「正月っぽいことがしたい」
突拍子もなく、若干季節外れなことを言う、このお茶目なキューティーガールは比企谷小町。
言うまでもなく、マイスウィートラブリーシスターである。
「正月っぽいことが、したい」
大事なことので2回言いました。などと言わんばかりに完全に視線をこちらに向けて、念を押すように言われてしまっては、おいそれと無視はできない。
まあ、この俺が愛しの小町ちゃんを無視するなんて、正月が一年に二回あるくらいには有り得ないんだけどね!
「……また随分と唐突だな。てかもう二月だぞ」
「大丈夫だよ、ほら、旧正月だってあるし」
旧の字が見えていないのだろうか。
旧暦の話を現在の暦に当てはめられても、残念ながら、現実は対応していない。
現代において、旧正月のサポートは終了しているのだ、大人しく最新パッチをあてて、来年を待つことしかできないのである。
「それに、今年はもう十分正月を満喫しだだろ?」
「えー?だって、今年のお正月は寝てばっかだったじゃん」
「ああ……まさに、正月って感じだよな」
「……ごみぃちゃん、寝正月は正月に寝ることじゃなくて、正月をただ寝て過ごした事を言うんだよ」
何やら哲学的な切り口から、独自の正月論を披露する小町。
まあ、言わんとすることは分からんでもない。寝正月という言葉はあるが、寝るなんていつでもできる……というか、いつもやっていることなのだ。
わざわざ名前をつけてまで正月に行う程の特別感がないことは確かである。
要は、皆が何かとイベントに勤しむ中、貴重な正月休みを寝て過ごしてしまったという後悔を少しでも軽減するために、「正月を寝過ごした」を限りなくポジティブに変換したものが「寝正月」なのだ。
……なんか、あれだな。大学生の「っべー!俺今日ぜんぜん寝てねぇわー!っべー!」等の謎の寝てないアピールに通ずるものがある気がする。
っべー!寝てたら正月終わっちまったわー!全然正月してねぇわー!っべー!
……なんだろう、ちょっと恥ずかしくなってきた。
もしかして寝正月ってそこそこイタい言葉だったのだろうか。
「ということで……用意したものがこちらです!」
三分クッキングのような台詞で、スマホを水戸黄門よろしく見せつける小町。
「……スポーツセンター?」
「そう!ここならバドミントンのコートがあるんだよ。場所だけ借りたら、羽根突き位はできそうじゃない?」
なんと言うか、用意したものというか、用意されていたものというか……流石に出来合いのもの過ぎないか?三分クッキングでカップ麺にお湯注ぐみたいなもんだろ、これ。
「……羽根突きだけなら、別に近所の公園でもよくないか?」
「ここじゃなきゃだめの!ほら、もっとちゃんと見て!」
さらに身を乗り出し、スマホの画面を拡大する小町。
お兄ちゃんとしては、妹の見せたいものを見てあげる他ない。
「……旧正月餅つきイベント開催!〜俺たちの正月は終わらない〜」
なんと、小町の言い分通り、旧正月にかこつけたイベントが存在するらしい。
今の日本って、2月に餅つけちゃうのかよ。どうやら、旧暦の延長サポート期間は意外と長いらしい。
……なんか、よく見たらどこかで聞いたことがありそうなサブタイトルまでついているのですが……もしかして、これって劇場版?
「ほーん……おあつらえ向きだな」
「ほんとにねー」
急に他人事のような態度で、他人事にしか使わない台詞を言われてしまう。
用意しておいたものがこちらだったんじゃないのかよ……
「……よし!そうと決まれば……行くよ!お兄ちゃん!!」
突然立ち上がり、決意を宣言する小町。
え、この数秒で何かが決まったの?お兄ちゃん知らない……
「行くって、ここにか?」
「勿論!」
「……いつ行くんだ?来週か?来月か?それとも……来年か?」
「どんだけ動きたくないのさ……明日だよ、明日」
「……は?」
「あ、し、た」
ジョーの話でもしているのだうか。
生憎、現時点で俺は既に真っ白に燃え尽きてしまっているので別の機会にして欲しい。一昨日とか。
「……いやいやいや、いくらなんでも急過ぎるよ?お兄ちゃん、まだ心の準備が……」
「明日の10:00に現地集合だから。絶対、遅れないでね」
「……はい」
有無を言わせぬ小町の物言いに、反対など出来るはずもなく……
当然、愛しの妹の命令は至上であり、逆らう選択肢などはなから存在しないのであった。
〜〜
なんやかんや月日の流れは抑制できるものではなく、あっさりと迎えた翌日。
眠い目をこすりながら、うわ言のように相槌を打ちつつ、あれよあれよとたどり着いた目的地。
そこで俺達が目にしたものとは……!!
