「なんだこれは……? 」
目の前で巻き起こった予想以上の異常事態に、朔は深い困惑を抱いていた。
いや、本当に何なんだ、これ。
パカァァァンッ! という間の抜けた確定音と共に、秤金次の肉体から、暴風のような呪力が溢れ出している。
初めて遭遇する現象だ。こんなめちゃくちゃな術式が存在するのかと、冷静なはずの思考にノイズが積み重なっていく。
だが、呆然としている暇はない。
「ハハァッ!!」
貫牛を放つために低空飛行へ切り替えていた『鵺』の背に乗る朔へ向けて、秤が大地を蹴り飛ばして駆け出してきた。
即座にウサギの群れをけしかけるも、無意味。
――ドゴォッ! バキィッ!!
怒涛のラッシュ。秤は迫り来るウサギの群れを次々と粉砕し、強引に吹き飛ばしながら直進してくる。彼の全身から放たれる膨大な呪力が、辺り一面に惜しげもなく撒き散らされていた。
(どういう理屈なの、これ?)
鵺を操作し、再び上空へと飛び上がる。
しかし、秤もその脚力に物を言わせて大きく跳躍し、空中の朔へと肉薄してきた。先ほどと全く同じ状況。
違うとすれば、迎撃の手段。
「放て」
その冷たい命令と共に、鵺の翼から紫電が放たれた。
――バリバリバリィッ!!
空中で回避不能の雷撃が、秤の全身を容赦なく撃ち抜く。
だが——目の前の男は、止まらない。
雷撃によって焼かれた皮膚が、破壊された端からゴリゴリと音を立てて修復されていく。
傷を治癒する『反転術式』。それが呼吸をするように、極めて自然に肉体から溢れ出している。雷の衝撃すらも溢れる呪力を身に纏い、強引に耐え凌ぎ、一切の減速を見せずに突っ込んできた。
「そんなモンかぁッ!?」
――まずい。
思考するよりも早く、朔は身体を動かした。
足場にしていた鵺を解除し、自らも『影』へと深く沈み込む。
――ブォンッ!!
ほんの一秒差で、秤の放った必殺の拳が空を切り、虚しく風を打つ。
「お?」
手応えのない空振りに、秤が空中で目を見開いた。
——ズブォッ。
そこから遠く離れた森の地面。先ほどの攻防で周囲に散らばっていたウサギの足元の影から、朔の身体が音もなくせり上がってくる。
自分の影と、展開している式神の影とを空間的に繋ぐ。
「どういう理屈だ?」
目の前からいきなり標的が消え、離れた地上に出現した彼を見て、秤の顔に一瞬だけ困惑の色が掠めた。
だが、それはこちらも同じこと。
朔は気怠げな瞳で、狂気のギャンブラーを分析する。
雷撃をものともせずに突っ込んできた。傷も一切ない。あれだけの熱量と衝撃を浴びたはず。最初の牽制の時とは違い、割と本気で殺る気で放った一撃だった。
それを真正面から受けてなお、全く怯むことはない。さらには、負ったはずの傷が瞬時に治っている。
(呪力が無限に生成されている? それを、反転術式として運用してるのか……?)
だとしたら、あまりにもタチが悪い。
「はっ。何をしたかは知らねぇが、なかなか面白い手品だな? おい」
土煙を払いながら、滾らせた秤が不敵に笑う。
朔はそれに答えず、無言で新たな影絵を結んだ。
『虎葬』
『満象』
二足歩行の獰猛な虎の式神と、巨大な象の式神。二体の強大な手札が、両サイドにズンッと顕現する。
「おーおー、次々と。で? どうすんだよ」
「いけ」
軽くアゴでしゃくると、虎葬が地を蹴って走り出した。
「ハハッ、やるか?」
秤が両の拳を打ち鳴らし、迎撃の構えをとる。
だが、朔のような男が、相手の得意な近接戦闘で真っ当にぶつかり合うわけがない。
式神の爪と、術師の拳。互いの攻撃が衝突しようとしたその直前。
朔は、虎葬の術式を意図的に『解いた』。
「あ?」
――ビチャァァァッ!!
