「お前ら難しく考えすぎなんだよ」
類推公理、などと大仰で
「オレのトリックはシンプルだ。鍵を使って施錠し、死体発見のどさくさに紛れて部屋に鍵を戻す──これだけだ。簡単だろ?」
座が静まり返った。水を打ったよう、というより、水を零したよう、というほうが適切な感情が場に滲んでいる。
「……リッポーが犯人だと言いたいのか?」
やおらニックが口を切った。死体に最初に触れ、ポケットから鍵を取り出したのはリッポーだ。ゆえに、彼だけが類推何たらのトリックを実行できた──そういう理屈を予想しての問いだろう。
マジタニはもったいをつけたような笑みを頬にたたえた。
「いいや、それはちげェな。
オレの “類推公理の物理的密室” を成立させるにゃあ犯人は第一発見者の集団にいなきゃならねェ。最初調べた時に鍵がないと密室殺人とは
だが、リッポーは当初、ロッソ一人をギョーセの部屋に向かわせ、呼ばれるまで現場に現れなかった。仮に最初から同行すると怪しまれるかもしれないと不安だったとしても、タイミングを見計らって後から合流していたはずだ。『ギョーセに直接言わないといけないことがあったのを思い出した』『ギョーセに渡すものがあったのだった』とか何とかそれっぽい口実を拵えれば嫌疑も散らせる。
てめェらも “プロの悪党” ならわかるだろ?
“
見かけに似合わず多少は頭が回るようだった。とはいえ、評価を上方修正するほどではない。
「君の理屈どおりなら犯人はいないことになってしまうんじゃないか?」セドカンも質問を投げた。素朴な顔をしている。
マジタニはしてやったりというような顔になった。
「──って思うだろ? それが犯人の狙いだったんだ」
「とんだ食わせ者だな」
わたしがそう言うと、一同がうち揃って顔を向けてきた。総じて好奇心が浮かんでいる。
「ああ、たしかに犯人は食えねェ野郎だ」
マジタニは同意するが、勘違いしている。
「犯人のことじゃない。お前だよ、マジタニ。犯人の意図したミスリードをわたしたちに体験させるためにあえて推理に嘘を交ぜたな?」
説得力を植え付けるためだ。
マジタニは驚いた様子で瞼を持ち上げたが、「へっ、推理作家様には全部お見通しってか」軽口で応じた。
どういうこと?
レルートが聞いてくるが、答えず、マジタニの真の推理を待つ。
もうっ。
唇を尖らせるとレルートは、マジタニに目を移した。
「今オレが言った事後完成型トリックは誰でも思いつく陳腐なやつだ。犯人も当然想定していたに決まってる。
そこで逆転の発想だ。
どうせ疑われるなら、その型による嫌疑を捜査員に自分で否定させることで容疑圏外に出ればいいって考えたんだ」
コミットメント・エスカレーションと確証バイアス、すなわち一度下した判断は覆しがたくなるという人間心理を利用しようとした、ということだ。
「ちょっと待ってよ」レルートが言う。「その言い方だと、リッポーが犯人って言ってるように聞こえるのだけれど?」
「聞こえるも何も、そう言ってんだよ。
本当のトリックはこうだ──の前に、前提条件の整理だ。さっきリッポーが説明したところによると、
“副所長室は、塔の上層階、その外周に面している。構造もセキュリティーレベルも所長室と同じだが、同じ区画にはなく、少し遠い”
らしいじゃねェか。ってことはだ、たぶん鍵の種類や規格は所長室と副所長室で同じなんじゃねェか?」
リッポーはうなずいた。含みのあるしわを目尻に刻んでいる。
「だよなァ? だったら、あんたには鍵のすり替えトリックができたはずだ。
現場にあった棍棒でギョーセを殴り殺し、鍵をすり替えてドアを施錠し、何食わぬ顔で立ち去る。こうすれば鍵を戻さなくても密室偽装は成立する。第一発見者どもは偽の鍵を見て密室だったと勘違いするってことだ。後から隙を見て鍵を戻しておけばもう疑われることはねェ──っつーか、疑われても証拠がねェから痛くも痒くもねェ」
「……なぁマジタニさんよぅ」ギシンだ。「それのどこらへんが “類推公理の物理的密室” なんだ?」
一同の首肯が綺麗に揃った。
「はァ? んなもん、“これは副所長室の鍵である” って公理を、似たような別の鍵に適用してるとこに決まってんだろ。何でわかんねーんだよ」
ギシンは閉口した。皆、呆気に取られている。
「かなり無理やりだけれど、もういいわ。疲れた」メディスが脱力して言った。
「──君の推理はそれだけかな?」リッポーが質問を差し込んだ。マジタニの双眸を見据えている。
「あ、ああ、そうだ」マジタニは少したじろいだようだった。「観念してお縄につく気になったか?」
「いいや、その必要はないね。わたしにはアリバイがあるんだよ」
「んなっ」
抜け作じみた声を上げたマジタニをおもしろがりながら、
「だからわたしは犯人にはなりえない」
「だ、だがよ、そうするともう可能性がなくなっちまうじゃねェか──」
お前らもそう思うだろ?!
