神鬼邸の地下深く。最新鋭の防音設備と照明機材が完備された苺プロダクションの特務スタジオに、リズミカルな電子音が響き渡っていた。
鏡張りの壁の前で、星野ルビーは息一つ乱すことなく、軽やかなステップを踏んでいる。
長い金髪がふわりと宙を舞う。だが、彼女の動きはそこで終わらない。
「ターン、からの……っ!」
ルビーは床を強く蹴り上げると、一切の助走なしでその場から高く跳び上がった。
空中で身体を捻り、完璧なフォームのバク宙を決め、足音すら立てずにピタリと着地する。休む間もなく、今度は片手での側転からハイキックへと繋ぐ。
それはアイドルの可憐なダンスというより、洗練された格闘技の演武に近い。だが、彼女の表情には微塵も苦しそうな色はなく、とびきりキュートで無敵の笑顔が貼り付いていた。
「……はぁっ。よし、ここまで!」
音楽を止め、ルビーは満足げに腰に手を当てた。
その様子をパイプ椅子に座って眺めていた斉藤ミヤコは、呆れたようにため息をついた。
「ルビー。何度も言うけど、アイドルの振り付けに『助走なしのバク宙』なんて組み込む必要はどこにもないのよ。マイク落とす気?」
「大丈夫だよミヤコさん! ヘッドセットマイクにすれば両手空くし! ほら、私って体力だけは無限にあるから、これくらい跳ね回ってないと逆に身体がウズウズしちゃうんだよね」
「体力無限って……あなたねぇ。マヤさんの筋トレメニューを毎日こなしてるんだから当たり前でしょ。アイドルを目指す女の子が、サンドバッグを素手で殴り飛ばすのはうちの事務所くらいよ」
ミヤコが頭を抱えると、ルビーはふふっと得意げに笑った。
「でもさ、ミヤコさん。私、ママのコピーにはなりたくないんだ」
「アイのコピーに?」
「うん。ママは世界一のアイドルだし、誰よりもキラキラしてる。でも、私が同じように歌って踊っても、『アイの娘』っていう枠から抜け出せないと思うの」
ルビーは鏡に映る自分を見つめ、ギュッと拳を握りしめた。
その瞳の奥には、父親から受け継いだ闘争心の赤い光が微かに揺れている。
「だから私は、パパの身体能力と、ママのアイドル性を合わせる。歌いながら宙を舞って、ステージの端から端まで跳び回る。誰も真似できない、私だけの『フィジカルアイドル』になるの! これが、新生『B小町』のセンター、星野ルビーのスタイルだよ!」
「……まったく。本当に、とんでもない両親の血を引いてるわね。あんたのその熱量があれば、地下の怪しい連中に騙される隙なんて一ミリもないわ」
ミヤコは苦笑しながら、手元のタブレットを叩いた。
「とはいえ、グループを名乗るならメンバーが必要よ。今ガチに出演していたMEMちょって子、アクアが今日ここに連れてくる手はずになってるけど……その前に、有馬かなの件はどうだったの?」
「あー、かなね。さっき電話で話したんだけど」
ルビーはタオルで汗を拭きながら、少しだけ寂しそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「『せっかく事務所の先輩からのお誘いだけど、今回はパスさせてもらうわ、ルビー。私、今役者として最高に仕上がってるの。次の舞台で真っ向からぶつかり合うんだから、アイドルと掛け持ちなんてしてる余裕はないわ』……だってさ」
「なるほどね。あの子らしいわ」
「うん。かな、今は次の舞台のことで頭がいっぱいみたい。パパたちを食ってやるって、バチバチに気合入ってた。だから、無理に誘うのはやめたよ」
「そうね。役者としてあそこまで仕上がってるなら、アイドルとの兼業はむしろノイズになるわ。……となると、B小町はルビーと、そのMEMちょって子の二人組デュオになるわね」
ミヤコがそう言った直後、スタジオの重厚な防音扉がガチャリと開いた。
