「何かさ……妙に機嫌良いよね、リナ」
『ヴィクトリア家政』の本部。
通常であればメンバーのそれぞれが直接『お仕事』に向かうことが多い中、今日は珍しく女性メンバーの三名が一堂に会していた。
他者がこの本部に訪れることはほぼ無いとはいえ、生業としている仕事の関係上、内部を清潔に保ち外部も綺麗に掃除するということは、当然のことと言えるだろう。
その清掃の最中、気怠げなメイド──エレンは、朝からずっと気になっていたことを、メイド長であるリナに尋ねた。
問われたリナは自覚が全く無かったのか目を少し丸くし、近くに置かれていた鏡へと目を向ける。
だが鏡に映る自身の姿や表情に、普段との違いや乱れは一切見られなかった。
「……わたし自身はいつも通りのつもりなのですが、エレンにはそう見えるのでしょうか?」
「まぁ、何となく? カリンちゃんもそう思うでしょ?」
「え、えっと、カリンもそう思いました……。リナさん、いつもより嬉しそうだなぁ、って……」
「まあ、カリンちゃんまで……」
急に意見を聞かれ、熱心に掃除をしていたカリンはその身を少し跳ねさせて驚いたが、エレンと同じくリナの様子が気になっていたのか、すぐに賛同の意を返した。
二人の言葉を受けて、リナは少し考え込む。
嬉しそうな様子であるということは、最近自身に起こった何か嬉しい出来事が、未だに尾を引いているということだと考え、そこでようやく心当たりへと辿り着いた。
「実は先日ワカさまのご自宅にお邪魔したのですが、それの影響かもしれませんわね」
「──リナ、それちょっと詳しく」
「え、エレンさんっ!? 今はお掃除の時間ですよっ!?」
「でもカリンちゃんも気になるでしょ?」
「それはその、えっと……!」
エレンとカリン。
二人の視線がリナへと突き刺さる。
ここで注意して掃除を再開させたところで、おそらく身の入らない適当なものへとなる。そしてそれはこの掃除の時間だけに留まらない可能性が高い。
それならばいっそ、何が有ったのかを話してしまった方が良いだろう。起こった出来事についても、何ら疚しいところは無いのだから。
そう結論付けたリナが、口を開く。
「お仕事の場所がワカさまのご自宅に近いところでしたので、帰り際に訪ねてみただけですわ」
「ご厚意で部屋に上がらせて頂いて、日頃のお礼にハンドマッサージを施させて頂きました」
「…………料理を教わるばかりで何も返せていなかったものですから、ワカさまに対して何かしてあげられたことが、きっとわたし自身が思っているよりも嬉しかったのでしょう」
そう言って、リナはエレンの手を取った。
続いて「そう、このような具合に……」と、ワカに施したハンドマッサージを、エレンに対しても行う。
思い出すのは、最中のワカの表情や、その手の感触である。
それらをエレンの手と比べている内に、想定していた時間よりも長くマッサージを行ってしまっていたリナが、手を離す。
そして手元から視線を外し、二人へと向き直った。
「……エレン? ……カリンちゃん?」
エレンは頬を僅かに朱に染めてそっぽを向いており、隣で見ていたカリンは顔を赤くして明らかに狼狽している。
その状況が呑み込めず、リナの脳内には疑問符だけが浮かんだ。
少し気まずい空気が流れた後、エレンが溜息を吐く。
「ワカさん、『これでもっと美味しいおにぎりが握れる!』とかって、喜んでたんじゃない?」
「よく分かりましたわね、エレン。正にその通りでしたわ」
その言葉を聞いて、エレンは再び大きな溜息を吐いた。
リナとワカ。
お互いに何か含むものを持たずに、その出来事は起きたに違いない。
そして何か邪な感情が入ることも無く、穏便に時間は過ぎ去ったのだろう。
だとしても、エレンは見てしまった。
マッサージの再現中、リナの表情とその瞳の奥を。
──そこに宿った、仄かで薄暗い熱を。
エレンはカリンを見た。
カリンもエレンと視線を合わせ、力強く頷く。
「──掃除、戻ろっか」
「カリン、お水を替えてきますね!」
そういった話に興味は有れど、誰かにアドバイスなどが出来るほどの経験値は、二人には無い。
二人は、発生しうる問題を先送りすることにした。そこには同僚に対する遠慮もあったかもしれない。
そして残されたリナは訳も分からず、困った表情で立ち尽くすことしか出来なかった。
漏れ出た感情を、彼女自身はまだ知る由も無い。
「……どういうことなのか、分かりませんわね。後でライカンにも聞いてみましょう」
エレンとカリンの二人分のツケは、責任者のライカンが払うことになるであろう。