とある日のシャーレの執務室。
先生がいつものように書類作業を進めていると、ふとモモトークに通知が入った。
このキヴォトスという学園都市で先生という立場を担っている以上、生徒にもしものことがあって連絡をした可能性は無視できない。
とはいえ、ここ最近はちょっとした小競り合いが各自治区で発生しているくらいで、そんなものは日常茶飯事だ。
大事ではないことを願ってモモトークを開くと、そこには数年前に一つの学園を卒業していった生徒の名前があった。
『お久しぶりです、先生。突然のご連絡で申し訳ありませんが、少々お時間よろしいですか』
元宮チアキ。
名前を確認すれば確かにあの少女なのだが、先生はどうにも様子がおかしいように感じられ、首をかしげる。
彼女がゲヘナ学園に在籍していた際は非常に社交的で、誰とでも気が知れた関係を築ける生徒であり、あらゆる人への興味から「週刊万魔殿」という名の新聞の記者として活躍していた。
それゆえに元から敬語などに問題がある生徒ではなかったのだが、今回の文面はあのころとは異なり妙に堅苦しく、事務的な文章であるように感じた。
が、その理由は続くメッセージの内容からすぐに分かった。
どうやら、今回の連絡は彼女が卒業後に就いた仕事に関係するものらしい。
彼女がゲヘナ学園に所属していた時の経験もあってか、その後はキヴォトス外の新聞社に入った。
『先生もご存じの事かと思いますが、私が現在お世話になっている新聞社は、主に地域の情報を発信するための、所謂地方新聞となっておりまして』
『その中で、地域内ではキヴォトスへの進学を考える方々が少しづつ増加している傾向にあります』
『ただ、キヴォトスについての情報が少ないという問題が挙げられたため、その出身である私が先生へインタビューを行うことで、少しでも力になれたらと』
『よろしければ、先生にはご協力いただきたく』
ということらしい。
要は、キヴォトス外ではキヴォトスの情報が入ってこないので、それを取材させてほしいということだ。
当然、先生として生徒の頼みを断る理由などない。
『そういうことならぜひ』
『いつ頃かな?』
『ありがとうございます。〇月〇日でいかがでしょうか』
『うん。その日なら問題ないよ』
『承知いたしました。では当日はよろしくお願いします』
こういう時はある程度余裕をもって何週目辺りと提案するものかと思っていたが、ピンポイントで一日を指定してくるのか、と少し引っかかったが、特段問題があるわけでもないので、それはすぐに先生の意識から消えていった。
***
扉からのノック音が部屋内に響く。
はーい、と先生は一言の返事だけしてから作業の手を止めると、椅子から立ち上がってその扉へ向かう。
手を掛けて開くと、そこには眩しい笑顔の少女が立っていた。
そして一言。
「お久しぶりです、先生!」
「こんにちは。いらっしゃい、チアキ」
取材当日、記者はきっちりと時間通りに姿を現した。
黒のパンツと白いシャツにはメモ帳とペンがかけられ、羽織る上着の肩にはカメラと鞄。
随分と様になっているその姿は、一人の社会人として揉まれてきたのだろうことが容易に想像ができる。
「とりあえず入って、そこのソファにでもかけて。コーヒーでいい?」
「ありがとうございます!あ、よろしければこちらはつまらないものですが」
「気が利くね。そこに置いておいて」
チアキはソファに荷物と共に腰を下ろすと、鞄の中からなにかしらの詰め合わせであろう包装箱を取り出す。
先生が来客用のコップを手に取り用意をしている間に、チアキは久方ぶりの部屋を興味深げに見回していた。
「この部屋も、随分と変わりましたね」
「そうかな?毎日いると、全く気付かないけど」
「なんか……ものが増えたんじゃないですか?」
「ずっと色んな人が出入りしているからね。チアキが卒業してからも、チアキが知らない生徒達も」
「まだ当番制をやっているんですか?」
「生徒とコミュニケーションをとることも、大事な仕事だから」
「なるほど……先生自身はあまりお変わりがないようで。あ、ありがとうございます」
黒い水面が浮かぶカップを机に置く。
