いやぁ、ランキングに載るとやっぱり嬉しいですね。 たくさん評価していただいたお陰で、モチベーションも上がりました。
普段はあまり前書きを書かないのですが、今回は後書きで別のことを書きたかったので、こちらでお礼を伝えさせていただきます。
交流会編は、今回で終わりになります。 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
人の優しさに、触れる。
――なんで君は、そんなに嬉しそうな顔をするんだろう。
分からない。本当に、分からない。
彼女のちょっとした仕草。ふとした時に見せる、僕に向けられる無償の優しさ。
彼女に優しくされるたびに、心臓の奥でひどい『居心地の悪さ』を覚えるのは——一体、なぜだろうか。
今なら、その理由がなんとなく言語化できる。
彼女が持っている『それ』が、自分には決定的に欠如しているからだ。
彼女に限った話ではない。人が人と関わる上で、当然のように持ち合わせているべき精神性。
相手と同じ感情を一緒に味わい、他者の悲しみや痛みを自分のことのように感じる機能。
相手が「なぜそう感じたのか」「どういう状況にいるのか」を客観的に理解し、寄り添う機能。
——『共感性』
それが、自分には著しく欠けている。
昔は分からなかった。禪院家という完全に閉め切られた狂気の箱庭で育ち、外部の人間との関わりが一切なかったからだ。
何が普通で、何が普通じゃないのか。自分に何が欠けていて、何が欠けていないのか。
彼にとっての『世界』や『人』という概念の基準は、あの憎悪と執着に塗れた家の中にあるものだけだったから。彼自身が他人に興味を持っていなかったというのも理由の一つだが、閉鎖的な空間だからこそ、自分自身が『異常』であるという自覚がしにくかったのだ。
(全部、自業自得だけどね)
少しずつ、自分が通常の人間と違うことに気づき始めたのは、十歳か十一歳を過ぎた頃だったと思う。
術式の研鑽がある程度進み、外での任務が増え始めた時期。
任務をサポートしてくれた高専所属の『窓』の大人たち。まだ子供である自分を、心から心配してくれた。
そして、呪霊から助け出した非術師たち。彼らは震える手で朔の手を握り、「助けてくれてありがとう」と涙を流して感謝を告げた。
そんな純粋な感謝を真っ直ぐに向けられるたび、ひどく居心地が悪かった。
――なぜ、そんな顔を向けるのか。
正直、やめてほしいとすら思った。僕は僕の目的——術式の探求と己の利益のために動いているだけであり、彼らを助けたのはあくまでその副産物に過ぎない。感謝などされる価値のない、無意味な人間。
すごく、居心地が悪い。
他者からの無償の好意に晒されるたび、ひどく戸惑った。禪院家では決して経験できなかったバグのような感情。
だが、それは内側にもあったことに気付く。
十二歳の頃。怪我をして帰ってきた自分に対し、彼女が無理にでもご飯を食べさせようとしてきた。最初は鬱陶しいとしか思わなかったが、外部の人間との関わりを経た後では、彼女の行動の根底にあるものが理解できる。
(彼女も、あの人たちと同じ)
純粋な好意。人の優しさ。
それらに触れるたび、朔は理解不能な虚無を抱える。
なぜなら、彼は『自分のことしか考えられない』人間だから。
自分の喜びは自分のもの。自分の苦しみも自分のもの。
他人の痛みは、所詮は他人のものだ。そこに自分は一切関係ない。
だって、他人がどれだけ痛くても辛くても、僕は全く痛くないのだから。苦しくなんてないのだから。
でも、真っ当な『人間』というのは、そうじゃないらしい。
大怪我をして医務室で目覚めた時、心底心配してくれた歌姫先生もそうだった。
彼女には迷惑しかかけていない。不快な思いばかりさせてきたはずだ。事実、色々と怒られた。
それでも、自業自得の重傷を負った僕を、彼女は本気で心配し、庇い、そして怒ってくれた。僕なんかのために、そんな感情を消費する価値なんて一切ないのに。
同じ生き物としての『実感がない』とまでは言わないが、向けられる優しさが大きければ大きいほど、朔の心には真っ黒な『後ろめたさ』が顔を出す。
――人への共感性の、圧倒的な低さ。
先天的なものか、後天的なものかは分からない。生まれつきそうだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。育つ上での環境というのは、人の精神の形成を大きく左右するものだ。
