——術式・『天狗道』。
仏教には、
一般に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界を指す言葉だ。
だが、日本の中世以降の説話や宗教的な言説において、天狗は単なる「山の妖怪」ではなく、人間の『慢心』や『誤った信仰』などと結びついた存在として描かれることがあった。
特に、仏道の修行者や高僧が己の慢心によって堕落し、死後に天狗になるという説話が広く知られている。
こうした文脈で語られる『天狗道』とは、天狗が属する世界、あるいは天狗に堕ちた者が赴く境涯という意味合いを持つ。
ここで極めて重要なのは、天狗道が単に「天狗の住む地理的な場所」を意味するだけではないということ。
自分は正しい道を進んでいると信じている者が、その確信や慢心によって、本来あるべき道から少しずつ外れていく。
その『ズレ』の構造こそが、この山に広がる術式の世界観を根底から形作っていた。
人間は、目的を達成するために『道』を選ぶ。
目的地へ向かうなら、正しい道を進む。敵を倒すなら、適切な攻撃を選ぶ。危険から逃れるなら、安全な方向へ移動する。
人間は、正しい判断と行動を積み重ねれば、必ず目的に近づけると信じている。
ところが、《天狗道》のテリトリーにおいては、その大前提となる因果律が一切通用しなくなる。
正しい道を選んだはずなのに、目的地へ到達できない。
正しい攻撃を選んだはずなのに、敵を倒せない。
適切な行動を取ったはずなのに、望んだ結果が全く得られない。
つまり、《天狗道》とは、人間が信じている「正しい道を進めば、正しい結果に辿り着く」という前提そのものを否定し、破綻させる恐るべき概念術式として解釈できるのだ。
ここで言う「道」とは、物理的な経路だけではない。目的を達成するための手段、判断、行動の積み重ねもまた、一つの道である。
そして天狗は、その道を狂わせる。
山中で道に迷わせる怪異という妖怪・天狗の伝承。
修験道や仏教的な「道」から外れるという概念。
この山に積み重なった歴史と土着の信仰が複雑に混ざり合い、独自の新たな解釈として受肉した結果。それは極めて厄介な『特級の術式』として、今まさに猛威を振るっていた。
*
「……」
海外の『先生』との電話を終え、朔は洞窟の奥から三輪の元へと戻ってくる。
彼女は洞窟の壁に背中を預け、体育座りをしたまま横にコロンと転がったような、ひどく奇妙な姿勢でへばっていた。
「何してんの?」
また笛の音で正気を失ったのかと思い、ジト目で声をかける。
「ひゃんッ!?」
三輪はビクッと体を跳ねさせ、慌てて起き上がった。
「ぜ、禪院くん! お話は終わったんですか?」
「うん。大体の方向性は分かった。答え合わせをしに行こう」
相手の力は、大まかに理解した。
空間的な結界や、直接的な精神の認識阻害でも、支配でもない。術式としては、特級に等しいかなりの『格』を持っている。
でも、ただそれだけの存在だ。何の問題にもなり得ない。
朔は冷たい瞳でそう確信した。
朔は膝を折り、座り込んでいる三輪の頭と同じ高さまで沈み込み、真っ直ぐに視線を合わせる。
「敵の呪霊はね、この広大な山全体に特別な『結界』を張っているようなものなんだよ。厳密には違うけど、山である以上、向こうの絶対的な有利は覆らない。そして……僕たちはこの山から出ることができない」
「えっ……! な、なら、打つ手がないってことですか……!?」
三輪が顔を青ざめさせる。
「んーん、違う。この場所がやつのフィールドであるのなら、それを上から塗り替えればいい。——僕が『領域』を使うよ」
その言葉に、三輪は限界まで目を見開いた。
「つ、使えるんですか!? 領域展開が!?」
「あぁ、そこからか。確かに、僕が領域を使う姿は見せたことなかったね」
領域展開。それは呪術戦の極致であり、呪術師における最高峰の奥義だ。