「……あ!小町ちゃん!」
「こんにちは小町さん」
「結衣さん!雪乃さん!お久しぶりです!」
「お米ちゃん、おそーい」
なんとそこに居たのはいつもの面子、略してイツメンこと、雪ノ下に由比ヶ浜、それと一色の3人である。
「いや〜、この愚兄を引き摺ってくるのに苦労しまして」
「そんなことは予想できるじゃん。もっと先を見て行動しないと……」
「正論なのになんか嫌味な上司みたいなこと言ってんなこの人……」
何でそうパッと社会人的な例えが出てくるんだよ。
小町ちゃん、まだ高校一年生だよね?
「はあ……全く、いつまで小町さんに迷惑をかければ気が済むのかしら?引き摺られ企谷くん」
「いや、自力で歩いてはいるよ?」
流石に家からここまでの道中全て、リードを引かれてきた訳ではない。
精々家の玄関を出るまで、背を押されていたくらいだ。
「にしても、こんな偶然あるんだな……お前らも正月しに来たのか?」
「偶然じゃないよー……ねー♪」
「ねー♪」
なにやら可愛らしいやり取りを繰り広げる由比ヶ浜と小町。
ともすればあざとい掛け合いだが、二人の強烈に可愛らしいルックスのお陰で様になっている。
「……相変わらずやってんな、この人達」
あざといの擬人化こと、一色さんは若干引いているようだが……あなたも普段は大概ですからね?
「グループチャットで小町さんに呼ばれていたのよ。……1週間ほど前に、ね」
そう告げるのは雪ノ下。
どうやら、事前に示し合わせていたようだ。
……ん?
「……え、俺、誘われてない」
「だって……ヒッキーに声掛けたら断るじゃん」
はい、否定はできません。
お得意の行けたら行くで誤魔化していた未来が見える見える……
「ん?てか……グループチャット?」
「そうよ、少し待って……ほら、これ」
そう言って、スマホの画面を差し出す雪ノ下。
そこにあったのは、「総武高校奉仕部」というグループチャットの履歴。
グループ名の横には、(4)の表記が……
「……俺、招待されてない」
「……せんぱいはどうせ招待送っても後回しにするじゃないですかー?」
はい、否定できません。
「とにかく!面子も揃ったところで……れっつ、正月!!」
小町の鶴の一声で、俺たちはスポーツセンターのフロントへと向け歩みを進める。
……何度も言うようだけど、全然正月ではないからね?
〜〜
予約していたこともあり、スムーズに受付も終え、バドミントンコートに到着した俺達はと言うと……
「……それでは!お兄ちゃん雪乃さんペア対、結衣さんいろはさんペア。レディー……ゴー!!」
正月要素はどこへやら、ガンダムファイト宜しく、何故か普通のバドミントンを普通に行おうとしていた。
どうやら、バドミントンコートをバドミントン以外の用途では使えないらしかった。受付のお姉さんに「羽根突き……?うーん、コートに傷がつきそうなものは、ちょっと……」などと言われてしまっては従う他ない。本格的な羽を用意したのが仇となったようだ。確かに、こんな硬度の玉がコンコン落ちようものなら跡もつくわな。
……てか、そこは事前に調べてないのかよ。
ただ、「バドミントンだって羽を使うから……実質羽根突き!」という、これまた小町の一声で、シンプルにバドミントンのダブルスを行うこととなった。
……しかし、企画立案者である小町はというと、進んで審判を買って出ていた。
……実質羽根突きとは言ったものの、所詮はバドミントン。
どう足掻いても正月っぽくはないイベントをやる気まではなかったのだろう。
散々人を振り回しておいて……本当、分かりやすい奴である。……でもそういう所も好きっ!!