でも、己の精神の作りが一般のそれと決定的にかけ離れていたとしても。
それに気づける環境ではなかったし、周りの人間は僕以上に全員頭がおかしかった……と、思う。自覚したのが年齢が二桁を超えた頃なのだから、矯正するには遅すぎた。
――まぁ、どうでもいいけど。
なんて、言い聞かせながらも。
朔は温かいポトフを飲み込みながら、自らの決定的な『歪み』を、ひどく冷徹に分析し続ける。
周囲の人間から向けられる無償の感情や、自分に対する世間の評価。
禪院朔は、それらに対してほとんど興味を持っていない。他者の価値観によって自分の行動や思考が左右されることなど、あり得ない。
それでも、全く何も思うところがないわけでもない。
――マイノリティ。
一般の人間と決定的に違う精神構造を持ち、周囲の常識からズレているという事実は、それだけで忌避される。
呪術師としての在り方も、己のスタンスは異端である。
人としての心の在り方も、他者の痛みに寄り添えない己の性質は異端である。
だが、それと同時に思い出される温かな記憶もある。
自分は自分でいいのだと。この歪んだ形のままでも、自分の目的のために生きていけばいいのだと、心の底から思える決定的な出来事が、過去にあった。
『とってもいいことだと思うわ』
不意に、一つの言葉が脳裏にフラッシュバックする。
彼という特異な存在の『背骨』を形作った、最も重要な
*
あの絶望的な死闘から、二日が経過した。
今現在、彼は高専に与えられた自室のベッドに寝転がり、ゆっくりと体を休めている。
窓の外はすでに日が暮れかけ、秋特有の冷たい風がガラスを揺らしていた。
自室に備え付けられたテレビの液晶画面に目を向ける。
そこでは、宇宙人を題材にしたSF系のアニメが流されていた。別に自分の趣味というわけではないが、特にやることもなく暇だったため、適当に再生している。
最初は本当になんとなく眺めていたのだが、見ているうちにその独特の世界観とロジックに、少しずつ引き込まれていく自分に気づいた。
(……割と、面白いな)
今日は、本当に何もしていない。
絶対的な壁を前に己の現在地を突きつけられ、さらにその先へ進むべく決意を固めたものの、今は何よりもまず『体を休めるフェーズ』。
反転術式と高専の医療処置により、骨折や肺挫傷などの体の傷自体は完全に治っている。
機能的に何の問題もないはずなのだが、とにかく体がだるかった。
彼特有のサボり癖や面倒くささという次元ではなく、絶妙に体調が悪いのだ。精神的な疲労かとも疑ったが、どうにも違う。体が鉛のように重く、体内を巡る呪力の流れがひどく淀んでいる感覚がある。
ほんの少しだけ、平熱より体温が高い気もするし。
(……無下限呪術を間近で受けたことによる後遺症かな。……どうなんだろう)
あそこまで自身の呪力と脳の演算領域を限界まで酷使し、焼き切れる直前まで追い詰められた経験など、これまでの人生で一度もなかった。回路が目詰まりでも起こしているのかもしれない。
まあ、ちょっと様子見しておこう。そう思い、この二日間は自室に引きこもってダラダラと過ごしているのだ。
コンコン。
不意に、扉をノックする音が室内に響いた。
「……どうぞ」
ベッドから身を起こさずに軽く答えると、ガチャリと扉が開く。
「お邪魔するわよ」
「邪魔するなら帰って」とは、もちろん言えるはずもない。
ビニール袋を提げた禪院真依が、さも当然といった顔で入ってきた。どうやら、交流会が終わってからのこの二日間、京都校の生徒は実質的なお休みらしい。
ちなみに、昨日も、一昨日も。彼女はこの部屋に上がり込んでいる。
「ちゃんと安静にしてる?」
「この通り。何も問題ないよ」
アニメを見ながらダラダラしていただけだ。本当に、何もない一日。
朔が気怠げにそう返すと、真依は呆れたような、何とも言えない顔でこちらを見下ろしてくる。
「体調、まだ良くないんでしょ。ベッドで大人しく寝てなさいよ、アナタは」
「そこまで重症じゃないんだよ。ただ、なんとなく体に違和感があるというか、調子が出ないっていう漠然とした感覚があるだけで」
目に見えてどこかが痛むわけではないからこそ、こうして様子見をしているのだ。
次のステップ——『最後の調伏』という死の領域に進むために、中途半端な体調で挑むのはあまりにもリスクが高い。だが、真依にとって、何もしない朔の姿はひどく異常に映るらしい。
事実、一つの場所に留まり、何もしないまま一日を過ごすという経験は、彼自身あまりしてこなかった。これまでは常に何かしらの術式の構築やら実験やらに時間を費やしていたのだから。
