翌朝。
いつもの時間に目を覚ました朔は、ベッドの上であぐらをかき、毎朝の習慣となっている作業を始めていた。
体内の呪力を練り上げ、微細なコントロールで全身の回路へと巡らせる『チューニング作業』だ。
(……まぁ、問題はないと思うけど)
自身の体内を巡る呪力の流れを観察し、小さく息を吐く。
術式と呪力を限界以上に過剰運用したことによる後遺症。まだ少し回路に負荷が残っているが、だるさや目詰まりのような不調はほぼ完全に抜け落ちた。
さすがにもう大丈夫だろう。
そう思ってベッドから降りようとした時、サイドテーブルに放り投げていた携帯電話が震え出した。
画面には『歌姫先生』の文字が表示されている。
(どうしたんだろ、こんな朝っぱらから。……今日も学校に来い、とか?)
だとしたら、嫌だなぁ。
そんな面倒くささを全面に押し出した思考を巡らせながら、通話ボタンを押して電話に出る。
「はい、もしもし」
『あっ、よかった! ちゃんと出たわね。偉いわよ』
電話口から、ひどく安堵したような、それでいて手放しで褒め称えるような声が聞こえてきた。
(いきなり何。子供扱いしないでほしいんだけど)
電話に出ただけで褒められるなんて、一体どんだけ優しい世界になったのだろうか。僕の日常のハードルはどこまで下げられているのか。
内心で呆れながらも、話題を先に進める。
「それで、用件は?」
『えぇ。アナタに付き添ってもらいたい任務があるの。急で悪いけど、お願いできる?』
――なんだ、そんなことか。
小言でなくてよかった。それなら何も問題はないと、ホッと胸を撫で下ろしつつ答える。
「問題はないですけど、付き添い? 歌姫先生との任務ってことですか?」
『いや、私じゃなくて。三輪と一緒にいってほしいのよ』
「……三輪さん、か」
昨日、真依との模擬戦でボコボコにされていた水色髪の少女の顔が思い浮かぶ。
「あの、僕ひとりでいいですか?」
『ダメよ。本来、彼女に与えられた任務なんだから』
彼女に呪術師としての経験を積ませるのに、ちょうどいい難易度の任務ということか。
「それにしても、僕が付き添うってなんで?」
『三輪の他に、二級の子が一人付き添う予定だったんだけど。残念ながら、別の任務とバッティングしちゃってどうしても外せなくなったみたいで』
「だから僕を、ってこと? 二級の代打なら、京都校の別の人に任せればいいと思うけど。メカ丸あたり……あぁ、昨日僕がぶっ壊したんだった」
『…………』
電話越しに、深いため息と無言の圧が返ってきた気がした。
「じゃあ、三年生の先輩あたりを同行させたらどうです?」
『それも考えたのだけど。西宮は別の任務に出てるし。残りの二人は、ね……』
言葉は濁されたが、理由は痛いほど理解できた。
東堂葵と、加茂憲倫。
(うん。僕もあの二人は嫌だ。色々な意味で)
「んー、なるほど」
消去法で僕にお鉢が回ってきたというわけか。そんな感じで唸っていると、電話越しの歌姫先生から、苦言を呈するように鋭い言葉が発せられた。
『そもそも、アナタが手当たり次第に高専の任務を受けていたことにも、この状況の責任があるのよ』
「……えっ?」
急に話題が変わった。何の話だ。
――僕、何かやっちゃいました?
