呪術高等専門学校・京都校にて、新一年生の入学初日の顔合わせやガイダンスが行われている、まさにその時刻。
『探さないで下さい』というふざけた置き手紙を残して消えたバカ男こと禪院朔は——山にいた。
京都市左京区・広河原のさらに北東側。
国有林か公有林か、あるいは私有林すら定かではない、深い山の奥地。
木々が鬱蒼と生い茂る中、朔は一人、自らの術式の実験を行っていた。
「
気怠げな半目のまま、ブツブツと呪詞を唱えて呪力を練り上げる。
現在、彼は空中にいる。
『鵺』の背に跨がり、眼下に広がる山林を見下ろしていた。そして、限界まで引き上げた呪力と共に、もう一つの式神の名を呼ぶ。
「満象」
――ドガァァァァァァァァンッ!!!
凄まじい轟音と地響きが、山全体を揺らした。
鵺による空中浮遊状態からの、象の超質量落下。天から地へと叩きつけられたそれは、周囲の巨木を何本もへし折り、地面に巨大なクレーターを穿つ。
「んー……」
空中からその惨状を見下ろしつつ、朔はうんうんと唸って分析を始めた。
(呪詞込みでも、まだこんなものか。本番なら、もう少し質量も出力も上がると思うけど……でも、まだまだだな)
周囲の木々を吹き飛ばし、地面に深く沈み込んでいる圧倒的な破壊力。常人から見れば災害レベルの一撃だが、彼自身はその結果にまだ不満らしい。
(もう少し、工夫しないといけないか)
もともと、朔にはまともに高専に通い、教室で授業を受けるつもりなど毛頭なかった。
自分にとっては不要なものであり、週に五日か六日かは知らないが、教室という閉鎖空間に拘束されるのは真っ平御免である。
真依は、僕と普通に学校生活を送りたいと思っていたかもしれない。そこに関しては少し申し訳なく思いつつも、彼には彼で、やるべきことが山積している。
(たぶん、携帯にめちゃくちゃ着信とか来てるだろうな)
そう思いながらも、ここでは電波が全く受信できないため、今は確認することすらできない。
ここまで傍若無人に振る舞えば、当然、高専の上の人間たちも頭を抱えていることだろう。
普段はタラタラと適当に外で実験をしながら活動し、夜は野宿するか、その辺のビジネスホテルを取るか。はたまた、夜中にだけこっそりと寮へ戻るか。
そのような無法が許されるのか。実際、彼は外出するにあたって、必要な外出届など一枚も出していない。めんどくさいから。というか、今後も外に出ている時間の方が圧倒的に長くなる。
こんなことばかりしていれば、高専側から見限られ、生徒としての籍を切られる可能性も考えられる。
だが、その時はその時。
少しだるいが、適当に回ってくる任務を処理して上に貢献していれば、まあ問題もないだろう。向こうの大人たちは、僕の『力』を都合よく使いたいだけなのだから。常に人手不足の呪術界。適当に鼻先へニンジンをぶら下げておけば、向こうも僕を手放せない。
(結局、大人の事情ってやつね)
こうして、山での実験は夕方まで続いた。
木々の隙間から差し込む光が、徐々にオレンジ色へと変わっていく。日が落ちてきた。
「今日はここまでかな」
大きく伸びをしながら、これからどうするべきかと考える。
一旦、街にでも出よう。そして、泊まる場所を探すのだ。
今まで禪院家から嫌がらせのように仕事を押し付けられてきたせいと言うべきか、おかげと言うべきか、口座の金だけはそれなりに溜まっている。実験に色々と使ってはいるものの、尽きる気配はない。
朔は鵺を旋回させ、京都市街の方向へと機首を向けた。
そのまま高度を上げ、張ってあった『帳』をすり抜ける。
*
実験するにあたって、当然ながら彼は帳を下ろしている。
自身の大規模な実験を、一般人の目に晒すつもりは毛頭ない。さすがにそこらへんのリスク管理は徹底している。最終的には残穢も綺麗に処理するつもりだが、今はとりあえずこのままでいい。帳も放置だ。
ちなみに、この広大な結界を維持するために、朔は『禪院家の蔵からパチってきた呪具』を使っていた。
山の四方に配置し、結界を維持させる。結界を張ったのは朔自身だが、現在帳を維持しているのは、設置した呪具そのものの呪力だ。あれらの道具に宿っている呪いを、効率的に流用している。
そこまで高価な呪具というわけでもないし、まあいいだろう。
高専入学の初日にエスケープをかまし、適当な山奥に不法侵入して勝手な爆撃実験を行い、実家の蔵の備品を勝手にかっぱらって結界の維持に使う。
どの方面から見ても、この男は控えめに言って『ろくでなし』だろう。
禪院家に生まれようがどこに生まれようが、こいつの性格は最終的にこうなっていたとしか思えない。
そんなろくでなしが帳を抜け、市街地に向けて飛行していると。
——ブブブブブブッ!!!
