MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
東京、文京区にある関東医大病院の地下。
その奥深くにある極秘の研究室には、ホルマリンと焦げた生体組織の、混ざり合わない不気味な臭いが立ち込めていた。
顕微鏡を覗き込んでいた男──椿秀一は、白衣の襟元を緩め、長いため息を吐きながら顔を上げた。
一条薫の学生時代からの友人であり、日本警察が最も信頼を寄せる若き天才医師。
その端正な顔には、徹夜の疲労ではなく、未知のオーパーツを目の当たりにした純粋な戦慄が刻まれていた。
「……信じられん。マクカシー君、君の言う通りだ」
椿はピンセットで、完全に沈黙した硬質な物体──ゴ・バダー・バの肉体から物理的に隔離された魔石が埋め込まれたベルトを指し示した。
「肉体から切り離されたことで、内部の未知のエネルギーは完全に不活性化状態に入っている。おかげで君たちが恐れていた時限爆弾の術式も、回路そのものが眠っているよ。……君の、外科手術並みの精密な切断技術がなければ、今頃この研究室が吹き飛んでいたかもしれない。だが、問題はここからだ」
椿は手元にある実験用のケージへ視線を落とした。
中には、数分前にベルトの肝である魔石の表面を僅かに削り出し、その粉末を投与された一匹のマウスが横たわっていた。その死体は、見るも無惨に変貌している。
「粉末を口にした瞬間、マウスの筋肉は破裂せんばかりに肥大化し、側頭部には不自然な『目』がいくつも増えた。身体が一回り大きくなった直後──細胞の自壊を起こして即死だ。
この石そのものは、生命を強制的に別の、より狂暴な高次生物へと変貌させる純粋な進化エネルギーの塊だ。
そして、このベルトという外殻は、そのあまりにも凶悪な力を人間に都合よく制御するためのシステム(制御盤)として機能している」
椿は手袋を脱ぎ捨て、鋭い視線を私へと向けた。
「マクカシー君。君はこれほどの危険物を、なぜ自国の組織(S.H.I.E.L.D.)に隠れて、日本の警察に預けたんだ? アメリカの巨大組織なら、もっと潤沢な設備で解析できるはずだろう。
一条から君の提案は聞いたが、君自身にどんな計算があるのか、本人の口から聞きたい」
その問いに、私は表情一つ変えずに淡々と、しかし脳内で弾き出された冷徹な生存確率の数式をそのまま言葉にして返した。
「直属の上司であるニック・フューリーという男は、私の不服従をある程度織り込み済みで泳がせています。
かつてグロンギを自称した怪物と戦った古代の戦士の成れの果て、その遺体を私がわざと爆破に巻き込んだことも、このベルトを完全消滅したと嘘の報告を入れたことも、彼は半分は気づいているはずです」
一条が僅かに目を見張る。私は続けた。
「現在、私は事実上、フューリーというトップ個人の子飼いに近い立場です。
彼がいささか現実感のない言葉かもしれませんが
地球防衛への理解し難いほどの異常なモチベーションを滾らせている限り、私は彼の使い勝手のいい兵器として安全を保障される。
ですが、もし彼が失脚すれば、組織にとっての私はただの駆除対象の化け物に成り下がるリスクがある。
次のトップがフューリーのように地球防衛の情熱を持っているとは限らないからです。
これが現状の私の立場です。」
取調室の時計の音が、地下室の静寂に響く。
「S.H.I.E.L.D.という組織の本質を、私は信用していません。
こんな超人を作る技術の礎になるような危険なサンプルを軽々しく渡せば、彼らは必ず量産型の生体兵器を作ろうとする。
それが組織内の派閥交代によって劇的に方針が変わる、あるいは組織の暴走によって私の母国に解き放たれた時……私の家族の日常へのリスクは、許容できないレベルの絶対的な赤字に跳ね上がる。
だからこそ、主権の異なる日本警察(あなた方)にこれを隠匿させ、純粋な対グロンギの防衛研究にのみ利用させる。それが、私の生存計算が導き出したベターな黒字化のルートです」
もっとも、その成果を強権発動してかっさろうと普通に考えていると思いますけど、と続ける。
私の胸の内を明かしたロジックを聞き、椿は一瞬呆然としたが、やがてフッと息を漏らして笑った。
「なるほど。ただの冷血な計算機かと思えば、随分と度し難い頑固なお嬢さんだ。
……いいだろう。この魔石とサンプルは私たちが責任を持ってフューリーの目から隠し通す。
この国を守る執念なら、日本の警察も負けてはいないからね」
一条が私の肩にそっと手を置く。
「ありがとう、マクカシー。君の計算は、結果的に日本の多くの命を救うことになる。我々も全力を尽くそう」
──その時、研究室の無線機が、再び不穏なノイズを発しながら現代の平穏を切り裂いた。
『各局、地下鉄臨海線──走行中の車両内にて、乗客が次々と怪死しているとの通報多数! 遺体はどれも、血を一滴も流さずに「首」を綺麗に刈り取られているとのこと。
現場の駅ホームはパニック状態、至急応援に向かえ!』
「血を流さずに、首を……?」
一条の顔が緊張に強張る。
脳内が即座に同期した先代の記憶をスキャンし、該当する個体のデータを弾き出した。
「標的を識別。カマキリ種の怪人です。……そして彼らは、すでに学習しています」
「学習だと?」
一条が上着を掴みながら問いかける。
「私が遺跡で10秒足らずで200体近い同類をほぼ同時に撃破した場面、続くバイクに乗ったバッタ男が一瞬で解体され、灰になった光景を生き残った残党たちは見ていた。
彼らは、私が超高速で頭を狙って暗殺する手段を所有していると理解した。
だからこそ、殺戮の舞台にそこを選んだ。
私の超高速機動を封殺する環境、一般人の盾を使い物理的に制限される環境を」
超過密空間、東京の地下鉄。
時速数千キロの体感速度で動くアクセルフォームは、狭い通路や満員電車の中で起動すれば、移動時のソニックブーム(衝撃波)や接触だけで、周囲の逃げ惑う一般市民を瞬時に肉片へと変えてしまう。
「人混みと閉鎖空間。……私が今までのように超高機動能力を使えば、一般人の死亡率は無視できない程に跳ね上がる。彼女は私の速度を、人間の肉壁で封殺しに来たんです」
「……行こう」
一条の目が、刑事の鋭い光を宿す。
「速度が使えないなら、泥臭く足で稼ぐまでだ。
必要な支援は可能な限り引き出す、化け物を根絶するために必要なら遠慮なく言ってくれ」
「了承しました一条刑事」
私は黒いコートを翻し、一条と共に地下室の階段を駆け上がった。
東京の地下深く、満員電車の闇の中で静かに大鎌を研ぐ、次なる異形との死闘に向けて。