もう一つの英雄譚   作:FeIron

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第6話

 ネッドが窓の外を見る。まだ朝食を取っている最中なのに、これで今日三度目だ。一度目は席に着いたとき、二度目は卵を皿へ取ったとき。

 今度は口へ運びかけたトーストを止めている。

 高い窓の向こうには、薄い雲が広がっていた。雨は降っていない。大広間の天井も同じ色をしている。

 

「何か来るのか」

 

 ルークが尋ねると、ネッドはようやく窓から目を戻した。

 

「来ないよ。風を見てた」

 

「ここから分かるのか?」

 

「木が見えるだろ」

 

 窓の端に、葉の茂った枝が少しだけ覗いている。

 ルークには、さっきからほとんど動いていないように見えたが、ネッドには違うものが見えているようだった。

 

「午後もこのくらいならいいんだけど」

 

 ネッドはそう言って、冷めかけたトーストを齧った。

 隣でベンが大きく頷く。

 

「僕は多少風があっても構わないね」

 

「お前、乗れるのか」

 

「まだ」

 

「じゃあ何で分かるんだよ」

 

「雨よりはいいだろ」

 

 その言い分には、ルークも異論がなかった。

 今日の午後には、初めての飛行訓練がある。確かに天候は重要な要素だった。

 昨夜からベンは、その話を何度もしていた。寝台に腰掛けて飛ぶ姿勢を試し、足を上げたところで後ろへ転がり、向かいのネッドから枕を投げられている。今朝も食堂へ下りる途中、箒に乗れば階段を使わなくて済むと言っていた。

 ルークは皿に残った卵をパンに載せた。

 

「ネッドは乗ったことがあるんだろ」

 

「ある」

 

 返事が早い。

 

「どのくらい」

 

「家で。父さんの古い箒を借りてた。初めは低いところだけだったけど」

 

「初めは?」

 

 ベンが身を乗り出した。

 

「今はもっと高く飛べるの?」

 

「そりゃ、練習したから」

 

 ネッドは何でもないことのように答えたが、口元は少し上がっていた。昨夜、変身術の課題を見直していたときよりも、ずっと言葉が滑らかに出てくる。

 

「曲がるのも?」

 

「曲がれなかったら庭から出るだろ」

 

「止まるのも?」

 

「ベン」

 

「確認だよ。僕、今日は経験者の隣に立ちたいから」

 

 ベンはそう言うと、今度はルークを見た。

 

「君は?」

 

「乗ったことはない」

 

「でも、すぐできそうだよな」

 

 ネッドが言った。

 ルークは卵の乗ったパンを口に入れながら顔を上げた。

 砂色の短い髪の下で、ネッドの青い目がこちらを見ている。何気なく言ったようでいて、返事は聞いておきたいらしい。

 

「まだ箒を見てもいない」

 

「変身術だって、初めてだっただろ」

 

「あれは飛ばない」

 

「針なら飛ばせるよ」

 

 ベンが口を挟んだ。

 

「投げればな」

 

「授業でやるなよ」

 

 ネッドが言い、ベンはひどく心外そうに眉を上げた。

 

「そんなことしない。したら減点されるだろ」

 

 ルークは口の端を上げながら最後のパンを口へ押し込んだ。

 入学してから、覚えるものはいくらでもあった。呪文の発音。杖を動かす角度。鍋の火を弱める時機。廊下の突き当たりにある階段が、いつも同じ場所へ続くわけではないこと。

 できたと思っても、次にはできない。でもできなかったものが、少し指の位置を変えただけでうまくいく。

 箒も、その一つなのだろう。そう思っていた。

 

 

 

 

 午後の校庭は朝よりも風が強かった。

 城の壁に沿って歩くと、日陰に入った途端、首元がひやりとする。少し先では芝生が日に照らされていた。遠くの森はまだ深い緑を残しているが、校庭の端に立つ木には、黄色い葉が混じり始めている。

 芝生の上に、箒が二列に並べられている。想像していたよりも普通の箒だった。

 柄には使い込まれた艶があり、穂先の枝は何本か横へ飛び出している。一本だけ、先端がわずかに曲がっていた。

 ルークはその前を通り過ぎ、隣の箒の横に立った。

 

「それ、選んだ?」

 

 ベンが訊いた。

 

「まっすぐだから」

 

「なるほど」

 

 ベンは足元の箒を見下ろした。それから、こっそり隣へ移ろうとした。

 

「フェンウィック。その位置で結構です」

 

 しかし鋭い声が響き、ベンの足が止まる。

 列の前に立っているのは、短い灰色の髪を逆立てた魔女だった。黄色みの強い目が、箒と生徒たちの間を素早く動いている。首から下げた銀色の笛が、胸元で光った。

 自らをロランダ・フーチと名乗った魔女は全員の顔を見渡してから、腰に手を当てた。

 

「まず覚えてもらうことがあります。私が指示するまで、地面を離れないこと。ほかの生徒に箒を向けないこと。何かおかしいと思ったら、勝手に直そうとせず、私を呼ぶこと」

 

