それから更に一年の時が流れた。裁判の第一審では、加害者の無期懲役で結審した。
殺意を持って凶行に及んだことは間違いないが、環境的要因も考慮するべきだという理由から、無期懲役という判決に落ち着いたのだ。
もちろん、これは死刑より軽い。
加害者は控訴。裁判はまだ続く。
14歳になった優也は、最低限の素行の良さだけは認められ、施設から地元の学校に通うことを許されていた。
朝のホームルーム前。教室の隅で一人、窓の外を眺めながら優也は時間を潰す。
クラスメイトは誰も近づいてこない。それが日常だった。
ただ、一人の例外を除いて。
「おはよう、八神くん」
突然、声がした。
顔を向けると、一人の少女が立っていた。
長いストレートな黒髪に、特徴的な赤い瞳の少女。穏やかな微笑みを浮かべた彼女の名前は──。
「……おはよう、天野さん」
「うん、今日もいい天気だね」
「そう……だな」
優也の心が、ほんの少しだけ揺れた。
事件のこともあり、はみ出し者である優也に話しかけてくるのはクラスの女子──
彼女がなぜ自分に構うのか分からない。
でも、その何気ない会話が、優也にとっては救いだった。
(我ながら単純な奴だよな……)
かつてはあんなに周りに対して憎悪を燃やしていたのに、一人の女の子に話しかけられただけで、こんなにも心が揺れ動く。
とはいえ、最初からそうだった訳ではない。
「うんうん、最近はちゃんと挨拶を返すようになったね」
「最近は……ってなんだよ」
「だって八神くん、最初はあたしがどれだけ話しかけてもほぼ無視だったよ?『うわ、寂しがりの陰キャが無理にクールぶって痛い奴だなぁ』って思ってたもん」
「……前から思ってたけど、結構容赦ないよな」
澪は悪戯っぽく笑う。
言いたい放題だが、優也にはむしろ心地よかった。無駄に気を遣われるよりずっといい。
「よし!じゃあいつも通り、また課題の答え合わせしよっか。隣同士なんだから助け合わないとね!」
「……俺の答えを丸写しすることを『助け合い』とは言わないと思うぞ」
「細かいことは気にしなーい。はい、八神くん。今日の英単語と社会のプリントお願いします!」
ほとんど強奪に近い形で宿題を持っていかれ、優也は呆れてため息をつく。
だが、嫌な気分じゃなかった。
彼女は、こちらの事情なんて気にせずに接してくる。
それが、ありがたかった。
「ふーん。八神君って施設暮らしなんだ?それって楽しい?」
「まあ、別に普通」
「娯楽とかはあるの?ゲーム機とか?」
「施設のタブレットでソシャゲくらいは」
「うっわ、じゃああたしには無理だなぁ」
何かを諦めたような口調で、澪は大げさに嘆く。
「ねぇ、良かったら帰りにちょっと付き合わない?本物のゲームってやつを教えてあげる」
「俺を誘ってるのか?」
「他に誰が居るのかな〜?何?まさか女の子から誘われるの初めて?」
「……別に」
断る理由はなかった。
こうして優也は両親の死後……初めて、友人と遊ぶという経験をすることになった。
◇
放課後、連れて行かれたのは駅前のゲームセンターだった。
前を通ることはあっても、入るのは初めてだった。
「格闘ゲームはやったことある?」
「タブレットでできるやつなら多少は」
「うーん。コントローラー使って遊ぶやつなんだけどな。まあ、見てて見てて」
言うが早いか、澪は小銭を投入して一人用のモードを開始する。
画面の中でキャラクターが縦横無尽に動き、敵を次々と倒していく。流れるようなコンボに、優也は思わず見入ってしまった。
「すごいな」
「でしょー?」
「……てか天野さんって、結構オタク趣味なのか?」
「ひっど!ゲームは男の子だけの趣味じゃないんですけどー。でもまあ……否定はできないかな」
澪は舌を出してから、優也に振り返る。
「天野さん?」
「やろっか。手加減しないよー」
「いや、しろよ。俺、初心者だぞ……」
こうして初めての対戦が始まった。
結果はもちろん……ボロ負けだった。
「あはは、まだまだだねー八神くん!」
「……初心者をいたぶるのがそんなに楽しいか」
「うん、楽しい!もっと悔しがれー!さあ次!コンテニューコンテニュー!」
「くっそ……」
小一時間ほど遊んだ後、二人はゲームセンターを後にした。
飲み物を片手に公園のベンチに腰掛け、少しだけ空気が冷たくなり始めた空を見上げる。
「あー、楽しかったぁ。結局一回も勝てなかったね」
「そりゃあんたは楽しいだろうな。あれだけ勝ちまくれば」
「お、皮肉を言うようになったか。成長したねぇ」
「……年は同じだろ」
澪は楽しそうに笑い、ストローを弄びながら続ける。
「でも、良かった。八神くん、やっぱり話しやすい」
「……そうか?」
「うん。最初はもっと怖い人かと思ってたけど、全然違う」
「怖い?」
「うん。なんか、目が死んでるっていうか……いつも誰かを睨んでる感じだったから」
優也は黙って聞いていた。
