『鬼の子』マルチバース   作:マイナーチョコ

40 / 40
第14話:伝説の激突

 

 

客席の照明がゆっくりと落ち、二千人を収容する巨大劇場全体が息を呑むような静寂に包まれた。

客席の前方。深く帽子を被り大きな眼鏡で変装した星野アイは、膝の上で握りしめた手にぎゅっと力を込めていた。その隣には、レッスン着のまま駆けつけたルビーと、マスク姿のMEMちょが座っている。

 

「……いよいよだね、ママ」

「うん。なんだか、私まで心臓が口から出ちゃいそう」

 

アイは小さく息を吐きながらも、その瞳には隠しきれない期待の星が輝いていた。

夫が、息子が、そして愛すべき若い才能たちが、あの板の上で命を削って一つの世界を創り上げる。

 

――ズォォォォォッ!!

 

地響きのような重低音と共に、ステージを覆っていた漆黒の紗幕が切り裂かれた。

プロジェクションマッピングによる蒼い炎が舞台を舐めるように広がり、その中心に一人の男が立っていた。

漆黒の装束を纏い、無骨な大刀を背負った男――主役・ブレイド。

 

「――来たか」

 

低く響いた第一声。

神鬼マヤが顔を上げた瞬間、劇場内の空気が物理的な重力を帯びて歪んだ。

マイクを通しているはずなのに、まるで観客一人一人の耳元で直接囁かれたかのような感覚。二千人の観客が一瞬にして金縛りに遭ったように身動きを止めた。

 

物語の歯車が回転を始める。

マヤが刀を振るうたびに風が鳴り、空気が震える。だが、その強大すぎる闇に真っ向から飛び込んでいく光があった。

 

「ブレイド! あなたにこれ以上の闇は背負わせない!」

 

有馬かな演じる『つるぎ』が、風を切り裂いて現れる。

マヤが放つプレッシャーを全身で受け止め、それをすべて己の推進力へと変えて跳躍する。彼女の放つ強烈な光が、重厚な闇に覆われたステージを鮮烈に塗り替えていく。マヤもまた、激しく打ち合いながら、口元に僅かな笑みを浮かべていた。

 

そこへ、対立する新宿クラスタの軍勢が雪崩れ込む。

鳴嶋メルト演じるキザミが、ブレイドの覇気に顔を歪めながらも、泥臭い一撃を放つ。マヤはその「死に物狂いの熱量」を正面からしっかりと大刀で受け止める。メルトの必死の芝居が、マヤという巨大な反射板を通して、確かな『熱』として客席へ叩きつけられた。

 

「この命尽きようとも……あなたをここで止める」

 

透き通るような冷徹な声と共に、黒川あかねの『鞘姫』が舞い降りた。

マヤの剣筋、呼吸、重心の移動。そのすべてをプロファイリングし、自らの脳内で構築した『鞘姫』に完全憑依している。幻影のようにブレイドの懐へ滑り込み、死角から放たれる鋭利な太刀筋。

美しく、狂気的なまでの冷気が舞台を支配する。

 

そして、舞台はついにクライマックスへ。

燃え盛る廃墟のセットの前に立ち塞がったのは、新宿クラスタの頭領――星野アクア演じる『刀鬼』だった。

 

「……ブレイド」

 

アクアの両目に宿る星が、深く、鮮烈な深紅へと染まる。

前世の理屈も計算もすべて捨て去り、ただ目の前に立つ巨大な父親を、役者として真っ向から斬り伏せようとする剥き出しの魂。

 

「来い、刀鬼……!」

 

マヤが大刀を構え、地を蹴った。

 

ガギィィィィィィンッッ!!!!

 

二本の刀が交錯した瞬間、特注の模擬刀から激しい火花が散った。

マヤの放つ、重く鋭利な連撃。アクアは全身の筋肉を軋ませながら、それを見切り、弾き返す。

一合、二合、十合。

息をつく暇すらない超高速の攻防。二人は言葉ではなく、刀の重みと切っ先の閃きだけで、互いの存在をぶつけ合っていた。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

アクアの魂の叫びと共に、刀鬼の渾身の突きが放たれた。

虚を突いた、感情が完全に乗り切った最高の一撃。

マヤの瞳が見開き、大刀の腹でその突きを受け止める。

 

バァァァァァァンッ!!

