午前十時。
日本だと多分午前一時くらい。
マネージャーとナリタちゃんにブチ切れられ、誠心誠意頭を下げ続けた結果としてなんとか解放された私は大人しくベッドに潜り込み、八時間も爆睡を……
「……ねみぃ」
かませませんでした。はい。
布団に潜って、いつものように同期のASMRを流したイヤホンを耳に突っ込んだら寝れるだろ!なんて考えた私が甘かったです。
聴取、お叱り、その他もろもろ(特にスイング移動)で疲弊した体は猛烈に休息と睡眠とふかふかを欲しているのだが、完全に覚めきった意識と興奮がそれを許してくれなかった。
ぼーっとしながら頭を右に左に揺らし、モーニングのベーコンエッグをつつく。
いい感じにとろとろの黄身に、どうやったらこんなにカリカリに焼けるんだろうと不思議なくらいに歯応えとあるベーコンを絡めて口に運ぶ。
「千ちゃん、大丈夫?さっきから心ここに在らず、って感じだけど」
「いつもこんなもんやろ千華、ウチはこんくらい静かな方がええなあ。朝メシも美味いわぁ」
同じテーブルで私を見るのは、今回の企画兼旅行についてきてくれた同期の配信者のふたり。
マギア・ミャビと稲荷ナリタの二人である。
……本名は別にあるんだけど、この生活が長いとこっちの名前で読んじゃうんだよね。
「ふんだ。二人も、実際に見たらここまでなりますよー……ソーセージもーらいっ」
起床して早々にジャブを打ってきたナリタちゃんのプレートの半分を覆うくらい大きなソーセージを二本フォークで奪い取る。
「んー、とってもデリシャス……も一本……」
「何本も許すと思うか?」
フォークをフォークで止められ、わかってますよー、と渋々引き下がる。
二人が何やら話し始めたのをきっかけに、ポケットからスマホを取り出してSNSをタップ。
今朝から何度も打ちこんだ文字列を並べて、何度もスクロールしては更新を繰り返す。
「……スパイダーマン……クイーンズと、マンハッタンで目撃。私がいるのがマンハッタンだから多分……」
ブツブツと今朝から落ち着かないままになった考えをそのまま垂れ流す。
SNSはこういう時に非常に都合がいい。調べたいワードや関連ワードを打ち込んで何度も見るだけで、それらしい投稿が来たらすぐにわかる。
しかし、最後に確認されたのは今朝の午前三時頃が最後。
ヤバめの薬の取引現場に残されていたのは、壁に貼り付けられたり、電柱に吊り下げられたりしている新種の現代アートと化した取引相手と犯罪グループの姿だけ。
もちろん白いネバネバした蜘蛛糸のようなもので。
三時間の間、マンハッタンの各所で同じような現場の投稿が同じ時間帯に投稿されているのを見るに、大部分の投稿はフェイクではなく現物。最後がクイーンズの路地裏で、ここからクイーンズの端っこまで大体車で二十分弱。
「てことは、やっぱり遠くにいるのかなー」
探してお礼を言いたいけど、徒歩は難しいだろうなあ。昨日の今日でみんなに心配かけてしまったし。
私のせいで、今日行く予定だったタイムズスクエアは後日に回されてリフレッシュの日になってしまった。
「千華、気に病まんでもええよ。夜出歩いたのは軽はずみやったし、危ないなんてモンじゃなかったけど。帰ってきただけ十分や。喧しくないとこの事務所(ウチら)って気がせえへんしな」
朝食を食べ終えて、デザートのフルーツヨーグルトに手をつけていたナリタちゃんが唐突に、私を庇った。
「いや、私が迂闊だったっていうか!日本とおんなじノリでふらふらしちゃダメだねやっぱり。……心配かけて、ごめんね二人とも」
改めて頭を下げる。
しばらくの間沈黙がテーブルを支配する。
マネージャーは日程調整も兼ねて他のスタッフさんと話し合い。
二人とも楽しみにしてたから余計に申し訳ない。
「空気に耐えられないし、バラしてしまおうかな?実はね、ナリちゃん結構負い目に感じてるのよ?」
びくり、とナリタちゃんの肩が震えた。
視線を向けると、顔を合わせまいと所在なさげに視線を逸らして、ヨーグルトを無言で口に運ぶナリタちゃん。
「ほらナリちゃん、ニューヨークのお菓子レビューの動画撮りたいって言ってたでしょう?でも飛行機で酔っちゃってしばらく寝込んでたじゃない。それで買ってきたんじゃないか、って」