懐の携帯電話が、狂ったように震え始めた。
電波が通じるエリアに入った途端、一日中溜まりに溜まっていた通知が、一気に押し寄せてきたのだ。
嫌な予感を抱きながら、恐る恐る携帯の画面を開く。
そこには、真依や見知らぬ番号からの、とんでもない数の通話履歴とメッセージのポップアップが、山のように連なっている。
「……」
――自分は、何も見ていない。
さすがに、今このタイミングで彼女と話すのはちょっと気まずい。絶対に怒ってるから。もう少し時間を置いて、頭を冷やしてもらった方がいい。
「よし、行こう」
一人で都合よく納得し、街へと向かって飛んでいった。
*
さらに数日が経過した。
いまだに、朔は一度も高専には戻っていない。
市街地のホテルを拠点としつつ、外で実験と最適化を繰り返す日々を送っていた。
そんな自由気ままな生活をしている中で、すでに真依との「落とし前」の話は済ませている。
当たり前だが、めちゃくちゃに怒られた。
ひたすら謝って、謝って、今度向こうの休みと合わせてどこかへ遊びに行こうと『埋め合わせ』を約束することで、どうにか許してもらえた。なんだかんだ言って、彼女は僕に甘い。
休みの時間が潰れるのは少しだるいが、窮屈な学校に通うよりはずいぶんとマシだ。
そして高専の上層部とも、すでに話はついている。
入学式をすっ飛ばしてどこかへ消え、そのまま戻ってこない新入生など、普通に考えれば失踪扱いだ。
だが、朔の席はいまだに一年生として残っている。
彼の思惑通り、向こうから定期的に流れてくる『特級・一級クラスの厄介な任務』をある程度受けつつ、自由に生活するという形に落ち着いた。
授業が大々的に免除されたというわけではない。あくまで「暗黙の了解」というか、大人の事情というか。裏で面倒な任務を確実にこなすことで、サボりを見逃してもらっているという『賄賂』のようなものだ。
やれやれ。そんなこんなで、こちら側の活動環境にもなんの問題もない。
*
今現在。
朔は泊まっているホテルの部屋に戻り、夕食を済ませて一人の夜の時間を過ごしていた。
ベッドの上でゴロゴロしていると、真依から電話がかかってくる。
無視しようかとも一瞬思ったが、そんなことをすればさらに不機嫌になるのは火を見るより明らか。致し方なし。
――ご飯はちゃんと食べてるの?
――毎日ホテル暮らしなんて不健康よ。
――睡眠時間は足りてる?
電話越しから聞こえてくるのは、相変わらずの母親のような小言のオンパレード。何をしているのかと、色々と近況を聞き出そうとしてくる。
「大丈夫だよ。僕も頑張っているから」
『本当かしら? アナタはいつもいつもそう言って、適当に誤魔化すんだから』
つらつらと、文句のような愚痴が続く。本当に母親のようだ。実の母親の顔など全く覚えてはいないが。
これは良くないなと思い、無理やりに話題を変えることにした。
「それより、学校はどう? 何か問題はない?」
『えぇ、別に。特に何もないわ。……誰かさんが、初日から一回も登校してこないこと以外はね』
グサリ、と。見えない棘が心臓に突き刺さった。
それを無視しつつ、「そうかそうか」と頷く。
彼女も僕と同様、閉鎖的な空間で生きてきた人間だ。学校に通うという経験など今までなかったはずだから、ほんの少しだけ心配していたのだが。とりあえず、問題はないようで何より。
「クラスメイトとは上手くやれてる?」
『さっきからなによ。父親みたいな質問ね』
彼女の父親が、そんな娘を気遣うようなことを言うわけがないと思うのだが。一般的な話か……。
あの扇から、入学祝いはおろか、祝いの言葉ひとつ贈られているとは到底思えない。もしもそんなことがあったら、純粋な喜びよりも「何か企んでいる」か「天変地異の前触れか」と疑ってかかるのが先だ。
少し想像してしまったが、最高に気持ち悪い。勝手に想像して気持ち悪がられる扇も流石に哀れだ。
「なんとなくね。気になっただけ。クラスメイトがどんな人かも分からないし」
『さっきも言ったけど、何も問題はないわ。癖はあるけど、いい子たちよ。今度アナタにも紹介するわ』
「いや、いいよ。特に関わることもないだろうし」
『全く……そんなこと言わないの。クラスメイトなんだから』
交流の輪を広げることが、必ずしもいいというわけでもない。常に死と隣り合わせの呪術師なら、特にだ。
友達ができたようなら、まあ良かった。一癖も二癖もあるようなイカれた奴が相手でも、本人が充実しているのなら。
「まあ、考えておくよ。それで、どんな人なの? 二人だったよね」
『えぇ、そうね。三輪霞と、メカ丸。一人はシン・陰流を修めている子。もう一人は……メカというか、からくりなのかしら。ロボットみたいな』
「……???」
――ロボット。どういうこと?