「それじゃあ、いきますよー……!!」
審判小町のコールを受け、一色のサーブが放たれる。
……さあ、長い戦いの始まりだ……!!
〜〜
……などと思っていた時期が私にもありました。
「ゲームセッ!ウォンバイ雪乃さん!!」
「……つ、強すぎる……!!」
そこには、死屍累々……とまでは行かなくとも、手加減を知らない雪ノ下の手によって蹂躙された、由比ヶ浜と一色の姿が。
因みに小町ちゃん、そのコールはテニスだと思うの。
あと、サラッとチーム名からお兄ちゃんが消えているが、これについては致し方ないと思う自分がいた。……だって、俺、ほんとなんもしてないんだもん。
「もー!!やりすぎですよー、雪乃さーん!」
「ご、ごめんなさい。その、加減が分からなくて……」
「あはは……ゆきのんらしいね……」
「……それでは!皆さんお待ちかね……勝者による落書きタイムでーす!!」
尚、雪ノ下無双だったこともあり、落書きの権利は雪ノ下にのみ与えられるようだ。
「じゃあ……行くわよ?」
ただの落書きにしては神妙な面持ちの雪ノ下。よく見ると、ペンを握る手が微かに震えており、力みから緊張が伺える。
「きゃー!ゆきのんに汚されるー!」
……ガハマさん、もう少し、その……言い方は他に無かったんですか?
「ふふっ、くすぐったいですよー」
うんうん唸りながら、時間をかけて由比ヶ浜への落書きを終えた雪ノ下が、次なるキャンバスこと一色へと手をつける。
……ともかく、美少女が寄ってたかってイチャコラしている場面は眼福そのものであり、これだけでも小町の催しに着いてきた価値があるというものだ。
恐らく、女三人よっても姦しくないのはここだけではなかろうか。
「……ムフフ……眼福ですなぁ……」
どうやら小町も同感のようで、まじまじと雪ノ下が落書きする様子を眺めている。
……にしても、セリフがオヤジ臭すぎませんかね?……本当に高校生?
因みに、落書きの為に墨汁に筆、絵の具パレットに小型のバケツまで用意していたのだが……結局、落書きに使用しているのは水性マジックペンである。
これまた受け付けの際、「コートが汚れる可能性があるものは、ちょっと……」と言われてしまい、俺の片道1時間の荷物運びが徒労に終わったのだ。
まあ、この光景を見られたお駄賃だと思えば、大したことでは無い。
安いもんさ、荷物持ちの一回くらい……!!
「えと……これでいいのかしら……?」
俺の下らない回想を他所に、そう言ってペンを置く雪ノ下。
どうやら、彼女の思う落書きが終了したらしい。
「さて、私達は一体、どんなあられも無い姿に……」
「あ!あたしもあたしも!」
どこからともなく手鏡を取り出し、自らの顔を確認する一色と、同じ鏡を覗き込む由比ヶ浜。
……ところで一色さん、やっぱり、言い方は何とかならない感じなんですかね。
「……マル、と」
「……バツですね」
経過時間に反して簡素な落書きに、由比ヶ浜と一色は2人揃って、雪ノ下へ不思議そうな視線を送る。
「……だって、こういうの初めてで、その……どうしたらいいか分からなくて……」
経験不足を恥じているのか、頬を僅かに赤らめ、視線を逸らす雪ノ下。
……雪ノ下さんまで……もう言い方についてはどうにもならなそうですね。
「……やっぱりやってるよな、この人」
……今回ばかりは一色と同意見だ。雪ノ下程の端正な顔立ちから放たれるこのセリフは、健全な青少年の教育上よろしくない。
「……きゃー!ゆきのん、可愛いー!!」
「ちょっと、由比ヶ浜さん……」
そういうや否や、何かに弾かれたように雪ノ下へ抱きつく由比ヶ浜。
「……ふふん」
ふと、こちらへ向けてドヤ顔を披露する由比ヶ浜。
漫画であれば、「ムフー」等と効果音があしらわれていそうだ。何で勝ち誇ってんだ……
「……!あー、ほんっと、かわいいな〜。このまま雪乃せんぱい、貰っちゃおうかな〜?」
一瞬、何か良からぬ企てを思いついたような微笑みを浮かべた後、そう言って雪ノ下に垂れ掛かりながら挑発してくる一色。
その視線は、やはりこちらに向けられている。
「……いや、いやいや、別に俺の……誰のものでも無いし……」
「……日和ましたね……ただでさえ日和ってたのに」
「……うるせ」
そう、これは日和ったのではない。事実を述べたまでだ。
自己所有権とは、かのジョン・ロックの主張するリバタリアニズムの象徴であり、自己の自由を推進する俺としては無視できない、当然の権利なのである。
決して、雪ノ下への独占欲を恥じて日和った俺の言い訳などではないのだ。うん。
「えー?いいのー?」
ここぞとばかりに便乗する由比ヶ浜。
……別に?仮に雪ノ下が誰かのものになるとしても……それがいいのかどうかとか、そんなの、俺が決めることではないですしおすし……ね?
