ありがとー!
「……はよ。きたよ」
重い空気を切り裂くような、一切の緊張感を持たない気怠げな声。
教室の扉を無造作に開け放ち、禪院朔はぬるっと足を踏み入れた。眠たげな半目をこすりながら、ポツンと立つ幼馴染の元へと歩み寄っていく。
「あら、遅かったじゃない。……来ないのかと思ったわ」
「いや、行くって言ったじゃん」
何言ってんの、と言わんばかりの視線を返す。
二人きりで話している時とは、ほんの少しだけ雰囲気が違う。いわゆる『よそ行き』の顔というやつか。
「アナタのことだから、今日になって『やっぱりめんどくさいから行かない』なんて言い出すのではないかと心配していたのよ」
「よく分かってるね。その通りだよ。……まあ、来たわけだけど」
挨拶と言うべきか、憎まれ口と言うべきか。
適当な言葉を投げ合う二人。心なしか、真依の声は少し弾んでいるように聞こえる。僕が登校してきたからだろうか。こういう、普通の学園生活めいたものを送りたかったのかもしれない。
いつまでもこうして話している場合ではないと思ったのか、真依はコホンと一つ咳払いをしてから、後ろに固まっている二人のクラスメイトへと手のひらを向けた。
「彼が例の……ろくでな、いいえ、禪院朔よ。偏屈だけど、仲良くしてあげてちょうだい」
(なんか今、ろくでなしって言いかけたんだけど。何なんだよこの子。今日はやけに口が回るじゃないか)
内心でツッコミを入れつつ、朔も二人に視線を向ける。
「は、はい! よろしくお願いします!! 禪院くん!」
――テンション高っ……。
思わず口から漏れてしまった。
最近の若者ってこんな感じなのだろうか。少し挙動不審な気もするが、というか『禪院くん』という響きがひどく新鮮に感じられる。
「よろしく、三輪さん? だったよね。彼女からちょっと聞いてる」
軽く頭を下げて短く返し、朔はもう一人の方へと向き直る。
「それで、君は……えーっと、ペッパーくん?」
「ペッパー君じゃナイ。メカ丸ダ。よろしく頼ム」
「あ、はい。どうも」
こうして、初の京都校一年生メンバーが全員揃い踏みとなった。顔合わせと自己紹介がなんとなく終わる。
「というか、今って何の時間なの? ホームルーム?」
「もうすぐ先生がいらっしゃるわ。この後、色々と説明してくださるはずよ」
「ほーん」
今日は交流会当日だ。具体的に何をやるのかは全く知らないが、呪術師の交流といえば、バチバチと殺し合い一歩手前の戦闘をしているイメージしかない。
「お二人とも頑張ってくださいね! 陰ながら、メカ丸共々応援してます!」
「えぇ、ありがと。頑張るわ」
女の子同士の微笑ましい会話。
自己紹介を経て肩の力が抜けたのか、三輪は彼女本来の柔らかい笑みを浮かべている。どこか自然体になったようだ。もしかして、僕、ビビられてた?
「ん? それより、メカ丸共々って……君らは出ないの?」
「あ、はい! そうですね。交流会は二年生、三年生がメインですし」
「俺たちハ、出ナイ」
ペッパーくんも三輪の言葉に続く。
「前に話したでしょう? 一年生は人数合わせだって。私とアナタの二人が出るのよ」
「……そんな話だったっけ」
というか、この子も出るのか。立候補したのだろうか。なぜ。
疑問が解けては、また新たな疑問が生まれる。全員参加ならともかく、真依はこういう血生臭い行事に積極的に出るタイプではないだろう。僕もだけど。
純粋にそう思い、理由を問いかけようとした瞬間。
先ほど自分が入ってきた扉の方向から、空気を震わせるほどデカい声が響き渡った。
「あぁーっ、アンタはぁぁぁっ!」
ビクッと肩を揺らし、そちらへ顔を向ける。
入り口に立っていたのは、巫女服を着た黒髪の女性だった。
――誰だ?
「何度か話したでしょ。歌姫先生。私たちの担任よ」
真依の小声の補足を耳に入れながら、朔はのんきに構えていた。
しかし、その巫女服の女性——庵歌姫は、ズカズカと怒りに任せた足取りでこちらへ迫ってくる。
――なんか怒ってない? なんかしちゃいました、僕?