「そうだね、実戦レベルまで習得したのは割と最近だけど。問題ないよ。……でもさ。少し問題があって」
朔は一息つき、彼女に告げる。
「領域を展開すると、終了後にしばらく術式が焼き切れる。相手に未知の別の手札があったり、何かイレギュラーがあった場合、少しまずいんだよね。術式の使用が覚束ないと、僕はひ弱な非術師も同然で役立たずだし」
彼が言っていることは事実だ。
だが、本当のところを言えば、朔一人でも問題なく決着をつけることはできる。
しかし、それをすると時間がかかるし、その間に三輪がどうなるか分からない。
それに、そもそも今回の同行の目的は『彼女に実戦経験を積ませること』だったはず。僕が一人で全てを終わらせてしまっては、意味がない。
歌姫先生の顔を思い浮かべる。
「だからね。三輪さんに、『簡易領域』を使ってほしいんだ」
「簡易領域、ですか?」
「うん。できるよね?」
「は、はい! できますが……」
どうしてそんなことを? と、不思議そうに首を傾げる。
「三輪さんは攻撃しなくていいから、簡易領域の『維持』だけしてくれたらいい。その円の中に、僕を入れてね」
「……?」
もう少しだけ詳しい説明をすることにした。
「あのね、相手の術式は認識阻害でも精神支配でもなかった。やってるのは、おそらく『到達の阻害』。対象の歩む道、行動によって生じる結果の因果関係を狂わせて、目的の達成を阻害する術式なんだよ」
「到達の、阻害……」
「この山の中では『正しい道を進み、正しい判断を下し、適切な行動を取っているつもりでも、目的地へ到達できない』。単純な幻覚や方向感覚の混乱じゃなくて、移動や攻撃といった行動が、目的達成という【結果】に結びつかなくなることが、この術式の本質的な特徴なんだよ」
「え、えっと……じゃあ、さっきの村の人たちが操られていたのは?」
「あれはテリトリーに入ったことで自動発動するものじゃなくて、あの不気味な笛の音を使って対象を直接呪ってたんだと思う。原理は同じだけど」
音を媒介とした、判断・選択への干渉。
「奏でる祭囃子を聞いた者は、状況の解釈や行動の選択を歪められる。意思を直接支配するんじゃなくて、『本人が合理的だと考える判断を狂わせる』音だと思う。だから、完全に思考をジャックされてるわけじゃなく、思考そのままにその行動が最適だと錯覚させられているような……」
「な、なるほど……? つまり、先程の笛で戦意が削がれたのは、その術式の影響ということですか?」
「正解」
「で、でも……音でも判断を狂わせていたということは、山に入るだけではそこまで精密な誘導ができないということですよね。……特定の条件でしか方向性を固められない。『山から出られないようにする』とか……」
(おお、いきなり凄いな)
なんか妙に説明ゼリフっぽいというか。ここぞという時に発揮される、モブの『黄金の理解力』的なものに戸惑いつつ、朔も答える。
「そうだね。この山に入った時点で、ベースとなる術式が僕たちに効いてる。その効果によって、僕たちは『山から出る』という結果に辿り着けなくなってる。さらに、結果を任意の方向へ誘導するための拡張術式……それがあの笛の音によるものなんだろう。アレによって特定の方向に誘導され、最適だと思い込まされている」
支配されて操られていると思っていた村の人たちは、実はそうじゃない。彼らは自分たちの意思で動いているつもりだが、その行動が最適だと思い込まされているだけのこと。
「やってることは精神支配と変わらないけど、それでも効果は弱い。音による干渉も、耳に呪力を纏わせておけば遮断できるしね」
「あ、あれ……慣れてないと結構呪力操作が難しいんですけど」
三輪が愚痴をこぼすが、朔は「知ったことじゃない。やらなきゃいけないのだから」と無慈悲に切り捨てた。