 ベンが足元の箒から目を上げた。

 

「質問は?」

 

 手を上げる者はいなかった。

 

「では、箒の右側へ。利き手を上にかざして」

 

 ルークは右手を伸ばした。

 地面の箒は、何の反応も見せない。濡れた芝の匂いがする。どこかで鳥が鳴いていた。

 

「はっきりと、『上がれ』」

 

「上がれ!」

 

 何人もの声が重なった。

 ネッドの箒が、真っ先に手へ飛び込み、乾いた音がした。

 ネッドは柄を握ったまま、少し驚いたように自分の手を見た。それから周りを見て、少し自慢げな顔をしていた。

 それに対してルークの箒は、草の上で半回転しただけだった。

 

「上がれ」

 

 今度は柄の先が持ち上がった。指に触れ、滑り落ちる。

 ルークは手を追わせかけて止めた。

 右隣のベンの箒はぴくりともしない。

 

「聞こえてる?」

 

「フェンウィック。質問ではありません」

 

「はい。上がれ!」

 

 箒が跳ねた。

 ベンの指を掠め、膝に当たって落ちる。

 

「聞こえてたみたい」

 

 ベンは片脚を曲げ、箒の当たった場所を押さえ、悶えながら言葉を漏らす。

 ルークはもう一度、地面の柄を見た。手を少し下げる。握ろうとするのではなく、そこまで来させるつもりで言った。

 

「上がれ」

 

 今度は掌に収まった。

 木の柄は、思ったよりも軽かった。握った内側に、細かな傷が触れる。

 顔を上げると、ネッドがこちらを見ていた。

 

「できたな」

 

「ああ」

 

「ベンはまだだ」

 

「見れば分かるよ」

 

 足元からベンの声がした。

 箒を呼び寄せるだけでも、全員が揃うまでには時間がかかった。柄が手を通り越す者もいれば、穂先だけが浮く者もいる。フーチ先生は列の間を歩き、声の出し方と手の位置を直していった。

 やがてベンの箒もようやく持ち主の手に収まった。

 

「次は跨がります。まだ蹴らない」

 

 ルークは箒を脚の間へ入れた。

 どこへ体重を掛ければいいのか、よく分からない。跨がるというより、細い木の上に身体を引っ掛けている気がした。

 フーチ先生が前を通り、ルークの手元で止まった。

 

「両手を少し離して。そう。指は掛けていても、握り潰す必要はありません」

 

 ルークは指を緩めた。

 次に先生はベンの肘を直し、ネッドの箒を一度見て、そのまま先へ進んだ。

 ネッドの方を見ると、もう前を向いていた。早く飛びたいという表情を見せながら、その背中にも腕にも、余計な力が入っていない。

 

「笛が鳴ったら、軽く地面を蹴ります。高く上がろうとしなくていい。浮いたところで止まり、次の指示を待つこと」

 

 ルークは芝生を見た。

 刈り高は低い。芝がクッションの役割を果たすことは期待できなさそうだった。

 そして笛が鳴る。合わせて地面を蹴り、足の下から、芝生が離れた。

 腹が一瞬、身体の中へ置いていかれたようになった。

 反射的にルークは柄を強く握った。つられて箒の先が上がる。

 

「ウォルフ、手元を上げすぎない!」

 

 鋭い声が飛ぶ。

 声に従って先端を下げると、今度は穂先の方が持ち上がった。身体が前へずれる。ルークは慌てて腕を引いた。

 左右に揺れた。

 足を出しかけたが、地面には届かなかない。それが分かった途端、膝にも力が入った。

 

「動かさない。そのまま!」

 

 フーチ先生がすぐそばに来ていた。

 ルークは腕を止めた。

 箒はまだ揺れている。しかし、手を動かさずにいると、その揺れは少しずつ小さくなった。

 息を吐く。

 少し離れたところで、ネッドが浮いていた。地上からは同じくらいの高さなのに、座っている場所が違うように見えた。ネッドは箒の上で首を回し、背後のベンに何か言っている。

 話しながらでも、箒はほとんど動かなかった。

 ベンは口を固く閉じていた。

 

「大丈夫か」

 

 ルークが訊くと、ベンは頷いた。

 頷いた拍子に箒も揺れ、すぐに顎を止める。

 

「喋ると落ちそう」

 

「喋らなくても揺れてる」

 

「言わなくていい」

 

 少し先でネッドが笑った。

 

 フーチ先生の指示で、全員が順番に地面へ戻った。

 ルークは少し早く足を下ろしすぎ、靴底を芝に引っ掛けた。箒だけが前へ進み、二歩ほど追い掛けて止まる。

 ベンは着地した途端、深く息を吸った。

 

「どうだった」

 

 ネッドが訊いた。

 ルークは箒を見た。

 

「動く」

 

「そりゃそうだろ」

 

「思ったより」

 

 ネッドは声を上げて笑った。

 

 

 

 

