屑が来たりて笛を吹く 作:ちんちら御殿
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ある日の夜──元太はスマートフォンの画面を食い入るように見つめていた。
煎餅布団に腹這いになり、せわしなく文字を打っている。開いているのはマッチングアプリ「ギャップル」。プロフィール写真は五年前の、まだ髪がそれなりにあった頃のものを加工で明るくしたやつだ。年齢は気持ち若めに偽っている。
「『初めまして! プロフ見て連絡しました』……と」
相手は「ゆりか」と名乗る女。年齢二十七歳、職業は事務職。写真は顔の下半分しか写っていないが唇が妙に厚い。元太の経験上、こういう女は大体三十五を超えている。だが構わない。穴があれば同じだ──そう元太は考えている。
やり取りを始めて三日目。ようやく話が核心に近づいてきた。
「今度会えませんか?」という元太のメッセージに十分後、返信が来た。
『いいですよ♡ お願いありですけどいいですか?』
お願いとはすなわち援助交際の暗示である。
元太は舌なめずりをした。
「はい。条件は?」
また十分の間。元太は返信を待ちながら、金の計算をしていた。手持ちに加え、馴染みの闇金から三万は借りる事ができる。
『ホ別2でお願いします』
ホテル代別で二万円。
元太の顔が歪んだ。この時間からだとホテル代は安くても六千円はする。つまり計二万六千円。高すぎる。駅前の安デリヘルなら九十分で一万八千円だ。だのに素人の小娘が二万とは──。
元太は必死に交渉の文面を考えた。親指が震える。
「一万五千でどうですか? ホテル代は出します」
送信してから元太は天井を見上げた。
女の首吊り死体が見える。髪が長く垂れ下がり、舌が飛び出している。どうでもいい。今は交渉の結果が全てだ。
五分後、返信。
『それは無理です。2万が最低ラインなので』
元太の中で何かが音を立てて切れた。
「ふざけんじゃねえ!」
スマホに向かって怒鳴る。
「てめえ何様だ! ああ!? 二万だと!? どうせ三十過ぎのババアのくせによ! 加工アプリで誤魔化してるだけだろうが! 二万の価値なんかねえんだよてめえには!」
続けて返信を打つ。
「一万五千が限界です。これ以上は出せません」
既読がついた。そして──。
『じゃあ結構です。他を当たってください』
そしてブロックされた。
元太は絶叫した。
「くそがあああああ!! なんだそれ! 商売女のくせに値切りも受けねえのか! 死ね! 死ねよクソアマ! てめえなんか誰にも相手にされねえで孤独死しろ! 腐れマンコが!」
スマホを畳に叩きつけようとして、寸前で思いとどまる。これが壊れたらもう買い換える金はない。そしてそれは今の元太にとって死を意味するのだ。
荒い息をつきながら、元太は体を起こした。股間がみじめに勃起していた。三日間の期待が一瞬で潰れた反動だろう。四十七歳の性欲はまだ衰えを知らない。いや、むしろ焦燥感で加速している。
「……くそ」
仕方ない。エロ動画で済ませるしかない。
元太はブラウザを開き、「無料 エロ動画」で検索した。見慣れたサイトが並ぶ。その中から、違法アップロードで有名な「エロチューブ」を選んだ。
トップページには刺激的なサムネイルが並んでいる。「素人OL連続イキ」「人妻寝取られ」「女子大生ガチハメ」諸々──
──全部嘘だ。
それでも元太は「爆乳団地妻」というタイトルをタップした。
動画が始まる。安っぽいアパートの一室で太った女が服を脱いでいく。元太は左手でスマホを持ち、右手はズボンの中へ。ぬちゃぬちゃと水音が部屋に響く。
女が喘ぎ始めた頃、突然画面がフリーズした。
「あ?」
読み込み中のマークがくるくる回る。元太は舌打ちした。安アパートの安Wi-Fiめ。こんな時に限って──。
画面が切り替わった。
だが映ったのは先ほどの続きではなかった。
薄暗い部屋。カメラは固定されているらしく、画面は動かない。部屋の中央に何かが横たわっている。人の形をした、何か。
「なんだこれ」
元太は画面を凝視した。徐々に目が慣れてくる。横たわっているのは女だった。裸で動かない。腹部が異様に膨れている。いや、膨れているのではない。裂けているのだ。内臓が飛び出し、血が床に広がっている。
女の顔がカメラの方を向いた。
死んでいるはずの女がゆっくりと顔を向けた。目は白く濁り、口から蛆虫がこぼれ落ちる。そして口を開いた。声は出ないが唇の動きで分かる。女の口はこういっていた。
『ゆ・る・さ・な・い」と。
画面いっぱいに女の顔がアップになる。腐敗した皮膚、抜け落ちた髪、眼窩から垂れる何か。その口が大きく開き──。
「うるせええええええ!!」
元太は咆哮した。
「邪魔すんじゃねえ! 俺は抜きてえんだよ! てめえの腐れ面なんか見たくねえ! どけ! どけよ!」
だが画面は変わらない。女の顔がさらに近づいてくる。画面から飛び出してきそうな勢いだ。腐臭が漂ってくるような錯覚。
元太の怒りは頂点に達した。そして──。
「これでも食らえ!」
元太は自身の男根を激しくしごいた。三日間溜め込んだ欲望を怒りと共に解放する。そして──。
どぴゅっ、どぴゅっ、どぴゅっ。
白濁した液体が勢いよくスマホの画面に降り注いだ。女の顔面に元太の精液がべったりとかかる。画面が白く濁り、女の顔が見えなくなる。
「ざまあみろ! きたねえだろうが! 四十七歳の濃厚ザーメンだ! 顔射されて満足か! ああ!?」
すると、不思議なことが起きた。
画面の女が困惑したような表情を浮かべた。そしてうんざりしたように首を振ると、画面から消えていった。代わりに現れたのは元の動画。団地妻が男優に突かれて喘いでいる、ありふれたAVだった。
「……ふん」
元太はティッシュでスマホを拭いた。画面には精液の跡が筋になって残っている。
賢者タイムに入った元太は虚ろな目で天井を見上げた。首を吊っている女がいるが些事である。マッチングアプリを開き、別の女を探す。今度は「みさき」という女にメッセージを送る。返信はない。次は「れいな」。これも返信なし。
結局、その夜は誰からも返事が来なかった。
午前零時を回った頃、元太は諦めて寝ることにした。明日も朝から日雇いだ。今日と同じ解体作業。
八千円のために汗を流すわけだ。
電気を消すと、部屋が闇に包まれた。その闇の中で何かが動いている気配がした。壁を這い、天井を這い、元太に近づいてくる何か。
だが元太はもう慣れていた。
「うるせえやい、寝るから静かにしろ」
ぼそりと呟いて、布団を頭まで被る。
明日もあさってもその次も。借金と風俗とエロ動画の日々。幽霊なんて、知ったことか。
元太にはもっと切実な問題が山積みだった。
金が欲しい金が欲しい、ただひたすらに金が欲しい。もっと良いものを食べてもっと良い部屋に住んで、もっと良い女を抱きたい──もっともっと良い人生を送りたい。
そんなこんなで深夜二時過ぎ、元太の寝息が部屋に響く中、壁の染みから女が這い出してきた。髪を振り乱し、恨めしそうに元太を見下ろす。だが元太は微動だにしない。それどころか、寝言で「一万五千……ホテル代込みで……」と呟いている。
女はため息をついて壁に戻っていった。