否定はできない。実際、中学に上がる前の自分は、確かにそんな感じだっただろう。
「『俺に話しかけるなオーラ』っていうのかな?それがすごいって」
「そんなもん出してない」
「出てた出てた。でもそれ、矛盾してるよね」
「……何がだよ」
「だって、あたしが話しかけたら笑ってくれるでしょ?」
「っ!」
心臓が跳ねた。
必死に否定しようと思っても、上手く言葉が出て来ない……。
「図星だー」
「……笑ってない」
「うわ、子供か。でもその反応可愛いぞー」
「……もう帰るぞ」
「ごめんってば!……ね、でもあたし、嬉しかったんだよ?」
立ち上がろうとする優也を、澪の声が引き留める。
「あたしも、ずっと学校で浮いてたから」
「……え?」
「意外?でも、そうなんだよね」
澪は、どこか遠くを見るように空を見上げた。
「あたしの家、ちょっと変わっててさ。親がテレビ局のディレクターで、事件ものの番組を担当してるんだよね」
「事件……」
その単語だけで、胃のあたりが小さく縮む。
優也は表情を動かさないよう努めたが、指先だけが缶を強く握っていた。
「うん。痴漢冤罪とか虐待死とか。いわゆるマスコミっていうのかな?社会に迫る真実を報道するのがウチの親の仕事なんだって」
「……それで、浮いてるのか?」
「うん。今ってネットとかの影響でそういうの厳しいじゃない?マスゴミとかカスゴミとか。だから、クラスの子達の親からもあんまり良く思われてないみたいで、ちょっと距離を置かれてるんだよね」
澪は気にしていないような口調だったが、どこか寂しげだった。
思いがけない告白に、優也は何も言えずにいると、澪は笑顔を見せる。
「あ、愚痴じゃないからね?親は尊敬してるし、仕事はちゃんと認められてるから!」
「でも、そのせいで友達ができないんだろ?」
「……まあね」
夕日が沈みかける中、彼女はぽつりと呟いた。
「どんなに正当性があっても、結局、偏見で他人に嫌われることってあるんだよね」
「……そうだな」
いつも明るく、誰にでも笑顔を絶やさない天野澪。
彼女がそんな事情を抱えているなんて、想像もしていなかった。
「でもね、お父さんとお母さんは言ってた。どんなに叩かれても、訴え続ければ本当の自分を分かってくれる人が現れるって」
「……そうなのか?」
「最初はあたしも疑ってたけど、今はそう思うなー。先生はあたしをよく気にかけてくれるし、塾とかお稽古とか人目がそんなにない場所では普通に話せる子はいるしね」
澪はベンチから立ち上がると、優也に向き直った。
「だから、八神くんも、だよ?」
「俺?」
「うん。みんながみんな、あなたの敵な訳じゃない。偏見で叩いたり、身勝手な理由で嫌う人もいるかもしれないけど。でも、ちゃんとあなたを理解したい……支えたいって思ってる人はいるんだからね?」
「っ……」
心を読まれた気がした。
彼女は、自分の事情をどこまで知っているのだろうか?
理屈は分かる。しかし、すぐには受け取れなかった。
そういう言葉を、都合のいい場所で何度も聞かされてきた気がする。
信じたい気持ちと、信じることが怖いという気持ちが、同時に胸の中でぶつかる。
「……俺は、天野さんみたいになれない」
「うん。あたしはあたし。八神くんは八神くんだもん」
澪は否定も説得もしなかった。
それだけで、胸のざわつきが少しだけ沈んだ。
「うーん……でもまあ、寂しがり屋の八神くんなら心配ないか。何せ『俺に話しかけるな』アピールしておいて、女の子とろくに目を合わせられない陰キャだし」
「……本当に容赦ないよな」
「ほら、今も照れてるー。悔しかったらコミュ力磨いて言い負かしてみせなー」
「うるさい……」
澪は楽しそうに笑いながら、優也の腕を引っ張って立ち上がらせる。
もう夜の帳が下りかけている。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。送ってく?」
「いや、そっちが襲われたら困るだろ……」
「あ、心配してくれてるんだ。でもあたし、結構強いんだよ?」
「……そうか」
二人は並んで帰路につく。
優也の心は、これまでにないほど穏やかだった。
「また明日。今日は楽しかったよ」
「……うん」
別れ際、澪が振り返って言った。
「あ、そうだ。八神くん」
「なんだ?」
「次からあたしの名前……下の名前で呼んでみない?」
「な、なんでだよ」
「いいから。ほら、言ってみて?」
抵抗するのも面倒になり、優也は小さく呟いた。
「……澪」
「うん!また明日からよろしくね、優也!」
彼女の満面の笑顔に、優也は言葉を失った。
胸の奥が熱くなる。この感情がなんなのか、まだよく分からなかったが……。
「ばいばい、優也!」
走り去っていく背中を見送りながら、優也は思わず呟く。
「……また明日、澪」
初めて名前で呼んだ少女の姿は、いつまでも心に残り続けた。