 ただ浮くだけなら、三度目には何とかなった。

 足が地面から離れる瞬間に身体を固めなければ、箒はそれほど暴れない。少なくともそう思っている間は。

 問題は動いてからだった。

 フーチ先生が芝生に置いた二つの目印は、走ればすぐ着く距離しか離れていない。片方から片方へ、低くゆっくり進む。それだけの課題だった。

 ネッドは最初の一回で、向こうの目印の前に止まった。

 ぴたり、とまではいかない。

 けれど通り越すこともなく、足で地面を蹴って止めることもなかった。

 

「結構。クロフト、その位置を覚えておいて」

 

 フーチ先生が言った。

 戻ってきたネッドは、何か言うつもりらしかった。

 だがルークと目が合うと、口を閉じた。

 

「何だよ」

 

「別に」

 

「言えばいいだろ」

 

「見てたかなと思って」

 

「見てた」

 

 ネッドの口元が緩んだ。

 次はルークだった。

 箒を前へ向ける。さっき先生が示した通りに、柄をほんの少し動かした。

 箒が少しずつ進む。草の上を、自分の影が滑っていく。

 歩くのとは違う。足を動かしていないのに、目の前の目印が近づいてくる。

 悪くない。そう思った直後、目印が足元にあった。

 止まらなければ、という思考が頭を埋め尽くす。ルークは柄を引いた。

 箒の先が跳ね上がる。進む勢いが残ったまま上へ持ち上げられ、身体が後ろへ傾いた。

 

「引きすぎ!」

 

 ネッドの声がした。

 ルークは柄を戻した。今度は箒が下がる。

 慌てて足を突くと、片方の靴だけが地面に触れた。身体が横へ流れ、膝が草を擦る。

 箒を放さずに踏ん張ったせいで、最後は半分跨がり、半分立ち上がった妙な姿勢になった。

 笑い声が幾つか上がる。

 ルークは立ち直り、膝についた草を払った。

 

「怪我は?」

 

 フーチ先生が近づいてきた。

 

「ありません」

 

「止まる準備が遅い。目印に着いてからではありません」

 

 ルークは振り返った。

 目印は、三歩ほど後ろにあった。

 

「それから、腕だけで無理に戻さないこと。分かりましたね」

 

「はい」

 

 戻る途中で、ベンが箒を抱え直した。

 

「転ばなかったね」

 

「膝はついた」

 

「全部つくよりはいい」

 

 ルークはベンを見た。

 慰めている顔なのか、本当にそう思っている顔なのか、少し判断に迷った。

 その隣でネッドが、箒の柄を指で叩いた。

 

「見すぎなんだよ」

 

「何を」

 

「下。目印が来るまで、ずっと真下を見てただろ」

 

「通り過ぎたら困る」

 

「見てても通り過ぎただろ」

 

 言い返そうとしてやめた。言い返せる言葉がない。ネッドの言う通りだった。

 ネッドは目印の向こうを指した。

 

「もう少し先を見てる方がいい。あと、動かしたらちょっと待つんだ。すぐ反対へ動かすと、ずっと揺れる」

 

「待ってる間に傾くだろ」

 

「少しなら戻る」

 

「戻らなかったら?」

 

「そのとき直す」

 

 ルークは眉を寄せた。それにつられてネッドも眉を寄せた。

 

「何だよ」

 

「落ちてから考えろって聞こえる」

 

「違うよ。全部止めようとしなくていいってこと」

 

 フーチの笛が鳴り、会話が途切れた。

 次の組が進み始める。

 ベンは目印に着くずっと前から速度を落とし、最後の数歩をほとんど歩く速さで進んでいた。

 

「慎重だな」

 

 ルークが言うと、戻ってきたベンは真面目な顔で頷いた。

 

「僕は今、すごく慎重な人間になってる」

 

 その顔がなんだか面白くて、ルークは思わず笑った。

 それからすぐにまた自分の番が来た。

 浮いて、前を見る。目印の、その先。

 箒が少し左へ流れた。反射的に右へ引こうとして、指だけを動かす程度に留めた。

 すぐには戻らない。戻らないまま、少し進む。そこでようやく向きが変わった。

 さっきは、これが起きる前にもう一度動かしていたのか。少し箒のことがわかった気がする。そのままルークは顎を引いた。

 目印が近づく。少し早いかと思うところで、止まる準備をした。

 速度が落ちた。今度は穂先が跳ね上がらない。目印の手前で、箒が止まった。

 泊まってから気づいたが、どうやらかなり手前なようだった。

 

「もう少し進めましたね」

 

 フーチ先生が言った。

 

「ですが、今の方がいい。着地して」

 

 ルークは両足を下ろした。

 地面が、ちゃんと足の裏にあった。

 地面を踏みしめながら戻ってくると、ネッドがこちらを見ていた。

 

「今のは?」

 

 ルークが訊いた。

 

「止まれた」

 

「見れば分かる」

 

「じゃあ訊くなよ」

 

 そう返すネッドは、明らかに嬉しそうだった。

 ルークは箒を持ち替えた。

 右手の掌が少し痛い。握りすぎていたらしい。

 