「僕のことは、気にしないで。何も問題ないから」
「……」
そう言うと、彼女は小さくため息をつき、くるりと背を向けて備え付けの小さなキッチンへと向かっていった。
どうやら今日も、夕飯を作ってくれるらしい。ありがたいことだが、こう毎日毎日入り浸るのはどうなんだろう。
そもそも、一昨日、五条悟との死闘を終えて医務室で目覚めた後。
ベッドで絶対安静にするよう言われたが、朔はすぐに高専の自室へと戻った。
すると、なぜか真依が部屋の前にやってきたのだ。
激しくノックされたが、普通に体もだるかったし、無視してベッドに入り居留守をかます。
だが、数分後。
なぜか彼女は、鍵のかかった扉を抜け、朔のベッドの前に立っていたのである。
『……なんで入れるの?』
『鍵を構築したのよ』
平然とそう言ってのけた彼女。
そして体調悪そうに横になっている僕を見るや否や、何も聞かずにご飯を作り始めた。
五条悟との死闘については、表沙汰にはなっていないはずだが、断片的な情報が彼女の耳に入ったのかもしれない。おそらく、歌姫先生あたりが口を滑らせたのか。医務室をすぐに抜け出したのも良くなかったのかもしれない。
そして、次の日も来た。
ノックが鳴る。もちろん無視した。まだ気だるいし、体の調子もあまり良くない。
今回は『鍵』だけではなく、物理的な『チェーンロック』もしっかりとかけておいた。これで入ってこれまいとおやすみモードに入ろうとしたのだが。
再び数分後。彼女は僕のベッドの前に立っていた。
『……どうやって入ったの?』
『ドアから普通に入っただけよ。悪い?』
悪いか悪くないかで言えば、全然悪いに決まっている。
後で聞いて戦慄したのだが、彼女は扉の隙間から干渉し、金属のチェーンロックを『ぶった切って』侵入し、その直後に新しいチェーンを『構築』して直したらしい。
意図せず新品になっていたチェーンロックを見た時は微妙な気持ちになった。
(もはや、僕のプライバシーはこの世のどこにも存在しないらしい)
そして、さらに次の日。つまり今日。
もはや諦めの境地に達した朔は、鍵すらかけていない。
今、彼女はキッチンで何かを作っている。今日は何だろうか。ちなみに昨日は、僕がオーダーした「お粥」だった。
SFアニメを眺めていると、何か作業しながら真依が背中越しに声をかけてくる。
「アナタ、ちょっと不用心よ。鍵くらいかけなさい。少し気が緩んでるんじゃない?」
「呪術師相手に鍵は意味ないってことを思い知ったからね。必要ないでしょ」
ここ数日の理不尽な学びを淡々と語る。それに、基本的に朔は知覚用のウサギを出しっぱなしにしているため、仮に敵に襲われたとしてもすぐ気づけるシステムは構築済みだ。
(それにしても、チェーンロックをぶち壊して新しいものに直すとは……)
術式を有効活用するのはいいが、活用の仕方が斜め上すぎて全く想像できなかった。彼女の成長に喜びが止まらないな。そんなことを考えていると、お盆を持った真依が近づいてくる。
朔はテレビを消し、ベッドの上に半身を起こして彼女と向き直った。
どうやら、今日はポトフらしい。
熱々のスープから、とても香ばしく食欲をそそる匂いが漂ってくる。彼女に洋食というイメージは全くなかったのだが。
「美味しそう」
「熱いから気をつけて」
「うん」
スプーンを手に取り食べ始める。
すごく温かい。野菜の甘みとスープの旨味が、淀んだ体にじんわりと染み渡り、内側から温めてくれる。
無言で黙々と食べていると、対面に座る彼女から、強烈な視線が投げかけられていることに気づいた。というか、じっと僕の顔を観察してくる。
「……なに?」
「……何か、感想とかないわけ?」
どうやら、無言で食べているのが気になったらしい。
別に直接口にする必要はないと思うのだが、彼女が求めている言葉を口にしよう。
「すごく美味しいよ。あったかくて」
「……そう? ならよかった。ちゃんといっぱい食べなさい」
彼女はほんの少しだけ顔を背け、嬉しそうに目を細めながらそう言った。
相変わらず、世話焼きの母親みたいだな。
(母親といえば……いや、今はいいか)
ふと実の母に対して思考が向きそうになるが、朔は小さく頭を振り、その無駄なノイズを遮断する。
何か別の話題はないかと考え、スプーンを動かしながら口を開いた。
「交流会って、結局どうだった? 二日目は個人戦だったんだよね?」
自分は私闘にかまけて完全にバックれていたため、二日目の様子が全く分からないのだ。