「……いいの?」
何処か、先程よりも頬を朱に染めつつ、何処か期待するような眼差しをこちらに向ける雪ノ下。
頼むからあなたは乗らないでくれませんかね……
〜〜
しばしの沈黙の後、迎えた第2ラウンド。
本来であれば、一本先取でペアを変える予定だったが……雪ノ下があまりにも無双してしまい、10分と経たずに試合が終わったため仕切り直しとなった。
「……じゃあ、結衣さん!手筈どおりに!」
何やら作戦を考えていそうな台詞の一色。
「うん!いろはちゃん!えと……手数でいくよ!」
一方、由比ヶ浜はというと、一色とは正反対に脳筋みたいな事を言っている。
……ガハマさん、仮にも……いや、正真正銘の受験生ですよね?
うちの子、大丈夫かしら……
まあ、良い。作戦があろうが無かろうが、俺には関係の無いことだ。
何故なら……俺には、雪ノ下がいるからね!圧倒的ではないか!我が軍は……!!
〜〜
……などと思っていた時期が私にもありました。
「ふっ……せ、せんぱ……ぶふっ」
そう、どうやら、作戦は本当にあったようで……シャトルが全て俺目掛けて飛んできたのである。
加えて、体力の無さに定評のある雪ノ下さんはというと、前半戦の無双でダウン……そのため、今度は実質、俺、対、由比ヶ浜と一色、という有様であった。
情け容赦のない集中砲火に為す術はなく……結果は勿論惨敗。今は敗者らしく、大人しく落書きを施された後というわけである。
それにしても、一色の奴、素が出るほど笑いやがって。後で覚えてろよ……
「……なんか、パンさんみたいになっちゃったね」
やりすぎたかなと言わんばかりに、若干の苦笑いを浮かべる由比ヶ浜。
そう言われても、俺は自分の顔を見ていないわけで……そんなすごいことになってるのん?
「……ん?雪ノ下?」
俺も鏡を借りようかと思案していると、どことなくそわそわしているように見えたこともあり、つい雪ノ下に声をかけてしまった。
「はっ……いえ、違うわ。これは、その……じ、実に滑稽な姿ね」
そうは言いつつも……相変わらずチラチラとこちらを伺っては、やはりどことなくそわそわとしている雪ノ下。
「……パンさんなら何でもいいのかよ」
雪ノ下のパンさんへの愛情はすっかり奉仕部名物になってはいるものの……流石に当たり判定広すぎない?