「次、曲がるって」

 

 ベンが言った。

 目を上げると、フーチ先生が目印をもう一つ運んでいた。

 

 

 

 

 曲がるのは止まるより難しかった。

 ネッドは外側へ膨らみすぎた最初の一回だけ舌打ちをして、二度目には目印の周りを滑らかに回った。

 ルークは反対に、曲がろうとするのが早すぎた。目印の内側を通り、やり直しになり、初回を意識しすぎたのか、次には大きく回りすぎた。

 

「お前、さっきどうやった」

 

「普通に」

 

「その普通が分からないんだよ」

 

 ネッドは口を開け、閉じた。

 少し考えてから、柄を持つ手を動かした。

 

「こう。少しだけ」

 

「さっきも少しだった」

 

「君の少しは大きいんだ」

 

 後ろでベンが吹き出した。

 

「ごめん。今の、ちょっと分かる」

 

 ルークは二人を見た。

 それから自分の箒を見た。枝の先に、芝が一本引っ掛かっていた。

 ひどい箒を選んだのではないかとも思ったが、さっきフーチ先生が確かめたときには、何の問題もなく浮いていた。箒のせいにしたいが、それはできない。

 少し離れたところから、また笛が聞こえた。

 自分たちへ向けたものではなかった。校庭の向こう、クィディッチ競技場の方からだ。

 ルークが目をやると、石垣の切れ目から二人の上級生が出てくるところだった。

 一人は箒を肩に担ぎ、もう一人は両手をポケットへ入れている。

 眼鏡を掛けた方に見覚えがあった。ジェームズ・ポッターだ。

 黒い髪が風で乱れている。もっとも、風のない談話室でも似たような髪をしていた。

 隣のシリウス・ブラックは、顔に掛かった長めの黒髪を指で払うと、こちらを見て何か言った。

 ジェームズも顔を向けた。

 ルークは先に目を戻した。自分の番だった。

 

 もう一度、地面を蹴る。目印まではうまくいった。曲がり始めも、さっきほど悪くない。だが、回り終える前に箒を戻そうとしてしまった。グン、と箒の先端が横へずれる。

 目印の向こうに立っていたフーチ先生が、手を上げた。

 

「前を向いて。焦らない!」

 

 ルークは腕を止めた。

 箒が大きく一度揺れ、それから、ぎこちなく元の向きへ戻った。

 足を着く。今度は膝をつかなかった。その代わり、終点とは違う場所に降りていた。

 

「そこから戻ってきて。歩いて結構です」

 

 先生の声に、ルークは箒を引いて歩いた。

 石垣の方から、笑い声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 授業が終わる頃には、指の付け根も、腿の内側も疲れていた。

 フーチ先生は最後に、勝手に箒を持ち出して練習しないことを念押しした。それから、使った箒を倉庫まで運ぶように言った。

 ルークは袖で額を拭いた。涼しい風が、汗の残った生え際に当たる。

 

「君、ウォルフだよね」

 

 振り向くと、ジェームズが石垣から離れてくるところだった。

 丸い眼鏡の奥で、目が笑っていた。片手には自分の箒を持っている。学校のものより柄が滑らかで、穂先もきれいに揃っていた。

 

「そうだけど」

 

「我らが寮監、マクゴナガル先生が褒めてたぜ。変身術の才能があるって」

 

 ルークは少しだけ動きを止めた。

 あのマクゴナガル先生が。授業で名前を呼ばれることはある。できたものを見せるように言われたこともあった。だが、自分のいない場所で話されているとは思っていなかった。

 

「先生がそう言ったのか」

 

「ああ。変化させるのが早い、細かいところを見る目もあるってさ。もっとも、僕たちに話す頃には、そのあとに『あなた方も課題を見直しなさい』がついたけど」

 

「そっちが本題だったんじゃないか」

 

 シリウスが後ろから言った。

 

「結果として、見込みのある後輩を知れただろ」

 

 ジェームズは気にせず、ルークの箒へ目を落とした。

 

「ただ、箒にはまだ伝わってないらしい」

 

 ベンが隣で、小さく息を漏らした。笑いかけて止めた音だった。多分隣を見ればみっともない顔をしたベンが見られる。

 ルークはジェームズを見上げた。

 

「見てたのか」

 

「最後のところを少し。ずいぶん慎重に飛ぶんだな」

 

「次に落ちる場所を選んでた」

 

 シリウスが笑った。

 ジェームズは一度瞬きをしてから、口元を上げた。

 

「なるほど。さっきの着地も予定通り?」

 

「違う。だから邪魔のないところで練習してたんだけど」

 

 ジェームズは自分の足元を見た。生徒たちが倉庫へ向かう道の途中に立っている。

 脇へ一歩退いた。

 

「これは失礼」

 

 大げさに手を広げる。

 ルークが通り過ぎようとすると、ジェームズも隣を歩き始めた。

 

「初めて?」

 

「今日が初めて」

 

「その割には、よく箒に喧嘩を売ってた」

 

「売ってない」

 

