一触即発?のトラブルはさておき。
無事に東京校の面々が到着したことで、交流会は本来の進行を取り戻しつつある。
結局、一年と二年の間でのわちゃわちゃとした余計な問答に時間を消費してしまったせいで、事前の話し合いなどは一切できなかった。まあ、開始前に猶予はあるだろうし、問題はないか。
なんとか京都校の生徒たちがまとまり、教師陣とも合流を果たす。
歌姫先生の隣に立っているのは、京都校の学長だったか。楽巌寺とかいう、何を考えているのか全く読めない、しわくちゃのお爺さんだ。
先ほどの逃走劇のせいもあり、漂う空気はどこか浮ついている。それに、真依が僕のことをものすごく睨んでくる。
――こわっ。絶対目合わせんとこ。
朔は明後日の方向を向きながら、気配を薄くすることに徹した。
京都校の二年生、三年生は適当に会話を交わしていたが、東京校の集団が近づいてきたことでピタリと私語をやめ、向き直る。
ぞろぞろとこちらへ歩いてくる、東京校の教師と生徒たち。
「おっまたぁー! いやぁー、ごめんねー。渋滞に捕まっちゃってさぁ。これ、東京のお土産ね!」
「いらねえよ」
謎のハイテンションで手を振りながら現れた、白髪の目に包帯を巻いた男。彼が、歌姫先生になんかよく分からない謎のブツを渡している。
歌姫先生はものすごくイラついているように見えた。というか、受け取った何かよく分からないブツを、その場で地面に叩きつけていた。
この男が、現代最強。
無下限呪術と『六眼』の抱き合わせ。五条悟。
僕が今日、わざわざ面倒な交流会に足を運んだ理由の八割は、この男に用があるからと言っても過言ではない。
「悟。やめろ」
低い声で彼を窘めたのは、向こうの学長らしき人物だ。夜蛾正道。
――なんかすごいグラサン。ヤのつく職業の人かな?
「本日はよろしくお願いします、楽巌寺学長」
「うむ、よろしく頼む。夜蛾」
学長同士が、実直な挨拶を交わしている。
極めてまともだ。馬鹿目隠しこと五条悟のふざけた態度を完全に無視し、大人たちはちゃんと大人の話し合いをしている。
心なしか、こっちの学長のお爺さんも現代最強の彼をめちゃくちゃ煙たがっているように見える。気のせいではないだろう。
そして、大人たちの後ろには東京校の生徒たち。
彼らもまた、物珍しそうに京都校の面々を眺め回していた。
(全員、知らん人だ。というか……)
朔の視線が、ある一点でピタリと止まった。
——めっちゃ呪われてる人が一人いるんだけど。何これ?
向こうの集団の端にいる、唯一の一年生。
一見すると、何とも卑屈で、少し下を向いておどおどしている気弱そうな少年。だが、その弱々しい姿と反比例するように、彼が纏っている『呪いの密度』は異常だった。
(なんだ、これは……)
思わず息を呑む。
今まで見てきたどんな呪霊とも違う。圧倒的な質量。とんでもなく重く、どす黒く、果てしなく深い。あまりにも異質だ。普通じゃない。
東京校には、こんなバグみたいな奴が潜んでいるのか。
考え込んでいる間に、教師陣の挨拶が一通り終わったらしい。
今日行われる団体戦のルール説明が、東京校の夜蛾学長から発せられる。
「東京校の学長を務めている、夜蛾正道だ。交流会、初の参加者もいることだろう。これから詳しく説明していく」
その圧を伴った渋い声に、周囲の人間は静かに傾聴の姿勢をとる。
緊張を隠せない者。楽しみで武者震いしている者。色々な感情がこの場に渦巻いている。
かくいう朔はと言うと。
(立ってんの疲れた。座って話さない? なんか今日晴れてて暑いし)
ひたすらに気怠かった。話が長くない人だといいな、と純粋に願う。校長や学長の長話は万国共通で長いと相場が決まっている。義務教育を通っていない彼ですら、無駄話の鬱陶しさくらいは知っているのだ。家庭の事情でね。
「二日間にわたって開催される、東京・京都姉妹校交流会。その一日目は団体戦だ。チキチキ! 呪霊討伐猛レース!!」
渋いグラサンのおっさんが、真顔でそんなことを宣言した。
――めっちゃノリいいな。テンションどうなってんの。
だが、朔の意識は別の単語に引っかかった。
(ん? 二日って言った? 二日間?……聞いてないんだけど。今日だけじゃないの?)