「そっ……そんなこと、ないわよ?」
そうは言いつつも、至極真剣な面持ちで「パンがや、いえ……比企谷……はちパン……??」などとぼそぼそ呟いているのが聞こえて来る。
うーん、これは重症ですね……ほんとパンさんジャンキーだよな。
思えば前々からこんな感じだった気もするが、パンさんが絡んだ途端、アホの子になり過ぎだろ……
〜〜
なんだかんだ、雪ノ下と俺が、それぞれ一回ずつ由比ヶ浜と一色を迎え撃つ形でバランスよく1回戦を終え、各々が顔の落書きを落とし終えた頃。
雪ノ下の体力も回復してきたので、早速第二回戦が行われていた。
次の組み合わせは、俺と一色対、雪ノ下と由比ヶ浜だ。
再び雪ノ下無双で早々に幕を下ろすかと思われたが……
「……ふっ!」
「……えいっ!」
由比ヶ浜が空振りを繰り返し、意外といい勝負になっていた。
……というか、普通に俺らがリードしていた。何ならマッチポイントだ。
「よし!ここからいくよー……!!」
今は。雪ノ下の尽力により一点を取り返したところで、まさに由比ヶ浜がサーブを打とうとしていた。
「……由比ヶ浜さん、その……サーブ、代わりましょうか?」
どうやら、負けず嫌いノ下さんが発動しているようで、何処か落ち着かない様子でサーバーの交代を持ちかける雪ノ下。
「大丈夫!……信じて!ゆきのん!!」
そう自信満々に言い放つ由比ヶ浜。
それを受けた雪ノ下は、こくんと頷き、正面を向いて構える。
「……えーい!!」
勢いよく放たれた羽根は、美しい放物線を描き、まるで標的をロックオンしているかのように、寸分の狂いなく、脇目も振らずに落下した。
……雪ノ下の頭頂部目掛けて。
〜〜
由比ヶ浜の自滅により、呆気なく最後を迎えた第二回戦。
こうして見ると、一色の奴、由比ヶ浜と組んでよく一勝もぎ取れたな……やっぱり、一色って立ち回り上手いんだな……色々と。
「ゆきのん、ごめーん!」
「……大丈夫よ、由比ヶ浜さん……えぇ、大丈夫」
「ゆきのん……」
「面倒を見きれなかった私にも責任があるわ……予想はできたはずなのに……」
「ゆきのん!?」
「はーい、それじゃ、落書きしていきますねー」
相も変わらずフォローになっていない雪ノ下と、フォローが不発に終わり、感動の行き場を失った由比ヶ浜を他所に、淡々と落書きを進める一色。
「その、一色さん?こそばゆいのだけれど……」
「あー!動いちゃダメですよー?雪乃せんぱい。罰ゲームなんですから」
「そ、そういうものなのかしら……」
「ここを、こうして……よし!」
時間をかけていた割に、一色の背から垣間見える雪ノ下の顔の左半分は綺麗なままだ。
てっきり先程の俺のように、現代アートよろしくぐちゃぐちゃになるものだと思っていたが……
「ふっふっふ……傑作です!」
そう言って渾身の落書きを披露する一色。
そこには、向かって右頬に「比企谷」と書かれた雪ノ下が……っておい。
「ええと、これは、その….」
一色からうけとった手鏡鏡を見て、満更でも無い顔の雪ノ下さん。
「おお、なんと言うか……おお……」
何処に何が刺さったのか分からないが、感嘆の声を漏らす小町。
「せんぱい、ダメじゃないですかー。自分のものには名前を書かないと。というわけで……代わりに書いておきました!!」
「いや、だから俺のじゃ……」
一色の奴……空気の読めない豊臣秀吉みたいなことしやがって。
仮にこいつが秀吉だったなら、羽柴のまま没していたことだろう。
当の雪ノ下はというと、無言のまま手鏡の中の自分とにらめっこを続けている。
……向かって左頬には何も書かれていないせいで、雪ノ下の磁器を思わせる透き通った白い肌が、徐々に朱に染まっていくのが分かってしまって……これは……
「きゃーっ!きゃーっ!!」
ええい!騒ぐんじゃない由比ヶ浜。こっちまで恥ずかしくなっちゃうでしょうが……!!
〜〜
「じゃあ、次はお兄ちゃんの番だね」
「……え?」
俺の番、とはどういうことだろうか。
確かに俺たちは試合に勝ったし、現に俺がペアを組んだ一色は、敗者である雪ノ下への落書きを行った訳で……
「そうですよー、私は雪乃先輩に落書きしたので……せんぱいは結衣先輩に!お願いします!」
なるほど、そういう事か。
てっきり、なんだかんだ俺から女性陣への落書きは、暗黙の了解で禁止されているものかと思っていたが……
「じゃあ……ん」
そう言うと、何故か目を閉じ、後ろへ緩く首を傾ける由比ヶ浜。
……なんかキス待ち見たいになってますけど、大丈夫なんですか?
