男女比1対100の世界。前世ではアラサー女子が男子高校生に!?   作:好きなジャンル欲張りセット

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二話 似合うより聞きたいこと

「紗月。お昼のことなんだけど」

「卵焼き?」

「そこまで戻らなくていい」

 

 下校中、駅へ続く道で、私はようやく切り出した。

 

 紗月は立ち止まらなかった。ただ、私に合わせて少しだけ歩く速度を落とした。

 朝には気軽に褒められた紺色のリボンを、今はまともに見られない。

 

「あの、彼女だったら、って言ったこと」

「うん」

「軽い言い方をして、ごめん」

 

 前世でも、いた。

 思わせぶりなことを言うくせに、こちらが本気にすると『そんなつもりじゃなかった』と逃げる人。

 友達の愚痴を聞きながら散々文句を言っておいて、自分が同じことをしていたのでは笑えない。

 

「紗月があんなふうに言ってくれると思ってなくて。まだ、どう答えていいのか……」

 

 隣から、短く息を吐く音がした。

 

「今日中に決めてって、言ってないよ」

 

 顔を上げると、紗月は困ったように笑っていた。

 

「ずっと幼なじみだったんだから。いきなりは無理でしょ」

「……うん」

「でも、忘れないでほしい」

 

 彼女は鞄の持ち手を握り直した。

 

「湊が優しいことを言ってくれるたび、私は、もしかしたらって思ってたから」

 

 思い当たることが、いくつもあった。

 新しい髪留めに気づいた日。試合に負けて帰ってきた彼女に、お菓子を持っていった日。

 どれも、私にとっては仲のいい友達への振る舞いだった。

 

「これからは、ちょっと気にして」

 

 返事をしようとして、目が合った。

 それだけで、お昼の声を思い出してしまう。

 

「……もう、かなり気にしてる」

 

 紗月は目を丸くした。

 それから口元を押さえ、進行方向に顔を向けた。

 

「じゃあ、今日はそれでいい」

 

 先ほどまでより、少し歩幅が広くなった。

 

「ちょっと、歩くの速い」

「ごめん」

 

 振り返った彼女は、まだ笑っていた。

 

     *

 

 翌日のお昼は、約束どおり三人で食べた。

 

 白瀬さんは昨日の続きの写真を見せてくれた。途中からは作品だけでなく、使っている道具や、作りかけのものまで。

 丸いビーズが転がらないよう、空き箱に布を敷いて作業しているらしい。

 

「この猫、いいよね」

 

 私が指したのは、昨日も見せてもらったチャームだった。

 灰色のフェルトでできた、小さな猫。片方の耳だけ、少し折れている。

 

「それ、耳を縫い直そうとして失敗したんです」

「このままで可愛いのに」

「……そうですか?」

 

 白瀬さんが画面を覗き込む。

 

「ちょっと寝癖みたいで」

「猫の寝癖?」

「ほら、紗月の家の近くにいる猫も、いつも片耳が」

「あの子は耳を動かしてるだけ」

 

 紗月から冷静な訂正が入った。

 白瀬さんは口に手を当てて笑った。

 

「じゃあ、直すのはやめます」

 

 そう言ってから、彼女は画像を一枚戻した。

 今度は色とりどりの布が、机いっぱいに広がっている。

 

「今日、帰りに材料を買いに行こうと思っていて。橘さん、こういうリボン、使いますか?」

「私?」

「昨日の、素敵だったので。余った分でよければ、作れるかなって」

 

 紗月が、自分の後ろ髪に触れた。

 今日はいつもの黒いゴムだった。

 

「……使うと思う」

「じゃあ、好きな色があったら教えてください」

 

 白瀬さんがスマホを差し出す。

 紗月は少し迷ってから、淡い青のリボンを指した。

 

 なんだ、ちゃんと仲よくなれそうじゃないか。

 昨日は二人の間に変な緊張があったから、少し気になっていたのだ。

 

「僕もそのお店、見てみたいな」

 

 二人が同時にこちらを向いた。

 

「お邪魔じゃなかったら、一緒に行ってもいい?」

「お邪魔なんて!」

 

 白瀬さんの声が裏返った。

 

「じゃあ、三人で。紗月も今日、部活の見学はないよね?」

「ない。行く」

 

 決まるのは早かった。

 

 そのあと、白瀬さんはスマホに何かを打ち込み始めた。

 店の営業時間でも調べているのかと思ったら、隣から小さく「お母さん、違うって……」と聞こえてきた。

 

