために、新しい噂を作ってはならん」
「少年には、どこまで知らせますか」
「古い記録と似ていることまでじゃ。父親にも同じように伝える」
「協力を求める以上、隠し続けることはできません」
「分かっておる。先に我々が、何を知らないのかを確かめる」
書士官は焼けた板片を箱へ戻し、少年を図画の協力者として遇するよう命じた。本部の客人であり、罪人でも所有物でもない。ただし閲覧させる資料は選び、標本室へ入る際には父親か担当書士を伴わせる。
少年が求めていた標本室の許可は、機嫌を取るためだけの褒美ではない。既知の標本を前に何を観察し、どこまで描くのかを確かめる機会にもなる。保護と調査の境目は、言葉で分けるほど明瞭ではなかった。
私たちは夜まで記録を調べ、少年の絵から写しを二枚作った。一枚は記録庫へ収め、もう一枚は照合用として封を施す。原本へ定着液を用いる案も出たが、炭の色が変わる恐れがあるため見送られた。
作業を終えて地上へ戻ると、窓の外は暗くなっていた。運び出した記録を戻す者、仮札を処理する者、封を確認する者には、それぞれ必要な範囲だけ事情を伝えた。龍の姿も少年の名も伏せたが、古い災害記録と子供の絵を照合したという事実まで消すことはできなかった。
翌朝、私は少年と父親を標本室へ案内する役を命じられた。
宿舎へ向かう途中、若い書士が二人、客室のある棟を見ながら話しているのが聞こえた。一人が私に気づいて口を閉じたものの、もう一人の声は間に合わなかった。
「龍の御子というのは、あの棟にいる子ですか」
私は答えず、二人を持ち場へ戻した。
記録庫にいた者の誰が、どこで口を滑らせたのかは分からない。ただ、どの報告書にも記さなかった言葉を、そこにいなかった者がもう知っていた。
宿舎を訪ねると、少年は帳面と炭筆を持って扉の前に立っていた。自分の知らないところで何が始まったのかなど想像もせず、私の顔を見るなり尋ねてくる。
「海竜種の骨を見せてもらえるんですよね」
「許可は出ました。ただし、標本には触れず、私の指示に従うこと」
「守ります」
返事は早かったが、昨日とは違い、少年は勝手に帳面を開かなかった。父親もそれを見てから、わずかに肩の力を抜いた。
少年にとっては、黒い龍を一頭描いた結果、見たかった骨を見せてもらえることになっただけなのだろう。
その少年より先に、龍の御子という呼び名が本部を歩き始めていた。