誰だよ、上目遣い、目抜きで、とか言った奴。そこが一番美味しいところだろうが。
いや、まあ……これはこれで通のいただき方というか、悪くはないというか……
「うわ……やってんなー、この人」
「きゃー!結衣さんだいたーん!」
せっかく意味の分からない事を考えて落ち着こうとしていたのに、オーディエンスが五月蝿過ぎる。
お陰様で、嫌でも目の前の光景を意識させられてしまう。
「……あのー由比ヶ浜さん?もう少し、こう……いい感じになりませんか?」
「……んー?……早くー」
嘘か誠か、まるで何も分かっていない様子の由比ヶ浜。
これを狙ってやってのけているのなら小悪魔が過ぎるし、天然でやっているとしたらやはり小悪魔が過ぎる。
……個人的には、小悪魔は一色のイメージがあったのだが。
ちなみに、愛しの小町ちゃんは勿論天使です。マジKMT。
「何言ってんのごみぃちゃん!これ以上ないくらいいい感じだよ!!」
「女の子にここまでさせておいて……情けないです、せんぱい」
前言撤回。どうやら二人とも悪魔だったらしい。
……将来は野球を見ながら逐一プレーに文句を言う大人にならないか、お兄ちゃん心配です。
「……」
ふと、何やら微かではあるが、確実な冷気を伴う視線を感じる。
冷たさを頼りに目を向けると、そこには、珍しくジト目の雪ノ下の姿が……
「せんぱい……さいてーです」
「ごみぃちゃん……これは流石にごみぃちゃんだよ、いや、ゴミだよ」
此奴ら……さっきまであんなにも扇動していたというのに……手のひらスクリュードライバーかよ。それが手首にベアリングでも仕込まれてるの?
近い将来、突然サイボーグ化しないか、お兄ちゃん心配です。
「いやいや、俺はまだ何も……」
「まだ……!!」
「まだ……!?」
「まだ……??」
「……まだー??」
「これは言葉の綾だろ……」
期待に瞳を輝かせる小町に、「こいつ、やりやがったな……」とでも言いたげに胡乱な表情をした一色。
それらに氷の刃を思わせる冷たいが視線が重なり、一方その頃……とでも言わんばかりにのほほんとした声音が続く。
一々反応されると心臓に悪い……まあ、約一名、全本当に何も分かっていなさそうな奴もいるが。
元を辿れば由比ヶ浜が元凶な気もするのに……呑気なものである。
これ以上こんな衆人環視に晒されていては、精神を病んでしまいかねない。
そそくさと由比ヶ浜の額に「ガハマ」と描き、挙げられた槍玉の上からベイルアウトを試みる。
途中、背後から「ヘタレ……」だの、「また日和ったな……」だの、心無い声が聞こえた気もするが、寛大な心を持つ俺は全てを聞き流した。
〜〜
前途多難、紆余曲折、色々あったが、早くも迎えた第三回戦。
残された組み合わせはというと、俺と由比ヶ浜対、雪ノ下と一色である。
組み合わせの択的にも、正真正銘の最終決戦。天下分け目のラグナロクである。
「……ほっ!」
「……よっ!」
慣れてきたのか、なんだかんだミスも減り、ラリーに参戦出来ている由比ヶ浜。
先程まで、対戦相手として見ていたので、薄々気付いてはいたが……一々動きが大きい。
「……えいっ!」
……うおぉ、その、なんて言うか……厚着でも意外とわかるものなんですね。
さすがは由比ヶ浜。どことは言わないが終末クラスの破壊力だ。
それに比べて……
「……なにか?」
これはマジのガチで嘘ではないのだが、全く本当、偶然偶々雪ノ下の方を見てしまったところ、真夏の自販機で買ったマッ缶よりもよりつめた〜い瞳と目が合った。
「いえ……なんでもないです」
はい、やっぱり空気抵抗って強さに直結するのかな……なんて思ってません。ガチのマジで。
「おわっ……!!」
「……っと」
ラリーに夢中で足元が疎かになったのか、バランスを崩す由比ヶ浜。
「ったく……気をつけろよ」
流石に、みすみす転ばせる訳にも行かず、咄嗟に支える。
……なんだか抱きとめるような形になってしまったが、咄嗟だったので仕方がない。うん、仕方ないな。
……通報だけは勘弁してください。
「っ……えへへ、ありがと、ヒッキー」
「いや、まあ……おう」
てっきり、「ヒッキーまじキモイ!!」的なリアクションが来るかと思ってガードを上げていたのだが……予想に反して、照れたような反応を返す由比ヶ浜。
意識外の攻撃に、つい動揺が漏れてしまった。
「……お兄ちゃん」
「……せんぱい」
「いや、これは、その……不可抗力だろ」
じゃあなんですか?あなた達は、みすみす由比ヶ浜を転ばせておけば良かったとでも言うんですか?まぁ、非道い……!!
