無数のカメラのフラッシュが、星野アイの姿を白く、眩しく照らし出していた。
都内の高級ホテルの大宴会場に設けられた、緊急記者会見の場。急な呼び出しにもかかわらず、会場には数百人を超える報道陣が詰めかけ、ただならぬ緊張感と熱気に包まれていた。
その中央、壇上に設けられた席に座るアイは、三十歳という年齢を全く感じさせない、圧倒的な美しさを放っていた。二十歳の頃から時間が止まっているかのような瑞々しい肌と、星を宿した瞳。大人の女性としての洗練されたオーラを纏う彼女がマイクを手に取ると、会場のざわめきがピタリと止んだ。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。私、星野アイから、皆様に大切なご報告があります」
アイは、会場を見渡し、ふわりと花が咲くような、嘘偽りのない笑顔を浮かべた。
「私、星野アイは、次回の東京ドーム公演をもちまして、『B小町』を卒業し、アイドルとしての活動を引退します」
――えっ?
一瞬の空白の後、会場全体が爆発したかのような騒然とした空気に包まれた。
「い、引退!? まだ三十歳で、人気も絶頂の中でですか!?」
「何かトラブルがあったのでしょうか!? それともご病気……!」
矢継ぎ早に飛んでくる記者たちの質問を、アイは手のひらを向けて優しく制した。
「ふふっ、全然違いますよ! 病気でもないし、トラブルなんて一つもありません。理由はとってもシンプルです」
アイは胸を張り、ピンと伸びた背筋のまま、誇らしげに言葉を紡いだ。
「私、アイドルとしてやりたいこと、全部やりきっちゃったんです。これ以上ないくらい、完璧に」
その清々しい表情に、記者たちは一瞬言葉を失った。
未練も、後悔も、陰りも一切ない。ただ、山の頂上に辿り着いた冒険者が、満足げに景色を見渡しているかのような、圧倒的な達成感だけがそこにあった。
「十年間、本当にたくさんの愛をもらって、最高の景色を見せてもらいました。だからこそ、一番綺麗な状態のまま、このバトンを後続の若い世代の子たちに渡したいんです。それに……」
アイは少しだけ目を伏せ、頬をほんのりと赤く染めて、愛おしそうに微笑んだ。
「これからは、私のことをずっと支えてくれた人達との時間を、一番優先にしたいから。アイドルとしてのアイは終わりだけど、これからは一人の星野アイとして、新しい幸せの形を作っていきたいんです」
その言葉には、誰も反論できないほどの確かな温度と、真っ直ぐな意志が宿っていた。
伝説のアイドルの、あまりにも見事な幕引きの宣言。
翌日のニュースは世界中を駆け巡ったが、ファンたちの間に悲観的な声は少なかった。驚きと寂しさはあれど、彼女があまりにも綺麗に、幸せそうに引退を語ったからこそ、誰もがその決断を祝福し、「最後のステージをこの目に焼き付けよう」と一つになったのだ。
そして、その晴れやかな引退発表から数ヶ月後。
星野アイの集大成となる、東京ドームでの卒業ライブの日がやってくる――。
地鳴りのような歓声が、東京ドームの巨大な屋根を揺らしていた。
五万本のサイリウムが描き出す極彩色の光の海。その熱狂の中心であるメインステージの上で、星野アイは眩いスポットライトを全身に浴びていた。
彼女が初めてこの東京ドームのステージに立ち、完璧なアイドルとしての覚醒を見せつけてから、ちょうど十年の歳月が流れていた。
三十歳という年齢を迎えたアイだが、その容姿は二十歳の頃から時間が止まっているかのように瑞々しく、むしろ大人の女性としてのしなやかさと圧倒的なオーラを纏い、神々しいほどの美しさを放っている。
だが今日、このドームを包み込んでいる熱気には、どこか切なく、それでいて温かい感情が入り混じっていた。
星野アイ、B小町からの卒業、およびアイドル引退。
数ヶ月前に突如として発表されたそのニュースは世界中を駆け巡ったが、そこにネガティブな理由は一つもなかった。アイドルとして到達できる最高の頂を極め、これ以上ないほど綺麗にやり切ったこと。そして何より、家族との時間を最優先にし、後続の若い世代に道を譲るという、アイ自身の晴れやかで清々しい決断だったのだ。
