「副所長を呼んできてくれ」
昼下がりのこと、ロッソが通路を歩いていると、リッポーにつかまり、そう命じられた。
「内線を掛ければいいんじゃないっすか」
所長室から副所長室へは内線が引かれているし、副所長には専用の内線端末も支給されている。なぜそれをしないのか、と疑問だった。というより、余計な仕事はしたくなかった。
「繋がらないんだよ」
リッポーの口調は至極穏やかだったが、グダグダ言ってないで早く行け、というようなニュアンスがあった。何やら寒気めいたものも感じるし、
「りょーかいっす」
副所長室は、塔の上層階、その外周に面している。構造もセキュリティーレベルも所長室と同じだが、同じ区画にはなく、少し遠い。
まつわりついてくる気怠さを引きずって歩を進める。閉ざされて物音一つしないそのドアの前に立ったロッソは、いつものように雑にノックし、副所長の名を呼んだ。
「ギョーセさん、所長がお呼びっすよ」
しかし返答は沈黙──あるいは静寂。
もう一度、今度はもう少し強く叩き、声も大きくした。
「ギョーセさん! サボるなら後にしたほうがいいっすよ!」
しかし、というか、やはり、と言うべきか、応答はない。
何となく鍵穴を覗いてみるが、不審な痕跡はない。もちろん室内も見えない。骨董品とは違うのだ──とはいえ、老朽化のせいでラッチボルトが出てこないことがよくあるのだけれど。
ノブをひねってみる。開かない。しっかりと施錠されている。
面倒事の予感に内心げんなりしていると、馴染みの気配が背後に立った。
「どうした」
低く威圧的な声──看守長のガントだ。
事情を説明すると、ガントは眉間を険しくさせた。彼自身もドアを叩き、声を張った。当然、返事はない。
この区画にはトイレが二つある。覗いてみるも、見当たらない。
「急いで所長を呼んでこい」
しかし、どうしようもない。
ロッソは、りょーかいっす、と再び口にし、踵を返した。
「たしかに妙だね」
どこか楽しんでいそうな顔つきのリッポーを連れてガントの所に戻ると、早速、ドアを蹴破ることとなった──もちろん下っ端のロッソが。
へいへい。
内心で
ドン! とも、バン! とも聞こえるどっちつかずな効果音と共に、弾け飛ぶような勢いでドアが内側に開いた。跳ね返ってきたドアを受け止めると、ひしゃげたデッドボルトが揺れ動いた。軋み音が耳に障る。
ドアを押し開けた。煙草のにおいが鼻腔に触れ、
「っ」ガントの息を呑む気配と、
「ほう」リッポーの不謹慎な気配が重なった。
三十平米ほどの副所長室の中央に、四十がらみの男が仰向けに倒れていた。副所長のギョーセだ。カッ! と目を見開き、光のない
ギョーセのガラクタコレクションがそこかしこに転がっており──といっても本人からすればレイアウトらしいが──しかもいつもより散らかっているしで、非常に歩きにくい。
しかしリッポーは軽快な足取りでギョーセに歩み寄り、脈を取るでもなく目を凝らした。
「うん、死んでるね」
それから死体を
ポケットに鍵を発見した。この部屋の唯一の鍵だ。
「密室は確定のようだね」
そう言ってリッポーは検視を続け、
「この額の打痕以外に不審な痕はない」
と結論づけた。「そしておそらく」と近くに落ちている棍棒らしきものを顎で示した。「それが凶器だろう。先端に血痕が付着している」
「それでは、副所長は自らその棍棒で頭を殴り命を断ったというのですか?」
ガントが疑問を呈した。そんな馬鹿な、という声が行間から聞こえてくるようだった。密室=自殺という単純な、そして極めて実務的な判断を真としているからこその困惑に違いなかった。
「どうだろうね」
のらりとかわすように答えてリッポーは、執務机を漁った。「……ふむ」彼の視線は
なるほど、と思う。自殺否定の三つ目の論拠を捜していたのだ。
リッポーは拳銃と弾丸を手に取り、不具合がないか確かめた。
「自殺じゃないね。自殺だと
リッポーからその論拠を説明されたガントは、しかしかえって困惑の色を濃くした。
「まさか密室殺人とは。低俗な探偵小説じゃあるまいし」
「しかし事実だよ」
リッポーは鼻歌でも口ずさむように答え、返事も待たずに現場検証に移った。
副所長室に出入りするには通路側のドアか、窓を通るしかない。最優先で疑うべきは窓だろうと、そう考えたのだろう、リッポーは窓際に移動した。
どこの家にもあるスライド式の安っぽいガラス窓だが、最高クラスの強度を誇る強化ガラスとなっている。凶悪な人面怪鳥に対抗するためだ──といっても、今の時期は別の地域にいる。だから、人面怪鳥がいるから窓ルートは不可能、という理屈は成立しない。
検証に精を出す上司を、これ特別手当てとか出ないんかなぁ、などと思いつつぽけっと眺める。
見た限り怪しいところはないように思う。確実に施錠され、もちろん隙間もない。強いて言えば、窓のすぐ下にある、
「窓に不審な跡はないな」
リッポーも同じ結論に至ったようだった。
改めて室内を見回す。ひどい有りさまだった。死体の近くには高級ラブドールじみた裸体人形や廃遊園地から盗んできたのではないかというゴーカートがひっくり返っており、壁際にはクルタ族を彷彿させる赤眼を模した造花や電気椅子らしき処刑器具が鎮座している。そのほかにも細かいガラクタが所狭しと配置され、何だかよくわからない残骸や欠片、内臓模型、錆びた南京錠とその鍵などがそれらの隙間に散見される。
だけにとどまらず、煙草の不始末が原因か、壁の一部に焦げたような汚れまである。ヤニのにおいも鼻の奥に絡みついてくる。
元々悪趣味な部屋が荒らされると地獄のようになるというののいい見本だろう。
それにしても空気が悪い。
「所長、窓開けたら駄目っすか?」
「駄目だ」リッポーは無愛想に言ったが、「──いや、外も確認しておくべきだな」
「よし来た! 任せてくださいっす!」
ロッソはテキパキとクレセント錠のレバーを上向かせ、窓を開けた。その途端、
「うわっ」
強風が吹き込んできて、ばたばたと髪が暴れた。
風が落ち着くのを待って、窓から頭を出した。外壁を確認する。経年劣化で所々凹凸があるが、それだけである。
この前のハンター試験でクライムダウンを敢行した馬鹿がいたな、と思い出す。人面怪鳥に喰われてあえなく人生ゲームを失格となった。
頭を引っ込めると、窓を閉めろ、と命じられた。
クレセント錠を掛ける横で、四つん這いになったガントの上にリッポーが立っていた。換気口を調べているのだ。
「何かあったっすか?」
「……いや、埃が堆積しているだけだ」
換気口は虫型魔獣の侵入を防ぐために内部に金網が張られているが、その金網含め外気に直接さらされる部分以外に埃がまつわりつき、特に水平部分には新雪のように溜まっているらしい。ギョーセは掃除嫌いでもあったのだ。素晴らしい中年男性であった。惜しくもない人を亡くした。
ガントから下りるとリッポーは、難しい顔をし、顎を軽くつまんで沈思黙考。やがて、
「おかしい」ぽつりと呟いた。「これでは完全な密室ではないか」
どうやら星持ちハンターにも解けない謎のようだった。
残業の足音が聞こえる。
ロッソは小さく息をついた。
マジで素晴らしい上司だぜ。勘弁してくれ。