彼のモチベーションが、音を立てて急降下した。
先に言ってほしい。そういうの。帰りたい。二日間もこんな場所に拘束されたくない。
げんなりしている彼をよそに、説明は続く。
「ルールは簡単。指定された区画に放たれた『二級呪霊』を、相手より早く祓った方が勝利だ。区画内には、三級呪霊も多数放たれている。もし日没までに祓われなかった場合、祓った呪霊の数が多い方の勝利となる」
夜蛾は、参加者全員の顔を見渡す。
「それ以外のルールは一切ない。もちろん、相手校への妨害行為もありだ。だが、君たちは共に呪いに立ち向かう仲間。死に至らしめるような攻撃や、再起不能になるような攻撃は禁止とする。以上だ」
(相手を殺さないルールか。そういうのもあるんだね)
呪術師なんて、己の目的や生存のために平気で他者を蹴落とす蛮族の集まりだというイメージしかない。割とそうでもないのか。
いや。呪術師は、ルールの抜け道を探すのが美味い連中だ。薄汚く、こすく、なんとかバレないように相手を潰す。それが朔の抱く『呪術界』への主観的な評価である。
(何かあったら、ルールなんて平気で破ってくるでしょ)
ルールを根底から守る気がなく、全てをぶっちぎって生きてきた男がそう結論付けるのだから、妙な説得力がある。
それにしても、呪霊を祓うのがメインか。
もっと術師同士でバチバチの殺し合いをするのかと思っていた。それぞれの高校同士で戦争でもするのかと警戒していたが、存外に平和だな。
(もし対人戦がメインだったら、後衛でぬくぬく隠れながら、クソエイムの銃を乱射して適当にお茶を濁そうかと思ってたけど)
呪霊を探しながら、適当にサボりつつ仕事するか。
希代の『ものぐさ男』は、ここに自分なりの方針を固めた。ルールは理解した。あとは自分がどう楽に動くかを考えるだけだ。
「開始は正午。それでは解散」
説明が終わった。
ここから、各校ごとにミーティングルームへと分かれ、作戦を立てる時間となる。
それぞれが散開しようとした、まさにその時。朔へ向けて、フラリと近づいてくる影が一つ。
「やぁやぁ、初めまして。ちょっといいかい? 禪院朔くんだよねー?」
五条悟に、直接声をかけられた。
――まじか。このタイミングで?
沈黙していると、五条は反復横跳びでもしそうな勢いで首を左右にブンブンと振り、包帯越しにこちらを観察してくる。
「んんんー? もしかして、僕のこと知らない?」
「いえ、知ってます。呪術師であなたを知らない人間はいないでしょう」
「だよね知ってるー! 僕、有名人! イエーイ!」
そう言って、長身の男が無邪気にピースサインを作ってくる。
(やばい。すげーめんどくさい。すごい変人だ)
己の変人っぷりを完全に棚に上げ、純粋にドン引く。
「それで、なにか?」
とりあえず話を切り上げよう。今から作戦会議があるし、とか何とか適当な理由をつければ引き下がるだろう。教師なのだから。まあ、僕自身は会議に参加する気など一ミリもないが。
「一度、君と話してみたいと思ってたんだよ。まさか、ほぼ同じ時期に禪院家から『二人』も生まれるなんてね」
五条の声が、ほんの少しだけ低く、深くなったような気がした。
だが、すぐにまた明るいトーンへ戻る。
「いやぁ! 未来の呪術界は明るいねぇ!」
びっくり、と言わんばかりに大げさに両手を上げる五条。いちいち動作がうざったいが、その言葉で合点がいった。
現在、十種影法術持ちは二人いる。一人は僕。そしてもう一人は、五条悟の預かりになっていると聞いた。本来であれば、禪院家に売り飛ばされてくるはずだったという子供。
「ちょっと五条。うちの生徒に何絡んでんのよ。シッシッ!」
不意に、歌姫先生が二人の間に割って入ってきた。野良犬を追い払うような手つきだ。
――おお?