虎の姿を形作っていた影が液状化して弾け、真っ黒な墨汁のように目眩ましとなって秤の視界を完全に塞ぐ。
その一瞬の隙。すでにチャージを開始していた満象の鼻から、規格外の質量の『水』が鉄砲水のように放出された。
まるで、ダムが決壊したかのような大洪水。
「うぉッ、水!?」
急に現れた大量の濁流に、視界を奪われていた秤は真っ向から飲み込まれ、森の奥へと激しく押し流されていく。
その光景を冷ややかに見つめながら、肩に乗せていたウサギを解除し、両手を組み合わせて静かに呪詞の詠唱を開始した。
「
それは、十種の一つ『脱兎』の特性を極限まで引き出すための儀式。
すなわち、増殖能力の大幅な強化。
「
ボコボコボコッ!! と、影の中から狂気的な速度で分裂し、キメラのようなウサギたちの群れが次々と産み落とされていく。
圧倒的な質量と数。獣の群れが、濁流に流されていく秤を追って一斉に飛びかかった。
「おいおい、まじかよ……!?」
水流からどうにか抜け出し、近くの太い木の枝へと掴まっていた秤が、迫り来るウサギの波を見て目を見開いた。
先ほどの増殖数も規格外だったが、それを遥かに凌駕する絶望的な物量。だが、秤の驚愕はほんの一瞬の出来事。
「ハッ、いいぜ!!」
相手をしてやると言わんばかりに、秤は木の枝を蹴り折って、自らウサギの群れへと突っ込んでいった。
四方八方から、逃げ場を塞ぐように獣が襲いかかる。
凄まじい呪力を纏った拳で、次々と肉を砕き、群れを対処していくギャンブラー。
巨大なキメラ兎の波に飲み込まれ、全身を切り裂かれ、鋭い牙で肉を食い千切られたとしても、全く怯む様子がない。
手足、腹、背中。体全体を噛みつかれ、時には眼球すらも鋭利な爪で潰された。
だが、止まらない。
失われた肉も、潰れた眼球も、コンマ一秒の世界で瞬時に再生を終え、無限の呪力で群れを容赦なく蹴散らしていく。
(これでは、決め手に欠ける)
その血みどろの激戦を、森の暗がりから隠れて観測しながら朔は呟く。
(……なら)
*
「そんなもんかァッ!!」
――ドゴォォォンッ!!
秤が地面を力任せに叩き割り、足場を大きく揺らす。バランスを崩して突っ込んできたウサギたちを、容赦なくタコ殴りにしていく。
だが、どんなに戦意が熱く燃え上がっていても、彼の戦闘における思考は極めて冷静。
(まずいな。見失った)
式神使いとの戦闘における絶対のセオリー。それは、『術者本体』を叩き潰すことだ。
だが、その術者本人が、この分厚いウサギの群れに紛れて完全に姿を隠してしまった。一度見せた、よく分からない空間移動の手段もある。
群がり来るウサギを叩き潰し、自らの肉を切り刻まれ、瞬時に再生しながら秤は思考を巡らせる。
このままではマズい。言葉を交わして分かったが、あのヒョロガリはバカ正直に正面から出てくるような脳筋タイプじゃねぇ。
(なんなら、すでに逃げた可能性すらあるか)
あの徹底してやる気のなさそうな男の気怠い顔を思い浮かべ、秤は舌打ちをする。
溢れ出す無限の呪力を極限まで漲らせ、周囲に一気に放出した。
「オラァッ!!」
衝撃波のような呪力が広がり、前方に群がっていた数十匹のウサギをまとめて粉砕し、視界を強引に開いた。
そのわずかな隙を伺うように、背後から飛びかかってきた数匹のウサギの気配。
それを迎撃しようと、秤が振り返りざまに拳を振り上げる。
「あめえよ——」
言いかけた途端。
秤の研ぎ澄まされた本能が、妙な呪力の『起こり』を強烈に感じ取った。
(あ? なんだ? 兎の影が……!?)
――ドゴォォォォォォォンッ!!!