微笑を携えてミャビさんが、ナリタちゃんの隠したかったであろう秘密を次々暴露していく。
ナリタちゃんはナリタちゃんで必死に事実から目を逸らそうと、とっくに空になったヨーグルト皿をスプーンで何度も掘っている。
「だからね、だこかのタイミングでしばらく分取り返すって意気込んでるの」
「……えっと、ね。100パーナリタちゃんのため、ってわけじゃないんだけど。ちょっとだけその理由もあるかも?」
昨日外に出たのは本当に自分が小腹が空いたから。それと、前にリスナーから教えてもらったドーナツ屋さんが割と近場にあったから。
まあ、ナリタちゃん喜ぶだろうなあって思いながら買ったのも事実ではあるから、否定はしないけど。
「それで千華が危ない目に遭ったら、本末転倒やろ。……ドーナツ奢って。そしたらアタシは許したる」
「許すって……まあいいわ。それじゃ、今日は三人で少しだけ外出しちゃいましょ。ちゃんとマネちゃんに言ってから、ね?」
もちろん千ちゃんが良ければだけどね、と付け加えて微笑む。
ナリタちゃんはじっとこっちを見つめるだけ。
「……なら、お言葉に甘えちゃおっかな」
ナリタちゃんの顔がふっと綻んだと思うと、すぐに顔がいつもの柴犬と狐を混ぜたような顔になる。
「千華は旅行が好きやからな、どーせ行きたいとこ決まっとんのやろ?」
「もちろん!私が今行きたいのは……」
一旦スパイダーマンを頭にしまいこむ代わりにSNSのタブを閉じてメモ帳を取り出す。
ここにくる前に来るべき場所と、行きたい場所をピックアップしてきたから。
まずはホテルから近くて、ほどよく散歩もできそうで、人気ナンバーワン(私調べ)の……
「セントラルパーク行きたい!」
◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆
目が開く。
正確には目よりも先に、何倍も先鋭化した感覚のほうが冴え渡る。
これが働かなかったことは覚えがないほどに、いつも僕を立ち上がらせた。
何度も。
何度も。
今回もいつもの通りに僕を気絶から復活させてくれたが、いつもとは少し違うものも僕を起こした原因みたいで。
「寒い……!」
寒さで止まらない震えと、治らない頭痛。
あちこちで水を滴らせるスーツと、骨の髄まで突き刺さるような冷たい痛み。
「池に落ちて陸まで上がれたはいいもののそのまま寝ちゃうなんてさあ……しっかりしろよ、僕」
茂みに隠れてスーツを脱ぎ、水を搾り出す。
未だ火花の散る腕輪を火種に枯葉を着火、即席の焚き火にあたる。
ちょうどいい高さの木の枝にスーツを引っ掛けて焚き火にあてて、少しでも早く乾くように位置どりをして、ある程度暖が取れた頃には街が活気付く時間帯になっていた。
誰かに見つかりませんように、と祈りながら腕輪を外して状態を確認する。
何度も僕を別世界に送り込んだ相棒はところどころ破損し、火花を散らしている。
適当な廃材を回収して修理できる限界をとうに超えてしまった。
今まで休みなく働いてくれたことにありがとう、と感謝を述べて。
「しばらく火種としてがんばって」
これからも長い付き合いになりそうなくず鉄をまた腕に嵌めなおして、上からウェブで外れないように固定。
「ヒビが入ってきたのが三つくらい前から、だったような気がするから……限界だったんだな」
移動の途中でどちらかが完全に破損したら、と考えてやめた。
恐ろしすぎて今のこの、かなり詰んでいる状況では考えたくない。
次に自分の数少ない装備のメンテナンス。
「スーツ。ご存知の通りびしょびしょで重いし、においも……レモンと炭酸水ない?」
あるわけないよね、次。
マスクを外そうとしかけて、自然と指が止まる。
「……破損とかあったら直さないと」
わかってる。
だが、指は石に反してそれ以上動かない。
後ろ首あたりにやった手をゆっくりと下ろして、淀んだため息を吐く。
脱ぐのが怖い。恐ろしい。
外したところで特に何もないはずなのに。
あり得ないことだと何度思い直しても、それ以上指が動かない。
わかっている。
顔を見た誰かがみんないなくなるなんて、ただの偶然だ。
そのほとんどがあまり良くない別れだったことも、全て偶然。
────そう割り切れたらどれだけいいだろう。
スーツなしで普通に喋れて、歩けたら、どれだけ気が楽になるだろう?