朔はほんの少しだけ驚いた。入学初日からバックレたことで完全に嫌われていると思っていたが、こうして生徒を守ってくれるとは。「いい人」というのは本当らしい。
彼女への好感度が、少しだけ上がった。もちろん、向こうから僕に対する好感度は、この後さらに奈落へと落ちていくだろうが。
「これからミーティングなんだから、邪魔しないでもらえる?」
「歌姫は固いなぁ。はいはい、分かったよー。それじゃあ頑張ってね、期待してるよ」
「あ、はい」
そんな感じで、五条は嵐のように去っていった。
本当に、台風みたいな人だ。
「ちょっと」
白髪の不審者の背中を眺めていると、今度は後ろから声がかかり、袖を引かれた。
真依だ。まだちょっとだけ不機嫌そうに見える。
「ほら、もう皆行っちゃったわよ」
彼女が指し示す先には、すでに校舎へと向かっている先輩たちの背中があった。なんだかんだ文句を言いつつ、ちゃんと僕を待っていてくれたらしい。やっぱり優しい。
「そうだね。案内して」
「こっちよ」
言葉少なに案内してくれる。まあ場所くらいは知っておかないと後で合流できなくなる。朔は素直に彼女の後ろをついていくことにした。
*
こうして、京都校のミーティングルームへと到着した。
中では、これからの団体戦でどう動くべきか、作戦会議が行われようとしている。
二年生、三年生、そして僕たち一年生の二人。
部屋の中は、嫌なピリピリとした空気に包まれている。先生方は観戦用の部屋へと移動したらしい。
(僕もそっちがいいな。座って見ていたい)
そんなことを口に出せば、たぶん歌姫先生に蹴飛ばされるだろうけど。
「それじゃあ、団体戦の作戦を——」
三年生の先輩が、全体をまとめようと口を開いた。
だが、その言葉が最後まで紡がれることはない。
「悪いが。あんたらの指揮下に入るつもりはない」
東堂葵だ。
「俺は、勝手にやらせてもらう……それに、11時からの音楽番組に高田ちゃんが出るッ!!……ここまでいえば、わかるな?」
先輩に対しても全く臆することなくそう告げ、東堂は背を向けて部屋を出て行こうとする。
(……出て行くなら、なんでこの人わざわざミーティングルームに来たんだよ。直帰すればいいのに)
冷めた目で見ていると、三年生が慌てて声を上げる。
「まて東堂! 交流会は、我々京都校にとって重要な——」
「黙れッ!!」
その一言で、部屋の空気が完全に凍りついた。
東堂の巨体から、濃厚な殺気がダダ漏れになっている。
――怖すぎだろ、この人。
感情の波が激しすぎて、全く読めない。
「好きにやらせろ。俺に指図をするな。——殺すぞ?」
だから怖いってば。
言いたいことだけを言い捨てて、東堂はドスドスと重い足音を響かせて去っていった。
「東堂、あいつは……!」
「仕方ないでしょ。東堂くんは、私たちじゃ制御できないし」
ギリッと歯を食いしばる加茂と、ため息をつく西宮。
その混沌とした様子を眺めていた朔は、ここぞとばかりに動いた。
(はぁ。まぁいいか。——僕もこの流れに便乗させてもらおう)
「あー、それじゃ。僕もこの辺で」
「えっ?」
隣にいた真依が、そして三年生の先輩たちが、信じられないものを見るような顔でこちらを振り返る。
『何言ってるの、この人は』
真依の顔には、そうはっきりと書いてあった。
だが、知らん。
朔は気怠げに背を向け、東堂が開け放った扉に向かって歩き出す。
三年生は「君もか」と完全に困惑している。さすがは『禪院』の肩書きというべきか。東堂の直後というタイミングの悪さもあり、三年生から引き留める声は上がらなかった。
だが、加茂憲紀だけは食い下がってくる。
「待て、禪院くん。じっくり作戦を話し合わなければ、勝てるものも勝てなく——」
「いや、そういうのいいんで」
強制的に話を打ち切る。
ここで遮らないと、この人は永遠に話し続ける。そう理解していたからだ。
冷たく言い放ち、呆然とする先輩たちを残して、そそくさとミーティングルームを後にした。
*
ミーティングルームを堂々と抜け出した朔は、廊下を気怠げに歩いていた。
「さて。正午までまだ時間あるし、どうしようか」
口ではそう言いながらも、行き先はすでに決まっている。
「ちょっと、待ちなさいよ! 何考えてるの、アナタは!」
背後から、パタパタと小走りで追ってくる足音が響いた。もちろん、真依だ。
「作戦って言ってもね。僕は味方の術式も、得意不得意も知らないし。そもそも単独でバラけて戦いたいから、僕が会議にいても無駄なんだよね」
「それをこれから話し合うところだったのよ! アナタはどうしていつもこうなの!」
そう文句を言いながらも、真依に強引に引き止めるつもりはないらしい。
頭が痛そうに額を押さえつつ、三歩くらい後ろをトボトボとついてくる。
