『超人気スター・マヤ、B小町ライブに突如参上!』
『会場騒然! 忍者アクションの世界的スターが、なぜ!?』
翌朝のリビング。
壁掛けの百インチを超える巨大な特注有機ELモニターから、興奮冷めやらぬワイドショーの司会者の声が響き渡っていた。
『いやー、驚きましたね! 昨夜行われたアイドルグループ・B小町のライブに、なんとあの世界的アクションスター・神鬼マヤが突如姿を現したんです!』
『映像ありますか? ……うわっ、本当に天井から降ってきてる! ワイヤーも見えませんよ!?』
『マヤは舞台上空から華麗に着地すると、満面の笑みで「お祝いに来た」とだけコメントし、そのままセンターの星野アイに深紅の花束を手渡し、わずかな時間で退場したということです!』
画面には、昨夜のライブの映像と、スポーツ紙の巨大な見出しが次々と映し出されていく。
コメンテーターの映画評論家が、腕を組みながらしたり顔で語り始めた。
『なぜマヤがB小町のライブに現れたのか。所属事務所に問い合わせたところ、「仕事の合間に寄っただけ」とのことでした。なお、マヤはその後すぐ、海外での撮影へ向かったそうです』
『ええっ!? じゃあ本当に、ただ花を渡しに来ただけ!?』
『ええ。相変わらず、意味もなく現れ、意味もなく去っていく男ですね。しかし……それこそがマヤなんです。空気を読まない。予定調和を嫌う。そして、本人だけはいたって真面目』
『ネット上のファンからも、「さすがマヤ」「マヤだから仕方ない」「またやったか」と、いつもの反応が寄せられていますね。もはや彼のゲリラパフォーマンスは、世界的なエンターテインメントの一環と言えるでしょう!』
テレビの中の世界は、世界的スターの「意味不明なゲリラファンサ」に対して、半ば呆れながらも完全なお祭り騒ぎとなっていた。
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*
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――同じ頃。
都内の薄暗いワンルームマンションで、紙面を持つ手が、カタカタと小刻みに震えていた。
「…………」
カミキヒカルは、床に座り込んだまま、目の前のスポーツ紙を死んだような目で見つめていた。
記事のカラー写真。
そこに写っているのは、スポットライトを浴びて輝くアイ。
そして――彼女に、巨大な深紅のバラの花束を渡している、赤い髪の男の背中。
「…………なんで」
ぐしゃ、と。
カミキの細い指が、新聞の端を握り潰した。
「……なんで、あいつが」
再び紙面の活字に目を落とす。
『お祝いに来た』
たったそれだけ。それだけなのに。
カミキには――その一言が、どうしても許せなかった。
自分は、リョウスケの心を巧妙に操り、なけなしの金をはたいて保釈させ、宮崎の医者を襲撃させるという『完璧な悲劇のシナリオ』を命がけで進行させているというのに。
「…………」
ぐしゃっ、ぐしゃっ……!
新聞をさらに強く握り締める。
そして。
ビリッ。
甲高い音を立てて、記事が真っ二つに破かれた。
「……意味もなく来た?」
破れた紙面の隙間から、マヤの無邪気で圧倒的な笑顔が覗いている。
その曇りのない太陽のような笑顔が、暗闇を這いずるカミキの自尊心を、容赦なく土足で踏みにじっていく。
「……意味もなく?」
低い、地の底から這い出るような声。
「……ふざけるな」
記事を書いた記者には、何の悪意もない。
むしろマヤの行動を好意的に褒め称えている。
『さすがマヤ』『いつものこと』『空気を読まないスーパースター』。
世間にとっては、それで終わる話だった。平和な世界が消費する、ちょっとしたサプライズのエンタメニュース。
だが。
カミキにとっては違った。
アイの隣にいる。花束を渡す。そして――自分の仕掛けた悲劇など全く意に介さず、何事もなかったように去っていく。
自分が世界の黒幕だと信じていたカミキの盤面を、マヤは「ただ妻の顔を見に来ただけ」という物理的な豪腕一つで、木端微塵に粉砕していた。
「…………」
破れた紙面を見つめる。
自分の仕掛けた悪意が、誰にも届かない。相手に認識すらされていない。
圧倒的な蚊帳の外。
「……あいつは」
カミキは、薄暗い部屋の片隅で、ただ一人惨めに呟いた。
「何なんだよ……」
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*
```
「はい、各メディアには『マヤ氏の個人的なサプライズであり、アイ本人も驚いている』と統一して回答しておいて! ええ、ええ。今後のB小町のスケジュールは……」
東京都内、マヤ御殿のリビング。
朝から鳴り止まないスマートフォンを耳に押し当てながら、ミヤコは絨毯の上を行ったり来たりしていた。
言葉尻こそ疲労しているように聞こえるが、その顔は完全に「億単位の無料広告効果」を叩き出した凄腕プロデューサーの笑みである。
そんなミヤコをよそに、広大なペルシャ絨毯の上に置かれたベビーサークルの中では、赤髪の双子が巨大なモニターを見上げながら、それぞれ全く別の頭痛を抱えていた。
(……いや、『意味もなく現れた奇人』扱いされてるけどさ!)