「あんた、禪院朔ね! やっと……やっと来たわね、あんたぁぁっ!」
そのままの勢いで、歌姫は朔の胸ぐらを掴まんばかりの距離まで詰め寄ってきた。
「どうしました。えっと、先生?」
「どうしましたも、こうしましたもないわよ! よく私の前にのこのこ顔を出せたものねぇ、あぁん!?」
なんかチンピラみたいな絡み方をしてくるんですけど。この人、今日が初対面だよね。
「なにか?」
「『なにか?』じゃない! 入学初日からエスケープかまして、そこから音沙汰もなし! いくら電話をかけても出ないし、なんなのよアンタは!」
――あっ、そういう感じね。
完全に自分が原因だった。
これはまずいと思い、助けを求めるようにマイ・クラスメイトたちへと視線を向ける。
しかし。三輪は見たことのない担任の怒号にビビり散らかして固まり、ペッパー君は「面倒だ」と言わんばかりにスッと目を逸らす。そして幼馴染の真依に至っては、やれやれと片手で顔を覆っていた。
『自業自得よ』
そんな声なき声がはっきりと聞こえてくる。
マイフレンドたちが全く使い物にならないと悟り、自分で何とかしようと歌姫へ向き直った。自分で撒いた種は、自分で刈り取るしかない。
「いや、色々と忙しかったので。……そんなに怒んないでください。呪術師には、よくあることでしょう?」
よくあることなのかは知らないが、普通に適当に吹く。
雰囲気で乗り切るつもりだ。こういうのはパッションである。
「よくあってたまるかぁぁっ! 今、何月だと思ってんの!? 九月よ! ク・ガ・ツ! 初登校がこんな時期になる生徒、今まで見たことないわよ! 前代未聞よ、この問題児!」
「まっ、そういうこともありますよね」
何事もなかったかのように飄々と躱す。
すると、歌姫は「ものすごい嫌なもの」を見たような顔になり、忌々しそうにブツブツと呟き始めた。
「全く、御三家ってのはどいつもこいつも……その自分勝手さ、五条にそっくりだわアンタ」
「いやいや。御三家とひとくくりにするのは、僕以外の人間に悪いですよ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
これ以上ないほどの、深いため息が教室に落ちた。
あの五条悟と同様、まともに取り合うだけ無駄なタイプだと悟ったのだ。残りの三人の生徒が割とまともだったこともあり、最後の一人がこのような男であることに、彼女は深い疲労を覚えたらしい。
――傷つくなぁ、そんな反応されると。思ってないけど。
早く話進まないかな、と反省の色など微塵もなく思考を回す。
「そんな自分、何も悪くありません」みたいな無神経な顔に、歌姫の怒りが再燃しかける。
だが、大爆発が起きるよりも先に、真依がスッと二人の間に割って入った。
「歌姫先生。お気持ちは分かりますが、落ち着いてください。私たちは、この後どう動けばいいですか?」
見事なアシスト。そう、今日は交流会なのだ。無駄な時間を消費すると全体に迷惑がかかる。
「……ええ、そうね。ごめんなさい。ちょっと昔を思い出して、我を失いかけたわ」
自分を振り回した最悪の後輩たちの顔を頭に浮かべていたのだろう。ブンブンとその幻影を振り払う。
「東京校の子たちがまだ到着していないみたいだから、それまでは二年生、三年生たちと集まって作戦会議でもしていてちょうだい。演習場に集まっているはずだから」
「わかりました。それでは、失礼します」
これ以上、幼馴染と担任を同じ空間に置いておくことは避けるべきだと判断したのだろう。真依はそそくさと朔の袖を引き、教室の出口へと向かう。致命的に相性が悪いのは、今の数分間だけで痛いほど分かった。
「行くわよ」
「うん」
朔も大人しくついていく。
割と高専の敷地は広大であり、道も知らない彼を一人にすれば、絶対に迷うかサボるかの二択だ。本人もそれは自覚しているため、引かれる袖のままに歩みを進める。
「はぁ、まったく。初日からこれなんて、先が思いやられるわね」
「僕は何もしてないよ。一方的に絡まれただけ」
「アナタが電話を無視していなければ、ここまでこじれてないわよ」
紛れもない正論。
言い返す言葉を持ち合わせていない朔は、気怠げに視線を逸らし、初めて歩く校舎の廊下を眺める。