「…………」
……なにやら、とてつもなく凍てついた視線を感じる気がするのですが……気のせいですよね!きっと!!
〜〜
…………等と思っていた時期が私にもありました。
さっきから予想外しすぎだろ。俺。
どうやら先程の視線は気のせいではなかったようで、本気と書いてマジの雪ノ下さんにボコボコにされてしまった。
「では、お待ちかね……お兄ちゃんへの罰ゲームターイム!!」
これまでで一番嬉しそうに、落書きフェーズの開始を告げる小町。
……もしかして、お兄ちゃんの事嫌……そんなに好きじゃないですか……?
「……じゃあ、失礼するわね」
「お、おう……ばっちこい」
やはり緊張を隠しきれていない雪ノ下につられて、こちらまで緊張してしまう。
……変な汗かいてきた……水性ペンで落書きできるかしら?
「……よし、いくわよ……!!」
「……何?ほんとに落書きですよね?」
「い、いいから……じっとしていなさい……!!」
何故か2段階目の覚悟を決めた雪ノ下。
なにやらただならぬものを感じ、堪らず聞き返すも一蹴されてしまった。
ここは腹を決める他ない、か……
「ん……よし。……上出来ね」
「……もういいのか?」
「ええ、もう十分よ」
ここぞとばかりに顔中に塗りたくられる覚悟をしていたが……その必要は無さそうだ。
「そう……ふふ。……あなたは落書きなんかしなくても、もう十分滑稽だわ」
「え、急に何?……泣いちゃうよ?」
警戒を解いたその瞬間、最も弛緩したタイミングを見計らっての、情け容赦の無い一撃。
それを見事に鳩尾で受け取った俺の心は忽ちノックアウト。身体だって、足が産まれたての小鹿よりも震えているのか、立っているのがやっとだ。
「せんぱい……なよっちぃ男はモテないですよ?」
「……ほっとけ」
「大丈夫!ヒッキーだって鍛えたらムキムキになれるよ!……多分!!」
そう言って両肘を上向きに90度曲げて、いかにもマッチョなポーズを取る由比ヶ浜。
……今はメンタルの話をしていると思うのだが、この子は分かってるのかしら。
「……ジムでも通おうかな」
「思ってより効いてる!?流石に弱すぎですよ!!」
「だっ、だいじょぶだよヒッキー!!」
「由比ヶ浜……」
「ゆきのんはヒッキーより強いもん!守ってくれるよ!!」
「……ゴールドにしとこうかな」
確かに、雪ノ下は合気の心得がある分、俺よりも強いというのは否定できない。むしろ確定しているまである。
「まあまあ……落ち着きなよお兄ちゃん。どんなにごみぃちゃんでも、雪乃さんなら大丈夫だって」
ねー?なんて言いながら、由比ヶ浜と一色に振る小町。
「……まあ、お米ちゃんの言う通り、ぶっちゃけそんな落ち込む必要ないと思いますけどね」
「うんうん!小町ちゃんの言う通りだよ!!」
「本当かよ……」
そう言いつつ、肝心の雪ノ下さんへ目配せを試みるも、一瞬視線が交差した後、そらされてしまった。
……月額1万円は流石に厳しいです。
〜〜
その後、近くの広場での凧揚げや、イベント告知にあった餅つきなど、辛うじて体験出来る古き良き正月イベントを楽しんだ。
途中、小町が用意した、どうやって持ってきたのか分からない馬鹿でかい凧に雪ノ下が攫われそうになったり、一色から「せんぱいがいるから福笑いはやらなくてもいいですね」などと何やら失礼極まりない発言があったり、由比ヶ浜の振るう杵に戦々恐々としたり……年明けからひと月しか経過していないにも関わらず、早くも胃もたれしそうな出来事ばかりだった。
因みに……結局、羽付きの最終試合で落書きをされた俺は、夕方の片付けまで顔を洗うことは出来なかった。
……この顔で餅つきに参加した時、やけに視線を感じたが……とんだ浮かれ野郎だと思われていたんだろうな……恥ずかしい!!