「音に関しては、まあそれで防げるから問題ない。問題なのは、この山にいる限り絶対に出られないこと。そして……『目的への到達阻害が、どの範囲まで適用されるか』だ」
「……どの範囲、とは?」
「山から出ようとすれば阻害される。じゃあ、他には? 例えば僕が呪霊を『攻撃しよう』とした時、その行動が阻害されたら? そもそも攻撃が当たらなくなる、かも?」
それが、天狗道の最も厄介な点だ。
「だからね。君のシン・陰流『簡易領域』で、この山全域の空間に巡らせられている効果を【中和】してほしい。相手がこのテリトリーに術式を付与している以上、簡易領域でその空間を上から塗りつぶせるはずだ」
朔は三輪の肩にポンと手を置く。
「僕が、君の簡易領域の中……つまり『向こうの術式効果が届かない安全な位置』から、式神へ命令を出せば、行動が狂わせられることはないはず。僕が正常なら、式神も正常に動く」
「な、なるほど! 理解しました!!」
三輪の顔に、希望の光が差した。
「まずは、外に出て様子見。確実に殺れるタイミングで、僕も領域を展開して一気に倒すから。お願いね」
そう言って、朔は立ち上がり、洞窟の外へ出ようと背を向けた。
だが。
クッ、と。後ろにいた三輪に、制服の袖を強く引かれた。
「——あのッ!!」
洞窟の中に響くような大きな声で、彼女は朔を引き留める。
「いきなりなに?」
どうしたのだろうかと振り返ると。そこには、普段の気弱さを微塵も感じさせない、ひどく真剣な表情でこちらを睨みつける三輪霞の姿があった。
「さっきみたいな真似は、絶対にやめてください」
「さっき? どれのこと」
「村の人を……一般人を、平然と銃で撃ったことです」
真剣に、自らの譲れない意思を伝える。
三輪の真っ直ぐで揺るぎない光を宿した瞳と、朔の硝子のような瞳が交差した。
「禪院くん。この任務の目的は、何ですか」
「呪霊を祓うこと」
「違います! 理不尽な呪霊の被害にあった、人々を『助けること』です!!」
三輪の言いたいことは、なんとなくだが理解できた。
彼女が求めている答えではないと分かってはいるが、自身の絶対的な合理を口にする。
「言いたいことは分かる。それでも、呪霊を祓うことを第一優先にするべきだよ。あの呪いは、生まれて間もない。さっさと滅ぼさなきゃ、どうなるか分からない。変態するかもしれないし、術式対象がさらに広がるかもしれない。そうなれば、さらに被害は広がる。その前に最短で倒す」
それが、朔の合理。呪術師としての最適解だ。
「分かってます……! でも、それでも! まだ助けられる可能性がある命を、見捨てることはできない! 見捨てたくないんです!」
「……」
「すでに犠牲になってしまった方は、仕方ない。でも、まだ生きているから。その命を、私たちの都合で奪いたくない……!」
三輪は、懇願するように朔の袖を強く握りしめた。
「お願いします、禪院くん! 村の人たちには、もう絶対に手を出さないと約束してくださいッ!」
並々ならぬ覚悟で、こちらに向かって言葉を投げかけてくる。
それを聞いて、彼は何を感じただろうか。
朔は軽く目を細め、静かに口を開いた。
「……分かったよ。君の言う通りにする」
「えっ」
禪院朔は、むやみやたらに人を殺そうとは思っていない。ただ、目的のために『必要ならやる』というだけだ。
だが、三輪の真っ直ぐな言葉によって、彼の冷徹な合理主義に、ほんの軽いストッパーが生まれた。
「はぁ……。本当に、面倒な方針だね」
「あっ、あ、ありがとうございます……!!」
ホッとしたように胸を撫で下ろし、三輪は深く息をつく。ここで完全に拒否されてしまったら、武力行使で止めようか……でも絶対に勝てないし、どうしようと本気で思っていたのだ。
「最終手段として、外側から森ごと丸焼きにする選択肢もあったんだけどなぁ……」
「……」
ボソリと呟かれた、とてつもなく物騒な言葉が三輪の耳に入った。
(そ、そんなことするつもりだったのッ!?この人!?)