「……えぇ、そうね。誰かさんはバックれて、何か『派手なこと』をしていたようだし?」
「……まぁ、まぁ。そんなこともあったかな」
やはり、バトっていたことはどこからか漏れていたらしい。まあ、あれだけ派手にドンパチやっていれば当然か。
後から聞いた話だが、僕らが戦った第三演習場は、とんでもないことになっていた
何しろ、五条悟の術式反転『赫』による広域破壊と、禪院朔の『貫牛』が最高速度で長時間走り回って地面を抉りまくったせいで、演習場一帯は地形が変わるレベルでめちゃくちゃになっていたのだ。
(そういえば、貫牛を走らせる方向とか、特に考えてなかったな)
他の人に被害が及ばなかったから良かったものの、あの時は完全に目の前の盤面しか見えていなかった。反省点だ。
当然、あれほどの惨状を修復するにはとてつもない費用がかかると思われる。
朔自身、払うべきかとも思ったのだが——それについては、心配しなくていいとのことだ。
交流会が終了した次の日の朝。
五条悟から、朔の携帯に一通のメールが入っていた。
『君との戦い、楽しかったよ! またやろうね!』
『演習場については、気にしなくていいよー』
『あの模擬戦、君の勝ちだから。修繕費用はこっちで負担してあげる』
長々とふざけた絵文字付きで書かれていたが、端的に要約するとそんな感じの内容。
あの理不尽な暴力で死にかけ、完膚なきまでにボコボコにされたというのに、「勝ち」とは何のことだろうと一瞬考えたが、すぐに思い出した。
――あなたが「ギャフン」と言ったら、僕の勝ち。とかでいいですよ。
戦う前、そんなことを言ったのだった。
――あぁ、そんなことも、言ったか。
あの時は、「ハンデなんていらねえよ、舐めんな」という意思を突きつけたつもりだったのだが。
(まあ、修繕費を払ってくれるなら、いっか)
学校の訓練とかに使われている場所らしいし。
『五条悟の連絡先を即座にブロック』しながら、冷めた頭でそう結論づけたのだった。
*
かなりボロボロになった第三演習場。一体誰があんなことをしたのか。
あの場にいなかった僕と、あの演習場の悲惨な光景を結びつけられたら、勘のいい人間なら察するだろう。
真依は何も詳細を聞いてこないため、どこまで知っているのか分からない。自分から言い出すこともできないため、朔はじっと睨みをきかせてくる彼女から目を逸らしながら、ひたすら具材をスプーンで掬う。
数秒見つめてきた真依だったが、やがて諦めたように小さく息を吐き、視線を逸らして語り出した。
「べつに、特筆するようなことはなかったわよ。普通に終わったし」
「君も出たんでしょ。何か、得たものはなかったの?」
他校の人間と交流して、何か新しい気づきはなかったのか。
僕は団体戦で十分すぎるくらいの知見を得たし、彼女にもそういうものはなかったのだろうかと純粋に思ったのだ。
「特には。直ぐに終わったし」
そう言って、彼女は目を逸らす。これ以上、この話はしたくなさそうだ。
――なるほどね。
交流会は二、三年生がメインであり、東京校の術師たちは皆、等級以上の実力を持つ強者ばかりだったはず。一年の真依が、まともに戦闘を成立させるだけでもかなり難しかったのだろう。
スプーンを動かしながら、思考を別の方向へシフトさせる。
交流会で思い出したけれど。初日の団体戦では、等級の低い『呪霊』を標的にしていたな。
(たしか、禪院家でも似たようなことしてたね)
本来、術師が狩るべき存在である呪霊を、あんな風に施設に放って訓練の標的に使うなんて。あんな風に手懐けて、何かしらのシステムに役立たせる。毒を以て毒を制す、みたいなアプローチ。
(ちょっと、面白いな)
今まで、呪霊はただ祓うだけの『害悪』としてしか認識していなかった。それに着目して、自らのシステムに組み込むための実験をしようと考えたことはない。
ちょっとだけ、興味が出た。
これまで朔は、自分を含めた『人間』を使って色々な実験をしてきた。
術師は、死ぬ際に強力な呪いに転ずることがある。そうじゃなくても、死の淵に立たされた瞬間、呪力の出力が異常に跳ね上がる現象も実際に観測されている。
そんな『呪力と命の仕組み』を、もう少し根本的なレベルで知りたいと常々思っていたのだ。術師にせよ、呪霊にせよ。
僕の呪力総量は、平凡だ。決して多くはない。
だからこそ、効率を極限まで最適化してきた。だが、何かしらの代償を元に、その絶対量を『増やす』ことはできないだろうか?