チアキはそれに口をつけるのだが、その所作、一連の装いが先生の記憶の中にあるものとは違って見えた。
「チアキの方こそ、なんか……ちょっと変わった?」
「えっ、そうですか!?あ、すみません、大きな声出して」
「?それくらいは構わないよ」
「いえ!今回はこちらがお願いしている立場ですし、ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」
「……お菓子もあるよ」
「やったー!ありがとうございます。私のも食べてくださいよ!」
数秒前の言葉はどこへやら、バケットに重ねられた来客用のそれを差し出すと、意気揚々と一つを手に取った。
その姿を見てなんとなく安心した先生は、同じくお菓子を一つ手に取り、向かいのソファに腰を下ろす。
「新聞社でのお仕事はどう?まあ、チアキのことだし職場での人間関係とかで心配はいらなさそうだけど」
「あー……それなんですけど……………………そこは辞めちゃいました」
「……それは、どうして?」
「ん~……そう聞かれても具体的に言語化できるものでもないっていうか……。自分でもよく分からないんですけど、端的に言うと……なんか違ったんですよね。シュミじゃないっていうか」
「チアキがそういう言い方をするのは珍しいね」
「改めてそう指摘されると、こんなあやふやな理由で出て行ってしまった自分が凄く不義理な気がしてくるんですが……」
「あ、いや。チアキ非難しようとか、その選択を否定しようとかというつもりではなく、もしチアキが後悔していたり迷ったりしているのなら、力になりたいなって」
「分かってますよ!まあ、そう言われましても……………………なんか、皆さんとても真面目なんですよね。もちろん、それが悪いというわけではありませんが、それが窮屈で自由じゃないっていうか……。仕方ないのは理解しますけど、私の肌に合わなかったかなーって。…………まあ、仕方ないですね!」
そう、いつものような明るい笑顔で言い切る。
何かを振り払うような空元気のように感じるのが、気のせいであってほしいものだと思った。
「……ちょっと待って、じゃあ今回のインタビューはどこの取材なの?」
「それはですね、先ほどもお話した通り新聞社にはいないんですけど、その時の伝手でコーナーを一ついただきまして。そこで取材記録とかコラムを書かせていただいているんですよ、要するにフリーのライターって感じです!今回の記事も、その新聞社の編集の方に提案を頂いてのことなので、流石に断れないなと」
「なるほど。一文無しになったチアキが怪しげな会社に引き抜かれて、スパイ活動をしているわけではないんだね」
「しませんよそんなこと!恩師の情報を売るほどお金も人の心も失ってませんよ!」
心外だとばかりに、チアキはローテーブルに手をついて体を前に乗り出す。
先生は「冗談だから」とチアキをなだめると、頬を膨らませつつもすごすごと引き下がる。
そして不満もまとめて流し込むかのように、コーヒーを飲み干した。
「けど、チアキならわざわざ私に会わなくても学生時代の記録で記事は書けそうなものだけど」
「甘い、甘いですよ先生!情報とは常に更新され続けるものなんです。そして私は真実を届ける責務を背負った新聞記者。キヴォトスだって、私が離れてからすでに数年が経過しているというのですから、気付かないうちに変わっていること、知らない事件があるんですよ。この部屋のように!」
「昔はスクープのために力づくで私の変顔を作ろうとしていたのに……成長したんだなあ」
「またそういうこという!私が依頼する側だからって、なんだか調子に乗ってませんか!?」
「ごめんね。久しぶりにチアキの顔を見れたからテンション上がっちゃった。チアキの力になれるなら喜んで協力するよ」
「分かればよろしいです!では、本日はよろしくお願いします!まずはあらためて先生の通常業務から……」
そうして、チアキは端末を机の上に出すとボイスレコーダーを立ち上げ、更に懐からメモ帳とペンを取り出し、準備万端といった様子で取材が始まった。