因果関係が全く見えない。完全に身に覚えがなかったため、素直に聞いてみた。
『四月から今の今まで。高専に下りてきた任務を、難易度に関係なく片っ端から受けていたでしょ?』
「はぁ、まぁ、そうですね。手札の実験とか色々やりたかったんで」
――貯金を貯めるのが一番の目的だが。
それが何か問題なのだろうか。むしろ、未解決の呪霊を次々と祓っているのだから、高専の業務に割と貢献している方だと思うのだが。
『確かに、人手不足だし助かってはいるわよ。でもね、そのせいで、一年生が経験を積むための任務が極端に少なくなったの』
「……僕のせいってこと?」
『そこまでは言わないけど!』
歌姫は頭を抱えるようなトーンで言葉を続ける。
『本来、入学したばかりの一年生には、四級や三級の比較的安全な任務が割り当てられて、少しずつ実戦経験を積んでいくのよ。でも、アナタが片っ端から低級の任務まで消費するせいで、授業の一環として使おうとした任務が、先んじて潰されることがザラにあったの。ホントに、もう……!』
電話から聞こえてくるその声に、朔は目を瞬かせた。
(……そんなこと言われてもな)
そんな風に冷めた頭で思いつつも、確かに『自分がやりすぎて後進が育つ機会を奪っていた』となれば、教育機関としては大きな問題なのだろう。
僕の利己的な行動が、彼女の授業計画を一部潰していたのか。初めて高専で顔を合わせた時、彼女が妙に怒っていたのは、それも理由だったのかもしれない。
「なるほどですね。言っていることは理解しました」
『だから。その責任を取ると思って、三輪についていってくれない?』
真剣な声で頼まれる。
出会ってまだ数日だが、彼女の人となりはなんとなく理解している。
生徒想いな先生。呪術師というイカれた職業にしては、ひどく真っ当で、とても優しく温かな人。
「……分かった。行きますよ」
渋々ながら了承すると、電話口の彼女はホッとしたように、嬉しそうに笑った。
『三級相当の任務らしいから、アナタがいれば絶対に大丈夫だと思うけど。……三輪のこと、お願いね』
「……了解」
通話が切れる。
彼女の最後の声からは、純粋に、打算なく自分の生徒を案じる温かな感情が伝わってくる。
(……羨ましいな)
老婆心、というやつだろうか。使い方が合っているかは分からないが。
こうして、今日の任務が決定した。
*
「本日はよろしくお願いします!! 禪院くん!」
「よろしく〜」
京都校の敷地内で三輪と合流した。
ビシッと九十度のお辞儀をしてくる水色髪の少女に気怠げに挨拶を返し、補助監督の案内の下、待機していた黒塗りの車に乗り込む。
朔と三輪が後部座席に並んで座る。
隣の彼女は、膝の上でギュッと拳を握り、かなり緊張した面持ちで前を向いていた。実践任務に慣れていない一年生なのだから、当然か。
エンジンがかかり、車が走り出す。
その瞬間、朔のポケットの中で携帯が短く震えた。
(なんだ?)
取り出して画面を開くと、真依からのメッセージだった。
『任務、頑張ってきなさい』
そんな、メッセージが一つだけ入っていた。
『頑張るよ』
適当にスタンプと一緒に返し、携帯をポケットにしまう。
こうして、長時間の移動が始まった。
どうやら目的地までは、車で数時間はかかるらしい。
「それでは、今回の任務についての情報を共有します」
運転席でハンドルを握りながら、窓の人間がざっくりとした説明を開始した。
「はいっ! お願いします!」
こうして、今回の任務の概要説明が始まる。三級相当らしいが、果たしてどうなのだろうか。
「これから向かうのは、奈良・和歌山・三重にまたがる広い山間部。その奥深くに位置する小規模な集落です」
(かなり田舎っぽいな。呪いって、そういう閉鎖的なところに生まれやすいよね)
窓の外の景色を眺めながら、淡々と感想を抱く。
山の麓にあるその集落は、住民が全員合わせても数十人規模という限界集落らしい。
「あの、行方不明者が複数出たというお話でしたよね?」
「はい、その通りです。数日前、その集落の一人の老人が山に入ったきり、行方不明になりました。そして、その捜索に出た村の若者たち八名がさらに山に入り……そのまま誰一人として戻って来れなくなったとのことです」
行方不明者。被害としては、かなりありふれた事例だ。
まあ、それだけならただの遭難事故の可能性も考えられるが、こうしてわざわざ高専に任務として回ってきたということは、呪力的な痕跡があったということか。
