MCU世界で『ただいま』を言えない怪物   作:お砂糖さらさら

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マイティ・ソーにちょっとだけ顔見せ


プエンテ・アンティグオの引き算(2011年)

 

エリン・マクカシーは元は自動車修理工場といった風情の建物の中で彼女にしては珍しく無糖の缶コーヒーを飲んでいる。背後ではスーツ姿の男たちがせっせとトラックの荷台から積み荷を降ろして慎重に並べている。

その音を聞きながら、彼女はここ数日の記憶を思い返していた。

 

 

 

 

 ニューメキシコの砂漠に突如として設営された、S.H.I.E.L.D.の臨時クレーター研究拠点。

 数日前、空から降ってきた謎のハンマー(ムジョルニア)を包囲するように建てられた無機質なビニール構造物の迷宮。

 

その中で、エリン・マクカシー特別分析官は黒いコートの裾を静かに揺らし、プラスチックのパイプ椅子に深く腰掛けていた。

 

 透過ディスプレイが放つ冷たい青白い光を浴びながら、彼女の赤い虹彩は、今まさにここで遂行されている作業を冷徹にスキャンしていた。

 

 戦術部隊の男たちが、ロキシー・モーターインのロッジから強奪してきたジェーン・フォスターの研究機材やハードディスク、研究ノートのすべてを、無慈悲に、しかし極めて手際よく拠点のデスクへと並べていく。

 

例のハンマーは一見しただけで食欲が刺激されるレア物の気配がしたが、さすがにこの状況では静観するほかなかった。

クーラーボックスから冷えた缶コーラを取り出し、食欲を誤魔化しにかかるとS.H.I.E.L.D.のお仲間とは違う足音をとらえる。

 

 

「待って! それは私のデータよ! アインシュタイン・ローゼン・ブリッジの証明なの!」

 

 

 必死に叫び、エージェントたちに詰め寄ろうとするジェーン。

 

その横で、年老いた天体物理学者のエリック・セルヴィグ博士が、怒りと無力感に顔を歪めて彼女を宥めようとしていした。

 

 その人間の無駄な激情の熱を、エリンは椅子から立ち上がり、機械的な足取りで二人の前へと歩み出ながら、完璧に模倣された平坦な声で遮った。

 

 

 

「フォスターさん、セルヴィグ博士。ようこそ我々の基地へ。

ですが、データや機材を返却することはできません。

世の中には知ってはならぬこと、知ったばかりに命を落とすことなんて、いくらでもあるでしょう。

そして不運にもあなた方の研究はそれに合致してしまったらしい。」

 

 エリンの声には、脅迫の棘も、同情の湿り気も一切なかった。ただ、世界の冷酷な合理性をインデックスとして提示するような静けさだけがあった。

 

 

「私の直属の上司である長官殿は、あなた方のセカンドライフを保証するのに十分な額の資金を出すようです。

ここで大人しく手を引かれたらどうでしょうか。

それとも……退くくらいなら死んだほうがマシ、というやつでしょうか」

 

 あまりにも冷淡で、血の通わない事務的な物言い。自分の人生そのものである研究を「資金」というはした金で片付けようとされたジェーンの怒りは、瞬時に臨界点を突破した。

 

 

「あんた、何様のつもりよ……ッ!!」

 

 

 激昂したジェーンが、エリンの無表情な顔面に向けて、衝動のままに右手を振りかぶった。普通の二十歳の少女であれば、避けることもできずにまともに受けていたであろう、感情の平手打ち。

 

──ガシッ。

 

乾いた硬い音が、電子機器の唸る拠点の室内に響いた。

ジェーンの細い手首は、エリンの華奢な、しかし日本で霊石と同化して人間の骨格の密度を遥かに超えた生体強化された右手の掌によって、寸分の狂いもなく空中で完璧に捕まれていた。万力で締め上げられたかのような圧倒的な力。ジェーンの動きが完全に凍りつく。

 

 

「……っ!? 動かない……」

「もし、仮に。それでもそのデータを取り返したいのであれば」

 

エリンは赤い瞳で、手首を掴まれたまま恐怖と怒りに目を見開くジェーンを真っ直ぐに見返した。

 

「相応の取引ができるだけの対価、あるいは、私たちの組織(S.H.I.E.L.D.)を強引に黙らせるだけの圧倒的な『武力』が必要になります。

……それを用意するのをお勧めしますよ。

個人的には、ただの一般人でいたいなら、あきらめたほうが良いと思いますが」

 

 力のない者が超常(マクロ)に触れれば、引き算される。それがこの世界の生存のルールだ。

 

「マクカシー特別分析官。そこまでにしてください」

 

 ビニールのカーテンを潜り、実直な足音と共にフィル・コールソン捜査官が入ってきた。エリンはジェーンの手首をパッと、まるで興味を失った玩具のように離した。

 コールソンは笑顔で大人の嘘を並べながら、ジェーンたちを部屋の外へと促していく。

彼女は手首をさすりながら、去り際にエリンのあの紅い虹彩を、激しい戦慄と共にその網膜に焼き付けていた。

 

 

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

 

──それから、数日後。

 

 

 ロキの放った無敵の鋼鉄巨神――デストロイヤーは、復活した雷神のハンマーによって文字通りバラバラに粉砕された。

その周囲には、アースガルズの神の超金属「ウル」の残骸が、未だ鈍い残熱を帯びながら無造作に転がっている。

 

 

 グロンギとの戦いでの限界を超えた過負荷によって、未だ疲弊を体内に蓄積しているエリンは、両者の激突を物陰から冷徹に静観していた。

 

現在のコンディションであの地球とは別の文明の産物と戦うのは生存計算上赤字であり・…いい感じに復活したあの男の戦いに介入するのは何となく『無粋』のように感じたからだ。

