日間ランキング14位になっていました!
最近お気に入りの数が結構乱高下していたので、ちょっとビビりましたが、安定してくれてよかったです。
やっぱりランキングに載ると、普段よりもたくさんの方に見てもらえるので嬉しいですね。
応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます!
この任務が始まる少し前のことを、三輪霞は走りながら思い返していた。
『——彼のことを知りたい?』
『はい。元々一緒に行くはずだった術師の方が来られないそうで。代わりに、禪院くんが一緒にってことになったらしくて』
三輪は、同じ京都校の一年であり、朔の幼馴染である禪院真依に相談を持ちかけていた。
彼とまともに話したことはほとんどない。実力は間違いなく自分より上の一級術師だが、普段から何を考えているのか分からない、少し不気味な同級生。
そんな彼と初めて二人きりで任務に向かうことに、三輪は不安を隠せなかった。
『んー、そうね……』
真依は少しだけ目を伏せ、何かを真剣に考え込む。自分が三輪に対して、あの幼馴染について「どこまで」言うべきか。何を伝えるべきか。
やがて、真依は静かに口を開き、三輪へ向けて三つの忠告を告げた。
『一つ。彼の実力に、あまり頼りすぎないこと』
『二つ。彼から、絶対に目を離さないこと』
『三つ。自分の意思は、ちゃんと言葉にして伝えること』
彼女から真剣な顔で伝えられたのは、この三つだった。
どういう意図があっての忠告かは、その時の三輪には完全には分からない。だが、真依の声音があまりにも真に迫っていたため、彼女はそれを深く心に刻んでおくことにした。
そして、現在へ。
「こっちッ!? こっちで合ってますよね!?」
三輪霞は、鬱蒼と茂る不気味な森の中を、全速力で駆け抜けていた。
小脇に、同級生である禪院朔の体をガッチリと抱え込みながら。
「森の中は、景色わかんないからね。どうかな」
「あ、あの! もう少し真面目にやってくださいよぉ! 後ろから追ってきてます!! どうしたらいいんですかぁ……ッ!」
泣き言を叫ぶ三輪。その後方からは、虚ろな目をした村人たちが、まるでゾンビのような足取りで、それでいて異常な執念を持ってこちらを追いかけてきている。
一方で、小脇に抱えられている朔はというと。
(もうちょい揺れを押さえて走ってもらいたい。普通に酔う)
能天気にそんなことを思いながら、片手で自分の携帯電話を取り出し、画面をポチポチといじっていた。
とはいえ、朔もただサボっているわけではない。
(それにしても、これは思った以上にマズいかもしれない)
朔はスマホから顔を上げず、冷静に状況を分析する。そして、式神に呪力を流し込んだ。
「『
その指示に呼応し、肩に乗ってるウサギが一斉に増殖を開始した。
「だ、だめッ! 一般人に危害は……!」
「はぁ、分かったって。壁として置いておくだけだから」
追ってくる村人たちの目の前に、増殖したウサギたちが雪崩のように押し寄せ、文字通り『生きた毛玉の壁』として立ち塞がった。
彼らの身体能力は、多少上がってはいるが所詮はただの一般人。ウサギの壁を乗り越えることはできない。
(これで、とりあえずの追跡は撒ける。それにしても、嫌な感じがする)
森の空気にまとわりつく、ネットリとした不快な呪力のを感じ取る。
「『鵺』」
影絵を結ぶと、上空の木々の隙間の影から、巨大な怪鳥がバサバサと羽音を立てて舞い降りてきた。
「あの、これは……?」
走りながら不思議そうに目を丸くする三輪の腕から、ひらりと抜け出し、滑空してきた鵺の背中にふわりと着地した。そのまま、地上を走る彼女と並走する。