「今回の任務は、行方不明者の調査、及び救出がメインとなります」
「推定三級とのことだけど。その犯人はもう分かってるの?」
「いえ、まだ完全な断定はできませんが。補助監督が事前に調査したところ、三級と思われる呪霊が『集落付近』で目撃されたとのことです」
「ふーん」
「そこまで強力な呪いこそ感じませんでしたが、我々では不用意に山に立ち入ることができませんでしたので」
だから、推定三級というわけか。
その段階でそこまで分かっているなら、あとは実際に森に入って調査しつつ祓うだけだな。
「では、我々の任務は『行方不明者の捜索、発見及び保護』を第一に。そして、可能であれば『対象の呪霊を祓う』ということで間違いありませんか?」
三輪の優等生らしい確認の言葉に、窓が頷く。
「他に、事前に分かっていることは?」
朔も簡潔に問いかけた。呪霊の能力のヒントがあれば、手札の切り方が変わるからだ。
「はい。直接関係があるかは分かりませんが、その集落で気になる話を聞くことができました」
窓の男は少しだけ声を潜め、言葉を続ける。
「曰く、その山奥には少し前まで、一つの『村』があったという話です。具体的な年代までは分かりませんが、すでに滅びて廃村になっているとのこと。深山幽谷、俗世から完全に切り離された土地であったと」
「……」
「ですが。その村には、古くから伝わる独自の『山岳信仰』があったらしいのです。すでに廃れているとはいえ、山の麓にある集落にもその伝承は伝えられているらしく……今回の件を『神隠しだ』と騒ぎ立てる者もいました。あくまでも、噂ですけどね」
その言葉を聞いた瞬間。
「ごくり」と、隣に座る三輪が分かりやすく息を飲んだ。
「そ、それって……と、土地神とかじゃ……!」
「あくまでそういう噂があるって話でしょ。昔ほどではないにしろ、田舎の村にはどこにでも転がってるよ、そんな眉唾な話」
「そ、そうですけど……」
彼女は少し、いやかなり不安そうだ。まあ、無理もないか。
その信仰されていた『何か』が呪霊になったのか。でもな、被害は数名の行方不明者が出る程度だし。
実際に窓が目撃した残穢も三級程度のものであれば、そんなオカルトとはあまり関係ない気もするが……。
「まぁ、気負いすぎず、適当にがんばろ」
「は、はいっ! そうですね、やってやりますッ!」
不安を消し飛ばすように、無理をして元気よく振る舞う彼女を見ると、逆にこっちが不安になるな。
「では、あと二時間程度で目的の集落へ到着しますので。それまでは気を休めておいてください」
窓の担当者がそう締めくくる。
「ぜ、禪院くん! まずは、どう立ち回るか作戦を——」
「あぁ、考えておいて。僕は着くまで寝るから」
「——えぇぇっ!?」
驚愕の声を上げる彼女を完全に無視し、朔は深く座席に沈み込んでスッと目を閉じた。
二時間も車に揺られるのは普通にだるい。寝たい。
こうして、どこまでもマイペースな男は、真面目な同級生を完全に置き去りにして、車内で一人寝こけるのだった。
*
車を走らせること、数時間。
目的の小規模な集落へと到着した。
「ついに、ですね! まずは、どうしましょうか!」
車から降りた三輪が、気合いを入れるように両手で頬をピシャリと叩きながら意気込む。
「……あぁ、うん。適当に村の人から話聞いてきて。僕は山のほう、ちょっと見てくるから」
「——えっ?」
いきなりの単独行動宣言に、三輪が素っ頓狂な声を上げた。
「え、ちょっ……役割分担ってことですかぁ!? 一緒に行かないんですか!?」
「……話を聞くのに二人で行く理由もないし。頼んだ」
そう言い残し、朔は振り返ることなく山の方面へと歩き出した。
「ぜ、禪院くーん!?」
ここは山の麓だから、入ろうと思えばすぐにでも山の中へ入れる。
補助監督が事前の調査の段階ですでに話を聞いている以上、村人からこれ以上の有用な情報が得られるとは思えない。とはいえ、建前上の一応の確認は必要だろうから、それは彼女に任せておけばいい。
(山からは、大して邪悪な気配は感じないけど……油断はできないかな)
朔は山の入り口に立ち、ウサギの知覚を最大限に引き上げながら、外側からの観察を開始した。
中に入るのは、彼女が戻ってきてからでいいだろう。
*
「禪院くん!! 話、聞いてきました!」
数十分後。小走りで戻ってきた三輪が声をかけてきた。
「うん、ありがと。どうだった? 何か収穫はあった?」
「いえ、特には……補助監督の方から聞いた以上のことは、何も」