もうハロウィンコスプレイヤー達を笑うことはできないかもしれない。
……そういえば、落書き以降、小町を筆頭に皆の視線が生暖かいものになっていた。
それに、雪ノ下も普段より上機嫌だった……気がする。
「……なあ、雪ノ下」
「どうしたの?」
「そういや、俺のデコになんて書いたんだ?」
「……秘密よ」
「ええ……」
「どうせこれから洗いに行くんだから、洗面所の鏡で見れるでしょう?全く……人に聞く前に、まずは自分で確認する……社会人としての常識よ?……あら、ごめんなさい。あなたは社会人ではなかったわね」
仰る通り、俺はまだ社会人ではない。というか、極力社会人にはなりたくない。
そのために大学へ進学すると言っても過言ではないし、なんなら院進も辞さない覚悟だ。
「あなたのような人が、社会の一員としてやって行けるのか……正直、自信を持って肯定してあげられないわ。……あっ、ごめんなさい。まずは人かどうかだったわね。その場合、社会人ではなくて、ええと……無、かしら」
「俺って人間失格だったのかよ……」
確かに恥の多い生涯を送ってきましたが……流石に言い過ぎじゃないですかね。
というか、久方ぶりの毒ノ下さんのご登場に、何よりも懐かしさが勝ってしまった。
……まあ、これもまた、彼女なりの甘え方なのだと、理解できる程には深い関係を築けた事が大きいのだが。
……本当に築けているのだろうか、只々嫌っての発言だったらどうしよう……こわいめぅ……
「……ふん。なんと言われようが、俺はまだまだ高校生。大人達の言う社会とはまだまだ縁遠い、合法的に親のスネを齧れる年齢だ」
「それは法的拘束力に寄らずとも避けるべきだと思うのだけれど……」
懐かしいようで、ありふれた、穏やかな沈黙。すっかり馴染んでしまった、温くも何処か心地よい空気感の中、二つの視線が重なる。
秒針が三歩進む間続いたそれは、雪ノ下から零れた笑みで中断された。
「ふふっ……ごめんなさい、冗談よ。早く洗面所の鏡で答え合わせをしてきなさい」
「ああ……わかったよ」
……ん?答え合わせってことは、別に見られても問題はないのか?じゃあ秘密にしておく意味ってなくないですかね……
ただ、雪ノ下の言う通りだ。どうせこれからわかるのであれば、これ以上粘る意味も確かにない。
「……やっぱり、パンさん関連なのか?」
「……さあ、どうかしら」
当てずっぽうにしてはそれなりに確信があったのだが、はぐらかされてしまった。やはり自己採点するしかないようだ。……え、これって大学入学共通テストだったの?急に現実が押し寄せてきてびっくりしちゃったよ?
「因みに……正解だったらご褒美とかあったりするのか?」
「確かに、試験には合否が付き物ね……いいわ、考えてあげる」
どうやら本当にテストだったらしい。……合否がどうの言ってたが、外したらどうなっちまうんだ。
「……おう、頼むわ」
しかし、後悔先に立たず。マークシートを適当に塗りつぶした以上、後はもう祈ることしかできないのだ。
これ以上見直しても仕方ないと判断した俺は、そそくさと洗面所へ向けて歩き出した。
……彼女の描いた、未だ見ぬパンさんを拝むために。
「……まあ、合否は既に確定しているのだけれど」
ふと、どこからともなく吹いた松風に紛れて、背中から雪ノ下の声が聞こえた気がした。
「ふふっ……やっぱり、自分のものには名前を書かないと……ね」