飛びかかってきた小さな兎の影。そこから、到底サイズが合わないはずの巨大な闘牛——『貫牛』が、ロケットのように射出されたのだ。
「ぐふぁッ!?」
完全に迎撃のタイミングをすかされた。
強烈な突進の威力が、無防備な秤の胴体にクリーンヒットする。
そのまま大木を何本もなぎ倒しながら、秤の巨体が遥か後方へと吹き飛ばされた。
バキバキバキッ! と背中で木々をへし折り、全身の肉をズタズタにしながら、ようやくその身体が止まる。
とてつもない威力の一撃。内臓がえぐれ、秤の口から大量の鮮血が吐き出された。
「ぐはっ……ぐぁ……っ」
だが、それほどの致命傷を負ってもなお。
男の傷は、瞬きをする間に即座に再生を始めていた。
その信じがたい光景を、朔は森の暗がりから静かに眺め、そして結論付ける。
(あれを殺り切るのは、今のままじゃ無理だな)
圧倒的な再生力。奇襲の『貫牛』による突進。あれほどの質量と速度を叩き込まれても殺しきれないのなら、大抵の物理攻撃には即座に対応されてしまう。
あの呪力が溢れ出す仕組みの全容は分からないが、いくらなんでも『永遠』ではないはず。
(溢れ出す呪いには限度があるのか。使い切れば無敵タイムが終了するとか、それとも時間制限があるのか)
どちらであっても、問題はない。
もし時間制限だというのであれば、このままウサギたちをけしかけて時間を稼ぐだけでいい。だが、消費呪力によって状態がどう変化するかも観察しておきたい。
ダメージを蓄積させ、極限まで反転術式を回させ続ければ、あの不死身の状態も強制的に切れるかもしれない。
情報がない以上、手探りだ。
(もう少し、試してみよう)
先ほど放った貫牛を解除し、再び両手で影絵を結ぶ。
「飛べ」
パサッ、と。
背中から生やした鵺の翼で上空へと舞い上がり、眼下の戦況を俯瞰する。
*
「何が起きた?」
吹き飛ばされた秤は、口元の血を手の甲で拭いながら周囲を見回す。
一瞬のことで正確には把握できなかったが、一度見た黒い牛が、確かにウサギの影の中から飛び出してきたように見えた。
(影を使って移動してんのか。……なら、さっきの瞬間移動の辻褄も合う)
空間移動のように、術者自身も影を伝って移動していたのだろう。
「ハッ……!」
痛みを全く感じさせない様子で、愉快そうに笑う。
波のように果てしなく突っ込んでくるウサギの群れを、呪力を乗せた拳で容赦なく粉砕していく。
「激アツじゃねえかッ!」
その緻密な術式の運用。状況に応じた式神のコンビネーション。
あのヒョロガリの、計り知れない積み重ねを感じ取り、秤の胸の奥底でさらなる熱が燃え上がる。
とてつもない熱量で、自らの術式と向き合ってきたのだろう。あの精密なシステムの構築を見れば、それが痛いほど理解できた。
「なら、俺も応えてやるしかねぇよなぁ!」
――ブチュッ、グシャァッ!
「オラオラオラオラァッ!!」
何匹のウサギを叩き潰しただろうか。とうに百匹は超えている気がするが、群れの勢いはまだまだ収まる気配がない。
「たくッ、何匹いんだよ、こいつらは!」
悪態をつきながら拳を振るい続けていると。不意に、ウサギたちの動きが『妙なこと』になっているのに気づいた。
(動きが変わった……?)
群れが、秤への直接攻撃をやめたのだ。
代わりに、自らを取り囲むように、ドーム状にぐるりと積み上がり始めている。太陽の光を遮断し、薄暗く閉ざされた空間が形成されていく。
「何をする気だぁ? あの野郎」
秤が眉をひそめ、頭上の僅かな隙間を見上げた、その瞬間。
——ドゴォォォォォォォォンッッ!!!
ウサギのドームを真っ二つに割るように、空から象が降ってきた。
鵺の背に乗りながら、朔は冷酷に見下ろす。
「これなら、どうだ?」
逃げ場を完全に塞いだ状態での、超質量の落下攻撃。
巨大な質量が、秤の身体を森の地面ごと無慈悲に押し潰した。普通であれば、内臓が破裂し、骨が粉々になって即死している。
いかに不死身とはいえ、これだけの連続攻撃を受ければどうなるか。
(……あぁ、これで本当に死んじゃったらどうしよう。僕のせいになるのかな。僕が悪い? ……いや、突っ込んできた向こうが悪いか)
自分の責任問題に発展したら面倒だなと、極めて自己中心的な心配をしながら土煙の晴れるのを待つ。
しかし。
そんなささやかな懸念を吹き飛ばすように、その男は平然と現れた。
「本当に無敵か、この人……」
満象の重圧を退け、瓦礫の中から立ち上がった秤は、不敵な笑みを浮かべて上空の朔を見上げていた。服はボロボロだが、肉体の傷はすでに完治している。
「幽霊でも見たような顔だな? 俺が死んだとでも思ったか?」
「割と本気でやったんだけどね。本当に人間なの?」
呆れたようにため息をつく。
だが、笑い声を上げる秤の肉体から、先ほどまで嵐のように吹き荒れていた呪力が、急速に萎んでいくのを感じ取った。
(……タイムリミットか)
そう分析した、まさにその時。
とてつもない巨大な呪力が、森の遥か後方——東京校側の陣地から、爆発的に吹き上がるのを感じた。
「……!」
それは、酷くどす黒く、底知れない質量を持った『呪い』。
(あの特級術師か?)