***
「そういうわけで、それぞれの学びたい分野を明確にしておくことで、どの学園に入るかを選び安くなると思う。キヴォトスはそれぞれの学校でかなり専門性が強いからね。あとは……頑丈な体作りをしておくことかな?」
「なるほど……はい、ありがとうございます。これが最後の質問である『キヴォトスの学校に通うためにしておくべきこと』ですので、今日はこれで戸締りにしましょうか!」
もう何杯目かも分からないコーヒーを飲み干したころ、ようやく取材が一段落した。
窓の外はすでに空は黒に沈んでおり、腕時計に目を移すとそれも納得な時間になっていた。
「ところで、チアキの今日の宿は?」
「マコト先輩とイロハちゃんの家にお世話になってますよ?こっちでゲヘナの理事的なことやってるのは先生はご存じですよね?」
「それなら安心だ。……じゃあ、そこまで送ろうか?」
「もー、先生は心配しすぎなんですよ!私たちも、もう大人になったんですから、自分のことは自分で守れるんです。むしろ先生の方こそいつまでも弱っちいじゃないですか」
「それを言われると弱いなあ……」
いくら既に手を離れたとはいえ、心配になってしまうのは職業柄仕方のないことか。
「…………先生はそうやって、今もたくさんの生徒達をたぶらかしているのでしょうか?」
「そんなことないよ!?人聞きが悪い」
「あっははー、冗談ですよ冗談」
スパイ疑惑を吹っ掛けられたことへの仕返しか、してやったりな表情で愉快そうに笑う。
「じゃあ、そんな人たらし先生のお言葉に甘えて、送ってもらいましょうか」
チアキはそう告げると、荷物をカバンに詰めてソファから立ち上がった。
それに続いて、先生も身の回りにあった貴重品を手早く拾って、ジャケットを羽織る。
階を下りて外へ出ると、季節の変わり目を知らせるように冷たい風が吹きつけてくる。
「それじゃあ、行こうか」
「はい!」
最寄り駅までの道のりは街灯や住宅の明かりが照らし、二人は人工灯が作り出すアーチを並んで歩く。
「そこで、取材先にたどり着くまでに砂漠のど真ん中で遭難しかけまして……」
チアキの言葉は途切れることなく、キヴォトスの外で出会った十人十色な取材先について語る。
もちろん、守秘義務やオフレコ部分は隠しつつ、話せる部分だけ。
その様子はとても楽しげで、かつての姿が思い起こされる様であった。
だが、だからこそ、人と出会ったことについて口数多く言葉を並べる様子は数年前と比べても変わらずなのだが、どうにも気分が乗っていない。
そんな違和感があった。
しかし、自分の手の下を離れて立派に生きている彼女にその違和感を指摘することは、誇りを傷つけてしまうように感じて、先生にはできなかった。
「まさか外でゲヘナの卒業生に遭遇するとは思わなくて……」
と、そこで突然チアキの言葉が途切れた。
数秒の沈黙が二人の間に流れる。
「……先生」
「どうかした?」
意を決したように、再び口を開く。
「わざわざ外に出て送迎するってことは、時間、ありますよね?」
「生徒のためなら、いくらでも時間を作るよ」
「……じゃあ、付き合ってもらいましょう!このまま先生の記事だけだと内容が足りなそうなので、ついでにキヴォトスでおすすめのお店でも紹介しようと思いまして!」
こんな時間に一体なんの店に行くのかと引っかかりを覚えながらも、折角の何年振りかに再会した生徒の頼みを断る理由にもならず、手を引かれるがままについていくことに。
住宅街の中を通り抜け、駅前に近づくごとに段々とにぎやかさも人の流れも増していく。
この時間にその盛り上がりを作っているのは、学園の生徒たちではなく大人たち。
「あの、チアキさん?いったいどこまで……」
「まあまあ」
あやふやな言い回しでいなされながらも、先生は彼女に任せて連れられるしかできなかった。
と、暖簾が垂れ下がった一軒の飲み屋の前で足を止めると、戸に手を掛けては躊躇なく開けた。
「皆さん、お待たせしました!不肖元宮チアキ、遅ればせながら参上です!お詫びといってはなんですが、手土産もありますよ!」
「あら、遅かったじゃない。言われた通りに先に始めちゃおうとしたんだけど、マコトちゃんが許さなくて。もうお腹ペコペコよ」
「チアキ先輩、お土産ってなにー?」