「無理だと思うけど。このまま、先に進んでみようか」
「えっ?」
朔は、四方八方に放ったウサギたちに「一直線に森の外へ進むように」と指示を出していた。
その結果、ウサギからの知覚を通して、ある『絶望的な事実』が判明したのだ。
(……通常の方法じゃ、この森を出ることはできない)
空間が物理的にループしているというわけではないだろう。
だが、まっすぐ歩いているはずなのに、いつの間にかジグザグに歩かされているような。あるいは、入り口に向かっているつもりが、無意識に奥へと足を踏み入れているような。
そんな、狂わされるような強烈な違和感があった。
鵺の背に乗って、地上から少し浮いた位置を滑空しながら進む朔。
その後ろを、三輪が必死に追いかけて走り続ける。
「ま、待ってください!! 私も乗せてくださいッ!」
後ろから、息を切らした悲痛な声が聞こえてくる。
(……いや、それはちょっと。二人乗りもできないことはないと思うけど、機動力が落ちるからな)
周囲からの奇襲を警戒しながら、朔は冷徹にそう思考する。
だが、チラリと後ろを振り向くと、泣きそうな顔で必死に走っている同級生の姿があった。
(あー……)
端から見れば、完全に僕が彼女をいじめているように見えるだろうか。可哀想に感じるのだろうな。
まるで他人事のようにそう思いながら、朔は小さく息を吐く。
鵺に少しだけ速度を緩めるよう指示を出し、後ろを走る三輪へ向けて手を差し伸べる。
「おいで」
「っ!」
三輪が差し伸べられたその手を掴むや否や、朔は彼女の体を強引に引っ張り上げ、鵺の背中へと引き上げた。
「おっ、おおっと……ッ!?」
空飛ぶ絨毯にでも初めて乗ったように、三輪はバランスを保とうと四苦八苦して手足をバタつかせる。
(危ないな。あんまり動かない方がいいんだけど)
落ちそうになる彼女の体を抱き留めるようにして支え、安定させる。
「すみません……っ! 大丈夫ですか?」
「これくらいならね。もう少し中央に寄って。端に寄らないように」
「は、はいっ、分かりました!」
言われた通り、三輪はできるだけ鵺の中心へと体重を預ける。朔は彼女の体を後ろから支えながら、落ちないように腕を回した。
「これでいいか」
そのまま、鵺の速度を保ったまま森の中を真っ直ぐに飛び続けた。
鬱蒼と茂る木々の枝を器用に避けながら進むが、どれだけ飛んでも、一向に森の出口は見えない。
「……あぁ、やっぱりね」
「えっ、何が『やっぱり』なんです?」
「ん? あー、そうだね。僕たち、もう敵の術式範囲内に完全に入ってる。森から出られなくなってる」
「そんなっ!? じゃ、じゃあどうしたら……!」
三輪が絶望したような声を上げる。
「真っ直ぐ進んでるつもりだけど、進んでないね、これ。……多分だけど、歪んでいるのは『認識』の方かな」
あの、精神に干渉してきたと思われる不気味な笛の音しかり。
テリトリーに入った者の方向感覚や空間認識を惑わせる、強力な認識阻害だろうか。
(……ちょっと、情報が足りないな)
なんとなくの直感だが。
先ほど、三輪に抱えられながら空を見上げた時に目に入った、巨大な『黒い翼』の持ち主。あれが、この神隠しの黒幕である気がする。
――山岳信仰。あれが関係しているのか?
そんなことを色々と頭の中で回しながら進んでいると、前方の木々の隙間に、少し開けた岩場を発見した。
そこに、ぽっかりと口を開ける『洞窟』のようなものがある。
(そういえば、この山の中に昔『村』があったんだっけ。その時に使われていた洞窟かな?)