「向こうはそう思ってないかもね」

 

 シリウスが、ルークの握っている場所を顎で示した。箒には指の跡がくっきりとついていた。

 ルークは少し手を緩めた。

 それを見てジェームズが笑う。

 

「言うことを聞かなければ締め上げる、って感じだったな」

 

「離したら落ちるだろ」

 

「誰も離せとは言ってないよ」

 

 ネッドが、反対側から口を挟んだ。

 ジェームズは初めてそちらを見た。

 

「君はうまかったね」

 

 ネッドの足が、ほんの少し遅くなった。

 

「クロフトです」

 

「家で乗ってた?」

 

「はい。父の箒で」

 

「だと思った。曲がるときも前を見てたし。あとは止まる前に肩を上げなければ、もっと楽になる」

 

 ネッドは無意識に自分の肩を下げた。

 ジェームズはそれを見て頷き、またルークへ向き直った。

 

「君も、彼の飛び方を見てみるといい」

 

「見てた」

 

「じゃあ、もう少しよく」

 

「見てできるなら、もうできてる」

 

 今度はシリウスがはっきり声を上げて笑った。

 

「その通りだ、ジェームズ」

 

「君はどっちの味方なんだ」

 

「今のところ、正しい方」

 

 倉庫の前で、フーチ先生がこちらを見た。

 

「ポッター。通路を空けて。箒を返せないでしょう」

 

「邪魔はしてませんよ」

 

「あなたが動けば確かめられます」

 

 ジェームズがもう一歩横へ退き、ベンが真っ先に倉庫へ入った。ルークも後に続く。

 中には乾いた木と埃の匂いがこもっていた。

 壁際の棚に箒を立てると、柄が隣の一本に当たり、小さく鳴った。

 自分が使った箒を、少し見ておく。

 柄の中ほどに、斜めに走る浅い傷が二つ。次も同じものを使うかは分からない。それでも覚えておいた。

 外へ出ると、ベンがジェームズの箒を見ていた。

 

「それ、学校のより速いんですか」

 

「速いよ」

 

「どのくらい?」

 

「君が今乗ったら、僕が先生に叱られるくらい」

 

 ベンは伸ばしかけた手を引っ込めた。

 フーチ先生は最後の生徒の箒を確かめていた。

 ジェームズはそちらへ一度目をやり、自分の箒を腰の高さに持ち上げた。

 

「さっき、曲がり終わる前に戻してただろ」

 

 ルークに向けた言葉だった。

 

「ああ」

 

「傾いたから?」

 

「戻さないと、もっと傾くと思った」

 

「でも、その前に左へ向けてる。まだそっちへ動いてる途中で、右へ行けって言われたら、箒だって忙しい」

 

 ジェームズは柄を小さく動かした。

 授業中のルークに比べれば、ほとんど動いていない。

 

「一度動かしたら、待つ」

 

「それはネッドも言ってた」

 

「言ったよ」

 

「なら、ネッドの言うことを聞くといい」

 

 ジェームズはあっさり言った。

 

「僕が言ったら急に正しくなるわけじゃないからね」

 

「惜しいな。今のはかなり先生みたいだった」

 

 シリウスが言う。

 ジェームズは眉をしかめ、それからルークを指した。

 

「ただし、こっちは先生の言うことなら聞きそうだ」

 

「相手による」

 

「厳しいね」

 

 ルークはジェームズの手元を見た。

 

「でも、どうやって待つんだ」

 

 ジェームズの顔から、笑いが少し薄れた。

 

「どうやって?」

 

「動いたら直そうとする。分かってても、手が動く」

 

 声に出すと、ひどく簡単な問題に聞こえた。実際、ネッドにはできている。

 ジェームズはルークの肩へ目をやった。

 

「腕が突っ張ってるんだと思う。箒が少し動いただけでも、そのまま肩まで来る。それで全部動かし直そうとする」

 

 自分の肘を軽く曲げてみせた。

 

「このくらい。別に、ふにゃふにゃにしろってことじゃない。余裕を残すんだ」

 

 ルークは何も持っていない手を、さっき柄があった位置へ置いた。

 肘を曲げる。

 

「そう。それと、下を見るな」

 

「落ちるとしたら下だろ」

 

「だから飛んでる間まで見張ってるのか?」

 

 シリウスが口を挟んだ。

 

「地面は逃げないぜ」

 

 ルークは顔を向けた。

 

「僕としては逃げてくれた方が助かるんだけど」

 

 シリウスは一瞬黙り、それから肩を揺らした。

 ジェームズも笑い、箒を肩へ戻した。

 

「君、もっと真面目な子かと思ってた」

 

「真面目にやってた」

 

「そこじゃなくて」

 

 ジェームズは何か言い足そうとしたが、倉庫の扉が閉まる音に振り返った。

 フーチ先生が鍵を掛けている。

 

「ポッター。次の練習でも、そのくらい熱心に人の話を聞きなさい」

 

「いつも聞いてます」

 

「それなら、なお結構」

 