三輪は内心で戦々恐々としつつ、真依からの忠告『あいつから絶対に目を離すな』の意味を、骨の髄まで痛感していた。この人、絶対に目を離しちゃいけない人だ。
そんな驚愕を飲み込みつつ、三輪は一つの言葉に引っかかった。
「あ、あれ。そ、外側? 外側からって、言いました? 出れるんですか、ここから?」
「ん? まぁ、手段を選ばなければね。でもさ、すっごい時間がかかるから却下。式神が一体でも外に出れればいいんだけどね」
朔は肩をすくめる。
「森の外に出ようと動いている人間を対象に、術式が自動選択して『出られないように』惑わせてくるから……」
――あっ、でも。
朔は軽く笑い、三輪を見た。
「君の簡易領域と組み合わせたら、割とイージーかもね」
光属性の同級生と、倫理観の欠落した男。二人の異色のコンビが、天狗の支配する神隠しの森へと再び歩みを進めた。
*
薄暗い洞窟を抜け、二人は再び、鬱蒼と茂る森の中へと足を踏み入れた。
「とりあえず、お願いできる?」
「は、はいっ! わかりました!」
三輪霞は深く息を吸い込み、刀の柄に手をかけて姿勢を低く落とす。
「シン・陰流——」
ピタリと両足を地面に固定し、全身の呪力を練り上げる。
「『簡易領域』ッ!!」
瞬間、三輪を中心として、半径約二メートルほどの円状の領域が展開された。
地面に薄く波紋のような呪力の膜が広がり、安全地帯が完成する。
朔は数歩歩き、その領域の円の内側へとスッと入り込んだ。
(これで、僕は今、実質的に山の術式範囲の『外』にいる状態になった)
お山の内から外れる。それはつまり、天狗道の『目的到達の阻害』という概念から完全に切り離されたことを意味する。
「三輪さん。これ、動けないんだよね?」
「はい……両足を離すと、解除されてしまうので」
「……だよね。なら、このまま維持してて」
そう言いながら、朔は外の森の景色を観察する。
(……やっぱり)
簡易領域の中から外の森を見ると、明らかに先ほどとは違う『違和感』があった。逆に言えば、山の中にいる時は、その違和感すらも認識できなかったということだ。
「やだね、本当に」
朔は顔を顰め、肩に乗せているウサギへと大量の呪力を流し込んだ。
「『群牙散兎』」
指示と共に、ウサギが一気に増殖し、簡易領域の中から森の四方八方へと解き放たれる。
「行けッ!」
ウサギたちへ下した命令は一つ。
『真っ直ぐに、森の外へ向かえ』。
これまでは、この指示を出してもウサギたちは森の中をループするように惑わされていた。だが、今は違う。
(惑わされていたのは、式神じゃない。式神へ指示を出していた『僕自身』)
式神に真っ直ぐ進めと指示を出した。式神が真っ直ぐ走っているように見えた。だが、それこそが《天狗道》による結果のすり替えだったのだ。
しかし、今は簡易領域の中にいる。術式効果を一切受けていない状態の朔から送られる、正確な位置座標と命令。
――これならば。
(あぁ、なんとなく気分がいいな。外からの新鮮な空気が分かる)
ウサギの知覚を通して、確実に山を下り、森の外へと向かっている確かな手応えを感じ取った。先程とは異なり、歪みは発生しない。
「これなら、式神だけでも外に出れるかも?」
朔がそう確信した、その時だった。
——ドガァァァァンッ!!
「な、なんですかッ!?」
三輪が悲鳴を上げる。
山の中腹、少し離れた位置から、凄まじい大木のへし折れる音が響き渡った。
「どうやら、何人たりともこの山から出したくないみたいだね」
朔は目を細める。
「観察に徹してた、黒幕が来るよ」
ズズズンッ、と重い地響きを立てながら、山の木々を強引に薙ぎ倒し、『黒い影』が猛スピードで接近してくる。
そして、鬱蒼とした木々の合間から、ついにその姿を現した。
――キィシャァァァァアアッ!!
「キャァッ!?」
その異形の姿に、隣で簡易領域を維持していた三輪が後ずさりそうになるが、朔が彼女の肩をガッチリと掴んで固定した。
「大丈夫だよ。動かないで。僕が守るから」
ここで簡易領域が消えるのは困る。絶対に維持してもらわなければ。
眼前に現れた黒い影。
その見た目は、言わば『巨大な二足歩行の烏』。
全長二メートルほどの筋骨隆々な体躯。背中には漆黒の二対の翼をはためかせ、カッと見開かれた赤い双眸が、木の上から悠然とこちらを見下ろしている。山伏のようなボロボロの衣服を身に纏い、その嘴は鋭く尖っていた。
あの時、三輪に抱えられながら空を見上げた時にチラリと見えた、巨大な黒い翼。