「ミヤコさん、連れてきたよ」
私服姿のアクアに先導されて、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回している小柄な少女が中に入ってくる。
頭にはトレードマークの悪魔のツノ。人気インフルエンサーのMEMちょだ。
「お、お邪魔しまーす……って、えええっ!? 何ここ、地下なのにすっごい広いし、機材もプロ仕様っていうかテレビ局みたい! 苺プロって個人事務所じゃないの!?」
「いらっしゃい、MEMちょ。ここはまあ、色々あって特務拠点みたいになってるのよ」
ミヤコが優雅に立ち上がり、ルビーも「MEMちょ、よろしくね!」と事務所の先輩らしく堂々と手を振った。
MEMちょはルビーの顔を見て、「わぁ、生ルビーちゃんだ! アクア君の妹だよね、すっごい美少女……!」と目を輝かせた。だが、その直後、ふと視線をスタジオの奥へと向けた彼女は、ピタリと石化した。
奥の調整室から、コーヒーの入ったマグカップを片手に、二人の人物が歩いてきたからだ。
「あら、お客さん? アクアが言ってた子かな」
「おお、MEMちょじゃねえか。あの時は世話になったな」
一人は、星を宿した瞳で微笑む、伝説のトップアイドル・星野アイ。
もう一人は、黒いタンクトップ姿で筋骨隆々の肉体を晒している、ハリウッドの生ける伝説・神鬼マヤ。
「………………………………へ?」
MEMちょの口から、間抜けな音が漏れた。
彼女の脳内で、とてつもない速度で情報が処理されていく。
(えっ……? 星野アイ……? なんで、生きてるの? いや生きてるけど、なんでここに? 事務所の社長さん? え、待って、その隣の人……神鬼マヤさん!? なんでハリウッドスターが苺プロの地下スタジオに!?)
パニックに陥るMEMちょをよそに、マヤは気さくに手を挙げた。
「やぁやぁ。MEMちょ、元気してたか?」
「へっ……? あ、あの……えっと……どこかで……?」
「おいおい、忘れちまったのか? つい数日前、同じ屋根の下で俺たち『カップルでいいね』って約束した仲じゃないか」
「か、カップルぅぅっ!?」
MEMちょが悲鳴を上げて後ずさる。
マヤが意地悪くニヤリと笑ったその瞬間、MEMちょの脳裏に、あの『今ガチ』に突如として乱入してきた『十八歳のイケメン転校生・マヤ君』の顔がフラッシュバックした。
「ま……マヤ君!? え、嘘でしょ!? あの時のマヤ君って、本物の神鬼マヤさんだったの!? なんで!? どうして!? テレビ局のドッキリ!?」
「あー、パパ。もうその辺にしてあげなよ、MEMちゃん混乱しちゃってるじゃない」
アイがクスクスと笑いながら、マヤの広い背中をペチッと叩いた。
その光景を見て、MEMちょはさらなる情報の渦に飲み込まれる。
「パ、パパ……? ママ……?」
「悪い悪い。MEMちょ、驚かせてすまなかったな」
アクアがため息をつきながら、MEMちょの前に進み出た。
「説明するよ。……この二人は、僕とルビーの両親だ。ここは神鬼邸の地下にある、苺プロの隠しスタジオ。ミヤコさんが裏で色々と動いてくれているおかげで、世間には秘密になってる」
「りょ、両親……。アクア君とルビーちゃんの、お父さんと、お母さん……?」
MEMちょの瞳孔が開ききっている。
つまり、あの恋愛リアリティショーで自分を口説きにきた『十八歳の転校生』は、共演者の父親であり、妻帯者であり、世界的大スターの神鬼マヤだったということだ。
「……むり。情報が、多すぎる……」
プツン、と。
MEMちょの意識が途切れ、彼女はそのまま白目を剥いて後ろへバタリと倒れ込んだ。
「あーっ! MEMちょがショートした! パパのせいだからね!」
「お、おい! 悪かったって! 息は……よし、あるな。ソファに運ぶぞ」