「……そっか」
やっぱりな、と思いつつも、これからの行動を共有する。
「とりあえず、山に入ろうか。外側から見てるだけじゃ、よく分かんない。確かに呪われているような気もするし、なんか……不思議な気配がするんだよね」
もう少し確実な事前調査をしてから安全に行きたいところなのだが。
「というか、補助監督がもう少しちゃんと調査してほしいんだけど」
彼らの戦闘能力的には、あれが限界なのだろう。山という広大で閉鎖的なフィールドなら尚更だ。人手不足というのもあるだろうし。
「人命救助が優先ですしね。できるだけ早く術師に調査してほしいというのも、上の意図としてあるんでしょう」
「だね」
確かに危険だが、ちまちまと安全な場所で情報収集に時間をかけていたら、助かるものも助からない。
調査をそこそこに、さっさと実戦部隊である呪術師を山に放り込むというのは、ひどく理には適っている。
(非術師のことを考えるのならね。その分、術師は危険に晒されるわけだけど)
非術師の生存確率を上げるために、術師の生存確率を下げる。
まぁ、呪術師という職業はそういう風にできているのだろうと思いながら、二人は足を進めた。
「入るよ」
「はいっ、気をつけて行きましょう!」
現在時刻、11時24分。
こうして、二人の一年生は、鬱蒼と茂る神隠しの山へと足を踏み入れた。
*
「『
山に入ってすぐ、影絵を結び一気に増殖させて周囲へと放つ。
ポンポンポンッ! と次々に膨れ上がり、地面を埋め尽くすように現れる無数のウサギたちに、三輪は目を丸くした。
「わわわっ、これは……禪院くんの式神ですか?」
「そうだね。いつも肩に乗せてるこれの、索敵用の使い方だよ」
自分たちを取り囲むように護衛のウサギを配置しつつ、さらに数十匹のウサギを遠くの山奥へと向かわせる。山の隅々まで探索できる、極めて効率的な手段だ。
(三級程度なら、これで一瞬で終わるはずだけど)
だが、朔の心の中に、チクリとした違和感が残り続けていた。
大した呪力は感じない。なのに、前提そのものを狂わされているような、奇妙な感覚。
一方で、周囲に解き放たれる大量のウサギたちを見て、少し安心したように三輪が硬い表情を和らげた。
「どうかした?」
「い、いえ……一緒に来たのが禪院くんで、よかったと思いまして」
「別に僕じゃなくても同じだと思うけど。死ぬ時は死ぬし、任務に死の危険があることに変わりはないよ」
彼女は、まだこういう実戦の任務を数多くこなしてはいないのだろう。だからこそ、幾度となく単独任務をこなしてきた朔の姿に、自分とは違う『余裕』を感じ取って安心しているのかもしれない。
落ち葉を踏みしめながら、二人は歩き続ける。
「最近まで高専に登校してこなかったみたいですけど、任務はずっとこなしていたんですよね? 」
「そうだね。子供の頃からちょくちょくと。経験を積ませるためにって言われてたけど、ほぼほぼ嫌がらせだったね」
朔は禪院家で忌み嫌われていたため、本来ならやる必要のない雑務まで押し付けられていた。受けたとしても、断ったとしても、どちらにせよ面倒なことになる。そういう環境だったのだ。
「三輪さんは?」
「えっ?」
「一般家庭の出身だったんだよね。シン・陰流の門下生らしいけど。……なんで、術師になったの?」
見る限り、彼女は呪術師としてはあまりにも『まとも』すぎる。
性格も、考え方も。術式も持ってなさそうだし、隠している可能性もあるが、一体何のためにこんな血生臭い世界に入ったか。
「は、ははは……あの、そうですね」
三輪は少し言いづらそうに視線を泳がせた。何か特別な理由でもあるのだろうか。
「中学一年生の頃にですね、バイト中に出会ったシン・陰流の師範にスカウトされまして。そこから、なし崩し的に……」
「で?」
「えっ」
「今のは、術師をやっている理由じゃなくて『きっかけ』でしょ。結果的に、三輪さんは今、高専にいるし。それは、なんで?」
中学生でバイトをしていたという事情も気になるし、いきなりこんな普通の感性を持つ一般人をスカウトする師範が何を考えているのかも謎だが。
「そ、そのぉ……家が、貧乏なんです」
「うん、そうなんだ」
「弟も二人いるんです。少しでもお金を入れて、家族を楽させてあげたいと、そう思って……ですね」
――よし、だから呪術師をやろう。……とは、絶対にならないと思うんだけど。
お金を稼ぎたいから、術師に。
