新エリー都に存在する家事代行派遣会社『ヴィクトリア家政』は、その名前の通り掃除や洗濯や炊事、護衛や秘書やトラブル解決まで行う、プロ集団である。
メンバーの全員が執事服やメイド服に身を包んでおり、その装いに偽り無しと言わんばかりの働きぶりを発揮してくれるが、見合った依頼料も当然高額のため、政治家や富豪などの富裕層が主なターゲットであり、一般的にはその名前すら知らないという人の方が多い。
家政業務全般をこなし、秘書業務と護衛も行える執行責任者──『フォン・ライカン』。
同じく家政業務全般をこなし、特に料理関連の作業を好む古株メイド──『アレクサンドリナ・セバスチャン』。
お掃除や買い出し業務など、力が必要な業務を得意とする幼いメイド──『カリン・ウィクス』。
庭の手入れや『お掃除』を、高い身体能力で効率良く行う学生メイド──『エレン・ジョー』。
スイーツ作りに秀でており、他のボンプ達の指揮も執る執事長ボンプ──『バトラー』。
彼等彼女等がこの『ヴィクトリア家政』のメンバーであり、『真の主人』の意向の下、日夜新エリー都の何処かでその業務に励んでいるのである。
そしてその内の一人、『アレクサンドリナ・セバスチャン』──通称『リナ』に、ここ最近でとても良い変化が起こっていた。
それは……『料理技術の向上』。
彼女自身が『料理』を趣味としており、知人や友人、派遣先の主人などにお手製のお菓子を配ったりするくらいなのだが、その腕前は壊滅的を通り越して破壊的あるいは『殺人的』であり、『フォン・ライカン』によって処分マニュアルが定められているほどである。
その腕前が少しずつ、ほんの少しずつだが、確実に上がってきていた。
具体的に確立で言えば、美味しい:1%(小数点以下切上)、普通:4%、食べられる:10%、頑張れば食べられる:10%、何かしらの異常が起きる:175%(75%で異常が起き、その場合確定で二つ目の異常も起きるため)である。
何かしらの異常が起きる:300%(確定で三つの異常)が起きていた頃に比べれば、劇的な成長と言って差し支えないだろう。
……では、どうやって成長を遂げたのか?
要因はもちろん、お握り屋『握善<にぎりよし>』の店主──ワカに、師事し始めたためだ。
二人の出会いはとあるイベント会場で、ワカはおにぎり販売のために、リナは来賓の付き人として参加していた。
その来賓からの強い薦めでワカのおにぎりを食したリナは、その味と技術と料理としての完成度の高さに、感動すら覚えてしまった。
そしてイベントも無事終了し、業務も完了したリナは、片付け作業を行っていたワカの下に改めて挨拶に向かう。
持ち前の美貌や美しい所作、適切な言葉遣いで与えられる安心感。
長年の経験によって培われた会話技術による、和やかな談笑。
感服の証として贈られた──彼女特製のお菓子。
お菓子から放たれる異様なオーラに、笑顔が固まる店主のワカ。
リナの視線に耐え切れず覚悟を決めてお菓子を口に運び、意識を何度か飛ばしながらも、ワカはその劇物を嚥下した。
そうして始まった、ワカによる料理人としての説教と、料理人としての指導。
『ヴィクトリア家政』の一員として長く働き、メイド長や教育係も務めているリナにとって、誰かから叱られるのはとても久し振りのことであった。
彼女の立場やその人柄が、周りが指摘することを遠ざけてしまっていたのだが、今になってようやく、彼女自身が認識する機会を与えられたのである。
仕えるに相応しい主人に料理を出すことは名誉の一つであると考え自身の腕前を疑っていなかった彼女は、説教に面を食らいながらもワカから差し出された自分のお菓子を初めて食べ、その味に愕然とする。思わず吐き出さなかったのは、メイドとしての矜持であろう。
しかし彼女にとって最も驚くべきことだったのは、説教と指導の後に、残ったお菓子をワカが全て食べたことであり、そして次の機会も与えられたことであった。
『ふぅー……ふぅー…………ご馳走様でした……』
『……随分と驚かれますね? 確かに貴女の言う通り、酷いものと言わざるを得ない出来栄えです』
『ですが……このお菓子に込められた真心は間違いなく本物でしょう。料理人として、人として、残すということは致しませんよ』
『……次は、どうか私の先程のアドバイスを参考に、よろしくお願いします。楽しみに待っていますので……』
その言葉には、幾分かの社交辞令も含まれていただろう。
だが自身の料理の味に落胆し、今までこんな酷い手料理を周りに振る舞っていたのかもしれない、ということを後悔し始めていた彼女にとって、ワカの言葉は──救われるものであった。
そしてリナは、その場で弟子入りを申し込む。
ワカは『おにぎりのことしか教えられない』と断ろうとしたが、彼女に食い下がられ、料理に対する真摯な熱意を見せられ、最終的にこれを了承した。
それから今日に至るまで、ワカとリナの『師匠と弟子』の関係は続いている。
指導の時間は一月に数度程度ではあるが、リナはその時間をとても楽しみにしており、最近はワカも彼女の成長が見られるということで、楽しみにするようになった。
「今回のワカさまからの宿題は鮭おにぎりですか……」
「鮭おにぎりであれば簡単……と決めつけるのは、よくありませんわね」
「自身の知識だけに頼らず、改めて調べてからに致しましょうか」
「────生鮭、切り身、ほぐし身。和風に洋風……。鮭おにぎりというだけでも、こんなにも種類が……!」
「…………『ぼだっこ』? 何とも可愛らしいお名前ですわ。今回の鮭おにぎりはこの『ぼだっこ』で作ることに致しましょう」
……『アレクサンドリナ・セバスチャン』の、料理人としての道はまだまだ長い。