それこそ、『死を疑似体験』し続けたり。あるいは、極限の自傷行為によって強制的に呪力出力を引き上げたり。
あるいは、捕獲した呪霊を生かしたまま備蓄し、そこから呪力を抽出するような外部バッテリーでも作れればいいのだけれど。
――あの呪具も形になってきたし。
呪いについて、もう少し根本的に、倫理を度外視して実験してみたい。
とりあえず、何匹か呪霊を生け捕りにして、弄ってみようかな。
そんな考察を頭の中で展開していると——。
「どうしたの? ぼーっとして」
目の前から、怪訝そうな声がかけられた。
「あ、いや。ちょっとね」
「また、ろくでもないこと考えてそうな顔だったけど」
「そんなことはないんだけどな。ハハハハ」
適当に笑って誤魔化しながら、具材を口に運ぶ。
うん、やっぱり美味しい。真依の料理の腕はなかなかのものだ。
「ほら、ついてるわよ」
「ん?」
彼女が不意に身を乗り出し、頬に手を伸ばしてきた。
そして、口元についていた僅かな汚れを、自らのハンカチで優しく拭ってくれる。
朔は短く礼を言い、スプーンを止めた。
人の優しさに、触れる。
(なんで君は、そんなに嬉しそうな顔をするんだろう)
「ほら、取れたわよ」
「……ありがと」
真依は元の位置に座り直すと、とても微笑ましそうに、小さく笑う。
「……ごちそうさま」
「はい、お粗末様」
空になった器を差し出すと、慣れた手つきでそれを受け取り、食器を片付け始めた。
本当に家事が好きなんだな。それとも、僕の世話を焼くことで何かを満たしているのか。
「真依」
名前を呼ぶと、彼女はシンクの前からこちらを振り返る。
「ありがとう。本当に美味しかった」
静かに、だがはっきりとした声でそう告げると。
彼女は少しびっくりしたように目を丸くし、それからすぐに、とても嬉しそうな、ひどく柔らかな微笑みを浮かべて小さく頷いてくれた。
*
ご飯を食べ終わり、ゆっくりとする時間。
と言っても、彼はここ数日ずっとゆっくりしているが。
再びテレビの電源をつけ、先ほどまで見ていたSFアニメの続きを再生した。
食器を洗い終わった真依が、ベッドのそばに戻ってくる。
「珍しいわね。アナタがそんなものを見ているなんて」
「そうだね、退屈だったから。そこにまだまだいっぱいあるから、ついでに見ておこうかなって」
そう言って、朔は部屋の隅に置かれた大きな段ボール箱を指差した。
その中には、数十枚にも及ぶアニメや映画のブルーレイディスクが、ぎっしりと詰め込まれている。
「気になってはいたのだけど……これ、どうしたの? たくさん入っているけれど」
真依が不思議そうに段ボールを覗き込む。無理もない。新しくアニメ鑑賞という趣味に目覚めたと思うだろうが、そういうわけではない。
「当主様がね、送ってきたの」
「……え?」
真依が絶句する。無理もない反応だ。禪院家当主である直毘人からの贈り物など、普通はあり得ない。
「定期的にね、手紙と一緒に届くんだよ。近況を報告してほしいんだって。よく分かんないけど」
「えっと……つまり、このアニメ? も、当主からってこと?」
真依が信じられないという顔で、パッケージと朔を交互に見る。
「そうだね。あの人、こういうの好きだし。なぜか僕に持ってきて、勧めてくるんだよ」
――こういうの、あんまりしないでほしいんだけど。
なぜ直毘人が、僕にここまで深く、そして個人的に関わろうとしてくるのか。その理由は分かっている。