ルビーは、画面の中で熱弁を振るうコメンテーターに向かって、内心で激しいツッコミを入れていた。
(違うのよ! あれは奇天烈なパフォーマンスじゃなくて、愛する奥さんの職場に、ただお花を届けに来ただけなのよ! まぁ、天井からワイヤーなしで降ってくるのは異常だけど!)
自分の最強の父親が、世間から奇人として扱われていることに、ルビーは呆れが入り混じった複雑な心境を抱えていた。
一方、隣でブロック遊びをしているふりをしているアクアは、ひどく冷静だった。
(世間は『ハリウッドのトップスターの気まぐれファンサ』だと騒いでる。まぁ、あいつの突発的な奇行は、前世の俺を含めてファンにとっては『いつものこと』だ。別に驚くようなことじゃない)
アクアの脳内で、前世のゴローとしての知見と、現在の状況が処理されていく。
(だが、今回ばかりは『気まぐれ』じゃない。現実は『ただ家に帰るついでに、嫁の職場に寄って花束を渡しただけ』だ。……もしこの真実が世間にバレたら、B小町の炎上どころか、世界のエンタメ産業の株価が吹っ飛ぶだろうな)
ファンとしての知見と、息子としての気苦労。
アクアがベビーサークルの中で「あぁ……」と深いため息をついていると。
「ふふふーん♪」
ご機嫌な鼻歌と共に、アイがリビングに入ってきた。
その両手には、特大の美しいクリスタルガラスの花瓶が抱えられており、中には昨夜マヤから受け取った、溢れんばかりの深紅のバラが美しく生けられている。
「あー!」
「あぅー!」
双子が短い手を伸ばすと、アイは花瓶を安全なサイドテーブルの上に置き、嬉しそうにサークルの前へしゃがみ込んだ。
「おっはよー、アクア、ルビー! 見て見て、パパのお花、綺麗に生けられたよ! すっごくいい匂いするねー!」
アイは、テレビの中で自分とマヤの関係がどれだけ面白おかしく憶測されていようと、全く気にする素振りを見せなかった。
芸能界の闇も、パパラッチの悪意も、この分厚い防弾ガラスと高い壁に守られた『マヤ御殿』の中には、一ミリたりとも入り込んでこない。
「……はぁ。やっと電話が落ち着いたわ」
通話を終えたミヤコが、大きく肩を回しながらソファに腰を下ろした。
「アイ。あなた、自分が今どれだけ世界の中心にいるか分かってるの? ハリウッドのトップスターと、日本の大ブレイク中の地下アイドル。……マヤくんは本当に、規格外のハリケーンね」
「えへへー。でも、パパはパパだよ?」
アイは、バラの花びらにそっと指先を触れながら、ふにゃりと笑った。
「忙しいのに、わざわざ時間作って会いに来てくれたんだもん。……すごく、嬉しかったな」
その嘘のない純粋な笑顔を見た瞬間、アクアとルビーは揃って言葉を失った。
(……ああ、駄目だ)
アクアは、完全に毒気を抜かれたように、サークルの床にゴロンと寝転がった。
(推しがこんなに幸せそうに笑ってるなら……世間がどう騒ごうが、カラスの神様がどんな悪夢を見せようが、もうどうでもいい。俺のヒーローは、ちゃんとこの人を守り抜いてるんだ)
(ママ、可愛すぎる……尊い……! パパ、早く帰ってきてママを甘やかしてあげてー!)
ルビーも、小さな両手で自分の頬を押さえながら、母親の破壊的な可愛さに限界化していた。
テレビの中では、まだワイドショーのコメンテーターたちがマヤの真意について的外れな議論を交わしている。
遥か遠くの暗闇では、カミキヒカルが誰にも認識されない憎悪を抱えて紙屑を握りしめている。
「……またね、パパ」
アイは、深紅のバラの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、窓の向こうの抜けるような青空を見上げて、小さく微笑んだ。