思い返せば、力を得てからずっとこうだった気がする。
誰かと同じ場所に立とうとしても、気づけば一人だけ違う地面を踏んでいる。
蜘蛛の力を持った人間なんて、どの世界に行ったってきっと異物でしかない。
歓迎されないどころか、存在自体が誰かの日常を壊す種になる。
だから、これから先も。
きっと僕を理解してくれる人間は現れないし、誰かに素手で触れることも、叶わないんだろうな。
そのくらいは、もう十分すぎるくらいわかっているつもりだった。
「でも、希望はあった」
昨日の女の子が言っていた、僕によく似た力を持つ【スパイダーマン】。
親愛なる隣人、とまで称される彼と会えれば、この孤独も少しは分かち合えるだろうか?
そして、この世界に侵入した脅威を、今度こそ終わらせることができるだろうか?
「スパイダーマンを、親愛なる隣人を、探さないと」
十分すぎるくらいに暖は取れた。
砂をかけて火を消して、一縷の希望を探し始める。
「……服どうしよう」
素っ裸か、あのスーツか。
どっちがマシかを三十秒くらい考えて……露出狂よりマシ、とまだ生乾きのスーツを着て、人がたくさんいそうなところを目指して歩き始めた。
もちろん、スイングはなしでね?
◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆
本当に不思議な世界だと、改めて思う。
誰かとすれ違うたびにいろんな人に見られるけどそれで終わる。
怪しいスーツを着ているからで石投げられたりしないし、なんだったら手を振る子どもまでいるしそれを親も止めようとしない。
「……凄まじい人徳だな、スパイダーマン」
最初は路地裏から様子を伺ってからにしようと思っていたけど、変にうろうろするよりもいっそのこと堂々としたほうがいいんじゃないかな、と逆転の発想でやってみたが意外と効果バツグン。
「……本物に会ったらちゃんと謝ろう」
あなたの姿の信用を利用してしまった、とどう謝ろうか考えながら自分と同じ格好を探す。
それっぽい色の服を着ている人は少し見かけたけど、やっぱりこのスーツと全くおんなじは見当たらない。
「スパイダーマンじゃん!写真撮ろうぜー!」
「よくできてんな、どこの仕立て屋?オレも次のコミコンの衣装そこで頼むかな」
テンションの高い若者二人組に肩を組まれ、写真を一緒に撮る。
罪悪感がないわけではないけど、少しだけ利用させてもらおう。
「えーっと……本物じゃないけどいいよ。はい、チーズ。あとこれは自前。素材も一から調達してるから普通じゃ難しいかも。あのさ、僕本物のスパイダーマンを探してるんだけど、どこにいるか知ってる?」
「ホンモノ?……あー、昨日のアレか?」
「昨日?昨日出たの!?」
「まーほとんどフェイク動画だと思うんだけどさ。この辺りでチンピラが糸で捕まってたんだとよ」
……それは僕のことじゃないか?
いや、自分がどのあたりをスイングしてたのかはっきりと覚えてるわけじゃないけど……この辺りってことは僕がやったやつじゃないか?
「ここより遠くとかそれ以外でそんな話ない?」
「あー……マンハッタンの方でもいくつか」
それも僕だなあ……
「えと、この辺りの地理に詳しくないんだけど、ここから大体10キロ圏外でそういう目撃なかった?」
彼らはほぼ同時に、タブレットをさらに小さくしたような端末をポケットから取り出しスワイプ。
画面をチラ見してみると、書き込みと一緒に映像の切り抜きが流れている。
似たような端末は前に見たことがあるけど、あまり上手く使えた記憶がない。
「朝からSNS見てるけどねえな。ニュースも特にねえし」
「そっか、邪魔しちゃってごめんよ。それじゃ」
「おーう!ホンモノと会えるのいいな!」
手を振って彼らと別れた後、しばらくベンチに座って空を眺める。
もしかして、もうこの周辺には……下手したらこの国にはいないのでは?