 

凄まじい鍔迫り合いの末、アクアが体重を乗せて刀を捻り上げた。

その瞬間――世界最強のアクションスター、神鬼マヤの足が、演技ではなく、アクアの気迫によってほんの半歩だけ、ずしりと後退した。

 

マヤの顔に、ブレイドとしての悲痛な表情の下で、一人の役者としての最高の歓喜が浮かんでいた。

 

二人の影が激しく交差し、やがてブレイドと刀鬼が互いの信念を叫び終え、暗転した。

 

```

*

 

```

 

――カッ、と。

ステージに客電が灯った瞬間。

 

劇場が揺れるほどの轟音と共に、二千人の観客が一斉に総立ちになった。

割れんばかりのスタンディングオベーションと、鳴り止まない拍手の嵐。アイは涙を流しながら両手を打ち鳴らし、ルビーは喉が枯れるほど叫びながら飛び跳ねていた。

 

幕が下り、客席から観客が引いた後の舞台上。

熱気冷めやらぬまま、肩で息をするキャスト陣がその場に座り込んでいた。

 

「……父さん」

 

アクアが床に膝をついたまま、刀を肩に担いで涼しい顔をしているマヤを見上げた。

 

「合わせてただろ。俺の限界を見極めて、ギリギリ届くように高さを調整してくれてただけだ」

「……」

「悔しいけど……全然届いてない。俺の全力を、全部コントロールされてた」

 

アクアの言葉に、近くにいた有馬かなと黒川あかねもハッとして顔を上げた。

 

「……やっぱり、アクアも気づいた? 私もよ」

 

かなが悔しそうに唇を噛む。

 

「つるぎが舞台で光って見えたの、マヤさんが完璧に私のスピードと呼吸に合わせてくれてたからよ。悔しいけど……子供扱いよね」

「私のプロファイリングも、マヤさんが『読ませてくれていた』範囲を出ていませんでした。本気のマヤさんの間合いは、私の計算で追える次元じゃないです……」

 

あかねも静かに息を吐き出す。

鳴嶋メルトに至っては、「マジかよ……俺なんて、マヤさんが合わせてくれてなきゃ一秒で舞台から叩き出されてたってことか……」と頭を抱えていた。

 

マヤは彼らの顔を順番に見渡し、ふっと静かに微笑んだ。

 

「合わせられたとしても、そこまで食らいついてきたのはお前たちの力だ」

 

マヤの声は穏やかで、対等な役者へ向ける敬意に満ちていた。

 

「舞台は一人でやるもんじゃないからな。お前らが本気でぶつかってきたから、最高の芝居になった。……いい芝居だったよ」

 

その言葉に、アクアたちは深く頭を下げた。悔しさと、それを遥かに上回る圧倒的な充実感が胸を満たしていた。

 

「あーっ! もう、パパ手抜きすぎ!」

 

舞台袖から、元気な声と共に駆け込んでくる足音が響いた。

ルビーだ。その後ろからアイ、MEMちょ、そして原作者の鮫島アビ子や脚本家のGOAも感動した面持ちで歩いてくる。

 

「アクアに合わせてゆっくり動いてたの、バレバレだったよ!」

「おいおい、バラすなよルビー」

「仕方ないだろ、俺はアクションの訓練なんて受けてないんだからな……」

 

アクアが苦笑しながら立ち上がると、ルビーは腰に手を当ててぷくっと頬を膨らませた。

 

「だって私ならもっとビュンビュン跳べたし! パパも合わせる余裕なんてなかったはずだもん!」

「言うようになったな。……よし、軽くやってみるか?」

 

マヤが楽しそうに木刀を弄ると、ルビーの目がキラリと輝いた。

 

「やるやる!」

「あーあ、また始まっちゃった。パパ、怪我させないようにね」

 

アイが呆れたように笑いながら見守る中、ルビーはアビ子たちに向かって、とびきりのアイドルスマイルで丁寧にお辞儀をした。

 

「あ、アビ子先生! 少しだけ舞台と木刀借りますね!」

「え? あ、はい……どうぞ?」

 

ルビーはアクアからひょいっと木刀を受け取ると、レッスン着のままマヤの正面に立った。

アイドルを目指す華奢な少女と、世界最強のアクションスター。

異様すぎる立ち会いに、周囲の役者たちも不思議そうに見守る。

 

「いくよ!」

 

ルビーの元気な合図と共に。

ダンッ!! と、舞台の床が爆発したかのような音が鳴った。

 

ルビーの身体が、ワイヤーもなしにふわりと宙を舞い、空中で錐揉み回転しながらマヤへ斬りかかる。

マヤは手加減なしの鋭い太刀筋でそれを迎え撃った。

 

ガガガガガガガッッ!!