来た道を引き返そうとしていたのにも関わらず、いつの間にかさらに山の奥深くへと進んでしまっていたらしい。
「三輪さん。とりあえず、あそこ。洞窟があるから入ろう」
「えっ」
「森の中でただ闇雲に迷っているよりは、マシだと思う」
「は、はい……」
鵺の上で、自分にしがみつきながら不安そうにキョロキョロと周囲を見回していた彼女に声をかけ、洞窟の入り口へと向かう。
「行け」
ウサギを数匹先行させ、洞窟の中に危険がないか、そして奥までどうなっているかを調べさせる。
鵺を解除し、二人は洞窟の入り口の地面へと降り立った。
「はぁ……はぁっ……た、助かったぁ……」
地面に足をついた瞬間、三輪は安堵から膝から崩れ落ちる。
(いや、全然助かってないんだけど)
そうしている間にも、先行させたウサギが洞窟の最奥まで辿り着いた。どうやら、そこまで深い洞窟ではないようだ。
「行くよ、三輪さん」
そう言って、膝をついて息を整えている彼女に手を差し伸べ、立ち上がらせる。
警戒を解かずに、まずは落ち着いて休める場所を確保し、現状の把握からだ。
薄暗い洞窟の奥へ向かって、二人の足音が静かに響き始めた。
*
洞窟の奥へと進み、安全を確保した二人は、ようやく足を止めた。
「三輪さん? 大丈夫……じゃなさそうだね」
「はぁぁ……禪院、くん。ここは、大丈夫なんでしょうか……」
三輪は完全に体力を使い果たしたように、ヘナヘナと洞窟の壁に背中を預けて座り込んだ。朔もその隣に腰を下ろし、二人並んで息をつく。
「さぁね。大丈夫じゃなかったら敵が襲ってくるから、その時分かるよ」
「そんなぁぁ……」
身も蓋もない返答に、三輪は絶望的な表情を浮かべ、まるでスライムのようにへにゃへにゃに溶けていく。
「思ったよりも、厄介な敵のようだね」
「こ、このまま、私は……呪霊の腹の中、で……」
「腹の中? まあ、すでにそうなんじゃない」
「へ?」
三輪の口から、間抜けな声が漏れた。
朔は薄暗い洞窟の入り口を見つめながら、淡々と考察を口にする。
「……この山に入った時点で、僕たちは敵の術式の範囲内だったんだ。実際どうなっているか、完全には分からないけど。呪霊のテリトリーの中にいるんだろうね。道がなくなったってよりは、分からなくなった」
相手の術式範囲内に入ったということすら認識させないような、極めて広域で隠密性の高い術式。
「そ、それってまさか……ここは呪霊の『領域』の中、ということですか!?」
三輪が絶望をさらに濃くしてこちらを見てくる。領域展開を使用可能ということは、間違いなく相手が特級呪霊であるという何よりの証明に他ならない。
「いや、それは多分違う」
朔は即座に否定した。
「それに類する術式かもしれないけど。……さすがに必中効果の乗った完全な領域を展開されたら、結界の境界を跨ぐ瞬間にこっちも気づく。それに、森に入った瞬間から惑わされていたということは、術式の効果範囲がとてつもなく広いってこと。……特級だろうと、これほど広大な山全体に領域なんて展開できないでしょ」
それを聞き、三輪は「ふぅ……」とひとまず安心したように胸を撫で下ろした。
「それにしても、なんか噛み合わないんだよね」
「……なにがですか?」
「森に入った瞬間、すでに狂わされていたというのであれば、この呪霊の術式効果範囲は異常なほど広いことになる。この広大な山全てが範囲内であると仮定して……そこまでの広さを誇っているのにも関わらず、術式効果そのものはそこまで強くない」
一般人を笛の音で操作し狂わせる。
確かに厄介だが、呪術師である自分たちに対しては、そこまでの強制力はなかった。呪言ほどの絶対的な力も感じられない。すぐに呪力でガードしたとはいえ、三輪ですらほんの少し目眩を起こす程度で済んだのだ。
「術式効果を縛ることで、範囲を限界まで広げているのか。それとも、ここが『山であること』自体が重要な条件なのか……?」