ライブはついに、最後の瞬間を迎えようとしていた。
激しいダンスチューンが終わり、ドーム全体が水を打ったような静寂に包まれる。
アイは、ステージの中央にぽつんと置かれたマイクスタンドへとゆっくり歩み寄った。普段の彼女のパフォーマンスでは、スタンドマイクを使うことなど決してない。
マイクのセットされていない空のスタンド。アイは自分の手にあるマイクをそこに差し込むのではなく、空のスタンドの支柱を両手でそっと握りしめ、ファンたちの顔を愛おしそうに見渡した。
「みんな。今日は本当に、本当にありがとう」
マイクを通したアイの声が、ドームの隅々にまで響き渡る。
「私ね、アイドルになって、みんなに出会えて……最高に幸せだったよ。全部が私の宝物です」
その瞳には、大粒の涙が光っていた。悲しみではない。十年間を全力で駆け抜け、数え切れないほどの愛を受け取ってきた、圧倒的な歓喜の涙だった。
「アイちゃぁぁぁん!!」
「いかないでえええ!!」
「ありがとう! ずっと大好きだよ!!」
客席から、泣き叫ぶような歓声と拍手が巻き起こる。
アイは、震える息を深く吸い込み、その輝く瞳からツーッと涙をこぼしながら、満面の笑みで叫んだ。
「みんな!! 愛してる!!」
その言葉は、もはやアイドルの完璧なセリフなどではなかった。一人の女性としての、心からの叫び。
アイは「ありがとう」とマイクを通さずに呟き、手元にあったマイクを、ゆっくりとスタンドに差し込んだ。
カチャリ、という小さな音が、すべての終わりの合図だった。
深く、長いお辞儀。
顔を上げたアイは、もう一度だけ客席に向かって大きく手を振り、光の溢れるステージの奥へと、振り返ることなく歩み去っていった。
伝説のアイドルが、最高のエンターテインメントの歴史に永遠に刻まれた瞬間だった。
```
*
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「……終わったな」
関係者用の特別VIP席。防弾ガラスに守られたその部屋で、マヤは静かに腕を組んでステージを見つめていた。
その隣では、十四歳になったアクアが顔を両手で覆い、肩を震わせて号泣している。前世からずっと追いかけ続けてきた『絶対的な推し』の、あまりにも美しすぎる完璧なフィナーレ。一人のファンとして、そして息子として、彼の胸には処理しきれないほどの巨大な感情が渦巻いていた。
「ママ、世界一だった……! 宇宙一、キラキラしてた!」
ルビーもまた、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ステージに向かってちぎれるほど手を振っている。マヤはそんな二人の頭を、優しく大きな手でポンポンと撫でた。
一方、ドームのバックステージ。
「お疲れ様でしたぁぁっ!」というスタッフたちの割れんばかりの拍手の中を、アイは小走りで駆け抜けていた。
「アイっ……! あんたって子は、ほんとに……っ!」
控室のドアを開けるなり、ミヤコがタオルを握りしめたまま泣き崩れてアイに抱きついてきた。苺プロの社長として、誰よりもアイを支え続けてきた彼女の涙腺は、すでに崩壊していた。
「あはは、ミヤコさん泣きすぎー! メイク全部落ちちゃってるよ?」
「うるさいわね! あんたが美しすぎるからいけないんでしょ!」
アイが笑いながらミヤコの背中を撫でていると、後ろから後続メンバーの少女たちも次々と泣きながら飛びついてきた。
「アイさんっ……私たち、アイさんの背中、ずっと忘れません!」
「ふふっ、これからはみんなの時代だよ。私の分まで、ステージを思いっきり楽しんでね」
アイは一人ひとりの頭を撫で、嘘偽りのない笑顔で言葉をかけた。
やり残したことは何一つない。アイドルとしての『星野アイ』は、今日この日をもって完璧に完結したのだ。ここからは、ただの星野アイとして、愛する家族の待つ城へ帰るだけ。
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*
```