とプレイヤーを見回す。
不揃いながら同意が返され、マジタニは気力を取り戻した。リッポーに切り返す。
「こいつはどういうことだァ? 正解がない問題を出すのはルール違反じゃねェか? ここは一つ全員正解措置を──」
リッポーはそれには取り合わず、
「君はどう思う?」
わたしに矛先を向けた。
「 “殺人作家” として
皆の視線がわたしの顔を突き刺していた。
「『犯人を一意に特定できた者の刑期を十分の一に減ずる』
あんたはこう言ったな?」
「それがどうしたんだ?」
「まだほかの仮説を排除し切れていない可能性がある。だから情報を集めさせてほしい。そうすればおそらく──解ける」
「当たりがついている、と受け取っていいのかな?」
「そう思いたいなら思えばいい」
「そうかい。なら、遠慮なく期待させてもらうよ」と言いつつ、その眼差しはひどく冷徹だった。「では、このメンバーを三グループに分けようか。それで捜査に当たってもらう」
わたしはレルートとセドカンと共にCグループに振り分けられた。監視役はロッソだ。捜査期間に限り行動制限が大幅に緩和される。
三々五々解散となり、廊下を歩いていると、
「あなたは何を考えているのかしら?」
レルートが尋ねてきた。釈然としない思いと知的好奇心がない交ぜになったような半端なしわを眉間にたたえていた。セドカンとロッソも耳目を向けている。
「みんな犯人を捜してる。でも、あなたは違う。わたしたちとは違う視座から盤面を観察してる。かといって、リッポーのように人を使って遊んでいるわけでもない──あなたの目的は何?」
「その推論の根拠は何だ?」
「勘よ」レルートは即答した。気後れした様子はない。「ギャンブラーの勘がそう告げてるの」
「そうか」
「……やっぱり答えてくれないのね」
「的外れな勘に付き合ってやるメリットはないだろう?」
レルートは口元を片手で隠し、微苦笑した。
「本当につれないわね」
しかしそれほど不機嫌そうでもなかった。
◆
【ジョン・E・クリスティー】
〈収監者記録〉
職業:推理作家
刑期:懲役484年
収容区分:特別独居
危険度:A
面会:制限対象
〈有罪判決〉
殺人、殺人未遂、誘拐、未成年者誘拐、不法監禁、拷問、重傷害、暴行、強姦、性的暴行、放火、住居侵入、強盗、窃盗、死体損壊、死体遺棄、文書偽造、詐欺、武器不法所持、証拠隠滅、証拠改竄、司法妨害、ほか。
〈事件概要〉
長期間にわたり殺人を繰り返していたとされる連続殺人犯。
立件された殺人は23件。いずれも当初はクリスティーの関与が認められず、事故、自殺、失踪又は個別の殺人事件として処理されていた。
クリスティーが発表した推理小説と各事件との間に多数の一致が確認された。ただし、作中に犯行をそのまま記述した例はない。すなわち、被害者、場所、日時、殺害方法その他の要素は分解されたのち、別個の事件として再構成されている。
既刊作品の調査により、281件の未解決事件への関与が疑われている。このうち64件から、一般には公開されていない捜査情報との一致が確認された。本人は余罪について黙秘している。
〈特記事項〉
・幼少期より同種の犯行を繰り返していた可能性あり。
・高度な対人操作能力を有する。収容者に対する心理的操作がなされる
・一部の作品には、元となった事件が不明な記述が存在する。これらが純粋な創作であるか、未発覚事件の記録であるかは不明。
*
デスクトップコンピューターに表示させたそれを眺めつつリッポーは、飴を噛んだ。ガリッと鳴り、頭蓋骨に響く。ガリ、バキ、ガキ──。
ジョン・E・クリスティー──最高におもしろい実験動物だ。
しかし、危険でもある。
小会議室でのやつを瞼に思い起こす。観察眼に長けたリッポーにもその胸裏は見えなかった。一見、端整な顔立ちの無害そうな青年だが、見る者が見れば只者でないことは明白だった。
──人の形を成した深淵が人間のふりをしている。
数え切れないほどの犯罪者を見てきたリッポーをしてそう思わせるだけの凄みがあった。
「ふっ」
所長室の小暗い静寂に失笑が落ちた。
深淵といっても所詮は一般人だ。プロハンター──念使いどもの狂気に比べればどうということはない。
そんなことより。
リッポーはデータベースを閉じ、背の高いオフィスチェアに深く
今回の事件、いったい何が起きている?
名探偵ほどではないが、リッポーもそれなりにやる。そんな自分が糸口すら掴めない。にわかには信じられなかった。
ジョンはああ言っていたが、そしてリッポーもああ言ったが、期待半分諦め半分といった心持ちだった。
スマートフォンが鳴った。メッセージの通知音だ。腐れ縁のブラックリストハンターからだった。
『お前の狩り場で例の奇術師を見たって情報が入った。ハントするなら五億で手を貸してやる。』
スマートフォンを伏せた。ただの変態に興味はないし、そもそも今はそれどころではない。
「……いや」
ふとよぎった奇策があった。
瞬間的に損得を勘定し、ゲーム理論的にその案を棄却する一方で、リッポーの心は非合理側に傾いていた。
なぜなら、そちらのほうが愉しそうだから。
スマートフォンを手に戻した。指先が笑う。