朔は隣でへにゃへにゃになっている三輪を見つめながら、思考を加速させる。
(そろそろ、しっかりしてほしいんだけど)
そんなことを思いながら、朔は彼女に抱えられて走っていた時に空で見た、『黒い翼』を思い出した。
神隠しの犯人。
森そのものを現実とは異なる空間へ整える。人を惑わせ、連れ去る。古い山岳信仰。
そして、黒い翼。
今まで見たもの、聞いた情報を頭の中で合算し、パズルのピースを組み合わせていく。
(んー……)
そして、一つの仮説に辿り着いた。
「——『天狗』……か?」
「へ? てんぐ? 何ですか、ソレ」
「三輪さん。そろそろしっかりして」
隣に座る彼女の頭にポンと手を置くと、ものすごい勢いで「わしゃわしゃわしゃッ!」と髪を撫で回す。
「ちょっ、や、やめてくださいっ!」
三輪が抗議の声を上げながら身を捩る。少しは生気が戻ったようだ。
「何か、分かったんですか?」
「いやね、ただの仮説だけど。補助監督の人が言ってたでしょ? この山の中に小さな村があって、そこでは『山岳信仰』があったって」
「はい、そうですね。……もしかしてそれが原因だったんですか、やっぱり」
「分からないけど、『天狗』なんじゃないかなって思うんだ」
朔が己の考察を口にすると、三輪は不思議そうに目を瞬かせた。
「テングって、あれですよね? 鼻が長くて、真っ赤なお面を被った……」
彼女は自分の両手を鼻の前に当て、鼻の長い天狗の真似をしながらこちらに聞いてくる。
「そうだけど。そのイメージそのままじゃない」
朔は、幼い頃から禪院家で叩き込まれた、呪術や怪異に関する膨大な書物の知識を記憶の底から引きずり出す。
「赤い顔に高い鼻、山伏姿、そのイメージは、最初から存在したわけじゃなくてね。長い時間をかけて、異なる文化やら信仰やらが重なり合いながら形成されてきた存在なんだよ」
「あっ、なんか聞いたことありますそれ。歴史の授業で習ったような……」
相槌を打つ彼女に、朔は頷く。
「……起源は中国。もともと、天狗は流星みたいな天体現象と結びついた存在だった。流星が大きな音を立てて落ちる現象が、天を駆ける犬のような怪異として解釈されて。つまり、当初の天狗は、現在の日本人が想像するような山に住む妖怪ではなかったっの」
「なるほど……。たしかに、昔の人が理解できない現象に、超常的な存在の姿を与えるというのは、よくあることですよね。地震はナマズによって起こされる、みたいな」
「そういうこと。正体不明の現象に対する恐怖が、天狗という概念と結びついたわけ」
「それが、今回の呪霊とどう関係があるんですか?」
「まだただの憶測だよ。今まで起こった現象やらなんやらをまとめると、そうなんじゃないかなって」
朔は、淡々と呪術的な歴史の紐を解いていく。
「呪術全盛の平安では、人を騙したり、連れ去ったりする怪異として天狗が語られるようになった」
「……『源氏物語』とかでも、そんな描写ありましたよね」
そこまで言って、三輪はハッとした。
「神隠し……!」
「そう。天狗は昔から、山中で人を攫う『神隠し』と強く結びついてた」
山に入った人間が帰ってこない。山中で不可解な音を聞く。目撃情報があるのにも関わらず、誰も本人を発見できない。
「そういう説明のつかない出来事や恐怖を、全て天狗の仕業だと考えるようになった。こうして天狗は、単なる空の怪異から、人間の生活圏に入り込む恐ろしい存在へと変化していったとさ……」
「……つまり、この森の中にあったっていう山岳信仰は、天狗を祀っていたということですね!! でも、怪異を祀るなんてことあるんでしょうか?」
「場合によってはね。怪物や怪異から身を守るために、特定の宗教やら神仏を『信仰する』というのは、古今東西の歴史や民俗学において極めて普遍的に見られる現象だよ。信仰は、神様だけにするものじゃないから」
だが、と朔は言葉を区切る。
「天狗に関しては、そういう単純な恐怖と信仰の話だけじゃない。天狗の歴史には、もう一つ重要な側面がある」
