MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
総裁を灰にした夜から、数日が経っていた。
組織は予想以上に静かに崩れていた。
犯罪被害者ネットワークの全貌を私が知る事はないが、彼らが長い間潜伏していた時期と同じように口を紡ぎ霧のように散っていった。
中にはFによる定期的な薬物による無関心化させられていた物もいるだろうが、表に出ることはなかった。
彼らの多くは『私』が巨大な治安維持機構…シールドとやらにスカウトされるのを今か今かと待っている段階だろうか。
町工場の地下施設は水没したまま放置され、端末の画面に「実験体出現通知」の文字が二度と浮かぶことはない。
手元に残ったのはFの死体から回収した記録媒体と、地下から掘り出して見つけたガラクタと化した純正品のガジェットのいくつか、町中に分散して隠しておいた現金で回収できた分――およそ二千ドルだけ。
記録媒体の中身はFの遺言状…というには散らかった文章だった。
記録日時:最終戦闘当日
端末:個人用バックアップ媒体(暗号化解除済み)
……これ、遺言ってやつなのかな。
自分でもよくわからない。俺はFだ。本名なんて、もうどうでもいい。
体質の話から始めよう。生まれつき、他人のホルモンを少しだけいじれる。
恐怖、安心、無気力、興奮――そういうのを、近い距離で微妙にいじくれる。
便利なようで、気持ち悪い能力だ。
総裁がそれを知って、被害者ネットワークの科学者に繋いだ。
「コントロール可能にしろ」と。
薬とインプラントで、俺の体質は「遠隔操作可能な道具」になった。
もともと計画は、もっと単純だったはずだ。
技術屋が作った強化服を着た誰かがヘルズ・キッチンの路地を守る現場担当。
遺族たちが資金とアジトと隠蔽をバックアップする。
「もう二度と、自分たちみたいな人間を出さない」ための、地に足のついたシステムの構築。
俺も、そのつもりで参加した。でも総裁が歪めた。
S.H.I.E.L.D.のアベンジャーズ計画に密航する「最高のヒーロー」を生み出せ、と。
1位になるためのレジェンドを作れ、と。
俺は深い理由はないがそれに乗った。
ホルモンを弄って遺族たちの激情を抑えたり、煽ったりした。
反乱分子が現れれば、静かに始末した。
俺の中で、ずっと何かがおかしかった。
判別つかない苛立ち。
自分でもどこから来てるのかわからない、ずっと残ってる違和感。
エリン・マクカシーの戦闘記録バックアップが入った端末を、自分に打ち込むつもりだった。
あれを取り込めば、バランスが取れる気がする。
彼女の「帰りたい」とか、冷え切った日常とか、そういうミクロなものが、俺の中のざらざらを沈めてくれるんじゃないかって。……結局、それもできなかった。
総裁の保険として、最後まで銃を構えていただけだ。
俺は、自分が何を守ってるのか、途中からわからなくなっていた。
母親の日常を守りたいなんて言ってる化物の方が、よっぽど筋が通ってるのかもしれない。
皮肉だな。もし誰かがこれを読んでいるなら――
たぶん、エリンの顔をした誰かだ。
俺の体の残骸を漁ったんだろう。
好きにしろ。データは好きに使え。
ただ、一つだけ。ホルモンを弄られた人間は、本当の意味で「自分」を取り戻すのに時間がかかる。
遺族たちも、薬が切れればまた胸の穴が開いていく。
俺がやったことは、消えない。……これで、少しは楽になるかな。
わからないけど。
お前は生きろよ、いつか死にたくなるまで生きろ。
F
いやいや、遺言というにはとっ散らかりすぎだろう。
ネカフェの個室で、私は自分の指先を見つめていた。前髪を目元にかかる長さに揃える仕草。瞬きの回数。肩の力の抜き方。呼吸の間隔。
すべてが、オリジナルのエリン・マクカシーと寸分違わなくなっていた。
データと融合した結果だ。完璧な擬態。母親が長年見てきた細部まで、再現できる自信があった。
胸の奥で心臓が脈打ちせかしてくる感覚が高まるのを感じる。
「これでようやく、お母さんの家に帰れる」
帰りたい――その呪いが、生存本能の下の位階にあったそれが這いあがってくる。
同時に、怪物であった自分が薄れ完璧にエリンが優位になっていく自分への激しい忌避感も。
スマートフォンが震えたのは、その時だった。番号は登録されていない。画面に短いメッセージだけが表示される。
『これ以上は俺の法でも隠しきれない。大きな影が動いている。母親のことは俺も見る。
だが、お前を俺の力で日向に出すのは難しい』
デアデビル――マット・マードックからの間接的な警告。
彼のレーダーセンスが、私の擬態精度の向上を捉えていたのだろう。
もはや私を化物ではなく人間と見つつあるのかもしれない。
私はネカフェを出た。
雨が、マンハッタンの夜を再び濡らしていた。
母親が深夜まで働くダイナーの裏口から、コインランドリーまでの細い路地。
人気のない場所を選んで歩いていた時、周囲の気配が急に遮断された。
雨音すら歪むような、人工的な静寂。
ステルス状態の何かが、上空と路地の入り口を塞いでいるのが、五感でわかる。
レーザーサイトによる赤い点が私の身体にいくつも現れた。
漆黒のロングコートを纏った男が、闇から現れた。
片目に眼帯。声は低く、乾いていた。