(……この子なんで来たの。僕のこと気にせず、会議に参加すればいいのに)
まあ大方、僕をこの広い敷地内で迷子にしないための保護者代わり、といった理由だろう。
面倒見がいいというか。
禪院家を嫌悪しておきながら、そこで育った『男を立てる』『世話を焼く』技術が染み付いている。そういう部分は、伊達に因習まみれの家で育っていないと感心する。
なんて口に出したらさらに激怒しそうなので、絶対に言わないが。
「それで? 迷いのない足取りだけど、どこに向かってるのかしら」
「ん、少しね。五条悟に頼みたいことがあるんだよ」
「え……っ」
真依が、驚きで足を止めた。
あの現代最強の術師に、一体どのような用事があるというのか。
「だから、観戦室に行く」
それだけ言って、朔は再びズカズカと廊下を進む。真依も、呆れながらその後ろをついていくのだった。
*
——結論から言えば。
朔は観戦室に真依を伴って突撃し、そして即座に追い出された。
主に、歌姫先生の怒声によって。
突如として大人の部屋に乱入してきた問題児の登場に、夜蛾や楽巌寺といった学長たちも完全に困惑していた。
五条に「ちょっと用がある」と伝えた瞬間。
『ん? 僕に? なになに〜?』
五条が嬉しそうに身を乗り出してきたため、用件を口にしようとした、その時。
『いい加減にしなさい! アンタはこれから試合でしょうが! サボるんじゃないわよ!』
歌姫先生の堪忍袋の緒が切れた。
交流会が終わってからにしなさいと、物理的に部屋から追い出されたのだ。
まあ、ミーティングの時間をサボって乗り込んできたわけだから、こうなるのも当然か。納得するかは別の話だが。
――この人、本当に口うるさいな、全く。
『ちょっと! アンタ聞いてるの!?』
『あ』
怒る歌姫。困惑する学長陣。爆笑する五条。
観戦室は完全なカオス状態を呈した。
『真依! このバカを演習場に連れて行きなさい!』
歌姫にそう命じられ、真依に手を引かれた彼は、渋々といった様子で観戦室を出ることとなった。
ただ、扉が閉まる直前。
『交流会終わったら話聞くよー!』
五条悟からの声が響いた。
確かな言質は取れた。なら、まあ良しとしよう。
*
そして、正午前。
東京校、京都校、それぞれが別の位置のスタート地点にスタンバイし、開始の合図を待っていた。
単独行動を宣言した変人、東堂葵。
我が道を行く問題児、禪院朔。
この二人のせいで、京都校側の空気は非常に悪い。前途多難と言うべきか。
残された二、三年で作戦は立てたものの、単独行動すると予測される厄介な二人のせいで、陣形がどうなるかは未知数だ。
さて、どうなるか。
少し前の観戦室でのカオスを思い返していると、校内に設置されたスピーカーから五条悟の軽い声が響く。
どこか、この殺伐とした空気を無理やり盛り上げるように。
『それでは、それでは! 待ちに待った東京・京都姉妹校交流会……! スタァァァァァァトォォッ!!』
――テンションたけぇ……。
朔が顔をしかめた、それと同時。
ドバァァァンッ!! と。
一人の大柄な男が、爆発的な呪力と速度を持って、森の奥へと一直線に走り出した。
——そいつは、女の趣味審査員こと、親友テロリストこと、哲学ゴリラこと、歩くパイナップルこと、東堂葵。
彼が真っ先に、単独で敵陣の方向へと突撃していったのだ。
「あの男は……ッ!」
加茂が忌々しそうに悪態をつく。他の先輩たちも同様だ。
まあ、それはそうだろう。団体戦において個人のエゴを通せば、周囲からの軋轢はどうしても生まれる。
だが、僕にとっては都合がいい。ゴリラが暴れて東京校の意識を惹きつけている間に、僕は僕で楽をさせてもらおう。
「それじゃあ、僕もこれで」
朔は、ポケットに手を入れたまま一歩前へ出た。
「ちょっと待って! 私も——」
真依から声がかかる。
どうやら、僕についてこようとしてるらしい。それでは上手くサボれないし、行動が著しく制限されるから、ちょっと困る。
朔は振り返り、何気なく事実を告げた。
「ついてこれないでしょ?」
——ピクッ。
その言葉を聞いた瞬間。彼女の表情が、目に見えて凍りついた。
傷ついたような、そして酷くショックを受けたような顔。
――えっ? なに? なんでそんな顔するの?
朔の頭に疑問符が浮かぶ。何か、致命的な勘違いが生まれた気がする。
「……そう、ね」
真依は、ギュッと唇を噛み締め、俯いたまま後ろへ引き下がった。
彼の言葉の意図は、極めて単純。
そのままの意味だ。
しかし。
強気な態度の裏に深刻な劣等感とコンプレックスを抱える真依は、その言葉を少し複雑に受け取った。
ほんの少しだけ、彼女のネガティブな闇が顔を出したすれ違い。
(まあ、いっか)
朔は思考を放棄し、さらに一歩踏み出して前を向く。
「やるぞ」
気怠い呟きと共に、彼の足元の影から、巨大な怪鳥が姿を現した。