公理──真と
そんな視線がレルートに集まるが、彼女は不敵をその頬に浮かべ、
「あなたたちもおかしいと思わなかった?」
逆に問い返した。「問題編を聞いてると、あらゆる可能性が潰されていて答えなんかないように思えてくる」
何人かの囚人がうなずき、何人かの囚人が静かに耳を凝らした。
「──けれど、ギョーセは実際に密室で殺されてる。だったら、リッポーの問題編に誤りがあると考えるしかなくなるわ」
“提示された条件を満たす解集合が空である” が真であり、かつ “解が存在する” が真ならば、両者は矛盾している。ゆえに、“提示された条件を満たす解集合が空である” と “解が存在する” のうち少なくとも一方が偽である。したがって、演繹に誤謬がなく、かつ “解が存在する” ことが現実により立証されているならば、“提示された条件すなわち問題編に誤りがある” が真である──レルートはそんなふうに推論したのだ。
ふむ、と思う。たしかに筋は通っている。ならば、あとはどの前提を誤りとするかを議論すればよい。
「わたしは、物理的に密室だったというのが間違っているんじゃないかと疑ってる。だから、心理的密室よ」
「それはいささか無理があるのではないかな?」アキスだ。「その画像があったわけではないが、“跳ね返ってきたドアを受け止めると、ひしゃげたデッドボルトが揺れ動いた” と所長殿をはじめ三人の職員が認識したからには、施錠されていたと考えるのが妥当でございましょう。そこに誤りが介在する余地はございません」
前科千犯とも二千犯とも謳われる
「人間というのは、実に
穏やかな口調で諭すように言った。
某カルト宗教の教祖をしているキョーソンは、収監された今もなお熱狂的に支持されているという。差し入れのおかげか、囚人とは思えないほど肌艶が良く、目に力がある。
「そちらのお嬢さんはこう言いたいのでしょう。
ノブをひねっても開かないという事実が第一のバイアスを
ラッチボルトとはドアを閉めるための、デッドボルトとはドアを施錠するための金具のことだ。
「ええ、そのとおりよ──」
というのに続く言葉は、アキスの再々反論に遮られた。
「バイアスがあったというのはそのとおりでございましょう。しかしながら、ラッチボルトとデッドボルトを取り違えるというのはありえますまい。何となれば、施錠時には両方とも飛び出しているゆえでございます。その誤認に陥るには前提として常日頃から施錠時にも一本しかボルトが出てこない状態、すなわちデッドボルトしか飛び出してこない状態でなけ……れ、ば──」ここでアキスは目を見開いた。気づいたようだ。「そうか、わたしは前提条件の一つを見落としていたのか」
「ご明察」レルートは我が意を得たりというように鷹揚に顎を引いた。「キョーソンの説明には論理の省略があるのよ。つまり、“老朽化のせいでラッチボルトが出てこないことがよくある” という前提条件のことね。これがないと、たしかにアキスの言うとおり勘違いはすぐに矯正されるわ。けれど、デッドボルトしか出てきてなくてもおかしくない状態が恒常化していたなら、矯正難易度は跳ね上がる」
「舌足らずだったようで、大変失礼しました」
柔和にそう言ったキョーソンに、
「都合の悪いことを隠すのが骨身に染みついてるからそうなる」ギシンが文句を垂れ、
「教祖様らしくてオレは好きだけどな」マジタニが皮肉り、
「あまり言ってやるな。だいたい、みんな似たようなものだろう?」ニックがなだめ、
「──それで、物理的には密室でなかったとして、ドアが開かなかった理由はどう説明するつもりだ?」ベンドットが話を戻した。
「簡単よ。ドアは内開きなんだから、ガラクタを重しにすればいい。おそらく “廃遊園地から盗んできたのではないかというゴーカート” がそれでしょうね。
手順としてはまず、アクセルの上に適当なガラクタを乗せて前進する状態に固定し、開いたドアで止めておく。その状態でドアを閉めれば壁にぶつかるまで進んでしまうから、車止めにあたるガラクタもセットしておく。ドアを閉めれば疑似的な密室の出来上がりよ。そしてドアを蹴破ると、ゴーカートは弾き飛ばされてアクセルの重しが外れ、停止するわ。状況証拠の隠滅も完了ね」
「ゴーカートが動くならできそうではあるが……」ギシンが釈然としない様子で言う。「ちぃとリスキーすぎやしねぇか? そのやり方だと、施錠されてないとバレる可能性もそこそこある。そうなっちまったらアリバイが崩れちまう。死亡推定時刻からの限定に反論できなくなるってことだ。そんな杜撰な犯行計画を採用するとは思えねぇな」
「だから犯人は第一発見者になる必要があるわ。自らドアを押すふりをしてミスリードするためにね」
「──ってことは」ギシンはリッポー、ロッソ、ガントを順に見やった。「この中に犯人がいるってのか?」
レルートは髭面の男を一瞥した。
「わたしはガントが怪しいと思ってるわ。呼ばれてもいないのにタイミング良く副所長室の近くにいたというのが根拠よ。第一発見者になろうと機を窺っていたとすると辻褄が合うもの──ねぇ、ガント。あなた、死亡推定時刻のアリバイはあるの?」
「……ない」
レルートはにんまりとした。「デッド・オア・ラッチ──この賭け、わたしの勝ちかしら?」
と、その時だった。
慌ただしくドアが開け放たれ、刑務官の制服に刀を
リッポーは、キョーソンが『ラッチボルトとデッドボルトを取り違えたことに気づけなかった』と発言すると直ちに内線端末を手に取り、現場のドアを確認して写真を撮り、ここに持ってくるように命じていた。
シホがスマートフォンの液晶画面を掲げた。
「残念だったな、レルート。お前の推理は見当違いだ」
その画面にはドア板側面の金具が表示されていた。ひしゃげているのはデッドボルトだった。先端の形が直方体だから間違いない。
「あらま」しかしレルートに落胆の色はない。「外れちゃった」
シホがリッポーの後ろに立った。見物していくようだ。
「ったく、お前ら揃いも揃って情けねェなァ!」
甲高いダミ声が響いた。マジタニだ。先ほどまでよりも幾分か上擦っている。シホを気にしているように見える。意識しているのかもしれない。
「いきなり正解を出しちまったら興醒めだと思ってワトソン役に徹してたが、そろそろ本気を──」
「ホームズ役がこなせるなら早くしろ」ベンドットが冷ややかに言った。
マジタニは舌打ちを零し、「いいだろう。そこまで言うなら見せてやる。名探偵の──」
「早くしろ」
マジタニはもう一度、今度は少し大きく舌を打った。
「やれやれだぜ。これだから──」
ベンドットの剣呑な眼光に気づいたマジタニは、息を呑んだ。
おいおいマジになんなよ、などと小さい声で言うとわざとらしく咳を払い、本題に入った。
「オレの仮説は── “類推公理の物理的密室” だ!」