もしかして、アレ以外の脅威がこの世界にはあるのだろうか?
「んー……自己増殖を繰り返す巨大ネズミの大群、長を打ち倒した者が次の長になるっていうアレな風習持ちの戦闘部族、顔を自在に変えて成り替わるどころかその人物の能力まで完璧に複製する超能力者……でもそんなのいたらこんな平和なわけがないしなあ」
指折り数えて、今まで対峙してきた敵のことを思い返す。
が、そんなのがいるならこんな大きな都市が繁栄しているはずがない。
やはり彼も、見知らぬ脅威や敵と一人で戦っているのか?
「そもそもスパイダーマンって一人しかいないのか?」
不意に一つ、不思議なことを考えた。
いや、ただの直感に等しいんだけど……こんな広い世界を一人で守るなんて不可能だ。
なら、スパイダーメンとか、スパイダーチームとか組んでるのでは?
「だとしたらあんまりいい世界じゃなさそ……志願制なのかな?」
わからないことが多すぎて自分の経験に当てはめて考えてしまう。
ま、僕の場合は拒否権なんてなかったケド。
「……なんでアレだけは覚えてるんだろうね。他はどんどん忘れるのに」
なりたくてなったわけじゃないし、出来ることと言えば手首の血管の隣から蜘蛛糸を射てるのと、どんな壁でも楽に登れること。あとは……頭痛と悲鳴みたいな金切り音で危険を知らせてくれる謎のムズムズくらい?
人から外れて、色々やって、切り抜けて。
倒して倒して負けて逃げて、考えて立ち向かってまた負けて、追いかけて……。
この繰り返しを、よくもまあ今まで続けてこられたものだよ。
「じゃあ何でやめないの?」
心臓が飛び跳ねて口から吐き出そうになった。
自分の考えていることを見透かされて、質問されたような気がして、声の方に顔を向ける。
三人の女の子が肩を並べて歩いている。
随分と楽しそうに見える。
髪の色があまり見ない色だからだろうか、一際目立って見える。
左の子は明るい茶色に赤を混ぜた、映える色。
右端の一番小さい子は薄ら白い金に染めた、目に刺さる子。
真ん中で、おそらく質問投げかけられて答えているのは、青っぽいような緑っぽいような黒い髪。
この辺りの言葉じゃない、昨日の女の子と同じ言葉で話してるのを聞くにたぶん観光客。
てことは知らない可能性が高い……声をかけるのはやめておこう。
ていうかこの辺は目撃情報は僕のはあっても本物は全然ない。そろそろ別のところに行くべきかな?
「スイングは目立つ、よなあ……ちょっとめんどくさいけど徒歩で適当に人少ないとこまで行ってやるか」
なんかさっきの端末をこっちに向けられているが、追ってこなければ何でもいい。
ほどほどにしときなよ、と胸中で呟きながら軽く手を振りかえして、適当なところを探して。
────耳鳴り、叫び声、サイレン、燃える、荒い呼吸。
複数の雑多な情報が脳内を掻き乱し、頭痛を呼び起こす。
「……!どこだ?」
反射的にウェブを射出、飲食店の看板に引っ付けて足場にして周囲を伺う。
街の北方、四階建ての貸し屋から黒雲が立ち上るのを見える。
目視距離でおおよそ4キロ、なら!
立て看板と備え付けの階段にウェブを放ち、バリスタの要領で自分を限界まで引っ張って……
「ぃでで……!」
これ限界まで引き絞ると痛いんだよねえ!!
変な音のなる腕の痛みを無視して、そのまま射出!
スーツを通り抜ける風を受けて、瞬く間に高度はアパートの屋上あたりまで届く。そのまま落下速度を使ってさらに加速。
「待ってて!すぐに行く!」
右に、左にウェブを放ち、スイングの軌道が振り子のような弧を描いて僕を目的地へと連れていく。
「間に合え、間に合え頼む……!」
心の中でも同じように唱えながら、僕は炎と煙の立ち昇る石作りの建物に突入した。
brand new day が面白すぎて何回も見れますね