 

さっきまで極限の死闘を演じていたはずのアクア、かな、あかねが、肉眼で追うのもやっとの超高速機動。

連続バック転で間合いを外したかと思えば、躊躇なく踏み込み、マヤの本気の斬撃を強烈な体幹で打ち払う。飛び散る汗、空気を切り裂く音。

 

「あははっ! すごいすごい! やっぱりパパの本気、重たーい!」

「まだまだだな。動きは速いが、大振りすぎるぞルビー!」

 

楽しそうに笑いながら木刀を振るう娘の猛攻を、マヤは涼しい顔で捌いていく。

だが、打ち合いが加速するにつれ、ルビーの両目に宿る星が、異様なほどの深紅に染まり始めた。

マヤの圧倒的な力に当てられ、彼女の中に眠る『鬼の子』としての闘争本能が完全に暴走し始めていたのだ。

 

「もっと! もっと速くっ!!」

 

ビュンッ! と、ルビーの木刀が空気を裂く音が一段階跳ね上がる。

だが、それを見たマヤは僅かに眉をひそめた。

 

(……力の制御が飛んだな。これ以上やれば、自分で自分の筋肉と筋を断ち切っちまう)

 

マヤはため息をつき、自らの木刀をスッと下げた。

 

「え?」

 

ルビーが戸惑った、次の瞬間。

マヤの身体がフッとブレたかと思うと、超高速で踏み込んできたルビーの懐へ、まるで瞬間移動したかのように潜り込んだ。

そして、彼女の首筋へ向けて、トンッ、と極めて軽く、しかし正確無比な当身(あてみ)を放った。

 

「あ……」

 

ルビーの深紅の瞳からスッと力が抜け、彼女の身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。

マヤはそれを片手でふわりと優しく抱きとめた。

 

静まり返る舞台上。

アビ子がポカンと口を開け、GOAが目をこすっている。

 

「……え?」

「……今の、なに? まったく見えなかったんですけど……?」

 

有馬かなが引き攣った顔で呟く。

凄まじい速度で斬り合っていたはずの二人が、一瞬の瞬きの間に、マヤがルビーを抱きかかえる姿勢で静止していたのだ。

 

「悪いな、驚かせて」

 

マヤは腕の中でスースーと寝息を立て始めたルビーの頭を撫でながら、呆然とする周囲に向かって苦笑した。

 

「こいつ、興奮して力の制御ができなくなってやがった。このまま暴れさせると自分の筋肉を壊すからな、強制的にシャットダウンさせただけだ」

「……」

「……」

 

稽古場にいる全員が、言葉を失っていた。

 

「ちょっと待って……」

 

かなが、震える指でマヤに抱き抱えられたルビーを指差す。

 

「あの子、アイドルよね? もし刀鬼役があの子だったら、観客の誰も見えなくて舞台崩壊してたわよ……」

「俺たち……今まであんなバケモノ二人相手にチャンバラやってたの……?」

 

メルトが膝から崩れ落ちて頭を抱えた。

 

「もー、パパったら。また手加減なしなんだから。ルビー、起きるまで少し時間かかるわね」

 

アイだけがクスクスと笑いながら、呆れたようにマヤの肩を叩いている。

神鬼の血を引く『鬼の子』の異常性と、それを赤子のようにあしらう世界最強の父親。その圧倒的すぎる規格外のスケールを目の当たりにして、舞台上にいる全員が「やばっ……」と完全に呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

「……えーっと」

 

静まり返る舞台の上。

腰を抜かしたままの鳴嶋メルトが、震える人差し指をマヤに向けながら、蚊の鳴くような声で口を開いた。

 

「さっきから……パパとか、ママとか聞こえたんですけど……え、それ、マジなんですか……?」

 

メルトの顔は真っ青だった。

その隣で、鮫島アビ子とGOAも引き攣った笑みを浮かべたまま、冷や汗を流して固まっている。

 

その様子を横目に、有馬かなは腕を組んで深くため息をついた。

 

「あー……そういえばメルト、アンタ知らなかったのね。ご愁傷様」

「ええ。神鬼マヤさんと星野アイさん、そしてアクア君とルビーちゃん。正真正銘の家族ですよ」

 

黒川あかねが、至極当然の事実を述べるように淡々と頷く。

さらに、マスクを少しずらしたMEMちょが、心底同情しきった目でメルトの肩にポンと手を置いた。

 