 どうやら帰りが遅くなる連絡らしい。

 私も母に同じ内容を送った。

 

『紗月ちゃんも一緒?』

『うん。クラスの白瀬さんと三人』

『お店の人に迷惑をかけないようにね』

 

 遠足に行く小学生への注意である。

 私は『わかってる』と返し、スマホをしまった。

 

     *

 

 放課後に訪れた手芸店は、駅前の商業施設の二階にあった。

 

 棚には色別の糸が並び、壁には数え切れないほどのボタンが下がっている。

 入口で配っていた新作の見本を見ただけで、少し楽しくなってきた。

 

「このボタン、花みたい」

「透かし模様なんです。後ろの布の色が見えるようになってて」

「なるほど。濃い色のカーディガンにつけても可愛いね」

 

 白瀬さんの目が輝いた。

 

「そうなんです。全部替えなくても、一番上だけ違うボタンにすると……」

「雰囲気変わるよね」

 

 話しながら棚を移動する。

 彼女は店内をよく知っていて、欲しいものの前では迷わず足を止めた。

 教室で私に話しかけるときとは、ずいぶん違う。

 

 リボンを測り売りしてもらっている間、紗月がぽつりと言った。

 

「白瀬さん、こういうところだとすらすら話すんだ」

「あ、すみません。私ばっかり」

「違う。楽しそうだなと思って」

 

 紗月は買い物かごの中を見た。

 

「これで、ああいうのが作れるんでしょ。すごいね」

 

 白瀬さんはリボンの端を指で撫でた。

 

「……橘さんの分、ちゃんと可愛くします」

「急がなくていいから」

 

 こちらまで嬉しくなる会話だった。

 

 ただ、白瀬さんはレジへ向かう途中で、一度だけ足を止めた。

 棚に掛かった、小さな金属の留め具を見ている。

 

「買い忘れ?」

「いえ。これは、また今度」

 

 そう言って歩き出したので、私はそのままついていった。

 

 会計を終えて店を出ると、通路を挟んだ向かいが服屋だった。

 春物のブラウスとスカートを着たマネキンが、入口に並んでいる。

 

 紗月の足が、ほんの少し遅くなった。

 

 視線の先には、白いブラウス。

 襟元に小さなフリルがあって、袖が柔らかく膨らんでいる。

 

「あれ、気になる?」

「別に」

 

 返事が早すぎた。

 

「見ていこうよ。時間、まだあるし」

「でも、私には……」

 

 紗月は言いかけて、やめた。

 私はそれ以上聞かず、入口に立っていた店員さんに声をかけた。

 

「すみません。あのブラウス、試着できますか?」

 

     *

 

 前世でよく聞いた言葉がある。

 

 私には似合わないので。

 

 そう言うお客さんの視線は、だいたいその服に留まっていた。

 着てみたら違うこともある。着てみて、やっぱりしっくりこないこともある。

 だから、まず袖を通してもらう。似合うかどうかの話は、それからだった。

 

「嫌だったら着なくていいよ。見るだけでも」

 

 店員さんが服を取りに行っている間に言うと、紗月は小さく首を横に振った。

 

「嫌じゃない。……こういうの、あんまり持ってないだけ」

 

 普段の彼女は、Tシャツにパンツ姿が多い。

 動きやすくて似合っているけれど、それしか好きじゃないのかと聞いたことはなかった。

 

「制服のスカートと合わせてもよさそうだね」

 

 白瀬さんが、ブラウスを受け取った紗月に言った。

 いつの間にか、二人の会話から敬語が減っていた。

 

「じゃあ、ちょっとだけ」

 

 紗月が試着室に入る。

 私と白瀬さんは、少し離れた棚の前で待った。

 

「朝倉くん、こういうお店、よく来るんですか?」

「服を見るのは好きだよ。最近は、あまり来てないけど」

 

 前世では毎日いた、とは言えない。

 

「白瀬さんは?」

「ひとりだと、あんまり。試着したら買わなきゃいけない気がして」

「わかる。店員さんが親切だと、なおさらね」

 

 白瀬さんが勢いよく頷いた。

 

「でも、今日は楽しいです」

 

 手芸店の紙袋を両手で持ち、彼女は小さく笑った。

 

「朝倉くん、ちゃんと見てくれるから」

「何を?」

「作ったものを。可愛いって言って、それで終わりじゃなくて、どこが好きかとか、どうやって作るのかとか」

 

 紙袋の持ち手を、指がきゅっと握った。

 

「また何か作りたくなります」

 

 私は、返事をする前に一度考えた。

 昨日までなら、きっと何も考えずに言っていただろう。

 