「エリン・マクカシー。あるいは、その形をしたお嬢さん。……どちらで呼ぶべきかな?」
「エリン・マクカシーでいいよ『今は』私がエリンだから」
私は一歩も動かなかった。
生存本能が、周囲の気配を精密に拾い上げる。
ステルス状態の飛行物体。特殊部隊の配置。複数の殺意が線のように感じられる。
逃げ場はない。
戦闘態勢を取れば、即座に「害獣」として処理される計算になる。
肩をすくめて両手をゆっくりと上げる。
「……あなたは?」
「ニック・フューリー。S.H.I.E.L.D.そのトップだ」
男はトランクを足元に置き、静かに蓋を開けた。
中から出てきたのは、これまでの戦闘ログのハードコピーと、一枚の診断書めいた書類だった。
本物のエリン・マクカシーの死亡記録。偽造された正規の書類だ。
他にはどうやってサルベージしたのか怪物としての私に関するデータや記述が載った書類も見える。
「君が名乗る戸籍上の人物と、目の前の生体反応は一致しない。
ヘルズ・キッチンで起きた三メートル級の実験体との戦闘、両肩に時代錯誤な巨大な携帯を生やした姿、そしてあのピンクの光の現象――すべて捕捉済みだ」
何一つ助けなかったくせに偉そうに、エリンとしての苛立ちがピキリと鳴った。
「世界は変わりつつある。
トニー・スタークのような天才や、神話の神々が空を飛ぶ時代だ。
我々は『特別な力』を監視し、管理する。君の選択肢は二つ。法の下で檻――解剖室に入るか、私の計画の駒になるかだ」
アベンジャーズ。
総裁が欲しがっていたステージ。
フューリーの言葉は、首輪か檻かの提示だった。
私は計算した。手元の価値は、総裁や遺族たちが作り上げたファイズのシステムデータと
「自分という唯一の適合生物」だけ。
ハッタリを交えなければ、交渉材料にならない。
「私を解剖室送りにしたら、このテクノロジー――フォトンブラッドの全データは、世界中の闇ネットワークに自動拡散される。
組織が仕込んだ最後の『ショー』のプログラムが残っている。
それがあなた達が彼らから『光』を奪う代償になる。
世界中で悪用されたらあなた達が世界を救う専門家でも実物リソースに限界がくるのでは?」
声は、エリンのそれを完璧に模倣していた。
冷たく、計算的に。
「私の要求はあなた達が私の身分と生存の保証を確約する事、そしてエリン・マクカシーの母親の完全な安全と日常を国家レベルのインフラで保護すること。
そして私が家に帰宅するのを許すこと、それで流出を阻止しつつ私を戦力として雇えるなら良い買い物なのでは?」
フューリーは、しばらく黙って私を見ていた。
レーダーセンスを持たない彼にも、私の動機の歪さ――お母さんの家に帰りたいという、あまりにもミクロで人間臭い呪い――が伝わったのだろう。
かすかに、口の端が動いた。
「……いいだろう。君の戸籍を完全に洗浄し、母親のダイナー周辺の治安はS.H.I.E.L.D.の最優先監視区域にする。
だが、ベルが鳴ったら――世界が危機に陥ったら、君にはそのファイズという『借り物の衣装』で泥水をすすってもらうぞ」
契約は、それで成立したかに見えた。
私は、わざとらしく首を傾げた。
「……大きな組織は、新陳代謝を繰り返す。いつの間にか上層部が、最初の志を共有していない存在にすり替わる。
それは、当然の帰結ですよね?
この契約はあなたがトップでいるうちか、あるいは心変わりするまでの薄氷の上に成立しているのではないですか?」
雨音が、一瞬だけ途切れたような気がした。
「そうなったら、どうするんですか? 私を『管理』する側の人間が、母親の日常などどうでもいいと判断したとき。あなたが今、口にした保障は、どこまで有効なんですか?」
フューリーの片目が、細くなった。
嘲笑とも、興味ともつかない光がそこにあった。
「賢い質問だな、お嬢さん。だが答えはシンプルだ。私がトップでいる限り、その保障は有効だ。私がトップでなくなったら――そのときは、君自身が生き残る術を選べばいい」
彼はトランクを閉め、闇に溶けて消えた。手元に残されたのは、S.H.I.E.L.D.仕様に上書きされた新しいスマートデバイスと、ケースに収められたファイズのガジェット一式。
さすがは総裁が媚びを売って入りたかった組織、もう純正品のコピーまでできるらしい。
◆ ◆ ◆
雨は、まだ止んでいなかった。
私は歩き出した。
目の前には、あの懐かしい、古い赤レンガのアパートの階段がある。
完璧な擬態。
国家の保障。
外敵は排除された。
胸の奥で、泥のような感触が小さく脈打っている。
それでも足は止まらなかった。
ドアをゆっくりと開ける。
そこには、あの日、記憶の砂嵐の向こうでずっとフライパンを洗っていた、背中の丸いお母さんの姿が確かにあった。
「おかえりなさい」
「ただいま、お母さん」
――少女の願い、あるいは怪物にとっての呪いが叶った。
そのアパートの屋根の上、雨に濡れる黒い影が、二つの心音が重なったのを静かに聴届けて闇へ消えた。
1stシーズンは終わり。
大昔の初期プロットではデアデビルとのバディ物になる予定だったんですが、主人公がグロ生物になったせいでお流れに。
カトリック的価値観を持つ彼からしたら主人公は絶対に許せない邪悪な生命体なので仕方ないね。