「わかるよ、メルト君……。私もつい数日前、同じ事実を知らされて白目剥いて倒れたから……」

「えっ、ええええっ!?」

 

知っている組のあまりに落ち着いた反応に、メルトの混乱は頂点に達した。

そんな彼の前に、大きな眼鏡を外した女性がふわりと歩み寄る。

 

「あはは、バレちゃった? 初めまして、元B小町のアイです! みんな今日の舞台、すっごくかっこよかったよ〜!」

 

完璧な角度の首の傾げ方、そして両目に宿る本物の星。

伝説のトップアイドル、星野アイが満面の笑みで手を振っていた。

 

「ぎゃああああああっ!! ほ、本物の星野アイだぁぁぁっ!?」

 

アビ子が悲鳴を上げて飛び退き、頭を抱えた。

 

「え、ええええっ!? 本物の星野アイ!? マヤさんと結婚して子どもがアクア君とルビーちゃん!? 漫画より設定が濃い……誰ですかこの家系図デザインした神様!? スピンオフ描かせてください!!」

「待って……待ってください……」

 

GOAが胃を押さえ、その場に崩れ落ちた。

 

「僕……世界のマヤさんとアイさんの実の息子を……父親と本気で殺し合わせるような狂った脚本を書いたんですか……!? プレッシャーで胃が、胃が破裂しそうなんですけど……!」

 

阿鼻叫喚の制作陣をよそに、メルトは別の巨大な恐怖に突き当たっていた。

彼の脳内で、過去の記憶が凄まじい速度で一本の線へと繋がっていく。

 

「う、嘘だろ……世界のマヤと星野アイの息子……って、ちょっと待て。じゃあ……あの『今日あま』の現場で……!」

 

メルトは血の気の引いた顔で、マヤを凝視した。

 

「天狗になってた俺のクソ大根演技を見て、『そこのモブ野郎』ってドスの利いた声で凄んできた……あの異常に体格のいいエキストラのおっさんって……!」

「ようやく気付いたか」

 

マヤは気絶したルビーをおぶい直しながら、微かに口角を上げた。

 

「あの時の大根モブにしちゃ、今日はいい太刀筋だったぞ。よくここまで這い上がってきたな、メルト」

「ひぃぃぃぃぃっ!! や、やっぱりアンタだったのかよぉぉぉっ!!」

 

メルトは床に頭を擦り付けんばかりの勢いで土下座した。

 

「俺っ……! ハリウッドスターとその息子の前で、あんなゴミみたいな演技でドヤ顔してたんですか!? よくあの時、東京湾に沈められなかったな俺!? 命があったの奇跡じゃん!!」

 

ガタガタと生まれたての小鹿のように震え上がるメルトを見て、アクアは「やれやれ」と額を押さえた。

 

「安心しろメルト。父さんは演技が下手なやつを東京湾に沈めたりはしない。……せいぜい、山奥に連れて行って素手で熊と戦わせるくらいだ」

「余計に怖いわぁぁぁっ!!」

 

稽古場にメルトの絶叫が木霊する。

マヤは小さく笑い、それからゆっくりと視線を巡らせた。

土下座するメルト、床で胃を押さえるGOA、興奮で鼻息を荒くするアビ子。

 

その視線が向けられた瞬間、三人の背筋がピシリと凍りついた。

マヤの纏う空気が、世界最高峰の威圧感を孕んだものへと静かに切り替わったからだ。

 

「お前らとは、命懸けでこの板の上で戦った仲間だ。だから今さら隠す気配りも必要ねえと思って見せたが……」

 

マヤは極上の、そして逃げ場のない笑顔を浮かべた。

 

「世間にこれが漏れたらどうなるか……言わなくても、分かるよな?」

「「「は、墓場まで持っていきますッッ!!!!」」」

 

メルト、アビ子、GOAの三人が、息の合った直立不動で叫んだ。

あまりの迫力に、アイが「パパ、脅しちゃダメでしょー」と笑いながらマヤの脇腹を小突く。

 

その時だった。

 

「……んぅ……ふわぁ……」

 

マヤの背中で、ルビーが小さく伸びをしながら目をこすった。

首筋を押さえながら、呑気に顔を上げる。

 

「あれー……? パパ、なんでみんな床に倒れてガタガタ震えてるの? 舞台終わったんじゃないのー?」

 

きょとんとした顔で首を傾げるルビーに、その場にいた全員が、声にならない同じツッコミを心の中で全力で叩き込んでいた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。