 でも、考えてみても、言いたいことは変わらなかった。

 

「じゃあ、また見せて。僕、見るの好きだから」

 

 白瀬さんは目を伏せた。

 

「……はい」

 

 その声が嬉しそうで、私まで少し照れた。

 

 ちょうどそのとき、試着室のカーテンが開いた。

 

「……どう?」

 

 紗月が、入口に立っていた。

 白いブラウスに、制服の濃紺のスカート。

 大げさな飾りはないのに、いつもより顔周りが明るく見える。

 

 ただ、肩に少し力が入っていた。

 

「袖、短くない?」

「腕、下ろしてみて」

 

 紗月が素直に腕を伸ばした。

 袖口は、ちょうど手首のところに収まる。

 

「大丈夫。鏡、こっちのほうが全身見えるよ」

 

 少し大きな鏡の前へ移動すると、紗月は自分の姿を確かめた。

 横を向いて、裾を指で引く。

 

「フリル、変じゃない?」

「変じゃないよ。小さいから甘くなりすぎないし、紗月みたいに背が高いと、すっきり着られる」

 

 つい、前世の仕事中の口調になった。

 

「濃い色のパンツでも合うし、今のスカートなら、裾を少し――」

「湊」

 

 途中で呼ばれた。

 鏡越しに、紗月が私を見ていた。

 

「似合うかじゃなくて」

 

 彼女は一瞬だけ視線を落とし、また戻した。

 

「湊は、好き?」

 

 頭の中に並んでいた着回しの提案が、きれいに消えた。

 

 店員とお客さんの会話なら、簡単だった。

 けれど、紗月が聞いているのは、そういうことではない。

 

 隣の白瀬さんまで、返事を待つように黙っている。

 

「……好き、だと思う」

 

 鏡の中で、紗月の表情が動いた。

 

「こういうの着てる紗月も、可愛い」

 

 言ったあとで、耳が熱くなった。

 昨日の朝には平気で言えたのに。

 

 紗月は襟元を押さえた。

 

「じゃあ、これにする」

 

 値札を見直して、もう一度頷く。

 試着室へ戻る直前、彼女は小さな声で付け足した。

 

「今度、これで出かけるから」

 

 誰と、とは言わなかった。

 聞き返すことも、できなかった。

 

     *

 

 帰りの電車に乗る前に、白瀬さんが「少しだけ」と手芸店に戻った。

 

 さっき見ていた留め具を買ったらしい。

 レシートの入った小さな袋を、大事そうに紙袋へしまっていた。

 

 家の方向が違う白瀬さんとは、駅の改札で別れた。

 ホームへ向かう途中、スマホが震える。

 

 昨日、教室で交換した白瀬さんの連絡先だった。

 

『今日はありがとうございました』

『猫のチャーム、鞄につけるなら金具と紐、どっちが使いやすいですか?』

 

 私は足を止めた。

 

『僕が使うなら金具かな』

 

 送信してから、気づいた。

 さっき買いに戻ったもの。

 

『もしかして、作ってくれるの?』

 

 返事が来るまで、少し間があった。

 

『迷惑じゃなければ』

 

 昨日なら、すぐに「嬉しい、ありがとう」と返していた。

 今日は、画面の文字をしばらく見てしまった。

 

 お昼に褒めた猫を、白瀬さんは私のために仕上げようとしている。

 

 隣の紗月に目を向けると、彼女は服屋の袋を膝に載せて、ベンチに腰掛けていた。

 私の視線に気づいて、袋の口をそっと閉じる。

 

「何?」

「……なんでもない」

 

 もう一度スマホを見る。

 

『嬉しい。できたら学校に持ってきてくれる?』

 

 今度は、すぐに返事が来た。

 

『はい!』

 

 続けて、片耳の折れた猫の写真。

 下には、短い一文が添えられていた。

 

『おそろいでも、いいですか』

 

 私はスマホを持ったまま、しばらく動けなかった。

 

「湊、電車来たよ」

 

 紗月が立ち上がる。

 私は慌てて鞄を持ち直した。

 

 返事を書いては消し、乗り込んだ電車の中でも、まだ考えていた。

 迷惑なわけではない。

 むしろ、鞄にあの猫がついているところを想像すると、頬が緩みそうになる。

 

 ただ、この「はい」が昨日よりずっと難しい。

 

 窓に映る自分の顔を見て、私はようやく短い返事を打った。

 

『うん。おそろいにしよう』

 

 送信ボタンを押す指に、少しだけ力が入った。

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