向こうもそれに気づいたらしい。
「あぁ? あっちもなんか、面白いことになってるみてえだな」
秤が森の奥へと視線を向ける。
先ほどまで彼自身の肉体から立ち上っていた膨大な呪力はすっかり鳴りを潜め、通常の状態へと戻っていた。やはり、無敵状態には時間制限があったのだ。
「あっ? なんだよ。ほら、続きやんぞ」
秤が首をボキリと鳴らし、再び戦闘の構えをとる。
「……まだやれるの? 呪力、だいぶ落ち着いたみたいだけど」
限界ではないかと暗に告げるが、秤は鼻で笑い、さらなる熱を求めてこちらを睨みつけてくる。
ならば、と。
こちらもそれに応えるように、影絵を結ぶ準備を整えようとした——その時。
森中に設置されたスピーカーから、間延びしたアナウンスが響き渡った。
『えぇー! 放たれた二級呪霊が全て祓われましたので、団体戦はこれにて終了となります!』
五条悟の、ふざけたような声だ。
『勝者はぁぁぁぁぁぁぁぁ……ドゥルルルルルル……ドンッ! なんとぉ、東京校ウィィィィィン!!』
なんでこんなに元気なんだろう、あの人。
ものすごいテンションの高い声が響き渡り、森に静寂が戻る。
団体戦終了。
それを告げるアナウンスを聞き、目の前の男は露骨に深いため息をついた。ひどく残念そうだ。
「はぁ……。冷めちまった」
秤は纏っていた呪力を解き、ポケットに手を突っ込む。
「勝負はお預けだ。またやろうぜ」
そう言い残し、背を向けて去ろうとした。
——だが、朔は構わず影絵を結ぶ。
「虎葬」
ズンッ、と。
二足歩行の虎の式神が、立ち塞がるように顕現する。
「……あぁ?」
秤が怪訝そうに振り返り、どういうことだと目を向けてきた。
「団体戦は終わったぞ」
「続き、やりたがってたでしょ」
気怠げな態度のまま、しかし決して退くことなく告げた。
「なら、やろうよ、今。……競技とか関係なく、僕とやろう。熱が冷めたとか言ってたけど……また、温め直してあげるからさ」
まっすぐに秤の瞳を見つめ返す。
いつもは面倒くさそうに半目を開いているだけの彼の瞳に、今は珍しく『熱』がこもっていた。
(この男の領域を、もう一度見たい)
彼は今、己の深い好奇心のみに突き動かされている。
面白い領域だ。あんなふざけたシステムで、無限の呪力を引き出せるなんて。術式の付与に手こずっている自分にとって、あの領域の構築プロセスは喉から手が出るほど欲しい『サンプル』だ。
――もっと、もっと見たい。
その視線に当てられ、秤の口角が吊り上がる。
冷めかけていたギャンブラーの血が、再び沸騰し始めていた。
「ハッ……くくっ。初めは覇気のねえ男かと思ったが、なかなか狂ってんじゃねえか」
秤が再び両の拳を打ち鳴らし、呪力を練り上げる。
「上等だ。……まだまだ、やろうぜ!!」
ここに、第2ラウンドの火蓋が切られた。
もちろん、交流会の競技とは一切関係のない場外乱闘である。この後、双方ともに教師陣から死ぬほど怒られるのは確定しているが、そんなことは今の二人にはどうでもいい。
問題児どもの狂宴は、もう少しだけ続く。
評価が一定数増えたタイミングで、式神同士の掛け合わせ。その没の案を載せてるんですけど、次はどれがいいすか?
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轟水貫象(満象×貫牛)
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雷角天牛(鵺×貫牛)
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穿蛙鉄舌(蝦蟇×貫牛)
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お前に任せる(肩ポン)