 先生は短く言い、校舎へ歩き出した。

 シリウスがジェームズの顔を覗き込む。

 

「聞いてるそうだ」

 

「君よりはね」

 

 ルークは二人を見比べた。

 入学した夜にも、よく喋る上級生だとは思った。今日も、その印象は変わらない。

 ただ、箒を説明するときのジェームズは、少し違っていた。目の前のものを見て、何がおかしいかすぐに分かる。ふざけながらでも、言うことは具体的だった。

 それを認めるのは別に難しいことではなかった。

 

「次、やってみる」

 

 ルークが言うと、ジェームズは振り返った。

 

「肘」

 

 付け足す。

 

「ああ」

 

 ジェームズは笑った。

 

「うまくいったら、僕のおかげだって言っていいよ」

 

「ネッドにも言われたことは、ネッドのおかげにする」

 

「細かいな」

 

「マクゴナガル先生が褒めたんだろ」

 

 ベンがとうとう堪えきれずに笑った。青空の下にベンとシリウスの笑い声が響く。

 ジェームズはルークを見たまま、ゆっくり頷いた。

 

「なるほど。そう来るか」

 

 その顔には、さっき箒を見ていたときとは違う笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 城へ戻る坂道で、ネッドがいつもより少し速く歩いた。

 長い脚が、芝生の端を踏んでいく。

 ベンは二度ほど小走りになって追いついた。

 

「ポッターに褒められたな」

 

 ルークが言った。

 ネッドは前を向いたまま答えた。

 

「聞こえてたよ」

 

「そうか」

 

「同じところにいたんだから」

 

「そうだな」

 

 ネッドが横を向いた。

 

「何だよ」

 

「別に」

 

 今度はルークがそう返した。

 ベンが二人の間を見て、にやりとした。

 

「僕も聞こえてたよ」

 

「分かったって」

 

 ネッドは言ったが、歩く速さは少し落ちた。

 階段の手前で、ベンが自分の指を開いたり閉じたりした。

 

「箒って、もっと楽なものだと思ってた」

 

「慣れたら楽だよ」

 

 ネッドが答える。

 

「僕、途中から足より手が疲れてた」

 

「握りすぎるから」

 

「ルークにも言ってあげて」

 

「言った」

 

「聞いた」

 

 ルークは石段へ足を掛けた。

 腿が少し重い。身体を動かした疲れとは違って、普段使わないところまで使った感じがした。

 ネッドは二段先で待っていた。

 

「でも、最後の方は最初よりよかった」

 

「最後、違うところへ降りたぞ」

 

「最初は膝ついただろ」

 

 ルークはネッドを見た。

 さっきベンに言われたときには慰めかと思ったが、ネッドは、ただ比べている顔をしていた。

 

「ああ」

 

「じゃあ、よくなってる」

 

 ネッドはそれだけ言って、また階段を上った。

 ルークも続いた。

 

 

 

 

 夕食の席で、エミリーはルークの膝を見た。

 

「そこ、緑になってる」

 

 長椅子に座る前に呼び止められ、ルークはローブの裾を持ち上げた。

 昼間払ったつもりだったが、膝のところに薄く草の色が残っている。

 

「飛行訓練」

 

「転んだの?」

 

「少し」

 

「どこか痛い?」

 

「今は手」

 

 掌を見せると、エミリーは不思議そうに首を傾げた。低く結んだ明るい茶髪が、肩の後ろへ滑る。

 

「手で歩いたの?」

 

「箒を握ってた」

 

「ああ」

 

 エミリーは頷き、それから笑った。

 

「ごめん。逆さまになったのかと思った」

 

「そこまではいってない」

 

「まだ?」

 

「これからもいく予定はない」

 

 後ろから来たベンが、そこで話に入った。

 

「ネッド、すごかったよ。普通に曲がるんだ」

 

「普通に?」

 

「僕たちには、まだ普通じゃないんだ」

 

 エミリーはルークを見た。ルークも続いて頷く。

 それで伝わったらしく、彼女はそれ以上訊かなかった。

 

「私たちは次の授業。どうしよう、楽しみにしてたのに」

 

「楽しいのは楽しい」

 

 ルークは言った。

 自分で言ってから、少し考えた。

 浮いたときは落ち着かなかった。止まれないのも、笑われるのも、面白くはない。けれど、草の上を影が滑っていった短い間を思い出す。足を動かさずに、自分が前へ進んでいた。

 

「止まれれば」

 

 一言だけ付け足すと、エミリーは吹き出した。

 

「大事なところじゃない」

 

「だから練習するんだろ」

 

 ネッドが後ろから言った。

 片手に、談話室へ置き忘れたらしい教科書を抱えている。

 

「エミリーも、下を見すぎない方がいいよ」

 

「分かった。覚えておく」

 

 素直に頷かれ、ネッドは少し照れたように本を持ち替えた。

 エミリーが自分の寮の席へ戻ってから、三人は長椅子に腰掛けた。ベンは大皿へ手を伸ばしながら、もう次の授業の話をしていた。

 ルークも皿を取った。

 右手でナイフを握ると、指の付け根が少し痛んだ。いつもより緩く持ってみる。

 隣でネッドが、それに気づいて笑った。

 

