とある3期生のオルタナティブ~ウサギとエルフと騎士と船長~ 作:ジョウジ
無機質なマニュアルの羅列の前に崩れ落ちたミオは、震える両手で顔を覆った。
「そんなの……誰ができるっていうのさ……!」
ポロポロと、大粒の涙が乾いた土を濡らしていく。
誰とも争うことなく、いつもみんなの輪の中心で笑っていたい。それが、ホロライブという場所の温かさであり、フブキやミオが何よりも大切にしてきたものだった。
その愛情を、絆を根底から否定しなければ、後輩たちを救うことはできない。
「ボクも手伝うよ! ボクの火力なら、きっと壁にヒビくらいは……」
泣き崩れるミオを見て、ロボ子さんが慌てて両腕の重火器を展開し、提案する。
しかし、フブキは静かに、けれど明確な拒絶の意志を持って首を振った。
「ダメだよ、ロボ子先輩」
「えっ……」
「ロボ子先輩は、純粋なシステム側の存在(バランサーの一部)だから……。下手に動けば、先輩自身がシステムのエラーとして消去(デリート)されちゃう。だから……これ以上、関わらないで」
フブキの言葉は冷たかった。しかし、その瞳の奥には、これ以上大切な仲間を失いたくないという、血を吐くような優しさが滲んでいた。
ロボ子さんは何かを言いかけたが、フブキの決意に満ちた眼差しを前に、ゆっくりと腕の武器を収めることしかできなかった。
「……帰ろう、ミオしゃ。まずは、ここを離れなきゃ」
フブキは、地面にへたり込んでいたミオの腕を取り、強引に立たせた。
ロボ子さんをその場に残し、二人はキョウノミヤコへの帰路につく。街へ戻る道すがら、フブキの震える手が、ミオの手を強く、痛いほどに握りしめていた。
二人とも、無言だった。突きつけられた絶望的な条件を前に、これからどうすればいいのか、答えなど出せるはずがなかった。
キョウノミヤコの高台。シラカミ神社の境内に戻ってきた二人は、夕日に染まる縁側に力なく腰を下ろしていた。
二人の間には、重く、息が詰まるような沈黙が落ちている。
「フブキ……」
ぽつりと、ミオが口を開いた。その声は酷く乾いていた。
「私たち、これからどうすればいいんだろうね……」
ミオは自分の膝をぎゅっと抱え込んだまま、顔を上げることができなかった。
「みんなを助けるには、誰かがみんなから本気で憎まれて、殺されるしかないんでしょ? ……そんなの、フブキにも、ウチにもできるわけないよ」
「……そうだよね。誰も悪役になんて、なりたくないよね」
フブキは、自嘲するように弱く笑った。
「でもね、ミオしゃ。もし私たちがこのまま何もしなかったら……ノエルちゃんやマリンちゃんは、この世界に生まれた直後に、世界ごと消えちゃうんだよ。……るしあちゃんや、ココ会長みたいに」
その言葉に、ミオの肩がビクッと跳ねた。
現実世界から「卒業」してしまったメンバーたち。彼女たちはこのホロアースという仮想空間の中でだけ、データの残滓として形を保つことができている。だが、世界が崩壊すれば、彼女たちの痕跡は今度こそ永遠に失われてしまう。
「それは……絶対に嫌だ」
ミオが震える声で絞り出した。
「みんなには、生きてほしい。笑って、現実(あっち)に帰ってほしいよ……!」
「……うん。私も、絶対に嫌だ」
フブキはゆっくりと立ち上がり、夕日に向かって背筋を伸ばした。
巫女装束の袖をぎゅっと握りしめるその手は、白く鬱血するほど力が込められていた。
帰り道からずっと、フブキの頭の中では思考がぐるぐると渦巻いていた。システムを騙す方法。誰も傷つかない方法。しかし、どんなに計算しても、行き着く答えは一つしかなかった。
「誰も悪役にならないなら。全員がここで消滅するしかないなら」
フブキは振り返り、真っ直ぐにミオを見た。
その青い瞳には、尋常ではない覚悟と、隠しきれない大粒の涙が浮かんでいた。
「――私たちが、泥を被ろう」
「フブキ……」
「私たちが悪役になって、後輩たちを本気で絶望させよう。絶対に越えられない『理不尽な壁』になって……あの子たちから、本気の怒りと殺意を引き出すんだ」
フブキの声は震え、ポロポロと涙をこぼしながら、それでも言葉を紡ぎ続けた。
「あの子たちを帰すためなら、私は……みんなから一生恨まれてもいい。嘘つき狐って罵られて、殺されて、ここで消えてもいい……!」
それは、あまりにも悲痛な自己犠牲の提案だった。
いつも明るく「すこん部」やメンバーたちを笑顔にしてきたフブキが、自ら進んでみんなのトラウマになるような憎まれ役を買って出るというのだ。
「……ダメだよ、フブキ」
ミオが立ち上がり、泣きじゃくるフブキを強く抱きしめた。
「フブキ一人に、そんな辛い役目、背負わせられないよ。……ウチらは『相棒』でしょ?」
ミオがホロライブに入ったきっかけは、他でもないフブキだった。ずっと隣で走り続け、お互いの弱さも強さも一番理解し合ってきた、かけがえのない相棒。
その相棒が、たった一人で地獄へ行こうとしている。ミオの母性が、狼の魂が、それを許すはずがなかった。
「……わかった。フブキと一緒なら、地獄の底まで付き合うよ」
ミオはフブキの背中を優しく撫でながら、大粒の涙を流して決意を固めた。
「ウチらが、世界で一番残酷な悪役になろう。……そして、可愛い後輩たちを、絶対に現実(あっち)に帰してあげよう」
二人は夕日の中で、声を出して泣きじゃくりながら、固く抱き合った。
これが、後に3期生を絶望の淵に叩き落とすことになる『和の防衛線』の、あまりにも悲しすぎる真実の始まりだった。
その日の夜から、二人は行動を開始した。
後輩たちがスポーンしてくる未来に向けて、キョウノミヤコのさらに奥地、決して後輩たちを先に進ませないための『千本鳥居の結界』の構築に着手したのだ。
心に血の涙を流しながら、完璧な悪役を演じきるための『台本』を練り上げていく。
しかし。
悲痛な覚悟を決めた二人の計画は、予期せぬ「身内」の乱入によって、いきなり根底から揺るがされることになる。
結界の構築を進めていた、ある日のこと。
二人の前に、凄まじい鬼気と怒気を纏った影が、猛スピードで駆けつけてきたのだ。
「――待ちわびたぞ、貴様ら!!」
千本鳥居の入り口に降り立ったのは、二本の角を生やし、背に真紅の双剣を背負った鬼の少女。
公式年齢・約1500歳。
長寿設定ゆえに、この世界の誰よりも早くスポーンし、想像を絶する途方もない時間をたった一人で孤独に待ち続けていた鬼神――百鬼あやめだった。