そこに待っていたのは、かつてのゲヘナ学園で万魔殿を務めていたメンバーだった。
「久しぶりだね、みんな。そうでもない人もいるけど」
「あ、先生だ!」
「……なんで先生が、チアキといるんですか?」
「サプラーイズ!」
「サプライズじゃありません!全く聞いていないですし、急に増やしたら予約の人数とか……だから今回の幹事を引き受けたんですね」
「せいかーい!さっすがイロハちゃん」
「正解じゃありませんよ。幹事なのに予定があるから先に入っておいてと丸投げされて、さらに急にそんなことを言われてもですね……」
「もしかして、迷惑だった?」
「…………いえ、そんなことはないですけど、行き当たりばったりで同席になって困る人もいるかもしれないじゃないですか」
「あら、私たちはそんなことないわよ?ねえ、マコトちゃん?」
「キシシッ、少なくとも、このマコト様がこの程度の些事をも許せぬ器だと?」
「ハア……もう分かりましたよ。ほら、早く先生もチアキもこちらに座ってください。いつまでもそこで立っていると店員さんの邪魔になります」
反対意見がないことで納得したのか、それとも諦めたのか、イロハは自分の隣に置かれていた荷物をどけると、その空いたスペースを軽く手をポンポンとはたいて座るように促す。
先生も特に逆らう理由もないので、素直にその位置に腰を下ろした。
即座に、その横を固めるようにイブキが滑り込んでくる。
「先生はなに飲むのー?やっぱり、とりあえず生なの?イブキはビールは苦くておいしくないなーって思うんだけど」
メニュー表を広げ、一緒に見るために体を寄せてくる。
卓の上には既に万魔殿の全員分の飲み物と食事の乗った大皿が並べられており、後は先生の分を待つのみとなっている。
「私はいいから、先に乾杯しちゃって。後から飛び入りした身だし」
「お、それならお言葉に甘えまして……」
「ちょっと。連れて来た張本人がなにしてるんですか」
「どうもこんばんわー。大将、今から二人入れたり……あれ」
「先生じゃーん、やっほー」
と、店の戸が開いたかと思えば、覚えのある二人組の声と姿があった。
こちらの存在に気づくと、軽く手を振る。
「キララさん!エリカさん!」
「どういう集まりかは……見れば分かるか」
「よければ、お二人もご一緒にどうですか!」
「お、いいの?」
「でも、いきなりお邪魔させてもらって……元会長?議長?とかはいーの?万魔殿の集まりなんでしょ?」
「キシシッ、くどい。このマコト様が一人や二人増えたところで……」
「じゃあ折角ですし、風紀委員会の皆様も呼びましょう!」
「なにい!?」
マコトの反応を確認するや否や、チアキはそう座に端末を取り出す。
だが、当時から変わらず犬猿の仲である風紀委員会の名前を素直に受け入れる訳もなく、卓を叩いてはこの反応である。
「やつらの会計まで負うなど絶対に……いや、まてよ。むしろここの会計を全てやつらに…………チアキ!今すぐに呼び出すのだ!」
「にぎやかになるのは構わないけど、あの子たちがそう簡単に応じるかしら?」
「イブキ、前に仕事で会ったけど忙しそうだったよ?」
「その点は任せてください!このための切り札ですから!」
自信満々に宣言してからデバイスを操作すると、どこからかなにかが迫ってくるかのような振動音を感じたかと思えば、直後に店の戸が勢いよく開かれた。
「ハア、ハア……先生は?」
「ヒナせんぱーい、こっちだよ!」
そこには、息を切らした空崎ヒナが立っていた。
「来たな、風紀委員長。この宴の場に加わりたくば、会計は肩代わりしてもらおうか!」
マコトの言葉には全く耳を貸す様子もなく店内を見回すと、ある一点で止まる。
「やあ、ヒナ」
「……先生、よかった。万魔殿に捕らえられてどうなっているのかと心配したわ」
「急に走り出してどうしたんですか、ヒナ」
「アコちゃんが頼ってばかりだから嫌になっちゃったんじゃない?」
「はーっ!卒業後に学園の取り締まりが手に負えなくて泣きついてきたイオリがそれを言うんですか!?」
「あはは……皆さんどうもお久しぶりです」