 

 

 

 談話室へ戻ると、暖炉の前は上級生で埋まっていた。

 まだ火に当たりたいほど寒くはない。それでも窓から離れた椅子は人気があり、絨毯の上にも何人か座っていた。

 ルークたちは奥の小さな机を使うつもりで、部屋を横切った。

 

「ウォルフ」

 

 暖炉の方から声が掛かった。

 ジェームズが長椅子の背に腕を載せていた。シリウスはその隣で、片脚を投げ出している。向かいには、薄茶色の髪をした細身の少年が座っていた。少し疲れたような顔で、本を指で開いたままこちらを見ている。その脇の丸顔の少年は、菓子を口へ入れかけた姿勢で止まっていた。

 

「ちょっと来なよ」

 

 ジェームズが空いている場所を示した。

 ルークはベンとネッドを見た。

 ベンはもう足を向けていた。

 

「飛行訓練で一緒になったんだ」

 

 ジェームズが向かいの二人へ言った。

 

「一緒にはなってない。見てただけだ」

 

 ルークが訂正すると、シリウスが口元を押さえた。

 

「それで、こっちがクロフト。箒がうまい。こっちは──」

 

「ベンです」

 

「ベン。よし、覚えた」

 

 ジェームズは向かいを指した。

 

「リーマスとピーター」

 

 薄茶色の髪の少年が、本を閉じずに手を少し上げた。

 

「よろしく」

 

 ピーターは急いで菓子を飲み込んだ。

 

「ジェームズに教わったの?」

 

「少し」

 

 ルークが答える。

 

「飛ぶの、すごくうまいんだ。去年の試合でも──」

 

「その話は長い」

 

 シリウスが言った。

 

「長くないよ」

 

 ジェームズがすぐに反論した。

 

「君が途中で自分の話を足さなければね」

 

 リーマスが静かに言った。

 ベンが笑い、ルークも口元を緩めた。

 近くで話してみると、四人は全員が同じ調子というわけではなかった。

 ジェームズが話し始め、シリウスが横から方向を変える。ピーターはその先を知っていても続きを聞きたがり、リーマスは本を読みながら、ときどき短く口を挟む。

 その間に、こちらの返事が入る隙間もあった。

 

「で、箒はどうだった?」

 

 ピーターが尋ねた。

 

「まだ曲がれない」

 

 ルークが答える。

 

「曲がってはいたよ」

 

 ベンが言った。

 

「行きたい方へ、行きたいだけ曲がれないんだ」

 

「それを曲がれないって言うんだ」

 

 ネッドが訂正し、ジェームズが笑った。

 ルークは空いていた腰掛けに座り、ネッドもその隣へ腰を下ろす。ベンは椅子がないと分かると、絨毯に座り込んだ。

 ジェームズがネッドへ、家でどんな箒を使っていたのか訊いた。

 ネッドは少し前へ身を乗り出して答える。父親の古い箒は右へ曲がる方が得意だったこと。最初は庭の端にある木へ近づくのを禁じられていたこと。去年の夏には、枝の下を通れるようになるまで何度も練習したこと。

 

「枝の下?」

 

 ベンがお菓子を片手に顔を上げた。

 

「当たらないの?」

 

「当たらない高さで飛ぶんだよ」

 

「僕はもっと広いところがいいな」

 

 ネッドは笑ったが、ルークは続きを聞いていた。

 

「何度もって、どのくらい」

 

「分からない。毎日やってたし」

 

「毎日?」

 

「夏休みは。雨の日以外」

 

 ネッドは肩をすくめた。

 

「最初からできたわけじゃないよ」

 

 ルークは頷いた。

 朝から何度か聞いた言葉だった。練習した。慣れればできる。その中身が少しだけ見えた気がした。

 ジェームズは自分の膝に手を置いた。

 

「次に飛ぶときは、曲がろうとしすぎないことだね」

 

「また始まった」

 

 シリウスが言った。

 

「大事なところだ」

 

「さっきから三回目だぞ」

 

「君は聞かなくていい」

 

「聞こえるんだよ」

 

 ルークは肘を少し曲げた。

 柄を握っていたときの形を作る。

 

「こうだったな」

 

 ジェームズが手元を見て頷いた。

 

「そう。そこで肩を固めない」

 

 言われて初めて、肩が上がっていると気づいた。少し下げてみる。

 

「今の方がいい」

 

 ネッドが横から言った。

 ジェームズは満足そうに背もたれへ寄り掛かった。

 

「これで次はうまくいく」

 

「いかなかったら?」

 

 ルークが訊く。

 

「もう一度やる」

 

 返事は思ったより普通だった。

 ルークはジェームズを見た。

 眼鏡の奥の目は、やはり笑っていた。

 

「一度教えたら全部できるようになるなら、僕はもっと早く寮の選手になってるよ」

 

 そこでピーターが口を開きかけた。

 シリウスが先に指を立てた。

 