その感性が、彼には全く理解できなかった。あまりにも普通すぎる。そんな普通の理由で、常に死と隣り合わせの狂った仕事に就くという結論になぜ至るのか。
普通の理由で命懸けの仕事に就いているということ自体が、普通じゃない気もする。
「そ、その……禪院くんみたいな、御三家の人間からすれば、不純な動機かも、しれないですけど。わたしは……」
黙って思考を巡らせていた朔を見て不安に思ったのか、三輪がどこか後ろめたそうな声で縮こまる。
「別に。全然いいと思うけど」
驚いたようにこちらを見る彼女に、朔は肩をすくめた。
「むしろ、不純じゃない人間なんていないよ。この業界、呪い以上にドス黒い汚れみたいな大人ばっかりだし」
「……」
「君の事情はなんとなく分かった。まあ、自分で選んだ道ならいいんじゃない? 僕は、人を救いたいとか崇高なこと、一度も思ったことないし」
――ガサッ。
「キャッ!?」
「うわッ」
遠くの茂みで不意に音が鳴り、それに驚いた三輪が悲鳴を上げた。
そして、その悲鳴に朔がびっくりした。後ずさるように動いた三輪が、朔にドンッとぶつかる。
「ちょっと。いきなり危ないな」
「あ、ご、ごめんなさい! い、いきなりのことでびっくりしちゃって……」
恥ずかしそうに頬を掻く三輪。さっきの音は、ただ風が草を揺らしただけの音だろう。
(この子は、本当にどこまでも普通の女の子だね)
朔が呆れながらそう思った、その瞬間だった。
異常が起きたのは。
――ピーヒョロロ……ドンドン……。
遠くから、こちらに近づいてくるように、何かの音が聞こえてくる。
「ヒャッ!!……な、なんですか? 今度は、何かがこっちに…あ」
「……うるさいな」
朔は顔を顰め、隣にいる彼女の髪を咄嗟に引っ張ってしゃがませた。
「グエッ!?」
女の子が出してはいけないような奇声が三輪の口から漏れたが、気にする余裕はない。
(これは……)
太鼓と、笛の音。どう考えても普通じゃない。
朔は周囲のウサギに極度の警戒を指示し、いつでも影絵を結べるように呪力を練り上げる。
例えるなら、古い『祭囃子』が遠くから聞こえてくるような、ひどく不気味で耳障りな音。
「くっ、う……」
「大丈夫?」
「は、い……でも、少し変です。これ……頭が、ぐらぐらして……」
――この音自体に、何かしらの効果があるのか。
あまり強力な呪いは乗っていないが、確実に精神を干渉してくるタイプの術式?
朔は肩に乗るウサギを増殖させ、自分の右肩と左肩に乗せると、ウサギの体を通して耳を分厚い呪力で覆い隠す。
おそらく、この音を使って呪っている。
朔は素早く手を伸ばし、三輪の両耳を背後から塞ぐように手を当てた。
「ひゃあッ!?」
――この子、本当にいちいちうるさいな。
そんなことを思いながらも、当てた掌から彼女の耳元へ呪力を流し込み、呪術的な音の干渉を遮断する。
「これでどう?」
「あ、はい……なんか、楽になってきました」
「耳を呪力で覆って。早く」
「えっ? それは、どうやっ……」
「いいから早く」
朔が手を離すと、三輪は慌てたように自分の両耳を塞ぎ、見よう見まねで呪力を集める。
さて、と。
周囲の警戒を続けていると、ガサゴソと草むらを力強く踏みしめる足音が近づいてきた。
「な、何か来ます……! 禪院くんの式神、ですか?」
――どういうことだ?
ウサギをたくさん、辺り一面にばら撒いたはず。なのに、それに接敵することなく、何かがここまで一直線に来た。
式神を『素通り』した?
もし呪霊ならば絶対に感知できるはず。なおさらあり得ない。
「これは、ただの三級任務じゃなさそうだね」
不思議そうにこちらを見る三輪。そんなことをやっている間に、草をかき分けて『それ』が姿を現した。
「あ、あれは……!?」
それは、一人の老人だった。
そしてその後ろから、ゾロゾロと複数の若者たちが、虚ろな足取りで姿を現す。
全員、普通の服を着た『人間』。
「人だね。……なんか、正気を失ってるみたいだけど」
こちらへ歩いてくる人間たちは、皆一様に目が虚ろになっており、口からよだれを垂らしながら意味の分からない言葉を発していた。
「があ、ががが、ぐ……あがぁ……!」
「こ、この方たち、行方不明になった村の人たちじゃないですか!?」
「……」
それは、見ればわかる。
問題なのは、彼らが何者かに『操作されている』ことと、なぜ周囲に拡散させたウサギたちが彼らを『敵として認識せずスルーしたのか』ということだ。
いきなり現れた? この音と関係があるのか?