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「……はっ!」
数分後。
スタジオの端にある革張りのソファで、MEMちょはバチッと目を覚ました。
見上げると、アイが心配そうに覗き込んでおり、少し離れたところでマヤとアクアが呆れたような顔で立っていた。
「気がついた? ごめんね、うちのパパがイタズラばっかりするから」
「あ、アイさん……! 本物だ……」
「そうだよ。B小町のアイ。よろしくね、MEMちゃん」
アイが差し出した手を、MEMちょは震えながら両手で握り返した。
冷たい水をごくりと飲み込み、どうにか冷静さを取り戻したMEMちょは、ミヤコと向かい合う形で座り直した。
「……つまり、私が誘われた新生『B小町』っていうのは、星野アイさんの娘であるルビーちゃんと、私の二人で組むってことですか?」
「ええ、そうよ。本当は三人くらいがバランスいいんだけど、もう一人の候補だった子が女優に専念することになっちゃってね」
ミヤコがタブレットを操作しながら答える。
「あなたはインフルエンサーとしての発信力がある。ルビーのあの規格外の身体能力と、あなたのバズを生み出す力が組み合わされば、絶対に面白いグループになるわ」
「規格外の身体能力……?」
「あー、百聞は一見にしかず、かな。ルビー、ちょっとやってみて」
アクアが声をかけると、ルビーは「任せて!」と元気よく頷き、スタジオの中央へ走った。
そして、先ほどと同じように助走なしでのバク宙、片手側転、さらに空中で二回転するようなアクロバティックな蹴りを披露し、アイドルスマイルでポーズを決めた。
「どう!? 私のフィジカル!」
「…………」
MEMちょは再び石化した。
「えっと……忍者? 忍者なの?」
「違うよ! 新世代のアクション・アイドルだよ!」
「いやいやいや! あんなの歌いながらやったら死んじゃうから! 私、普通の女の子だからあんな飛び跳ねられないよ!?」
「大丈夫だよMEMちょ! MEMちょは普通に可愛く踊ってて! 私が勝手に飛び回るから、それを横から『うちのセンターやばいでしょ!』って煽ってくれればいいの!」
「新しいなそのスタイル……!」
MEMちょはツッコミを入れつつも、その特異な構成にインフルエンサーとしての嗅覚が激しく反応するのを感じていた。
超絶身体能力のセンターと、それをコントロールする常識人のMC。絶対にバズる。SNSとの相性も抜群だ。苺プロという小さな箱でも、この武器があれば確実に上を目指せる。
だが。
MEMちょはギュッと膝の上で拳を握りしめ、ふいっと視線を床に落とした。
「……ごめんなさい」
「えっ?」
ルビーが驚いたように目を丸くする。
「私、本当はすっごくアイドルやりたい。ルビーちゃんとなら、絶対に楽しいって思う。……でも、私には、言えない秘密があるの」
「秘密?」
「私……年齢、サバ読んでるんだ」
MEMちょは、絞り出すような声で告白した。
「十八歳って言ってるけど、本当は……今年で、二十五歳なの。……お母さんが女手一つで育ててくれて、弟たちの学費を稼ぐために休学して働いて……気づいたら、アイドルのオーディションを受けられる年齢制限、全部過ぎちゃってて」
静かなスタジオに、MEMちょの震える声だけが響く。
「だから、配信で高校生って嘘をついて、ここまでやってきた。でも、アイドルグループを組むなら、いつか絶対にバレる。二十五歳が高校生のフリしてアイドルなんて……ファンを騙すことになっちゃう。そんなの、ルビーちゃんたちに迷惑がかかるから……っ」
ポロポロと、MEMちょの目から涙がこぼれ落ちる。
夢を諦めきれず、嘘で塗り固めてきた自分への後ろめたさ。それが、彼女の足を重く縛り付けていた。
「……なに言ってんだ、お前」