「去年の試合の話は、なしだ」

 

 今度はリーマスまで笑った。

 ルークも笑った。

 笑った拍子に肩が落ち、手の形が崩れた。

 

「ほら、そのくらいだ」

 

 ジェームズが言った。

 

「それだと何も持ってない」

 

「だから、何も持ってないときまで力を入れるなって」

 

 ベンが絨毯の上で真似をした。

 両手を前へ出し、膝を持ち上げる。昼間よりずっと気楽そうだったが、すぐ後ろへ傾いた。

 ネッドがローブの肩を掴む。

 

「ここでも落ちるのかよ」

 

「箒がないからだよ」

 

 ベンは平然と答えた。

 談話室の喧騒の中に笑い声が響いた。

 

 

 

 変身術の課題を広げたのは、それからしばらくしてからだった。

 ジェームズたちは別の話を始め、三人は奥の机へ移った。

 ベンは椅子へ座ると、羊皮紙を出す前に菓子を一つ口へ入れた。ピーターにもらったものらしい。

 ネッドは羽根ペンを探しながら、暖炉の方を振り返った。

 

「話したな」

 

「話したね」

 

 ベンが頷く。

 ルークはインク壺の蓋を開けた。

 背後から、ジェームズの笑い声がする。さっきまで、その中に自分たちもいた事実が、少し違和感だった。

 

「ポッター、いつもあんななのかな」

 

 ベンが小声で言った。

 

「うるさいってことか」

 

「それもあるけど」

 

「聞こえてるぞ」

 

 暖炉の方から声が飛んできた。

 ベンが首をすくめた。

 ルークは振り返った。

 

「先生の話も、そのくらい聞けばいいのに」

 

 シリウスが長椅子の背を叩いて笑った。

 ジェームズは片手を上げた。

 何か投げる真似だったが、手には何も持っていなかった。

 ルークは机へ向き直った。

 ベンが声を殺して笑っている。

 ネッドまで、羽根ペンを持ったまま口元を曲げていた。

 

「何だよ」

 

「別に」

 

 二人がほとんど同時に答えた。

 課題は、まだ半分ほど残っていた。

 ルークは前の授業で取ったメモを開いた。変化させたものの形だけでなく、材質まで確かめること。

 紙の端に、小さく針を描いてある。

 先生が褒めていた。

 ジェームズの言葉を思い出したが、それを二人に持ち出す気にはならなかった。

 ペン先をインクへ浸し、続きを書く。隣ではネッドが、一行書いては教科書を見ていた。

 少しして、その手が止まる。

 

「ここ、先に書くのは形の方?」

 

 ルークは覗き込んだ。

 

「課題は違いを説明しろって言ってた。どっちでもいいんじゃないか」

 

「でも、これだと同じこと二回書いてる」

 

「その行を後ろへ持っていけば?」

 

 ネッドは指で二つの行を追った。小さく頷いて、余白に印をつける。

 ルークは自分の羊皮紙へ戻った。

 

 しばらく、ペンの擦れる音が続いた。

 窓の外はすっかり暗い。暖炉の火がときどき音を立て、誰かが階段を上がっていく。ベンが椅子の上で脚を組み替えた。

 ルークは一段落書き終えてから、右手を開いた。

 箒で空を飛んだ余韻が、ずっと手の中にある。どうやら今日はこの感覚から逃れられはしないらしい。

 

「ネッド」

 

「何?」

 

「次の授業でも、見ててくれ」

 

 ネッドのペンが止まった。

 

「飛び方?」

 

「ああ。どこで変になるのか、自分だと分からない」

 

「いいけど」

 

 返事のあとに、少し間があった。

 

「言っても怒るなよ」

 

「言い方による」

 

「ほら」

 

 ルークは笑った。

 ネッドも笑い、それから机に片肘をついた。

 

「でも、僕も練習するからな」

 

「分かってる」

 

「ずっと見てるわけじゃないぞ」

 

「ずっと見られても困る」

 

 ベンが顔を上げた。

 

「じゃあ、僕も入れて。片方が飛んでる間に、残りが見るんだろ」

 

「お前、喋ると落ちそうなんじゃなかったか」

 

「地面にいれば喋れる」

 

「それは知ってる」

 

 ルークが言うと、ベンは満足そうに頷いた。

 ネッドが教科書を閉じかけ、まだ一問残っていることに気づいて開き直した。

 ルークは自分の課題の残りを数えた。こちらも、あと一つだった。

 

「次は、あの目印の周りくらい曲がる」

 

 何気なく言うと、ネッドが横を向いた。

 

「僕はもっときれいに曲がる」

 

「知ってる」

 

「追いつかせないからな」

 

 ルークは羽根ペンを持ち直した。

 

「じゃあ、今のうちに練習しとけよ」

 

 ネッドは笑って、羊皮紙へ目を落とした。

 次の飛行訓練までには、まだ何日かある。

 時間割を思い浮かべ、ルークはその間にある授業を数えた。少し多いな、と考える自分がいることに少し驚いた。

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