同級生がロボット? ロボットが同級生?
頭の中に大量の疑問符が浮かぶ。
『まあ、会ってみればわかるわ。二人とも悪い人じゃないし』
彼女がそう言うのであれば、そうなのだろう。別に会いたいとは思わないが。
「ふーん、ならよかった。その他は? 教師とか、先輩とか?」
それを言った瞬間。電話の奥で、彼女が顔をしかめたような、嫌そうな雰囲気を感じ取った。
なんだ、変な人は本当にいたのか。
彼女が口を開く前に、先回りして問いかける。
「いじめられでもした?」
『……してないわよ』
ピシャリと言い返された。
なら問題はないか。まあ、彼女は大丈夫じゃない時も意地を張って「大丈夫」と言う子ではあるが、声のトーン的にそういう深刻なものではないらしい。
「嫌な先輩だった?」
『嫌というか、めんどくさいというのが正しいわね』
先輩は全員で三人いるらしい。一人は女、二人は男。
女の子の先輩は問題ない。だが、問題は男二人の方だという。
東堂葵と、加茂憲紀。
前者は知らないが、後者は聞いたことがある。名字だけだが。
「加茂って」
『えぇ、そうよ。私たちと同じ御三家。加茂家の嫡男らしいわ』
いいイメージが全く湧かない。せっかく家を出たというのに、そんな「面倒くさい因習の塊」みたいなのが高専にいるとは。
そこから、真依の愚痴が始まった。
『呪術師としてはこうあるべき、とか。同じ御三家としてどうだ、とか。いちいちめんどくさいのよ、あの男。私と初めて会った時、なんて言ったと思う?……「同じ御三家だ。未来の呪術界を担う者同士、切磋琢磨しよう」よ。はぁー、本当に嫌になるわ』
鳥肌が立つ、と言わんばかりのトーンで語る。
すごい嫌そう。
――僕が一番嫌いなタイプだ。
聞いてるだけでげんなりする。
呪術界の未来とか知らん。やりたい奴だけでやればいい。義務だの責任だのを勝手に背負い込んで、それを他人にまで押し付けてくる。絶対にそういうタイプだ。
――関わらんとこ。
もし高専に行くことがあれば、できるだけ会わないようにしたい。心からそう思う。
『たぶん、無理だと思うわよ。それ』
「……え?」
『彼、アナタにとても興味津々だったから。禪院家の次期当主候補の禪院朔がどうこう、って色々聞いてきたもの』
「えぇー……。次期当主候補って何。そんな呼ばれ方したことないんだけど」
『どうやら、思っている以上に有名人みたいね、アナタ。とても羨ましいわ』
そんな、思ってもみない皮肉が飛んでくる。羨ましくなんかない。
『それで、アナタの術式がどうとか、功績がどうとか、はたまた連絡先とか色々聞かれたわ』
「うわぁぁ……」
――どういう状況だよ、それ。
なんでそんなに興味持たれてるんだ。
「まさか、教えてないよね」
少しだけ声が低くなってしまった。
『教えてないわよ、当たり前でしょ。勝手にそんなことしないわ』
疑われたと思ったのか、心外だと言わんばかりに返してくる。
「そうか、ごめん。……それで、もう一人の先輩は?」
『……あぁ、もう一人は』
真依が、また言い淀んだ。なんて表現すればいいのか分からないような、複雑な沈黙。
『彼に関しては……会ってみればわかるわ』
――またか。
何その答え。すごい嫌な予感しかしないんだけど。
内心そう思いながら、深く追求することはやめた。関わらなければ問題はないだろう。絶対に会わないよう気をつけよう。
「まあ、充実した学校生活でよかったよ。……そういえば、担任の先生と思われる人から、ものすごい数の着信が来てるんだけど」
『アナタが入学式から今の今までずっとサボってるんだもの。当然でしょ。それも無断で』
「入学書類あたりに電話番号は記載したから、そりゃ割れてるか、たはー」
『たはー……じゃないわよ。早く出なさい』
「先生って、どんな人?」
めんどくさいから全て無視しているが、ちゃんと出た方がいいのだろうか。でも、どんな人かも知らんしな、と思い、彼女に印象を尋ねることにした。