沈黙を破ったのは、腕を組んで壁にもたれかかっていたマヤだった。
彼はゆっくりと歩み寄り、MEMちょを見下ろした。
「年齢がなんだって? 二十五歳が高校生のフリをするのが迷惑だ?……笑わせるな」
「マヤ、さん……」
「俺を見ろ。俺は三十を過ぎてるが、あの番組でお前らと同世代の十八歳の転校生を名乗ったぞ。そして、カメラの前の連中も、画面の向こうの視聴者も、誰一人としてそれを疑わなかった」
「それは……」
「年齢なんてものは、ただの数字だ」
マヤは力強く断言した。
「ファンを騙すのが怖い? エンターテインメントってのはな、最高の『嘘』を吐いて、客に幸せな夢を見せる仕事だ。俺が三十過ぎて高校生の服を着てお前を口説き落としたように、やりたいなら胸張って堂々と騙し切れ。お前がとびきり可愛いアイドルとして振る舞い続ける覚悟があるなら、それはもう『嘘』じゃねえ。お前が作り上げた『真実(リアル)』だ」
「マヤさんの、言う通りだよ」
アイが、優しく微笑みながらMEMちょの肩に手を置いた。
「アイドルは、嘘で輝く生き物なの。MEMちゃんがファンのみんなを笑顔にしたいって本気で思ってるなら、その嘘は絶対に綺麗な宝石になる。私が保証するわ」
「アイさん……マヤさん……」
MEMちょの瞳から、大粒の涙が次々と溢れ出した。
呪縛のように自分を縛り付けていた年齢という壁を、世界を知る表現者たちが、いとも簡単に、そしてこの上なく温かく壊してくれたのだ。
「私……二十五歳だけど……っ! アイドル、やりたい……っ! ルビーちゃんと一緒に、ステージに立ちたい……っ!」
「ババアじゃないよ! MEMちょは、永遠の十八歳でしょ!」
ルビーが飛びつき、MEMちょを抱きしめた。
わぁぁぁん、と子供のように声を上げて泣くMEMちょの頭を、ルビーは優しく撫でる。事務所の先輩として、相棒として、力強く背中を叩いた。
アクアはふっと息を吐き、ミヤコも「やれやれ、これで決まりね」と笑いながらタブレットの画面を閉じた。
「よし。それじゃあ、今日から新生『B小町』の始動だ。ルビー、MEMちょ。まずはジャパン・アイドル・フェス(JIF)のステージに向けて、みっちりしごいてやるから覚悟しな」
「はいっ! お願いします!」
「よーし! 私も死ぬ気でバズらせてみせるよぉぉ!」
涙を拭い、満面の笑みでガッツポーズをするMEMちょ。
地下スタジオは、新しい夢の始まりを祝うような温かい空気に包まれていた。
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同じ頃。
都内のとある大型稽古場。
次回作となる2・5次元舞台の顔合わせを翌日に控え、有馬かなは一人、鏡の前で台本を握りしめていた。
彼女の演じるキャラクター。その全ての感情の動き、殺陣のタイミング、他者との掛け合いを、脳内で完璧にシミュレーションしていく。
(……事務所の先輩のルビーはアイドル、私は女優。道は別れたけど、やるからにはお互い絶対に一番を獲る)
かなは鏡の中の自分を、鋭い視線で睨みつけた。
そこに迷いや弱気は一切ない。あるのは、第一線を走る若手トップ女優としての圧倒的な矜持だけだ。
(黒川あかね。星野アクア。……そして、マヤさん)
彼女の脳裏に、圧倒的な強者たちの顔が浮かび上がる。
自分を引き上げ、誰よりも目標にしてきた恩人、神鬼マヤ。彼と同じ舞台に立ち、真っ向から芝居をぶつけることができる。
かなの心に恐怖はない。あるのは、その巨大な山に自分の全霊の芝居を叩きつけることができるという、純粋な歓喜と闘争心だけだ。
かなは台本を強く握り直し、不敵な笑みを浮かべた。
「見てなさいよ。マヤさんの背中を追って仕上がった女優・有馬かなの、最高の芝居を見せつけてやるんだから」