「重要な側面?」
「仏教との関係ね。中世には、仏教の教えに背いたり、慢心に陥ったりした僧侶を『天狗になぞらえる』表現が生まれたんだ」
「あぁー……なる、ほど?」
ついてきているのかいないのか、曖昧な返事が返ってきたが、朔は無視して続ける。
「ここで天狗は、人を外から襲う怪物というだけじゃなくて、人間の内面にある『傲慢さ』や『執着』とも結びついていく。この変化はかなり重要だと思う。人間の恐怖だけでなく、人間の驕りや欲望、信念が、天狗という存在のイメージを複雑に形作っているからね」
「……」
さらに時代が下ると、天狗は恐れられるだけの存在ではなくなっていく。山岳信仰や修験道などと結びついて、強い力を持つ存在として信仰されるようになった。
「人々は天狗を畏れながらも、その力にあやかろうとしたんだ。災いをもたらす存在であると同時に、利益や加護をもたらす存在として」
そこまで語り、朔は結論を口にする。
「呪霊は神様じゃない。人々の負の感情によって産まれるもの。人間の解釈次第で、様々な変容を遂げる。登録済みの特級の中には、『玉藻前』みたいな呪霊もいるらしいし」
「……」
「その土着の信仰。人間たちの様々な感情によって生まれた何かなんじゃないかな。信者たちの畏怖や恐怖が形を成し、天狗の様相を象った……とか? あの黒い翼、今まで起こった認識阻害の現象、山岳信仰の実態……全部、符合する」
彼は小さく息を吐いた。
「もっと情報が欲しいところだけどね。というか、絶対にこれ三級じゃないじゃん」
「で、ですよね! とんでもないこと起きてますよね、これ!?」
三輪がオロオロと、どうしたらいいのか分からない様子でパニックになりかける。
「そうだね。かなりめんどくさい状況だね」
「あっ、そうだ!! 補助監督の人に連絡しましょう! そして、更に術師を呼んでもらって……!」
「もう連絡したよ」
「なっ! いつの間に!?」
驚愕する彼女を他所に、朔は淡々と返す。
「でも、ここかなりの田舎だし。すぐには応援なんて来ないだろうね」
「……あのぉ……呪霊の術式範囲はかなり広いんですよね。だとしたら、すでに私たちのこの場所も捕捉されてるんじゃ……」
「かもね。でも、それは大丈夫」
朔は洞窟の入り口を一瞥する。
「範囲は広いけど、個々人の意識にピンポイントで干渉しているわけじゃない。敵の術式効果範囲に入った人間を、特定の条件下で強制的に惑わせるパッシブスキルみたいなタイプだと思う。範囲は広いけど、そこまで強力な効果はない」
「そ、そうなんでしょうか……?」
ホッとしたような、安心したような、でもやはり不安が勝るような。そんな複雑な顔で三輪は縮こまる。
(それにしても、天狗。修験道やら神通力にも通じるか)
朔の脳裏に、ある一人の『知り合い』の顔が浮かんだ。
神通力云々だったら、あの人が一番詳しいはずだ。海外で出会った、あの
「ちょっと、知り合いと話してくるから。少し待ってて」
「えっ、あの……禪院くん?」
不安そうに引き留めようとする三輪を置いて、朔は洞窟のほんの少し離れた奥へと歩いて行った。
彼女はできれば離れたくなさそうだったが、ちょっと電話するだけだ。問題はないだろう。
薄暗い岩肌を背に、朔は携帯の発信ボタンを押した。
*
――プルルルル……プルルルル……。
洞窟の奥、三輪の視線が届かない暗がりで、朔は携帯電話を耳に当てる。
数回のコールの後、それは割とすぐに繋がった。
『はーい!! あらぁ、朔ちゃんじゃない? そっちから連絡してくるなんて珍しいわねぇ。私の声が聞きたくなったのかしらぁ!?』
耳を劈くような、相変わらずハイテンションな高い声。
現在、遠く海外にいるであろう男——いや、性別すら曖昧なその奇人に、朔は静かに話しかける。
「それもあるんだけど。ちょっと、話を聞いてほしくて」
『あら、悩み相談? いいわよ、なんでも聞いて』
「……悩みって言ったらまあ、悩みだね。少し、めんどくさい状況になってて」