深夜。
五万人の熱狂が嘘のように静まり返った『マヤ御殿』の寝室。
間接照明の柔らかな光の中、最高級のベッドの上で、アイはマヤの分厚い胸板に頬をすり寄せていた。
「パパ……」
「ん? 疲れて眠れねえか?」
シャワーを浴び終え、アイドルの鎧を完全に下ろしたアイの髪を、マヤの大きな手がゆっくりと梳いていく。その温かく力強い体温に触れているだけで、アイの心はとろけるように穏やかになっていく。
「ううん。なんだか、まだ夢の中にいるみたいで。……私、本当に終わったんだなぁって」
「寂しいか?」
「全然!」
アイはマヤの胸元から顔を上げ、きっぱりと首を横に振った。
「すっごくスッキリしてる。アイドルのお仕事は大好きだったけど、今の私には、マヤとアクアとルビーがいるもん。世界中のみんなから愛されるよりも、このお家の中でマヤに抱きしめられてる方が、何千倍も幸せなんだよ」
「そりゃ重畳だ」
マヤは低く笑い、アイの細い腰を抱き寄せて自分の身体へと密着させた。
「十年間、本当によく頑張ったな、アイ。お前は今日、世界で一番かっこよかったぞ」
「えへへ……パパにそう言ってもらえるのが、一番のトロフィーかも」
アイは甘えるようにマヤの首元に腕を回し、熱を帯びた瞳で彼を見つめた。
「ねえ、マヤ。私……今、最高に幸せだよ」
アイの甘い囁きに、マヤは静かに目を伏せ、彼女の柔らかい唇に自分の唇を重ねた。
深く、優しい口づけ。アイドルの仮面を脱ぎ捨て、一人の女性として、そして母親として生きることを選んだ彼女を、マヤの圧倒的な愛情が丸ごと包み込んでいく。夜の静寂の中、二人だけの甘く満たされた時間が流れていった。
```
*
```
それから数週間後。
マヤ御殿の広々としたリビングには、完全に日常のペースを取り戻したアイの姿があった。
ダボッとしたオーバーサイズのルームウェアに、無造作にまとめた髪。アイドルとしての表舞台から退いた彼女は、時折マイペースにこなす芸能関係の仕事以外は、家で家族をサポートする『専業主婦』のような生活を満喫していた。
「ねえミヤコさん、この書類の確認、ここでいいの?」
「ええ、そこにサインお願いね。……っていうか、あんた少しは手伝いなさいよ。私、苺プロの社長なのよ? なんであんたの家のリビングで事務作業しなきゃなんないのよ」
ダイニングテーブルにノートパソコンを広げ、カタカタとキーボードを叩きながらミヤコが呆れたようにため息をつく。少数精鋭の優良事務所として業界で確固たる地位を築いた苺プロだが、ミヤコは相変わらずマヤ御殿に出入りし、半ば家政婦のようにアイの生活の一部に溶け込んでいた。
「いいじゃない、お茶も美味しいし。それにね、聞いてよミヤコさん! 昨日ね、マヤが夕飯にハンバーグ作ってくれたんだけど、それがもうすっごく美味しくて!」
「はいはい、よかったわね」
「しかもね、私がキッチンでちょっと指切っちゃった時に、パパがすっごく心配して絆創膏貼ってくれたの! あの大きな手で、ちまちま絆創膏めくってる姿がもう可愛くてかっこよくて、私、もう一回惚れ直しちゃった!」
顔を真っ赤にして身悶えしながらのろけ話を連発するアイに、ミヤコはパソコンから目を離さずに「ごちそうさま」と冷たくあしらう。
「あんた、引退してからマヤくんへの愛情表現がさらにストッパー外れてない? アクアとルビーが引いてたわよ」
「だって本当のことだもん! パパは世界一優しくて、最強の旦那様なんだから!」
アイはクッションを抱きしめながら、ソファの上でゴロゴロと転がった。
ドームを熱狂させたカリスマ性はどこへやら、ただ大好きな夫のことで頭がいっぱいになっている、等身大の幸せな女性の姿がそこにあった。
「……まぁ、あんたが幸せそうなら、それが一番だけどね」
ミヤコはふっと表情を和らげ、紅茶のカップを口に運んだ。
アイはクッションから顔を出し、窓から差し込む明るい日差しを見つめて、ニコッと笑う。
理不尽な運命も、張り詰めた嘘もない。ただ、愛する家族の声が響くこの温かいリビングこそが、完全無欠のアイドルが辿り着いた、最強で最高の『居場所』だった。