部屋の明かりは、すべて落とされていた。
窓の隙間から差し込む青白い月明かりだけが、ベッドに横たわる二人のシルエットを淡く輪郭づけている。
アイは、自分の全身を包み込むような大きく温かい腕の中で、ほうっと熱い息を吐き出した。
肌と肌が直接触れ合うことで伝わってくる、圧倒的な体温。ハリウッドの過酷なアクション現場で鍛え上げられたマヤの肉体は、岩のように硬く、けれどアイに触れる指先だけは、ひどく慎重で優しかった。
マヤの少し荒れた大きな手が、アイの華奢な背中をゆっくりと撫で下ろす。その度に、背筋を甘い電流のような痺れが駆け抜け、シーツを握りしめるアイの指先にきゅっと力が入った。
「……マヤ」
「ん?」
「マヤがアメリカに行ってた数日間、すっごく寒かったんだよ」
アイは、マヤの広い胸にすり寄るように顔を埋め、その独特の、少しだけ潮風と異国の香水が混ざったような匂いを深く吸い込んだ。
「ずっと一人で平気だったはずなのに。マヤがいなくなったら、急に世界が広くて冷たくなったみたいで……寂しかった」
「そっか。悪かったな、置いてって」
マヤはアイの艶やかな髪に顔を埋め、チュッと音を立てて額にキスを落とした。
その無防備で真っ直ぐな愛情表現に、アイの胸の奥がきゅうっと締め付けられる。
「……それに、カミキ君の嘘くさい顔見るのも、なんかもう凄くうざったかった」
アイの口から、ポツリと毒のある言葉が漏れた。
マヤは少しだけ驚いたように「カミキが?」と聞き返したが、アイはマヤの胸元を指先でなぞりながら、ふふっと冷たく笑った。
「あの人、いつも私の嘘を見透かそうとして、ネチネチまとわりついてきてたから。……たぶんあいつ、このままいったら私のストーカーになるよ。執着の仕方が、ちょっと気持ち悪かったし」
「マジか。じゃあ、次に俺の視界に入ったら、物理で二度と近づけないようにしておくわ」
「ふふっ、頼もしいね」
物騒なことをサラリと言うマヤの腕の力強さに、アイは心の底からの安心感を覚えた。
カミキヒカル。かつては彼と同じように、嘘の仮面を被ってヒリヒリとした共犯関係を楽しんでいた時期もあった。
けれど、今のアイにとって、あの薄暗い箱庭の記憶はもう過去のものだ。
「……私もさ、昔は嘘ばっかりだった。嘘で武装しないと、怖くて生きていけなかったの」
アイは顔を上げ、暗闇の中で光るマヤの赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「でも、今は違う。マヤがいるから。マヤがくれる熱だけは、絶対に嘘じゃないって分かるから……」
「アイ……」
「ねえ。私を、本当の私にして。……マヤの全部、ちょうだい」
アイが背伸びをしてマヤの唇を塞ぐと、二人の間の僅かな隙間も、完全に溶けて無くなった。
深く、甘い口付け。舌先が絡み合い、互いの呼吸が甘い吐息となって部屋の空気を満たしていく。
マヤの大きな手がアイの細い腰を抱き寄せ、その重みがゆっくりとアイをシーツの海へと沈み込ませた。
押し寄せる圧倒的な男性の熱量と、肌を擦れ合わせる衣擦れの音。
アイは目を閉じ、ただマヤの匂いと、彼の規則正しい心音、そして自分を慈しむように触れてくる手のひらの感触だけに五感を委ねた。
痛みも、恐怖もなかった。
ただ、自分という存在の境界線が蕩けて、目の前の愛しい男と完全に混ざり合っていくような、途方もない幸福感だけがそこにあった。
「愛してるよ、アイ」
「……うんっ、私も……愛してる……っ」
夜の静寂の中、甘く掠れた声と、重なり合う呼吸の音だけが、いつまでも絶え間なく響き続けていた。
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翌朝。
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日に、アイはゆっくりと目を覚ました。
隣には、自分を抱きしめたまま気持ちよさそうに眠るマヤの寝顔がある。
アイはふと、自分たちが昨夜絡み合っていたベッドのシーツに目を落とした。
純白のシーツの真ん中に、ぽつりと。
彼女が誰のものでもなかった少女から、彼だけの女へと生まれ変わったことを証明する、小さな赤い花が咲いていた。
それを見たアイの唇に、自然と、満ち足りた微笑みが浮かぶ。
嘘ではない。計算でもない。
アイは、愛する人の寝顔にそっと頬を寄せ、その温かい腕の中に、もう一度深くもぐり込んだ。