ヒナに遅れて背後から顔をのぞかせたアコとイオリは言葉を浴びせ合い、チナツが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
「あ、イオリだ!テキーラでいい?」
「なっ……!そんな強い酒を飲ませて、なにをするつもりだ!このケダモノ!」
「ヒナになにを飲ませるつもりですか先生!無理矢理にでもと言うなら、この私が代わりに……」
「先生のお酌…………マコト、さっきの言葉に嘘はないわね」
「ああ」
「いいわ、この場は全て私が持つ」
「ちょっ……ヒナ、そんな簡単に言いなりになっていいんですか!」
「アコ、静かにして」
「すみません。四名追加でお願いします……」
そんなこんなで、気付けば大所帯での宴会が始まった。
***
「楽しめてます?先生」
「とっても」
ヒナがアコに絡み酒され、イロハはマコトの後始末に追われたところで、ようやく先生の隣が空くとチアキが腰を下ろす。
飲み物をちびちびと啜りながら、すっかり賑やかというかそれを超えて騒がしくなった店内の様子を眺める。
「なんかいいですよね、ゲヘナっぽいっていうか。卒業しても皆がそれぞれ楽しそうで」
「あんまりお店に迷惑はかけないでね」
「あっはは……それはまあ……はい」
「心配だ…………」
そんな彼女のどこか危うさも孕んだような横顔が、水分を含んだ唇が、蠱惑的で魅力的に映ってしまうのはアルコールのせいだろうか。
「……私、ちょっと迷ってたんですよね」
チアキの口からため息交じりに言葉が漏れる。
「ゲヘナにいた時はみんながそれぞれに好きなことをやって、その自由さを調査して、色んな人の話を聞くのが楽しくて。でも、やっぱりどうしても合わない人っているじゃないですか。でも、それ自体はいいんです。互いに上手く距離感を保って、住み分けして生きていくものですから」
「けど、外に出たらなんか……明かに私のことを苦手そうにしていて、でもちゃんと仕事の話はして、こうして離れたのに仕事はくれて。疑心暗鬼じゃないですけど、気味が悪いっていうか、人の表の顔が信じられなくて」
「思想や信念が違っても、私が知っている人たちは正直だったから」
ゲヘナで発生した一連の騒動のことが思い起こされた。
あの時、一人の生徒の考えは受け入れられなかった。
たが、あの生徒は自分の信じる物を実現するために行動をし、そこに嘘は吐かなかった。
「大人はそれも隠して、自分のこと押さえつけて生活している。私もそうするべきなのかと思ってたんですけど、どうしてもそれはできなくて、やっぱり辛抱堪らなくて逃げ出して。……その選択にすら疑問を持ったままで」
「先生にはバレてたみたいですけど」と自虐交じりに苦笑する。
「…………チアキは、私は自分のことを犠牲にしているように見える?」
「…………見えますね!」
「じゃあ、それで私がなにかをため込んで不満に思っているように見える?」
「………………見えませんね!どうしてでしょうか?」
はっきりとそう言い切ると、頭を捻る。
先生はその姿を微笑ましく思いながら、ゆっくりと口を開いた。
「それは、生徒の皆がやりたいことを応援することが私のやりたいことだから」
一度喉を潤す。
「人は他の人に何かを託すことができる生き物なんだ。直接的に自分自身が成し遂げなくても、別の人がそれを成し遂げることを願うことだってできる。イロハとかもそうじゃないかな?イロハはマコトが作る世界を見てみたいから、やいのやいの言いながらも手を貸しているみたいだし」
視線を移す先には、飲みすぎたせいで気分を悪くしたのか青白い顔で机に突っ伏すマコトと、その横から背中をさすって落ち着かせるイロハがいる。
隣のチアキは苦笑いを浮かべている。
「いやあー………………たとえそうだとして、私のなにをもってどんなことを期待されたのか……。私だって、結局は他人の情報を集めることが好きなだけです。マコト先輩のように特別な志を持っているなんてとても……」
所在なさげに指をグラスに絡ませながら俯くと、揺れる水面に映る自らと目が合う。
「……こうしてたくさんの人が集まるのが、チアキの良いところなんじゃないかな」
「はい?」