「演習場だっけ?」
「えぇ。そこに上級生が集まっているらしいわ。……変なトラブル起こさないでよ。仲裁するこっちの身にもなってちょうだい」
「向こうが何もしなければね」
その回答に一抹の不安を覚えつつも、真依は「仕方ない」とばかりに小さく息を吐く。自分が何とかして手綱を握らなくてはいけないと、謎の責任感を背負い込んでいるようだ。面倒見のいい彼女らしい帰結である。
目的地まで二人並んで歩き、校舎の角を曲がった、まさにその時。
三人の男女と出くわした。
「……うげ」
真依の口から、心底嫌そうな声が飛び出す。
一難去ってまた一難。なぜこのタイミングで、と言わんばかりの表情だ。
彼らが二年生の三人らしい。以前電話で彼女から聞いた話をなんとなく思い起こす。
(名前は全く思い出せないけど、確か……男二人がめんどくさくて、女がまとも)
そんなふわふわした前情報しか頭に浮かんでこない。
向こうもこちらに気づき、足を止めて目を向けてきた。
「おや?」
和装を着込んだ、糸目で長髪の男。彼が真依に視線を向け、次いで朔へと興味深げに目を向ける。開いてないけどね、目。
その後ろには、大柄なゴリラのような男。さらに、髪を二つ結びにした金髪の魔女っ子のような、箒を持った小柄な女の子。
(キャラ濃いな)
糸目の長髪男こと加茂憲紀が、真っ先に近づき、柔らかい口調で声をかけてきた。
「やあ、おはよう。今日はよろしく頼むよ。交流会、初めてのことで不安だと思うが、頼りにさせてもらう」
「えぇ、こちらこそ」
真依が表面上の適当な挨拶を返すと、加茂はスッと朔の正面に立った。
「君が、禪院朔くんだね? ずっと会いたいと思っていたんだよ。君はそれなりに有名だからね。普段は家同士、競い合う間柄ではあるが……同じ御三家として、仲良くしていこうじゃないか」
「あ、はい」
何かよくわからない御三家語りを述べながら、加茂は右手を差し出してくる。
(……話で聞いていた通りだ)
めんどくせえ、と純粋に思う。その握手に対して、気怠げに応じながら適当に上下へ振った。
「君には聞きたいことがたくさんあったんだ。加茂家の嫡男として、私は——」
「ちょっと。まだ他の二人の紹介が終わっていないでしょ。ここで長話を始めるのはどうなのかしら」
真依が、すかさず二人の間に割って入ってくれた。
――正直、めっちゃ助かる。
その言葉に少しだけピリッとした空気が漂うが、加茂も彼女の言葉に一理あると思ったのだろう。「そうだね、いきなり済まなかった。時間はたっぷりある、また後で頼むよ」と微笑んで引き下がった。
――めっちゃやだ。マジでやだ。
心の悲鳴が止まらない。なんなんだ、この人。禪院家のカスどもとはまた異なる、ねっとりとした面倒くささ。初めて見るタイプだ。
次に声をかけてきたのは、後ろにいた魔女っ子のような女の子。
ひょっこりと加茂の背後から顔を出し、軽く手を振って挨拶をしてくる。
「私、西宮桃。よろしくねー、後輩くん」
「はい、よろしくお願いします」
互いに言葉少なな、実にシンプルな挨拶。
(これだよ。これくらいでいいんだよ)
女性の先輩はまともだと聞いているが、確かにその通りだと身に染みて実感した。あの糸目と違って、非常にまともだ。彼自身も大概まともではないのだが。
「で? 話は終わったか?」
ドスドスと。
大きな足音を立てて、最後の男が一歩前へ出る。
ドスの効いた、力強く圧のある声。筋肉の塊のようなその巨躯は、ヒョロヒョロの朔とは文字通り真反対の存在。隣の真依も、心なしか嫌そうな顔をしている。
(よく見るとゴリラじゃない?……いや、よく見なくてもゴリラだ)
そんなクソほど失礼なことを考えていると、目の前の男が言葉を紡ぐ。
「ふん。禪院朔、といったな?」
「はい、禪院ですけど」
「俺は東堂葵。つまらん挨拶は省く。いいな」
大歓迎である。
(意外と話の分かる人なのか、この人? 二人が挨拶し終わるのを律儀に待ってたみたいだし)
「禪院!! お前に聞きたいことがあるッ!」
その言葉が出た瞬間、先輩二人と隣の真依が「またか」と言わんばかりに顔を引きつらせた。
(え、何? 何の顔、それ。何の儀式が始まるの?)