真依は、少し迷うように間を開けて答えた。
『んー、そうねぇ。歌姫先生は、少し口うるさい部分もあるけど、可愛らしい人だと思うわ』
「……口うるさい可愛らしい人、か。」
僕が真依に対して思っていることそのものだ。
電話に出るのは、しばらくいいかな。彼は無言でそう結論付けた。
「はぁー、そろそろ眠くなってきた。それじゃあ、また」
『あっ、ちょっと。いきなりね……』
少し名残惜しそうな雰囲気を感じる。そういう感情を抱いている時ほど、彼女は無理に引き止めない。長い付き合いで分かっている。
「まあ、こっちも色々あるからね」
実際、彼は領域展開へのアプローチに行き詰まっている。だからこそ、色々と別の試行錯誤を同時並行で進めているのだ。
それを感じ取ったのか、真依が聞いてくる。
『何かあったの? なにか悩んでいるとか……話くらいだったら聞くわよ』
「うーん、うーん」
話って言ってもな。呪術に関連することだしな。
この子に相談して解決する程度の悩みだったら、僕一人ですでに解決していると思う。
口に出したら激怒しそう、というよりは悲しみそうなことを考えながら、どうしようかと思う。
「そうだね、それは大丈夫だけど。一つお願いがある」
『なにかしら?』
「うん。銃の使い方をさ、教えて欲しいんだ。あと、できれば弾丸をいくつか生成してほしい」
『……??』
いきなりどうしたのだろうかと、疑問符が彼女の頭を過ぎるのが電話越しでもわかった。
珍しいというか、彼がそんなことを言ってくるなんて。
「また今度でいいからさ。暇な時にでも」
『別にいいけど……急に銃なんて、どうして? アナタ向きじゃないと思うのだけれど』
「分かってるよ。でも、必要だから。いつかわからないけど、術式が使えなくなった時にでもね」
『ふーん、そう。わかったわ』
そう言って、彼女は軽く了承した。
この先、色々ある。術式の大部分が使用不可能になることだってあり得る。というか、十中八九あるだろう。
体術を捨てる縛りを課した彼がやろうとしていることは、そういう時のための保険だ。だから、最低限の銃の技術と、呪いがすでに込められている弾丸が欲しかった。
「それじゃあ、そういうことで。また暇な時にでも話そう」
『あっ——』
何か言いかけた声が聞こえたが、続きが紡がれる前に、容赦なく通話を切った。
「ふぅ。寝るか」
ベッドのすぐ隣で丸まっているウサギを撫で、布団に入る。
数週間ぶりに、彼女に会いに高専へ行こう。
久しぶりに、彼女の構築術式も見たい。燃費も効率も、僕の基準で言えばゴミクズだが、それでも昔よりはかなりマシになってきているはずだ。
効率を上げれば、もっと色々なものを作れるようになるだろう。
ただ、それだけじゃ足りない気がする。術式の燃費が、圧倒的に悪すぎる。
(その上、特別な呪具も作れないしな)
何かしらの特殊効果が付与された弾丸でも作り出せればいいのだが。彼女の戦闘スタイル的に。
例えば、相手が呪力で防御したら、その術者の回路をズタズタにする弾丸とか。
――ま、無理だろうが。
根本的に解決すべきは燃費の方か。
術式発動にかかるコストを、別のものに肩代わりさせる。
呪力だけではエネルギーが足りないというのであれば、別のものを消費するしかないだろう。
(物質を構築する時に、呪力だけじゃなくて、体内の『脂質』を燃焼する縛りでも結んだらどうか?)
冗談っぽく聞こえるが、割と本気だ。
呪力というエネルギーの不足を、肉体の物理的リソースで補填する。
呪術とは、引き算を極めるものらしいからね。
「いや……人のことばっかり考えてはいられないな」
僕だって、全く余裕があるわけじゃない。自分の領域展開の習得が先だ。
「もう寝よう。明日に備えて」
思考を強制シャットダウンし、静かに目を閉じた。