いや、この笛の音が精神を狂わせる系の術式だと仮定すれば、
「があああぁぁッ!!」
思考する間も与えず、村人たちが微かな呪いを纏いながら、明確にこちらを敵と定めて襲いかかってきた。
「ど、どうしましょう禪院くん!? 村の人たちはまだ生きています! このままでは……!」
「とりあえず、足の動きを止めようか」
朔は影の中に手を突っ込み、一丁の拳銃を取り出した。
真依から撃ち方は教わっている。
通常の鉛玉が装填されていることを確認し、銃口を向ける。
「だ、ダメですよッ! あの人たちは、村の——」
彼女は必死に止めてくるが、村人たちは容赦なく襲いかかってくる。真っ先に、先頭の老人がすぐ目の前まで迫っていた。
朔は一切の躊躇なく、その引き金を引く。
――バーーンッ!!
放たれた一発の銃弾が、老人の『肩』に命中し、鮮血を散らして貫通した。
「ぐがががッ!? か、あがぁぁッ!」
「当たれば効くね。身体能力は高いけど、肉体強度は強化されてるわけじゃないのか。やわい」
肩を撃ち抜かれた老人が膝をつき、傷口を押さえて呻き声を上げる。
(痛覚もある、と。なら次は……)
朔が冷静に二人目へ向けて再び引き金を引こうとした、その瞬間。
——フワッ。
突如として、朔の体がふわりと宙に浮いた。
「……えっ、なに?」
見ると、三輪霞が、朔の体を横からガッチリと『小脇に抱え』て、後方へ向かって全力ダッシュしていたのだ。
「ちょっと、何してるの?」
「逃げるんですよぉぉ!! アナタこそ何してるんですか!?」
「……向こうが襲いかかってきてるんだから、迎撃するのは仕方ないじゃん」
「だからって、何の罪もない村の人たちを撃つなんて、絶対ダメですッ!!」
三輪は朔を抱えたまま、半泣きで絶叫しながら森の中をガンダッシュしていく。普段の大人しさからは想像もつかない、すごいパワフルな膂力だ。
「確かに撃ったけど、殺すつもりはないよ。ただ、足を止めるために……」
「思いっきり『肩』を撃ち抜いてたじゃないですか!! あのままじゃ出血多量で死んじゃいますッ!!」
「……いや、足を撃とうとしたんだけど。ミスっちゃって」
「足を撃とうとして肩に当てるって、バカじゃないですかぁ!? ヘタクソー!!」
「……君、結構言うね」
やけくそ気味に叫ぶ三輪の暴言を聞いていたら、朔は一周回ってひどく冷静になった。
小脇に抱えられ、景色が猛スピードで流れていく中で、彼は現状を冷徹に分析する。
(さて、ここからどうしようか)
そう思い、抱えられた体勢のまま、後方の空へと視線を向ける。
すると、朔の鋭い知覚が、ある『違和感』を捉えた。
(……なんだ、あれ)
こちらを敵と定めて追いかけてくる村人たち。
その遥か後方。鬱蒼と茂る木々の上、高い枝の先に、こちらを見下ろす『黒い翼を持つ何か』が、チラリと見えた気がした。
(……カラス?)
神隠しの山に響く狂った祭囃子の中。
禪院朔の黒い瞳が、その不気味な存在を静かに射抜いた。
感想と評価が、共に200を突破しました!
ここまで伸びたのは初めてなので、純粋に嬉しいです。
当初は20~30話程度で終わらせる予定だったのですが、皆さんからの感想や評価のお陰でモチベーションが上がり、気づけば当初の予定よりもたくさん書けています。
それと、誤字の修正に関しては本当に助かっています。
僕自身、漢字にあまり強くないこともあって、どうしても抜けが出てしまうので、報告していただけるのはありがたいです。
いつもありがとうございます!