ゴリラが次の言葉を口にする前に、加茂が慌てて割って入る。
「やめろ、東堂! 交流会前だ。初対面の後輩に対して——」
「黙れ!! 今俺はッ! この男と話している!!」
茶々を入れるなと言わんばかりに、東堂は凄まじい呪力を練り上げ、周囲を威圧した。
――マジでなんだよ。
声を上げたと思いきや、いきなりブチギレている。これが巷で噂の瞬間湯沸かし器か、なんて現実逃避をしていると。
東堂はさらに一歩踏み出し、右手をビシッと前にかざして、極めて真剣な表情で問いかけた。
「禪院朔! どんな女がタイプだ!!」
……。
――なーに言ってんだ、コイツ。
数秒前、「意外と話が分かるかもしれない」と思った自分を全力でぶん殴りたい。話が分かる?いいや、 全然分かんない人だね。というか、金輪際僕に話しかけないでほしい。
なんて、素直に言えるわけもなく。
「……どゆこと?」
困惑したように問い返すと、東堂はフンと鼻を鳴らし、ひときわ声を張り上げて得意げに語り出す。
「性癖には、男の全てが反映される! 女の趣味がつまらん奴は、そいつ自身もつまらん! 俺はつまらん奴が大嫌いだ!!」
「……」
「ちなみに俺は、タッパとケツのデカい女がタイプです!!」
あ、模範解答出た。たぶんこれだ。
周囲には、何とも言えない沈黙の空気が漂っている。先輩二人はドン引きというか、諦めの境地。助けてくれそうな気配は微塵もない。というか、今下手に割って入ったら、マジで暴れ出しそうだ、このパイナップルゴリラ。
――どうしよう。
隣の真依へ、助けを求めるように視線を向ける。
しかし、なぜか即座に目を逸らされた。なんでぇ? なんだかチラチラとこちらを見て、「何て答えるか気になります」みたいな顔をしている。
(えぇー、なんなのホントに)
内心で深い愚痴を吐く。
なんて答えればいいのだろうか。彼の望む回答を外したら殴られそうだし、さすがに今、無駄な戦闘は避けたい。だからといって「タッパとケツがデカい女」だと脳死でオウム返しするのも、絶妙に地雷くさい。
(しょうがない。逃げる準備だけはしておきますか)
肩に乗っているウサギに、意識だけで密かな指示を出す。ウサギはするすると背中を駆け下り、気づかれないように外に出た。
「僕の好みは」
「おう!!」
東堂が、目を血走らせて先を促す。
「僕の好みは——」
周囲の人間が、どう答えるのかと息を呑んで見守っている。
――マジで何なんだよ、この空気。
そう思いながらも、朔は行動に出た。
隣に立つ真依の右手を、ギュッと強く握りしめる。
「……っ!?」
驚く彼女を、そのままズイッと自分の正面へ、盾にするように押し出した。
「——この子」
「えっ?」
複数の困惑の声が重なって響いた。それは一体誰の声だったのか。
「なっ、えっ、どっ、どういう……っ!?」
手を握られて不意に前へ出された真依は、ガチでテンパったように振り返り、朔の瞳を見つめてくる。
――許せ。必要な犠牲でした。
東堂ことゴリラは、ほんの少しだけ目を見開いた。
「ほう? ほうほう、なるほど。そういうことか」
加茂も西宮も、驚きの声を上げている。
「ちょ、ちょっと! いきなり、なにを……っ」
「真依ちゃん、もしかして、そうなの!?」
先ほどまでだるそうにしていた西宮が、目を輝かせて興味津々に問い詰めてくる。
「ち、違うわよ! これは……!」
否定しようとするが、動揺しすぎて上手く声が出ない。
加茂は顎に手を当てて「なるほど、家系同士で……」と深く考え込み、ゴリラに至っては「うんうん」と謎の頷きを返してくる。
むかつく。こいつら全員ぶん殴ってやろうかと思いつつも、まずは元凶に誤解を解かせるのが先だ。
真依は、自分を前に押し出した幼馴染へと怒りの形相で振り向いた。
「ちょっとアナタも! 何か言いなさいよッ!!」
しかし。
振り向いた先には——すでに、誰もいない。
「……は?」
真依は呆然と瞬きをする。
そして、瞬時に理解した。この場をカオスに陥れた直後、あの男が足元の影を使って真っ先に逃走したのだという事実を。
(あ、あいつッ!!)
——いやぁ、めでたしめでたし。
遠く離れた渡り廊下。移動させたウサギの影からひょっこりと姿を現し、朔は気怠げに伸びをした。