あの酔っ払いのジジイは、禪院家の誰よりも僕を理解している。だからこその行動だ。
当時は、暇つぶしで適当に絡んできているのだろうと思っていた。
以前、禪院家には『呪いを完全に捨て去った存在』がいたという。あの家にとっては、最大のタブーであり異端と言っても過言ではない存在。
おそらく、僕も『同じ扱い』を受けているということだろう。
禪院家に馴染むことができない特異な存在としての同情、などという甘い話ではない。
純粋に『危険人物』としての意味合いだ。
さすがと言うべきか、直毘人だけが現在の家の狂った状況と、抱える爆弾の威力をはっきりと理解している。禪院家の存続が、個人の気まぐれや暴走によって危ぶまれることなど、絶対にあってはならない。
――だからこそ……。
大きな段ボールの中を、未だに興味深そうに見つめている真依の背中を見つめながら、そんな冷え切った家の事情を想う。
「ねぇ。なんか、重要そうな封筒も下に入っているのだけど」
真依がそう言って、段ボールの奥底にべちゃっと潰れるように仕舞い込まれていた和紙の封筒を引っ張り出してきた。
表には、達筆な字で何事かが書かれている。
「あー、それ。もう中身見たから。いらないやつ」
朔はアニメの画面から目を離さず、気怠げに答える。
「これ、本家からよね? 本当に大丈夫なの?」
呼び出しとか、そういう重要な手紙なんじゃないの? と、真依が怪訝な顔で封筒を差し出してくる。
「行く気ないよ。めんどくさいし」
ため息をつき、極めて平坦な声で、その封筒の内容を口にした。
「どうやら、僕の『母親』が死んだらしい」
「……え?」
真依の動きが、ピタリと止まる。
「それについての、葬儀やらなんやらの知らせ」
画面の中で人体実験される宇宙人を眺めながら、ひどく冷め切った目でテレビを見つめ続けた。
「顔すら覚えてないし。……いらないでしょ、そんなの」
――どうせ、向こうも僕のことなんて覚えてないだろうし。
実母の死。その訃報を前にしても、朔の心には一ミリの感情も湧かない。
悲しみも、喪失感も、郷愁も何もない。他人の死は、どこまでいっても他人の死。自分には関係のない、無意味な情報。
彼の中に決定的に欠落している『共感性』。それが、最も残酷な形で可視化された瞬間だった。
【送信者:五条悟】
ヤッホー!禪院朔くん、生きてる〜?
まだ医務室のベッドでスヤスヤかな?
いやー、昨日の模擬戦は本当に最高だったね!!✨
僕も久々にテンション上がっちゃったよ!君のあの戦術、まさかあそこまでやるとは思わなくて、先生ちょっとだけヒヤッとしたかも?(笑)
ホント将来有望だね!君との戦い、すっごく楽しかったから、また近いうちにやろうね!今度はもっと楽しいことしよう!
あ、そうそう!
僕たちが遊んだ演習場なんだけどさ、僕の『赫』と君の牛さんのおかげで、見事なクレーターになっちゃってて!
今、そっちの学長と歌姫が顔真っ赤にして怒ってるんだけど 、惨状については君は全く気にしなくていいからねー!
なんてったって、昨日の勝負は君の「勝ち」だから!✨
だから敗者の僕が、演習場のバカ高い修繕費用もぜーんぶ!ポンッと自腹で負担してあげることにしました!
さすが最強で太っ腹な五条先生!遠慮なく褒めていいよ!
それじゃ、しっかり怪我治してね!
また遊ぼー!ばいばーい!✨
【朔の反応】
(……要約するに、楽しかった、気にしなくていい、金は払うってことね。長くて読みづらいな。あと絵文字がチカチカして鬱陶しい。……ブロックしよ)