MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
昨夜の戦闘を、私は失敗だったと認識している。
エリンではなく、生物兵器としての感覚が強く出すぎた。効率的で、迷いがなく、あまりに自然だった。
あれではエリン・マクカシーにはならない。母親が長年見てきた「あの子」の動きとは違う。
だから今夜は、意識して再現率を上げる。
エリンが装備を渡されたばかりの頃の、まだ体に馴染んでいない手つきを。
震える指先も、取り落とす瞬間も、すべて含めて。
雨が、マンハッタンの夜を濡らしていた。ビルの谷間を黒い影が滑る。
短く切り揃えられた黒髪が水を弾き、赤い瞳だけが闇の中で冷たく灯っている。
胸元を走るフォトンブラッドの軌跡は雨粒に滲み、血痕のようだった。
最初の適合体は、路地の奥で佇んでいた。
私は足音を消して接近した。右腰の懐中電灯型デバイス――ファイズポインターを外す。
指先がわずかに震えた。湿った金属の感触が滑り、危うく取り落としそうになる。
慌てて握り直す。
――……まだだ。この手は、まだエリンの手になりきれていない
右脛の指定位置に装着しようとする。
ベルトの留め具に指が引っかかり、一度外れる。雨で冷えた指が思うように動かない。二度目でようやく固定できた。
次にベルトのスロットから板状のミッションメモリーを抜く。
ポインターに差し込もうとした瞬間、角度がずれて弾かれる。カチリ、と音がして床に落ちた。
しゃがみ込み、泥水に濡れたメモリーを拾い上げ、コートの内側で拭う。
再度、慎重にスロットへ押し込む。今度は入った。
『Ready』
腹部のファイズフォンを操作する。画面をなぞる指がわずかに遅れる。
『Exceed Charge』
本物のエリンなら、もっと自然に、呼吸の間に合わせてエンターを叩いていただろうか。
私はまだ、手順を「思い出して」いる段階だ。赤い円錐状のマーカーが展開され、適合体を拘束する。
右足にフォトンブラッドを収束させ、蹴りを叩き込んだ。
「アァァ、ガッ……ッ!」
断末魔は雨に掻き消され、体は赤い粒子となって崩れていく。
「……おやすみなさい」
声が、自分でも低すぎると感じた。
スマートフォンが震える。
『対象排除確認。報酬入金完了。+850ドル』
組織のマッチポンプは正確だ。殺せば金が入る。金が入れば、ネカフェの個室を確保できる。
雨が強くなる。
二体目は駐車場の影にいた。
もはや人間の原型を感じさせない白い肢体は体躯が大きく、腕が異常に伸長している。
ポインターを脚にセットする動作が、また遅れる。指が滑り、一度取り落としそうになるのをこらえて、歯を食いしばって装着する。
ミッションメモリーを挿すときも、一度手が震え、スロットの縁に当ててしまった。
エリンも、最初はこうだったのだろう。
説明書を見ながら、震える手で装備を付けていたはずだ
マーカーを展開し、クリムゾンスマッシュを叩き込む。
粒子化した灰が雨に流されていく。
また、通知が来る。
『対象排除確認。報酬入金完了。+920ドル』
三体目の座標は、ヘルズ・キッチン寄りの古い工業地帯だった。
実家から歩いて十五分ほどの距離。
雨の中を走る。
ギアの操作は相変わらずぎこちない。メモリーを挿す指先に意識が必要で、ポインターの装着にも余計な時間がかかる。オリジナルのエリンが、まだ戦い方を体に染み込ませていなかった頃の動きを、私は忠実に再現してしまっている。
三体目は廃倉庫の屋根にいた。
白い肢体からわずかに紅い光が漏れてあたりを照らしている。
接近した瞬間、甲高い電子ノイズが夜を割った。
「キィィィィィン——ッ!」
気づかれたか?
ぎこちない指先を、生存本能でわずかに補正しながらポインターを装填し、メモリーを叩き込む。
『Ready』
電子音声を聞き流しながらファイズフォンを開き、エンターを押す。
『Exceed Charge』
動作の一つ一つに「模倣している」という意識が残る。自然さがない。
母親が長年見てきた細部――呼吸の間、瞬きの回数、肩の力の抜き方――それらを完璧に再現できていないのと同じだ。
赤い円錐状のマーカーで拘束し、続けて接近しクリムゾンスマッシュを直撃させる。
「アァァ、ァ、ガッ、アァァァァァァッ!!
適合体は赤い嵐となって崩れ、灰は雨に溶けて消えた。
「……おやすみなさい」
通知が来る。『対象排除確認。報酬入金完了。+1,050ドル』『次回出現予測:待機中』
雨が黒髪を伝って落ちる。冷たい。あの夜の廃ビルで感じた、肉の冷たさに似ている。
私は変身を解除した。衣服が粒子状に分解され、あたかもシステムに収納されたかのように消える。実際は生体組織が再構成しているだけだ。
ダミーのガジェット内部から、注入していた神経と組織を静かに回収する。
空になったベルトとフォンとポインターをケースにしまい、私服に戻る。
ネカフェまでの道を、濡れながら歩いた。ポケットの中のスマートフォンが、入金完了のバイブレーションを繰り返す。
組織は気づいているはずだ。手順の省略、動作の微かな不自然さ、手が震えて取り落とした瞬間さえ、監視ログに残っているかもしれない。
それでも金は振り込まれ、実験体は放たれ続ける。彼らは何を見ているのか。
新しいサンプルとしての、私をだろうか。
雨が、ようやく小降りになった。ヘルズ・キッチンの方角を、一瞬だけ見る。
まだ、帰れない。
声色も、仕草も、そしてこの震える手つきも、完璧ではない。
見破られた瞬間、エリンの残滓と私のバランスは崩壊する。生存率が下がるリスクを、今は取れない。私は襟を立て、ネカフェの方向へ歩き出した。雨の匂いが、まだ喉の奥に残っていた。
血の味に、よく似た、冷たい感触が。
Tips
・この戦いの構図は以下の通りになっている。
とある組織が実験体を街中に放流する。
↓
主人公は組織から座標の通知を受けて急行し撃破する。
↓
主人公は組織から報奨金を受け取る。