 

くわえて『例外個体(ソー)』の所有する武力なら、十分に撃破を狙えると脳内CPUが計算したからだ。

 

 

 

 チリ、と耳の奥の専用インカムが、無機質なバイブレーションと共にノイズを弾いた。

眼帯の管理官――ニック・フューリーの、低く乾いた命令だ。

 

 

『コールソンがフォスターの相手をやっている間に、お前は本命を処理しろ、マクカシー。あの宇宙の鉄屑のコアパーツと破損パーツのすべてを、支給した特殊ケースに回収しろ。…タイムリミットは三分だ』

「三分もあれば、お釣りが来ます」

 

 

 エリンはインカムの通信を切るとファイズではない、通常の姿のままコートを翻して疾走する。

 デストロイヤーの残骸の前に膝をつき、高密度炭素繊維の特殊ケースを開く。

 

その瞬間、彼女の「生体兵器としての捕食・同化本能」が、転がっているウル金属の破損パーツに対して、これまでに経験したことのない猛烈な飢餓感を覚えて脳内CPUを激しくスパークさせた。

 ドロリ、と彼女の漆黒の指先から、粘り気のある黒い生体組織が数ミリだけ這い出、飢えた獣のようによだれを垂らしながら、ウル金属の一欠片をこっそり「捕食・融合」しようと蠢いた。

 

 

 

 ──バシィィィッ!!!

 

 

 

 インカムの一般網を強制的にハッキングするような爆音と共に、フューリーの冷酷な怒号が彼女の鼓膜を直接殴りつけた。

 

 

 

『手を止めろ、マクカシー!!

そのガラクタに手を伸ばしているのはお見通しだ!

お前の母親が待つヘルズ・キッチンの日常を、天秤にかける気か!』

 

感覚を強化して周囲を探っていただけにその 責は尋常でなく頭に響いた。

 

エリンは赤い虹彩を焦燥に染めながら、指先の生体細胞を皮膚の内側へと強引に格納し、忌々しげにケースの蓋をバチンと閉めた。

 

「……了解しました、長官殿。契約に従います。」

 

 

 

 

 

 

 彼女がケースの電子ロックを完了させ、物陰へと移動したのとほぼ同じころ。

 

 

復活を遂げた雷神――ソーは、あの誰も持ち上げられなかったはずのハンマー(ムジョルニア)を片手に、圧倒的な「神の質量」を纏ってエージェントの前で直立していた。

 

ソーという規格外の暴力に脅され、フューリーの損得勘定による急な方針転換で慌てて機材を返すハメになったコールソンが、引きつった大人の笑みを浮かべながらソーと交渉のテーブルにつく。

エリンはその僅か数歩後ろで、その対峙を冷徹にスキャンしていた。

 

「お急ぎだと思うので率直に聞くのですが」

 

 交渉の隙間を縫うように、エリンの平坦で血の通わない声が、ソーへと澱みなく叩きつけられた。

 

「あなた方は地球外から来た異邦人で、故郷に戻ってあのでかい玩具(デストロイヤー)をこちらに送り込んできた奴に、我々の分の文句の一つでも言ってくれるという解釈でいいのかな」

 

 ソーは振り返り、その青い力強い瞳で華奢な少女を見つめ、不敵に笑って頷いた。

 

「如何にも、我が同盟者よ。このミッドガルの守護者と俺は、同じ目的のために戦う仲間だ。故郷へ戻り、この無礼のツケは必ずやロキに支払わせる」

「ソー。私は奪われたものをすべて返してもらうまで、彼らを許さないわ」

 

 

傍らでかつて機材を収奪していったトラックを見上げるジェーン・フォスターの目は、数日前に手首を掴まれた時と同じ、激しい怒りと情熱に燃えていた。

 

コールソンは笑顔を崩さないまま、「借りただけですよ」と体裁を整え、エージェントたちに機材を戻すよう指示を出す。

エリンは一歩、ジェーンの前へと踏み出した。

 

 

「実際の所、フォスターさん。あなた方の研究は彼らに目をつけられてしまった。

これから先研究を再開すると言っても、組織の監視下で進めるほかないのでは?

事実上の飼い殺しか、あるいは一生逆らえないような監視を受けるかもしれない

……本当にそれでいいんですか?」

「当然よ! 監視されるのが何だって言うの? 私は私の人生を、あいつらに『なかったこと』にされる方が、死んだほうがマシよ!」

「……そうですか」

 

 エリンはそれ以上何も言わなかった。

トントン、と、実直なコールソンの肩を繊細な手つきで軽く叩き、彼女はそのまま、ソーの間合いから大きく距離を取るように数歩、無音の足取りで後退した。

 

 

 それは、要求をのませるだけの戦力差が成立してしまったことを意味するこの場でソーと戦闘する意思がないという態度表明だった。

 

 

エリンにとって、いかにも正義のために力を振るうソーのような存在が、今後地球に降りかかるかもしれないマクロな事態に対して、戦力を提供してもらえるのは決して悪くない取引だった。

たとえそれが、今はただの口約束であったとしても、今のうちに貸しを作っておく価値は十分に「黒字」であると、脳内CPUが計算した結果だった。

 

 

 

 

時間は冒頭に戻る。

 

 

「マクカシー特別分析官。せめて手伝ってください。これでも人手が足りないんだ」

 

 トラックの荷台から重い天体望遠鏡の架台を運び出していたエージェントから、ひどく疲弊した小言が飛んでくる。

エリンは黒いコートの襟を立て、ぬるくなったコーヒーの匂いを感じながら、無表情のまま平坦に言い返した。

 

 

「私、機材を壊さないように力加減して運ぶ自信がないので」

 

 

 

 

 

 

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