思わず顔を上げると、今度は真っ直ぐに見つめる先生の視線とぶつかる。
「私はチアキからの話で聞いただけだから断言はできないけど、新聞社を辞めてもお仕事を貰えたりとよくしてもらっているのは、きっとチアキが今までのように繋がりを作ってきた結果なんじゃないかな。そんな風に自由に、なににも縛られずにどんな人の生き方も伝えることができるのがチアキの魅力で」
チアキは目を丸くする。
「きっと、そういう役割みたいなものを期待しているから、今でも新聞社の人たちはチアキに力を貸してくれているんだと思うよ」
「私は……やりたいことをやっていいんですかね」
「それを応援するのが先生の役割だからね。あ、でも犯罪はダメだよ」
その言葉を受けると。不意にチアキはなにかを振り切るように手の中にあるグラスを一気に煽る。
喉を鳴らして飲み干すと、その口元は綻んでおり、そこに浮かんでいた笑顔は今度こそ正真正銘のかつての記憶の中にあるものと同じだった。
「ほほう……分かりましたよ!そうやってあまーい言葉をささやいて生徒の心に取り入って信頼を得るというのが、先生のやり方ですか!このこれもスクープとして載せておきましょうか!」
「そっちが話の口火を切ったのに!?嵌められた!」
「そういえば、今日の取材では先生のお顔はずっと真面目なままでしたね!」
「だって、色んな人に見られるんでしょ?キヴォトスの中だけならまだしも、外でとなるとふざけていられないよ」
「ふむ……それはなんというか面白くないですね!」
「なんで!?」
「もっと、あのシャーレの先生が実は!みたいなスクープの方が注目度があるからですよ!それに、本当の先生はもっと愉快な方だったはずです。もっとさっきみたいに本性を出してもらわないと、真実を届ける新聞記者としての役割がないじゃないですか!やめて欲しければそこのおつまみを寄こすことですよ!」
「それは構わないけど……あっ」
小皿を近くに寄せようと手を伸ばしたところでチアキと軽く当たり、その手から箸が離れるとカラカラと音を立てながら机の下まで転がり落ちていく。
「あ、ごめんなさい」
素直に謝罪を述べると、チアキは箸を拾うために卓の下に潜り込んだ。
頭をぶつけたりしないかという心配と、落とした原因が自分にもあるという申し訳なさもあり、追って卓の下を覗き込む。
すると、そこにはなにやらしたり顔で両手をワキワキさせているチアキが。
チアキはそのまま先生の足へ手を伸ばした。
「ちょっと!?」
「ういうい、ここですか?ここがいいんですか先生!」
「あっ、あ、まってやめてチアキ!」
「いいですねえ、いい反応!最高の表情してますよ先生!ほらほら、もっと見せてくださいよ。これこそ私の求めるスクープそのもの!」
先生をくすぐる手つきはどんどん激しくなり、それに伴って先生の息も荒くなる。
「もうやめないなら……!」
「なんですかやるきですか、やめっ……。なんかこの展開、前にもあったような気がするんですけど!」
「「先生?」」
「あ」
気付けば、厄介な酔っ払いから逃れたヒナと、介抱から解放されたイロハの二人が先生を挟んでそれぞれ横から肩を掴んでいた。
「落ち着いて二人とも。ちゃんと訳を話せば分かり合えるはずだから。それが大人っていうものでしょ?」
「そうやって言葉を巧みに操るのも大人だって、誰かのおかげで知ったわ」
「お酒を言い訳に過ちを犯すのも、大人ではよくあることですよね?」
二人による詰問が始まると先生はすっかり動けなくなってしまい、その隙にとチアキは外へ這い出る。
「えー、先生って悪い大人だったの?」
「そうだよー、イブキちゃん」
「イロハ……水を……」
「はいはい。マコトちゃん、飲みすぎよ」
「ちょっと先生!人を呼びつけておきながら放置ですか!?」
「あれ、読んだのって先生だっけ……?」
少しすると他の人達も騒ぎに気付いて集まってくる。
また賑やかになってきたところで、チアキは思いだしたようにおもむろにカメラを取り出した。
「はいはーい!皆さん、こっちに目線ください!」
カメラのレンズを内側に向くように持ち換え、自分も含めて全員が映るように腕を伸ばして構えると、シャッターを切った。