朔は、これまでの経緯、現状の説明、そして自分自身の考察をかいつまんで話した。
笛の音、洗脳された村人、認識がズレる山、巨大な黒い翼、そして……『天狗と山岳信仰』。それら全てを。
『うんうん。なるほどねぇ。すごく大変な事件に巻き込まれてるのね』
「そだね。先生はどう思う? 修験道とか神通力とか、その辺詳しいでしょ?」
自称『神通力使い』。絶対に嘘だと思っているが、オカルトや呪術的な歴史的背景に対する見識の深さだけは本物だ。
『そうねぇ。情報が足りないから、私の憶測も混ざっちゃうけど。それでもいいかしら?』
「うん、よろしく」
朔が促すと、電話の向こうの『先生』は、声のトーンを一つ落とし、呪術的、宗教的な解説を始めた。
『おそらくそれは、《
「天狗道?」
『えぇ。今あなたの身の回りで起きている不可解な現象の正体。朔ちゃんは『天狗』と考察したようだけど、ほぼほぼ正解よ』
「……ほぼほぼってことは、全てではない?」
『えぇ。天狗が時代と共にその在り方を変えていった……それに関しては、分かってるわね?』
「人々がどう認識するか、どう伝承に残るかって話?」
朔の答えに、先生は満足そうに頷きを返した。電話越しだから見えないが。
『天狗は、必ずしも「鳥の姿をした妖怪」である必要はないの。人間が理解できない現象を起こす存在であり、その現象を説明するために天狗という名前が与えられた——という方向性も成立するわけ』
「……」
『あなたを害している呪霊の術式の性質が《天狗道》だと仮定するけれど。話を聞く限り、それは単純な飛行能力や怪力とは異なる現象だから……。んーそうねぇ……「人間の行動と結果の関係を狂わせる」という、現象そのものに干渉する性質を持っているんじゃないかしら』
「そもそも、その『天狗道』っていうのがよく分からないんだけど」
朔が問うと、先生は優しく教えてくれる。
『天狗道はね、仏教の六道輪廻から外れた者。あるいは、修行をしながらも解脱に至らなかった者が落ちる、天狗の住むとされる日本固有の魔界・異界のことよ。別名「外道」や「魔道」とも呼ばれてるわ』
――ふむふむ、つまり?
『簡単に言っちゃうと、天狗たちが死後に落ちる世界のこと』
諸説あるが、仏教の修行を真面目にしていたにも関わらず、その途中で驕り高ぶってしまった僧侶や山伏たちの成れの果て。彼らは死後、その高い能力のせいで地獄には落ちない。だが、慢心があったため極楽にも行けず、その中間にある《天狗道》に落ちる。
そこまで聞いて、朔は理解を深める。
『天狗道に落ちた天狗たちはね、生前の高い知識や神通力を持ったままなの。だから、天狗道はただ苦しむだけの地獄じゃなくて、「傲慢な強者たちが集まって、お互いにプライドを競い合っている世界」っていうユニークな特徴を持っているのよ!!』
「……彼らという存在が生まれるメカニズムであり、彼らが暮らす社会そのものが『天狗道』ってこと?」
『えぇ、その通り。流石の理解力ね。でも、あくまであなたが今敵対しているのは天狗じゃなくて呪霊よ』
「分かってる。……その人々が思い描いた『天狗道』という現象自体が歪められて、様々な要素が混入されたキメラみたいな状態の呪いになってるってことでしょ?」
歴史とは様々な方面で物の見方がされる。善悪は移ろい、様々な側面が語り継がれる。土着の信仰なら、さらに顕著だろう。
『それで、天狗と修験道は、なぜ結びついているのかだけど、そのあたりは分かってるわよね?』
「なんとなくだけど」
『その呪霊は、修験者の姿を取り込んだものでしょう』
「憶測と言う割に、言い切るね」
『もちろん。普通の理解力があれば、分かることだと思うけれど?』
先生はからかうように笑い、決定的な真理を突く。
『修験道は、日本古来の山岳信仰を基盤とした宗教的な実践体系。その中心となるのが、山に入って修行することなの。ここで理解してほしいのが、修験道において『お山』は単なる修行場所ではなかったということ」