やはり、あれが神隠しの元凶か。
「な、なんか……あの呪霊、私の方を見てませんか!? 獲物として、狙い定めてませんか!?」
三輪が涙目で訴えかけてくる。
「まあ、彼の絶対的な術式テリトリーである『お山』に、君が簡易領域でポッカリと穴を開けてるようなものだからね。それは向こうからすれば、すごく腹が立つし、真っ先に狙うでしょ」
「えぇぇーッ!? 守ってくださいよぉ、ほんとに!!」
「分かってる」
朔が気怠げに返した、次の瞬間。
――ピーヒョロロ……ドンドン……。
また、あの狂った太鼓と笛の音が、山全体に響き渡り始めた。
「あっ、あぁ……また、あれが……!」
三輪の顔が苦痛に歪む。
簡易領域は、術式そのものを破壊したり、効果自体を消滅させるものではない。あくまで『その結界に付与された効果』を中和しているだけだ。音という物理的な媒体に乗って届く精神干渉までは、完全には防ぎきれない。
「や、やば、禪院くん……! 簡易領域を維持したまま、両耳に呪力を集めるの……うぐぅっ……!」
高度な呪力操作を二つ同時に行うことができず、三輪の顔から戦意が減退していく。
「仕方ない」
自らの手を彼女の耳に当て、音に乗った呪いから守る。
「あ、ありがとうございます……!!」
「うん、そのまま簡易領域の維持を続けてね」
朔は三輪の耳を塞いだまま、視線を一切外さず、上空の天狗の動きを監視する。
(向こうも、こちらを観察してる。自分の術式が通用しないことに戸惑っているな)
やっぱり、実戦経験がないのだろう。
生まれてからずっと、この山という絶対有利なテリトリーに引き篭もり、術式の強制力だけで一般人を一方的に拐ってただけ。
術式も、種が割れて対策さえしてしまえば、そこまで恐れるようなものではない。というか、そもそもこの天狗は『術式そのものを戦闘に活かしたことがない』のではないか。
「キィィィィシャァァァァァァァァアアッ!!」
バサリッ! と、巨大な翼を広げ、天狗が痺れを切らしたように、凄まじい速度で上空からこちらへ向かって急降下してきた。
「キ、来たぁッ!!」
「『鵺』」
朔の短く、冷徹な声。
次の瞬間、足元の影の内に待機させていた巨大な怪鳥『鵺』が飛び出した。
急降下してくる天狗に対し、鵺が猛スピードで激突する。
——バリバリバリバリッ!!!
とてつもない雷鳴が轟き、青白い紫電が神隠しの山を強烈に照らし出した。
「キィィィィッ!? シャアァッ……!!」
鵺の電撃をモロに浴びた呪霊が、悲鳴を上げながら黒焦げになり、地面へと無様に叩き落とされる。
(弱いな。素の身体能力も呪力出力も、あんまり高くない)
簡易領域の中からであれば、式神の操作も問題なく、結果のすり替えも起きない。
「ガァァァ……ガグゥ……」
地面に這いずりながら、天狗が不思議がっているように、あるいは恨めしげな目でこちらを見つめてきた。
(やっぱり、この山では『敵からの攻撃が当たらなくなる』効果があったのかな。……もう関係ないけど)
地面に這いつくばる呪霊を、朔は冷たく見下ろす。
鵺の雷撃を浴びた天狗は、全身が痺れて動けないようだ。
「君、最初のアプローチのほうが怖かったよ。人の言葉を話さないのはポイント高いけど」
這いつくばる異形に向けて淡々と語りかける。
「正体も術式も割れちゃったし。呪霊である以上、不死身でもない」
――これで終わりだ。
その指示を受け、鵺が天狗のすぐ側へと舞い降りた。
そして、朔は自身の足元の影へと深く沈み込み、鵺の影と『自身の影』を接続する。
――ズルンッ。
天狗の目の前、鵺の影の中から、禪院朔が直接浮かび上がる。
距離はゼロ。
天狗が何事かと目を見開いた、その瞬間。
朔は、冷たい瞳で異形を見下ろしながら、両手で『来迎印』を結んだ。
「領域展開」
山という巨大な結界。天狗道という理不尽な概念。
その全てを、さらなる理不尽で完全に上から塗り潰す。
「『
ドプンッ、と。
漆黒の泥のような液体が爆発的に広がり、天狗の体を、そして周囲の空間ごと、一瞬にして飲み込んだ。
山岳信仰の呪いが作り上げた強固なテリトリーが、禪院朔の『絶対的な箱庭』によって、完膚なきまでに書き換えられる。
(これで、何の問題もない)
漆黒の結界の中に閉じ込められた天狗に対し、朔は無慈悲な必中の暴力を下す。
――終わりだ。
こうして、神隠しの山を支配し、無敵に思われていた呪いは。
式神使いの領域の前に、あまりにもあっけない幕切れを迎えたのだった。