山に入ること自体が、日常生活から離れた宗教的な体験。俗世と聖なる領域を隔てる【境界】という考え方が生まれやすい。この「境界」は、今回の天狗を考える上で極めて重要な概念だ。
「俗世と聖なる領域を隔てる境界、ね」
なんとなくだが理解した。山に入ること自体が、特別な意味を持つ。
『ふふ、そうね。天狗は修験者の姿を取り込んだ。人間の理解を超えた存在がいると考えられた山。人から見れば、修験者は超自然的な力を扱う畏敬の対象だけど、彼ら自身も山の怪異に対しては無力な存在になり得る』
「……」
『今回の天狗は、この構造を反転させて考えることができるわね。山の信仰に関わる人々を恐れる者たちがいて、その恐怖が、山そのものへの恐怖や、天狗の伝承と結びつく。そして、人間が天狗に抱いていた恐怖が、実際に人間を害する呪霊を生み出した。人間が恐れていた存在を説明するための伝承が、最終的には本当に恐れるべき存在を生み出してしまったということ』
そして、電話の向こうの男が、最大の核心に触れる。
『術式効果範囲が異常に広い。それは、その呪霊のレベルが高いんじゃなくて——そこが【お山】だからでしょうね』
「やっぱり?」
朔はニヤリと口角を上げた。
「呪いとしての格は、そこまで高く見えなかったんだよ」
『えぇ、流石朔ちゃん! 花丸あげちゃう!』
「うん、ありがと」
『お山は彼らの領域。人が立ち入ることができない禁忌と言ってもいい。彼らにとって、お山というのはそれだけ重要な意味を持つ」
つまり……術式範囲が広いのではなく、山、それ自体が術式の範囲。本人の意思や実力に関係なく、「そここそが自らのフィールドである」と主張するように。
点と点が繋がり、謎が解けた。
『ここまで言えば分かるわね? 単なる幻覚や方向感覚の操作みたいな、ちゃちな能力じゃない』
「なら?」
『ふふっ。目的への到達を阻害してるんでしょうね?』
先生の言葉に、朔は息を飲む。
『《天狗道》の影響下では、対象が適切な判断を下し、正確な動作を行っても、攻撃や行動が「意図した結果」に結びつかない」
狙いが狂っているとは限らない。
動作が遅れているとも限らない。
対象自身が誤った選択をしたわけでもない。
『——それでも、目的を達成できない。そういう、極めて理不尽な【概念】の術式よ』
空間がループしているわけでも、方向感覚が狂っているわけでもない。
『森から出る』という目的に対し、天狗道という概念が結果を書き換えているのだ。
「……なるほど。この場所では、向こうが強いね。いや、強いとか弱いとか、そういうのが関係なくなるのかな」
『勝てる?』
心配と期待の入り混じった先生の問いに。
禪院朔は、暗い洞窟の中で、一切の迷いなく笑った。
「うん、問題ないよ」
彼の瞳に、冷たい狂気と、圧倒的な自信が宿る。
「そのフィールドで最強であるのなら。別のフィールドにすげ替えればいい」
『……!』
「どんな異常現象を起こされようが、どんな概念を押し付けられようが。——【こちらの領域】に引きずり込めばいいだけだからね」
相手のお山を、自身の領域で塗り潰す。
特級呪霊に等しい理不尽な概念を、さらなる理不尽で叩き潰すという朔の決意。
『……ふふっ。頑張ってね、朔ちゃん』
「ありがとう、先生。ごめんね、急に電話をかけて。また今度、近いうちにそっちにお邪魔する」
『あらぁ、楽しみにしてるわ』
ピッ。
通話が切れ、洞窟に静寂が戻った。
ちなみに、彼は僕に本名を教えてくれないので、『先生』と呼んでいる。
「……それにしても」
先生と話していて、ほんの少しの違和感を感じた。まるで、始めから知っていたような。
――いや。
今はそれどころではないと首を振る。
朔は携帯電話をしまい、待たせている三輪の元へとゆっくり歩き出した。
神隠しの山、天狗道。
その理不尽な魔境を打ち破るための『必殺のカード』を、彼はすでに握りしめている。